Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

娘のために戦う裏稼業(まっしぐら&剣劇人)

これで最後の必殺ヒロイン話

 

NOVA「非・仕事人のヒロイン話も今回で終わりだ。仕舞人(81年)から橋掛人(85年)までの5年間、5作品は西崎みどりさんをレギュラーにした作品が続き、中村主水の仕事人シリーズよりも女性にスポットを当てた小品を基軸に、主水シリーズで描きにくいテーマを補完する役割を果たしたと言える」

晶華「ある意味、仕事人を表とするなら、非・仕事人が裏ということになるわね」

NOVA「仕舞人で元締めの坂東京山をチームの母親とするなら、若手の踊り子リーダーのおはなが娘に相当するし、非・主水シリーズは殺し屋チームの中での母娘関係や夫婦関係などの家族愛にスポットを当てた作風だと総じて言えるだろう。仕事人では、三味線屋のおりくさんと勇次の母子関係や、秀とお民ちゃんの年の離れた兄妹関係など、義理の家族模様を描いてはいたけど、政と竜の時代から壱弐参のはぐれ仕事人の時代にかけて、一匹狼的な仕事人キャラが定番になるのと比べると、その時期の非・主水シリーズの方がよりレギュラー男女の日常的な情愛が描かれやすい感じだな」

翔花「中村主水さんの夫婦関係は、情愛というよりもホームコメディ的な扱いだもんね」

NOVA「今の時代では、昭和のステロタイプ性別像と批判されるかもしれないが、女元締めはウェットな情に流されやすく、主水も含む父系組織の方が掟とか義といったハードな物語になりやすいという作品傾向がある。まあ、女殺し屋として散った、からくり人の元締め仇吉や、うらごろしのおばさんなどは、それぞれハードな最終回だったけど、結末はともかく女性が中心のチームは総体的に人情路線のストーリーになりやすいってことだ」

晶華「今の小五郎さんのシリーズは?」

NOVA「元締めは和久井映見さんのお菊さんだけど、彼女がチームのリーダーシップを積極的にとっているようには描かれていないよな。形式上のリーダーではあるけれど、どちらかと言えば受付嬢的な立場で、チーム運営については放任主義というか、元は主水さんの秘書とかマネージャー的なポジションから、惰性的に続けている気がする。

「脚本的にも、お菊さんをメインにした人情劇とかは、これまでも描かれて来なくて、小五郎と涼次だけだと意見が対立しがちなのをマイルドに仲裁する役どころ。でも、本人はあまり強く自己主張する姿勢は見せず、歴代の女元締めの中で最も押しが弱い感じだ。女性リーダーなんだけど、決して強いリーダーシップをとるわけじゃない。ただ、ドラマとして描かれていない範囲で、表でも裏でも顔が非常に広く、それなりに財力も持っていることが示唆されているから、チームのマネージメントはしっかりできているんだろう」

翔花「ビジネス的な関係ってこと?」

NOVA「何しろ、今のチームって成立過程が描かれていないからなあ。2007年にシリーズが始まった時点で、主水、小五郎、涼次、お菊のチームがすでに仕事していて、そこに新入りの源太や匳、リュウ、陣八郎の参入や退場エピソードが入ってくる。主水さんがいなくなった後で、小五郎、涼次、お菊の関係性が深く掘り下げられることもなく、ダラダラ付かず離れずのドラマを継続してきたわけだ。ここで小五郎が退場したら、お菊さんがリーダーシップをとることを期待するんだが、棗の参入によっても、チームの雰囲気がマイルドな方向になる可能性が高いなあ」

晶華「次があれば、女性主導の仕事人チームに変わるかもってことね」

NOVA「だから、過去のモデルケースを参考に、復習して来たわけだ。ただ、ここまでの小五郎シリーズの傾向としては、レギュラーの女仕事人とか人情重視ドラマを切り捨てる方向で、仕事人の80年代よりも70年代に時代を逆行していたような作風だから、ここで男女の殺し屋の数のバランスをとることで、作風がどう変わるかは気になる。役者を変えての2代め小五郎続投なら、キャラ配置は変わらないのだろうけど、現時点では何が正解かは分からない」

翔花「NOVAちゃんの希望は?」

NOVA「ゲスト出演でいいから、旧必殺俳優が出て来ることだな。涼次の忍者時代の師匠として京本政樹さんが出るとか、お菊さんの昔馴染みの女元締めとして工藤夕貴さんが出るとか、ちょっとぐらい昔の必殺作品とのリンクを匂わせるキャスティングがあれば嬉しいな。あるいは、谷村美月さんが成長した如月役として出ると、シリーズの歴史を大切にしている風で感じ入ると思うな」

晶華「NOVAちゃんの願望が実現したら、また祭り記事を書くとして、今回は昭和のレギュラー放送最後の2作について語って終わるのよね」

NOVA「ああ、ある意味、シリーズ内の異色作3本に入るであろう『必殺まっしぐら!』(86年)と『必殺剣劇人』(87年)だな。最大の異色作は『翔べ!必殺うらごろし』(78年)であることは言うまでもないとして」

 

85年から86年の必殺と時代劇

 

NOVA「さて、レギュラー放送では83年に放送中の『仕事人Ⅲ』から作品を追いかけ始めて、中学時代の85年までは普通にシリーズを堪能しつつ、再放送などで旧作に触れたりもしたわけだが、86年の『仕事人V激闘編』の放送中に高校生となる。俺にとって中学と高校の違いは、ゲームブックからTRPGというジャンルを追っかけるようになったことが大きい」

晶華「それと必殺に何の関係が?」

NOVA「中学時代の俺の価値観は、必殺を特撮ヒーロー物の延長にあるアクション活劇として見ていた傾向がある。そして、85年の必殺のライバルは、『影の軍団Ⅳ』だと思っていたしな」

NOVA「時代劇は、夕方の再放送を家族が見ていた影響で、杉良太郎の『遠山の金さん』(75〜79年)とか、『大江戸捜査網』(杉良太郎の十文字小弥太主演は第3シリーズまで。1970〜1984)とか、クライマックスのチャンバラ部分を中心に見覚えがあったわけだが、自分の意志で作品を積極的に追いかけるようになったのは、大河ドラマ徳川家康』(1983)ぐらいからだと思う。『水戸黄門』も、初代の東野英治郎さんのことは再放送でしか知らず、自分で追っかけるようになったのは、83年から始まった第14部、2代めの西村晃さんの作品からになるな。助さんが里見浩太朗さんで、格さんが伊吹吾郎さんで……というのが自分にとっての水戸黄門だ」

晶華「話が古すぎて、付いて行けないんですけど?」

翔花「伊吹吾郎さんがシンケンジャーの殿に仕える爺の彦馬さん役ということは知ってる」

晶華「そりゃ、私だって里見浩太朗さんが5代め黄門さま(2002〜11年)だってことは知ってるし、その後、『仕事人2013』で敵役を演じたってことも知ってるけど」

NOVA「普通の5才は知らないだろう」

晶華「普通じゃないもん。NOVAちゃんのブログのアシスタントガールを務めていたら、それぐらいはね。『里見浩太朗』『伊吹吾郎』で記事検索すると出て来るし」

NOVA「『西村晃』『杉良太郎』でも出て来るんだが、どちらも水戸黄門絡みか。『杉良太郎』で印象的なのは、『江戸の夜明け』と『すきま風』なんだがな」

翔花「って、何で80年代の時代劇の話をしているのに、70年代の作品にまで遡っちゃうのよ?」

NOVA「まあ、思い出話を語るといろいろ芋づる式に出て来るんだよ。ともかく、70年代の時代劇は再放送で見たりもしたんだが、自分で時代劇を好き好んで追いかけるようになったのは、83年以降の話ってことだ。『影の軍団』も80年からスタートしたが、『影の軍団Ⅲ』が82年なので、俺が見たのは後年の再放送の時だ。そしてⅣ以前の作品は地味だと思っていた」

晶華「忍者だから地味でもいいんじゃないの?」

NOVA「いや、それが道理なんだが、85年の『影の軍団Ⅳ』は、それまでの黒ずくめの忍者像から一転、カラフルなマフラーなんかを付けるようになって、激しいバトルアクションの最中でも個々のキャラクターが明確に見分けられるようになった」

NOVA「Ⅳ以前の影の軍団はこうだからな」

NOVA「再放送で見ても、千葉真一さんと真田広之さん以外のキャラが戦闘シーンでよく判別できないと思っていたなあ。最初にⅣを見てしまうと、カラフルな忍者装束が当たり前のように思えてしまうから、それ以前の作品が地味に見えて仕方ない。いや、もちろん、後年になってから見た際は、ドラマなどが面白いと思ってはいたんだけど、中学時代に見ていたら価値が分からなかったろうな」

翔花「つまり、アクションシーンで地味だと思われたら、興味が薄れる、と」

NOVA「役者の名前を意識し始めたのも、70年代末ぐらいからだからな。『宇宙刑事ギャバン』の大葉健二さんが先で、その後に千葉真一さんを知った流れ。真田広之さんはTV版の『宇宙からのメッセージ(銀河大戦)』で知ったと思うが、劇場版と違ってTV版は千葉さんが出なかったからな。千葉真一さんを最初に知ったのは、どの作品かは忘れたが、必殺のライバルとして『影の軍団Ⅳ』を85年に見ていたり、『水戸黄門』も見て、かげろうお銀や飛猿など忍者絡みで新キャラがどんどん出て来て、マンネリだけでないアクションの充実ぶりを楽しんだ記憶がある。とにかく、この時期の時代劇は、アクションレベルがどんどん上がって行くのを感じられて、特撮ヒーロー→時代劇への受け皿となって行ったわけだ」

晶華「その中に、必殺シリーズもあったわけね」

NOVA「別に必殺だけを至高としていたわけじゃなくて、中学時代は活劇アクションドラマに魅かれて、いろいろと自分好みの作品を探していたら、当時の時代劇が自分のツボにはまったということだな」

翔花「派手なアクション活劇>面白いストーリーってこと?」

NOVA「ストーリーがマンネリでも気にせず、アクションを楽しめれば十分だった。と言うか、単純な勧善懲悪で時代劇は十分で、それ以上の深刻なドラマを見せられても、味わえる段階ではなかったな」

晶華「でも、リアル系のロボットアニメとかが流行っていた時期でもあるんでしょう?」

NOVA「俺はZガンダムよりもZZガンダムの方を楽しんだ人間だぜ。辛気臭いドラマよりも、MSの熱いバトルシーンはZZの方が充実していたからなあ」

翔花「それが、どうして辛気臭いドラマの方に目が行くようになったの?」

NOVA「そりゃあ、高校時代から大人になるにつれて、少しずつマニアックなストーリーを理解して、味わえる段階があるわけさ。何にでも、目や舌が肥える過程があるってことで、そこまでシリーズを追っかけようとか、見たいタイミングで再放送に出会えるかとか、その作品の醍醐味を事前に研鑽して受け入れる構えができているか、とか、いろいろな時機というのがある。そして、渡し人は十分に味わえたとは言えないが、仕切人は楽しんで、橋掛人もそれなりに楽しいと思ったんだが……『必殺まっしぐら!』だけは何だかなあ、とがっかりした作品だった」

晶華「褒めないの?」

NOVA「褒めたいんだけどなあ」

 

必殺まっしぐら!

 

NOVA「まず、この作品は、三田村邦彦さんのかんざしの秀が主人公で、第1話のサブタイトルが『秀が帰って来た!』というもの。いや、劇場版の『必殺3』で、竜や壱、参が死んじゃったのと引き換えに、秀がシリーズ復帰したこと自体は歓迎すべきだったんだけど、どうも帰って来た秀さんは、仕事人Ⅳでお民ちゃんの優しいお兄ちゃんとして夕陽の海に消えた人物とは別人のようになっていた」

晶華「え? 別人って?」

NOVA「クールで寡黙な飾り職人じゃなくなって、若さに溢れた陽キャラになっていた」

翔花「いいことじゃない?」

NOVA「そして、若紫という吉原の見習い遊女に惚れて、通いつめている。そんな一人の女にベタ惚れした秀さんが裏稼業をする目的が、仕事料を貯めて若紫を身請けするためという形にキャラ変していて、少なくともクールでストイックなキャラではなくなっている。一応、初期の仕事人時代の情熱的でしばしば暴走してドジを踏んでは、主水さんと、時には左門さんに鉄拳制裁を受けたりもしていた秀さんに戻ってしまった」

晶華「まっしぐら版の秀さんは、NOVAちゃんが好きだった秀さんとは異なるキャラに改変されちゃったってことね」

NOVA「たった2年で何があった? と言わざるを得ない。映画の必殺3だと、よりシャープで精悍なイメージになっていて大人バージョンだと思ったんだが、まっしぐら版はそれともまた違うキャラ付けで、感情移入は大いに削がれたんだな」

翔花「惚れた女のために金を稼ぐ必要があるから、人を殺す仕事に精を出す……ってのは、必殺シリーズでも変わった設定ね」

NOVA「そういうキャラがいてもいいとは思うよ。だけど、秀はそういうキャラじゃなかったはずなんだけどな。まあ、それでもアクションが格好良ければいいか、と思ってみたら、秀が主人公だからか、よりによって彼にバラード殺し(新・仕置人の悲しみのテーマ)を当てがって、躍動感が台無し。せめて自分で歌っている主題歌を戦闘BGMにアレンジしてくれたらいいのにって思ったけど、橋掛人も本作も流用曲ばかりで音楽的にはほぼ手抜きなんだ。他のメンバーの殺しのシーンでも仕事人Ⅴの出陣テーマで、例えば仕切人の時のような豪勢さが全く見られない。勇次の扱いと、秀の扱いが全然違っているようで、何だかなあ、と」

晶華「たったの1クールの放送のために、新しいBGMを作る必要を感じなかったのかもね」

NOVA「そういう背景は、初見時には分からなかった。後から考えると、音楽的には13本シリーズで仕舞人と仕切人が豪勢で、橋掛人とまっしぐらは仕舞人の流用も多い。いや、他のシーンでの流用は別に構わないんだけど、1番のクライマックスであるべき殺しのシーンで、主題歌も変わってるのに、それを活かさないのはどうもなあ、と。まあ、主題歌の作曲が平尾昌晃さんじゃなかったから、勝手に編曲するわけに行かないのかもしれないが、それでも若紫との相引きシーンで、この曲のバラードアレンジが流れているんだから、殺しのシーンでもアップテンポ曲を作らない理由にはならないぜ」

翔花「NOVAちゃんは、そういうBGMにこだわっちゃう人ってことね」

NOVA「必殺シリーズのBGM集は全部揃えたぐらいだからな」

晶華「で、秀さんのキャラ変と、似合わないバラード殺しなどBGMへの不満と、他には何?」

NOVA「殺し技がつまらない」

翔花「それは……残念ね」

NOVA「香車の東吉(演・西郷輝彦)が使う槍はまだいいんだよ。桂馬のお銀(演・秋野暢子)と高天原綾麻呂(演・笑福亭鶴瓶)がどちらも刀(短刀と、神社の奉納されている宝剣の違いはあれど)ってのは、必殺らしさに欠いているだろう。お銀か麻呂のどちらかが、糸とか何かの飛び道具とか、トリッキーな技を使えばいいのに、秀のかんざし殺しを引き立たせるために、他のキャラは地味にしたのか?」

晶華「クライマックスの殺しのシーンが一番楽しみな人にとって、技が地味でつまらないのは最も残念ね」

NOVA「ストーリーは斬新と言えば斬新なんだけどな。『江戸の二つの闇組織、どちらが勝つかサバイバル、まず、かんざしの秀を消せ』ってOPナレーションにあるように、秀を狙って敵元締めの送り出した刺客が毎回、襲い掛かるんだ。クライマックスとは別に、ヒーローがザコ戦闘員と戦うように、小競り合いアクションが繰り広げられる。しかも、昼間の真っ只中だったりして、必殺特有の恨みを晴らして下さいドラマとは異なるストーリー展開だ」

翔花「ワンパターンじゃないってこと?」

NOVA「いや、ワンパターンなんだ、これが。秀を合わせて仲間が4人いるんだけど、役者のスケジュールの都合からか、お銀と麻呂以外の絡みがあまりない。秀のシーンと、東吉のシーンと、お銀&麻呂のシーンが別々に展開され、一つのチームって感覚が薄い。例えば、ライバル組織に狙われる相手が、その回によって違っていて、途中でピンチの仲間を他のメンバーが支援する展開でもあれば、ハラハラさせるアクション活劇とか、組織同士の攻防戦として面白かったかもしれないけど、実際にはいつも秀ばかりが襲われて、ルーティンワーク的に処理されて退散させられる時間稼ぎザコ戦でしかない。

「群がるザコをバッタバッタとなぎ払うヒーローの格好良さを映し出すのは、特撮でも時代劇でも定番といえば定番だけど、必殺で見たいシーンじゃないわけで。さらに中盤のザコ戦が生きるのは『一般人が悪党に襲われている→割って入るヒーロー→敵が撤退して、ヒーローが襲われた一般人と知り合いになって、事情を聞いたりする→悪党が一般人を襲う理由を調べたヒーローが、一般人を守るため(あるいは被害を受けた一般人の復讐のため)悪党たちを成敗する』という回ごとのストーリーの必然性があるわけで、まっしぐらの場合は、単に秀に仕事をさせないための敵側の妨害工作でしかない」

晶華「そこまでして、秀さんにアクションさせたいわけね」

NOVA「実はクライマックスよりも中盤のアクションが躍動感あって面白いという意見もあるんだけど、ストーリーの必然ではなく、ただのルーティンでアクションさせられてもな、とリアルタイムでは思っていた。しかも、必殺ってチーム(最低でも相棒とコンビのバディ)だから面白いのであって、敵が同じ主人公だけを狙い続けて、仲間がそれにノータッチってのはチーム物の作劇としても何だかなあ、と。それならまだ、何故か毎回、敵に狙われる若紫姫と、彼女に惚れて護衛している用心棒の仕事人・秀って構図の方がマシだ」

翔花「それって必殺じゃないよね」

NOVA「だけど、本作の元々の企画が、当時流行のファミコンスーパーマリオの要素を取り込むことらしいから。本放送時の俺はそういう企画の背景を知らなかったんだけど、秀がマリオで、若紫がピーチ姫で、悪の大魔王に囚われたお姫さまを助けるために、途中でコインを集めたり、押し寄せるザコ敵をジャンプして倒したり、最後に飛んでくるハンマーを避けながらラスボスを倒して、ヒロインを救い出すという内容を必殺の世界観と組み合わせたらこうなった……とのこと」

晶華「そんなゲームネタでいいの?」

NOVA「なお、前作の激闘編の最終話が『主水、裏ワザで勝負する』だから、当時のファミコンブームが必殺に与えた影響はそれなりにあるんだが、惜しむらくは当時の脚本家があまりファミコンゲームの面白さを理解していなくて、表層的なところしか見てなくて、うまくドラマに落とし込むに至ってなかったことだな。これがまた86年からのドラクエブームの後に企画されたなら、そっちの冒険者パーティー制の方が必殺の裏稼業チームになぞらえることができたろうに」

翔花「どうやって?」

NOVA「まっしぐらメンバーだと、秀は明確にシーフ系のキャラで、東吉は槍使いのファイター、麻呂は神官だな。すると、残ったお銀は魔法使いという役割が務まるわけで、役者はその昔、夢操りのお京役で秀に催眠術をかけた前歴がある。笛を武器にして、仕込み笛から放つ吹き針と糸って方向性にできたかもしれないし、少なくとも、必殺シリーズに落とし込むなら、パーティー制のRPGの方がよほど向いていたろうが、マリオがモチーフで秀にマリオを当てがった。じゃあ、他の3人はどうなる?」

晶華「う〜ん、ドンキーコングとか、ヨッシーとか、ワリオとか?」

NOVA「ヨッシーは90年生まれだから、まだ存在しないし、ワリオも92年生まれだから同様だ。とにかく、秀に焦点を当てすぎた結果、他の3人は単に頭数合わせというか、歴代必殺の殺し屋メンバーの中でも最もストーリー上の影が薄いキャラになってしまったわけだ。香車の東吉とか、桂馬のお銀とか、ネーミング的にも将棋の駒でしかない。桂馬のお銀は殺し屋ヒロインとしてもっとドラマチックな役回りができたかもしれないけれど、大したドラマ性もなく、一応、有能な密偵(情報収集役)としても機能していたんだけど、キャラの背景もちっとも分からず、単に秀の仲間その1ぐらいの役付けでしかない。それでも、仲間の中で一番、絡んでいた方かな」

翔花「他の2人は?」

NOVA「秀と東吉、秀と麻呂、麻呂と東吉の3人の関係性が、ほぼ全くと言っていいほど描かれていない。仲が良いとか、対立しているとか、そういう話じゃなくて、キャラ間のドラマが全くないんだ。今のガッチャードで、加治木とスパナの間に接点がないとか(二人は立場的に接点がないから仕方ないけど)、そういう意味での関係性の希薄さだな。たぶん、人物関係の相関図を書いても、東吉と麻呂は秀の仲間その2とその3以外に何を書いていいか困る。例えば、東吉が危なっかしい秀に苦言を呈するとか、秀が麻呂の冒したトラブルの尻拭いをするとか、そういう絡みのドラマがあればいいんだけど、仲間という設定なのに、回ごとのイベントに追われて、メンバー間の関係構築が為されていない。それなのに、最終回でいきなり仲間のドラマが描かれて驚いた」

晶華「描かれたんだから、いいじゃない?」

NOVA「ラスボスは、それまで秀に仕事を与えていた元締めだったんだけどな。その前の回でライバル組織の元締めを倒して、敵がいなくなったと思ったら、実は自分ところのトップも悪い奴で、秀の愛する若紫を自分の物にしようとする。それに怒った秀が組織のボスにケンカを売るわけだけど、仲間の3人も秀を諌めることなく、秀のオプションパーツか何かのように秀に同調する。そして、ハンマーを次々と投げてくるゲームの亀ボスのような元締めの攻撃から身を呈して、秀を守るんだ。ハンマーの直撃を受けて次々と倒れる仲間たち。仲間の屍を乗り越えて、友情を背に受けて、ラスボスを倒す秀……という流れかと思いきや、どっこい仲間は生きていた。囚われの若紫を連れて、逃避行に旅立つ秀をにっこり見送る仲間たち。一応、形式としては感動のドラマで、ハッピーエンドだ。めでたしめでたし」

翔花「愛と友情の勝利ね」

NOVA「愛はいい。秀と若紫の関係性は毎回、くどいぐらいに描かれていたからな。必殺まっしぐらが、愛と青春の物語であることは間違いない。ただ、仲間との友情になると、それまで本当に描かれて来なかったのが、最終回で突然、秀の盾になる義理堅さを示して、え? 君たち、そこまで秀のことを好きだったの? それとも、神楽坂の元締めってそこまで人望がなかった? 元締めをそう簡単に裏切れるものなの? そういう段取りもドラマも全て吹っ飛ばして、秀だけのためのハッピーエンドに向けたシーン構築にまっしぐらって感じで、高校1年生の目から見ても、子ども騙しに感じられた話だ」

晶華「これが晴らせぬ恨みを晴らす必殺シリーズでなければ、痛快娯楽ヒーロー活劇として面白い作品だと評価できると思うの」

NOVA「まあ、必殺シリーズの定番を大きく外した作品として、その実験精神や企画の冒険性は大いに評価してもいいんだろうな。ただ、それを人気キャラの秀を使ってやったことに、仕事人ピーク時のファンにも違和感を持たせることになったわけだし、それまで真面目に裏稼業の哲学とか語っていたシリーズで、情と理のせめぎ合いがどうこうと考察できる一連の流れにおいて、思いきり情に振りきれて、それでハッピーエンドに辿りつくってのは、これまで愛のために死んで行った殺し屋たちの物語の延長線にある作品としては、これじゃないって話になるよな」

翔花「高校時代にそこまで考えて見ていたわけ?」

NOVA「シリーズを最初に見た83年(中1)と比べて、86年(高1)になると、俺のストーリー解析力も3年を経て高まっていたのだと思うけど、当時はダークヒーローっぽい裏稼業の中にあって、まっしぐらの妙な明るさ、軽薄なストーリーに???を感じたな。これじゃ、当時の子ども向けとされた戦隊ヒーローやメタルヒーローの方が、過酷な宿命に雄々しく立ち向かう戦士ってテーマを真剣に描いていたな(86年はフラッシュマンスピルバン)と思ったり。子ども向き特撮ヒーローから、段階を踏んだ大人向き作品として必殺シリーズの門に入ったら、特撮ヒーローの方が年長者にアピールするハードなストーリーを志向し、必殺の方が子ども向きの安易な方向に転がっていく逆転現象が起こったりしたのが86年だな」

晶華「で、その後に旋風編と風雲龍虎編が来て、最後に剣劇人ってことね」

 

必殺剣劇

 

NOVA「まっしぐらがゲーム性を取り込んだ斬新な作品……と言えば、今の時代だと聞こえがいいが、86年当時だとTVゲームという新規ジャンルが大人文化の中では今よりもはるかにバカにされていた時代。これがまた90年代前後になると、ストーリーとゲームの融合度が格段に上がってゲームに基づくストーリーにも市民権が与えられて来るんだけど、『必殺まっしぐら!』が早すぎた傑作の評価を受けるとは……考えにくいなあ」

晶華「嫌いな作品ってこと?」

NOVA「嫌いじゃないよ。当時も、今もな。ただ、シリーズの歴史を踏まえて語るなら、過渡期でもない異色作で、突然変異の異物って話になる。が、次の剣劇人がぶっ飛びすぎて、一大傑作の評価を勝ち得たから、その実験精神とかフロンティアスピリッツ、まっしぐらの魅力と考えられる要素も全て剣劇人に持って行かれた形になる」

翔花「剣劇人って、わずか8話しかないから打ち切られた駄作だと思ってたけど?」

NOVA「いや、その8話はシリーズ最終作として予定どおりの尺だ。1987年8月開始で9月終了のわずか2ヶ月で、10月の番組改編に合わせる形で、必殺シリーズのレギュラー放送15年の歴史に幕を下ろした(当時)」

晶華「シリーズ終了の戦犯は、剣劇人じゃないってことね」

NOVA「まっしぐらとも、旋風編とも言われているな。風雲龍虎編で持ち直したけれど、この辺が潮時だろうということで、最後に打ち上げた大花火祭りが『これまでの定石を完全に覆し、銀幕映画時代のチャンバラ時代劇のノリを復活させて、ド派手な大活劇を遊び感覚満載で描いてみせた怪作にして傑作の娯楽作品』だ。最終話では中村主水も出演させて、苦言を呈しつつ、歴代殺し屋のパロディを披露している」

NOVA「まっしぐら!で、裏稼業と違う活劇の面白さを提示して、その精神で剣劇人に流れたかと思えば、まっしぐら!という作品の意義づけもまた変わってくると思うんだけど、やはり剣劇人の力の入り様は、あのチャンバラ大活劇の際のBGMの独特性と、大ガマ出現に至るまでのカタルシスと、活劇現場を見ていてハシャいでいる工藤夕貴への視聴者の感情移入というか共感誘発性とか、既存の必殺の破壊者的な演出を示しながら、それでも最終回で中村主水に苦言を呈させて、『時代が変わった』と自虐的に公式コメントを示したり、『大人のおとぎ話』というOPナレーションで、いろいろ分かった上で羽目を外して遊んでる感を示している点。

「そして、『3人の大人が娘のために浮世の夢を見せている』というノリで、若者の情熱的な愛ではなくて、大人視点の家族物語として幕引きを図ったってことだな。少なくとも、中学時代から必殺を見始めた俺としては、大人感覚に惹かれて必殺を見ていたわけだし、惚れた娘のために裏稼業に励む秀よりは、惚れた女の遺した娘のために裏稼業(?)で遊ぶ剣劇人の方が粋だと感じたり、リアルで楽しめた」

翔花「つまり、わたしたちは若紫よりも、工藤夕貴さんのお七に基づいているってことね」

NOVA「俺にとっての秀は、仕事人Ⅳのお民ちゃんを妹、もしくは娘みたいに面倒みている保護者キャラで、その延長上にいるのは、まっしぐらの若紫ラブな秀じゃなくて、娘のために戦う大人(父親キャラ)の剣劇人3人組だからな。この3人組の仲良しチームぶりもいいし、キャラ配置も剣士の綾太郎と、鳶職の清次と、僧侶系にしてガマ召喚の松坊主の3人が、戦士、盗賊、術師というバランスでTRPG的だし、必殺シリーズとしては決してこれじゃないんだけど、形式的にも十二文の仕事料で二宮さよ子演じるお歌が元締め的な立場で、お七の代わりの裏仕事を依頼する儀式で体裁を整えているし、自分好みのツボをいろいろ突いてくれた作品だ」

晶華「お七ちゃんは仕事人じゃないのよね」

NOVA「ポジションとしては毎回の頼み人相当で、関わったゲストキャラの非業の死を見て義憤に駆られて、直情的に敵討ちに飛び出すような危なっかしい娘なんだな。で、父親役の3人が娘に手を汚させたり、無惨な返り討ちにあったりして欲しくないから、娘の代わりに大暴れしていたら、屋根の上からそれを目撃しているお七が大はしゃぎってパターンで、まあ、裏稼業のシリアスさを重視する視点からは、『ふざけるな』って演出だけど、お七の立ち位置ってTVの画面で剣劇人の活躍を楽しんでいる視聴者そのものなんだよな」

翔花「ああ、劇中のキャラと視聴者をシンクロさせる瞬間かあ」

NOVA「ちょうど、俺自身が工藤夕貴さんと同じ年齢ということもあって、キャラのはっちゃけぶりに見ていて気恥ずかしさも覚えつつ、お七には相当に感情移入したなあ。若紫には感情移入しなかったけど、お七には感情移入しまくりで、おそらく俺が必殺シリーズで一番、感情移入したヒロインがお七だと思う」

晶華「そこまで言う?」

NOVA「これが男だったら順之助とかになるんだけど、彼は旋風編のラストで消えてしまったからなあ。で、剣劇人のポリシーとしては、子どもに裏稼業は覗かせても、手は汚させないスタンスで、でも、その気持ちは蔑ろにしないという意味で、非常に過保護な父親たちなんだけど、後期(80年代)の必殺はそういう情念を否定しない方向でストーリーが構築されてしまっている。

「情に溺れた殺し屋が辿る末路なんて重いストーリーは、TVではなく劇場版で処理するようになったし、制作体制も70年代と80年代で大きく変わって、今もまた違って……という話を知ると、純粋な視聴者視点と、役者の視点と、現場のスタッフ視点と、プロデューサー視点とで総合的に考えてどうこうって話になる」

翔花「ややこしいよね」

NOVA「だから、今回の記事は、極力、一視聴者としてのリアルタイムの記憶を元に、当時の高校生だった自分が、それぞれの作品にどう思っていたかに重点を置いて書いたつもり。『必殺まっしぐら!』の何だか違う感と、『必殺剣劇人』の思いきり違う感があって、後者を娯楽作品として高く評価していたな。だけど、リアルタイムでは何だかんだ言って、必殺だから楽しんではいたのは間違いない。それでも『まっしぐら!』については秀さんは好きなんだけど、この作品については……モヤモヤがあって、それを初めて言葉にした感じだ」

晶華「嫌いじゃないし、楽しんでもいたけれど、作品としては褒められないってことね」

NOVA「構築したものを崩して、新しいものを作るってのは、その構築された元の物が好きなファンにとっては複雑な気持ちなんだよ。最盛期の必殺(一般に83〜85年と言われている)がマンネリ批判されるようになって、ハードでマニアックな方向を志向したり(激闘編初期)、それが視聴者に受け入れられないと判断すると、ソフト化路線に切り替えたら、またいろいろ迷走して、試行錯誤の中で振り切れちゃったのが剣劇人で、後から語ると、この迷走期の暴走がネタとして楽しかったりもする」

 

まっしぐらと剣劇人の総括

 

NOVA「で、まっしぐら!も、剣劇人も必殺マニアの中では(制作スタッフのインタビューでも)、評価が真逆に分かれた作品で、『必殺もう終わったな、と関係者に言わしめたまっしぐら!』と『熱気に溢れて有終の美を飾った剣劇人』という評価が定着している。

「ただ、この両作品に言えることは、必殺という杓子定規を離してアクション活劇という視点で見ると、そこはどちらも充実しているんだな。なまじ、秀というキャラが仕事人の象徴の一人であるために、まっしぐらを裏稼業の仕事人としての枠で見ると、批判すべき点が数多いんだけど、例えば『お姫さまを助けようと頑張る、青年ヒーローの熱血痛快アクション時代劇』という感覚で見るなら、それこそタイトルを『青春かんざし街道まっしぐら!』って形で、必殺の看板を捨てたら……」

晶華「たぶん、視聴率が下がるわね。意味不明なタイトルだし」

NOVA「作品の本質を表してると思うんだけどな。『必殺かんざし職人、愛に翔ける』でもいいけど。少なくとも、『必殺!びっくり箱』って企画タイトルよりよほどマシだと思うぞ」

翔花「まっしぐらというタイトルも変だけど、びっくり箱ってタイトルが出て来たら、それこそびっくりよね」

NOVA「びっくりって漢字で書くと吃驚だから、『必殺吃驚(びっくり)人』ってタイトルだと……どんな笑撃的な殺し技が出るか、と期待したくなるな、今だと」

晶華「当時だと?」

NOVA「うっ、過去に『からくり人』ってのがあったらしいから、『びっくり人』もありと言えばありと俺は受け止めたかもしれないが、このタイトルだと役者さんの方が真面目にお芝居できないだろう。金の分配をするときに『これが今回のびっくり料だよ』とか『俺たち、びっくり人の掟に反する』なんてセリフは聞くだけで笑える」

翔花「それに比べると、『まっしぐら!』ってタイトルは秀逸よね。仮面ライダーフォーゼさんのバイクを連想するし、宇宙キターって秀さんが叫ぶといい感じ」

NOVA「よくねえよ。俺もフォーゼのバイクの名前を聞いたときは、『ゆれる……瞳』のイントロが脳裏に流れたし、前作の主人公の役者の名前が秀さんだし……って、どうでもいいな。無理に平成ライダーにつなげるのはやめよう。とにかく、まっしぐらは、秀さんを中心にしたアクション活劇としてなら、普通に評価できるんだ」

晶華「でも、剣劇人の派手さにはかなわない、と」

NOVA「やはり、剣劇人は大人の時代劇ファンに訴えるものがあったんだよ。でも、まっしぐらは若者にアピールしようとしたものの、ファンの見たかった秀さんは頼れるお兄さんキャラであって、まっしぐらに突っ走ってドジを踏んだりもする熱血恋愛脳キャラはファンの需要を外していたな、と言わざるを得ない。だって、必殺ファンって別にラブロマンスを見たくて、シリーズを追いかけているわけじゃないんだから。おまけにスーパーマリオをプレイする層と、必殺ファンってかぶるのか?」

翔花「アクションゲームのプレイヤーは、自分がキャラを操作したいのであって、秀さんがジャンプする姿と、マリオを重ねて見ないと思うの」

NOVA「アイデアの元ネタとは言っても、当時のゲーム業界ってTVよりも進化が早くて、85年にスーパーマリオが流行ったと言っても、86年のブームはアクションゲームから異世界ファンタジーに移り行く時代だったから、つまり『必殺まっしぐら!』よりも『必殺仕切人』の方が時流にかなって(若干先取りして)いたんだよ」

晶華「そうなの?」

NOVA「だって、あのピラミッドがあったり、狼男が現れたり、パーティーの偽者(マネマネ)が出てくる世界観は、まさにドラクエ異世界ファンタジーだよ。しかもパーティーに元踊り子の占い師とか、プロレス技で戦う武闘家とか、火薬を使う若い僧侶とかもいるし、しかも主人公は勇という字が付く楽師だ。勇者のユウジと、針も使う剣士のシンキチが、占い師のお姉さんキャラ(オクニ)とパーティーを組んで……と解釈すると、仕切人はドラクエになる。うむ、まっしぐらも仕切人みたいな派手さで進めれば……と妄想がたぎるな」

翔花「40年近くも前の話で、妄想をたぎらせ過ぎよ」

NOVA「それもそうか。とにかく、まっしぐら!や剣劇人は、裏稼業どうこうのドラマよりも、アクション活劇に振りまくった痛快娯楽作品として見るべきであって、ストーリー考察で深く味わうよりも、見て凄さや楽しさを味わう作品かな、と。まっしぐら!は派手さに欠けるという欠点で語ってはみたけど、それは言い換えれば、リアルな活劇や暗殺を描いているとも言えるわけで、今、見ると違う発見があるかもしれない。

「オカルトパワーで戦うユニコーンガンダムやナラティブがうらごろしで、割とリアル系の描写と主人公の恋愛劇が目立つ08小隊がまっしぐら!で、けれん味に溢れたGガンダム剣劇人……とガンダムで例えてみるのも一興だろう」

晶華「つまり、作品ごとの好みは人それぞれだけど、各作品それぞれの面白さ、楽しみ方があるってことね」

NOVA「そんなわけで、これでヒロインを中心にした今期の一連の必殺話は終了だ。ご清聴ありがとうな」

翔花「みんな、おつかれさまでした」

(当記事 完)