2012年、竜の年も間もなく終了。
竜にちなんで、今年は宇宙刑事ギャバンの電子星獣ドルとか、仮面ライダーウィザードとかが旬だな、と思ってましたが、
自分的には、この年末を飾る大作が、劇場版『ホビット』だったりします。
本当を言えば、映画を見た16日の直後に、思い入れたっぷりの記事書きをしたかったのだけど、時間がなかったために、年末ギリギリの今になった、と。
映画の感想
まあ、先に掲示板で書いた記事の再録(一部改稿)をしておきます。
まず、『指輪物語(ロード・オブ・ザ・リングズ)』*1ファンは絶対見るべし、となりますね。
元々、壮大なファンタジー絵巻の『指輪』に比べて、その前編の『ホビット』は、子供のおとぎ話の色合いが強い作品。
だから、映画の雰囲気も子供向きになったりしないか、あるいは逆に原作の改編が過ぎやしないか、といろいろ気にしていたのですが、結果としては心配が杞憂に終わった、と。
主人公のホビット、ビルボはコミカルなキャラで、
一方、旅のリーダーのドワーフ、トーリン・オーケンシールドが、NOVAの予想以上に渋かった。もう、ファンタジーのドワーフのイメージを大きく塗り替えるぐらい。
このトーリンは設定上、ドラゴンに滅ぼされた地下王国の王子でして、王国復興のために12人のドワーフ仲間と、魔法使いのガンダルフを伴い、打倒ドラゴンの旅に出る話。
途中、越えるべき山脈でトロールやゴブリンの群れの妨害を切り抜けるわけですが、今回の第一部は、ビルボの成長とドワーフとの絆を深めるまで。
ビルボは、牧歌的な村で育って冒険には縁のない人物なんですが、ドワーフにはない機転とすばしっこさ、危地に際しての粘り強さをガンダルフに見込まれて、忍びの者(偵察係)として雇われる。
当初は、ホビットの能力に懐疑的だったドワーフのトーリンが、クライマックスで絶対のピンチに際し、ビルボの示した勇気に感嘆し、仲間として認めるまでのドラマが盛り上がったところで、つづく、と。
第一部の終わり方としては、上手いな〜、と思いました。
もちろん、ビルボが「姿を消す魔法の指輪」を手に入れるエピソードや、エルフの住む裂け谷で「折れたる剣」が映し出されるシーン、あと、『ホビット』原作には登場しないけど、『指輪』の登場人物である「白のサルマン」や「ガラドリエルの奥方」が顔見せで出てくるなど、『指輪』とのつながりが示されるのは、10年越しの映画ファンを楽しませます。
また、『指輪』の映画は長すぎる原作(現在の版では文庫本9巻)の改編やエピソードの削除がそれなりにありましたが、今回の『ホビット』は、原作が比較的短い(上下巻)のもあって、少なくとも第一部では省かれたエピソードがなく、むしろ指輪やその追補編(裏設定)などから膨らませた要素があって、原作よりも密度が濃く重厚な感じになっているのがいいなあ、と。
それでいて、物語のテーマがビルボの冒険と成長で、滅びの山に向かう旅と戦争の絵巻だった『指輪』よりも前向き。
さらに言うなら、物語的には『ホビット』から始まる流れなので、『指輪』を見なくても付いていけないことはない、と思います。
『指輪』の入門映画としての位置づけにも最適。
NOVAとホビット
とまあ、感想としては、ベタ誉めになるわけですが、この『ホビット』という作品、自分にとっては非常に大切な扱いになります。
ええと、誇張抜きで「人生の土台となった作品」という位置づけ。
ここから回顧録になりますが、
今をさかのぼること24年前。
1988年、NOVAが高校生だった頃。
『指輪物語』と『ホビット』を読んだのは、その時になります。
当時のNOVAは『D&D』を初めとするファンタジーRPGにハマっており、RPG小説も『ドラゴンランス戦記』や『ロードス島戦記』などが次々と刊行されて、ブームであったゲームブックなんかも堪能しながら、空想世界を旅して回っておりました。
で、RPGに影響を与えたファンタジー文学の巨頭であった『指輪物語』に挑戦。なお、『指輪』はあまりにも大作ゆえ読み始めたものの途中で挫折した、という声も聞こえるほどの作品。
その作品を、ファンタジー愛と誇りにかけて読みこなし、大いに自己満足にふけった状態で、「じゃあ、『ホビット』の方も読もうか」と思ったところ、
『ホビットの冒険』って、装丁が子ども向けだったんですね(苦笑)。
「大人向けファンタジー大作」の『指輪』を先に読んで、奥の深さとか、重厚さとかに惚れ込んでいたために、子どもっぽい作品に気恥ずかしさを覚えていた時期です。
『仮面ライダーBLACK』を称賛し、続編の『RX』を小馬鹿にしてしまうような感覚と申しましょうか。
ともかく、子供向け装丁の『ホビットの冒険』を買うのも恥ずかしい、と感じていたNOVAが選択した手段は……洋書のペーパーバック版『HOBBIT』を見つけて、英語で読むこと。
さらに当時、大学ノートにRPGのリプレイ小説なんかを書く趣味を持っていたNOVAは、そのままの勢いで、「読むだけでなく、ホビットを一冊ノートに訳す」という決断をします。
……ええと、高3の夏に(爆)。
現在の塾講師の視点では、高3時代のNOVAに対して、一言「アホか」とツッコミ入れますね。「受験の夏に何をやってるんや?」と。
なお、高3の自分は、それに対して、「英語の本を訳すのは、実践的な英語の勉強になるはずだ」と思ってたのですが。
もちろん、それは目前のことしか見えず、バランス感覚を欠いた戯言に過ぎません。何せ、当時の自分は理系クラスに属していて、何よりも理科や数学に力を入れるべき立場だったわけですし、
英語の勉強にしても、「物語よりも説明的な文章を数多く読んで、問題を解く」ことを求められる状況。
「翻訳のために、じっくり英文を読む練習」と、「問題を解くために、素早く英文の要点を読み取って、必要のない文章は読み飛ばす練習」とでは、質が全然違います。
塾講師の視点では、NOVAのやっていたことって、非常に効率の悪い勉強法なんですね。
それでも、効率重視ではなくて、好きなことをとことん掘り下げて追及する性質を持っていて、そういう自分のやり方にこだわった結果、
NOVAは「英語の翻訳を志して、理系から文系に転向」して、語学と歴史とファンタジー文学を追及するようになった、と。まあ、さらに特撮ヒーローやロボットアニメに返り咲いて、趣味ライフを満喫するようになろうとは、高校時代は思ってなかったですが(苦笑)。
ともあれ、『ホビット』はNOVAが初めて翻訳したペーパーバックの一冊であり、これを訳しきったことで、その後の人生の目指すものが一つ決まった感じです。
『ホビット』を訳して10年以内には、ほぼ夢も実現していたわけですし*2。
まあ、その後の挫折とか、現実の人生は夢を追うだけでは生きてはいけないという展開もあるのですが、それはまた別の話。
映画の中のノスタルジー
『ホビット』にノスタルジーを喚起される、というのは、まあNOVAの個人的な青春事情だけでなく、作品ストーリーそのものも多重にノスタルジーを重視した作りになっております。
故郷をドラゴンに滅ぼされたドワーフたちの想い。映画では、それが原作以上に強調されております。
本作のテーマ曲にもなっている「はなれ山の歌」が、渋くていい雰囲気。
一方、ホビットのビルボは故郷でのんびり暮らしていたのを、ガンダルフやドワーフたちに冒険に引きずり出された形になります。「冒険への憧れ」にも突き動かされたわけですが、現実の冒険は楽しいものではなく、思いも知れない危険に巻き込まれて、必死で切り抜けることに。
ドワーフのトーリンは故郷再興への強い志を持っていますが、連れの若いドワーフやホビットが旅の危険を甘く見ており、無力で経験不足なのに軽々しい振る舞いを示すことに対して、苛立ちを示します。
映画のトーリンは原作以上に孤高な姿勢を示し、ホビットに対しては、「お前みたいな無力な者では生き残れないから、今から帰れ」と突き放したりもします。
ビルボは、自分の力が求められていないのだと思い、一度は帰ることを決意しますが、ゴブリンの襲撃で仲間と離れ離れになることで、転機が訪れます。
たった一人で危難を乗り越え、その後の歴史にも関わってくる「魔法の指輪」を入手することで、生来の才能である忍びの能力も研ぎ澄まされます。
そして、「行方不明になったホビット」が思いがけなく生還したこと、
さらには仇敵のオークとの戦いでトーリンが窮地に陥り、他のドワーフが怖気づいて動けなくなった状況で、命を掛けてトーリンを救ったこと*3、
最後に、旅を続ける動機として、「確かに、ぼくには故郷がある。あなたたちには、その故郷がない。だけど、故郷に帰りたい気持ちはよく分かる。ぼくは故郷に帰りたいのと同じように、あなたがたを故郷に返してあげたいんです。そのために協力させてください」と語ることで、
トーリンの信頼を得るに至ります。
「私は、お前を無力で役に立たないと言った。生き残れないから故郷に帰れ、とも言った。……一生の不覚だ。お前の能力と気持ちを疑ったことを謝罪する」
誇り高いドワーフの信頼を得るまでのドラマが、王道的で感涙。
で、そのトーリンの謝罪を受けて、ビルボは軽く、
「いや、疑うのは当然ですよ。ぼくだって、自分が勇気と力を示せたことが信じられませんから。これからもよろしく」って感じで、気分良く和解。
9人の旅の仲間の結成と友情を描いた『ロード・オブ・ザ・リング』では、実際は9人そろって旅した期間は短く、
「ガンダルフがバルログ戦で谷に落下」「オークの襲撃でボロミア戦死」「フロドとサムだけで指輪を運ぶ」「メリーとピピンはオークに拉致される」「アラゴルン、レゴラス、ギムリの3人でオークを追跡」という形で、旅の仲間が離散することになります。
旅の仲間の結成と離散が、第1部の後半で次々とイベントとして描かれるため、徐々に絆が強まる過程が急ぎ足になっていたことは否めません。
一方の『ホビット』では、時おりビルボとガンダルフが別行動をとることはあっても、13人のドワーフとの旅は終盤まで続きますので、仲間同士のドラマがまだ、あと2作の映画でじっくり展開されるんだろうな、と期待します。
まあ、そうなると、原作同様、最後の「五軍の戦い」で3人のドワーフが戦死するシーンが泣けて来そうなんですがね。
トーリン・オーケンシールドは、『指輪』のアラゴルン*4とボロミア*5の特徴を備えたキャラとして、どこまで渋く描かれるかを期待します。
もっとも、原作であった「樽に入って、囚人の身から脱出」というシーンも2部では楽しそうなんですけどね(笑)。誇り高い人物が、「どうして、こんな目に……」とボヤきながら、ビルボのアイデアで仕方なく……。
ともあれ、今回はこんな感じ。
次回は、『ロード・オブ・ザ・リング』のDVD再鑑賞の感想とか、原作『ホビット』の再読感想なんかも書いていきたし。