今回の地震で、ともすれば、くじけそうになる心。
いろいろな経験積んだ大人でもキツいのに、子供たちがどれだけ不安に怯えているだろうか。
そういう気持ちから始まった一大企画。
http://twitter.com/tokusatsuhero
主催が、カクレンジャーのニンジャレッドというのが、何とも言えない縁を感じます。カクレンジャーの放送は、94年2月から95年2月。つまり、阪神大震災のときの現役戦隊レッドになるんですね。
役者本人は大阪出身ということもあって、やっぱり震災に対して熱い想いを持っている人なんだなあ、と思った。
特撮掲示板で、このツイッターを紹介してくれた方と、互いにヒーロー観を語ったりして、「日常をしっかり頑張りながら、精神的に応援する気持ち」を表明し合っている今日この頃。
祭りじゃねえ
今回の震災について語る際に、自分を戒めないといけない、という言葉。
確かに、勇気づけようと、元気になろうと、応援しようと、外野が盛り上がるのはいい。
けれども、それがハメを外してしまえば、ダメなんだ、と思う。
みんなを励ますために、ヒーロー達が駆けつけてきた。これは、確かに嬉しいことだ。ついつい、他に「○○さんが駆けつけて欲しい」ってリクエストを書きたくもなる、というか他所で書いたりもした。
でも、ドサクサ紛れに、何でもかんでも特撮キャラ総出演で……と考えるのは行き過ぎか、とも。
具体的には、福島の原発に事寄せて、「ゴジラ」を思い出したり、「放射能を吸い取ってもらいたい」と思うところまでは、ありだと考える。
ただ、まともな想像力が働くなら、「仮に今、ゴジラが出現したら」というシミュレートをして欲しい。これで喜ぶ人は、『キングコング対ゴジラ』で、疎開しようというときに「ゴジラ見に行こうよ」と言って、母親に「バカなことを言うんじゃありません」とたしなめられる男の子になっている。
自分もともすれば、現実逃避的にそんなことを思ったりもしてしまうし、今も下手なことを書かないだろうか、と気遣いながら書いたりしているつもり。
ちなみに、最近は仕事の方で保護者懇談をしている時期なんだけど、「子供が、『地震が起こったら学校休めていいな』と口にしたので叱った」という発言もあって、「そりゃ叱って正解ですよ」ってな受け答えをした。
まあ、うちの地域の大人は震災体験者なので、地震に接して、過去の思い出を刺激されて怖がっている。だから、子供の成績より、先に地震の話を出してみて、親戚縁者友人関係に大事ないか、を確認してから、お互いを励まし合うなどして、現学年の総括や、新学年への抱負、考慮点を語り合うのが、今の授業前、および週末の休日のスケジュールとなっている*1。
自分の日常スケジュールの話はさておき、ここで大事なのは、『地震が起こったら学校休めていいな』は、その子なりの不安を隠すための軽いジョークのつもりかもしれない、ということだ。つまり、その子の不安表明を叱ることはいけないのでは、という意見もあるにはある。
そして、自分は基本的に「言論の自由」というものを重んじる人間だ。
ただし、同時に「言っていいことと悪いことがある、という自制心を身に付けること」も教育上、必要だと考える立場だ。
あくまで、「言論の自由は、良識をもって考える市民に与えられた権利」であって、「良識もなく、言いたいことをただ垂れ流して、人を不愉快にさせても、自分は悪くないもんと開き直ることを許す権利」ではない、と考える立場。
こう考えると、「何が良識で、何を言って良くて、何を言ったら悪いのか」の議論が延々と続きかねないので、この辺にしておくけど、「苦しんでいる人間に追い討ちをかけるとか、人の不幸をお祭り騒ぎみたいに考えてはしゃぎ回る」のは、自分の良心に反するなあ、と感じるわけで。
とりあえず、ぼく自身が自省キャラなので、「他人のフリ見て、自分はそうしないようにしないとな」と考えちゃうところがある。
一応、今の自分としては、「怪獣は出現して欲しくない」の立場。ついでに「日本も、世界も破滅して欲しくない」し、「つまらないことでケンカしたくもない」し、『心一つに』とか『勇気と愛で』とか、そういう美辞麗句にコロッと引っ掛かるような精神的状況。いや、自分自身が宗教人の端くれでもあるので、カルトに騙されることはないけどね(苦笑)。
カルトに誘われても、「いや、自分も宗教やってる人間で」と断って、それでもしつこい相手には、「反論説法で切り替えすだけの理論武装」はしているつもり。
ただ、仮に、「特撮ヒーロー教。ヒーローは世界を救う。教祖は円谷さんとか石ノ森さんの声を聞ける」とか言われたら、何だか入りたくなってしまう。でも、そこでたぶん「いや、円谷さんなら、そんなことは言わないだろう」とか「それは石ノ森さんじゃないだろう。むしろ伊上さんだ」とか理屈で反論してしまいそうだ(爆)。
宗教にしても、何も知らずに無心で信じるよりも、きちんと勉強して、いろいろと比較しながら、自分の生きる道を自分で選択したいわけで。
……とまあ、宗教にまで話を広げると、おかしなことになるけれど、ヒーロー役者や声優たちの熱い思いなんかは、信じたい、という気持ち。
PS:まあ、特撮にも、神様はいろいろいるけどね。山形のブジンサマとか、こういうときに動いて欲しいとかね。怒りじゃなくて、優しさで動くオンバケたちなら、出現して欲しいかな。あくまで人助けを考えるフィクションキャラだけを願いたい。
PS2:あと、腐りきった特撮ヒーロー脳では、今回の地震は、「おのれブラジラ。何てしつこい奴なんだ。護星天使の奇跡の力でも、ネガー・エンドは完全には封じ込められなかったなんて」なんて考えたりもしてしまう。おかげで、ゴセイジャー関連のイベント*2は、どんどん休止されてひどいことになってしまった。
ある意味、ゴセイジャーは最後まで不遇な戦隊となってしまったわけで、この雪辱は何としても、ゴーカイジャーに晴らしてもらいたい、と考える今日この頃。
PS3:とりあえず、今は「諸悪の根源はブラジラのせい」とするのが、特撮ファン的ユーモアかな*3。ただ、こんな時期に「天罰発言」するような弱者否定の冷血漢は、フィクションの世界だけであって欲しい。「苦しんでいる人間に追い討ちをかけるとか、人の不幸をお祭り騒ぎみたいに考えてはしゃぎ回る」のは、人としての良心に反すると感じるわけで。