Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』追想

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新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1 (評論社文庫)新版 指輪物語〈2〉旅の仲間 上2 (評論社文庫)新版 指輪物語〈3〉旅の仲間 下1 (評論社文庫)新版 指輪物語〈4〉旅の仲間 下2 (評論社文庫)
 今から11年前(間もなく12年前)の2001年、ファンタジー映画のシリーズがブームとなりました。
 その1つが、当時新鋭のファンタジー小説であった『ハリー・ポッター』であり、もう一つが『ロード・オブ・ザ・リング(指輪と略)』です。
 当時の個人的な感想としては、1990年代後半がいわゆる「TRPG冬の時代」と呼ばれていたこともあって、ようやく訪れたファンタジー復権に際し、懐かしさと嬉しさを覚えた次第。
 同じ頃合いに、懐かしの特撮ヒーローやロボットアニメなどへの想いをメインにしたサイト『ホビー館』を立ち上げていたこともあって、コンテンツになるかなあ、と考えたりもしたのですが、
 どうもヒーローやロボット系の記事に手を掛けてしまい、ファンタジー小説やRPGの話にまで手が回らなかったな、と。
 

 だから、10年越しになりましたが、この機に当時を振り返りながら、感想を残しておこうか、と考えた次第。

ファンタジーブームと特撮ヒーロー

 『ハリー・ポッター 賢者の石』に始まるシリーズ。
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 で、この作品のタイトルをもじって、2002年に開始された戦隊シリーズが「忍風戦隊ハリケンジャー」。
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 まあ、世界観的には、魔法学校を舞台にしたハリーに対して、ハリケンジャーの方は忍者学校の落ちこぼれ生徒の3人が、ライバル流派の兄弟と対立しながら、宇宙忍者の侵略と立ち向かう物語。
 もし、忍者学校が壊滅せずに、その設定が継続していれば、よりハリーとの共通点を見い出せたろうになあ。


 さらに、その3年後の2005年、より明確にハリーの影響を受けた作品が、「魔法戦隊マジレンジャー」。
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 ほうきに乗って空を飛び、魔法の呪文や魔法薬といった要素が普通に市民権を得ていた時代背景は、まあハリー・ポッターの功績も大きいでしょうな。
 あと、オープニング映像の撮影舞台がニュージーランドという話題もあって、当時、かの地でパワーレンジャーシリーズの撮影が行なわれたから、という理由なんですが、
 このニュージーランドは『ロード・オブ・ザ・リング』の撮影が行なわれた地としても有名で、自分的にも「魔法の雰囲気を備えた、自然豊かな国」のイメージを強く抱いております。


 TRPG的には、もっともストレートにハリー・ポッターの影響を受けたのが、2002年に発売された『ナイト・ウィザード』だとは思いますが。
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 その後、2007年に改訂版のルールが出て現在に至る、と。
ナイトウィザード The 2nd Edition (ログインテーブルトークRPGシリーズ)


 一方で、新世紀に入って復活した仮面ライダーで、最初に明確にファンタジー色を強く映し出した作品として、2002年の『仮面ライダー龍騎』がありますね。
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 龍騎マジレンジャーは、近年、海外版の再上陸が為されて話題になってましたが、これもある意味、10年前のファンタジーブームの再燃の助走みたいなものかな、と感じたりも。

ようやく旅の仲間

 何だか、寄り道をしましたが、ようやく本編。
 この『指輪』第1作ですが、ファンタジー冒険物としては、この作品がベストですね。第2作と第3作は戦争がテーマなので、冒険ではない。
 好きなシーンとしては、旅の仲間が集い、共に行動するこの場面。

 念のため、9人メンバーの内訳ですが、
 ホビット族からは4人。指輪所持者のフロド・バギンズと従者のサム、フロドの親戚のメリーとピピン。ゲーム的には、「どうして、そんなにホビットに偏ったパーティー編成なんだ?」と思わなくもないですが、まあ『ホビットの冒険』のドワーフパーティーに比べれば、どうってことはないです。
 性格とか職業イメージで分けると、生真面目なフロド(勇者)と、忠実なサム(大柄な戦士格 調理技能を持つ)、気配りのできるメリー(ホビット庄の領主の一族で、騎士との交流を深める)と、いたずら好きのピピン(忍び属性 最年少)って感じになりますか。


 次に、人間が3人。
 魔法使いのガンダルフと、野伏のアラゴルン、騎士のボロミア。
 ガンダルフは厳密には人間ではなく、受肉化した精霊みたいなもの(マイア)なんですが、この世界では限られた力しか持たない、と。特に「灰色のガンダルフ」の時はね。
 アラゴルンは、映画の真の主人公的立ち位置。亡国の王子の血筋であり、一流の剣士であり、荒野をさすらう生活を続けており、職業的には野外生活の達人。薬草学にも詳しく、小説では欠点の全くない完璧超人となっております。まあ、映画だと、より人間らしい悩みを持ったキャラとして描かれてますが、少なくとも第1作ではまだ目立たないです。


 で、悲劇のヒーローがボロミア。
 「フロドを裏切って指輪を奪おうとして、旅の仲間の崩壊を招いた人物」なんですが、その後、「贖罪のために、命を掛けて仲間を守ろうとした」ことで名誉挽回したかと思えば、後に登場する弟のファラミアに「兄は傲慢だった」と評され、微妙な立ち位置にされたわけで。
 映画では、このボロミアの復権が行なわれております。一応、第1作で死んでしまうのですが、第2作のDVD追加シーンで弟想いの面が描かれ、また第1作でもメリーやピピンに剣術を教えるシーンなど、「本来は優しく、面倒見のいい兄貴分」だということを窺わせます。
 フロドを裏切るシーンにしても、小説では相当に口汚く罵るのですが、映画ではそれほどでもなく、また、すぐに自分の過ちを悟る感じの流れになっている。
 また、小説では「旅の仲間」の最後でフロドを裏切り、その後の戦闘シーンと死は続巻の初めになっていたのが、映画では彼の想いを盟友のアラゴルンがきちんと受け取ったところまで描かれ、ラストの後味が良くなってる、と。
 ともあれ、この劇場版ボロミアは高潔度がかさ上げされて、裏切りの原因も、「単純な力への渇望」ではなくて、「人の世界を守ろうとする責任感ゆえ」となっております。
 そして、最初はアラゴルンに対して、「今さら王は必要ない」と攻撃的に振る舞っていたのが、アラゴルンの力量と人格を認めた後では、主君として仰ぐまでになってますから。
 個人的には、このアラゴルンとボロミアの関係とか、旅の仲間の交流をもっと長く見たかったと思っています。で、このボロミアに相当するキャラを、『ホビット』のトーリンだと考えていますので、彼の心情とかじっくり堪能したいな、と。


 残る二人は、エルフのレゴラスと、ドワーフギムリですが、この二人については、第2作以降の感想で。

原作との違い

 この『旅の仲間』を初めて見たときは、ストーリーの違いもさることながら、訳語の違いなんかが気になってましたね。
 昔の瀬田貞二役になじんでましたから、厳密な固有名詞の発音の違いから生じた「白のサルマン」「アイゼンガルド」に対して、「白のサルーマン」「イセンガルド」じゃないと落ち着かないなあ、なんて思っていたり。
 また、「粥村(かゆむら)」が「ブリー村」になったり、とか、訳語が変わった事情とかチェックするのは別の楽しみがあるのですけどね。


 「野伏(原語はレンジャー)」を映画ではどう訳すのかな、と思ったら、「さすらい人」になってましたね。
 あと、アラゴルンの仇名である「馳夫(はせお 原語はストライダー)」は、劇場上映版では「韋駄天」だったりしましたが、DVDではそのままストライダーになっていたり。
 まあ、原作ではしばしば「馳夫さん」とホビットたちに慕われてましたが、映画では意外とアラゴルンホビットたちの会話シーンが少なく、「ストライダー」という呼びかけも、あまり使われてなかった感じ。


 フロドがビルボから受け継いだ名剣「つらぬき丸(原語はスティング)」も、字幕では「つらぬき丸」だけど、吹き替えではスティング。だけど、剣の名前を呼ぶ場面がワンシーンしかないので、さほど印象に残らず。
 小説だと地の文で、何度も「つらぬき丸」という表現で書かれるけど、映画では剣の名前を何度も口に出したりはしませんからね。
 『ホビット』では、どうなってたかな、と思い出してみたけど、まだ第1部では剣に名前が付けられていなかったんじゃないかな(あとで原作読んで、確認してみる予定)。


 で、訳語の問題はさておき、ストーリー的に気になったのは二点。
 トム・ボンバディル*1のエピソードが完全に削除されたことと、
 グロールフィンデルの役割*2が、アルウェン*3に置き換えられたこと。
 まあ、トムのエピソードは、物語には大きく影響しない寄り道ということもありまして、ただでさえ密度の濃い『旅の仲間』のストーリーでは、カットせざるを得ない、という事情は分かります。
 あと、その際に遭遇する「墓人(バロウ・ワイト)」は、後で登場する「黒の乗り手(ブラックライダー)」と映像的に被るだろうなあ、とも(同じような幽鬼めいたキャラなので)。
 グロールフィンデルに関しても、裏設定的には濃いキャラですが、『指輪』の本編では出番があまりないので、削られるのもやむなし。
 問題は、彼の代役がどうしてアルウェンなの? と。彼女のイメージが、白馬に乗って黒の乗り手を翻弄する、実にアクティブな(いささか神秘性に欠ける)存在に変わってしまった。
 で、映画のアルウェンはこの後もこういうアクティブ路線で行くのかな? と思いきや、さにあらず、アラゴルンの夢の中に現われて恋心をささやくだけの出番で、幻想的なイメージだけの存在。それが、フロドを裂け谷に伴う逃避行の場面だけ、浮いてしまった感じだな、と。
 まあ、『指輪』では数少ないヒロイン役なので、より見せ場を印象的にするための改変ということは承知しつつも。


 原作改変でありながら、好印象だったのは、敵役としてのサルマンの出番が増えていること。役者がドラキュラ訳で有名なクリストファー・リーであり、しかも当時、『スター・ウォーズ』でも悪役のドゥークー伯爵で出ていたり、非常に悪役としての存在感が凄かった人。
 で、原作のサルマンは、第1部ではガンダルフのセリフの中だけで、彼の裏切り行為が語られており、登場シーンはなかった、と。
 そんな彼が、ガンダルフとの対決シーンや、一行の旅を妨害するために魔法を使って天候操作するなど、敵役として大活躍。ラスボスのサウロンは、燃える目だけの存在なので演技ができないために、悪の演技はサルマン様に一任された、と。


 あと、原作改変なのに上映当時は気付かなかったのが、「折れたる剣ナルシルを、鍛え直してアンデュリルの剣を誕生させるエピソード」。
 これが『旅の仲間』で描かれなかったために、「ああ、時間がないのでカットされたんだな」と思い込んでいて、この後、アラゴルンの剣はずっとアンデュリルだと考えていました。
 でも、実はアンデュリル誕生のエピソードはカットされたのではなく、第3部に意図的に移されたんですね。これは、アラゴルンに関する最大の改変で、原作では当初から王位を継ぐ意志を見せていた彼が、劇場版ではギリギリまで悩んでいた。
 ボロミアに期待され、戦争を経験して指揮官としての経験を積み、サウロンとの戦いの旗頭に立たざるを得ない局面を受け入れる過程が描かれることで、アラゴルンが王として大成する。
 そういう流れの中で、かつての王が使っていた剣ナルシルが鍛え直される、と。
 この原作のエピソードの再編成の意図を、第3部まで見て初めて理解したことで、感心させられた、と記憶。


 で、実は、今回そのことを失念してしまって、
 第1部をもう一度見て、「あれ? アンデュリルは?」と同じことを考えてました(爆)。
 そして、第3部を見て、「ああ、そうだった。これで、オレ、感心したんだよ〜。それなのに、何をド忘れしていたんだ?」と、もう一度、感心したり、自分にツッコミ入れたり。

ラストで感動

 これは、『ホビット』もそうなんですが、最後のまとめ方でいろいろ感動させられます。
 『ホビット』の場合は、ビルボとトーリンの絆の構築なんですが、
 『指輪』の場合は、フロドを慕うサムの従者愛に全て持って行かれますね。


 敵の狙う指輪を、敵の本拠地モルドールの滅びの山に持っていって破壊するという困難なミッション。
 そして、指輪の誘惑の魔力は強力で、同行する仲間の心さえ蝕んでしまう。
 そのため、フロドはたった一人でモルドールに向かう決意をします。
 しかし、そこに追いすがってくるサム。
 泳げないのに川に飛び込み、命を張って着いて来ようとするサムに対し、やむなくフロドも助けの手を伸ばす。
 あ、考えてみれば、「サム、帰れ」とフロドが言っているのは、「ホビット、帰れ」とトーリンが言っているのと似たような形だな。
 それに対して、相手が受け入れるような真心と命がけの勇気を示す従者。
 ああ、『指輪』第1部のサムと、『ホビット』第1部のビルボは、同じ立ち位置にあったのか、と今になって気付きました(^0^)。
 それだけでも、この文章を書いた意味があったなあ。


 そんなわけで、映画監督のピーター・ジャクソンは、ラストで感動させるツボを実に心得た人だなあ、と理解。
 ともあれ、『ホビット』を見てから、改めて『指輪』の映画の感想を書いてみたのも、自分的に実に意味のある気付きが得られた、ということで大いに自己満足でした。

*1:ホビット庄の近くの古森に住む謎の老人。序盤でホビットを助ける

*2:幽鬼の短剣に刺されたフロドを、追っ手から守るために駆けつけたエルフの騎士

*3:裂け谷の主エルロンドの娘にして、アラゴルンの婚約者の姫君