Shiny NOVA&晶華のNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガールというオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

「第7章・ふしぎな宿り」感想

 2ヶ月以上ぶりなホビット感想です。
 まあ、映画の記憶も細かいことは大分抜け落ちてそうですが、まあ原作と妄想から補完しつつ。
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 DVD(ブルーレイ)は7月9日なので、それを楽しみにしつつ、その時期は仕事が忙しくなるので、じっくり記事書きしてる余裕はなさそう。
 もちろん、第3部とゴジラの映画は見に行くけど。

あらすじ

 ゴブリンの洞窟を抜け、行方不明だったビルボとも合流し、追っ手やワーグ(魔狼)の群れの襲撃からも、大鷲の翼に助けられて、何とか霧降り山脈越えに成功したトーリン一行。
 この後、闇の森から荒れ野を越えて、目的地の離れ山に到着するためには、失った糧食や装備品を補充しなければならない。
 そこで、ガンダルフの提案で、熊に変身する大男ビヨルンの館に避難することになる。
 ゴブリン嫌いのビヨルンは、トーリンたちがゴブリン王を倒して命からがら脱出した話を聞いたりしながら、一行を歓待する。
 ビヨルンの館で休息し、装備を整え直した一行は、闇の森を目指すものの、そこで旅の案内人だったガンダルフが自分の用事のために、別れを告げることになる。
 「困ったときにはビルボの勇気と機転が頼りになる」と言い残して。

 このシーンのメインは、もちろん「ビヨルンの登場と、ガンダルフとの別れ」に集約されるのですが、原作と映画ではずいぶんと演出が異なってます。
 原作は「休息シーン」と「危難シーン」が章ごとにはっきり分かれていて、この章は前者になるわけですな。
 ビヨルンの歓待シーンも描写がコミカルで、「いきなり大勢で押しかけては迷惑だから、初めは少人数で、ガンダルフが話術でビヨルンを夢中にさせているうちに、どんどんドワーフの数が増えていって……しまいに豪快なビヨルンが半ば呆れながら大爆笑で一行を受け入れる」流れ。
 これは、第1章で、ビルボの袋小路のホビット穴に、ドワーフたちが次々と現われて戸惑いながら、冒険の話に引き込まれていく展開と対を為している、とも言えます。小人のビルボに対して、大男のビヨルンの館での祝宴はそれだけで対照的ですし。
 そして、ガンダルフがビヨルンに語る物語は、「これまでの話のあらすじ」にもなっていて、第2部のスタートとしても悪くない。
 映画を見るまでは、「前作のおさらいから、なごやかなスタートを経て、ガンダルフとの別れで仕切り直し」と考えてましたが、じっさいは違っていて、いきなり緊迫感が爆発した、と。

獣に追い掛け回されて

 原作では、鷲に助けられたドワーフ一行は、それ以上、敵の追跡を受けることはありません。
 ゴブリンたちは、王を殺された恨みはあるものの、表立って行動することなく、彼らが物語に再登場するのは、終盤の五軍の戦いに際して、突然、「対峙するドワーフ軍と、人間・エルフの連合軍」の陣構えに襲撃してくる形で、不意に出現するのです。
 「こうして、だれひとり思ってもみなかった戦いがはじまりました」とあるように。
 その場面になって初めて、ドワーフへの恨みに燃えるゴブリンたちが戦いの準備をひそかに進めていたかが語られる。
 でも、映画の方では、そのような突発的展開ではなく、闇の軍勢としてのオーク軍(原作でのゴブリン軍)の動きが、主にガンダルフ視点と、追跡されるトーリンたちの視点で、交互に描かれ、原作の童話的でのんびりした雰囲気を一掃している形。


 まず、過去の回想から、「トーリンがオークの刺客に狙われている」ことが示され、タイトルロールの後で、ワーグとオークの群れがトーリン一行を追いかけているシーンに切り替わる。
 前作ラストで鷲に助けられて、安心できたのは、ほんの一時でしかなかった、ということになります。
 このオークの追跡が継続しているのが、原作と映画の最大の違いかな、と。
 そのため、ビヨルンの館でのんびり過ごすシーンは大幅にカット。一番の休息シーンが、エルフの牢屋に閉じ込められている時、という次第。
 ワーグに追われて走ってると、突然、巨大な熊が乱入。原作を知ってると、これがビヨルンだということは分かるのですが、ドワーフにとっては脅威以外の何者でもない。
 熊はワーグを蹴散らした後、そのままの勢いでドワーフたちを追い回す。
 これこそ、前章の「一難去って、また一難」は終わらず、という展開。


 で、熊の正体を悟ったガンダルフは、時間稼ぎのために、進路をビヨルンの館に定め、主のいない建物に仲間ともども逃げ込み、主を締め出す、という暴挙に出ます(笑)。
 もしも、この時にビヨルンさんに理性があって、しゃべれるものなら、
 「お前ら、誰に断って、勝手に人の家に押し入っとんじゃ!」と言いかねないかも。


 原作では、「あの人(ビヨルン)は恐ろしいから、くれぐれも怒らせないように」とガンダルフさんがおっしゃってましたが、
 映画では、初めから獰猛に怒ってるので、ホビットが「詐欺師みたいに、偽の毛皮を取り替えて売っちゃう毛皮屋さん」なんて失言をして、ガンダルフにたしなめられる間もなかった。
 ついでに言えば、原作のビルボは、「ビヨルンが熊に変身したところ」を、直接見ていなかったりします。ガンダルフの話で聞いたのと、夜中に目覚めて外の物音を聞きながら想像しただけ。
 五軍の戦いでも、ビヨルンが暴れたのは、ビルボが意識を失っている間のことで、あくまで又聞きです。
 でも、映画では、いきなり熊に追い掛け回されるのが初対面、と。

ビヨルンの館

 原作でも、動物屋敷で、大きなハチが飛び回る風変わりな館だったんですが、映画でも、そこはきちんと描写。暗い雰囲気の映画の中でも、一番明るいセットに見えました。
 でも、館の主が出てくると、途端に場面が暗くなる。
 原作ビヨルンは「豪快で陽気だけど、怒らせたら怖い」感じでしたが、映画だと「人嫌いで陰鬱な孤独の男で、怒ってなくても怖い」感じ。
 原作のように、ドワーフがゴブリンを倒した話を聞いて、「よくやった!」と快哉を叫ぶような感じではないですね。むしろ、「お前たちは信用できんが、ゴブリンどもを倒したことは評価してやる。それに免じて、一宿一飯ぐらいの面倒は見てやろう」と渋々言っている感じ。


 ともあれ、原作では最初こそドワーフを不審がっていたけれど、やがて打ち解けあって、冗談を飛ばしながら、友と呼べるくらい交流が進むわけで、後に五軍の戦いでも、トーリンを助けるために激怒して暴れる展開も納得。ビルボも、旅の帰り道で、「ガンダルフとビヨルンが一緒だから安心」と思える程度の信頼を抱いてるわけですが、
 映画では、そこまで交流が進まず、短いシーンで、最低限の助力と警告混じりの助言を受け取って終わり、といった程度。
 こんな陰気で気難しいビヨルンさんが、原作のようにトーリンを助けるシーンを作るためには、単独では描写不足なので、「陽気なラダガストといっしょに戦う」ぐらいの演出が必要じゃないか、と考えてます。
 まあ、ビヨルンとトーリンが打ち解けあうシーンが尺の都合でカットされて、後のスペシャル・エクステンデッド版で補完されるなら、是非見たいですけどね。

ガンダルフとの別れ

 ビヨルンのシーンが、予想よりも短くて、原作と比べて不安と心配があるわけですが、その後のガンダルフとの別れは、見どころですな。

 原作では、最低限の警告はしながらも、明るくあっけらかんと去っていくガンダルフ翁ですが、それに対してドワーフたちは未練たらたら。不満ばかり漏らして、ホビットの気持ちさえ落ち込ませる始末。
 でも、映画では、このシーンが前作のラストの感動をつなぐ名シーンと評価。
 ガンダルフとビルボの心の交流が、第2部でただ一つ描かれるシーンなので、力が入ってるのも分かります。


 映画では、原作よりも指輪の持つ意味が大きく描かれているのですが、ビルボは指輪のことをガンダルフに打ち明けるかどうか、ここでは迷います。


ビルボ「あの洞窟で、ぼくは見つけたんです」
ガンダルフ「何かな?」
ビルボ「(指輪のことを知らせるべきか躊躇してから)……勇気です」
ガンダルフ「(ビルボの真意を図りながらも、言葉どおり受け止めて)そうか、それは何よりじゃ。今後の旅でも必要になるだろうな」


 ちょっと記憶が捏造されてるかもしれませんが(苦笑)、こんな感じのやりとりで、ガンダルフとビルボの短い、それでいて意味深な交流シーンは一旦終了。
 この後、ビルボはトーリンたちと闇の森に入る一方で、ガンダルフの方も原作では直接語られない「大いなる闇」への調査に赴くわけで、ホビットの持つ「小さき者の大いなる勇気」こそが、道を切り開く力になるだろう、とは、第3部まで見て再確認したいところですが。
 そして、ビルボの中では、「指輪、改め、勇気」と言い代えたわけですが、「魔法の物品ではなく、心の力」の方を重視した、と考えるのは、うがち過ぎなのか。
 指輪の持つ魔性は勇気を高めるのか、それとも逆に勇気を高めて誘惑の魔力に抵抗することが物語のテーマなのか。


 このシーンは、原作とは違う映画ならではのテーマを、いろいろ考えさせたなあ、と。(つづく)