Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

真・主人公論2(ドラえもんの話)

ドラえもんは主人公か?

 

NOVA「さて、前回は思いがけず、大山のぶ代さんの逝去の報が飛び込んできて、『主人公のドラえもん』という言葉をいっぱい聞くことになった」

翔花「そりゃそうよ。『ドラえもん』の主人公はドラえもんに決まってるし」

NOVA「だったら、『ゴジラ』の主人公はゴジラなのか? それとも、宝田明さん演じる尾形なのか? という怪獣映画の問題も生じるし、主人公の静弦太郎が変身しない『アイアンキング』だってある。『鉄人28号』の主人公は金田正太郎くんだろうし、ドラマの主人公と、作品の顔であるロボットや怪獣などのキャラは別物だと考えるべきだろう」

晶華「つまり、作品ジャンルごとに主人公像が変わってくるってことでしょ? それとチーム物だと、特定個人が主人公ではなくて、チーム全体が主人公となって、チーム内部での役割分担もあるのだろうし、その中でチームを引っ張るリーダー役もいれば、現場で一番活躍する若手エースだっているだろうし、主人公はこうでなければならない、という杓子定規で考えるものでもない、と思う」

NOVA「あと、ドラマ上の主人公と、作品の顔としての主人公が別ということは考えられるな。ドラえもんが、作品の顔であることは間違いないわけだし」

翔花「確かに、コミックの表紙にいるわね」

NOVA「のび太とセットでバディ物と考えることも可能だが、勇者ロボで言うなら、『エクスカイザー』に相当するのがドラえもん、コウタ少年に相当するのがのび太と考えると分かりやすいかもしれん」

晶華「つまり、事件に巻き込まれてピンチな小学生と、それを助けるスーパーロボットの関係ね」

NOVA「この場合、社会で日常生活を送っている少年主人公と、彼を助ける超パワーを持った保護者にして友情を結ぶ異世界出自のバディがいるわけだ。視聴者の子どもは少年に感情移入して、自分にも助けてくれるロボットがいたらいいなあ、とその関係性や超パワーなんかに憧れたりもする。共感=同等の感情であり、憧れ=格上を見る感情。主人公に対しては、そのどちらか、あるいは両方が満たされることが望ましい」

晶華「共感と憧れを喚起させる存在が、主人公の大切な資質ってことね」

NOVA「共感は、主人公の気持ちがよく分かるとかだな。主人公が怒ってるときに自分も怒り、悲しんでるときに悲しめる。逆に、主人公が怒っていても、何で怒ってるか分からない場合は、受け手の感情が希薄なのか、作品のドラマ演出が失敗しているかになる。主人公が泣いているのに、何でこんなことで泣くんだ? 弱虫かよ!? と見下して、むしろジャイアンスネ夫の方に共感して、のび太をイジめてスッキリしたいとか、普通に思っちゃう人間は、ドラえもんの面白さが分からないだろうな」

ジャイアンスネ夫の役割

 

翔花「ジャイアンさんみたいなガキ大将になるのが、ぼくの夢です、という小学生はたぶん少数派だと思う」

NOVA「でも、昭和のジャイアンタイプって、フィクションではチームリーダーにはなり得ないんだよな。要は、ボスボロットのボスだし、コミカル3枚目でズッコケドジなデブ番長キャラは3号機のパイロット。リアルでこういうタイプって、運動神経が必ずしも良くなくて、かけっこをすれば鈍足で、集団のリーダーにはなり得ないと思うんだが、ジャイアンは稀有なリーダーシップを取れるゴリマッチョだ」

晶華「運動神経はいいよね、ジャイアンさんって」

NOVA「ドラえもん世界では、最強の肉体を持っていて、ファンタジー世界では頼れるファイターになることは間違いない。さらに、音波兵器を持っているからな。ドラえもんのいないチームだったら、のび太の射撃能力を除けば、最強の戦力であることはまちがいない」

 

翔花「一番、役に立たないのは、やはりスネ夫さん?」

NOVA「劇場版の異世界では、本当に使える能力がないんだよな。今の声優的には、突然、石破天驚拳を撃ち放っても、俺は驚かないんだが」

晶華「スネ夫さんが突然、流派・東方不敗に弟子入りしたら、多くの視聴者さんが驚くわよ」

NOVA「声優ネタはさておき、TRPG的にはスネ夫って、社交系技能にいっぱい割り振って、コネの力で情報収集や利益を勝ち得るキャラなんだよな。だから、異世界に行くと、コネが使えないし、だったら口先を駆使して交渉能力を発揮できるかと思えば、そこまでの社交経験は持っていない。まあ、もしも劇場版の異世界で数年間を生活していれば、異世界の人間関係や常識を習得して、持ち前のおべんちゃら社交能力を活用する機会もあるだろうが、どうもスネ夫の役割といえば異世界で自分の常識が通用せずに怯える等身大の小学生』という残念な一般人というか、驚き役でしかなくなってしまう」

翔花「せめてオタク属性が発達していれば、異世界転移しても知識で状況解決を図ろうとする役割ができるのでしょうけどね」

NOVA「オバQにおけるハカセだったら頭脳労働で解説役もできるんだろうが、ドラの世界だと、ドラ自身が解説役を務めてくれるから、スネ夫が知識でマウントをとれないんだな。出木杉というアッパーバージョンの天才もいるわけだし、スネ夫は学業成績で中の上、親のコネと流行り物へのアンテナが鋭く、内輪の人間関係の立ち回りの良さ(悪くいえばセコさ、小狡さ)もあって、リアルだと無難に世渡りしていけそう」

晶華「一応、ジャイアンさんにとっての作戦参謀的な判断力と、ラジコン操縦の腕、手先の器用さはあるみたいだけど」

NOVA「スネ夫のラジコンが活躍する映画だと、これがあるな」

NOVA「関さんのスネ夫になると、フィクションの世の中もオタク知識の有意性を認識するようになったのか、スネ夫が作戦参謀だったり、エンジニア的な技能の持ち主だったりして活躍する場面も増えているらしいけど、俺があまり作品をじっくり追っていないからなあ」*1

晶華「とにかく、のび太さんの射撃能力と、ジャイアンさんの身体能力は小学生離れした超人クラスに達しているけど、スネ夫さんの場合はそこまで盛られていないってことね」

NOVA「言わば、リアル系なんだよな、スネ夫って。スパロボで言うなら、回避は得意だけど、攻撃能力に欠けるというか、精神コマンドは『ひらめき』『集中』はあるけど、『熱血』とか攻撃力アップはできない感じ」

翔花「ガンキャノンのカイさんみたいな立ち位置かしら」

NOVA「どうだろうな。『補給』とかサポート系精神コマンドは持ってそうだけど、それはともかく、『ドラえもん スパロボ』で検索してみると、下の同人ゲームを見かけてしまった」

 

鉄人兵団の話

 

晶華「鉄人兵団は、数あるドラえもん映画の中でも、とりわけSFロボ色の濃い映画みたいね」

NOVA「俺がドラえもんを追いかけていた時期に、最後に見た映画ということになるな。作品としては、ターミネーターの影響もあると思ったが、男の子にはザンダクロスに感じ入るとともに、女の子にはしずかちゃんとゲストヒロインのリルルの関係性を味わってもらう内容か、と。2011年のリメイク版だと、ザンダクロスの頭脳カプセルが変身したヒヨコ型ロボットのピッポのび太の関係性にもスポットが当てられたみたいだが」

翔花「つまり、旧作は男の子がバトル担当で、女の子がドラマ担当ってことね」

NOVA「もちろん、のび太とリルルの関係性とか前半では描かれていたけれど、絆という意味では、やはりしずかちゃんの方がゲストキャラとの交流という意味での主人公をしていたことになるわけだ」

晶華「やっぱり、主人公には、ドラマとしての絡みが必要ってことね」

NOVA「そりゃ、映画を見に行く目的は、感動したいからだろう? とりわけ、ドラえもん映画はゲストキャラや動物との絡みを通じたドラマ部分と、異世界の友達や世界のピンチを助ける小学生たちの冒険と、友情や仁義に篤い格好いいジャイアンの活躍が目玉じゃないか。もちろん、ドラのひみつ道具の数々にもワクワクするわけだが」

翔花「うん。すごい特殊能力を持った主人公の活躍で、困っている人を助けるのがヒーロー物の醍醐味ってものね」

NOVA「TVは小学生の日常のドタバタコメディを描き、劇場版は非日常の冒険で派手なアクション活劇を描く。クレしんだって、コナンだって、大筋はそうだろう? いや、まあ、それらの劇場版も実は見てないんだが。ネットで断片的に覗いたり、あらすじを読んだりする程度で、知ったかになってる」

晶華「実物は見てないけど、何となく分かったつもりになってる作品って、結構あるものね」

NOVA「その場合、人伝ての話で分かったつもりにはなるが、自分の好みに合っているかどうかの判断材料にはなっても、見ていないものを雑批判するのはどうかと思うし、ましてや実際に見て楽しんでいる者に見ていない作品の悪口を言ってしまうのは無粋というか、まあいろいろ」

翔花「知っている範囲で語るとか、知らないものの悪口を調子に乗って語るとボロが出るってことね」

NOVA「作品批評の前提は、物を見たうえで……というのが筋だと思うが、それはさておき、アニメのドラえもんについては、知っているつもりで、40年のうちの7、8年程度という自覚を改めて持つことにした。例えば、同じドラえもんでも、時期による作風のマイナーチェンジはあるだろうし、見たことのある映画の話でも、世代が違えば、知識のズレはあって然るべきだと思うんだ」

晶華「さすがのNOVAちゃんも、全ての戦隊や仮面ライダーは追っかけていても、ドラちゃんの映画を全て追っているわけではないってことね」

NOVA「戦隊やライダーは卒業して、出戻ったりしていたわけだが、ドラは86年に卒業したようなものだからな。大人になってまで積極的に追いかけたわけじゃない。まあ、ニチアサ見てると、ドラやクレしんの番組宣伝CMが入ったりするから、視野には入って来るんだがな」

翔花「で、鉄人兵団までが思い出だ、と」

 

改めて主人公論

 

NOVA「で、ドラえもんの劇場版と、TV版は作劇手法が異なるから、ドラマ面で考えると主人公の扱いが異なるんだな」

晶華「どういうこと?」

NOVA「TV版は基本的に、のび太がドラにひみつ道具を要求するのは、日常の雑事のためだ。主にジャイアンスネ夫にいじめられたり、からかわれたりするのを見返してやりたいという私的な報復のためだな。たまに、困っている家族やゲストの友人を助けるためとか利他的な目的もあるが、物語の中心は『ひみつ道具の登場理由と、その不思議な効力、それによって日常がどんな面白い変化を見せるか、しかし便利すぎる道具のデメリットは?』というフォーマットを考えて、最後に誰かが酷い目に合ってオチを付ける。稀に感動的なエピソードもあるけど、基本は日常コメディだし、登場人物の成長もない。これがTV版だ」

翔花「映画は冒険物語だから、異世界に行って帰って来るのが基本ね」

NOVA「そうだ。そこにはゲストキャラとの出会いと交流と別れのドラマが付いて来るし、敵役とのバトルだって用意されている。コメディ要素もあるけど、大筋はシリアスで、のび太がヒーローとして格好よく活躍する。つまり、いつもはただの小学生だった彼らが、ドラえもんの未来科学を活用して、困っているゲストを救うのが基本フォーマットだ。ただし、鉄人兵団は少し異なるな」

晶華「リルルは最初、敵の女スパイロボットなのよね」

NOVA「侵略者の尖兵だな。鉄人兵団という侵略者が地球を襲撃に来るという大筋があって、彼らをひみつ道具の作り出した鏡の世界に引きずり込んで、現実の地球に被害を出さないように仕向けたわけだが、もしもドラえもんがいなければ、地上は大惨事になっていたろう」

翔花「劇場版のドラって結構、物騒な悪党が出て来るけど、鉄人兵団はトップクラスね」

NOVA「基本的に、劇場版ドラは異世界冒険なので、のび太たちの普段の日常の街は壊されないんだが、メカトピアから来た鉄人兵団は圧倒的な戦力で、鏡の世界の都市を大規模に破壊して、地球人狩りを企てている。確かに、この作品だったらスパロボに登場させることも可能』というのは一理ある。敵の部隊は、グレンダイザーのベガ星人や、ザンボットのガイゾックその他の侵略者とやっていることは大差ないわけだしな」

晶華「すると、リルルさんの立ち位置はグレンダイザーのナイーダさんに近い?」

NOVA「アンドロイドスパイだから、それが改心するエピソードと言えば、プリキュアのルールー(キュアアムール)とか、ビジンダーとか、いるにはいるがレアケースだと思う。ただのプログラムではなく、人間並みの心を持った人工知能というものを設定しなければいけないし、キカイダーという人造人間主人公だから、良心回路という設定で葛藤する機械人形という先駆的な設定を生み出せたわけだが」

翔花「でも、ドラちゃんは人間並みの心を持っているよね」

NOVA「そうだな。藤子ワールドだから、心を持ったロボってのも比較的容易に登場させられるとして、敵勢力に所属する女スパイが地球人類の優しさに絆されて、敵を裏切る話はヒーロー物やロボット物でたまにある。裏切りのくノ一設定の亜流だが、ドラえもんでそういうセンチメンタルな話を描いたのが本作の特異性とも言える」

晶華「レギュラーヒロインの優しさに感化されて、ゲストヒロインが葛藤した末に、自己犠牲の末に世界改変を果たしてみせる物語か。実質的に、彼女こそがこの映画の主人公と言えるかも」

NOVA「そうなんだよ。劇場版のドラえもんでは、作品ごとに異なる背景世界を用意して、そこで生じるレギュラーキャラとゲストキャラの交流がポイントになるが、交流の末に最も精神的な変化というか成長を遂げた人物をドラマの主人公とするなら、鉄人兵団の主人公はリルルと断言してもいいかもしれない」

翔花「主人公かどうかはともかく、より良い世界のために自らを犠牲にして、奇跡を起こすヒーローやヒロインは確実にエモいものね」

NOVA「安易な自己犠牲については賛否両論あるだろうが、他に選択肢がないとか、それまでに交流ドラマをきちんと重ねている(フラグとも言う)とか、その散り際を美しく劇的に描くとか、散った後の残された人の悲しさをどう表現するかで、惜しいキャラを亡くした(涙)と感じさせたら、作り手の勝ちだな。それを丁寧に描く文章や絵などの技術があれば、良き演出テクニックの持ち主と言えるが」

晶華「主人公自身の死はなかなか描けないので、主人公は散り行くキャラの哀しみを受け止める側になるのが普通だけどね」

NOVA「今回は、ドラちゃんの声優が亡くなったことをきっかけにした記事だけど、思い出をいろいろ手繰り寄せながら、ドラマの主人公の持つエモさについても考えてみた。レギュラー枠とは異なるゲスト枠での中心人物もあるわけで、ドラマの中心が主人公なのか、それとも主人公はゲストメインのドラマを受け止める役どころなのか、他人の悲劇や不幸に際して視聴者の哀しみを掻き立てるために泣いてみせるのか、いろいろな描き方がある」

翔花「悲しいときに涙を流せる方がいいと思うな、わたしは」

NOVA「喜怒哀楽の表現はお芝居の基本だとも言われるが、キャラの感情表現に受け手も感じ入れるなら、共感性の高い主人公を描けるのかな、と思う」

晶華「主人公の条件は、受け手に共感や憧れを感じてもらえることという結論だったわね、今回は」

(当記事 完)

*1:そこで改めて、自分が積極的にドラえもんのアニメを追いかけていた時期を考えると、79年から86年の7年ほどということになりますな。以降は、飛ばし飛ばしで見たことがある程度だし、87年の『竜の騎士』以降の劇場版も01年の『翼の勇者たち』を見に行ったぐらい。これでは、ドラマニアとは到底呼べないお粗末さです。だから、40年を超えるドラ映画も、素で語れるのは8作程度で20%。よくよく調べると、のび太が主役として活躍しない映画や、スネ夫にスポットが当たる映画もあるそうで、自分が当記事で語るのはマニアではない浅薄な一般論と認識した方がいいか。