Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

遊戯爆発、多元世界の話(DD話から派生)

改めて多元世界の話

 

NOVA「前回は、スパロボDDのブレイバーン・イベントの話をしていたら、何故か多元世界の話に突入してしまって、流れがしっちゃかめっちゃかになったわけだが……」

晶華「記事をボツにはしないの?」

NOVA「いや、自分では興が乗って示唆に富んでいる話だと思っているので、アイデアの叩き台としては有用だと考えている。勢いで書いたので、まとまりがないだけで。それにマルチバース(多元世界)について考えるのは、俺のちょっとしたライフワークみたいなものだからな」

翔花「そうなんだ。で、今回はその混乱状態をどう立て直すの?」

NOVA「混乱の元はブレイバーン……じゃなくて、スペルビアから声優の杉田さんの話になって、そこからハルヒキョンから、角川スニーカーのラノベつながりで水野良さんの言葉につながって、『世界観を越えて独立したキャラ消費が、ハルヒの辺りから顕在化した』的な言辞の意味合いを考え始めた辺りからおかしくなったと思う」

晶華「まさか水野良さまのせいにしているんじゃないでしょうね!」

NOVA「って、何でさま付けなんだよ?」

晶華「そりゃあ、国産ファンタジーノベルの偉大なるバイブル、『ロードス島戦記』の作者であらせられる御方への敬称だからでしょう? NOVAちゃんなんかとは到底比べ物にはならないわ」

NOVA「まあ、比べる必要は全くないんだが、ともかくハルヒという作品の意義付けをラノベ界の先達作家の水野さんがどう考えているかって話で、前回は『世界観を越えて独立したキャラ消費』とはどういうことか、多元宇宙と絡めて考えてみたら収拾つかなくなったんだ」

翔花「で、今回は収拾つくの?」

NOVA「さあ、どうだろうな。とりあえず、ハルヒが書かれた時代は2003年から2011年(2020年の復活最新巻を除く)で、その間に生じた出来事といえば、ゲーム以外のジャンルでマルチバースの一般化、普遍化が挙げられる」

晶華「ええと、90年代にゲームというジャンルで盛り上がっていたマルチバースという世界観が、ハルヒのブームと並行するように特撮やアニメ、映画などで描かれるようになっていった?」

NOVA「そういう理解で問題ないだろう。ここで、ハルヒという作品とマルチバースの関係性について話す意図はあまりなくて、ただ水野さんが言った『世界観とキャラの分離』という話が、『当時の公共ポスターのイメージキャラクターとしてハルヒが描かれたという時勢の変化』を感じたゆえの発言なんだ。つまり、90年代はアニメキャラや、いわゆる萌え絵はあくまでアニメショップやゲームショップなどのオタク向け商店のみにもっぱら掲示されるものだったのに対し、ゼロ年代半ば辺りから物語の背景世界と何の関係もない公共のポスターにラノベ出自のキャラが採用される世相の変化だな。水野さん的には『ハルヒの人気ぶりがそういう世の中の変化をリードした革命』という形で褒めている、と」

翔花「ディードリットさんや、『スレイヤーズ』のリナ・インバースさんは、世界観を越えた文脈(公共のポスター)で飾られたりはしなかった?」

NOVA「これについては、ファンタジー世界のキャラクターよりは、制服着た女子学生の方が公共の場に紛れ込みやすいというビジュアル事情もあるのだろう。要するに異世界ではない現実風のキャラの方が日常に溶け込みやすいということだな。ハルヒという作品は、日常の学園生活の中に宇宙人や未来人、異世界人、超能力者が紛れ込んでいるんだけど、それらの刺激を求めている当のハルヒがそれに気づいていなくて、常人の語り手キョンだけが知っているという構図だ」

晶華「普通は主人公が超人的に描かれる作品が多いと思うけど、ハルヒの物語では、ヒロインのハルヒさんも、語り手のキョンさん(読者の感情移入対象である視点キャラクター)も特殊能力を持たない常人というのがポイントね」

NOVA「いや、キョンはともかく、ハルヒを常人というのは間違っていると思うが。彼女は無自覚的な世界改変能力を持つ、神に近い異能を持つという設定があって、もしも自覚してしまうと世界が壊れてしまうリスクが非常に高く、ハルヒの起こした事件をキョンとその他のサブヒロインたち(宇宙人だったり、未来人だったり、異世界人だったり、超能力者だったり)が密かに解決するのがおおよそのストーリー構造だな。トラブルメーカーの美少女ハルヒの起こしがちな騒動を、苦労人にして観察者のキョンが中心になって解決する流れで、ハルヒだけが何も気づかず『日常は退屈だと認識しながら非日常の刺激を求め続ける、実は最強の非日常能力の持ち主という倒錯した日常生活』を過ごす学園ラノベの傑作だ。ゼロ年代ラノベやアニメ文化を語るには欠かせない作品だが、俺は特撮ヒーローか、SFロボアニメか、時代劇か、異世界ファンタジーしか視界に入っていない人間なので、ハルヒブームを他人事として受け取っていた」

晶華「つまり、時流には全く乗っていなかった、と」

NOVA「当時の俺はそもそもアニメファンだと自己認識していなかったからな。萌えを求める意識も乏しかったし、あくまでスパロボをきっかけとしたロボアニメ限定のファンで、RPGファン。ハルヒは自分が求めるジャンルとは違うという認識だったので、語れない。まあ、本気で語ろうと思えば、ネットで散見される情報から一般知識ぐらいは得られるんだが、そこからハマると何冊か書籍を買って話題を収拾するだろうけど、ジャンル違いまで追いかけるほど暇でもなかったわけで」

翔花「まあ、NOVAちゃんのホビー館は、ラノベ萌えアニメはカバーしていなかったからね」

NOVA「手軽に萌えアニメの勉強をしようと思って見たのが、ニチアサの流れで、プリキュアだったからな。シリーズが始まったのは2004年からで、ハルヒのスタートとほぼ同時期。で、俺が見始めたのは6作めの『フレッシュプリキュア!』(2009)からで、それも1クールを過ぎた後の途中から。主人公のラブ(キュアピーチ)と、敵の女幹部イース東せつなと偽名を使って、ラブに接近)が激突するシリアス展開(20話前後)から、4人めの仲間キュアパッションに陣営移行する光落ち(という言葉でいいのかは分からんが、闇堕ちに対する敵→味方化の適切な言葉が今だに見つからない)展開にハマったわけだな」

翔花「錬金術っぽく言うなら、ハルヒさんはNOVAちゃんのガッチャではなかったけど、プリキュアのシリーズはNOVAちゃんのガッチャってことね」

NOVA「俺のガッチャか。まあ、そういうことになるかな。プリキュアが俺のガッチャ……う〜ん、そう言いきってしまうのは今さらながら気恥ずかしい気もするが、ツボを突いたのは間違いない。で、俺はどうしてブレイバーンの話から、ハルヒを越えて、プリキュアについて語っているんだ?」

翔花「そりゃあ、未来戦士ルルについて語るためでしょ?」

 

セカイ系から日常系への流れ

 

NOVA「未来戦士ルルについては、連載開始の雑誌が25日発売なので語りたくても、まだ未見だから語りようもないのが事実なんだが、とりあえずスペルビアおじさまとパイロットのルルちゃんがDDにユニットとして実装される日が来るのを楽しみに待つとして、いずれ語る日も来るだろう。しかし、それは今じゃない」

晶華「で、プリキュアからどう話を展開するの?」

NOVA「テーマは多元世界の一般化なんだ。90年代にゲームの世界で多元世界という言葉が流行ったんだが、それが即、映像世界に反映されるわけではなかった。多元世界が浸透するにはハードルが高い」

翔花「どうして?」

NOVA「多元世界の面白さを本当に理解するには、作り手の世界観知識もさることながら、受け手の方にも知識と素養を求めるんだよ。例えば、ウルトラマルチバースの面白さを知るには、歴代ウルトラマンの知識をそれなりに求められる。しかし、シリーズを長年追っかけてきた大人のマニアはともかく、メイン視聴者層として想定される子どもたちに、そこまでの知識を求められるか?」

晶華「親が英才教育を施せばいい」

NOVA「いやいや。まあ、そういう家庭はオタクの一つの理想像だと思うけどさ。夫と妻が両方ウルトラファンで、子どもにも光の戦士の話を語って聞かせ、ウルトラファミリーという呼称に相応しい家庭……いいなあ、それ」

翔花「プリキュアファミリーは?」

NOVA「父親がプリキュアファンというのはちょっと……って言うと自虐ネタになるのか。まあ、俺はニチアサファンであって、もしもプリキュアだけがニチアサ枠から外れて、違う時間に移行したら(ドラえもんの土曜夕方に接続とか)、そこまでプリキュアを追っかける自信はないぞ。あくまでニチアサ・スーパーヒーロータイムの延長として見ているんだから」

晶華「番組枠って大事ってことね」

NOVA「ふだんの視聴習慣に影響するからな。まあ、録画とか配信サービスを利用すれば追いかけることは可能だが、やはりリアルタイムでXポストで呟きながら見る楽しみってのもあるんだよ」

翔花「で、プリキュアを萌えバイブルとして絶賛消費中のNOVAちゃんですが……」

NOVA「シリーズも20年継続すると、時代背景の変遷とかサブカルチャー史のテキストとして語れたりもできるからな。それはともかく、ハルヒに話を戻すと、ちょうど『セカイ系から日常系への分岐点』に位置づけられる作品と分析できるんだ」

翔花「セカイ系って?」

晶華「お姉ちゃんのことよ」

翔花「??????」

NOVA「つまり、一人のヒロインの力や感情で世界を救えたり、滅ぼしたりできる物語パターンだな。これは90年代から流行した美少女恋愛ゲームの延長にあると推測できるんだが、要するにヒロインと良い関係になればハッピーエンド。ヒロインのハートを射止められなかったり、ヒロインの感情を極端に損ねたりするとバッドエンドのゲームの構造を、小説やアニメの物語に導入するとセカイ系になるという説」

翔花「すると、わたしが世界を改変したり、神さま候補だったり、屋久島にモスラの力を封印したりするのも……」

NOVA「セカイ系ヒロインの資質を満たしているよな。現に『花粉ライターJUHO』なんて異世界を構築した前科もあるし」

翔花「そうかあ。わたしは涼宮ハルヒさんの後継者に位置づけられるんだね」

NOVA「まったく意図的ではないんだが、何だか自分の感情の赴くままにエピソードを紡ぎ上げていたら、そういう位置づけになってしまった。直接ではないにしても、間接的に時流の影響を受けるってことはあるんだなあ、と自分でもビックリって奴だ。俺はハルヒのファンでは全くないんだがな(そもそも原作もアニメもノータッチで、Wikipediaとか書評程度の知識をかじっているに過ぎない)」

翔花「わたしがセカイ系だったら……」

晶華「双子の妹の私は日常系ってことね」

NOVA「今の俺にとっては、どっちも日常系だけどな。とにかく、セカイ系は90年代の世紀末の『世界滅亡の危機』というキーワードと絡み合って、2000年前後にペシミスティック(悲観的、厭世的)な物語を大量に生んだんだよ。鬱屈したマニアが喜ぶ系のな。セカイが滅びるのだから、それを阻止するためにはヒロインの想いを大切にしないととか、ヒロインを救う=セカイを救うと同義になったり、物語構造としてヒロイン重視の比率が極端に高い。その中で、男はマゾヒスティックにヒロインに奉仕する作風でもある」

晶華「そうすると、ヒロインの性格もおとなしい清楚系から、高飛車系に切り替わったりして、ツンデレ的な性格形成も流行する、と」

NOVA「お姫さまって本来、清楚なキャラから、高貴な家系ゆえのわがままに走りやすいというリアリズムもあるし、メインヒロインは攻略ハードルの高さから、デレたら主人公に親和的だけど、そこに至る前のツンぶりが強調されて、要するに高嶺の花なんだよな。美少女ゲームの文脈では」

翔花「攻略対象という意味では、メインヒロインがラスボスとも受け取られるわけね」

NOVA「で、人気キャラはそういう裏表の激しいメインヒロインよりも、もっと攻略しやすくて、健気なサブヒロインの方に集まりやすいという副作用があって、要するに身近な良い子に需要が集まる。メインヒロインは攻略失敗しても、泣き顔はあまり見せずに主人公を罵る傾向があって、サブヒロインの方は主人公にフラれると寂しそうな表情を浮かべたり、要するにおとなしめで優しいんだ。

「もちろん、キャラの性格は最低でも3人、大体は戦隊と同じ5人前後に、6人め的な隠しキャラの存在もあって、個々のキャラのエピソードがそれなりにあるから、いろいろなキャラを攻略して、多面的なマルチストーリーを展開できる。その中で自分の推しを見つけてプッシュするのを重視するプレイヤーもいれば、完全攻略を果たした先のハーレムエンディングを目指す者もいる」

晶華「そういう90年代の美少女ゲームの文脈が、ゼロ年代ラノベやアニメに浸透する過程があったわけね」

NOVA「美少女ゲームは18禁のアダルト方面に接する可能性も高いから、その影響は学術論文とかの題材にはしにくい。だから、セカイ系や日常系のサブカルを研究した学術論文は、その辺のゲーム方面からの影響を語らずに済ませる傾向があって、ゲームプレイヤーの心理とかを主観的に解析した論稿は珍しい。どうしても、距離を置いた客観的な考察が主流になってしまうわけだが、生の声的な主観的な資料と言えば『作り手へのインタビュー記事』とか、これからは『ブログやXポスト、noteなどのネット発言を、極力、切り取り発言にならない程度の総括性をもって分析することが文化史にとって重要』な時代になると考えるな」

晶華「他人の主観に基づく資料を、できるだけ客観的な視点で集め、時代を考察する論じ手かあ。NOVAちゃんもそういう方向を目指してるの?」

NOVA「そういう素養はあると思うけど、ジャンルが偏りすぎているから、メインストリームには乗れないんじゃないかなあ。興味がなければ、自分の視野に入って来ない限り、見向きもしない性格だし、自分の追っかけているジャンルに間接的に影響をもたらされた場合に、遡って分析する程度か。過去の時流は読めても、未来に何が流行るかまではなあ。まあ、未来は個人の恣意的な予言よりも、予言を聞いた大多数がそれに影響されて動く中で構築されるものだと考えているので、大多数を動かす扇動的な予言の特徴なんかは研究したくもある。それを利用すると言うよりは、歴史的な好奇心という意味で」

 

翔花「話を戻して、セカイ系から日常系への流行の分岐点として、ハルヒが位置づけられるという話だけど、どうしてそうなったの?」

NOVA「日常系の究極は、『サザエさん』であり、『ドラえもん』であり、『クレヨンしんちゃん』であるというのが俺の考え。まあ、『ちびまる子ちゃん』も入るかな。とにかく、長期的にダラダラ続くことを許容できる番組スタイルがあって、そこに美少女萌えエッセンスを加えて、思春期から30代ぐらいまでの若者需要を掘り起こしたのがゼロ年代の日常系ラノベやアニメになる。セカイ系は基本的にヒロインに奉仕してセカイを壊さないという目的があって、物語のゴールはセカイがそれでも壊れてしまうカタストロフィ悲劇か、壊れたセカイでヒロイン(の亡骸であることも)を抱きしめて1人か2人の美しい自分のセカイの維持エンドか、奇跡が起こって元の日常を取り戻すエンドか、作者がそこまで到達できずエタってしまう未完成エンドかになる」

翔花「エタるって?」

NOVA「エターナル(永遠)が語源らしくて、永遠に終わらない未完のまま放置されることを言う。何だかロードス新刊もそうなりそうな気配だが」

晶華「それはイヤね。私が応援しているんだから、作者さんには頑張って続きを書いてもらいたいものだけど」

NOVA「公式サイトも2年前から更新が止まっているからなあ」

翔花「でも、ロードスはセカイ系じゃないよね」

NOVA「まあ、きちんと背景世界を構築したうえでの、『ヒロインのニースの精神状態が邪神復活の鍵になる展開』でセカイ系に通じるものがあるが、セカイ系は主人公とヒロインだけで閉じたセカイが完結する要素が強いので、ロードスはそうでないという反論はできる。まあ、ロードスは永遠に冒険者のプレイヤーのものとして解放された島と認識している」

晶華「でも、100年後のニュージェネレーションな話は放置されて久しい、と」

NOVA「俺個人としては、『ロードスが探索され尽くして、冒険活動がしにくくなっている現状』が示されたことが寂しさを覚えたな。100年後のロードスは、冒険者のために解放された島ではなくなって、結局、冒険者アレクラストに行くしかないんだなって」

晶華「クリスタニアって手もあるわよ」

NOVA「だから、ロードス→クリスタニアというミッシングリンクを埋める話が読みたかったんだよ。まあ、クリスタニアのダナーン王家の起源が、アラニアなのか、カノンなのか、それ以外かだけでも設定的に知りたいな、と」

 

翔花「ロードスはともかく、セカイ系が日常系になった理由を、まだ答えてもらってない」

NOVA「要するに、セカイ系は主人公とメインヒロインの閉じたストーリー構造なんだ。一方、世の中は多様性ってもので、メインヒロイン以外のサブヒロインのファンも多くなる。で、メインヒロインとサブヒロインの日常お喋りが永遠に続く物語に需要が出てくる。そこには大きな事件も起こらず、学校を卒業するまでは変わらない青春の思い出(もしくはリアルで得られなかった理想郷)が描かれる。読者を投影する主人公は邪魔なので排除して、読者はオタク心の分かる理想的な女の子たちの日々の営みを部外者の立場で満喫する。彼女たちの営みを自分が関わって壊したくもないから観察するだけ。これが日常系ラノベの一般像だ(俺主観)」

晶華「そう、まとめられると何だかキモいわね」

NOVA「まあ、日常系には男の立ち位置がないからな。たまにあっても、オタクをこじらせたキモい父親とかになる(参照例『らき☆すた』)」

翔花「もしかして、NOVAちゃんが父親役なのも、『らき☆すた』の影響?」

NOVA「誰がキモい父親やねん! とツッコミ入れたいが、否定はできないな。そうか、俺のモデルは泉こなたの父、泉そうじろうだったのか。今、初めて意識したや。泉そうじろう……花粉症もちで、声優ダバ・マイロードで、眼鏡はかけていない。うん、似ているところはあるが、俺じゃないな。無意識でもパクリじゃないと知って、安心した」

NOVA「まあ、『らき☆すた』は原作コミックを全巻買ったほどのファンで、俺の萌えバイブルその2だが、アニメは見ていない。4コママンガだから、気軽にギャグ雑談コミックとして読めるのがツボったな。女の子たちが集まって、こなたをメインにオタクトークを中心に、日常語りをしているだけで楽しい。連載誌が『コンプティーク』だからゲームネタも豊富だしな」

晶華「4コママンガかあ。だったら、小説みたいに視点キャラを設定しなくても成立するわけね」

NOVA「あえて感情移入対象を言うなら、やはり主人公のオタク属性豊富なこなただな。オタクじゃないけど影響されたりすることもある親友の柊かがみがツッコミ役で、双子の妹の柊つかさが温和ななだめ役。で、メガネお嬢さまの高良みゆきが委員長的なまとめ役。うむ、『らき☆すた』ならキャラ愛込みで語れるぞ」

晶華「双子の姉妹って、やっぱり私たちも影響受けまくっているじゃない!?」

NOVA「何を言ってるんだ? 柊姉妹は巫女ではあるけど、精霊少女じゃない」

翔花「わたし、ガイアさまの巫女候補なんだけど……」

NOVA「ああ……ええと、姉のかがみは作者がTRPGで使っていた魔術師キャラがモデルで、妹のつかさの方は同じく巫女キャラがモデルとあるな。別に意識して狙ったわけではないが、思いきり影響を受けているのは否めない。うむ、うちはハルヒよりも『らき☆すた』の影響を受けたブログと言って、問題ないだろう」

晶華「とにかく、シリアスな物語に展開しがちなセカイ系と比べて、メインヒロインとサブヒロインがガールズトークを日常的にダベるだけの日常系ストーリーが定着していくのがゼロ年代の半ば辺りからの風潮と言ってもいいわけね」

NOVA「日常系のポイントは、恋愛要素も欠如している点だな。恋愛要素が絡むと、それはオタクにとっての日常ではなくなって、セカイが壊れるほどの大事件となってしまう危険がある」

晶華「何それ?」

NOVA「知らんのか。北斗の世界では、『愛で空が落ちてくる』んだぞ。心が熱く燃えて『全て溶かし無惨に飛び散るはず』なのが世紀末の愛だ。そりゃあ、セカイも壊れるはずだよな。とにかく、恋愛脳をこじらせると、趣味のサークルも破壊されるし、日常的な人間関係もおかしくなるし、聞くも涙、語るも涙の修羅場が発生する危険性が大きい。愛とはそれだけ大きな感情だから、日常雑談には必要ない。芸能人のそれが発覚すると、マスコミがこぞって飛びつくぐらいの大事件だ。下手すると、スキャンダルでスポーツ選手の競技生命すら脅かされるのは、某フィギュアスケーターの事件を見ても明らかだ。少なくとも、オタクの趣味トークと恋愛トークは混ぜるな危険、と俺は主張する。ジャンルが違うから、両立するのは大変難しい」

翔花「でも、今は世紀末じゃないよね。また違う愛の形があってもいいんじゃない?」

NOVA「だが、今の時代の女性の愛は、『男に奴隷奉仕を強要する』ものだぞ。『わたしを愛しているなら、わたしのために何でもしなさい。それができないなら、愛される資格はないわ』的な言動を女性が平気で口にするから、そこまで自分を捧げるつもりのない多くの男性は恋愛という世界から身を引くし(恋愛脳じゃない男はオタク扱い)、奴隷になる男は弱者男性と蔑まされて、強気の女性を力でねじ伏せるプレイボーイが恋愛強者とされる時代だ。何だか愛という名の弱肉強食蛮行が席巻しているのが現代のリアル……に見えるのが俺の観察範囲なんだが違うか?」

晶華「それって、相当偏っていると思うけどね」

NOVA「まあ、そうかもしれんが、恋愛が趣味愛を脅かすなら、俺は趣味愛を選ぶわけだし、趣味トークができない女などに現を抜かすのもどうかと考える次第だが、趣味トークのできる娘は欲しい。だから、お前たちが生まれた」

晶華「つまり、私たちはNOVAちゃんの願望から生まれたってことね」

翔花「NOVAちゃんの夢と愛と希望の化身。それこそが花粉症ガール」

NOVA「う〜ん、そう言葉にされると、少し違う気もするんだが、俺的には何だか知らない間にPONと生まれて、いつの間にか2人に分裂したり、TRPGのプレイを要求されていて、あれ? これが俺の夢だっけ? と困惑しているわけだ」

晶華「大きな事件の起こらない穏やかな日常生活で、気の合う仲間たち(男女のドロドロした情愛関係はなし)と仲良くダベるのが夢……って考える層は多そうね」

NOVA「ダベるネタになる程度の刺激的な物語や、知的考察の題材が提供されると、それだけで幸せになれそうだ。まあ、リアルではそれだけで生きてはいけないんだが」

 

日常系キャラの現実への浸透

 

NOVA「さて、ここでハルヒが『セカイ系→日常系』への門扉を開き、俺的には『らき☆すた』を日常系の代表作みたいに考える状況だが、そこに新たな系譜として『艦これ』や『ウマ娘』という萌えヒロインの新ジャンルが発生したのが2010年代だな」

晶華「ええと、『艦これ』は2013年のブラウザゲームからスタート、『ウマ娘』は2016年のコミック展開からスタートね」

NOVA「どちらもその後、マルチメディア展開を示して、『艦これ』は2015年に最初のアニメ化、『ウマ娘』は2018年に最初のアニメ化が為される。原作ゲームはしていなくても、アニメのファンという人はいるだろうし、そこからゲームに入る客層もいるだろう。なお、少数だろうが、『艦これ』はしていないのにTRPG版のリプレイは買ったという俺みたいなケースもあるわけで」

晶華「NOVAちゃんを釣るには、TRPG方面から攻めてみるといいってことね」

NOVA「ゲームはしなくても、世界観の把握には役立つからな。『ログ・ホライズン』や『ゴブリンスレイヤー』もそれが入り口だったし。ともあれ、10年代以降の『艦これ』『ウマ娘』に加えて、ゼロ年代から続く老舗の『アイマス』(2005年のアーケードゲームからスタート)、『Fate』(2004年のパソコンゲーム『stay night』からスタート)といった美少女キャラ集団育成もの(プレイヤーは裏方司令役の提督、調教師、プロデューサー、マスターになる)が一つのジャンルとして人気を博していて、それがコミックないしノベライズの原作になったりもするんだが、ジャンル名が不明なんだな」

晶華「美少女キャラ育成系じゃないの?」

NOVA「セカイ系や日常系と比べると長いな。もっと、ジャンル傾向を論じるのに適切な言葉はないだろうか。まあ、ポケモンとかの育成系の延長にあるから、育成系でまとめてもいいんだろうが、とにかく10年代のラノベやアニメ、萌えヒロイン系の歴史を語るのに、無視できないジャンルだとは思うんだよね」

翔花「ええと、ゼロ年代セカイ系から日常系に流れが移って、10年代は育成系が主流になった?」

NOVA「ゲームの影響は大きいと思うんだが、日常系はとにかくダベり系で大きなストーリーがないのが特徴。しかし、それだけだとオタクネタの消費でしかなく、それだけで話を続けるのも難しいので、ブームは2010年ごろに去った……と言うか、他のジャンルに浸透して行ったのだと思う。

「そして、2010年頃になるとスマホの浸透に伴い、シンプルな育成コレクションゲームが流行る流れとなって行った。欲しいキャラや育成強化アイテムを求めて課金させるのに、コレクション系のゲームは最適だ。平時には与えられた休憩室で女の子キャラと日常の挨拶やイベントお喋りを楽しみ、戦時には司令官としてキャラを戦わせたり、レースやバトル、営業およびステージでの人気対決を制したりする形」

晶華「たくさんの女の子キャラから、自分だけの推しグループを編成して、イベントに勝つことを目指していくわけね」

NOVA「そのノベライズ版は、提督その他やグループの仲間との交流劇、特訓などの修行劇、そしてクライマックスの対決イベントなどになって、割とパターンが固定化されるんだが(原作もしくはメインのメディアがそういうルーティン系のゲームなので)、とにかくキャラ数が多いので、コミュニケーション劇をとってみても、いろいろなパターンが構築できて、飽きさせないのだと思う」

翔花「その辺は、スパクロやDDでも同じことが言えるわね」

NOVA「集めるのが、ロボか美少女キャラの違いだな。で、ゲームのイベントストーリーをノベライズやコミック、アニメとそれぞれの媒体で再現したり、ゲームでは示されていない裏ストーリーや外伝的なものを別媒体で描いたりしながら、世界観やキャラの関係性を掘り下げていく作風だな」

晶華「特に自分が育成している推しキャラがフィーチャーされると、その物語をより深く楽しめるって寸法ね」

NOVA「逆に、公式がフィーチャーしてるキャラを、ゲームで自分も育成したくなるってケースもある。これに関しては、リアルで80年代から培われたグループアイドル集団の手法で、大勢のアイドルから少人数のユニットを切り離してプッシュするのは、古くはおニャン子クラブからモーニング娘。そしてAKBその他のアイドル戦略を、21世紀に入って2次元美少女という形で商売にした形だな。現実のアイドルには年齢というマイナス材料があるけど、絵の美少女にはそれがないので(サービス終了によるコンテンツ消滅の危険性はあるが)、2次元の方がずっと応援し続けていられるメリットはある」

 

晶華「確かにグランゾンのシュウ様は、90年代から現役だけど、いつまでもお若い姿を保っているわね」

NOVA「そっちに話を転がすのかよ。まあ、声の人の子安武人さんは俺より4歳上だから、初シュウが29歳で、今度の5月5日に57歳になるそうだ。28年間、シュウを演ってるんだな」

晶華「中の人の年齢はともかく、57歳のシュウ様は想像できないわね」

NOVA「設定年齢は、デビュー作が21歳で、その後、25歳ぐらいまで時間経過があったらしいが、その辺で止まっているな。まあ、とにかく、旧世紀とゼロ年代以降のアニメキャラの最大の違いは、水野さんも言ったように『世界観を越えたキャラ消費』が現実世界に浸透してきたことだ。2次元出自のキャラクターが、現実のアイドルや俳優と同じぐらい、いや、それ以上の経済効果を発揮して、公共ポスターなんかのイメージキャラとしてプッシュされる時代になっている」

翔花「え? 2次元キャラが現実の境界線を越えて、日常化したって話なの?」

NOVA「ああ。コスプレの素材にもなったりするし、そのうちAR(拡張現実)の素材としても出張ってきて、2次元キャラの現実化、日常化がますます加速することにもなりそうだ。そして、そういうのをキモいと感じる旧世紀脳の抵抗勢力が、『萌え絵は公共の場に出すな。女性に対する男の侮蔑の現れである』という言論を唱えているが、おかしな話だと思うんだよ。少なくとも、学校教育での教科書を見ていると、時代錯誤も甚だしい妄言だと教育者の立場で論破できてしまうんだな」

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NOVA「有名なエレン・ベイカー先生を例に挙げずとも、今の小中高生は旧世紀の子ども(今の我々辺りの世代)が見てきたよりも、学校教材で普通に萌え絵に馴染んでいるんだよ。そして、国語の教科書ではマンガやアニメのリテラシーや文化としての大切さを学ぶようになっている。時代がそういうサブカルチャーとされてきたものをメインカルチャーの一種として受け入れているんだ。公教育の場でな」

晶華「そうなんだ。だったら、花粉症ガールも公教育に受け入れられる?」

NOVA「それは知らん」

翔花「ちょっと、NOVAちゃん。花粉症ガールを公教育に受け入れるよう嘆願書を出しましょうよ」

NOVA「いや、花粉症ガールは『NOVAの、NOVAによる、NOVAのための娘』だからな。公に受け入れられずとも、俺だけが愛でていれば、それでいい」

翔花「それがNOVAちゃんの愛……」

NOVA「まあ、俺的には萌え絵に入れ込む方が、ホストに入れ込んで重大な詐欺事件を働くよりもよほど健全だと考えるな。人に迷惑をかける犯罪者を処罰するのは当然だが、萌え絵が教科書や公共ポスターに採用されるのは、時代の変化であって、そこに女性蔑視や差別の感情は一切ないと断言できる。イヤらしい目で公共の絵を見るのは、個人の欲望の問題であって、公然猥褻物のレベルでない以上は少しぐらい胸が強調されていようが、それは絵師や萌え絵に抵抗ない採用者の趣味にすぎない。しかも女性の絵師が可愛い女の子を描きたいだけというケースもあって、絵師の性別が絵を見ただけで判別できるものでもない。よって、男性ウケを狙って可愛い女の子を描くな、と主張するのは、女性に可愛さを表現するなと言っている暴言に等しいわけだ」

晶華「珍しく政治的な主張に走っているわね」

NOVA「まあな。歴史の流れから考えると、萌え絵に文句をつける層は、90年代にオタクバッシングをした層とかぶるような主張をしているからな。要するに、オタクは社会の表に出てくるな、というイジメのような構図だ。萌え絵と称されるアニメ絵は、日本のKawaii文化の象徴であり、国際的にも恥じることは何一つない伝統美である。ただ、日本のそういう伝統を軽視して、文化破壊を狙う勢力が品性に反するというレッテルを貼り付けて、封じ込めようとする主張でしかなく、しかも当の女性の表現の自由すら奪おうとする似非フェミニズムである、と主張して、当記事を締めくくろう」

(当記事 完)