昨日、無事に退院してまいりました。ということで、ようやく日常生活に戻りつつあります。まあ、まだ完治とは言えず、杖が離せない状況ではあるわけですが、自宅の階段の昇り降り*1や、入浴*2なども、家族のフォローなしにこなせるようになったことを確認し、安堵しております。
で、まあ、例によって、この1週間の入院記録を仕上げて、このネタは終わりにしようか、と。
1月15日(月)
「成人の日」……じゃあ、ないんだよなあ、今は。
この日のリハビリは、自転車のペダル漕ぎ15分を、必死にやった。金曜日よりも、きついと感じたのは、土日にリハビリしなかったので、体がなまっちゃったため?
趣味絡みでは、日曜日に家族の付き添いで購入した『タムール記』1巻を読み始める。
この日は、何だかブルーになっていたので、スパロボをプレイする気にもなれず、読書だけで終わる。
1月16日(火)
感覚を取り戻したからか、ペダル漕ぎ15分は支障なくできた。
結局のところ、持久戦では、力の配分が大切なんだけど、その感覚をちょっと失うだけで、難易度が大きく変わることを実感。
NOVAは運動をあまりしない人なので、このリハビリの体力トレーニングを、非常に新鮮なものとして受け止めた。中学時代の一時、陸上部に所属していたことがあって*3、そんな20年以上も前の練習感覚を思い出したりしながら、しんどいながらも、生き生きと練習できた。
リハビリの先生からは、「パワーや体力がないから、まだまだ鍛錬が必要だけど、バランス感覚は悪くない」と言われ、素直に喜んでいる一面も。
リハビリがうまく行くと、一日が全て快調に回るような気が。
『タムール記』を読了して、次にエルリックの新刊に移る。
こちらは少し読むのに時間がかかりそうと判断し、次にスパロボRに移る。28〜31話まで進める。
1月17日(水)
阪神・淡路大震災12周年である。
この日が来るたびに、「場合によると、あの時、本棚の下敷きになって死んでいたかもしれないなあ」という気持ちがよぎる……いや、本好き人間としては、本にうずもれて死ぬなんてのは、ある意味、本望と考えたりもするわけだが、生きて本を読んだり、ゲームをしたり、ホームページやブログの作業をしたり、そして何よりも、自分の周囲に生きている人とコミュニケーションをとったりすることの方が、よっぽど楽しいので、死ぬのは当分、ご勘弁、と怪我した身で思ったりもした。
それにしても、1月17日に入院していると、なおさら、あの地震のことが思い出されるのである。本当に、あの時は家族のみんなが誰一人、怪我をすることもなく、無事でいられて良かったなあ、とか。
朝のリハビリは、この日ようやく、「左脚を使ってもいい」という許可が出る。体重の3分の1までは負荷をかけてもいい、ということなので、測定器で体重バランスを見ながら、3分の1がどれぐらいなのか、自分の左脚のかかとの感覚で覚える訓練である。
歩く際に左脚を使ってもいい。これだけで、ずいぶんと杖の歩行も楽になった。楽になったのはいいけれど、今度の試練は「ついつい右脚のみにバランスが偏ってしまう」癖を直すこと。例えば、立つ際にも右脚だけで立ってしまいがちだし、歩くときにも必要以上に左脚をかばいすぎて、無意識のうちに右に重心が寄った歩行スタイルになってしまう。
左脚に負荷を掛けすぎないように、しかし、庇いすぎないようにするバランス感覚が、かなり難しい。そこを克服するのが、この週の課題となった。
リハビリ終了後も、自主トレで歩き回って、悪い癖をなくすように気を使う。
スパロボRは32〜33話まで進めた。
1月18日(木)
リハビリは、意識しているときは、左脚での歩行に慣れてきた。
でも、とっさに立ったり歩いたりするときは、右脚立ちになって、左脚はつま先のみになってしまい、それに気付くたびに、苦笑いを浮かべることになりがち。
スパロボRは最終話の37話まで終了。勢いで2週目に入る。
1月19日(金)
リハビリでは、体重の半分までOKとなる。翌日退院と決まったので、その後の通院の予定を決める。毎週水曜日の朝に行い、24日に体重の3分の2を左脚にかけ、31日に全体重を左脚にかけ、それができた時点で、松葉杖を外し、オールクリアーな状態になる予定。
それでも、しばらくは走ったり、激しい運動はできないそうな。まあ、元々、そのような運動をする人ではないので、問題は少ないわけだが。
スパロボRの2週目は男主人公のラウルで始め、ナデシコルートを通る。4話まで進めたところで、飽きたので、次はスパロボDに移る。
4話までプレイして終わり。
そして、翌日退院となったわけである。
今回の入院生活を通じて、同室の方々には結構恵まれ*4、時には話し相手になってくれたり、貴重な人生経験など教えてもらったりもした。退院するにあたって、お互いの住所やTEL番などを交換することもでき、良き出会いの機会ともなったわけで。
骨折事故自体は不幸だし、二度とそういう事態にはなりたくない、という気持ちに変わりないが、こういう機会から学べたこと、考えたことは、自分にとっては大きな経験の財産になっただろう、と感じてもいる。
(NOVAの入院記録・完)