Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

主人公論・完結編

今回で、この話は終わります

 

NOVA「さて、6月から延々と結論も出さないまま続けている、この雑談創作論も今回で終わらせようと思う」

晶華「とうとう、編集長から打ち切り通告が下されたのね」

翔花「読者さんの人気が上がらなかったから……(涙目)」

NOVA「読者人気はともかく、編集長って誰だよ!? 個人ブログに編集長なんていねえだろう」

晶華「フッ、NOVAちゃんが気づいていないだけで実は……」

NOVA「実は……?(ドキドキ)」

晶華「おっと、この謎を解き明かすには時期尚早なようね。影の編集長の正体を下手に明かすと、花粉症ガールの命にも関わるから、今はまだ秘密。それよりも終わると決めたら、さっさと結論を出しましょう」

NOVA「作者すら知らない謎の編集長か。次のエピソードは、その黒幕の存在を解明するのが目的だな。よし、当ブログの主人公として、このブログ時空の全てを支配する謎の編集長との対決に心震わせるNOVAだった。次のシーズンに続く」

 

結論・主人公とは?

 

翔花「次のシーズンに続く前に、今期の結論を出しましょうよ」

NOVA「結論か。主人公とは、『受け手に共感あるいは憧れなどの感情移入を促し、その物語の楽しさやテーマを適切に伝える存在である』という形でどうだ?」

晶華「まあ、ふつうの想定読者や想定視聴者は、主人公に感情移入して応援したり、いっしょに笑ったり、悲しんだり、怒ったりして、物語の紆余曲折をハラハラドキドキ、ゲラゲラシクシク、メラメラワクワク楽しむものだもんね」

NOVA「主人公がつまらなければ、大体は物語もつまらなくなる。ただ、個人としてはつまらなくても、周囲の人物との関係性や絡みで楽しくなることもあるし、一人一人は小さな火でも、バディとかトリオとかカルテットとか、5つの力で盛り上がる作品もあるから、チームのメンバーの役割分担とか、会話テクニックで楽しくさせることも可能。主人公とて、所詮は物語を紡ぐための歯車に過ぎん、と見なすこともできよう」

翔花「でも、かなり重要な歯車だけどね。それが欠けたら、全体が回らなくなるような」

NOVA「つまり、そいつが主人公かどうかは、試しにそいつ抜きで物語が回るかどうか想像してみるといいってことだな。例えば、デュークフリード抜きのグレンダイザーUとか?」

晶華「それを追ってくるはずのベガ星連合軍が地球に来ないから、兜甲児くんのマジンガーZがドクターヘルの組織と戦うだけの物語になるわね。1話で大介さんと会う前の」

NOVA「それって、ただの『マジンガーZ』だよな。つまり、『グレンダイザー』が登場しないとグレンダイザーUにはならないから、そのパイロットであるデュークは必要不可欠なピースだが、劇中では円盤獣に破壊されたマジンガーZマジンガーXに強化改造されるために、グレンダイザーの超技術を利用した。そこで、主人公交代が起こったんだよ」

翔花「そうなの?」

NOVA「俺の中ではな。つまり、デュークは種Dのシン・アスカに相当し、甲児はアスラン・ザラに相当する」

晶華「キラ・ヤマトさんじゃなくて?」

NOVA「違う。デュークはキラとシンの要素を受け継いだ主人公だが、最終回のタイミングでは暴走して敵味方を見失ったシンに相当する動きを見せて、それを止めるアスラン役が甲児だ。よって、このデュークが復権するには、スパロボに出て改編美化されるか、20年近くかけて劇場映画にしなければなるまい。もちろん、劇場版では兜甲児がボスボロットに乗って出撃し、中からマジンガーXが出現するだけのインパクトが必要だけどな」

翔花「ええと、ズゴックとボスボロットって似てるかな?」

晶華「手足の蛇腹関節や、全体的なシルエットは似ていなくもない……ってところね」

NOVA「まあ、話を戻して、感情移入対象という意味では、デュークの恋愛感情という終盤のドラマに全く感情移入できなかった点で、俺の中ではデュークを主人公とするドラマを楽しめなくなった。俺がこの作品に求めるのは、何よりも地球を守るロボットの熱い活躍だからな。だから、甲児に感情移入することで辛うじて楽しさを担保することができた。その意味で、デュークは主人公失格ということだが、問題は『では、デュークのルビーナやテロンナとの悲劇の恋愛メロドラマに感情移入して、堪能できた視聴者がどれだけいるのか?』ってことだな。姉に恋人を寝取られても、笑顔で姉を許して、天使のように散って行ったルビーナ様が可哀想です。おのれ、ブラッキー。ぼくのルビーナさんを殺した奴は万死に値する。グレンダイザーの暴走を見てスッキリした。宇宙の王者最高!……って感想がネタじゃなく、本音としてあれば、立派にデュークに感情移入できていると思うがな」

翔花「デュークさんの怒りや哀しみに同調できる視聴者さんが、メインターゲットってこと?」

NOVA「理屈上はそうなる。だけど、そこに同調できないままに楽しむつもりなら、代わりに同調できる主人公代理が必要だろう。それがまあ、兜甲児になるわけだが、結論として、作者の想定する主人公とは別に、受け手は自分の判断で感情移入先を決めてもいいし、誰にも感情移入せず虚心に物語を追うだけでもいい。例えば、今のプリキュアを見て、メイン主人公の犬少女こむぎに感情移入するのは、俺には無理だ」

翔花「わたしも無理。どちらかと言えば、いろはちゃんね」

晶華「私は、まゆちゃんとユキちゃんのネコ組かな」

NOVA「俺は、もちろん悟くんと大福だな。メエメエは眼鏡キャラでどうかと思ったけど、ダメだった」

晶華「そう言えば、メエメエも眼鏡ね。でも、クールじゃない」

NOVA「コミカル枠だな。言動はダメ出しが多くて多少ともウザくはあるが、メエメエの思わぬ失言で、悟といろはの恋愛ドラマが進展したことを考えると、空気の読めないドジキャラゆえのドラマの活性化ポジションを担ったと言える。実は、第一話の敵怪物だったことも含めて、重要なキーパーソンであることは間違いない。ウザいコミカル枠が苦労させられて、適度なオチを付けて過剰にヘイトを溜めないというのは、ストーリー展開でいいバランスをしていると思うし」

翔花「天真爛漫すぎるこむぎのナイスなツッコミ役にもなるし、自分がボケ役にもなるし、何だかんだ言って執事のお仕事を苦労して頑張っているのは分かるし、良い主人公ね」

NOVA「いや、メエメエはさすがに主人公じゃないだろう。主人公はどう見ても悟くんだ」

晶華「それもどうかと思うけど」

NOVA「俺定義だと、そうなるんだよ。だって、『受け手に共感あるいは憧れなどの感情移入を促し、その物語の楽しさやテーマを適切に伝える存在である』という意味で、悟くんは正に合致する。いろいろ共感するし、敵の能力を含めて、いろいろと主人公や視聴者に解説してくれているし、サポーター主人公として、艦これの提督さんぐらいには機能しているんじゃないか。もちろん、客観的にはこむぎといろはのコンビが主人公だと分かっているが、本作は従来の主人公枠だったいろはがサブ主人公枠に下がり、犬幼女という精神年齢が想定視聴者(たぶん小学校入学前後の女の子)の等身大として共感できるキャラに指定し、いろはについては憧れのお姉さん。だけど、ネコ組を好きな女児だっている。キャラ配置がドラマとして非常に計算されているな、と感じるわけだ。その分、敵キャラが薄めだけど」

 

主人公の三要素

 

NOVA「これは俺の中の結論だが、主人公に必要なのは、熱血クールコミカルの三要素のどれかであって、一つあれば主人公として成立するが、足りない要素は他のキャラから補えばいい。もちろん、局面によっては、熱血漢が冷静に考えてもいいだろうし、ギャグ要素がないままギスギスとシリアスに徹するドラマがあってもいいと思うが、緩急のリズムを考えると、コミカルな和ませ役というのは必要だと思う」

晶華「コミカルは、別にギャグじゃなくても、緊張した空気を和らげる仲裁役でもいいわけね」

NOVA「熱血漢の主人公、クールなライバルに、仲裁役のヒロインという関係も定番だし、コミカルを単なるつまらないギャグで場を落とすのではなく、シリアスすぎる展開に一息つかせる和ませ役と考えるといいのかも」

翔花「組み合わせることもできそうね。熱血漢だけどコミカルとか、クールだけどコミカルとか」

NOVA「熱血漢と一口に言うが、別にいつでもウォーッと叫ぶキャラとは限らない。寡黙だけど、内心では熱く燃えていて、目的に向かってコツコツ邁進するキャラは熱血だと思う。内向的な熱血漢だっていてもいいだろう」

晶華「内向的な熱血漢? 例えば誰?」

NOVA「いわゆるクールライバルと称される系は、情念がすごくて俺的には内向的熱血漢に分類することもある」

晶華「じゃあ、クールの定義はどうなるのよ?」

NOVA「クールは冷静だが、寡黙とクールは似て非なる概念だ。クールは感情で動かず、合理精神とか客観的な判断で動く。外交的クールというキャラを考えるといいが、てきぱきと指示を下し、現実的な判断を下すエリート指揮官はクールでありつつ、決して寡黙ではない。寡黙な熱血漢も、クールな冗舌家も存在するぞ」

晶華「つまり、分かりやすいステロタイプだと、多弁で騒がしい熱血漢と、物静かなクールキャラだけど、静かに燃える情熱タイプと、理路整然と言葉を紡ぐクールな現実主義者だっているってことね」

NOVA「だから、熱血漢かクールかは、物腰や態度だけでなく、発言の中身からも判断すべきだけど、ドラマ的表現の分かりやすさを重視するうえで、情熱タイプが多弁で、クールが寡黙ってパターンが多いってことだ」

翔花「まあ、恥ずかしがり屋で口数が少ないのは、内心ではクールじゃないけど、傍目にはクールに映っているってことね」

NOVA「で、兜甲児は基本的に熱血漢だし、コミカルな属性も持っていて、さらに冷静に戦況分析もできる戦術家にして学者の卵でもある。無謀なこともするが、バカではない。威勢が良くて失敗もするが、失敗から学んで逆転勝利できるキャラをバカとは言わない」

晶華「つまり、主人公として完璧ってこと?」

NOVA「マジンガーZはチーム作品ではないから、ゲッターロボと違って、熱血、クール、3枚めと役割分担する必要がなかったわけだ(後にボスがコミカル担当になるけど)。そして、次作のグレートマジンガーで再登場した際、戦いのプロの剣鉄也よりも、甲児の方が戦術的に正しいことを言っていて、鉄也の方が乱れた感情で先走った判断もするわけで」

翔花「じゃあ、昔のグレンダイザーは?」

NOVA「宇宙人に関しては、大介さんがクールに現実的に見ているが、甲児は楽観主義で無謀だな。バカではないけど、お人好しすぎて危なっかしい。だから危険な目にあうのを、大介が助ける。甲児が行動の人であるのに対し、大介は慎重な熟慮の人だから、冷静で大人の大介さんに対して甲児は弟分として自然体に振る舞えたわけだし、甲児の行動力を大介も好ましく思っている」

晶華「でも、Uのデュークは精神年齢が下がったというか、クールで現実的とは言い難いわね」

NOVA「むしろ、2人の立ち位置が逆転しているんだよな。Uのデュークはバカで世間知らずで、お人好しすぎて危なっかしい。だから危険な目にあうのを、甲児が助ける。甲児が冷静に考えた末に感情を重視して突っ切る行動の人であるのに対し、大介は慎重な熟慮どころか、衝動的に独善的な行動で突き進む人だから、実はブレーキがないチーム構成だ」

翔花「そうなの?」

NOVA「いや、カサドが冷笑的ながら、クールなブレーキ役になる可能性もあったが、Uのチームは衝動的で、冷静な判断力に欠けた面々が多いね。それで、冷静な甲児指揮官と、衝動的なデュークという割り切りで話を組み立てたら、違うドラマ展開になったのかもしれないが、下手にデュークの性格だけ旧作から変えたものだから、旧作のバランスが崩れた。一番冷静に見えたヒカルさんは、冷静な判断力の持ち主ではなく、割と行き当たりばったりで行動しているだけにしか見えなかったし」

晶華「NOVAちゃんも行き当たりばったり、では人のことを言えないと思うけど?」

NOVA「後先考えない情念の暴走だけでも、勢いがあれば真ゲッターみたいに加速して盛り上がることができたんだけどな。グレンダイザーUの場合、暴走ダイザーのシーンを描く際に、デュークの情念(ダイザーが暴れている間に、パイロットも呼応して涙を流しながら叫ぶとか)を断ち切って、大介と甲児の激突を甲児サイドからの一方的なドラマにしてしまったために、大介の罪を責任能力を問わないままに無効化してしまったのが、主人公属性の欠落に見えたんだな。暴走しているダイザーに、デュークの熱情を表情や音声でも感じることができたら、デュークとダイザーの一体性を描けたろうに」

翔花「つまり、Uの大介さんは、熱血クールコミカルの三要素全てが失格ってこと?」

NOVA「そうなる。この三要素をもう一度、俺なりに定義するとこうだな」

 

  • 熱血:主人公が物語を動かそうとするエネルギー。敵を倒すドラマなら、敵を倒すために一途に頑張る。恋人を救出するドラマなら、恋人の名を叫ぶなり、感情をはっきりさせる。目的に対して、脇目も振らず突き進む方がより熱血度が高い。無理でも、無茶でも、たとえこの命が尽きようとも、やり遂げてみせる想いの強さが大事。
  • クール:主人公が現実を観察し、分析する思考過程。あるいは、主人公の無茶ぶりに苦言を呈してツッコミ入れる仲間の立ち位置。「そんなの無理だ。できるわけない」「やってみないと分からないだろう!」というやり取りがあってこそ、熱血クールの性格が引き立つ。もちろん、自己分析しながらの自問自答でもOK。「無理ってことは分かってるんだけど、ここは覚悟を決めるしかないよな。大丈夫、俺はマジンガーの力を信じる! お爺ちゃん、見ていてくれよな。必ず勝ってみせる!」そう、クールに考えている一面を見せつつも、感情を重視するのも生き方。あるいは、「無理じゃない。勝算はある」「本当か?」「俺の計算は完璧だ。黙って、信じて、付いて来い」「お前がそこまで言うなら……付き合ってやるよ」自信満々のクール描写も格好いいね。ただし、自信満々に言った後で、失敗するとクールが崩れる。「私にいい考えがあるbyオプティマス」
  • コミカル:シリアスに一石を投じるユーモアセンス。ルーティンギャグで、キャラを親しみやすくする効果もあるが(とりわけ低年齢層を取り込むには欠かせない)、ギャグにも流行り廃りがあって、熱血やクール以上にセンスを問われる。会話劇だと、ボケとツッコミが定番だけど、ツッコミ役がケンカ腰になると笑えないので、ツッコミの後にフォローセリフで和らげるとか、話を軌道修正するとか、シーンを切り替えるとか、熱血やクール以上に間の取り方も重要になる。なお、コミカル=楽観主義な性格というのが定番で、おっちょこちょいとか、ドジとか、序盤にピンチを招いて状況解決のためのアクションシーンとか、いろいろ発展する流れもあるが、わざとコミカルな言動でピリピリした状況を和らげるとか、内心だけ浮かび上がる妄想ギャグとか、クールな建前と小心者の本音という二面性うらはらギャグとか、ラブコメなどの微妙な心情の動きを表現することも可能。ただし、行き過ぎたツンデレによる暴力描写は、主人公に感情移入する層の嫌悪感を招いて失墜しているので、近年は不人気要素になりやすい。まあ、単純にブームが過ぎて飽きられたとも。

 

翔花「そもそも、主人公にコミカル要素って必要?」

NOVA「ラノベとかでは必要だが、俺的には世代差の違いとか、趣味の違いによるリアクションの差、気持ちのギャップを描くだけでもギャグになると思うな。本人は至って真面目なのに、受け手にはギャグに思えるってのが、個人的に秀逸なユーモアセンスだと思ってる」

晶華「誰それ? そんな昔の人を話題に出しても、令和の若者には通じないわよってネタ?」

NOVA「例えば、今の若者には『水戸黄門』も『大岡越前』も『暴れん坊将軍』も通じないらしい」

翔花「そりゃ、通じないでしょう。時代劇がTV放送されていないんだから」

NOVA「来年が昭和100年だろう? つまり、今の若者は俺みたいな昭和生まれが明治時代を想像するような感覚で、昭和を見ているってことだよ。そのうち、戦後100周年とか言い出すんだろうな。あと20年もすれば」 

晶華「来年が戦後80周年か」

 

NOVA「そんなことよりも、今年がゴジラ70周年の方が大事と思いつつ」

翔花「ゴジラ様も、熱血・クール・コミカルの3要素を模索していたみたいね」

NOVA「とにかく、作風にもよるけど、主人公にとって必要なのは、積極的に行動を起こそうとする情熱とか勢い、クールな判断力とか観察力、そして親しみやすさを感じさせて和ませるユーモアやおかしさや可愛さなどの適切な配分だ。劇中で最も熱くて積極的か、最も賢くて的確な判断力を示したり状況認識能力が秀でているか、最も面白くてお笑いか癒し系の資質を持っているか……のいずれか一つでもあれば、他は周辺キャラが補うことで作品は成立する。逆に、これらの要素が何一つなければ、それでも主人公? となるわけだ」

晶華「三要素が一つもないってことは、積極的じゃなくて冷めていて、その割に判断力や状況認識が間違いだらけで愚かしく、そして、つまらなくて可愛げもなく、癒し系にもなれないキャラか」

NOVA「クールぶった批評家キャラだけど、言ってることが間違いだらけで役に立たず、しかも笑えなくて人間関係がギスギスしがち……というダメな似非オタクが主人公の物語を読んで楽しいかってことだな」

晶華「NOVAちゃんも、そうならないように気を付けないとね」

NOVA「え? まあ、その危険はあるか。クールぶった批評は時として行うが、俺の根底にあるのは趣味に対する過剰な情熱だから、熱血はクリア。まあ、行動的かと言われたら、動き出すまでが控えめな面があって、エンジンがかかるまでに時間がかかって、いろいろ迷いがち。その分、慎重に判断できると思いたいが、間違いや寄り道脱線も多くて、その都度、反省しながら迷走芸をギャグにしているところがある。コミカルについては……エンタメ芸を俺なりに研究しているつもりだが、世間一般とギャグセンスがズレていたり、頭でっかちで空気が読めてないと言われることもあり、陰か陽かと言われたら、真面目でシリアス方向の陰になるかな」

翔花「適切な自己紹介ね。まあ、NOVAちゃんは、趣味ブログを情熱的に続けるぐらいは熱血だし、勢い余って間違ったことを言っても、失敗から学べる程度には冷静でいようとするし、偏っているけど知識もそれなりに豊かで研究者資質が高い。そして……自虐ギャグの達人よ」

NOVA「最後のが微妙に引っかかるが、まあ、他人をバカにして攻撃的に振る舞うよりは、自虐的なネタの方が気が楽だわな。元々、内向的だから、他人よりは自分のことを気にしがちだし、外からはいろいろ学ばせてもらいながら、自分の至らないところをネタにしながら、反省懐古をつづる時も多い」

晶華「他人をいじるよりは、自分いじりが多いのが内向性ってことね」

NOVA「情熱が内にこもる系で、それを文章で発散させるキャラだが、いわゆる物語の主人公として成立させるには、その内的エネルギーが外向きの世の中を変える力として、アクティブに発動しないとドラマが面白く動かないのだと思う。エンタメ系の主人公は、内向的なキャラでも戦争や事件に巻き込まれたりして、行動を起こさざるを得ないケースがあって、平和な日常を取り戻すためにアクセク動き回って、頑張る姿が共感を呼んだりするわけだな」

 

主人公は最上級

 

NOVA「で、主人公としての資質について、これが最も重要なポイントだが、主人公が主人公たるためには『作中で最も◯◯』という個性づけが必要になる」

翔花「『作中で最も強い』とか?」

NOVA「まあ、ライバルとの戦いを制して、最終的に『作中最強』となる可能性はあるが、最初からそれだと話がつまらない。最初は弱いけど、急速に力を伸ばす成長力の高さで下剋上を果たして、いずれは最強に、というパターンを考えるなら、『作中で最も強くなり得る、成長を遂げるキャラ』というのがよくある主人公だな」

晶華「普通の人間が秘めたる才能を開花させて、最初は初心者とか無名のザコだと思われていたのに、最初から天才と言われている相手を震撼させるとかね」

NOVA「強いキャラがそのまま強さを示しても、つまらない。弱いキャラが鍛えられて強さを獲得する登り坂がエンタメとして快を呼ぶんだ」

翔花「でも、最初から強いキャラもいるでしょ?」

NOVA「その場合は、『昔は強かったけど、今は諸事情で力を封印している』とかで、常に最強な状態ではない。日常では過剰な力が必要ないから、平穏に暮らしていたのに、日常を壊す存在が現れたから、力を解放するとか、暴走した力の制御がテーマになるとかそんな感じ?」

翔花「ああ。わたしだって、そうか」

晶華「確かに、お姉ちゃんも屋久島に力を封印していたわね。日常での雑談では使わないけど、本当は神霊候補で、このブログ時空で最強の勇者パワーを持っているんだった」

NOVA「いや、最強はゴジラ様じゃないか?」

晶華「モスラ様じゃないの?」

NOVA「まあ、バトル展開でもないのに、最強を誇っても仕方ないからな。いずれにせよ、『封印された最強の力を宿した主人公』ってのは、それを解放して、使いこなすまでがドラマになって、ゼロから鍛えるよりも手っ取り早く、主人公最強を演出しやすいので人気がある」

翔花「自前の力じゃなくて、凡人の主人公が最強の霊的存在と契約したり、憑依されたりして力を発揮するケースもあるわね」

NOVA「これは、一般人の主人公と超越存在のバディ物という人気ジャンルだったりもするな。古くはジャイアントロボみたいなロボット物もその系譜と言えるし、デビルマンの悪魔の力もそうなるか。もっとも憑依ものだと、元の人格が憑依者に上書きされるか、影響は受けつつも独立した人格を維持できるか、憑依者の人格を塗りつぶして力だけ奪うかの3パターンが考えられるが」

晶華「肉体の主導権争いが起こったりもするのね」

NOVA「この場合、主人公がメンタル最強という資質があったりするな。ウルトラマンも憑依型ヒーローだが、変身者の人格とウルトラマンの人格が同じか否かで、ドラマの違いが出てくる」

翔花「劇中で、ウルトラマンが最強なのは基本だけど、そんなウルトラマンでも勝てない敵が出て来ると、成長ドラマの要素が出てくる」

NOVA「ウルトラマンが弱気になっているところに、メンタル強い主人公が逆に勇気づけるというドラマは最近のアークにもあって、人格面において地球人とウルトラマンが対等だったり、地球人がリードするケースも近年は増えた」

晶華「ウルトラマンと変身者がコントをするような作品も時々あるわね」

NOVA「ウルトラマンZが代表だが、ウルトラ憑依コントの元祖は師匠のゼロさんとDAIGOのタイガ・ノゾムだと思う(2012年の映画『ウルトラマンサーガ』)」

翔花「ああ、ガッチャードデイブレイクの人ね」

NOVA「憑依型バディ物の場合は、宿主の主人公と憑依者の絆が強ければ力を発揮できるし、仲違いすれば弱体化してしまうので、その設定だけでドラマ性を帯びていると言えるな。最初は不仲の両者が、敵役の悪行に接して、共に悲しんだり、怒りを燃やすことで、心を一つにして最強の力を発揮できる」

晶華「ウルトラマンサーガの場合は、そういうゼロさんのドラマに加えて、先輩ウルトラのコスモスさんやダイナさんとの関係性も合わせて、二重三重のパワーアップドラマを紡ぎ出しているわ」

NOVA「そうだな。30分番組の1話だけなら、パワーアップネタは一つあれば十分だが、2時間近い劇場版だと、ネタをいろいろ組み合わせて複合的なドラマ展開で畳み掛けることも重要。ワンアイデアを柱に置きつつ、さらに補強するアイデアをどれだけまとめられるか。そして、余剰なアイデアを削ぎ落とすかが作品の完成度を高めるとも言える」

翔花「NOVAちゃんも、寄り道脱線部分を削ぎ落として、論旨を明快にすれば、ブログ記事の完成度が上がると思うけど?」

NOVA「う〜ん、それだったらカオス渦巻く雑談形式をとらないと思うんだよ。何となく、書きたいテーマがあって、ワンアイデアで書き始めてみたら、お前たちとやりとりしている間に、違うネタが思い浮かんで、自分の中の潜在的イデアが広がっていく過程を楽しんでいるんだからさ。最初から完成された筋道の文章で、読者さんを感服させようとか、俺の意見に納得してもらおうとか、説得しようとか、そういうことはあまり考えていない」

晶華「まあ、分かってくれる人がカオスの中のお宝を楽しんでくれたら、それでいいって考えだもんね」

翔花「ところで、NOVAちゃんの考え方に合わせるなら、『作中で最もカオスを巻き起こすのが主人公』ってことになったりしない?」

NOVA「それは敵キャラだ! と言いたいが、実のところ、主人公の持つ力だってカオスの元になるんだよな。原作コミック版マジンガーZのキャッチフレーズとして言われる『神にも悪魔にもなれる力』ってのが正にそれだし、そこに正義の心を持った人の頭脳をパイルダーオンすることで、究極の正義の魔神として制御するってテーマだ。裏を返せば、パイロットが正義を見失って、頭の中がカオスに支配されてしまえば、魔神の力が暴走して……ってのが桜多コミック版グレンダイザーだし、グレンダイザーUもそういう方向を目指していたようで、人類の身勝手さへの失望が矮小な昼メロ恋愛劇に劣化してしまった感がある。

『最もカオスな存在が主人公』という定義に乗っ取るなら、U版デュークフリードも主人公……と言えなくもないが、本人はそれをあまり自覚してなくて、カオスの元凶の王族姫君姉妹とか周囲に翻弄された結果というのが主人公としての主体性を欠くというか、まだブチ切れたデュークがルビーナの亡骸とともに自覚的に暴走して、狂人モードになって暴れている方が主人公としてあり、と思っている。自分で自分の尻が拭けない、ブンブン的に言えば自分で自分のハンドルを握れないのを主人公として認めるかどうかだな」

晶華「カオスならカオスでもいいけど、そのことに自覚的に、主体的であれ、と言いたいわけね」

NOVA「そう。もしかすると、本気で暴走したデュークの恐ろしさは後のためにとっていたのかもしれないけど、主人公はあまり汚さないように綺麗な箱入り王子として残しておこうとか、デュークの醜い部分はアンチテーゼ的なカサドに反映させたのかもしれないけれど、まあ、主人公としては魅力に欠けたな、と」

翔花「とにかく『主人公が最もカオス』という仮説はどう?」

NOVA「コメディだと、主人公もしくは主人公の身内の発明品や超常能力で世の中がハチャメチャ大混乱する描写があったりする。まあ、日常系は基本的に奇抜な性格の主人公と抑え役の保護者キャラ(たまに関係性が逆転するケースもあり)が巻き起こす大騒動が通常エピソードで、稀にハートフルなしみじみエピソードが変化球的に紛れ込む。でも、変化球だけを集めて、それが作品の本質だと言われると少し違う」

晶華「グレンダイザーの悲劇恋愛エピソードだけをつなげても、つまらないってことね」

NOVA「きつねうどんの油揚げだけ取り出して来て、うどんが足りていないようなものだな。ステーキに甘苦いソースで味付けされて美味しくなっているのに、肉の量が足りてなくて、ソースだけガバガバでも、俺はソースを食べに来たんじゃないって言いたくなる」

晶華「変な例えは置いておいて、事件やトラブルを解決せずに、かえって状況を悪化・混迷させる諸悪の根源みたいな主人公もいるってことね」

NOVA「どちらかと言えば、ギャグ漫画とかの世界だけどな。主人公自身に罪はないのに、やたらと過酷な運命が襲いかかってくる悲劇のようなケースもあるし、その主人公の陥った苦境と心理的抑圧なんかをしみじみと鑑賞する、『あはれの文学』みたいな作品もある」

翔花「いわゆる源氏物語ね」

NOVA「ただ、グレンダイザーの場合、あはれはフレーバーにしか過ぎず、本質は地球を愛する高潔な異郷の王子が雄々しく侵略者と激闘を繰り広げるダイナミックなロボット活劇にあるわけで、その高潔さが解釈違いされて、女々しい身勝手な箱入り王子になってしまっては、そんな主人公が令和(生まれたのは平成)の若者にも、昭和生まれのおじさんにも受け入れられるのか、という問題がある」

晶華「主人公の料理の仕方を間違えた?」

NOVA「旧作を抜きに考えても、Uのデュークがやたらとナイーブで、雄々しい陽性キャラの兜甲児と対照的に描かれている。すると、デュークの役回りが昭和のお姫さまというか悲劇のヒロインみたいになってしまった。この作品は女性陣の方が主体性が強く、ドラマを引っ張ってくれるため、もしかすると女性受けするのか、ナイーブな王子さまを女性が翻弄したり保護したりする作品なのか、と考えたら、令和にも男性が指揮官やサポート役で、女性が前線で戦うバトルの主体を担う作品も多い」

翔花「でも、Uのデュークさんは指揮官でも、サポート役でもないわね」

NOVA「そう。何だか未熟な少年が自己憐憫で良かれと思った行動を真面目にこなそうとして、周囲からも持ち上げられたりもするんだけど、保護者の兜甲児に最後まで尻を拭かれっぱなしだったな、と。昭和のおじさんは、甲児くんには憧れ、共感するけど、大介にはな。そもそも、大介って『大らかな心で人を助ける』って感じの意味だろうし、最初は未熟でも甲児との友情で強さを獲得し、旧作では完璧主人公となったデュークのナイーブさを代替する役回りとして妹のマリアを登場させたのに、Uではマリアの方がしっかり者という」

晶華「どんどん、大介さんの残念な点が浮き彫りにされていくわね」

NOVA「1クールだから成長も描けず、せいぜい昔の女とのこじれた関係性を昇華しただけで、侵略者に対しては制御できない暴走パワーで無理やり決着をつけ、最後だけ甲児たちとの合体攻撃で前線ボスのガンダルを倒して、一応まとめたけれど、確固たる意志を示したのは甲児くんだと言う。状況に流されるだけで、自分でコントロールできないタイプの主人公は見ていて歯がゆい」

翔花「感情移入には程遠いけど、『作中で最もカオスを巻き起こすのが主人公』って定義では、暴走して敵味方関係なく暴れたシーンは輝いていたと思うけど?」

NOVA「デュークではなく、グレンダイザーがな。イデオンエヴァの文脈だし、桜多コミック版のダイザーにもつながって来て、壮大なカタストロフを志向したのは分かるが、20年前のセカイ系っぽい話になってしまったな」

晶華「古臭いってこと?」

NOVA「古いのは元々題材がグレンダイザーだから受け入れるんだが、セカイ系と受け止めるにしても、大きな欠点がある」

翔花「何?」

NOVA「セカイ系は、主人公もしくはメインキャラの感情の暴走がセカイの危機に直結するって作風で、彼もしくは彼女の感情に受け手が同情・共感できるかが肝だと思う。そのために暴走主体の心情の機微を丁寧に描いて、受け手に浸らせることがキーなんだが、そこに三角関係を出して来たり、主人公の心情に???を伴うようなサプライズを混ぜられると、受け手は驚くけど浸れない。おまけに肝心の恋愛感情が回想シーンでしか示されてなくて、現在進行形の恋心が上手く描写されなかった感がある」

晶華「『思い詰めた愛が世界を滅ぼす』というのが、セカイ系?」

NOVA「まあ、破局型のラブロマンスの傾向が強いが、世界を滅ぼすほどの思いつめた愛となると、一途な純愛であり、殉愛と言ってもいい。彼女のいない世界なんて価値はない、滅びてしまってもいいという感情が暴走して……とか、『特定人物や事物に最も強い愛情を示すのが主人公』と定義できる場合もあるわけだ」

翔花「その事物がオタク趣味の場合もあれば、スポーツだったり、ヒーロー愛だったり、ジャンルによってまちまちね」

NOVA「他が見えないぐらいの過剰な愛ゆえに、失ったときの心の傷は深く苛まれるものがある。受け手も思わず、涙ぐむほどの悲哀を描ければ、ドラマとしては成功していると言えるが、その感情が一途ではなく、優柔不断なものだったら?」

晶華「そんな不確かな気持ちで、世界を滅ぼすなってツッコミが入るわね」

NOVA「浮気者主人公の作品では『うる星やつら』が代表的と思うが、あれはセカイ系じゃないからラブコメとして成立している。ラブコメが転じて、純愛路線になった後、暴走して殉愛路線からセカイ系へという変化を遂げる場合もあるが、ラブコメは日常的で喜劇方向だし、セカイ系は非日常の悲劇に通じやすいので、同じ愛をテーマにしていても相性が悪い。上手く中間の転機を描かなければ、唐突すぎて感情移入が絶たれる。三角関係のラブコメ路線で揺れる心情を描きたいなら、そこからセカイ系に流れるには尺が足りない。だから、暴走したデュークの感情は描かないという手法をとった」

翔花「何だかよく分からないけど、暴走してるグレンダイザーを止めないとって話にシフトしちゃったもんね」

NOVA「どうもU世界のグレンダイザーは、怒りのスーパーモードみたいな搭乗者の強い感情をフィードバックするシステムでも内蔵されているようなので、デュークにはギアナ高地で明鏡止水の奥義を会得する必要を感じているわけだが、さておき主人公論をそろそろ終わらせない、と」

翔花「とりあえず、ここまでで『作中で最も強くなり得る、成長を遂げるキャラ』『作中で最もカオスを巻き起こすのが主人公』『特定人物や事物に最も強い愛情を示すのが主人公』という定義が出てきたけど」

NOVA「これがギャグ物だと『作中で最も笑える面白いキャラが主人公』。推理ものだと『作中で最も頭が良かったり直観分析能力に秀でて、事件解決の力になるのが主人公』。悪漢ものだと『作中で最もズル賢くて、機転が利いて、大胆なのが主人公』とか、作風ごとに定義できるわけだが、これこそが主人公の個性としてプッシュすべきところだと思う」

晶華「凡人じゃ主人公にはなれない?」

NOVA「個性的な人物に囲まれた平凡な語り部役を主人公とする作品も、ラノベではよくあるが、この場合、『作中で最も冷静に、周囲を観察して分析して、適切なツッコミを入れられる物語世界におけるニュートラルさ』が特徴と言える」

翔花「ニュートラルってことは中立のバランス型ってこと?」

NOVA「まあ、バランサー型主人公? 多数の個性的なキャラを描くには、語り部が受け手並みの良識を備えていないといけなくて、しかもツッコミ芸の達人でなければ、作品そのものがつまらない。つまり、語り部主人公に必要なのは『作中で最もツッコミ力のある、話芸やコミュ力のある人物』ということになる」

翔花「コミュ力かあ。陰キャラには無理ね」

NOVA「まあ、内向的なキャラだと、周囲のキャラへの関心が薄いから、どうしても物語世界が狭くなるな。その場合は、隣に陽性の幼馴染ヒロインでも配置して、やたらと周囲に関心を示して、語り部くんにコメントを求めてくる、という会話作劇が必要になるが、コメントを求められて適切な返しができるかどうかが肝になる。『気心の知れた相手なら、気の利いた返しができて、クールに建設的なことも言える』というのが、陰キャ主人公の生きる道かな」

晶華「まあ、さすがに何を聞かれても、ネガティブにつまらないことしか言えないのは、作品そのものをつまらなくしてしまうからね。語り部キャラに大事なのは、『世界を最も面白く見ることのできるセンスと一般常識を持っている』ってことかしら」

NOVA「専門性を備えるか、さもなければ広く浅くでもいいから、偏狭に陥らないことだな。凡人を主人公にしたいなら、その凡人は『作中で最もバランス感覚に秀でて、周囲の異常をしっかり分析して、適切なコメントを入れられる人物、かつ実はメンタルが最も強い』という条件が必要だ」

翔花「ああ、メンタルが弱いと、周囲の異常に対して簡単にパニックを起こして、状況解説ができなくなってしまうからね」

NOVA「受け手が物語を把握できる程度には、冷静に周囲を観察してリアルタイムにできごとを語らないといけないから、クールに徹することも大事だし、状況を理解、補完するだけの知力や情報収集力も必要で、語り部が本当に無能だと読み物としてもつまらない」

晶華「それって、言い換えれば作者が無能ってことだもんね」

NOVA「そんなわけで、これで主人公論はまとめられる。作品ごとにいろいろなタイプの主人公がいるわけだが、結局、この主人公は『作中で最も◯◯』ということを意識して、足りないところを補うパートナーや仲間を対比的に描ければ、後は物語を動かせるキャラ設定であればいい、と」

翔花「物語に動かされる受け身型主人公の場合は?」

NOVA「最初の動機はどうであれ、途中の葛藤はあったとしても、最後は主人公の決断で物語に決着がつければ、未熟な主人公が葛藤を経て、最後には上手く解決できた、と見てもらえる。最後の最後で、物語をまとめることができなければ、主人公? となってしまうという結論だ。もちろん、最初から最後まで、物語を引っ張る力を持った主人公の方が、ベストなのは言うまでもないけどな」

晶華「完璧主人公だと、単調すぎて面白くないので、いろいろ変化球を混ぜて、試行錯誤するのが創り手なんでしょうけどね」

(当記事 完)