ガラドリエル「なぜホビットを同行させたの?」
ガンダルフ「小さき者が勇気をくれるから」
原作にない、このやり取りから始まる「ビルボの勇気」の表明、
これが映画の第1部後半のドラマ的醍醐味となります。
本来、ホビット族は平和を愛する穏やかな種族で、普段は臆病。戦うよりも、逃げたり隠れたりするのが得意な者たちなのですが、追いつめられたときの粘り強さと果敢さは、周囲の大きな人を驚かせます。
この様子は、『ホビット』でも『指輪』でも、原作でドラマチックに描かれているところ。見た目は小さくて弱いのに、ここぞという土壇場では思いがけない起死回生の一撃を放つ種族。
もっとも『指輪』の映画では、他のイベントに流されて、ホビットの凄さがあまり強調されなかった感じ。ガンダルフやアラゴルンが、「ホビット恐るべし」と賛辞を述べるような場面があっさり風味に処理されたというか。
「ホビットは凄い」という場面よりも、「レゴラスのアクロバティック・アクション凄い」とか「ローハン騎兵の突撃凄い」とか「ムマキルでかい」とか、そういうビジュアル的派手さに目を奪われて、
ホビットのドラマは、この種族の持つ果敢さよりも、サムの忠誠心とか、メリーとピピンの機転とか明るさとか、そういう印象ばかり。フロドは……どちらかと言うと、ヒーローというよりも、守られるべきお姫様って感じの描かれ方でした。
で、『ホビット』の映画では、『指輪』映画で描ききれなかったホビットの果敢さ、仲間を鼓舞する勇気と誠実さがたっぷり描写されることを感じ、期待しつつ。
第4章あらすじ
〈裂け谷〉を出て、危険な霧ふり山脈に到達したドワーフ一行。
山越えの途中で雷嵐に見舞われる。その自然の猛威は、恐るべき石の巨人のケンカに発展し、飛来する落石から身を守るため、手近な洞窟に避難する。
運悪く、その洞窟の奥には、ゴブリンの巣窟への扉が隠されていた。
夜中にゴブリンの奇襲を受けて、混乱の中でドワーフたちは捕らわれてしまう。
首領の大ゴブリンのところに引き立てられたトーリンたちは処刑されそうになるが、そこに駆けつけたガンダルフの活躍で窮地を切り抜ける。
ガンダルフの剣グラムドリングに大ゴブリンは切り裂かれ、トーリンの剣オルクリストが、押し寄せるゴブリンの群れを打ち払う。
戦いながら、ゴブリンの巣窟からの脱出を図る一行。
しかし、その最中にビルボが暗闇の中に落下して、行方不明になるのだった。
原作では、波乱万丈の危機の章であり、
映画でも、たっぷりとバトルアクションで盛り上げてくれるところ。
大勢のゴブリン集団を撃退しながら、洞窟の中を駆け抜けるところは、『指輪』のモリア鉱窟のシーンに通じます。
ビジュアル的な違いと言えば、モリア鉱窟はドワーフ製なので橋などの人工物が石製なんですが、ゴブリンの洞窟ではもっと安っぽい木製の橋だったり。
しかし、それよりもドラマ的な違いとして、モリアでガンダルフが落下したのに対し、こちらで落下したのはビルボ。
で、ガンダルフが帰ってきたときには、「白のガンダルフ」としてパワーアップしたのに対し、
こちらでは「ビルボwith指輪」としてパワーアップ。
なるほど、パワーアップするには、一度暗闇に落ちて行方不明にならないといけないのか。
あ、原作と映画の違いは、このビルボとガンダルフそれぞれの離脱のタイミングがあります。
ガンダルフの離脱
原作では〈裂け谷〉を一緒に出発していて、洞窟まで行動を共にするのですが、ゴブリンの襲撃の際に、いち早く危険に気付いて、一人だけ姿をくらまします。
映画では、トーリンたちがガンダルフを置いて、先に〈裂け谷〉を出た形に改変されたので、「仲間を見捨てて自分だけ逃げておいて、後から美味しいところを持っていった」と難癖つけられることもありません。明らかに、置いていったトーリンに非がある、と。
その後、大ゴブリンの前に出現し、ドワーフたちのピンチを救い出すのは同じ。
でも、ガンダルフが合流したときは、ビルボがすでに行方不明になっていた、と。
ビルボの離脱
映画ではガンダルフとの離別が原作よりも早く、その代わり、ドワーフとのドラマシーンが設けられています。確かに、ガンダルフが一緒だと、トーリンの「足手まといは帰ったほうが良い」発言は発生しませんからね。
で、ビルボが帰る決意をして、それに気づいたボフールとお互いの心情を吐露し合うシーンを経た直後に、ゴブリンの襲撃が行なわれる、と。
原作では、ガンダルフが姿をくらませた箇所で、いち早くビルボの方が離脱することになります。
まあ、原作のビルボの成長は、「指輪の入手」と「ガンダルフの完全離脱」が明確な起因と見なされていますから、映画でいち早くガンダルフと別れたことで、彼の精神的成長を前倒しで描いた、と見なせますしね。
この二人のキーパーソンの離脱時期が原作と異なることで、ドラマがより深まったことは分かりますので、ナイス改変だと思います。
石の巨人
映画で一番驚いたビジュアルは、この石の巨人ですね。
原作でも確かに登場しているのですが、どちらかと言えば、「自然の猛威の擬人化」的な描写で、ドワーフたちとは関係ない遠くで、勝手に岩石を投げ合っている。直接、命を脅かすような描かれ方をされておらず、まあ、後のゴブリンに比べて印象が薄い、と。
だけど、映画は、もっと石の巨人の脅威がストレートに描かれています。ドワーフたちが歩いている岩道が突然崩れて、それが巨人の体の一部だった、とか、岩石も直接降って来る感じで、『指輪』のバルログよりも恐ろしい存在に見えました。
ビジュアルは、仮面ライダーシリーズに出てきた岩石大首領そのもので、しかも、それが二体。*1
原作読んだときは、巨人といっても、せいぜい5メートルぐらいと思ってましたが、
映画のそれは、何十メートルという巨大サイズ。戦えば、スマウグにも勝てるんじゃないの? なんて思ったり。
「自然の猛威から逃れて洞窟に」という状況設定は、『指輪』の雪山カラズラスと同じシチュエーションなんですが、あちらはサルマンの呪文に雪崩を引き起こされたのに対し、こちらは巨人が暴れだす原因は特になし。
いや、もしかすると、ドル・グルドゥアの邪悪な魔力の影響で出現したのかもしれませんが。
原作では、わずか数ページの登場で、その後も出てこないのですけど、
五軍の戦いとかで再登場することを期待したいです。
弱き者は荒野では生き残れない
ガンダルフを置き去りにし、石の巨人の脅威をも体験し、これからの旅路の危険を痛感したトーリン。
崖から落下しかけたビルボを助けるなど、弱者へのいたわりも示すのですが、共に旅する中で「ビルボが、ガンダルフの保証するような忍びの達人とは縁遠い冒険の素人」だと理解します。
「自分たちの危険な探索に、関係ない者を参加させるのは済まない」という慈悲心と、「弱い者をかばう余裕がない」という切実な事情とが相まって、ホビットに厳しい言葉をかけるトーリン。
その夜、洞窟の中で、ビルボは「自分の力が冒険には求められていないなら」という思いから、一人で帰ることを決意します。
それに気づいた見張りのボフールとの会話が、ホビットとドワーフの心情をうまく引き出していて、感じ入ったり。
原作では、しょっちゅう「平穏な故郷に帰りたい」と心の中で思っているビルボですが、映画では、そういうウジウジした繰り返し描写ではなく、要所に絞った描き方。
そして、第一の理由として「家に帰りたいから」ではなくて、「自分が足手まといだから。ドワーフの仲間として、自分の居場所が感じられないから」という趣旨の発言をします。
これは、『指輪』の映画でも強調された「旅の仲間の絆」が、『ホビット』でも強調されていることを示します。
そして、この物語テーマはトーリンにしても同じで、映画の彼は原作以上に孤高の壁に引きこもっている様な描写です。原作にはない「同士だったダインですら、自分の探索行には協力してくれなかった。ここに集まった仲間しか信用に足る者はいない」といった感じの、狭い身内意識、仲間には誠意を示すが無理に仲間を求めない。信用できない者に協力を仰ぐぐらいなら、自分一人で死地に向かった方がマシだ的な、良くも悪くも鮮烈な誇り高さがドラマの魅力となっていき、また原作のその後の展開を知る視点からもワクワクさせてくれる、と。
演出的にいいのは、ビルボとボフールの会話を、トーリンがこっそり聞き耳を立てているところ。
ボフールは、去ろうとするビルボに対して、なだめるように「せっかく仲間になれたのに、ここで別れるのは残念だ」と友好的な言葉を訴えます。
それに対して、ビルボは「自分はドワーフの仲間じゃない。自分には故郷があるけれど、あなたたちには……」と言いかけて、それ以上は口に出すのを留めます。
ボフールは、ビルボの言いかけた言葉をつなげ、「ドワーフには帰るところがない」と自嘲的に語りつつも、
ビルボに対して朗らかに、「分かった、お前には帰るところがある。無事に帰りつけるよう願ってるよ」と送り出します。
この原作にない、だけど原作の持つ望郷というテーマを仲間意識と共に浮き彫りにしたシーンが、映画のドラマツルギーを高めてくれました。
ゴブリンの襲撃
ビルボが去ろうとしたその時、トロルの岩屋で見つけた剣(後にスティングと命名)の発光に気付きます。
警告するビルボですが、目覚めたトーリンたちが奮戦する準備を整える前に、ゴブリンたちが奇襲攻撃を仕掛け、数の猛威でドワーフたちを捕らえます。
洞窟を出ようとしていたビルボだけが、ゴブリンの視界を逃れ、うまく隠れることに成功し、何とかドワーフたちを救えないか後から追跡を試みるのですが、一匹のゴブリンに気付かれ、応戦するもいっしょに崖下に。
原作は基本的に「ビルボ視点の物語」なので、ビルボもドワーフたちと行動を共にするのですが、
映画は、ここからビルボの視点を離れ、ドワーフたちのショータイム。
また、ゴブリンたちも、『指輪』のシリアスなオークと違い、『ホビット』らしいコミカルな描写で、歌いながらドワーフを連行したり。
ゴブリンの首領の大ゴブリンも肥満体の王様で、トーリンの剣オルクリストにびびったり、滑稽な印象を与えます。
結局、この大ゴブリンは、モリアのアゾグと連絡を取り合っており、トーリンが賞金首であることを宣言し、処刑しようとします。
ドワーフの反撃
そこへガンダルフが出現。
原作もそうですが、仲間のピンチに颯爽と駆けつけるスーパーヒーローみたいな爺さんですよ、ホント。
まあ、強い爺さんと言えば、日本だと「水戸黄門」を連想しますが、ガンダルフは杖と剣の2本を使いこなしますからね。しかも、自ら先頭に立って。
『指輪』のシリアスで強敵だったオークと比べ、『ホビット』のゴブリンは数が多いだけで弱い種族として描かれています。
原作では、ガンダルフとトーリンの無双状態だったのですが、
映画では、他のドワーフ12人もそれぞれに武器を持って応戦し、もう派手なアクション絵巻と化しており、第1部では一番爽快なシーンと言えます。
群がる敵をバッタバッタとなぎ倒し、洞窟や木の橋を駆け抜ける大チャンバラ劇は、原作で物足りない戦闘描写(子どものおとぎ話であり、英雄物語ではありませんから)を凌駕して、かなり満足させてくれました。
もう1回見たい……と思っていたら、そのシーンの動画を発見。
これはイイものよ。気分は正にエスケイプ。