Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

天才論の後書きめいた長〜い雑談

会話劇ふたたび

 

NOVA「ふう、終わった終わった〜」

晶華「甘いわね、NOVAちゃん。真の天才なら、こんな時にも『フッ、終わったな』と格好よく決めるものよ」

NOVA「いや、俺は格好つけの天才よりも、愛される天才を目指しているからな」

翔花「愛される天才って?」

NOVA「いけ好かない孤高の天才ではなくて、普段は親しみやすい好々爺だけど、実は天才だったとか、下町の親切なお医者さんが実は天才外科医だったとか、仏のようなニコニコおじさんが実は鬼監督だったとか、そんな感じ?」

晶華「越後のちりめん問屋が実は先の副将軍だったとか、昼行燈の同心が実は凄腕の暗殺者だったとか、そんなノリ?」

NOVA「そうだな。天才キャラって、そういう奥深さも伴ってこそなんだと思うね。まあ、どこを切っても天才が服着て歩いているような剣崎みたいなキャラも、上手くハマれば格好いいと思うけど、あれは高嶺竜児の天才性を引き出すための踏み台が進化発展したものだからな。かませ犬の小悪党に堕ちていても仕方ない序盤のボスキャラが、誇りと潔さで自らの弱点と敗北を受け入れ、一皮剥けた成長を遂げて、主人公を盛り立てるフォロワーシップを見せたところで、魅力を発揮したわけだ」

晶華「誇りと潔さかあ。NOVAちゃんにはある?」

NOVA「潔さには自信があるけど、誇りが微妙だなあ。割とコンプレックスの塊で、自尊感情と劣等感の間を行ったり来たりだと思うので、自分では何とも。ただ、『誇り』を現実的に実体化させる方法論というのがあって、一例として次のステップから成るようだ」

 

  1. 自分の仕事や作業の重大性を認識する
  2. 継続性に努める
  3. 自分の役割をきちんと果たす
  4. 周囲の仲間をフォローする
  5. 違いや変化を意識する
  6. 周囲の意見を尊重する
  7. 周囲の人間を称賛、感謝する

 

NOVA「これができてこそ、世間に誇れる人間らしい。まあ、天才とは少し違うけど、チームの一員として、また創作キャラとして愛すべきキャラの条件にはなるんじゃないかなあ」

晶華「1、2、3は自分のことよね。自分が大事な仕事を頑張っていると考え、それをコツコツ続けて、自分の仕事で結果を出すってのは」

NOVA「どんな仕事を頑張るか、どこまでの結果で満足するかは人それぞれだけど、自分の仕事や作業を誇れない人間は、自分を誇ることなんてできないよな。まあ、自分の誇りに対して、周囲の称賛が追いついて来なくて、称賛願望が満たされないままに肥大すると、誇りがそのままコンプレックスに落ち込むんだが」

翔花「自分は一生懸命頑張っているのに、周りは認めてくれないとか?」

NOVA「これにはいろいろなケースがあって一概には言えないんだが、自分のやってる仕事と、周りの求めるものが思いきりズレているとか、そんなことはしていらんということにばかり一生懸命になる人間が結構多いな。

「例えば、金の出る鉱山を掘る穴掘りは求められるが、とにかく穴を掘ればいいんだろう、と隣の家の庭をどんどんスコップで掘るのは迷惑だし、人の通る道とか辺り構わず掘っても意味がない。穴を掘って褒められる場所と、そうでない場所の区別が付いていないのは、労力の無駄遣いだ」

晶華「サッカー漫画なのに、ギャラクティカ・マグナムを打つようなものね」

翔花「ボクシング漫画なのに、ドライブシュートみたいなものか」

NOVA「どっちも反則だ。いくら技が凄くても、状況に噛み合ってなければ、笑えないジョークになってしまう。まあ、サッカーに空手を持ち込んだ若島津健というキャラがいて、ゴールキーパーだから手を使ってもいいという条件下で活躍した。大人になってからは、前線でアタッカーを務めるフォワード役を兼任するようになったそうだが、2つの役割を兼任できる多彩さは、野球の大谷の例を挙げるまでもなく天才と見なされるな」

晶華「何でもできるというのは強みね」

NOVA「一芸に秀でるのも大事だが、自分の強みが活かせない場面で、実はこういう技も持ってまして……と適切な隠し技を習得しておくのも、特に序盤だけ使った基本技を終盤のここ一番というところで逆転の契機として使うと、最初から追っかけてくれていたファンサービスとしても格好いい」

翔花「終盤で、初期フォームの基本特性が勝利のカギになるってことかあ」

NOVA「『今さら、そんな弱いものが何の役に立つか!』『これにはこんな使い方もあるんだ〜』『バカな。弱いと思って見くびっていたら、甘く見たのが敗因か』……という展開は結構好き。これは、技やフォームに限らず、キャラでも同じで、マークされている天才ではなく、弱いと見なされているキャラの意外な活躍を見せられると、この作者のキャラ愛は見事だな、と。

「シーンによってスポットが当たるキャラ、当たらないキャラなどいろいろいるけど、物語の登場人物って劇団の一員と考えたら、座長の作者が自分の世界の登場人物をギャグでもないのに、つまらないモブキャラ扱いするのはどうかと思うぞ」

晶華「それは、4、6、7の『周囲のフォロー』『周囲の意見尊重』『周囲への尊敬、感謝』に通じると思うけど、どこが違うの?」

NOVA「それを掘り下げてみるか」

 

天才の周囲との関わり方

 

NOVA「天才は努力の異名という言葉もある。ナポレオンやエジソンの言葉として、似たような言葉が引用されることが多いが、天才の必要条件が、結果を出すまで努力ができるということだな。その努力の先が見えてるのか、それとも好きだから努力も苦にならないのか、努力の方向性がたまたま運よく時流に噛み合っていたのかは知らないが、とにかく気まぐれで飽きっぽいのでは天才とは言えない」

晶華「じゃあ、NOVAちゃんは無理ね」

NOVA「俺は気まぐれだが、飽きっぽくはないぞ。いろいろな物に目移りをして、一点に定めるのに苦労するが、一回定まると、今度はテコでも動かず同じことをやり続ける執念もあって、その時には周りが全く見えなくなる。簡単に言えば、両極端って奴だ。扱いにくいこと、この上ない性格だと思う、自分でも」

翔花「あるときは集中しろと怒られて、集中したら今度はもっと周りのことを意識しろって言われて、パニクる人っぽいわね」

NOVA「相手の言葉を、その都度、真に受けすぎるんだな。ちょうど良い加減を自分で判断するのに手間がかかるというか、判断の振れ幅が大きすぎるというか、人の話を聞いて、かえって混乱するから、何が正しいのかは自分で本を読んで納得するしかないと。他人の意見は、その場その場の気まぐれで当てにならない、とまで思っていて、聞いた話を鵜呑みにする危険は中学生時代から感じていたな」

晶華「小学校のときは?」

NOVA「たいへん素直で可愛い良い子でした」

晶華「自分で自分のことを可愛いって言う?」

NOVA「いや、自分じゃなくて、周りの人がそう言ってたんだ。まあ、小学校卒業時の身長が130センチで、小ちゃくて、色白で、客観的に女の子みたいで可愛いと言われて来たんだ、周りの女の子に。今の時代だったら、『男の娘』として売れたかもな」

翔花「だから、今もNOVAちゃんって言われてるのね」

NOVA「俺のことをNOVAちゃんって言ってるのは、お前たちだけだ。普通は『NOVAさん』だろう。ちなみに、俺の小学時代の夢というか理想的な自己像は『いつか改造されて、格好いいヒーローになってやる』というもので、その夢は叶わなかったんだが」

晶華「改造人間が夢だなんて、叶わなくて当然ね」

NOVA「まあ、改造されるのがダメなら、改造する方がいいか、とか、いろいろ気まぐれに目移りした結果が、物語を作る方だったわけだな。そして演じる方も夢だったが、いずれにせよ、フィクションしか目に見えてなかったと思う。さておき、いろいろ夢みがちな可愛い男の子だった小学生NOVAくんは、その後、紆余曲折を経て、今は精霊少女の娘2人と天才について語っている次第だ」

翔花「夢みがちなのは、今も変わってないわけね。可愛くはないけど」

NOVA「50を過ぎたおっさんが、可愛いを己の属性として自認していたらキモいよ。可愛いと天才だったら、どっちを選ぶ? と言われたら、当然、天才を選ぶね」

晶華「可愛い無能と、醜い天才というのは、女の子にとって究極の難問かも」

NOVA「そのネタも、ザンスで描かれていたな」

NOVA「このカメレオンというのは、実はヒロインの名前だ。月の満ち欠けによって、可愛さと知能が反比例で変動する。白痴美人と醜悪天才の間を移り変わっていくんだ。前者がウィン、後者がファンション、中間の状態がディーとそれぞれ名乗りながら、主人公の無能魔法使いビンクの冒険に3人のヒロインが絡んでくるように見える」

翔花「無能魔法使いってひどくない?」

NOVA「ザンスの世界って、誰でも魔法を1つ発現させるって設定なんだが、ビンクは魔法が発現しなかったので、このままだと世界から追放されてしまう。だから、自分の魔法の力を求めて、冒険に旅立つんだが、そこでビンクの『隠れた魔法の才能の正体は……』ってこれ以上、ネタバレはしない。少なくとも、魔法使いにとって、ビンクは天敵みたいなものだからな。俺じゃ、どうやってもビンクには勝てない。たぶん、お前たちでもダメだな」

晶華「って、相変わらず、寄り道脱線回路はフル稼働のようね。ザンスの話をしたかったんじゃないでしょ? 小見出し読みましょうよ」

 

NOVA「『天才の周囲との関わり方』……ってことは、俺が周囲と関わっている姿を見せればいいわけだな。寄り道してないじゃないか」

晶華「解釈の問題ね。まあ、天才の気まぐれに付き合うのは、周りが大変だって話なら納得だけど」

NOVA「だから、天才には、暴走を適切に軌道修正してくれるアシスタント役が必要なんだよ。とにかく、4番の『周囲のフォロー』というのは他人の欠陥やミスをフォローできる程度の能力と、気づかいを示すことで、自尊感情は高まるってことだな」

翔花「人助けは、自分も助けるってこと?」

NOVA「だから、ボランティア活動というのは、自尊感情を育むのに有効なんだ。自分が誰かの役に立っているという感覚は、社会の一員としての自分の立ち位置を確認することができる。ただし、望まぬ手伝いを強要されている奴隷奉仕とか、能力が足りていないのに手伝いをして失敗して、他人に迷惑をかけてしまい、かえって自尊感情を損なうケースもあるから、難しいんだな。ボランティアに対する上から目線の暴言もあったりするわけで、他人のフォローは自分のことがある程度できるようになってからの方が望ましい」

晶華「フォローしているつもりが、余計なお世話になっちゃうこともあるのよね」

NOVA「親切心の逆効果とか、善意の押しつけとか、いろいろとフォローの失敗ケースが考えられるな。上手く周りをフォローできて、周りからの感謝や好感度稼ぎをできるのは、それだけで誇らしさに通じるが、そうなるためにはフォローをそつなくこなす能力と、相手がそのフォローを求めているかの観察および判断力と、それからフォローされた相手の自尊感情を傷つけない程度のコミュ力が必要だ」

翔花「助けておいて、『こんなことで手を焼かすなよ。いちいち世話のかかる奴だ』と照れ隠しなのか、グサッと来る憎まれ口を言うのは、逆効果ね」

NOVA「ツンデレとか、プライドの高いライバルを表現するにはいいけど、普通はこんなことを言う奴に助けられたくないと思うよな。わざわざ助けて文句を言う心理というのは複雑だが、『こんなドジを踏むとは、お前にしては珍しいな。何か悩みでもあるのか? よければ相談に乗るが』と言ってくれる先輩キャラはポイントが高いと思う」

晶華「後輩だと?」

NOVA「『先輩にしては珍しいミスッスね。何か問題でも? 愚痴ぐらい聞きますよ』って感じかな。『先輩、スランプッスね。このままだとレギュラーの座も俺が奪っちゃおうかなあ? あっ、冗談ッス。そんなに厳しい目で見ないで下さいよ。先輩のこと、こう見えても尊敬してるんですから。先輩だったら、そんなスランプ、すぐに乗り越えて下さいよ。可愛い後輩が応援してますから』『可愛い? 生意気の間違いじゃないのか。お前に励まされたんじゃ、余計に落ち込んじまう』……って、何を先輩と後輩の会話劇をさせてるんだよ!?」

翔花「テキトーに質問したら、どんどん会話芸を見せてくれる感じね。面白い♪」

NOVA「まあ、いろいろな会話パターンがインプットされているからな。とりあえず、天才らしいフォローの仕方を考えるなら、フォローしながら挑発見下し、フォローしながらドンマイと励ます、フォローしながら『貴様ほどの男がこんなミスとは珍しい。今のは借りにしておく。いつか返してもらうからな』とクールっぽく持ち上げるなどなど、そのセリフで主人公と読者にどんな感情が引き起こされるか、作者が想像できないと適切な会話劇は描けないだろう」

晶華「憎まれ口を聞いているのに、深い信頼で結ばれたライバルと言われても、描写がそうなってないとチグハグね」

NOVA「深い信頼で結ばれたって結論だけを示す設定だからダメなんだ。読者は、深い信頼で結ばれるようになる過程を見たいんだから、作者がそれを見せていないのに、そういう結論で関係性が完結して閉じてしまっている脳内設定だけを語られても、感情移入できなくてつまらない。恋愛劇で、すでに恋愛成就してる関係を見せるようなものだな。過程を見せずに、作者の脳内でできあがった結果の関係を描いているのじゃ、キャラや物語が生きていない。

「天才も同じで、天才という結果ではなく、天才として育つ過程を読者は読みたいわけで、つまりは完成された天才は主要人物にしてはいけない(踏み台とすべき敵や師匠なら可)。主人公を始め、発展途上型天才を描いて、魅力的な天才を味あわせてくれるのが作者のシェフとしての腕の見せどころだ。天才を生で味わえるのが優れたシェフの創作料理で、冷凍状態からレンジでチンと解凍されたインスタント天才じゃ、いかにも手抜きが丸わかりってことだな」

翔花「インスタント天才って、すごい言霊ね」

NOVA「今、この場で思いついた、ここだけの出来立てホヤホヤの新フレーズだからな。検索しても、引っ掛からなかった。まあ、テンプレート天才の言い換えみたいなものか。次に行こう、6の『周囲の意見の尊重』と7の『周囲への称賛・感謝』の前に、5番があるのがポイントだな」

晶華「『違いや変化の意識』ね。これはどういうこと?」

 

違いや変化を意識する

 

NOVA「1〜4は、自分や周囲という狭い範囲だけを意識する。自分の仕事に誇りを持って、それをコツコツ続けながら、役割を果たすだけの結果を示す。その後で、周囲に目を向けて、仲間にちょっとした手を差し伸べて、適切なお節介を試みて、チームの穴を埋める。ここまではいいな」

翔花「理想的なチームワークね」

NOVA「仲良しこよしのグループなら、それでもいいわけだが、誇るべきビジネスマンや天才なら、自分たちの仕事の結果が社会にどんな変化を及ぼすか、そしてライバルと違う独自性はどこかなどを客観的に見つめられないといけない。少なくとも、リーダーシップをとって行きたいならな」

晶華「ええと、自分や自分のグループの中だけでなく、外の世界にも目を向けろってこと?」

NOVA「そうだ。そして、自己客観視や外の環境へも客観的に見ることで、時流の変化や、自分たちのあり方などを透徹して見れるといい」

翔花「それって難しそう」

NOVA「ああ、リアルでは難しいな。ただ、フィクションで描くだけなら、簡単だ。作者が神だから、自分の世界の真実や物語設定を、天才キャラの視点で語らせるといい。それが科学的なデータを駆使した分析(っぽい何か)でもいいし、天才的な直観で真実を言い当てるのでもいい。その中身は、リアルの研究論文や書籍の引用でもいいし、どこかからパクッて来た名言や研究内容やオリジナル設定でもいい」

晶華「パクってもいいわけ?」

NOVA「アイデアの源として使うだけならな。例えば、遺伝子についての話をするなら、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックの研究を引用するのもいいだろう。ワトソンが19歳でシカゴ大学を卒業した若き天才で、34歳の時に共同研究者のクリックと共にノーベル生理学・医学賞をとって、現在も存命中とか、そういうリアル蘊蓄を書物やネットで調べて、作品内で蘊蓄として語らせるというのもありだろうし、ワトソンの業績を作品世界ではオリジナルキャラの業績として描くのもありと言えばありなわけだ」

翔花「それって、嘘っぽくない?」

NOVA「生物学に詳しい人間が読めば、明らかに嘘と分かるから白けるな。しかし、ワトソン先生の弟子の子どもなんかを物語に登場させて、天才の後継者みたいに描くとか、リアルとフィクションを適度な距離感でつなげると作品世界にリアリティが出る。大体、歴史上の偉人の魂を宿したアイテムとか、偉人を英霊として召喚するゲームが存在するんだから、リアル要素に基づいた作品世界の構築は、あまりにも無知さをさらけ出さない限りはOKだろう」

晶華「リアルの天才や偉人のキャラクターや業績を勝手にパクるのは、どこまでが許されるのかは気になるところね」

NOVA「あくまで専門知識については、引用の範囲に留めるのが誠実な態度だと思うけど、創作の元ネタになりそうな事実やエピソードをうまく流用しながら、自己の作品世界の彩りにする手法も上手くやればオマージュとかパロディに昇華できる」

翔花「パクリと、オマージュやパロディの違いって?」

NOVA「亡くなった山本さんが著書で、面白い見分け方を提唱されていたな。元ネタを盗みとっているから、読者に元ネタがバレたら白けるのがパクリ。元ネタへの敬意を込めながら、自分らしく上手く取り込んでいるから、読者が元ネタと関係なく楽しめる(元ネタの存在が作品の面白さと直結しない)のがオマージュ。元ネタを知っているファンをニヤリとさせられる(知らないとネタとして笑えない)のがパロディだそうだ。ちなみに、こんな感じで他者の言葉を紹介するのが引用で、他者の言葉をさも自分が考えたみたいに言うのがパクリだな」

晶華「つまり、自分で考えたことと、他の人の提唱した意見の区別をしっかり示すことね」

NOVA「敬愛する人の意見や作品アイデアは、どんどん使ってもいいんだけど、その敬愛を毀損するような使い方は、書き手の品位も自ら貶めるからな。あと、引用が間違っていたり、あまりにも恣意的な解釈でデタラメ丸出しなのは、書き手の知性が疑われるので、そういう愚かさをギャグとして狙っているのでない限りは(格言を引用するけど、使い方を間違っている自称・天才のバカキャラとか)、扱うからにはきちんと勉強しようって話になる」

翔花「無知だからパクるしか能がない作家とか、そのパクり方にセンスがないとか、いろいろね」

NOVA「元ネタへの向かい合い方だな。あとビホルダー問題が有名だが、何を使って良いのか悪いのか、商業作品として考えるなら無知ではいけない。俺個人は、二次創作好きなので、上手くパクるならOK派なんだが、どちらかと言えば、パロディとしてつなげる作風だと。完全オリジナルで作りたいってこだわりが薄いのだとも思うし、むしろアレンジャーとしてのセンスにこだわりがあるとかだな」

晶華「でも、創作家ならオリジナリティは重要でしょ?」

NOVA「何をどう流用するかで作家のセンスは出るし、そのセンスが世間の常識とあまりにもズレが大きいと、受け入れられない。ここで重要なのが、こういう学術論文書きのテンプレートだ」

 

 世間一般ではこう言われている。確かに、その意見には納得できる部分も多い。しかし、私は違う意見を持っている。この点については、実はこう考えられるのではないか?

 

NOVA「『確かに△△。しかし◯◯』論法は、高校国語や英語の論説文を読み解くのに必須の考えなんだが、前者の常識を述べて筆者が常識をわきまえた人間である(無知ではなく、人並みの理解力はある)ことを示したうえで、その先の考察を、しかし以降の本題で示す。この場合、筆者の主張は、しかしの後にあるんだが、確かにの部分(一般常識)を主張だと勘違いして、正解がとれない学生が結構いる。中学生までは一般常識を学び、高校以降は一般常識の先の専門家独自の見解の読みとりを目指すので、その違いに気づかないと、両極端の考えになりやすい」

晶華「NOVAちゃんね」

NOVA「俺は自覚しているから、意見の使い分けができているんだよ(たぶん)。でも、世の中には一般常識しか認めない人間と、常識クソ喰らえな変わり者がいて、変わり者同士なら理解し合えるかと言えば、そうとも限らない。変わり者それぞれのスタンスが違うと、険悪になることもしばしばだ。創作性の違いで分裂するグループがあったりするのもそのためで、目指してる理想が噛み合わないと分かれば、折り合いをつけるのも大変だ。その辺の噛み合わなさは、触れないようにして良好な関係を保つのが大人の社交だったりもするが、噛み合わないものに噛みつかないと気が済まない狂犬もいるからなあ」

翔花「ええと、常識人同士だと、意見はおおむね良識の確認と、多数決で決まるから無難に和解できる。だけど、奇矯人は何かとぶつかりがちってこと?」

NOVA「まあ、世間や視野が狭いと、自分が常識人だと思い込んでいる攻撃的な奇異人もいるからなあ。身内同志におけるエコーチェンバー現象と言われて、自分の狭い常識が世間一般の良識だと思い込んでいる倒錯した輩が、自分の意見が通らないと、世間が間違っていると訴えたりもする。そういう人間が今は多様性を合言葉に、多数派の良識に対して間違っていると主張して、少数意見の正義が多数派の良識よりも尊重されるべきだとする過激な論調も散見される」

晶華「多様性は、自分たちが踏みにじられない権利なのに、少数意見の自分たちの心の安寧を脅かすという理由で、多くの他者を踏みにじってもいい権利に拡大解釈されてしまうのね」

翔花「何だか難しい問題ね」

NOVA「理屈を言うなら、多様性は寛容重視で、少数意見も尊重しようってことなんだけど、少数意見の尊重が自分たちだけに適用されて、大多数の意見(一般常識)が間違っていると言い出したり、他の少数意見を迫害したりして、一面的な人権を振りかざして過激化する傾向があるわけだ。正義の名の元に、世間と、気に入らない弱者と思しき連中を感情で攻撃する連中がいて、暴走する正義の危険性というのが、昭和の昔から令和の現代までヒーロー番組のエピソードとして頻繁に扱われてもいる」

晶華「結局、NOVAちゃんはヒーローに帰結するのね」

NOVA「話が膨らんだが、『確かに彼らの主張には一面の正義がある。しかし、その正義で、他者の人権を脅かすようなことを平気で主張するのは言い過ぎではないだろうか? 多様性を武器に掲げるなら、寛容の精神を自分たちも身につけて欲しいものである』という例文があって、筆者の主張に最も近いのは次のどれか、という問題がある」

 

  1. 彼らの主張は正義である。
  2. 正義は他者の人権を脅かす。
  3. 多様性は武器である。
  4. 他者の人権を脅かす主張は多様性に反する。

 

NOVA「これで1番と答えた人間は、文章を取っ掛かりしか読まないか、『確かに』という表現に騙されている人。論理的な人間の発言や文章にとって、『確かに』は一面の真理だが、後から覆される前振りでしかない。2も3も文章の一部を切りとっているが、決して主題ではなくて、答えは4番だ。

「また、3の『多様性を武器に掲げるなら』の仮定の話を結論だと考える人間も結構いて、仮定の部分に目くじら立てて怒り出す人間もいるからな。IF思考ができない、想像力が根本的に欠如した人間が世間には数%ぐらいいるらしい」

翔花「ええと?」

NOVA「『もしも明日、世界が滅びるとしたら、あなたはどうしますか?』の質問に対して、『滅びるわけない』と真面目に否定したり、『え? 世界滅びるの?』と過剰に心配したりして、どうしますかの問いに答えようという考えに到達できない人間はそれなりにいるようだ。過激な例えや仮定に触れた瞬間、それで頭がいっぱいになって思考停止するとかな。ここで『イヤな仮定やなあ。そんなの考えさせるなや』と返せる人間の方が、まだ正しく読みとって(聞きとって)いるという」

晶華「問いには答えていないけど、仮定だと分かっている分、話が通じているってことね」

NOVA「その上で、『イヤな仮定だから、考えたくない』と意思表示している。それでもマジメに答えるか、ジョークで切り返すかは人それぞれだ。まあ、この質問に対して、どう答えるかにも創作センスが問われるのかな、と思うけど、一般的には『好きな人といっしょに過ごしたい(家族や恋人など)』『最後に好きなことをたっぷりしたい』『悩んでも仕方ないから、自分の日常業務をしっかりこなす』ぐらいが定番だけど、あまり面白くないかな。

「他には『怖いから寝る。寝てる間に終わってくれたらいいなあ(怠惰か臆病か)』『滅びる前の心境や状況を日記に詳細に書き記す。未来の探索者や歴史家が読めるように(もしかしたら、少数ながら生き永らえる人間や知的生物の来訪者がいるかもしれない)』『ヒーローとして世界は滅ぼさせない(仮定に対し、別の仮定を設定して話を盛り上げたいとか、自分らしいジョークで返す)』など、いろいろ変化球を考える練習になる。こういうヴァリエーションを示すことで、個々のキャラの性格を表現することもできそうだな。自分だったら、じゃなくて、こういうキャラだったらをシミュレートしてみる感じで」

翔花「この世界が終わるなら、トラックに引かれて、異世界に転生したくなるわね」

NOVA「こうして、世界の多くの人がトラックに引かれてしまい、大多数の人が異世界に飛ばされた未来。この世界に残ったのはトラックの運転手だけで、トラック野郎たちが血で血を争う乱世が始まるのであった。『異世界送りのトラック野郎として、タフにこの世を救います。逆らう奴は異世界に飛ばすってことで』ってアイデアだな」

晶華「何それ? 異世界転生した人ではなくて、異世界に転生させたトラックの運転手が主人公? それって、ただの引き逃げ犯じゃない?」

NOVA「いや、異世界の神と契約して、勇者を異世界に送り込むのが仕事の『異世界勇者届け屋稼業』の物語なんだ。今度の勇者候補はこいつか。こいつのスケジュールはこんな感じだから、この時間にこの道を通る。そこをトラックで通りすがれば、ちょうど異世界へのゲートが開かれるから、大丈夫、これで神との契約が果たせるな。100人の勇者候補を異世界に送ると、契約の報酬として死んだ妹が生き返る。勇者候補には悪いが、俺にも取り戻したいものがあるんだ。あと1人……と願掛けしたら、何の因果か、最後の勇者候補と一緒にトラックごと異世界ゲートに突入してしまって、『トラック運転手ですが、引いた相手といっしょに異世界に突入してしまいました。異世界トラック野郎の冒険譚』ってのはどうでしょう?」

翔花「アイデアは面白いけど、整合性がまだまだで、思いつきのレベルを越えていない。そしてトラックでどんな冒険をするかが分からないので、物語の中身が見えていない。もっと考えないと」

NOVA「ほとんど酒飲み与太話のレベルだが、俺にしか思いつけない画期的なネタだと思っていたんだ、今さっきまでは。だけど、『異世界トラックの運転手』で検索したら、商業作品でもすでに普通にあるんだな」

NOVA「つまり、画期的なアイデアだと思っても、検索をかけてみたら、なろう系とかですでに普通に使われていた。たまたま、これまで俺の目に止まる機会がなかっただけで、外の環境について客観的に見る意識が大事ってことなんだ」

晶華「無理やり、話を元に引き戻したわね」

NOVA「まあ、アイデアを芋づる式に手繰り寄せて、金の鉱脈を掘り当てたかな、と思ったら、すでに掘っている人がいたって話だ。別に俺はトラックにこだわりのある人間でもないので、このネタはこれぐらいにして、ええと『違いや変化を意識する』ってのは、自分たちのやっていることを客観的に見て、時流の変化や周囲との比較で、方向性や立ち位置を確認するってことだな。それが見えていないと、内輪の盛り上がりだけで空回ってしまう。

「趣味なら、自分たちが楽しむだけでいいんだけど、社会性を考えられないと、せっかくの天才キャラもただの奇人変人にしかならない。奇人変人大集合のコミカル物語を意図しているなら、それでもいいけど感情移入対象ではなくて、ただの見せ物だから、笑いはとれても、共感には程遠い。奇人変人をネタとして笑っていたら、実はシリアスな過去があって……というギャップも上手くハマればいいんだけど、それには物語上の仕掛けも合わせたギミックが必要で、そういう仕掛けを視点キャラにどう感じ、語らせるかがポイントになる」

翔花「視点キャラはニュートラルな凡人で、ちょっとしたことに一喜一憂して、感情を発露できる人間であれば、読者もノレるわね」

NOVA「想定読者より、ちょっとだけ頭が悪くて、観察力だけは高くて、平易な言葉で過不足なく状況を伝えて、感情表現はそこそこ豊かで、率先して事件に飛び込むか、飛び込まされるかで、思い込みもするけど、意外な事実を知ったら、素直に驚き、反省して、受け入れる度量の大きさを示して、読者の感情移入を促すのが理想的なテンプレ視点キャラだな」

晶華「短編集で、語り部が交代するような作品もあるけど?」

NOVA「同じ場面を別視点ではこう受け止めていたってのは、意外なキャラの内面を描くには有効で、ある物語でキャラが定着した登場人物の意外な内面を示すことで、作品世界を膨らませる効果がある。それこそ、書き手には、天才キャラの見ている世界と、つまらないモブキャラAの見ている世界がどっちも等価で魅力的に映るように、多面的なものの見方を鍛える必要がある。

「天才は世の中をつまらない物として見ている……と思いきや、天才らしい楽しみ方があるわけだし、モブキャラAも解像度を上げてみると、案外冷静に天才の歪さにツッコミ入れているかもしれない。別に悔しいとか、そういう感情ではなくて、『天才の気持ちは、ぼくには分かりませんが、何というか大変そうですね。でも奇抜な発想とか見ていて、楽しいです。ぼくには真似できないけど、何だか凄いな、と。たまにバカみたいに見えることもあるけれど』という受け止め方をしているとか」

翔花「個性の薄いモブキャラ君の方が、ニュートラルに物を見ているってことね」

NOVA「キャラが増えて、いろいろと多面的な物の見方が示されると、その作品世界の味わいが豊穣でフルーティになるな。そこに作者の度量の広さや深さが感じられると、追いかけたくなるし、自分が好きなものを否定する作者の書くもの、描くものを読むのは抵抗がある。作者の憧れるものに感情移入できると共感できるし、作者の主張が鼻についたり、奇異さにドン引きすると読んでられなくなる。クリエイターとして奇矯さは武器にもなるけど、奇矯と奇異は似て非なる概念だからな」

晶華「違いが分からないんだけど?」

NOVA「だから、違いを意識するのが大事って話だ。奇矯の『矯』の字は愛嬌と同じで、奇矯人は『愛すべき天才』に通じるんだよ。『矯』の字には、『力を込めて正す』『力を込めて歪める』『力のこもった激しさ』など、良くも悪くも凄さに通じる。一方で、奇異はただの『異物で変な奴』だ。俺は奇矯人を『変わり者だけど面白い』という意味で使い、奇異人は『常識知らずで、付いていけない』という意味で使い、奇械人はブラックサタンの虫の下僕だ」

晶華「械には、仕掛け、からくりって意味と、手枷・足枷で自由を奪うって意味があるのね。どうでもいいけど」

NOVA「ここで、奇矯人として振る舞うには、常識から背を向けてはいけないんだな。常識はわきまえつつも、それだけじゃつまらないから、常識を飛び越えることで独自性を目指す。『普通はこう考える。そのように振る舞うことが道理だが、自分の個性はそれだけでは満足できない。だから、他の考えややり方を追求してみる』ってことだな。そして、世の中の常識は昔と今で、どう変わって来たのかを知らなければ、時流に乗ることも、それを武器にすることもできないわけで」

翔花「常識って時代によって変わるのね」

NOVA「風や波と同じようにな。だから、風を見る、波を見ることができないと、天才にもリーダーにもなれないわけだ。どこに流されるか分からない痴れ者を天才とは言えないだろう? 新境地を開拓した天才には、足場固めと安定した存在感が欲しいわけだ」

晶華「ある分野で金字塔を立てた天才が、別の分野に手を広げることもありと思うけど」

NOVA「その本人の中では、関連づけがあるのかもしれないし、ある程度の基盤が整ってこそ、本当にやりたいことが実現できるケースもあるからな。カブトの水嶋ヒロが俳優→小説家→若き実業家とYou Tuberという道を歩んで、役柄の天道とは違うものの多彩な才能を示しているのは、さすがと思える次第」

翔花「一芸に秀でた者は他の分野でも才覚を発揮するってこと?」

NOVA「成功例だけを見ると、そういうことだろうな。人生遍歴は人それぞれだけど、そういう他人の情報をあれこれ調べて、話題に挙げるのも一興。ただ、そこで目につくのが下品なスキャンダルで悪口ばかり言ってる人間はさもしいというか、少なくとも距離を置きたくなるわけだよ。スキャンダル(不祥事や醜聞)だけしか話題がない人間と思われると、運気が下がるし、そういう世界を題材にした創作を書くための勉強なら、それはそれでありだけど、誰かのスキャンダルを批判するのはマスコミが散々やっているので、エンタメ物語としてはつまらない。そういう方面で面白くするなら、スキャンダルで苦しめられた主人公の逆転劇の方だと俺は考えるな」

晶華「世間のニュースと同じことをしても仕方ないってこと?」

NOVA「いや、エンタメで、イジメて攻撃する側を主人公にしても、共感は得られないって話。イジメられる側の反撃や逆転の方がエンタメになるってことだし、正義の名の下に断罪するストーリーなら、主人公の持ってる正義に受け手が感情移入できる筋書きと描写が必要ってこと。上から目線で正義を語るんじゃなくて、下から目線で正義を執行する必然性を示さないと。まあ、価値観が多様になった現在では、シロクロ付けるのが難しい問題もあるけど、読者の感情をスッキリさせる作劇手法と、読者に問題提起を突きつける作劇手法は別だし、客観的に描くには、対立陣営の両方をニュートラルに見ることができる語り部が必要だな」

翔花「ニュートラルに物事を見るって、一番難しそう」

NOVA「見るだけなら簡単だ。自分が嫌いな人間の意見の中にある理や情を推測して、自分がその立場にあれば、どう振る舞うべきかを考えるといい。ただ、理屈なら分かったとしても、共感できるとは限らないし、ましてや、それを物語に落とし込むのは難しいだろうな。

「二つの正義を並行させて描くのは、作者がどちらかを贔屓しているのが明らかだと、思いきりシラけるし、安定するのは、対立しているキャラ2人ではなくて、双方に関わっているニュートラルな知人友人視点で、客観分析と主観感想を踏まえた作劇だ。これだと小説としては感情移入しやすい。どだい、対立している2人の両方の心理を交代させて読者に読んでもらうのは、読み手の負担があまりにも大きい。ドラマのシーンを見て想像するのと、文章で読んで想像するのでは、受け手への要求難易度が違いすぎるし、対立している双方への感情移入なんて普通はできない。小説だと、それができるように設定した中立ポジションの人間を通じて、初めて描ける物語だと思う」

晶華「視点変更のテクニックは、小説の肝だと思うけど?」

NOVA「一人の視点だと見えない光景や内面感情を映し出すことができるので、成功すれば複層的な物語を読者に感じとらせて、深い物語と思ってもらえるメリットがある。デメリットは、視点がどこにも定まらなくて、感情移入がままならないうえに、それで生まれる物語がつまらない場合、読者に余計な徒労感を抱かせること。読者に負担をかけるなら、その負担に見合うだけの面白さを作者は提示する義務があると思うし、読み解いたけどつまらないというのはエンタメとして最悪だ」

翔花「作者自身がつまらないと思っていないのでは?」

NOVA「自己客観視の能力って大事だよね。どんなクリエイターでも、自分が作品を完成させた直後は、達成感に満ちあふれて傑作が書けたと思うんだ。だけど、数日してから読み返してみると、どうもイマイチに見えるときがある。そう思わない人間は、ろくに読み返していないか、自己陶酔型の度が過ぎているってことだろう。まあ、後者は自己満足できて幸せなんだろうさ」

晶華「NOVAちゃんも、自己陶酔型の人間よね」

NOVA「他人からの賛美をあまり求めていないので、自己完結してしまうところがあって、それだと自己満足で閉じてしまうんだな。長所でもあるが、人付き合いにおいて短所にもなる。いずれにせよ、つまらないものを押しつけられることは苦痛だな。技量に感じ入れるとか、自分のツボや感性にフィットしてるとか、未知の世界を広げてくれるとか、俺が面白いと思うのは以上の3点で、つまらないのはその逆」

翔花「下手なもの、ツボを押さないもの、偏狭で広がらないものってことね」

NOVA「そこまで三重苦な作品に触れる機会も稀だけどな。アマチュアレベルで技量的には下手というか発展途上でも、作者のジャンル愛が濃厚で、読んでて楽しい作品はある。そして、書いてるうちに少しずつ技量が上がって来て、話が面白く加速するとか、特定シーンだけお気に入り描写で光るとか、広がらないけど深まるのでハマるとか、ネットで数ある作品の中で自分の好みに突き刺さる作品との出会いは時々ある」

晶華「感想を書いたりはする?」

NOVA「いや、下手に感想書くと長文になるので、それを受ける相手に迷惑だし、相手の好きの邪魔はしたくないという心理が働くからな。昔からあまりファンレターを書きたい奴でもなかったし、好きでもよほど感じ入らないと感想は書かない。まあ、掲示板での定例は習慣化されているし、同好の士との感想やり取りはまた別だけど。こっちはこっちで好きに書いてるし、他所のクリエイターさんが俺好みの作品を書いてるのに、そこに何らかの意見をぶつけるのは不愉快にさせないかな、と臆病になったりする。そこまで影響を与えたくはないんだ」

翔花「恋する相手がいても告白するタイプじゃないってことね。遠くから見ているだけで満足するので、恋愛マンガの主人公にはなれないタイプ」

NOVA「だから、恋愛はしたことがないんだって。愛はともかく、恋という感情がよく分からん。『なるほど。これが恋というものか』というセリフを一度リアルでつぶやいてみたかったぜ。萌えは分かるけど、恋が分からないので、燃えるような愛情は作品愛とかで想像できるけど、作品恋という言葉もないしな」

晶華「『NOVAちゃんに恋させよう』っていうのは、『ラケシスさんを笑わせよう』以上に難しいミッションかもしれないわね」

NOVA「そういうのだったら、俺は『ラケシスさんに恋させよう』ミッションが見てみたいな。まあ、それはともかく、書きたい天才の話から違う方向に進んで戻って来れなくなっているな。恋と天才だったら、どっちを選ぶ? と言われたら、当然、天才を選ぶね」

翔花「愛される天才は目指しているけど、恋される天才は目指していないってことね」

NOVA「『天才少女の私だけど、恋するハートは解読不能ってタイトルだけは思いついたけど、中身はちっとも見えん」

晶華「少女じゃないからリアルじゃないし。『天才魔術師のオレだけど、恋する呪文は詠唱不能って感じにアレンジしたら?」

NOVA「恋の呪文はスキトキメキトキスなんだがな」

 

周囲の意見の尊重と、称賛・感謝

 

翔花「何だかよく分からないけど、NOVAちゃんが奇矯人で、恋をしたことがない変人というのは分かったわ」

NOVA「恋人でなくて、変人ってことだな。それは認めよう。しかし果たして、人生の中で『恋したことがないという人間』はどれだけの確率で存在するものだろうか」

晶華「NOVAちゃんのために、天才の娘の私が調べてみたわ。感謝するように」

NOVA「おお、ナイスだ、晶華。ふむふむ、大人で恋をしたことがない女性は17%、男性は30%か。何だ、3人に1人は恋愛をしたことがないのか。言うほどレアじゃないんだな」

晶華「あと。こういうのも見つけて来た」

NOVA「なるほど。俺の内面的な天才観の他に、他人の持ってる天才観を比較対照することで、客観性を高めることが可能だな。よくぞ、面白い記事を見つけて来た。ナイスアシストだ。それでこそ、天才の娘にふさわしい成果だ。誇らしいぞ。称賛するぞ」

翔花「だったら、わたしも探してみるわ。……こんなのが見つかったけど?」

NOVA「なるほど。『バカでも書ける天才』手法か。シリアスじゃなくて、ギャグコメディならありかもな。演出を広げる小技テクニックとしては悪くない。だったら、俺も検索してみるか」

翔花「どういうこと?」

NOVA「天才の資質を、『バカ=常識外れ=狂人』『秀才=コツコツ真面目な努力家=環境に適応する知識の習得』両方を上手く結合させたものという主張だ。創作で言うなら、『よくも、こんな奇抜なアイデアを思いついて、それを手堅く面白くまとめ上げたな』と感じ入らせる作品だな。

「奇抜な発想はインスピレーションだけど、面白くまとめるのは技術に相当する。発想の面白さがあっても技術が追いついて来なければ美味しく料理できない。逆に技術があれば一定段階の面白さは期待できるけど佳作止まりで、同じようなものを食べ続けても飽きが来る。忘れられない傑作になるためには、斬新なアイデア(珍しい食材と、その組み合わせ方など)を見出すセンスも必要らしい」

晶華「創作論を、料理に例えるのは山本さんの受け売りね」

NOVA「それもあるが、俺が生まれて初めて、そういう例え方を見て感心したのは、安田社長の『D&Dにおけるシナリオ作りをクッキングで例えた記事』だ。90年代の『電撃アドベンチャーズ』誌に掲載されていた。確か、クライマックスの戦闘をメインディッシュで、それまでのザコ戦を前菜に例えていたり、ダンジョンという盛り付け皿にどう配置するか、みたいなことが書いてあって、面白い例え方だなあ、と。

「最近では、ガッチャードでも錬金術を料理に例えていたりしたが、変身ベルトが弁当箱の形から始まって、全ての道が料理につながる的なまとめ方にキャラとしての首尾一貫性を感じた次第」

翔花「依るべき土台が明確なのは強いよね。迷ったときには、そこに帰って来れば再スタートできるわけだし」

NOVA「俺なんて、しょっちゅう迷ってるからな。方向音痴だし」

晶華「それはあれね。GURPSみたいに、方向音痴という弱点で、CP(キャラクターポイント)を稼いでいるのよ」

NOVA「その例えで、納得した。ただ、ゲームのダンジョンなんかではあまり迷わないんだよな。迷路パズルでも割とスムーズに解ける。迷うのはリアルに限られる。しかも、知ってる道のはずなのに、人を案内しているときに高頻度で迷う」

晶華「それは人と話すのに、神経を使い過ぎるから、方向感覚に回す脳内容量が激減しているとか?」

NOVA「たぶん、観光ガイド(ツーリスト)技能がバツ技能なんだ」

翔花「寄り道脱線回路が機能していると、バカみたいに見えるから注意しないと」

NOVA「そういう自分を知っているから、道に迷わないように十分、予習しているつもりなのに、それでも迷うからな。方向音痴エピソードだけで、10個ぐらいは軽く語れるぞ。『天才魔術師の方向音痴日記』という短編集のネタも思いついたが、ゲームだとDUMAPICとかサイトロなどの魔法が使えるので、あまり面白くないかも」

晶華「方向音痴ネタはさておき、本来の話に戻ると、『周囲の人の意見に耳を傾ける』のは、大変重要よね」

NOVA「傾けた結果、道に迷ってしまう俺は一体……orz」

翔花「大丈夫。『船頭が3人寄れば、文殊の知恵で船、山に登る』って言うし」

NOVA「言うかよ。無理やり引っ付けるな。念のため、正しくは『船頭多くして、船、山に登る』と『3人寄れば、文殊の知恵』だ。まあ、2つのことわざや故事成語を合成すると、面白いネタができそうだが。

「しかし、愛される天才は、周りの意見をしっかり聞いて、良きリスナーぶりを示すものだな。宗教が神や仏の名のもとに懴悔告解を尊重するのも、政治的な情報収集目的以上に、他者の理解者であろうと努めるためだし、人の意見を受け止められる姿勢を表明することは誇るべき信頼関係に通じる。

「そして、適切な機を見て、チームのメンバーの日頃の活躍を称えて、感謝を示すことで、チーム全体のパフォーマンスを高めるわけだ。さすがに、ここまで来ると、天才論じゃなくてリーダーシップ論になるんだが」

 

翔花「とにかく、NOVAちゃんが3人になったら、時空を越えし文殊パワーに目覚めて、船が山に到達するって話ね」

NOVA「そんな話じゃないはずだが、この記事を書くのに疲れて、どうでもいい気になっている俺がいる。できれば、その山が天才が見晴らすにふさわしい高みで、文殊パワーに導かれたハッピーな場所であることを願いながら、『天才論』の筆を置く」

晶華「次は、どんなネタを考えてるの?」

NOVA「私的創作論の第2弾は、『喜怒哀楽の感情論』というタイトルを考えている。きっかけはこの記事なんだが」

NOVA「創作で、人の感情を喚起する手法について、俺なりに考えるところをまとめたいと思っている。すぐには書き始めないけど、今回の『天才論』について、しばらく反応を見たり、他のブログの記事を書いたりしながら、こちらの勢いも蓄えておこうかな、と」

晶華「喜怒哀楽かあ。キャラ名にすると、城戸亜衣羅って感じ?」

翔花「キッド&アイラってコンビ名でもいい感じ」

NOVA「……やっぱ、お前たちと一緒だと、話がどこに転がるか読めないなあ。発想としては刺激的だが、収拾を付けるのに苦労することが今回の記事で分かったや」

Wショーカ『真の天才だったら、アシスタントガールに感謝しなさいよ〜』

NOVA「感謝はしてるさ。思考を活性化させてくれるからな」

(当記事 完)