Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

ダークタワー6巻感想(その2)

改めて感想

 

NOVA「さて、前回は久々のスパロボ以外の記事だったから、余計な寄り道が多かったので、今回はきちんとした感想を書くぞ」

晶華「質問。タイトルの『スザンナの歌』って何? 前巻は『カーラの狼』で、カーラの街を襲う〈狼〉と呼ばれる子供さらいロボ軍団を撃退する大筋だったけど、今回の歌はどういう意味?」

NOVA「あまり重要な意味はなさそうだな。一応、物語の終盤で、スザンナがオデッタとして黒人解放運動をしていた頃に流行していた歌を、1999年にストリートミュージシャンの少年が演奏していて、スザンナが歌うことでコミュニケーションをとるシーンがある。60年代の曲だから、90年代にはあまり知る人のいないマイナーな曲なんだけど、『どうして知ってるの?』『……母から聞いたの』『かっこいいママだね!』と、ささやかな交流を果たしたりもする。時代を越えて受け継がれた歌と、背景のエピソードがしみじみと語られる感じ。この時代を越える、世界を越えるという現象の象徴に歌のイメージが使われているんだと思う」

翔花「時空を越える歌のイメージってこと?」

NOVA「こればかりは文章を読んだだけでは、イメージが伝わらないな。その60年代のアメリカの黒人たちの間で流行った歌の元ネタはあるんだろうけど、歌詞を書かれても、俺は知らないし、分かる人には分かるイメージなんだろう」

晶華「分かりやすく例えたら?」

NOVA「『ブラッド・フィーデルの曲が聞こえてきた。あの冷酷な殺人ロボットを想像して、背筋がゾッとした』と書かれて、分かるか?」

翔花「ブラッド・フィーデルって誰?」

NOVA「これなら分かるだろう」

翔花「ああ。ターミネーターの人ね」

NOVA「80年代の吸血鬼映画『フライトナイト』の作曲者でもある。

NOVA「この歌は、ヒロインのエイミーが吸血鬼のジェリーに噛まれるシーンに流れた印象的な曲に、ブラッド・フィーデル自身が歌を入れたりして、俺のお気に入りなんだけど、分かる人は限られているネタだと思う」

翔花「ブラッド・フィーデルさんかあ。他にどんな作品があるの?」

NOVA「これかな」

翔花「どうして、ホラー映画ばかりなのよ?」

NOVA「そりゃあ、90年代に俺がレンタルビデオで吸血鬼映画とかゾンビ映画をいろいろ見ていた時期があって、俺のお気に入りの映画は何故かブラッド・フィーデルさんの作曲が多かったんだ。おそらく80年代の半ばのB級ホラー映画の仕事をいっぱいしていたら、そのうちの一本でしかなかった『ターミネーター』が2で一気に大ブレイクして、メジャーな人になったんだろうけど、今の時代では意外と知る人は少ないのかな。まあ、公式サイトはこちら」

晶華「それで、ブラッド・フィーデルさんとスティーヴン・キングさんの間に、何か関係があるの?」

NOVA「つながったら面白いなあ、と思ったんだが、残念ながら無関係だな。俺にとっては、キングの『セイラムズ・ロット』と『フライトナイト』が吸血鬼リンクしているんだが、ジャンルが被っているだけで直接の接点はない」

 

晶華「それじゃ、スザンナさんの歌のタイトルは分かる?」

NOVA「『いつも悲しむ女』(ガール・オヴ・コンスタント・ソロウ)とあるな」

晶華「検索してみましょう」

NOVA「わざわざ?」

晶華「出てきたわ」

NOVA「マジかよ」

NOVA「なるほど。これが『スザンナの歌』かあ。インターネットって便利だな。キングさんはこの歌をイメージしたり、聞いたりしながら、この話を書いたんだなあ。俺が伊福部昭の曲を聞きながら、小説を書いたこともあるように」

翔花「怪獣の小説?」

NOVA「いや、ウィザードリィRPGのリプレイ小説。商業作品じゃなくて、当時のTRPG仲間に配布した趣味小説。まあ、こっちの曲をBGMに使ったりもしたけど」

 

翔花「何だかよく分からないけど、歌や曲の力で時空を越えたり、世界を越えたりするのは実感できた気がする。NOVAちゃんが懐かしの90年代にトリップして、心ここにあらずってモードに入っちゃったし」

 

3組の時空放浪者

 

NOVA「さて、思い出の音楽トリップはこれぐらいにして、本筋だ。前作で〈狼〉からカーラの街を守ったローランド一行だったが、女妖魔のミーアに乗っ取られたスザンナが姿をくらましたところで続く、となったんだ」

晶華「スザンナさんって、確か脚が膝から切断されていて、車椅子だったのよね。それで、どうやって失踪できるの?」

NOVA「ミーアの人格が表に出ているときは、脚が生えてくるんだよ。スザンナは黒人なんだけど、生えてくる脚は白人のミーアのもの。まさに、ご都合主義の怪現象とツッコミ入れたくなるが、悪魔になると角や翼や尻尾がニョキニョキ生えてくる作品をいろいろ知っている身からすると、切断された脚が生えてきても、妖魔なんだから、まあいいかって思えてくる」

翔花「それで、ミーアさんはローランドさんの異世界から1999年のニューヨークにやって来るのね」

NOVA「身籠った子どもを安全なところで出産するためにな。前巻で、ローランドたちはスザンナが妖魔の人格に乗っ取られて、妖魔の子を身籠ってしまったことを知ったから、カーラの事件が解決した後で、そちらの問題について対処しようって話になっていた。十中ハ、九、堕胎させようってことになるだろうから、ミーアが逃げ出したんだな。時空転移の力を持った〈暗黒の水晶球〉を持って」

翔花「すぐに後を追わないといけないわね」

NOVA「スザンナ=ミーアがどこに逃げたか、とか、どうやって追うかという流れで、マニ教団の儀式魔法を用いることになる」

翔花「マニ教団って、ローランドさんの世界の神秘を司る人たちだっけ?」

NOVA「カーラの街の外れに野営している異教の信徒たちだな。〈狼〉討伐に協力してくれた他、キャラハン神父がこの世界へ転移してきたときに助けてくれたりもした。世界の理や、時空移動の術についても詳しかったりする」

翔花「つまり、NOVAちゃんの同業者ね」

NOVA「時空魔術師か? そうかもしれないなあ。とにかく、彼らの協力で、ローランドたちはニューヨークに転移するんだが、ここでもう一つの解決しないといけない問題があるわけだ」

晶華「1999年に行って、スザンナさんを連れ戻すことと?」

NOVA「ダークタワーに通じる神秘的な薔薇がニューヨークの一角に生えていて、その土地の管理権をめぐって、闇の勢力が動いているんだ」

晶華「闇の勢力って?」

NOVA「ダークタワーを倒壊させて、多元宇宙を滅ぼそうとしているクリムゾン・キングという存在がいるんだな。クリムゾン・キングは、スティーヴン・キングの小説シリーズの全ての背後に潜んでいる究極のラスボスらしく、配下の者を使って世界を滅ぼすべく暗躍しているらしい。ローランドのダークタワー探索の旅は、つまるところ倒壊しそうなタワーにたどり着いて再生させることにつながるようで、薔薇のある土地が敵の手に渡れば、薔薇が枯れて世界が滅びるということが分かった。だから、土地の権利書を持つ男(骨董本屋の主人)を闇の手から助けて、土地を売ってもらわなければならない。だから1977年のニューヨークで、土地の売買契約を完了しようって話になる」

翔花「土地の売買契約って、異世界冒険ファンタジーらしからぬ言葉ね」

NOVA「そうかもな。少なくとも、主人公が若者ティーンエイジャーになりがちな和製ファンタジーだったら珍しい。ただ、海外ファンタジーだと、それなりに読んだことはある」

NOVA「主人公が妻を亡くした中年弁護士で、デパートの広告にあった『魔法の王国売ります』に惹かれて半信半疑で購入したら、異世界の王国の王さまになっちゃって、滅亡寸前の王国を立て直すためにいろいろ頑張って、闇の勢力の襲来でピンチになったら、伝説の聖騎士パラディンを召喚融合して無敵パワーで大勝利って話だな」

翔花「何、そのなろう系は?」

NOVA「なろう系と違うのは、異世界転移しても、おっさんはおっさんのままということだな。若い体になったり、美少女になったりと言うように、違う肉体を持ったりはしない。まあ、パラディンに融合変身するところは違う願望充足な要素があるし、中年男性が異世界で神秘的な妖精少女と結婚して、子どもができて、その子がまたトラブルに巻き込まれて……といった感じにシリーズ展開していく。成熟していない頃の日本のファンタジーだと、カップル成立して結ばれてハッピーエンドって話になりがちだけど、海外ファンタジーだと大人読者が多いからか、その後の妻との生活や子育てのトラブル、そして次代への継承まで話が大河ドラマ的に続いたりする」

晶華「読者層が違うってこと?」

NOVA「ファンタジー物語に対する受け皿の広さだな。当然ながら、海外では神話伝承に関する知識がオタク層特有の閉じたものではない。何しろ聖書が基礎教養なわけだし、ファンタジー? ああ、子供だましねって反応する人間も一部ではいるかも知れないが、創作文学として立派な研究ジャンルとして成立しているわけだ。ギリシャ神話や北欧神話トールキンが立派な基礎教養として語られる程度にはな」

翔花「日本では、どうしてファンタジーが根付かなかったのかしら?」

NOVA「そりゃあ、敗戦によって日本の伝統ファンタジーである日本神話の民族教育が公式に絶たれ、自由化、民主化の名の下に、道徳基盤がいろいろと塗り替えられたからだろうな。科学的合理主義が新たなファンタジーとして流入し、神や妖精といったファンタジー的な存在は、巨大ロボットやドラえもんのようなマスコットロボットに置き換えられたのが70年代かな。まあ、その前に怪獣とか宇宙から来た超人の時代があって、要するに科学技術や宇宙進出が戦後のファンタジーに置き換わる題材になったわけだ」

晶華「民族固有のファンタジーの根が断たれて、SFがフィクションの主流になったってこと?」

NOVA「強いて言えば、妖怪ブームは日本の民俗学の伝統に則っているので、水木しげるさんのマンガは一つのファンタジージャンルと言えるな。そこから70年代の世紀末を意識したオカルトブームとかになるが、どうもファンタジーは胡散臭いものという雰囲気が醸成されて、光よりも陰のイメージが日本では根付いた感」

晶華「日本のファンタジーは、ダークファンタジーが主流ってこと?」

NOVA「幻想と怪奇がつながる程度にな。夢とか希望って言葉が子どもだましに思えて、科学的合理主義に根ざした、地に足ついた現実性、物の豊かさを追求する風潮が、80年代から心の豊かさを模索する時代に移り変わり、その辺からゲームとファンタジーがリンクしてくる」

晶華「コンピューターゲームは科学技術の産物でSFに通じるものだけど、そこで描かれる物語の世界観は西洋ファンタジーの要素も取り込んで、日本でファンタジー復権をもたらしたってことね」

NOVA「広い意味でのファンタジーとは、例えば芸能界やスポーツなどの花形スターに根ざすものでもあって、スポーツ選手や舞台で華々しく活躍する歌手なんかが現実的、大衆受けする文化ということになるか。アイドル幻想とか、スポーツを応援する方が大人の趣味として市民権を得て、絵空事のアニメやゲームは子どもジャンルとして一段下に置かれるのが昭和の価値観。ただ、それらは新しいジャンルとして、当時の大人の多くが付いて行けない、理解困難な世界だから軽視したに過ぎないってことで、それらに触れて育った新世代が大人になれば、当然、再評価されて市民権を得るようにもなるわけだな。それが平成の歴史と考えられるわけだ」

 

翔花「って、もはやスティーヴン・キングさんの話じゃなくなっているよね」

NOVA「本当だ。何をファンタジー文化論を語っているんだ、俺?」

晶華「スパロボ脳から解放されたら、いろいろ溜まっていたものが吹き出して来たってことかしら」

NOVA「とにかく、話を戻すぞ。日本のファンタジーがはなはだ現実から離れた夢物語を志向するのに対して、アメリカのファンタジーは現実世界とのリンクが濃厚って話だ。とりわけ、スティーヴン・キングの作品世界観って元来はモダンホラーで、現実の裏に闇が隠れ潜んでいるってことだからな。闇の勢力の陰謀と土地買収劇がリンクしても不思議じゃないわけだ」

晶華「ニューヨークの一角に、世界の命運を決める神秘な薔薇があって、多くの人はその存在に気づいていない。その薔薇の生える土地の権利書を巡っての攻防戦が密かに行われているってことね」

NOVA「簡単にまとめると、そういうことだな。これは急に湧いて出た話じゃなくて、3巻でジェイク少年が再登場する辺りから仕込まれている壮大な伏線だな。まず、土地の権利書を持つ古書店の主人カルヴィン・タワーの店に、ジェイクが惹かれて本を買うシーンがあるし、薔薇のある広場に最初に接触したのもジェイクだ。ジェイクが現実世界から、ローランドの異世界に引き寄せられる途中で、いろいろ寄り道をするんだが、それが5巻から6巻にかけて回収される流れだ」

翔花「3巻が出版されたのは?」

NOVA「1991年」

翔花「すると、10年越しに伏線が回収されたってことね」

NOVA「後付けで、辻褄合わせをした可能性も濃厚だけどな。キングの執筆スタイルって、緻密にプロットを構築して計画的に書くのではなく、インスピレーションの導くままに、脳内イメージを一気に放出させて、後から細かい矛盾を修正したりするスタイルだって言ってるし、書きたいものは頭の中にいっぱいあるけど、それがどういう形で出て来るかは書いてみるまで分からないらしい」

翔花「つまり、NOVAちゃんのブログ書きに似てるのね」

NOVA「そう言ってもらうと、喜ばしいな。まあ、悪く言えば行き当たりばったりで、緻密な構成を重視する人間には批判されるが、キングは別に緻密さを売りにしている作家じゃないからな」

翔花「何が売りなの?」

NOVA「イメージの奔流と、描写の丁寧さ。そして、複数人物の心理の繊細な描き分けと揺れ動き、予想外の展開と、強引な辻褄合わせと言ったところか。まあ、男女のロマンスは苦手とか、ロマンチストで繊細な男性キャラと、強い意思と行動力を持つけど闇堕ち傾向の強い女性キャラとか、あまりハッピーエンドで終わらないところとか、そんなところかな。作風全てを肯定しているわけではないけど、執筆スタイルとか自分に通じる部分もあって、共感できる面は多い」

翔花「つまり、NOVAちゃんとキングさんは通じ合えるってこと?」

NOVA「手法だけならな。もちろん、背景とか中身の性格は違うから、同じような作品が書けるわけじゃないし、キングの執筆手法を読んでも、これはマネできないなあってこともある」

NOVA「さて、スザンナ追跡組と、薔薇の土地購入組でパーティーを分けようって話なんだが、危険が予想されるスザンナ追跡組をローランド&エディが、それほど危険じゃないであろう土地購入組をジェイクとキャラハン神父が担当することになったんだが、ここで思わぬドンデン返しが発生する」

翔花「どんな?」

NOVA「ミーアが追跡を妨害するために、〈暗黒の水晶球〉の力で転移を操作して、ローランドたちが1977年に、ジェイクたちが1999年に転移してしまったんだ。さらにローランドたちの命を狙って、因縁あるマフィア、バラザー一味の襲撃を手配する。スザンナがミーアの策謀に気づいた時には、ローランドたちは大ピンチって流れだ」

晶華「何で、スザンナさんはミーアさんの策謀に気付かないのよ。同じ体なのに」

NOVA「この辺の二重人格って、描写が難しいんだよな。片方の人格が表に出ているときに、もう一方が意識を持っているかどうか。基本的に、ミーアがスザンナを乗っ取っている形だから、スザンナが見聞きしたことはミーアに伝わる一方で、ミーアの記憶はスザンナには分からない。ただし、ミーアにも重要な欠点がある」

晶華「何?」

NOVA「ミーアは異世界の妖魔なので、ニューヨークの文化や生活については何も知らない。つまり、ニューヨークで活動するためには、スザンナの協力が必要になるわけだ。一方で、スザンナは肉体が欠損しているために、通常では移動することも難しい。ミーアの生やした脚がないと行動できないので、お互いの思惑は別ながら、理解を深めて、協力して行動することが必要なシチュエーションだ」

晶華「でも、スザンナさんの知識をミーアさんが使えるなら、ニューヨークでの知識も備わっているんじゃない?」

NOVA「ミーアが使えるのは、スザンナの知識全てじゃなくて、乗っ取った後で経験したスザンナの知見だけだ。ミーアの出現は、スザンナがローランドの世界に転移した後だから、それ以前のニューヨークでのライフスタイルについては空白ということで」

晶華「ああ。記憶を覗き込めるのではなくて、スザンナさんの行動の陰でこっそり観察していたってことね。観察以前の人生経験までは把握できない、と」

NOVA「憑依しても、相手の人格や記憶の全てを自分のものにできるわけじゃないってことだな。もっと高度な乗っ取り能力なら、融合した相手と完全に溶け込みながら完璧な演技も可能なんだが。さらに、ミーアは妖魔だけど、内気で初心な少女の人格を持ち、ただ『母親として子を産み、育ててみたい』という動機以上のものを持たない未成熟なキャラだということが分かる。そして、クリムゾン・キングの手下に騙され、手先にされていることもな」

翔花「悪い妖魔じゃない?」

NOVA「むしろ、スザンナの方が大人で、奸智に長けていると言ったところか。だから、スザンナはミーアへの協力を提案しながら、『クリムゾン・キングの手下に騙されているのではないか?』という疑惑を突きつけ、いろいろと駆け引きを試みるわけだ。このスザンナとミーアの緊迫しながらも、どこか微笑ましい面もあるやり取りが、今巻の一番のテーマと言える。一方で、ローランド&エディ組の1977年探索と、ジェイク&キャラハン神父の1999年と、3組の物語が語られ、結局、合流しないままに続く、と」

 

1977年

 

NOVA「そんなわけで、ローランドたちが転移した1977年の話をしよう」

翔花「ミーアさんの策謀で、転移していきなりマフィアの襲撃を受けるのね」

NOVA「ガンスリンガーの物語だからな。銃撃戦が本シリーズのクライマックスのアクション活劇の華なんだが、今巻はアクションシーンはここだけ。何というか、適当にご都合主義的に挿入してみましたって感じで、メインは時空転移に関わるドタバタドラマと、最終巻に向けての仕込み、過去の伏線消化ということになる。まあ、ローランドの仕事が銃撃戦なので、とりあえず必要だろうって場面で、物語としての重要度は低い」

晶華「バラザー一味って、初めて聞く単語ね」

NOVA「そうか? 2巻と5巻に出て来たんだが、その話をしていなかったか?」

晶華「バラザー一味って固有名詞は出してないわね」

NOVA「ああ。80年代にローランドとエディが、激しい銃撃戦の後で壊滅させたマフィアだな。この時点で壊滅したから、後でまた再登場するとは思わなかったんだよ」

翔花「でも、70年代にタイムスリップしたから、まだ健在なのね」

NOVA「これがSF小説だったら、タイムパラドックスがどうこうって気になるところだけど、スティーヴン・キングはそこまで科学志向じゃないし、登場人物のローランドとエディもSF読者じゃないから、ややこしいことは気にしない」

翔花「作者がバカなら、登場人物もバカってこと?」

NOVA「何でだよ!? そりゃ、先鋭的なSF脳なら、タイムパラドックスに無頓着なのは考えなし、と見なすかもしれないが、世の中はSFだけで回っているわけじゃないからな。要は、何を重視するかの創作方法論の違いだよ。それに、キングは多世界解釈の立場をとって、本作品の創作世界を描いているからな」

翔花「どういうこと?」

NOVA「一口に1977年と言っても、微妙に違う、似て非なる要素が散見されるんだ。例えば、エディはニューヨークのブルックリン、コープシティの出身という設定だが、今回の1977年世界では、コープシティはブロンクスにあると聞いて、ビックリする」

翔花「食い違いがあるのね」

NOVA「なお、俺の調べた現実では『コープシティはブロンクスにある』というのが正解だ」

翔花「つまり、エディさんの認識は事実と違うってこと?」

NOVA「バラザー一味との銃撃戦の後、カルヴィン・タワーから土地の権利書を入手するまでの過程で、いろいろと世界に関する情報を知ることになるんだけど、エディは『自分とローランドやキャラハン神父が皆、この世界にいる作家のスティーヴン・キングが創作した登場人物である可能性』に気づくわけだ。1977年時点で、キャラハン神父の登場する『セイラムズ・ロット』は出版されていて、さらにローランドの元ネタである『荒野の七人』のユル・ブリンナーの話が出てきたり、いろいろな線がつながって、実際にスティーヴン・キングに会いに行こうって話になる。彼が世界の謎を解く鍵ではないか、という直感に従ってな」

晶華「まるで、この作品ね」

NOVA「作品内の登場人物と作者が小説の外ではなく、小説の中の話で対面するメタフィクションは、なかなか珍しいと言えるし、俺が本書を読むに当たって一番、楽しみにしていた部分だ」

翔花「小説外だったら、作者と登場人物の対談とか、たまによくある話だけどね」

NOVA「作者の自伝風味なフィクションも時たまあったりするが、本書で登場するのは1977年の若き日の作者だ。74年に『キャリー』、75年に『セイラムズ・ロット』を発表し、3作めの『シャイニング』が出版される前の時期らしい。『キャリー』は76年に映画化、『セイラムズ・ロット』は79年にTVドラマ化されるけど、映画原作者として次々と作品がヒットしていくのは80年代になってからだから、ブレイク直前という時期になるな」

翔花「でも、物語の作者って、物語の登場人物から見たら、神さまみたいなものでしょ?」

NOVA「だったら、俺はお前たちの神さまか?」

晶華「神さまと言うよりは、親ね。アニメのグリッドマンさんの世界では、アカネちゃんが世界の創造主だけど、自称・神さまと言いながら、実質は傷つきやすい引きこもりの女の子だったし、マイトガインさんの世界では神を自称する3次元人のブラックノワールすら、実はフィクションの悪ボスとして創られた存在であることを認識して倒されるし、作者と登場人物の関係はいろいろと難しいわ」

NOVA「万能の神が干渉すると、物語としてはつまらないからなあ。自分が物語の世界に直接干渉したいときは、強力だけど制約された能力として描かないと、世界としても、物語としても美しくない。俺が神さまの立場だとしても、醜い、破綻した、自由度の少ない強圧的なディストピアの主にはなりたくない。一番いいのは、俺の代理人として理想的な世界を頑張って構築してくれる勇者的な主人公だからな。世界の多くの住人に嫌われるような神にはなりたくないものだ」

翔花「大丈夫よ。世界の全てを敵に回しても、わたしはNOVAちゃんの味方だから」

晶華「私だって、もちろんそう」

NOVA「そいつは嬉しいが、自分の娘以外の世界が全て敵というのも悲しいものがあるぞ。世界を敵に回すような孤立した局面は回避したいものだ。なるべくなら、世界を味方にするべく賢く振る舞いたいところだな。まあ、信じるもの、愛するもののために、世界を敵に回すというシチュエーションは物語としては格好いいと思うが、孤立や孤高と格好よさは一致するとは限らない。敵を作る生き方よりは、味方を増やす生き方の方が社会人としては格好いいかと思う。極端な二者択一を強要されるのは勘弁な」

晶華「私と世界、どっちが大事?」

NOVA「大事なのは、俺をハッピーにしてくれる者のいる世界であって、お前たち娘を失うと俺はハッピーじゃないので、お前たちのいる世界を維持する方法を考える。これなら、どうだ?」

翔花「どっちも大事ってことね。つまらない回答だけど、安易にどちらかを切り捨てる選択はしないってことね」

NOVA「真面目な話を考えるなら、俺は『小の虫を捨てて大の虫を活かす選択』をとるだろうな。個人ではなく、指導者の立場ならそうすべきと考えるし、感情よりは理性、私利私欲よりは大義を重視する。泣いて馬謖を斬ることも辞さないし、それをした孔明を格好いいとさえ思う」

 

晶華「NOVAちゃんは時々、ヒロイズムに酔いがちだけど、キングさんはどのように描かれているの?」

NOVA「キングさんは意外と小市民として自分を描いているな。出会う前は、ローランドとエディは、こいつが世界を滅ぼそうとするクリムゾン・キング自身か、ダークタワーに通じる重要な手がかりか、どんな強大な存在かと緊張しながら、キング氏の自宅に向かうわけだ。自宅までの住所も詳細に描かれているんだが、『正確な住所ではない。妻に請われたので、自分たちのプライベートを明かすのは辞めにした。読者を騙したようで申し訳ないが』と嘘の住所だったことを最終巻の後書きに記してある。当然だけど、小説に出てきた作家のスティーヴン・キングは、本物に限りなく似せているがフィクションだ。本物のキングは死んでいなかったわけだし」

翔花「限りなく本物に近いけど、あくまでフィクションのキングさんは、ローランドさんたちに会って、どうしたの?」

NOVA「『そんなバカな。お前が現実にいるはずがない。私の頭がおかしくなったのか?』と恐怖に駆られて、顔面蒼白になって気絶した」

翔花「それが神?」

NOVA「ただの人だな。まあ、キングさんは自分を美化して描くつもりは毛頭ないことは、この登場シーンだけで分かるんだ。むしろ、ダメ人間だけど、愛すべき家族想いの小市民として描いている」

晶華「ダメ人間なんだ」

NOVA「80年代に売れっ子作家として大成していた陰で、アル中とか薬物依存に陥っていたそうだから、書くことに余程のストレスを感じていたように思える。幻想小説を書くために、薬の幻覚作用に頼った節があって、そこからの脱却過程も後の作品テーマになったりしているな。エディが当初、ヤクの売人設定で、自身もドラッグ中毒だったのがローランドに矯正されて更生したのも、作者の経験に基づくらしいし」

翔花「NOVAちゃんは薬物依存じゃないわよね」

NOVA「当たり前だ。日本じゃアメリカほど簡単にドラッグは手に入らないだろうし、酒やドラッグに頼らなくても、普通にトリップする方法は知っているからな。常時、頭の中の妄想回路が機能しがちだし、明晰夢の経験持ちで、夢と現実の区別をするのに思考の整理が必要だし、躁鬱気質だし、上手くコントロールしないと簡単に幻想怪奇モードに陥ってしまうんだからな」

晶華「作家と狂気は紙一重ってことね」

NOVA「自分の中に湧き上がる狂気のエッセンスを創造的に使えるか、コントロールできずに暴走してしまうかで、人生が分かれるものかもしれん。まあ、明らかにフィクションだと分かっていることにハマれるうちは心が落ち着くんだよ。これが作り物だと分かっているからな。リアルでも、するべき作業や目的が明確なうちはいい。勉強を教えるとか、ボードゲームをするとか、映画を一緒に見るとか、そういう関係性なら自分を維持できるが、他人のリアルの狂気にまとわりつかれるというのは想像しただけで吐き気がする。スティーヴン・キング曰く、『自分は、自分の小説の世界から出てきたような男に殺されかけた。これほど恐ろしいことはなかった』ということで、想像力過多なのも自制がなかなか大変だったりする」

晶華「だから、『ローランドさんを見て怯えるシーン』につながるのね」

NOVA「なお、キングさんは意識を取り戻した後も、ローランドには怯えつつ、エディとは気の利いたジョークを交わし合う関係をすぐに構築する。キングさん曰く、『おまえ(エディ)はいいやつだ。わたしが好きになれないのは、おまえの相棒(ローランド)だ。これまで一度も好きになれなかった。物語を中断したのは、それもひとつの理由だろうな』とのこと。作者にここまで嫌われた主人公も珍しいと思うぞ」

翔花「どうして、そういうキャラを主人公にしたのよ?」

NOVA「たぶん、構想段階では格好いいイメージが思い浮かんだんだろう。でも、見切り発車で書き進めているうちに、上手くコントロールできなくなって、こりゃダメだって気になって、ボツにしたんだろう。ダークタワーの構想を思いついたのが19歳のとき(1966年)で、その3年後の22歳のときに書き始めたんだけど、上手くまとまらなくて、机の中の引き出しか、ボツ原稿の入った箱に放ったらかしにしたとか」

翔花「NOVAちゃんがゴミ箱に投げ捨てて、悪霊を生み出す元になったみたいね」

NOVA「そうだな。つまり、キングさんにとってのローランドは、俺にとってのケイソンみたいなものだったんだよ。そりゃあ、怖い。俺がケイソンを克服するようになったのは、つい最近の話だもんな」

晶華「キングさんの話を読みながら、よくそう自分の話につなげて来れるわね」

NOVA「こういうのを、ツボにハマるって言うんだな。小説を読みながら、そりゃそうだよな、うんうんって頷きながら共感する経験って、たまにあるけど、今回も正にそうだな」

晶華「それを読んでるのって、スパロボ脳の時でしょ? よく、読む時間が確保できたわね」

NOVA「場所が違うからな。スパロボは家でやって、ダークタワーは職場の空き時間に読んでた。さすがに職場でゲームをするのは、憚られるからなあ」

翔花「NOVAちゃんの話はどうでもいいので、ダークタワーの話に戻ります。ローランドさんがキングさんにとって、悪霊みたいってことでいいわよね」

NOVA「ああ。ここまで作者からボロクソ言われている主人公が非常に面白い。ただ、この時点でキングさんは『ダークタワー』の1巻しか書いていないんだ。だから、エディと出会う2巻のことは知らない。1巻のラストで、ローランドは旅の連れの少年ジェイクが奈落に落ちるのを見捨てて、旅を急ぐ決断をする。それを書いていて、キングさんはローランドが恐ろしくなったらしい」

翔花「自分で書いたのに?」

NOVA「最初はヒーローのつもりで書いたのに、いつの間にか冷酷な殺人鬼になってしまった。おかしい。自分はこんなキャラを書きたいわけじゃなかったのに。こいつはボツにしよう……って告白だな。その気持ち、非常によく分かる。まだ、自分の作風も見えていない、書けるものが何かも分かっていない時期なら、よくある話だ」

晶華「西部劇のヒーローをモデルに、自分の壮大なファンタジーを書こうとしていたら、街を一つ滅ぼして、サッキュバスとXXXして、連れの少年を見殺しにして、とうとう追いついた黒衣の魔法使いの予言に翻弄されて終わる話よね、1巻って」

NOVA「こう言っちゃ何だけど、俺の1巻の感想でも高く評価していないし」

NOVA「作者本人が、自分の書いたローランドの物語を、毒舌たっぷりに酷評していて笑った。さらに、ダークタワーを封印してから、状況が良くなったらしい。奥さんと結婚して、『キャリー』でデビューして売れ始めた。だから、ローランドは疫病神みたいな存在として、これ以上、続きを書きたいと思わないと宣言するわけだ」

晶華「それって、『ダークタワー』の物語の終了宣言ってことじゃない?」

NOVA「いや、終了どころか、まだ発表さえされていない。作者が自分の手には追えない失敗作、ただの習作としてボツにしたんだから」

翔花「それって、『スーパーヒーロー戦記』でライダーや戦隊の創始者である石ノ森さんが『自分の書きたいヒーローが分からなくなった』と言って、ヒーローを描けなくなったみたいなものね」

NOVA「それもこれも、ローランドのダークタワー探索の旅を邪魔しようとするクリムゾン・キングの陰謀らしいんだな」

晶華「マジで? 作者の創作意欲にまで干渉するなんて、恐るべし、クリムゾン・キング」

NOVA「そこで、ローランドはスティーヴンに催眠術をかけるんだ。『ダークタワー』の物語を再開して、正式に発表するようにって」

翔花「それは超展開ね。作品のキャラが作者に催眠術をかけて、自分の物語の続きを書かせるのって」

NOVA「まあ、催眠術で深層心理に働きかけているうちに、作者の心に巣食うクリムゾン・キングの恐怖の呪いが暴き出されて、それを解消するのと同時に、だけどな。ローランドたちが去った後、作者さんは微睡から目覚めて、スッキリ気分になって、封印していた『ダークタワー』の話を読み返したくなる。ちょっと面白い話だったかもしれないな、と考え直して」

翔花「要するに、作者が執筆意欲を失ったのを、作品キャラが説得したり、催眠術を掛けたりして、執筆再開に持ち込んだってオチ?」

NOVA「いや、その続きがあって、6巻の最後に、『ダークタワー』を時間をかけて書き進めている作者の日記風の文章が続いていて、時には良い気分になったり、時には悪い気分になったりしながらも、頑張って書き進めているんだけど、最後に新聞記事の文章が示される。『スティーヴン・キング、1999年6月19日に交通事故で死亡』って」

晶華「『ダークタワー』が完成しないように、作者を殺害してしまうなんて、恐るべし、クリムゾン・キング!」

(当記事 完)