Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

「第9章・牢から逃げだすたるのむれ」感想(エルフ編)

 約一月ぶりのホビット感想。
 その間に、映画『ホビット2』のDVDを2回見て、それから『ホビット1』も3回見て、さらにロード・オブ・ザ・リングの『旅の仲間』と『王の帰還』も見ました。
 まあ、忙しいと言っても、寝る前に1時間ほどのDVD鑑賞する余裕はあった、ということで。


 『旅の仲間』は、『ホビット1』の冒頭でビルボとフロドの会話シーンがあって、直接つながるようにもなってます。
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 ビルボの誕生祝いの当日(実はフロドの誕生日でもあるけど、映画では割愛)、自伝の赤表紙本を読み返しながら、回想にふけるビルボ爺さん。フロドはビルボと会話してから、「ガンダルフを迎えに行く」と告げて外に行く。
 そのままフロドの動向を追えば、『ロード・オブ・ザ・リング』に、
 ビルボの「60年前の回想」(ガンダルフとの出会い)に入れば、『ホビット1』のシーンに入ります。
 なお、老ビルボ役は、どちらもイアン・ホルム。イアンは、サルマン役のクリストファー・リー同様、高齢のためにニュージーランドに行けず、ロンドンで袋小路屋敷のセットを組んで、屋内のみの撮影だったとか*1
 で、特別出演のフロドことイライジャ・ウッドが、イアンに会うためにロンドンに行ったり、屋外シーンのためにニュージーランドに行ったり、動き回ったとか。


 まあ、それを言えば、若いビルボことマーティン・フリーマンだって、『ホビット』のためにニュージーランドに渡り、合い間に『シャーロック』のワトソン役のためにロンドンに戻ったり、忙しく動き回ってたようですが。


 で、『旅の仲間』を、改めて『ホビット』と脳内リンクさせながら見て、ボロミアの死をトーリンとかぶせてみたり、
 その後、『王の帰還』の合戦シーンを見ながら、今冬の『五軍の戦い(ホビット3)』の合戦シーンへの期待を高めたり、
 「ああ、映画のセオデン王は原作と違って、メリーではなく、エオウィンの方に別れを告げたんだったな」と思い出したり。
 また、ちょうどピピンの歌が、『ホビット3』のテーザーBGMに使われたりするのを聞いたりして、ますます関連付けが強まったなあ、とか。

 しかも、改めて原作をチェックすると、「この歌はビルボが作って歌っていた」とあって、すると、『ホビット3』でマーティンがはなれ山で、この歌を歌うような演出があってもおかしくないなあ、とか、いろいろ想像が膨らみます。


 そして、いろいろわくわくしてると、『ホビット2』のエクステンデッドDVDの発売情報も入って来たり。
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 11月12日かあ。年末映画を見る前に、そちらをチェックすることになりそうだなあ。
とりあえず、闇の森の追加シーンは公開済み、と。

 これを見ると、前に書いた「探索困難というよりも、探索不能な場所ですね」という感想を、訂正しないといけなくなりそうですが。

エルフの虜囚

 長い前置きでしたが、先の楽しみはひとまず置いて、ここから原作を踏まえた本編感想のつづき。

 クモの襲撃を切り抜けたドワーフ一行だが、結局は闇の森を統べるエルフたちに捕らえられ、牢屋に閉じ込められることになる。
 指輪の力で姿を消して、一人難を逃れたビルボは、ドワーフたちを脱出させるために知恵をめぐらせる。
 その結果、牢番が酒蔵で酔っ払って眠りに就いた隙を突いて、鍵を盗み取ることに成功。
 そして、閉ざされた表門の代わりに、ワイン樽を使って川からの脱出を実行するのだった。

 とまあ、原作も映画も変わらない大筋は以上の通りですが、
 「エルフ王スランドゥイルとトーリンの会話」とか、「キーリとタウリエルの会話」など、キャラクターの人間関係が相当ふくらんでいるのが映画の特徴。
 映画を初鑑賞した際、ビヨルンのシーンからクモ退治までは、原作を相当端折った感じで、どちらかと言えば不満だったのですが、このエルフの登場シーンから原作を大きく膨らませて、新たなドラマを築いていく感じで、面白くなってきたな、と思いました。
 今も、このエルフに囚われたシーンから、この後の樽バトルのシーンまでが第2部で最も好きな箇所となってますね。

トーリンとスランドゥイル

プラッツ 1/9 ホビット 竜に奪われた王国 トーリン・オーケンシールド 未塗装キット プラモデルホビット 竜に奪われた王国 闇の森のエルフ王 スランドゥイル 1/6スケールフィギュアスタチュー
 「トーリンはどこだ?」
 原作では、クモ戦の後でドワーリンが叫びます。
 実は、トーリンだけは先にエルフに捕まってしまって、クモ戦には関わってない、と。
 原作のエルフ王は、トーリンのことを知らず、ただ「森で迷って空腹だったドワーフたちが、エルフの宴を乱した」という罪で捕らえます。
 そこの尋問シーン(「ハエとクモ」の章より)をセリフ引用すると、

エルフ王「なぜそのほうと仲間どもは、わしの国人のたのしい集いを三度もおそったのじゃ?」
トーリン「おそったのではない。ものごいにまいったのじゃ。腹がへってしにそうでしたからな」
エルフ王「いまそのほうの仲間どもは、いずこにおる? して、何をしておる?」
トーリン「ぞんじませんな。きっと森で、腹がへって死にかけているのでしょう」
エルフ王「そのほうは森で何をしておった?」
トーリン「食べものと飲みものをさがしておりました。なにしろ、腹がへって死にそうでしたから」
エルフ王「だがなんの目的あって、森へふみこんだのじゃ?」
 トーリン、答えず無言。内心、罪人を扱うようなエルフの仕打ちに腹を立て、はなれ山の財宝のことは明かさない、と決めている。
エルフ王「それならそれでよし! こやつをつれてゆき、しっかととじこめておけ、まことを申したてる気になるまで百年たとうと、な」

 映画のエルフ王スランドゥイルと比べると、原作版はトーリンとの因縁がない分、無知で状況が分かってません。
 クモに捕まったドワーフの仲間を捕捉し損ねてるところからも、映画版に比べて、無能に思えます。
 まあ、原作ではドワーフもエルフも総じて無能に描かれ、ビルボとガンダルフと、それからバルドだけが優秀な活躍を見せるのですが。


 そして、映画のトーリンの誇り高さを見ると、「ものごいにまいった」などというセリフは絶対に言わないだろうな、と。
 映画の改変されたセリフは、おおよそ以下の通りと記憶。

スランドゥイル「気高い旅に出た者がいる。龍を倒し、故郷を取り戻す目的だとな」
トーリン「どうして、そのことを?」
スラン「そなたらの旅がいつまでも秘密にしておけると思うてか、トーリン・オーケンシールドよ。しかし、余はもっと下世話なことを考えていた。龍を倒すなどは夢のまた夢。真の目的は、山に押し込み、宝を掠め取ることにあると見るのだが?」
トーリン「……」(無言でにらみつける)
スラン「分かっておるぞ、トーリンよ。そなたの求めるものはアーケン石、山の下の王の証だろう。王同士、協力してやってもいい」
トーリン「見返りは何だ?」
スラン「そなたらの宝の中に一つ、星の光を宿した宝石がある。それを取ってきて欲しい」
トーリン「……おぬしの言葉が信用できると思うのか?」
スラン「何だと?」
トーリン「王同士だと? おぬしに王としての信義など何もない。昔、我が民が龍に襲われ、苦境にあったとき、何をしてくれた? その後も救いの手はなく、我が一族は滅んだ。そなたに言う言葉は、一つだけだ。龍の炎に焼かれ、一族もろとも……」
スラン「龍の炎の講釈など無用!」(叫んで、トーリンの言葉を封じる)「昔、北の山の龍とは何度も戦った。龍の恐ろしさなら、身をもって知っておる」(幻で隠していた、火傷した顔を見せる)
トーリン「……」
スラン「そなたの祖父スロールには警告したぞ。いつか、強欲が身を滅ぼす、と」
トーリン「おぬしの助力など、死んでも求めん」
スラン「そなたも祖父に似て、頑固で愚かだな。よかろう。牢でじっくり考えるがいい。百年の時も、エルフにとっては束の間のこと」

 ここでのスランドゥイルは原作よりも有能で、トーリンに対しては、尋問ではなく、交渉の姿勢で臨んでいます。
 また、第1作の追加映像では「尊大なスロール王が、スランドゥイルに美しい宝石をちらつかせ、物欲しそうな表情を見せたときに、さっと隠すというイヤミな所業」を示しており、先に屈辱を味わったのはドワーフ側ではなく、エルフだと示されております。
 トーリン視点では、「一族の苦境を見捨てた薄情な臆病者」でしかないエルフ王ですが、
 スランドゥイルの味わった屈辱を考えると、「祖父のスロールとの因縁は水に流して、対等な交渉相手として提案している」点で、王らしく尊大だけど、公正なことは明らか。
 さらに、トーリンへの交渉材料として「自分の火傷した顔」を見せる辺り、トーリンを見下すわけでもなく、胸襟を開いているわけで。


 これがたとえば、明確な敵の大ゴブリンだと、トーリンを王とは認めず、「故郷を失ったお前は、もはや王でも王子でもなく、ただの一人のドワーフよ」と嘲ってるわけで、
 また、スランドゥイル自身、後のシーンで敵であるオークの人質に対しては、「話せば解放してやる」と約束したにも関わらず、「醜い頭を、穢れた体から解放してやった」と言い放つ冷酷さを披露。
 情に流されやすいタウリエルや、信義にこだわる息子のレゴラスに比べて、非情な決断をあっさり下せる辺り、年季の入り様を感じさせてくれるな、と。


 このスランドゥイルのキャラクターが、比較的短いシーンながら、そのキャラクター性をきちんと描写できていて、実に魅力的だな、と。
 で、『ホビット1』のオーディオコメンタリーによると、ホビット3部作完結後、もう一度『ロード・オブ・ザ・リング』に追加シーンを加える機会があれば、スランドゥイルのシーンを加えたい、という発言があって、
 そんなシーンを加えられたら、また、購入意欲を掻き立てられるじゃないか、と悶えてみたりも。

ビルボの隠密活動

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 原作では、先に捕まっていたトーリン。
 一方、他のドワーフも、結局、「食べ物がなくて、やみくもに森をさまよううちに、エルフの番兵に遭遇して、抵抗せずに喜んで捕まる」ことを選択、と。
 ビルボだけは、指輪の力で身を隠して、捕まらずに済んだわけですが、映画ではレゴラスとスランドゥイルに、あわや見つかる? というシーンがあったり。


 エルフの宮殿の入り口が閉ざされる寸前、殿を歩くレゴラスが何かの気配を感じたように、一瞬立ち止まる。
 だけど、すぐに気のせいか、と思い直して、宮殿に入る。危うくニアミスになるところでした。
 ファンにとっては、60年後のレゴラスを知ってるわけで、旅の仲間として重要人物なんですが、ビルボにとっては、レゴラスを意識する場面は皆無。一人の森エルフでしかない、と。


 次いで、ビルボの登場シーンは、トーリンとスランドゥイルの会話シーンの直後。


スラン「どうして隠れてる? 姿を見せたらどうだ?」


 姿を消しているのに、不意にエルフ王に声をかけられ、ドキリとするビルボ。
 観念して、姿を現そうかと一瞬、思ったときに(セリフもなしに、こういうことを察せられるマーティンの演技が見事)、彼の背後からタウリエルが現われて、ホッとするビルボ。
 そして、短くも意味深な王と近衛隊長の会話の後で、もう一度、スランドゥイルは何かの気配に気付いた素振り。原作の鈍感な王様に比べて、映画のエルフ王は何て優秀。
 それでも結局、ビルボを発見できない辺り、ホビットの隠密能力の凄さも描写できていて(指輪は足音や気配までは消せませんから)、「優秀さを演出するためには、優秀な者同士の対決が必須。ザコとの無双だけじゃ物足りない」というフィクションの作法を改めて実感したり。


 その後のビルボですが、原作ではそれほど時間が切迫していないため、何日も時間を掛けて、捕まってる仲間の居場所を探ったり、脱出方法を模索したり、その間、エルフの食料庫からつまみ食いしたり、エルフの宴に付き合って外出した森で迷子になりかけたり、いろいろ活動しています。
 その間に、森のエルフたちにも愛着を感じて、ドワーフたちとは違う視点で、エルフのことを大切に考えたあげく、最後は五軍の戦いで、エルフ王のそばで戦うという流れになるのですが、
 映画では、そこまでエルフに感情移入する間もありませんでしたね。この点は、ビヨルンと同様ですが、エクステンデッド版でどうなるかな。
 『ホビット1』では、裂け谷のシーンが大幅に付け加えられて、「エルフにとっては迷惑な客人であるドワーフたち」とか、一方で「エルロンドとビルボの交流シーン」とかあって、
 エルロンド視点だと、ドワーフたちは早く出て行ってくれたら内心せいせいするけど、「ホビットはいつまでもここにいてくれて構わないぞ」と明言。
 そのために、ビルボ自身、「裂け谷を去るのが名残惜しい」と考えたりもして、それがトーリンにも見咎められて、その後で「ホビットは後に残したほうがいい」と言わせる契機にもなった、と。


 で、晩年、裂け谷で暮らすようにもなったビルボですが、闇の森の宮殿でも、こっそり食べ物をいろいろ失敬したことで、複雑ながらも愛着を感じるわけですな。
 でも、映画だと、さっさと鍵を手に入れて、「いつまで、こんなところにいるつもり?」とドワーフを助け出す。愛着を感じる間もないのが、映画の演出。

キーリとタウリエル

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 エルフ絡みの重要シーンがもう一つ。
 これまでは、ドラマのメインが、ビルボ、トーリン、ガンダルフの3人でしたが、ここでレゴラスとタウリエルが急浮上して、連動してキーリに大きくスポットが当たることに。
 このタウリエルだけは、映画オリジナルキャラのため、原作と比べてどうこう論じることができません。
 そして、タウリエルが登場したために、それを引き立たせるために、キーリが怪我をして、トーリンたちから置いて行かれることになるわけで、映画を原作の展開と大きく変えた超重要キャラとなった次第。


 しかも、このタウリエル、ヒロインではなく、扱いは完全にアクションヒーロー。場合によっては、レゴラスのピンチさえ救い、ハリウッドの女性キャラ特有の足手まといさを微塵も感じさせない。専用BGMも格好いいアクション曲だし。
 大体、「キーリがピンチ→さっそうとタウリエル登場→続いてレゴラス→アクロバティックなアクション展開で盛り上がる」というパターン。最初のクモ戦こそ、レゴラスが先に出ますが、それ以降の二戦(川と、バルドの家)ではいずれもタウリエル先行で、レゴラスが従者的に遅れて助太刀。
 レゴラスの格好良さは言うまでもないですが、今作では美味しいところはタウリエルも結構、持って行きますし、レゴラスも戦いの後で、何だかイラっとするような、すっきりしない表情を見せることが多く、強いんだけど、後の『ロード・オブ・ザ・リング』の時よりも精神的に未熟に見えたりもして、迷いがちな彼よりも、信念を持ったタウリエルの方がヒーローしてるって感じ。


 ともあれ、クモ戦で鮮烈デビューを果たしたタウリエルですが、
 キーリ君は、「色白で、肌がすべすべのエルフ女」は好みではないらしく、彼が可愛いと評したエルフは「長髪の男だった」というシーンが、裂け谷で追加されてますが、「男勝りのタウリエル」は彼の眼鏡にかなってるのかな。
 どちらかと言えば、「可愛い弟キャラ」と「保護者的なお姉さんキャラ」の関係に見えるんですけどね。


 で、エルフの牢に入れられるキーリですが、連行するタウリエルに「ズボンの中を調べないのか? 武器を隠し持ってるかもしれないぜ」と下ネタ的な挑発をします。
 それに対して、タウは、吹き替えだと「使ってごらんなさいよ」と受けて立つセリフで応じますが、字幕だと、もっと辛辣に「役には立たないわ」と、男の気力を削ぐような発言。
 この皮肉合戦に興を感じたのか、キーリがタウリエルの後ろ姿をじっと見つめ、それを見たレゴラスがにわかに焦りを感じて、「奴はどうして君を見てるんだ?」と尋ねる。
 「さあ。でも、ドワーフにしては背が高いわね」と応じるタウリエル
 「だが、醜い」と返すレゴラス。まだ差別主義者のヘイトスピーチモードなんですな。


 その後、タウは、王の元にクモ退治の報告に来るわけですが、
 スランが「クモを全滅させるように命じたはずだが」と難詰すると、
 タウは「確かに一度は全滅させましたが、また南からやって来まして。全滅させようと思えば、南の砦ドル・グルドゥアまで部隊を派遣しませんと」と遠征を提案します。
 それに対して、「そこは余の王国の範囲外だ。お前は、王国に入ってきたものだけを追い払えばいい」と指示する王。
 「しかし、それでは他の地域にクモが広がるだけでは?」とタウ反論。
 「知ったことか。世界が闇に覆われようと、余の王国が安泰であればいい」と主張して、議論を終わらせる王。次いで、「ところで、息子のレゴラスが、そなたに好意を抱いていること、承知か?」
 タウ曰く、「近衛の隊長への憧れでしょう」
 スラン曰く、「前まではな。今は違う」
 タウ戸惑って、「卑しい身分の森エルフと、ご子息の恋など、お許しになりますまい」
 スラン尊大に、「むろん、許さんとも。だから、息子をたぶらかすな」


 この時点で、観客はタウリエルに感情移入したんじゃないかな。
 レゴラスに対するタウの気持ちは、ここでスランドゥイルが指摘しなければ、「弟に対する姉」みたいなものだったのに、急にいろいろと処理しにくい感情がもやもや渦巻いたり。
 王子との禁断の恋を避けるためには、外に目を向けないと。
 そこで、キーリが絡んでくる。


 牢屋でお守りを眺めているキーリの姿に声をかけるタウ。
「それは?」まあ、装備品を没収してるのに、何かを持ってたら、番人としても気になるわな。現に、グローインは家族の肖像入りの装飾品をレゴラスに取られてたし。
 それも思ってか、とっさに嘘をつくキーリ。「ドワーフの強い呪いが掛かってる。他の種族が見ると呪われる」そう言って、お守りを突きつける。
 思わず、顔を背けるタウリエル
 冷静な彼女の仮面が取れたのを見て、微笑をこぼすキーリ。「冗談さ。ただのお守り。魔法なんて掛かってるはずがない。母さんがくれたんだ。ぼくが無鉄砲だから心配してさ。生きて帰れるようにって」
 そう言って、牢の外に転がす。没収するならしてみろ、と言わんばかりに。
 それを拾い上げて、キーリに返すタウリエル。「母さんが」との発言に、相手がまだ若い、子供みたいな年齢だと理解する。ドワーフの年齢は、エルフには分かりにくい。
 外が騒がしいのを気にして、タウに質問するキーリ。
「宴よ。星の光を崇めるの」
 原作にもエルフの宴はあったけど、映画では会話シーンに採用。


「星の光は、好きになれないな。冷たくて、よそよそしい感じがして……」後で明示されますが、キーリにとっての星は、タウリエルを指す暗喩にもなってる。
 そこで、タウは、エルフにとって星というものが、どれぐらい神聖で、憧れるべきものか語りだす。
 それを受けて、キーリの方は、別の光を話題にする。「昔、月が赤く燃えるのを見た。とても綺麗だった」そこから、広い世界を旅した経験を語り出し、外の世界に興味を持っていたタウリエルは、キーリの話に聞き惚れた。
 ここでのタウにとって、キーリは「自分の知らない外の世界の住人」であり、保守的で引きこもりがちな王への反発を象徴する存在に映ったのかも。
 俗っぽい恋心というよりは、「広い世界への憧れ」であり、「穢れから守ってあげたい対象」って感じかな。
 あくまで、保護者として、世界を守ってあげたいと同レベルの感情をもって、今後ともキーリに接していくことになる、と。


 でも、二人のやり取りをこっそり見ているレゴラスには、タウリエルの想い(世界の危機に目を背けない守護者たれ)は、まだ伝わっていなかったり。
 第3部は、タウリエルからレゴラスへの想いの継承、という観点で見ることもできそうですね。(つづく)

*1:こういう撮影裏話は、DVDのおまけのオーディオコメンタリーで知った