Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

前回の記憶違いの訂正と、90年代の私的懐古話

いいね、に励まされつつ

 

NOVA「前回は、俺にとって青天の霹靂めいた訃報記事だったが、たささんにいいねを頂いて、励まされた気持ちになった」

翔花「その前の訃報記事にもいいねを頂けたので、タイミング的にもかぶったわけだしね」

晶華「たささまの気遣いに感謝申し上げます」

NOVA「いずれにせよ、訃報そのものがいいね、ということでは当然なく、記事内容(俺自身の過去の思い出など)なんかに、賛同なり共感なりをいただけたとは思うが、恥ずかしながら記憶違いがあったので、訂正しておこうと思う」

晶華「大事なときに、記憶違いなんて……」

 

北沢さんや川人さんは3期ではなく4期に当たる

 

NOVA「間違えたのはこの部分だ」

 

>SNEのメンバーの中では、草創期に次ぐ2期の代表が友野詳さんと柘植めぐみさんになるんだが(91年ごろ入社)、その次の第3期(94年)に当たるのが北沢慶をリーダーとする川人、加藤、杉浦になる。

NOVA「87年に設立されたグループSNEは、業務拡張のために90年に『キレ者求む』の宣伝文句で新入社員を募集して、友野さんを初めとする2期の社員が入った。この期には、他にシャドウランの翻訳などを担当した江川さん、ゴーストハンターRPGや大活劇をデザインした白川さんなどがいて、SNEの最初の拡張期ということで、デビューも早かったと思う」

晶華「江川さんも在籍中に亡くなられたのよね」

NOVA「同期の友野さんが今も戦友みたいに、命日にXポスト(旧Twitter)で宣揚されているのを見ると、感じ入ったりもするわけだ。あの人はそういうところにもマメで、いろいろと面倒見のいい御仁だと思ってる」

翔花「山本さんの著作でも、後輩の中で友野さんのことは非常に優秀な新人だったと評価されていたものね」

NOVA「山本さんの作成した入社テストに、100点満点じゃなくて、それ以上の質と量のものを提出してきたってことだものな。ちなみに、俺がやったら、ダメだった。出題者の意図が正しくつかめていなかったので、その年のSNEの入社テストを受けていたら不合格だったろう」

晶華「NOVAちゃんの時には、どんな課題だったの?」

NOVA「後で語る。さて、この時期、SNEは2年おきに新入社員を募集していたようだ。よって、3期は92年募集だったわけだが、残念ながらこの期の人たちは、現在一人もSNEに残っていない。消えたゲームデザイナーということになるんだが、当時のSNEファンの人には思い出深い名前もあるだろうな」

翔花「NOVAちゃんたちの直接の先輩に当たるのね」

NOVA「年齢的には、同学年の人もいたんだな。と言うのも、92年ということは、俺が大学4回生だったこともあって、IF世界なら、この時にSNEを受けていた可能性もあったから」

晶華「何で受けなかったのよ?」

NOVA「他にいろいろ就職活動をしていたんだけど、ちょうどバブルが弾けたタイミングで上手く行かなかったんだな。その前年に先輩たちから聞いた就職活動の情報がちっとも役に立たない。俺は国立大学の出身だから、その前年までは『引く手数多だから普通に活動していたら通るだろう』と言われて、まあ舐めていたんだな。でも上手くいかないし、未来の見えない浅知恵で『こうなったら1回留年して、来年頑張る』と決意して、単位を1科目だけ落として、計画どおりに留年したわけだ」

翔花「計画どおりに留年……って何?」

NOVA「留年と言うのは、同じ学年をもう一年続けることだな。普通は、テストに失敗して上に上がれないという落第を意味して、ネガティブな意味で使う。ただ、一年分、自由時間が増えるというモラトリアム期間でもあるし、授業料さえ払えるなら、大学在籍中という肩書きは残るので、そっちの方が先の就職には都合がいいということも考えたんだ」

晶華「つまり、企業は現役卒業(予定)生を募集しているので、卒業した後の就職浪人生よりは有利、と考えたわけね」

NOVA「今にして思うと、どうして大学院を目指さなかったのか、とか、いろいろツッコミ入れたい面もあるのだが、塾講師のアルバイトとかこなしながら、研究生活よりも社会に出ることを目指していた流れだな。大学に残って研究生活に専念という未来は、当時は夢や願望になかった」

晶華「で、92年のSNE社員募集は受けなかった、と」

NOVA「趣味は趣味、仕事は仕事、と割り切って、自分がその業界に入るなんてことは真剣に考えていなかったよな。趣味で小説もどきを書いて、趣味で翻訳もして、趣味でTRPG関係の同人誌(コミケとかに出品するのではなく、あくまでグループ会誌程度の内容)も作っていたけど、将来の仕事とまでは考えていなかった。で、自分としては、まさか天下のグループSNE(個人主観)に関われるとは思ってもいなかったんだよ」

 

翔花「で、92年採用の3期の人たちは、どういう人たちなの?」

NOVA「翻訳系で頑張ってた人は、GURPSなどを中心に精力的に訳していた黒田さんだな。この人は、大学の同期になるんだけど学部が違っていたので、そっちでは会うことがなかった。後から同じ大学の同期ということを知って、ええ? と驚いたりもしたな。晶華好みのクールメガネなタイプだと思う」

晶華「それはお会いしたかった」

NOVA「って言うか、ゲーム業界ってメガネ率がやたらと高いんだよな。友野さんは陽性お笑いメガネだし、安田社長もレーシックで裸眼でもいけるようになる前はメガネだった。実のところ、俺がSNE見習い時代はメガネをかけていなかったので、メガネキャラになったのはその後の話だからな」

翔花「メガネの話は置いておいて、幻の3期の人たちは、他にどういう人が?」

NOVA「友野さんの助手みたいに思えたのは、小川さん。この人は陽性キャラで、いろいろ話しかけてくれて面倒見のいい人に思えた。リプレイのプレイヤーとしても活躍していたんだけど、GURPSコクーンなんかが代表作。

「あとは当時、水野さんが中心のSNE別室クリスタニア班というのがあって、そちらで活躍されていたのが、河添さんと白井さん。で、白井さんもクールメガネキャラだ」

晶華「クールメガネ多すぎ。まさにハッピーパラダイスね」

NOVA「ゲーマーという人種は、基本的にルールや戦術をあれこれ語るから、クールな側面を持っている。逆に、そういう話ができない人間はゲーマーとは言えない。ゲームを知ってるのがゲーマーなのではなくて、ゲームのルールに詳しいのがゲーマーだ。ただのゲーム好きと、特殊技能ゲーマーとでは雲泥の差がある」

翔花「ゲーマーって特殊技能なのね」

NOVA「まあ、ゲーマーと言っても、もちろんレベル差はまちまちだが、持ってるゲームのことを嬉々として語れるのがゲーマーってものだと思う。まあ、語り過ぎて、付いて行けない周囲がドン引きするケースも多々あるのがオタクってものだが、そこに適切なツッコミや返しを入れられると、やるなお主、という好敵手(とも)となる」

晶華「ところで、NOVAちゃんもWhite NOVAを名乗っていたけど、ペンネームも白が付くの?」

NOVA「いや、昔、俺のことを白井英さんと誤認していた人がいて、『いや、違います。自分のペンネームは「白城真利」を考えていたんだけど、SNEで白川、白井と続いて、また白が続くのを遠慮して、それを使わずに、本名もじりの安易なペンネームで記事書きしたけど、結局、ほとんど使う機会がなかったから、まったく浸透していないと思います。本の表紙にも名前出てないぐらい無名なんで……』とメール返したことはある」

翔花「白城真利……って、しろしろしんりって読むの?」

NOVA「白き魔術師をもじって、しらき・まさとしなんだけど、はくじょう・まりとも読めるな。なお、中村主水の奥さんのりつ役の、白木万理(しらきまり)さんも少し意識した。もしかすると、こっちのペンネームを使って、『白城真』とでも名乗っていたら、違う運勢が満ちていたのかもしれないが、当時は『安田均』『水野良』『山本弘』『友野詳』など漢字2文字の名字と、1文字名が主流という伝統があったりもしたな」

晶華「清松さんみたいな例外もあるけどね」

NOVA「で、今は誰も残っていない3期の方々なんだけど、思い出の中ではそれぞれ良い人として記憶に残っている。前回の記事で、失念していたのが申し訳なく思うほどだ。まあ、現役ゲームデザイナーではない方々なので、記憶回路からほじくり返さないと出て来なかったわけだが、94年に入社したのは4期に当たるんだな」

翔花「5期は?」

NOVA「知らん。俺が在籍中は、そこから新人募集をかけられる時期じゃなかったし、俺の記憶で直接面識のある後輩社員は一人もいない。だから、21世紀に入ってからの新人デザイナーは、俺が一方的に後輩視してるだけなんだ。まあ、その作品をリプレイ中心にファンとして追っかけてる人たちで、諸事情の末にデビュー後すぐ辞めた方とか、昔の自分の記憶とかぶって、変に共感してしまう面もあるな」

晶華「NOVAちゃんが辞めたのは、TRPG冬の時代とかの影響だと考えているみたいだけど、もしもそれがなければ、続けて来れたと思う?」

NOVA「たぶん無理だったろうな。チャンスがあったとしたら、TRPGに一度見切りを付けて、社長の推すドイツ製ボードゲームの翻訳を自分から進んで、『興味あります、翻訳させて下さい』と一歩踏み込んで熱意表明できれば良かったのかもしれないが、ある作品のケアレスミスでガーンとなって、迷惑をかけたとか自己嫌悪とか立て直すのに時間がかかって引っ込み思案になったりもしながら、やはりフットワークの重さで時流に乗れなかったんだと思う。いろいろ反省材料はあるんだよ」

翔花「まあ、そうやって挫折したりもしながら、反省して、落ち込んだりもしたけど、今も元気ですってやってるのが、ここにいるNOVAちゃんだし?」

NOVA「あの時、ああしていれば……というIF懐古はいろいろできるけど、それで悔やんで落ち込んでいても仕方ないからな。今できること、やりたいこと、しないといけないことをどれだけこなせるかが大事だと思うわけで、自分の居場所を維持しながら、みんなの笑顔を生み出せる自分でいれたらいいなあ、と」

 

NOVAはどうやってSNEに通ったか

 

NOVA「で、話を戻すと、92年に俺は就職活動の失敗から、大学留年を決意した。そして93年は好きに楽しめたわけだ。何しろ、取らないといけない単位はあと一つなので、授業にはほとんど出なくていい。卒業論文で『十字軍と異文化交流について』というタイトルと構想だけは練っていたけど、何とかなる気分ではいたな。実際には、そういうテーマは学部生が扱うには壮大すぎて、史料を揃えるだけでも大変なので、教授に呆れられながらも助けていただいたわけだが」

晶華「十字軍は戦争で、異文化交流は平和につながるよね」

NOVA「高校の歴史の教科書で、『十字軍を機にヨーロッパとイスラム圏の接触ができて、そこからルネサンスへとつながって行く』と大雑把な流れが記されていて、さらに日本もアメリカと昔、戦争したけど、和解後は積極的に文化交流を果たして仲良くなった的なイメージもあったし、ケンカした後でどう交流したら仲良くなれるのか、というテーマに興味はあった」

翔花「互いに拳をぶつけ合って結びつく友情ってことね」

NOVA「20代の俺の理想論的な世界像だな。当時、冷戦が終結して、あれだけ冷えきっていた米ソの関係が大きく改善されたという時代背景もあったのだろう。今ではそれが甘い考えだとも認識しているし、和解どころか根本的な価値観の違いで、理解したからこそ折り合えない関係もあるのだと分かる」

晶華「相手を知ったことで、根本的に折り合えない差異を認識できたってことね」

NOVA「『挑戦と応戦に基づく文明発展』のトインビー史観にハマっていたこともあって、まあ、この辺は俺の価値観にも大きな影響を与えている。困難やイヤなことにどう向き合い、打って出るかが個人の成長にもつながるが、活気のある若いときはまだしも、ある程度、年をとると、『全ての挑戦に応じていては、身が保たない。適度にスルーすることも覚えないと。自分の成長につながる相手や課題からは逃げずに、そうでないものにまで余計な労力を注ぐのは愚の骨頂』という『選択と集中』理論を学んだのは、後年になってからだと思う」

翔花「どっちの理論も正しいと思うけど、どちらを採用するかは時と場合によるってことね」

NOVA「たった一つの理論とその応用だけで、全てを解決したいと望むのは理系的センスらしいが、現実の諸事情に対応するのは、雑多な知識の中から最適解を見出す直観的な文系センスも必要らしい。まあ、無能な文系は雑多な知識の中から適切なものを選び出すセンスに欠けているというか、何が適切なのか分からずに、最初に思いついたことを一つ覚えのように繰り返すというか、何というか」

晶華「でも、そういう一途で頑迷な想いが、状況解決の鍵になるってこともフィクションでは多いわね」

NOVA「そういうキャラクターが多くの人の心を打つのは、実際に傷つき、それでもヘコタレない気力体力を持っているからだな。一見、そこまでするかという愚かな行動も、傷つき諦めないで不撓不屈のド根性で貫き通せば、その持続性、継続性、本気の頑張りが人々の心を打つこともあるわけだ。不器用だけど、本気が伝われば、応援したくもなる。そういう姿をどう見せるかが演出技法だけど」

翔花「俺にはこれしかできないからな、と言いながら、ひたすら一点突破を試みるキャラは格好いいと思うよ」

NOVA「そういうのが似合うのは、昭和の体力バカで、平成以降は脳筋と揶揄されがちだけど、強くて優しいってのは傷ついても倒れないのと同義に思えることもある」

晶華「完全一致ではないけどね。ただ、クリエイターとしてはそういうのしか描けないのは問題よね」

NOVA「引き出しが少ないってことだからな。とにかく、大学時代までの俺は自分なりに世界を広げる努力を頑張りつつ、自分のアイデンティティが見えないまま、目につく全てを吸収しようと貪欲に挑戦していたのだと思う。だから広がる世界とかには憧れを持ちながら、リアルよりも歴史とか空想の中で世界を構築する作業に没頭していたわけだな」

翔花「肌感覚よりも、理論家方面だと」

NOVA「だから、理屈抜きに、ろくな話もせずに、いきなり肌感覚を訴えて来るような輩は、全くもって性に合わんわけだよ。『考えるな、感じろ』は武道の心得としてよく使われるんだが、感じた結果がキモいとか、自分には合わんとなれば、それ以上、考える必要はないというスピーディーなひらめきなんだ。でも、それは瞬間瞬間の行動が生死を分ける武道家の精神であって、クリエイター精神ではないし、感性の違いは誰にでもある。そのギャップを乗り越えるためにあるのが理性なんだろうが、そこを完全に切り捨てると、好き嫌いとかそういう原始的なことしか言えないことになる。『バカになれ』は至言だけど、それは『楽しいバカになれ』であって、『つまらない(笑えない)バカ』とは違う話だと思うんだ」

 

晶華「で、話はそれているけど、93年を楽しく生きたNOVAちゃんは、結局、その年も就職活動には失敗しました」

NOVA「世の中の不景気というものを舐めていたというか、現役卒業だから有利とか、そういう小手先の考えで何とかなる状況ではなかったんだな。むしろ、フットワークの軽さが求められている。『卒業したらおいで』じゃなく、『来月からおいで』と言われたら、すぐに動ける身の軽さこそが大事と方針変換して卒業した。そして94年を迎えたんだ」

翔花「その時に、グループSNEが新たに社員募集をしていたわけね」

NOVA「ものは試し、と思って受けたら、受かっちゃったというのが実際の感覚だ。その際の試験内容が、『自分の作った作品提出』と『アクワイアというボードゲームのプレイ』だったと記憶する。作品については、リプレイのソード・ワールドinロードス』と、リプレイ小説のユニコーンの探索』と、グループ会誌の『Light Feathers7号』を提出できた」

晶華「そんなに、あれこれ作っていたの?」

NOVA「ワープロ打ちした原稿をコピーして、ホッチキスで止めて製本した程度のものだったけどな。B4用紙10枚ほどの紙を二つ折りにして、20ページほどの内容だったが、大学の学祭の研究発表論文集を参考に、当時のゲーム仲間との親睦を深めるために作っていたのが功を奏したわけだ」

翔花「冊子の7号というのが凄いよね。にわかに作ったのではなくて、それまでに6号分を作っていたわけだから」

NOVA「中身は、TRPGの歴史とか、ルール紹介とか、俺がゲーム雑誌や関連書籍で仕入れた知識を、ゲームに詳しくないメンバーに伝えるのが目的だったけど、乗り気になってくれたメンバーから記事を集めたり、イラストを描いてもらったり、編集まがいのことをしていた。素人のゲームファンにしては、なかなか凝った内容だと自画自賛してもいいが、結局はSNEの受け売り知識だったからな。まあ、SNEファンであることをアピールするには最適だったと思う」

晶華「何にせよ、素人ながらも記事書き経験は、それなりにあったわけね」

NOVA「元々、ワープロは大学のレポート書きや卒業論文のために必要だから買ったんだけどな。当時はまだパソコンを持っていなかったので、レポート書きのためにキーボード打ち込みするだろう? だんだん慣れてくると、自分の書いた記事がプリントアウトされるのが楽しくて、高校時代にノートや原稿用紙に手書きしていた小説なんかを、そこからワープロで打つようにもなって、趣味と実用を兼ねた手作業にハマって、いろいろゲーム関連の文章を書くようになっていたわけだ」

翔花「プロを目指しているわけでもなく、趣味でやっていた作業ね」

NOVA「あっ、もう一つ思い出したことがあった。大学在学中に富士見ファンタジアの第1回長編小説大賞に応募したことがあったんだ。タイトルが『水底の都』で、俺が初めて書いた原稿用紙300枚の作品。それまで、原稿用紙で書いたのは高校時代の150枚(『光の杖』)が最高で、まあ、高校時代は大学ノート単位で5冊ぐらいは書いていたんだけど、原稿用紙換算はしていなかったからな」

晶華「で、『水底の都』は落選して、その年に最高評価を得たのが『スレイヤーズ』ね」

NOVA「『スレイヤーズ』を読んだ瞬間、俺にはこういうコミカルで軽いのは書けんと思ったな。目指していたのが、『ドラゴンランス』『ロードス』『エルリック・サーガ』の方向性で、軽妙で面白いユーモアファンタジーというものを再勉強しないといけない気分になって、『ザンス』シリーズを読み始めたり、自分に書ける文章は何で、どう書いたら人を楽しませることができるのか、とかは悩んでいる時期があった。まあ、自分を楽しませるだけなら、普通に書けていたので」

翔花「文章を書いて、自分を楽しませるってのは、作家の必要条件よね」

NOVA「承認欲求のために文章を書くけど、承認が得られなければ書けない……だけど、作家にはなりたいという神経が俺にはよく分からないんだな。まあ、ネットが発展したことで、プロじゃなくても普通に自分の文章を世間に読んでもらえるチャンスが増えたのは、俺にとっても恩恵なんだが」

晶華「下手でも、素人でも、文章は書けて、読んでもらえる可能性がある」

NOVA「まあ、書いているうちに、自分のオリジナリティな文体とか芸とかが磨かれていくので、掲示板に毎週書いてくれる人の文章は、それぞれのスタイルが磨かれていいんだな。感想文を毎週書いて、自分の感じ方や考察をアピールする楽しみは、いいものだと思いつつ、やっぱり好きこそ物の上手なれ、だと思うんだよ。まあ、書くことが苦痛に感じてしまうと、続けていけないんだけど」

 

翔花「とにかく、NOVAちゃんは学生時代から文章をいろいろ書いてきて、その延長で憧れのグループSNEに参加できました」

NOVA「いい夢だったなあ。まあ、秋に入社したと思った翌年に、いきなり阪神淡路大震災でタイミング最悪だったわけだが」

晶華「震災がなかったら、もっと順風満帆だったと思う?」

NOVA「思う。だけど、北沢慶とか、川人くんとか、加藤くんとか、杉浦くんとか、同じ状況でそれぞれのポジションを獲得できたわけだから、彼らと俺の資質の差とか気にしたことはいろいろあった。まあ、いろいろ分析しても、結局は他に置き換えにくい個性が、会社の目指す方向性に噛み合うかだからな。俺に北沢兄貴みたいなリーダーシップはとれないし、加藤みたいな豪快バカヤンキー兄ちゃん(褒め言葉)もマネできないし、杉浦みたいな器用なサポーター役とかイラスト描ける能力もなかったし、そして川人くんの個性は……ここが俺にも真似できたのではないか? って思えるんだ」

翔花「川人さんはNOVAちゃん寄りってこと?」

NOVA「というか、俺より器用で、俺の好きなものを見せてくれる感じ? まあ、クリエイターとしては違和感なく、そうそう、それがツボなんだ。俺もそういうのを書きたかったんだよね、ナイスだ……と素直に思える御仁。彼が俺好みの作品を作ってくれるなら、俺はそれを労せず楽しめばいいじゃん、と思わせてくれる人だった」

晶華「その最たるものが、ロードスとゴブリンスレイヤーね」

NOVA「どっちも、さすがは川人くん、と思ったわけで、こっちは満足だよ。同期の彼が頑張っている姿を見せると、こちらは素直に感じ入って、楽しませてもらえばいい。自分が進みたい方向性(自分にとっての王道)を歩んでいる彼を応援することは、昔の自分を応援するように感情移入できて良かったんだよな」

翔花「でも、残念ながら……」

NOVA「個人的には、加藤ヒロノリの川人くんに寄せた追悼Xポストが良かったんだ。俺の知らない川人くんの人柄や付き合いぶりを簡潔にまとめて、きれいな追悼文になっていて、感じ入らせてくれた。加藤の性格や作風は、どうも俺には合わず、彼がウケるのなら俺の方向は時流に合わんと思わせたぐらいだけど、それでも同期の縁で川人くんへの想いは通じるものもあったんだな、と共感した。水野さんは山本さんに次いで川人くんへの追悼の言葉を述べてるし、柘植さんも今回は川人夫人としての立場で書かれてあった。公式発表はしていなかったはずなので、この場での披露かな、と思った」

晶華「故人の死で、関係者の生前の思い出とかがいろいろ出て来るタイミングね」

NOVA「ああ。それぞれの関わり方が、いろいろ興味深くもあるんだが、自分もこのタイミングでないと書けない想いがあったってことで。まあ、一番関わりが多かったのは、ソード・ワールド班の北沢さんと、友野さんだったと思うけど。川人くんのゴブリンスレイヤー・リプレイに、友野さんも参加していたらしいし、たぶん、あのお爺ちゃんキャラかな」

翔花「いろいろと見えてくる人間模様が」

NOVA「別に不謹慎な話でもないだろう。それだけ故人が周りの多くの人から愛されていたってことさ。誰かが亡くなって、改めて愛情をもって語られるのは素晴らしいことだと思うし、惜しまれて亡くなることは幸せなんじゃないかなあ、と思うよ」

晶華「NOVAちゃんにとっても、いい思い出が数々と」

NOVA「中途になってる『フェアリーガーデン』とどう向き合おうかな、と考え中だ」

晶華「このタイミングで、プレイを強要するのもどうかと思うしね。辛いでしょ?」

NOVA「まあ、平常心で記事書きはできないよな、と思う。それはそれとして、来週頭に月初めのSNE月例会があって、そこでGMウォーロックの14号の打ち合わせもあるだろうと思う。編集長の友野さんが、山本さんに次いで、亡くなった川人くんのことをどう扱うか方針を固めるタイミングになると思うんだけど、それはそれで辛いなあ、と気にかける次第だ」

翔花「NOVAちゃんも、いろいろ感情移入しすぎじゃない?」

NOVA「ああ、ついつい自分がその場にいたら、と思い入れてしまう。そこに残した未練の欠片が砕け散ったような気分で、すっきり割り切っていたつもりが、やはり甦ってきた感じだ。哀しくはあるけど、不愉快ではない。まあ、いろいろ渦巻いた想いを吐き出した記事だってことで」

(当記事 完)