震災が発生して、間もなく1週間になろうとしている。
最初の津波のショックから、その後、連続する余震および他の地域でも発生する大地震*1、そして何よりも、原発問題で夜も眠れない状態になったりもしたわけだ。
まあ、自分は職業柄、昼過ぎ〜夜までがワーキングタイムで、朝は早起きの必要がない夜型人間なんだけど、それでも、夜中の2時になったら大体眠くなるので、その辺で寝るのが普通(たまに3時過ぎ)。いや、来週からは春の講習会になるので、一時的に朝型に切り替えていかないといけないのだけど。
マイ震災体験(阪神編)
それはともかく、まさか一週間経った後でも、地震に怯えないといけないとは思わなかった。悲劇は一度、大きいのが起こって、その後は、少しずつ復興に向けて……と自分の経験から思っていたら*2、地震、そして原発事故が解決つかない状況。
関西では、平和そのものなのに、このギャップがかえってキツい。いっそのこと、ネットを止めて、テレビも新聞も見ずに、何も知らないままでいた方が幸せでは? という誘惑に駆られもした。
でも、それができないでいる。というのも、自分の震災経験があるから。
当時、あれの一番つらかったのは、兵庫南部(阪神間地域)と、大阪の温度差。自分は、神戸と大阪の両方に、仕事とバイトで行き来する環境だったんだけど、兵庫南部の人間は相当の揺れを感じた反面、大阪の人間はさほどでもなかったために、大阪の人間に「自分の怖れや不安を訴え」ても最初は話が通じなかったりする。
地震の翌日に、大阪の職場(塾のバイト)に電話を入れて、「こんな状況やから、休ませてもらえませんか?」と訴えたら、「何言ってるんや。ちょっと揺れたけど、大したことないやんか」と言われる始末。
「ええ? 周り、家倒れたりしてますよ。うちの家も、ひび入ってますよ」と今なら状況を訴え続けるだろうけど、まだ若い自分は、「そうか。これぐらいなら大したことないのか。社会人は厳しいなあ。でも、子供たちに何かあったらどないするねんやろ」とか思いながら、やむなく職場に向かう……と本当に大したことなかった。大阪の被害は、せいぜい建物のガラスが割れたぐらい。
ちなみに、神戸の被害はビルが倒れるとか、で、まだ自分ところはマシだったと。線路が崩れたり、高速道路が落下したり、で、途中も大変だったけど、その辺は途中の駅で降りて臨時運行のバスに乗り換えたり、あるいは地震の被害を受けていない北回りの電車を使って大回りしたり、いろいろ工夫をしながら神戸に向かったりしていた。
冬場は、職場に通うのも苦労しながら、何とかがんばって*3、仕事を続けて、数ヶ月経った春に鉄道が復旧したときは、暗闇から夜明けに抜け出るような気分を味わったりもした。
まあ、自分にとっての震災経験は、家も何とか無事で*4、大阪に行けば、水も食料も手に入ることは分かったので*5、通勤の困難さが一番、印象的。
ただ、水が出ないことを経験したから、「出ている間に浴槽に水をためておいて非常時に備えておく」とか、「食器洗いをしないで済むように、食器にサランラップをまいて、食事後にラップだけ捨てる」とか、「男の小便は外のドブ川でする」とか、いろいろな知恵だけは数回、実践したものの……すぐに水が使えるようになったので、どうでもよくなったり。
電気は……うちの周りは断線しなかったので、今の関東・東北の人の方が不自由していると思います。
見逃したテレビは……95年だから、カクレンジャーとか見てたけど、最終回とか、その前の決戦もちゃんと見た記憶があるので、問題なかったのだろう。ブルースワットは、途中で見るのをやめていて、後でビデオで補完したから、これまた問題なし。
他には、Gガンダム。そう、ぼくがGガンを無性に好きなのは、震災の厳しい時期に、熱血魂を与えてくれたから、すごく印象的だった、というのもある。で、毎週、きちんと録画していたんだけど、最終回だけは見られなかった。いや、3月だから震災のせいではなくて、何かのイベントで東京に行く用事があって、ビデオで録画していたのに家に帰ってきたら、何故かビデオが壊れていた(爆)。よって、あの「石破ラブラブ天驚拳」はリアルタイム視聴ではなく、後年のレンタルビデオということになる。
まあ、とにかく、当時はいろいろ視聴できなくて、涙を飲んだ作品も、後年、きちんと補完できるわけだ。生きて、苦境を乗り越えれば、失った楽しみもきっと取り戻せる。
その時の夢は破れても、何かの形で夢の欠片を紡ぐこともできるしね。これが90年代にいろいろ悲しいこととか、絶望とかを経験しても、21世紀にはいろいろ取り戻すことのできた自分の経験から言えること。
う〜ん、今夜はそろそろ「水戸黄門」のことを書こうと思ったんだけど、地震の思い出回想になってしまった。
ともあれ、神戸の震災を経験した人間としては、宮城とか福島とか、決して他人事とは思えないわけで。津波と原発、自分が経験していないことは2つもあるけど、そこから目を背けるなんてのは、自分の過去に対する裏切りにも思える。
だから、せめて目を背けることなく、苦境を想像して、辛かったり悲しかったりする気持ちを分かってあげたい。
大阪のバイト先の上司も、だんだんテレビで兵庫南部のキツさを理解してくれ、「あの時は本当に大変だったんだな」と言ってくれた。
「それでも、がんばって休まず、働いてくれたんだから、偉いよ」こう理解と賞賛の声を掛けてもらえたときは、涙が出たりも。
……って、昔から、涙もろい奴ですみません。
キンタロス辺りから、「オレの強さにお前が泣いた。涙はこれでふいとき」と言われかねない奴ですが、こんな奴の駄文でも、何かの足しになれば、と。
PS:今さらながら、これまでの自分の文章で、「お悔やみ申し上げる」という言葉を使っていなかったことに気付く。というか、うちは仏教徒で、毎日、普通にお経を唱えていたりする習慣があって、追善供養は常々している立場。
よって、死者の冥福を祈るのは、わざわざ言葉にしなくても日頃からやっている感覚。ただ、よほど自分にとって大事な人(好きな俳優さんとか物書きさんとか)が亡くなられた時には、そういう言葉を使うこともあるけど。
そして、「人が死ぬのは、悲しいことだけど、それは時として運命であり、やむを得ないこと」という死生感も持っている(自分自身も含めて、生老病死は免れない)。「人の死は過ぎたこととして受け入れるしかない。ただ、今、生きている人が、それも自分に縁のある人が苦しんでいるのは、何とかしたいと思うのが仏教徒の慈悲というもの」という感情はある。
自分でも感情移入過多だとは思うし、そのために情緒不安定な状況にも陥って、心理学の観点から「あ、このままだとやばいな」と自覚したときに、意図的に心を閉ざしたりすることもある。まあ、それが時に「亡くなった人」に対する自分でも意外な冷たさになるのかな、と思ったり。
PS2:どこぞのニュータイプじゃないけど、死者の魂に気持ちが引きずられるような想いは、しばしば感じる(いわゆる鬱状態の時)。それはあまりにも危険なので、自分は意図的に「視点を生きている人に向ける」ようにしている。
仏教的には、生きている人間の福徳を、死者の冥福に還元する、という考えもあって、要は生者が幸せにならなければ、死者も報われない、ということ。
だから、このように大勢の方が亡くなるような悲劇に直面したとき、生きている人間は彼らを偲びつつも、自分たちが力強く生きることを約束する。それが弔いという儀式の本義だと信じる。
PS3:とまあ、こんな偉そうなことを書いても、目前の危機には直接、何もする術を持たない一般人なわけで。少なくとも、これ以上の惨事に発展することのないよう、日々祈ることだけはさせてもらいます。
一通りの解決がついた段階で、改めて、この場では、震災の犠牲者に対する気持ちなどを整理することを表明。まずは、現状の危機を乗り越えることを応援しないとね。部外者の立場での冷静な評論はそれからにしたい。
日頃、関心を示してなかったのに、事件が起こってから、問題点をヒステリックにほじくり返して、解決の邪魔をするような論調(マスコミ含む)には与しないのが、自分の立場と宣言。この問題を論じているブログが、一年後もきちんと追及し続けていたら、そういう人間の主張は一考に値すると思うけど、にわか評論家の付け焼き刃の議論に同調するような圧力が、ネットの世界では大きいと思うので注意したい。