White NOVAのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガールというオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

地震とか、ツイッターとか

 本ブログは、基本的に趣味について語るつもりの場所で、時事問題にはあまりタッチしないはずだったのですが、最近は、地震の話ばかりしている気がします。


 いや、まあ、地震に絡めて、趣味関連の話に(多少の不謹慎を感じつつ真摯に)流しているわけだから、本ブログのスタンスには適っているんだけど。
 心理学的にも、激しいショックに見舞われた人間は、最初の1〜2週間は下手に溜め込んだりせず、身近な人なんかに気持ちを吐き出した方がいい。吐き出せないときは、日記とかメモに書き記すことで、ストレス解消した方がいい。現に、そうして自己防衛を図っているケースが多々、観察されている。
 もし、そういう吐き出す機会を持たなかった場合、鬱屈した感情などが心理障害を引き起こす可能性もある……ということで、自分としては適度な発散を試みたり、知人のところに(おせっかいにも)吐き出すきっかけを与えるべく、動き回ったわけですな、この一週間。
 まあ、そこまで考えての行動というよりは、後から心理学の本とか読み返しながら、自分の行動に理屈付けしているだけなのかもしれませんが。


 ただ、気をつけた方がいいのは、最初の1〜2週間は、自分のショックを受けた経験を吐き出すために、いろいろ話すことが精神衛生的に勧められているのですが、それが過ぎる頃合い(本には3週間と書かれていたけど、当然個人差はあるでしょう)には、逆に、「そんなショックな話は聞きたくない、語りたくもない」という状態が訪れます。
 おそらく、3週間という数値は、直接の経験者に対応するもので、
 テレビのニュースなんかで間接的なショックを受けた人は、大体1週間から10日過ぎで、そういう状態に来ているのかな、と考えます。
 自分の場合は、今回の震災で、阪神のときのショックが呼び起こされた感じでもあるので、直接か間接か分かりませんが、まあ、まだ地震について整理していかないと、って時期に来ていると思います。
 今回は、そういう話ってことで。

マスコミ不信

 いや、まあ、「マスコミは嘘ばっかり」と極端なことまでは思ってませんけど、阪神経験者としては、「マスコミで報道されている事実は、あくまでセンセーショナル(派手)なところだけ切り取ったもの」と実感しています。
 阪神のときも、火事とか、倒壊したビルとか、高速道路とかの映像が何回見せられたことか。
 今回も、津波原発の映像が派手な絵になって、時々、避難所の絵が挿入されるぐらいで、実際に生活している多くの人たちの苦境までは映してくれない。


 もちろん、ニュースは視聴者、読者の気を引くために一部脚色されて作られるものであり、客観的な装いをしつつも、レポーターやカメラマンの主観が込められていることは情報社会の常識、とは考えますが、
 それを本当に実感することは少ない、とも言えます。


 今回の震災についても、数年後語られるときには、津波原発の絵ばかり見せられるか、あるいは原発の話は風化されて、十年経つと「津波で大変だった」という言葉でまとめられていることが予測できます。
 東京の人だと、「地震で停電になって、大変だったんだよ」と語って、その間の原発はスルーされる。数十年も経つと、原発事故が都市伝説みたいに「ありえないでしょ」となるかもしれない*1……と勝手な未来予想をしておりますが、
 時代の生き証人としては、後世の歴史家の史料になるべく、がんばってブログ記事を書いているのであります。いや、たぶん、うちの場合は、フィクションネタが多いから、「個人の妄想で、史料的価値は少ない」と扱われるのがオチでしょうがね(苦笑)。


 そんな余談はさておき、自分は、「マスコミは派手なネタだけ切り取るので、それをそのまま受け止めるのは危険」という立場。まあ、公開された重要な資料である、ということまでは否定しないけどさ。
 でも、肝心のことは教えてくれない。
 テム・レイ曰く「ホワイトベースはいい。ガンダムを映さんか」の気持ちで、自分の知りたい情報を探すべく、ネットを漁ることとなったわけです。

ツイッターに接する

 NOVAも一日目は、「宮城と茨城で大変なことが起こっている」としか知らなかったんですよ。
 自宅でちょっと揺れて、テレビ見たら「宮城がすごく揺れて、津波に襲われて」と第1報だけ聞いて、仕事場に行ったから。
 帰宅後、テレビニュースのすごい映像見て、「うわ〜」と、そんな想いで書いたのが、11日のブログ記事。


 土日はまた、仕事(受験とか保護者懇談とかに絡んで)で昼間とかバタバタしていたけど、午前中や夜は、ネットで情報が得られないか? といろいろ検索していた。
 土曜日の時点で気になったのは、翌朝の特撮番組だったんだけど、12日の夜そして翌朝になってから、うちの特撮掲示板に福島人がお二人もいることが判明。十人前後の掲示板仲間の中に、すごい確率だなあ、と思ったりも。
 ちょうど、テレビのニュースでも、津波以外に、福島の原発の危険の可能性なんかをいろいろ言っていて、急いで、手持ちの「日本地図の東北地方・福島」をチェックする。福島の住所のどの辺とかを確認しながら、「中通りは、津波の被害はない。原発からも離れているから、とりあえずは安心」とか、「浜通りは……うわあ、本当に海の近くで大変だったんだ〜」とか、まあ、いろいろチェック。
 その間に、続々、書かれる「無事」との報告を聞くたびに、ホッと胸をなで下ろしたり。やっぱり、自分の管理している場で、顔も知らない相手とはいえ、不幸に見舞われて欲しくないですよ。


 で、テレビのニュースなんかじゃ、不安を煽る報道しかしないから、ネットで情報を漁る。最初は「宮城 地震」で始めて、それから「東北」とか「震災」とか「原発」とか検索ワードをいろいろ試す。
 いろいろ試すうちに、グーグルで「リアルタイム」という機能を初めて使う。
 どうも、自分、機械の新しい機能には鈍感なんだね(苦笑)。
 「何か変なボタンがある。押してみよ」って好奇心が欠如している感じだ。たまたま、何かの本で読んで、「へえ、そんな機能があるんだ。そのうち使ってみよ」と思いつつ、日々の仕事と趣味にかまけて、後手後手になってしまいがち。
 だから、新聞や本で読んで知っているつもりなんだけど、実際に使ったことがない……というものが多かったり。


 ああ、これが最近、新聞とかでも話題になっている「ツイッター」なんだね、とその機能を初めて実感する。
 いや、ツイッターが何か、ぐらいは知っていますよ。「140字以内の短い文章を投稿するツール」だね。友人にもやっている人間がいるし、勧められたこともあった。
 でも、「オレって、長文書きだから、たった140字じゃ書きたいこと書けない。今はブログや掲示板で十分」と断ったり。あと、昔、チャットはどうか、と言われた際も、「いや、リアルタイムでのやりとりはオンラインゲームの中でやってるから十分」と断った上で、その「オンラインゲーム」も時間の都合で長続きしなかったり(爆)。
 要するに、あれこれ理由を付けて、機械に対して保守的な奴なんだね、自分。


 そんな自分が、初めて、ツイッターの面白さの一部を理解したのは、今回の地震の現地の声や思いを知りたいとの考えから、リアルタイムの発信を受信してみて。

生の声に流されて

 そんなわけで、この一週間は、リアルタイムのツイッターから流れる地震の情報がいろいろ興味深くて、ハマッてました。


 で、掲示板やブログとの明確な違いも分かる。
 掲示板は基本的に匿名でない限り、誰がどういうことを言ったかが残るツール。よって、常連さんの発言の傾向とかから、その人の考えとか、背景にあるものを想像するのが楽しかったりする。で、議論になったりすると、共通の意見を持った同士と連携したり、あるいは時に意見の相克をどう取り成すかとか、どの辺で妥協するか、とか、あくまで「相手との駆け引き」みたいなものを考えていく楽しさがある。もちろん、議論にまで発展せずとも、誰かの意見とやりとりをかわすのは楽しい。
 一方、ブログは、基本的にブログ主の意見が主体となる。これは普通にホームページで好きにコンテンツを作るのと同じことか、とブログを始める前は思っていたけど、コンテンツ作りより楽だし、お客さんのコメントも付けやすい、というメリットがある。どうも、ホームページでコンテンツを作っていても、自己満足でしかなく、お客さんのダイレクトな反応は得られにくいなあ、と感じてもいたからね。
 この辺、ホームページのコンテンツと、掲示板と、ブログの比重をどうするか、とか、いろいろ模索しながら、ここまで来たわけだけど、
 ホームページやブログは、基本的に記事を残すもの。一方で、掲示板は、流れるもの、という認識がある。
 まあ、掲示板も容量が大きいといっぱい残せるし、それはそれで一つの財産とも考えるけどね。


 それらに対して、ツイッターは、「自分の意見を残す」ことは主流ではない。いや、もしかすると「自分の意見」すら、流れて、変遷していくもの、と見なすべきかもしれない。つまり、「自分の意見」を世に問うてどうこうって自己顕示欲を満たすツールではなく、その時その場の思いつきを世間の川に流すためのツール。
 で、リアルタイムで見ていると、どんどん、いろんな人の声が流れていくんだよね。
 自分としては、地震に気持ちを揺り動かされる一方で、ツイッターの大量の情報に押し流されたような気分。
 ニュータイプにたとえるなら、「頭の中に、いろいろな人の声が流れ込んで、頭痛を感じたりもする状態」これが、そのまま制御できないと、カミーユ・ビダンになり兼ねない。ええと、ツイッターZガンダムに仕込まれたバイオセンサーみたいなものか? 

まとめ

 そんなわけで、地震について、いろいろ考えながら、その一部なりとも、ブログで吐き出したりして、頭の中身を整理していた一週間だったと思います。
 ツイッターとの接触が、そんな感じですから、まだ正しく受け止めているのかどうか分かりませんが、とりあえず、震災が落ち着いて、自分の目下の仕事も落ち着くタイミング(4月になってから)で、ツイッターを始めてみようかな、と考えた次第。


 まあ、うまく使えるかどうかは分かりませんが、今年はいろいろ新しいことにも挑戦しようとは考えていたので、この時期に心機一転、というのも悪くはないかな、と。
 いつにも増して、論旨の分かりにくい文章でしたが、簡単にまとめるなら「地震をきっかけに、ツイッターを始めたくなった」ということですね。
 いや、そこだけ切り取っても、途中のいろいろな思いとか感じたこととか、伝わりきれないから、こんなに長い文になったんだけど、これじゃ長すぎて、かえって分かりづらいので、やっぱり短くまとめる練習は必要か、とも。

*1:いや、逆に原発に代わる高性能発電機関が主流になっていて、「昔の人はずいぶん危険な物を使ってたんだね。バカみたい」と女子高生に笑われる未来になっている可能性もありますが。