Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

天才論その4

スポーツ漫画と天才

 

 前回は、車田マンガの金字塔『リングにかけろ』の天才・剣崎順を掘り下げてみました。

 リンかけとの出会いは、小学時代。最初に読んだのが、最終決戦の剣崎VS高嶺のマグナムVSテリオス、ファントムVS勝利の虹で、読み始めは剣崎が主人公だと勘違いしておりました。

 ちょうど、試合の描かれ方が剣崎視点で、恐るべき新アッパーの誕生を畏怖するように見えましたからね。まるで、高嶺がラスボスみたいな描写で、ストーリーは分かってなかったけど、絵の持つ幻想的なイメージが魂に植えつけられた感。

 で、後から友人がリンかけ全巻を買っているのを知って、遊びに行ったときに読ませてもらって……自分で単行本を買ったのは、その後、『リンかけ2』の際に出た『リンかけ1』の復刻改訂版でした。

 あと、自分で初めて買った車田マンガは『風魔の小次郎』の方で、それと『聖闘士星矢』が自分の車田バイブルとなってます。

 

 で、スポーツ漫画は、他のバトル漫画と比べても、天才が描きやすいな、と思っています。と言うのも、自称しなくても、実況解説のアナウンサーが選手や競技者の天才ぶり、技の凄さを語ってくれますから。

 この恩恵は、ヒーローコメディから超人プロレスに転向した『キン肉マン』でもありまして、各超人キャラの凄さを読者に大いに煽ってくれる。この煽り口調に乗せられて、超人の魅力が引き立つように演出されるわけですな。

 

 一方、このスタイルを持たない非スポーツバトル漫画の場合、誰が解説役になるかが作品ごとにまちまち。あと、冷静な解説役とは別に、感情的な驚き役というのも必要で、1対1のバトルの場合は、戦いながら会話をかわし、お互いの技を解説し合ったり、挑発や驚きなど、いろいろなドラマを見せてくれますが、戦いの当事者視点と、客観的に見える観客視点とでは演出も違っていて、視点変化の妙技を楽しめるのがスポーツスタイルのいいところだとも思っています。

 実のところ、自分の技を自分で解説するってのは、技の凄さはともかく、あまり天才っぽくは見えないんですね。「俺の技はこれだけ凄いんだ(ドヤッ)」って言っておきながら、負ける……というのは、結局、凄い技を持ってる相手を倒す味方側の強さや成長に重点を置いた演出ですが、

 天才の技の凄さは、自分ではなく、観察眼や審評眼を持った対戦相手、もしくは観戦してる解説役にさせる方が天才を引き立たせ、しかも、それを聞いた驚き役が「何て凄いんだ。さすがだぜ」とか舌を巻いてくれて、戦ってる天才は「フッ」と反応するだけで、何も喋らなくてもドヤ顔できる。

 そう。バトル漫画やスポーツ漫画の天才は、ベラベラ喋り過ぎない方が箔が付く。

 

 えっ、すると今、こうしてベラベラ解説してるNOVAは天才じゃないだろうって?

 いや、この記事はバトル漫画やスポーツ漫画じゃありませんし、NOVAも別に戦っているわけではありませんからね。

 ええと、言葉を武器にしている者は、言葉の中身で天才を証明するしかないじゃないですか。ジャンルが違います。

 できれば、NOVAも天才らしく、「フッ」と言うだけで、誰かが解説したり、驚いたりするのを聞きながら、内心でドヤッて思っていたいですが、残念ながら、そういう立場に身を置けるのって、有名なプロ作家とかネームバリューのある人たちですからね。

 自己プロデュースするには、自分のことは自分で上手く解説しないといけないんですよ。言葉で勝負する人間は。

 もちろん、絵で勝負するとか、作品で勝負でも構いませんが、その場合でも、インタビューされて「あなたの作品の魅力は?」と尋ねられて、適切なコメントを返せる力というのは大切ですな。

 ともあれ、天才を引き立たせる創作テクニックについて、あれこれ私見を述べるのが、一連の記事の目的ですが、

 実際のバトルの強さ(実力)はもちろんのこと、例え戦闘力では主人公に及ばずとも、観戦する位置に身を置きながら、適切な審評を行える観察力、解説力を備えることで、天才性をアピールできるわけですし、

 ここで一歩引いた距離から解説することでキャラ立ちするためには、「敵味方に関わらず、客観的な姿勢を崩さない」ということでしょうか。

 「敵対相手の凄さを持ち上げながら、それに対峙する味方の健闘をも称える」、要は両方持ち上げることで、バトルそのものを盛り上げる。自分が解説している戦いは凄いものなんだ、という演出をしっかりできて、それを見聞きする者を酔わせる。

 それができるのが、天才解説役、あるいは天才コメンテーターだと考えますね。

 逆に、口を開くたびに何かをDisってドヤ顔しているのは、本人は溜飲を下げて自分が高みに立っている気分になれますが、そこに同調すると下衆さに引きずり込まれて、天才とは程遠い所業になります。

 

 少なくとも、真の天才は、上を見て凄さを語って、高みを示してくれるものであって、

 どれだけ賢しらぶって、何かをDisってみせても、それでその人の評価が上がるわけではないと考えます。

 だから、「天才は周囲を見下すもの」と勘違いしているクリエイターが描く天才像は歪で、「天才は高みを目指し、良いものを峻別できる者、そして自ら高みを体現できる者」と定義してみます。

 俺の方が凄い(ドヤッ)と満足する豚よりも、世の中にはまだまだこんな凄い奴らがいるんだな、ワクワクして来たぞって言える求道者であり続けたいものです。

 その方が天才っぽくありませんか? 

 

キャプテン翼の天才論

 

 本記事の目指すのは、バスケ漫画の『スラムダンク』なんですが、その前にサッカー漫画の金字塔の『キャプテン翼』についても寄り道。

 ここに登場する主人公・大空翼が天才であることに異論はないでしょう。翼の魅力は、とにかくサッカーが好きであり、『ボールは友達』との名言(人によっては迷言扱いですが)、そして相手の技を吸収する驚異のサッカーセンスと、サッカー競技を通じて人脈を広げていく明るさ、サッカー愛の感化力ですね。

 翼の活躍に心を躍らせ、自らもサッカーの道を志したプロ選手がいっぱいいることを考えると、その感化力は相当なものです。

 コミックの持つ「憧れを喚起する力」は、それだけでもクリエイターの天才ぶりの証明にもなりますが、憧れをどう表現するかが、天才に憧れる我々の指標にもなります。

 

 ただし、翼は自らを天才とは認じておりません。

 どちらかと言えば、天然で無邪気なところがある。他に勝つ、という闘争心よりも、純粋にサッカー競技を楽しむという原動力でプレイしている。

 周囲からは「サッカーの申し子」のように言われていて、「サッカーが三度の飯より好き」とか「サッカーバカ」とか「サッカーに青春をかけている」とか、頭の中の8割以上がサッカーで埋め尽くされているような、朗らかな(微笑ましくも映る)凄みを感じます。

 キャラクターとしては、どんな逆境でもニコッとできる明るさを備えており、チームのみんなを鼓舞する司令塔、こいつがいれば何とかなると安心感を抱かせます。

 連載開始が81年ですので、70年代の泥くさいスポ根ブーム(「血の汗流せ、涙をふくな」の歌詞に象徴される)から、80年代のさわやかでオシャレなアイドル風スポーツ漫画の立役者とも言えます。それがラブコメ方面に走ると、『タッチ』(81〜86年)や『キックオフ』(82〜83年)などの流れになるわけですが、『キャプテン翼』はラブコメ色が比較的薄く、翼の彼女(後の妻)の中沢早苗、三杉の彼女の青葉弥生、松山の彼女の藤沢美子といったフレーバーヒロインが登場するものの、そちらの描写がメインではありません。

 なお、従来のスポ根時代の硬派なイメージを持つライバルキャラとして、日向小次郎がいますので、そっち方面の客層をも取り込める作品ですね。言わば、「80年代のさわやか主人公の翼」VS「70年代の熱血根性路線の暑苦しいライバル日向」という構図で、天才VS努力の激突を印象づけたと言えます。

 そして、中3時代の決勝戦では同時優勝という形をとって、どちらのファンも納得できる終わり方だったんじゃないか、と思いますね。

 

 自分はワールドユース編(94〜97年)までしか翼を追っていないので、21世紀に入ってからのプロ編はほとんど読んでいないのですが、日向に赤嶺真紀という彼女ができていることを今知って、驚きましたね。

 

そしてスラムダンク

 

 今回の本命ですが、90年代を代表するスポーツ漫画だと考えます。

 この作品は、主人公の桜木花道と、チームリーダーの赤木剛憲(あだ名はゴリ)、クールライバルの流川楓、小柄ながらスピードが売りの宮城リョータ、3ポイントシューターの三井寿の5人を主戦力とする翔北高校バスケ部の結成と試合での活躍を描いた話で、一昨年末にも新作映画(TVシリーズで描かれなかった王者・山王戦を含んだ内容)が公開されました。

 この作品は、スポーツ漫画の文脈で考えるなら、80年代のさわやか路線から一転、70年代の泥臭い熱血根性路線に先祖返りしたと言えます。

 また、80年代に流行した学ランを着た不良マンガのエッセンスもあって、挫折してドン底に落ちた若者がスポーツを通じて更生する話と言えば、自分の世代だと大映ドラマの『スクールウォーズ』(1984)を連想したんですね。

 『スクールウォーズ』は教師役が主人公ですが、『スラムダンク』はケンカっ早い熱血不良少年の桜木花道が主人公です。教師役の安西監督という指導者はいて、三井寿との関係性を中心にドラマを見せたりもするものの、基本は選手たちの自主性を重んじたドラマです。

 まあ、見た目はどう見てもおっさんの赤木キャプテンが翔北チームの大黒柱で、彼のアグレッシブな情熱と、素人ルーキーの桜木の破天荒な性格と前向きな成長力、そして他の3人それぞれの天才性と、それを支える周囲の凡人だけども努力と秘めたる実力を持ったサブレギュラーたちの友情と努力と勝利……と番狂わせが新鮮な作品と言えるでしょうか。

 そう、友情……と言うと、桜木と流川の馬の合わなさ、対抗意識は最後まで微少にしか改善されなかったですし、互いの意地の張り合いがピンチをもたらしたり、逆に定石外しの意外性(知将の読みを外す)が功を奏することもあったり、計算外の存在である桜木のキャラ性が物語を良くも悪くもかき乱します。

 桜木が要因となって、勝つこともあれば、負けることもあり、しかし、その敗北から立ち上がる展開も魅力で、スポ根の文脈に乗っ取りながらも、主人公の持つ意外性で波乱に満ちたストーリー展開を示した90年代の傑作と、自分は考えます。

 スラムダンクは天才を語る上で、外せない作品と言えますが、自分の持つ常識「天才を自称するキャラはダサい」という通念を、剣崎順という例外キャラと匹敵する形で覆した稀代の主人公と言えます。

 

 一般的に、スラムダンクで天才と称されるキャラは、どう見てもクールな流川の方ですね。

 スポ根の類型は、「努力型の熱血主人公がクールなエリートライバルと対決して乗り越える」というもので、スラムダンクも基本はこの構図です。

 ただ、桜木は天才・流川に対抗するかのように、自分もまた「天才です」と豪語する(バスケ未経験のド素人なのに)。最初は、天才wwwって感じの面白キャラだったのですが、その努力と持ち前の身体能力と成長力の高さで、読者および劇中人物の見る目が「本当に天才なのでは?」と変わってくる。そして、ここぞというところで主人公らしい輝きを示して、誇りを滲ませながら「天才ですから」と宣言する有言実行ぶりを昇華させた。

 最初から天才なのではなくて、天才を目指して失敗も積み重ねながら、それでも自身の天才性を信じて、諦めずに結果を示して、「自他ともに認める天才」キャラに成り上がった。

 まあ、そこが最後の栄光で、最強のライバル校の王者・山王工業を下したところで怪我で脱落。チームもインターハイの3回戦負けを喫し、翌年の新チームでの雪辱を晴らすことを目指す流れで、桜木も再起不能の怪我からリハビリを頑張る姿で物語は幕。

 友情・努力・勝利で言うなら、未完成の友情と、王者には勝ったけどモブに負けたというどんでん返しで、第一部完。第二部はまだないという状態ですね。未完の傑作と呼べばいいのか、それとも一昨年の映画を機に、さらなる先の再始動があるのか、という段階です。

 

 『スラムダンク』という作品の魅力はいろいろ語れそうですが、自分的には「過去のスポ根マンガの定石をしっかり踏まえて、そのレールを継承しながら、主人公の意外性でたびたびサプライズを見せてくれる」点。

 そして、「天才と言われても完璧な人間はいないのと同様、モブ扱いされているキャラにも輝ける瞬間がきちんと描かれていて、キャラ全員が生きていると感じさせるリアリズム」、つまり世界を動かすのは天才だけじゃないし、友情や努力の歯車が噛み合うこともあれば、噛み合わないこともあって、それでもコツコツ自分の可能性を信じて頑張り続けるひたむきさを描いたことだな、と。

 まあ、お約束の全国優勝には届かなかったけど、挫折からの這い上がりがテーマっぽいので、バブルが弾けて、世の中が暗くなっていた時期に、それでも頑張ろうって前向きさを示した作品として、その時代の少年たち(今の30代後半から40代)のバイブルになっているんじゃないかな。

 さすがに、NOVAのバイブルは70年代から80年代に出会った作品たちですので、『スラムダンク』が心の柱ではないのですが、それでもこの作品の魅力には感じ入るものがあるよって話です。

 

 なお、自分がこの作品で一番感情移入したのは、背が低いというハンデ(それでも167〜8センチはあるので、160センチのNOVAより高いのですが)を持ち前の俊敏さで乗り越えて新キャプテンになった宮城リョータ

 ついで、メガネ君こと木暮公延副主将ですね。他の5人ほどの超高校生レベルの才能は持っていないけど、チームを陰で支え続けた努力マンで、堅実な実力を秘めていて、「奴を侮ったのが敗因だった」と敵チームの監督に言わしめた回もあるという。こういうキャラも大切に描いてくれるところに、作者の器量みたいなものを感じた次第。

 

意外性のルーキーが持つ潜在力

 

 さて、天才について話す場合に大事なのは、誰が何を根拠に天才認定するのかって話です。

 リアルでは、「結果が先」で、後からマスコミが「その過程の経緯」を根掘り葉掘り取材して、「こういう環境が天才を生んだというドラマ」を構築するわけですね。そして、たまにそのドラマを盲信したりして、我が子も天才に育てようという親が現れて、その教育が成功したり失敗したりいろいろ。

 まあ、環境が天才を育てる面と、生来の資質が天才を生み出す面があって、天才を生み出す方程式みたいなものを教育関係者はあれこれ模索するものですが、結局のところ、その教育方法と本人の資質が噛み合うかどうか、またモチベーションとか多くの要因が絡んで来ますので、例えば一卵性双生児で同じような育て方をしても、同じ才能を発揮するとは限らないわけですね。

 すると、教師にとっては、その子の資質をできるだけ正しく見抜く眼力と(人を理解する力)とか、その子の資質を伸ばす練習法の選定(手段を講じる知識とか)、モチベーションを高める意欲喚起力(人間的魅力とか適度な威厳とか)、そういうものを磨いて、計画的に実行させる習慣を付けさせる几帳面さが必要かな、と。

 親や教師が、「お前はやればできるんだから」と言い続けるのと、「何でそんなことができないんだ」と言い続けるのでは、子どもの自尊感情に大きな差がつくので、人間心理として自尊感情が持てるジャンルには手を出すし、自信のないものに挑戦するにはよほどの強い動機付けが必要になる。

 後は、自信があっても、もっと上を目指せと周囲からプレッシャーをかけ続けられると、緊張して普段のパフォーマンスが発揮できないとか、簡単じゃないんですけどね。

 

 ともあれ、そういう教育論のあれこれを踏まえて、フィクションのキャラ造形を考えてみます。

 まず、リアルとの大きな違いは、天才というものを劇中の登場人物ではなく、先に作者が認定することです。こいつは主人公と決めたら、その能力と魅力を決定します。長所や特技はこんな感じで、何が好きで、物語で何をさせたいのか、どんな試練に遭遇するのか、などなど作者に決定権があります(サイコロを振ったりして、ランダムに決めない限り)。

 まあ、案外、我々の能力も、高位次元の神さまみたいな存在が決めたり、ダイスを振ってランダムに決まっているのかもしれませんが、そういう上位存在を認識できない以上は、そこを考えても仕方ありません(考えて思い込めば、宗教みたいなものになります)。

 リアルを気にしなければ、物語の主人公は良くも悪くも、創造主たる作者に愛されていますから、一番多くの才能に恵まれているはずです。少なくとも、作者が想定している物語に必要不可欠な範囲では。

 桜木花道の場合は、抜群の運動能力ですね。ケンカでは作中でナンバー1とは言いませんが、5本の指に入るでしょう。身近なところでは、彼にケンカで勝てる人間は、ゴリこと赤木キャプテンぐらいです。まあ、赤木はスポーツマンですから、ケンカはご法度なんですがね。しかし、強い者相手でも怖気づかない桜木のケンカ根性とメンタルの強さは、作中最強と言っても過言ではありません。

 そして、バスケの能力や運動能力で桜木以上のセンスを持ち合わせた流川も、桜木ほどのスタミナがないのが欠点で、その運動能力をフルに発揮すると、バスケの試合時間(途中休憩を除いて40分間)をフル出場できないという弱点を抱えています。

 桜木の唯一最大の欠点は、初期状態でバスケスキルが0という点で、ルールも技も未習得。運動能力も体力も精神力もほぼ作中、最強値に近いバランス型なので、確かに天賦の才には恵まれているんですね。知力がないという能力的欠点はありますが、バスケにはあまり影響しません(学校のテストには影響しますが)。

 まあ、知力がないと、敵の作戦が何を意図したものか分からなかったり、対応策が思いつかなかったりしますが(ルールを知らないために反則をとられて退場とか)、その辺をサポートしてくれるのがメガネ君こと副主将。

 

 なお、桜木以外の仲間はみんなバスケ経験者なので、スタミナ&パワーのゴリ、スタミナ以外の総合力最強の流川、敏捷性特化の宮城(パワー不足)、かつての天才で秀でた才覚は持っていながらブランク長くてスタミナや感覚が鈍っている三井(しかし遠隔シューターという必殺武器は持ってる)など、それぞれの持ち味があって、数多いスポーツ漫画の中でもチームキャラの個性は卓越してます。

 5人というチーム構成だから、影の薄いモブキャラは一人もいない(この辺が人数の多い野球やサッカーとは違うところ)。まあ、翔北の欠点は選手層の薄さという指摘もあって、バスケは40分出ずっぱりでプレイできる選手は稀だそうだから、交代メンバーの必要性も考えるのがリアリティで、活躍シーンは少なくてもメガネ君とか控えキャラはなくてはならない存在なんですけどね。控えキャラで時間をつぶして、ここぞというタイミングで流川や三井を登場させて反撃に移るというドラマ作りが、監督の采配力になる、と。

 選手交代がキャラの見せ場になる、というのもスラムダンクの魅力かも。

 

 なお、主人公の桜木の場合は、反則退場がやたらと多く、持ち前のタフさが序盤では全くと言っていいほど、機能していないのも天才性を埋没させた要因。

 個人競技ではないので、反則負けにはなりませんが、作者は狙って、桜木が本領発揮できずに悔しい思いをするシチュエーションを用意しているなあ。主人公の本領をいかに発揮させないか、しかし本領を発揮すると、いかに輝くかを少しずつ示していくことで、天才ぶりを小出しにしていく、この手法からは見習うべきものがありそうです。

 桜木より経験豊富で、優れた長所を持つメンバーを用意して、桜木に対抗意識を持たせながら、メガネ君辺りが、こういう技があるよと教えてくれる。で、自分の技を必死に練習して、一つ一つ習得すると、持ち前の運動能力で思いがけない常識外れのパフォーマンスを発揮する。

 その代表がフンフンディフェンスですが、冗談めかした描写ながら、要するに分身殺法ですな。基本的に常識のバスケルールで動いているスラダン世界において、主人公らしい非常識アクションや動きができてしまうのが桜木花道という男です。

 なお、この成長力の高さは、MSに初めて乗った素人のアムロが3ヶ月でエースパイロットになったのと同様、バスケを始めてから4ヶ月の素人の桜木が全国区のエース選手と張り合えるところまで進み、チームを支える大黒柱に育ったという意味で、アムロが天才なら桜木も天才と断言できるわけです。

 連載期間は6年間で、全276話、最初の単行本は全31巻というなかなかの大作ですが、作中時間は4ヶ月。なお、アニメは2年半放送の101話。インターハイ出場を賭けた陵南戦で終わって、原作最終話までは描かれていないわけですが、そこまで描くと桜木のケガという悲劇的末路と翔北敗退まで示すことになって、ストーリーとしては盛り下がってしまう感じなので、一番いいところで終わったのかもしれません。

 山王戦だけをOVAにするという手もあったのでしょうが、今回の映画での復活劇で、そこを描いたこともあって、新たな動きにつながるのでしょうかね。一応、山王に勝って終結、その後の敗北と、桜木のケガから復帰するまでのリハビリシーンは描かれず、で映画はきれいに終わらせた模様ですが。

 

 ともあれ、桜木には「未完の大器」という異名もあって、それは主人公だけでなく、『スラムダンク』という作品そのものが「未完の大器」につながった感じもあります。

 

 主人公が天才だというのは、天才同士の対決を描くスポーツ漫画では当然なのですが、

 自称・天才を冗談めかして見せながらも、ひたむきな努力と資質の開花をコツコツ描くことで、最後に大輪の花を咲かせて「確かに天才だった」と納得させるに至った男の物語です。

 

 なお、教師役としては「諦めたら、そこで試合終了ですよ」を使うといいのですかね。何だか、うちの地元の中学では、定期テストの試験範囲のプリントに毎回、安西先生のそのセリフとイラストが印刷されていて、当の学生にはあまり伝わっていないという(苦笑)。

 今の中学生は、『スラムダンク』を知ってる子が少ないようにも見えるので、教師側の自己満足感が強いですが、ダイ大の時みたいにリメイクアニメが作られたら、また空気が変わるかもしれません。

 

 また、桜木花道という男の面白さは、対戦相手が試合前の事前研究に際して、桜木の下手な時期のプレイを記録映像で見て、必ずと言っていいほど侮るんですね。

 で、実際に桜木と対峙した者だけが、桜木の持つ強さを実感する。つまり、外面だけでは分からない内から出てくるプレッシャーです。

「どうして、この男が翔北のスタメンなのか?」と敵は侮り、稀に桜木の潜在力に気づいた相手も今度は過大評価し過ぎるという的の定まらなさ、心理戦的な主人公のトリックスターぶりが面白い。

 さらに、桜木は流川が嫌いなので、流川にパスを出そうとしない。普通のバスケのプレイなら、一番上手なスタープレイヤーの流川にパスを回すという定石があって、だから流川がマークされるのに、桜木は他のメンバーにパス回しをするので、それを見た相手は「この男、異常に頭が回るのか。こちらの読みを的確に外してくる」という勘違いをしてしまい、とにかく桜木の定石外れの行動と敵の深読みし過ぎのズレ方が、作者の計算された物語作りの面白さを示していたわけで。

 頭のいい敵が合理的な考えから的確な読みをしているのに、それを超えたり、外したりする主人公の意外性というのが描かれると、「予測されるストーリー」と「そこを覆すサプライズ(しかも理由づけはしっかり為されている)」が噛み合って、頭のいい物語を読んでいる感を覚えるものです。

 

 普通はこう考える→しかし、それだと当たり前すぎて芸がない→だから普通じゃないことを考えよう→だけど、ただのデタラメじゃ唐突すぎて読者が納得しない→この主人公らしい奇策は何かないかな?

 

 作者の方にこういう思考過程があったのではないかと想像すると、実に頭がいいと思うし、そこまで筋道を立てた考えじゃなくても直観的にそういう面白さが飛び出したら、そのストーリー構築センスを評価したいですね。

 桜木花道はそういう可能性を実現させた主人公です。

 何せ、天才ですから。

 

 ただ、この手法は、桜木が素人でなくなって、もっと経験を積んで定石が分かって来ると使えません。

 つまり、桜木というキャラの新奇性が消えてしまう。

 これ以上は、この主人公を面白く活躍させられない。そう感じたときに話を終わらせた。

 で、次に宮本武蔵とか、車イスのバスケ選手の話を始めたのでしょうな。

 新しく成長を描ける主人公を意図して。

 

 でも、ここからまた『スラムダンク』に戻って来たということは、桜木花道のその後の可能性が見えたりしたのかな、と期待してみたく。

(当記事 完)