Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

49という数字で思うこと

残り3記事

 

NOVA「さて、新生Shiny NOVAのミニ記事連打で、目標記事数に達しようという、アコギな企画だ」

晶華「自分で、アコギと言いますか」

NOVA「うむ。アコギというのは、アコースティックギターの略で、エレキギターに対する生ギターを意味したりもする。ここでは初心に返ったクラシックな企画の意味合いで考えてくれたらいいぞ」

晶華「え? そっちの意味? 普通は『あこぎな商売』『あこぎな奴』って感じで、『汚いやり方で儲けようとする、強欲で腹黒い様子』を表す言葉じゃない?」

NOVA「フッ。『俺の腹は……黒いぜ』の名言を残した落語家を思い出すぜ」

晶華「最近、YouTube仮面ライダーフォーゼが配信されているもんねえ。NOVAちゃんの中では、宇宙キターが再ブーム中」

NOVA「だけど、東方不敗の腹はDG細胞に侵されていない綺麗な体なんだな。だから、俺の、いや、わしの腹も白い。腹の中の気持ちを明白に、隠すことなく、公明正大に吐き出して、それでいて人を傷つけずに楽しませられる大らかな男を目指したいものよ。そう、笑いたい時に笑い、泣きたい時に泣き、怒りたい時に『このバカ者が〜ッ』と怒鳴りつけられる豪快な男を目指す。

「なお、掲示板にこそこそ『NOVA、死ね』みたいなことを書いては削除を繰り返している陰湿な奴とか(ここのコメント主とは違う)、まあ、このわしに逆恨みを抱いている奴もいるかもしれんが、そんな奴だって生きていていい。こちらとしては、『呪詛返しの言霊』を護身用に張っているので、悪意が反射して自滅しなければいいが、と忠告、警告、脅迫だけはしておく」

晶華「脅迫するんだ」

NOVA「いや、『人を呪わば穴二つ』って言うではないか。わしはその言葉を知ってからは、安易に人を呪わないことを旨としておる。愚かな行為に対して、バカと見下すことはするが、死ねばいい、なんて決して口にしたりはしない。こういう悪意ある言葉は、自分の命を穢して自滅に追い込むという信仰があるからな。

「まあ、自分の命を汚したくないときは、あくまで『自分ではない、架空キャラクターのセリフである』と装って、間接的に伝える創作芸は身につけてはいるが。さすがに『死ね』という言葉を一切使ってはならないなら、フィクションの悪人は描けないし、悪役の言動を話題に挙げて感想を書くこともできないからな。悪を描いて断罪するなり、前非を悔いて解脱を志すなり、結末はいろいろあれど、因果応報を信じるならば、うかつなことは口にしない方がいい。己が身に災いをもたらす元だからな」

晶華「うわ。それって、『俺を攻撃するなら、災が振り掛かるぞ』って脅しているよね」

NOVA「事実そうだと、わしは信じているからな。もちろん、それは我が身にも言えることなので、わしも人を恨まず、妬まず、嫉まず、を実践してるつもりだが、まあ、人の心は移ろいやすいもの。時には、他人の感情に翻弄されて、醜態を晒すこともあるわけだ。むろん、そのような失態を晒した後には、しっかり問題点を分析し、反省するがな」

晶華「反省すれば、何をしてもいいの?」

NOVA「逆だ逆。反省は免罪符でなく、基本的に他人に迷惑をかけたら、それは一生許されない罪だと思う方がいい。その上で、その罪を繰り返さないように、自分に磨きをかけて、自らの精進をもって罪業消滅の糧とすべし。わしは、わしの管理しているところで『他人に許可と禁止』を与える権限は持っているが、その者の犯した過ちをあっさり水に流す心根の良さは持ち合わせておらん。『するな、と度々言っていることを繰り返す所業』を、大らかに寛恕する忍耐心にも限界はある。

「掛けられた迷惑は、善業の積み重ねでのみ、浄化できるものだし、善業を積み重ねる以上のスピードで、悪業や迷惑を繰り返していては、許すも何もない……とまあ、堅苦しく考えるのも、悪い癖だな。こういうゴタゴタした、人間関係のズレによって生じた恨み言、憤りは、しっかり浄化した上で、事実のみを記録するつもりよ」

「とにかく、反省は人から許されるための手段ではなく、自らの生き方を高めるための手段だ。だから、反省したから許されるのではなく、反省の結果、よりマシな人間に成長できるかどうかが肝心。反省しても何も変わらず、迷惑行為を繰り返すような心根の卑しい者には……徹底的に叩きつぶすか、無理やりにでも抑えつけて教導するか、極力、関わらないに限る」

晶華「優しく説いて導くって手段はないわけ?」

NOVA「それが『反省を促す』ってことなんだ。その機会を大切に考えない、考えられない者は、学習能力に欠けた者だと、わしは見なしておる。わし自身、反省するし、相手にも反省を促す。そこで学ばない、学べずに同じ過ちを繰り返す相手を、どう諌められようか。それを許すというのは、『お前は学ばなくてもいい』と言っているに等しいし、『学んでもどうしようもない』と見捨てて放置してスポイルするに等しい」

 

教育業としてのこだわりとネットコミュニケーション

 

晶華「NOVAちゃんは教育業だから、その辺のこだわりは強いのよね」

NOVA「そもそも、大人相手に教育云々と言うのもおかしいんだけどな。ネット上だと、気が合うなら仲良く付き合えばいいし、迷惑な相手はドライに切り捨てるのが当たり前で、義理人情と利害のバランス(自分にかける迷惑よりも、総じて面白い話や情報、返礼をもたらしてくれる、心根の良い人)が保てるなら、問題なく付き合っていける。

「まあ、相手に合わせた範囲での自己主張と、失言暴言をかました時に、すかさず前言撤回したりしながら、問題を後に残さないことが日常的な信用を勝ち得る秘訣かな。誰だって勢いで言い過ぎたりすることはあるし、それを後から読み返して、適切なオブラートに包んだりする話術も、失敗と反省から身につく作法だと思う。もちろん、自分一人で書くブログなら、過激な論調も持ち芸としていいのだけど、『アットホームな趣味創作ブログ』を目指すか、『世間の風潮に物申す的な論壇ブログ』を目指すかは、そのブログ主次第だな。

「昔、『共同創作のためのブログ』を作りますって表明していたコメント主が、なかなかブログを作らず(実は作る技術を持ち合わせておらず、あくまで口だけの空約束だったと判明)、多くの人の助言でようやく何とかブログを完成させたと思ったら、いきなり創作とは関係ない『社会批判をまくし立てる記事』を書いたので、『お前は一体、このブログで何をしたいんだ? 共同創作のための場所じゃないのか? せめて、カテゴリーを付けて、方針を明確化しろ』的なコメントを入れたこともあったんだ。

「共同創作企画の参加者の協力で、ブログの作り方のアドバイスを散々もらって、さあ、完成だ、となって、企画も次の段階に進むかと思ったら、あさっての方向に流れて、その計画性のなさに周りが呆れ果てた失敗譚。なお、一部のウォッチャーサイトでは、その件は『コメント主が作ったブログを、心ない外野が寄ってたかって潰した』という形で記されているが、実際は『コメント主が周囲の応援を募って、その支援の元に作成したブログで、支援目的とは異なる(創作企画の建設的な空気をも壊しかねない)記事を書くなどして、期待を裏切ったために、コメント主の真意の確認のための質問と、回答がなかなか為されないことへの抗議などなど』だったと記憶」

晶華「コメント主さんとは、その時点で対等な関係でなく、NOVAちゃんたちがいろいろ教えて、未熟な相手に技術指導したり、ネットマナーを教えたりする関係が成立していたのね」

NOVA「で、そのまま、綺麗に成長して自立するなり、共同企画を意欲的に切り盛りするぐらいの男になることを期待したんだけどな。もう、後から後からボロが出てくる。四字熟語で言うなら『眼高手低』ということになるか。実際には、それほど眼線(批評眼)も高くなかったんだが、さておき。一応、本人なりにプライドは高く、そのプライドに応じた実力と持続力と責任感が伴っていれば、安心して任せていれば良かったんだがな。彼の一番の問題は『自己肯定力が低すぎて、自己批判ができない』ことなんだ。だから、承認欲求が非常に強くて、認めてもらおうと搦手で絡み付いてくる。

「なお、これはアマチュア創作家、あるいはプロでも売れない創作家にありがちな傾向で、『自分の創作作品を認めてもらうこと』が、自分を支える原動力になるのは、わし自身もよく分かる。そして、創作仲間同士の付き合いだと、互いの作品へのリスペクトは普通に行うし、そのための懇親会だってプロなら定期的に催している。アマチュアの場合は、同人サークルなんかがそういう場所になるのかな。まあ、大学の創作サークル(いわゆる漫研とかSF研とか)を創作活動の原点にしている人も多いだろう。

「コメント主は、そういう機会を諸事情で持つことができず、それが10年近く前に、幸運なことに、いろいろと経験者の関心を惹いて、サポートしてもらえる環境を得ることができた。しかし、その周囲の期待と応援に結局は答えることができず、創作企画に背を向けて(人によっては裏切りと映ったりもして)逃げ出した形になる。

「まあ、そのタイミングの少し後に、東日本大震災とかがあって『震災で大変な時期だし、トラウマを感じている人もいるから、無理せず共同創作企画は終わってもいいよね。ただ、せっかく集まった縁だし、牙狼平成ライダーのフィクション感想とか、いろいろ好みの創作作品を語り合う場所として、掲示板は継続維持しましょう』という流れで、今に至っている」

晶華「ああ、そこは今もNOVAちゃんが、毎週、書き込みに行っているのよね」

NOVA「わしは現在、ゼロワン感想を3ヶ所の掲示板で書いているんだが、一つは自サイト、一つは創作企画の名残りサイト、もう一つはネット以外のリアル友人との連絡板で、それぞれの掲示板のカラーに合わせた感想文を書いている。掲示板が違えば、参加者も違うので、参加者ごとに異なる切り口で感想書く練習にもなるんだが、こういう感想会って、話し相手が変われば、それぞれ違う視点の感想が出てきて、同じ番組を見ていても、個々の意見で共通ポイント以外に、独自の見解とかが興味深く拝見できる。

「まあ、これはTRPGでも実感していて、同じシナリオをプレイしていても、参加メンバーが違えば、あるいは参加キャラクターが変われば、大筋は同じでも印象が大きく変わったりする。その意味で、掲示板のやり取りって、一期一会的なハレの場って感じがする。別にいちいち個人宛てに『?』付きの質問をしなくても、『自分はこうだと解釈するけど、どうもすっきりしない』と自己の解釈と不満点を述べるだけで、誰かが『それってこういうことじゃない?』と応じて、『おう、なるほど』と通じたりするとか、逆に自分が疑問に思っていたことを誰かが先に答えを書いていて、『さすが、この人は読みが深い』とか感じ入ったり、同じものを見て、それぞれの視点を組み合わせていく過程は、文句なしに楽しく刺激的である」

晶華「NOVAちゃんとしては、この人が上で、この人が下とか、そういう風に感じる?」

NOVA「実は、あまり自分の掲示板の参加者に対して、そういう目線はないんだな。それぞれ得意分野が異なるから、長く書き続けている人って、自分なりのアピールポイントをしっかり自覚して、それぞれのスタンスを構築しているから。まあ、慣れていない人だと、それが自覚できていない場合もあって、その場合は『こちらが感じ入った点をプッシュするように感想付ける』と、自覚してくれて、その得意ジャンルを活かした感想になって、こっちもいい勉強になったりする。その意味で、みんな違って、みんないいって思えてくる」

晶華「じゃあ、掲示板で相容れないタイプって、どんなケース?」

NOVA「番組感想なのに、番組をあまり続けて見ていなかったり、場の話題を読まないで、自分の感想じゃない他所の論評を引き写してくるタイプ。自分の感想とは別に他所でこういう解釈があった、と紹介するならいいんだけど、他所の感想とかキャラネタを自分がよく知らないのにコピーして、ウケようとするのは最悪だ(特にそれがキャラを貶める内容の場合)。

「拙い感想でも、周囲の書き込みを読んで、そこに合わせるように書くとか、とにかく周囲に合わせる、空気に混ざる気持ちで書くならいいんだけど、結局のところ、『番組と、場の参加者に対する敬意を示せているか』だと思う。逆に言えば、『番組をバカにしたり、他の参加者の明言した好みを尊重したりしない』のは、個人の意見としても尊重はされないだろう。まあ、意見の多様性はあってもいいんだけど、それには『作品ファンとして、また同席相手に対するマナーを保って』のことだと思う」

晶華「じゃあ、コメントでは?」

NOVA「それはすでに書いただろう。まあ、コメント主個人について付け加えるなら、『ネット上で仕入れた知識を自分の物として咀嚼していない』ことがあるな。玩具の売り上げデータとかそういうのは、自分が実際に玩具を買ったりする人間が興味を持って調べた結果なら、実感を持って話題にできるんだが、総じてコメント主の知識は生の実感を伴うものでない。で、たまに生の知識が出たとしたら古すぎて、何の情報価値も伴わない内容だし、『金がないから趣味を堪能できません』って背景を口にして、それでも苦渋の気持ちで強引に話を紡ぎ出そうとしているのが明らかで、見ていて痛々しい」

「まあ、TV番組を見ていないのに、口を挟んで知ったかするという点は、擁護もできないんだが、総じて知識が足りないのに知ったかぶりをするために、『大学生が卒業論文を提出するに当たって、日頃の研究をせずに、ネットで目に付いた誰かの論文をコピペして済ませる』的な浅はかさを感じる。それで、自分では調べた、研究した気持ちになっているから、余計に何が問題か分かっていないのだろう」

晶華「ネットで調べることが悪いということ?」

NOVA「例えば、初代ゴジラの話をするとしよう。本来は、1954年に公開された第一作を鑑賞するところからスタートする。もちろん、わしの若い頃は個人で容易に見られる映像作品がなかったから、最初にゴジラが2匹いることとか、息子のミニラがいることとか、映画が15作あって云々とか知ったのは、児童向きの怪獣百科を通してのことになる。それが子どもの知識。子供どうしでゴジラの話をするなら、それで十分だったんだ。

「しかし、その後、中学生になって、83年にゴジラ復活前のブームが起こる。わしはその時、『ゴジラ』一作目ではなく『怪獣王ゴジラ』の方を先に見て、それを元ネタに怪獣小説を書いたりもした。

「実際に、レンタルビデオで『ゴジラ』第一作を見たのは、大学生になってからのこと。これで初めて、わしは初代ゴジラをマニアと話す土台ができたことになる。実際に映画を見て思ったのは、わしが第一作と変わらないと思い込んでいた『怪獣王ゴジラ』がいろいろと再編集された、つぎはぎ要素の高い作品で、BGM的にも原作の良さをダイジェスト的にカットした作品だという感想だ。これはこれで一つの味わいがあるが、所詮は二次的な作品で、やはり第一作を見た者と話をしていても、噛み合わない可能性が高い。

「つまりだ。二次作品や、そのネット上に上がった感想文を読んだだけでは、オリジナル作品を鑑賞して一家言持つようになった人間と話をするには、噛み合わないことが多々あるわけだ。もちろん、『ゴジラ』と『怪獣王ゴジラ』の両方を見て、比較対照するような記事を書く人間なら、『君の知識は、第一作ではなく、こっちだろうね。知識が混ざっているようだ』とか指摘することも可能だろうが」

晶華「なるほど。マニアなら、相手の知識の元ネタまで推測あるいは確定できるってことね」

NOVA「マニアなら、作品を見るだけでなく、見た直後に目に付く感想サイトをざっと巡回したりもするからな。だから、そこから引き写した内容は、すぐに分かる。それを自分の言葉のように語る、作品に対する不誠実さは一目瞭然なわけだ。

「もちろん、メジャーじゃない感想サイトの隅から引っ張って来たようなところまでは目が届かないが、少し検索すれば、すぐに目につく程度の情報を自分の意見のようにパクって語るような手合いは、ファンとしても信用に値しない。わしなら、『ツイッターでの感想ですが』とか、『他所からの受け売りですが』と前置きするが、コメント主は他人の意見のパクリの常連だったからな。しかも、自分ではパクったつもりもなく、自分の意見と他人の意見の境界線を意識できていない節がある」

晶華「ええと、それってどういう……」

NOVA「分かりやすく言えば、『他人のアイデアは俺のもの。俺のアイデアは俺のもの』という思考なのに、『己の責任は他人のもの』という自己中回路だな。共同創作でブレーンストーミングをやっている間は、掲示板で出てきた意見を我がもののように使ってくれて構わないんだが、自分では原案以上のアイデアを出さないのに、他人のアイデアを尊重しない姿勢が目立ってな。しかも、共同創作で使われたキャラ名を別の作品に勝手に流用したのが発覚し、公私の区別がしっかりできていないことも分かったわけだ」

晶華「要するに、『みんなで何かやりましょう、と資金を募ったのに、その金を私的に流用して顰蹙を買った』ということ?」

NOVA「アイデアを金と同等視すれば、そういうことになるな。もっとも、わしはその点は気にしなかった。というのも、『アイデアは形にして何ぼ』という考えで、アイデアを勝手に流用して、何か別の作品を作っても、その経験値をまた『共同創作に反映してくれる』なら、個人的な練習ぐらいしても問題ない、と判断したわけだが、ただし、言い訳の方が良くなかった。

『このキャラの名前は、自分のお気に入りで、他にいい名前が思い付かなかったから流用した』

「他にいい名前が思い付かなかったから、という理由が、要するに創作家としての引き出しのなさを露呈していてな。まあ、それでも前半部分の『お気に入りの名前』というこだわりは創作家として分からなくもない。そして、そういう風に考えるなら、『他人のアイデアに基づく名前も大切に考えるだろう』と期待はできたわけだ。まあ、その期待もすぐに裏切られることになった、と記憶する」

 

アラフォー時代の創作企画懐古(寄り道)

 

晶華「ええと、主人公の名前がラーリオスで、その親友にしてライバルがシンクロアだっけ?」

NOVA「変身後の名前だな。そのラーリオスというネーミングは、原案者のアイデアだが、これは今なお光り輝いている。というのも、先ほど検索を掛けてみたのだが、今なお他に使われておらんオリジナリティー溢れる名だ。原案者は、その名を発案したことを誇ってもいいと思うぞ。

「そして、しかもツイッターでは昨年、ラーリオス企画を懐かしみ、原案者の体調を案じる声も上がっておる。今さらながらだが、原案者はラーリオス企画そのものを自分の大切な思い出として振り返った方がいいと思うのだが。わしが共同創作者として原案者に2年前、一度だけ会ったときは、わしの期待に反してラーリオスのことをほとんど記憶しておらぬようで、がっかりしたものだったが、企画参加者以外でも、今でも覚えておる者はおる、失敗に終わっても懐かしむ者はいてくれたということを、わし自身はじんわり感じ入ってる最中。

「それはさておき、シンクロアという名は、わしの出したアイデアだ。ところが今、検索すると、その名はベンチャー企業の名として検索に上がっており、創作企画とは関係ないところでメジャー化しておるようだ。よって、現時点では他に類を見ないオリジナリティーがあるとは言えなくなってしまったが、当時は結構、こだわった名で掲示板上の話し合いでも『それで行こう』と決定したはずなのに、原案者が作品に上げてみると『何の断りもなくシンクロシアと変えられていた』ことで、ちょっと角が立ったこともあってな」

晶華「つまり『原案者さんは、他人のアイデアを大切にしない』ということね」

NOVA「まあ、変えるなら変えるで、その理由がきちんと説明されて納得できるものなら良かったんだが、その辺の説明能力が原案者には皆無でな。それでも、その原案者の改変した要素を新しく自分なりに昇華して、『シンクロア=男性名、シンクロシア=女性名』ということにしつつ、新設定という形で整合性を造るのに苦心した。創作家というものは、時に作品へのこだわりという点でわがままにもなるものだから、一時的に意見が揉めても、良い作品が完成するなら必要な産みの痛みとも考えてな。

「わし自身は、共同創作という形で、みんなでアイデアを出し合って、それをネタにワイワイ話し合う雰囲気が好きだったし、自分でも興が乗って、作品の世界観を広げるために『プレ・ラーリオス』という前日譚を書くのに夢中になっていた流れがあって、過去編はわし、現代編は原案者というダブルスタンスで展開するようにもなった。

「もっとも、これは原案者にとっては、共作ならぬ競作という形になって、過剰なプレッシャーを与えたやもしれぬ。自分で言うのも何だが、わしとてプロを目指して自称セミプロと名乗って恥じない経験を持つ男と見なしていたし、プロを目指すと主張していた原案者にとって良い刺激になるかと考えたのだが、結局のところ、わしが企画を食う形になっての。原案者は『井の中の蛙』というか、プロのレベルというものを相当にナメて掛かっていたところがあって、ただ、これは現在の投稿サイトの隆盛やpixivなんかを見ても分かるように、『世の中に創作家の卵』など無数におって、原案者レベル、いや、わしレベルの者でさえ履いて捨てるほどおる」

晶華「NOVAちゃんレベルってどれくらい?」

NOVA「質はともかく、量で考えれば、1日どれくらいの文章量が書けるか。ちなみに、ここまでで8960字。わしは書こうと思えば、仕事をしながら、ほぼ毎日1万字はコンスタントに書けることを証明している。ざっと原稿用紙25枚だな。

「もちろん、小説とブログ記事は形式が異なるし、最近は会話形式が主体となっていて、背景描写やセリフ以外の人物描写の必要な小説を書く感覚を取り戻すには多少のリハビリも必要になろうが、文章書きとして飽きることなくコンスタントに書き続けることのできる気力、体力、集中力は我ながら、誇らしいと考えている。まあ、仕事をせずに書き続けるなら、一日2万字(原稿用紙50枚)も書いたことはあるので、それが一週間続けられたら、週単位で単行本を量産できるんだろうが、そんな夢想をしても仕方あるまい。

「そして、これはわしの創作活動の原動力じゃが、動機として『書きたいから書く。書かないと頭の中がざわつく。とにかく、脳内を整理するために書かずばいられない』という食欲や睡眠欲を凌駕した執筆欲というものに苛まれる時がある。こういう衝動的な欲求は、原案者にあるのかと問うたら、まあ、彼の創作動機の一つは聞けたんだが、わしの思うかぎり後ろ向きで、自分と相入れない理由だと分かった。他人の創作動機を公開するのは失礼なので、詳細は語らないが、わしはそういう創作動機に基づくジャンルにシンパシーを感じないから、それを知って、創作家としては真逆の方向を向いていたんだな、と納得した」

晶華「だったら、NOVAちゃんの書きたいものって何?」

NOVA「過去と未来をつなげること。明日へ向かって成長すること。そのために今を懸命に生きつつ、感情を殺さないこと」

晶華「その逆ってことは、過去に引きこもって、成長を拒絶し、今をダラダラ生きて、感情を殺すってこと? そんな小説、誰が読みたいの?」

NOVA「いや、案外、ラノベじゃなくて、純文学として書けば、『現代の若者の心情を如実に表した衝撃の問題作』に化けるかもしれないぞ。大体、40過ぎたおっさんが、ラノベにしか興味を示さないというのでは、創作の幅が広がらないとわしは考える。別にラノベを否定するわけではなく、それ以外の創作小説にも知見を広げて……とまあ、他人の人生はどうでもよいことであったな。どうも説教癖が抜けなくていかん。

「少なくとも、ラーリオス企画を通じて、原案者を心配する者はいたということは朗報だ。アラフォー時代に、わしがやって来たことも、あながち無駄ではなかったという気分で、多少とも鬱屈が和らいだ次第」

晶華「えっ? 今までずっと鬱屈していたの?」

NOVA「ラーリオス企画の原案者について語ることは、わしにとって深淵の闇を見据え、自身に向けられた妄執と対峙するトラウマの如き宿業よ。好きで書いているわけではないわ! これを鬱屈と言わずして、何と言おうか?」

晶華「ええと、偏執狂(パラノイア)?」

 

餞別のコメント添削

 

NOVA「シクシク。49歳になっても、原案者の話をしだすと、説教癖が止まらなくなるのか、わしは? いい加減、迷いから解放されて、すっきりしたいと思うておるのに」

晶華「まあまあ、NOVAちゃん。ここは、これでも読んで、気を落ち着けて」

  以前無課金でもストーリーを楽しむ分にはまったく支障がないとおっしゃっていましたが、シナリオの難度が上がってそうはいかなくなったみたいですね。いまでは課金必須ですか? サイバスター(マサキ)の獲得にも課金で臨まれるおつもりですか?

 余談ですが私はサイバスターグランゾンよりヴァルシオンが好きです。グランゾンに匹敵するマシッブな体型でありながら、それとは違う曲線を多用したデザインがカッコいいと思います。

 それにしても無印第二次スパロボのファイナルステージはヴァルシオンよりさきに、グランゾンを倒さなきゃならないと思い込んでたんで苦労しましたねー。まぁ、そのリベンジは数年後無印第四次の真最終話できっちり果たしました。

NOVA「こんな拙いコメント読んで、気が落ち着くかあ!」

晶華「だったら、どういう風に書けば良かったわけ? 原案者、改めコメント主さんは、この人なりに懸命に考えて、このコメントを書いたと思うのよ。だけど、NOVAちゃんの気分を逆撫でしてしまった。タイミングが悪かったとか、過去に仕出かした所業の数々とか、致命的な空気の読めなさとか、原因はいろいろ考えられるけど、ここでNOVAちゃんが『このように書けば、こっちは納得できたのに』と模範の推敲例を示してあげれば、今後、これを反面教師に、愚かしいコメントを書くような人もいなくなって、NOVAちゃんの未来もハッピーになって、シャイニィに輝くと思うの。文章添削はNOVAちゃんのお仕事でしょ?」

NOVA「むっ。わしの納得する的確なコメント例を、わし自らの手で示せと言うのか。面白い。ならば、この愚劣極まりないコメントを推敲してみせるわ!」

晶華「愚劣極まりない、って、そこまで言うほどのものじゃないと思うけど」

NOVA「では、こんな感じでどうだ?」

 NOVAさんは今、別ブログに行っていて忙しいのですね。先日の場違いなコメントは失礼しました。今度のコメントは返事を急がなくて構いません。お時間に余裕ができたら、でいいですので。

 とにかく記事を読んでの感想を書かせていただきます。

 

 DDにサイバスターが来るのですか。

 だったら、何としても手に入れたいところですね。サイバスター愛に溢れるNOVAさんなら、必ず手に入れることと期待します。

 場合によっては、課金してでも……って、DDをプレイしていない私がどうこう言うことではありませんよね。私にもスマホさえあれば。

 おい、ケイP。人に偉そうに言う前に、しっかりサイバスターをゲットするんだぞ。こっちは記事を読むことしかできないんだからな。サイバスターゲットの記事を楽しみにしておく。

 

 さて、DD未プレイの私としては昔話しかできませんが、サイバスターと言えば、思い出すのが第二次の敵対相手だった究極ロボ・ヴァルシオン

(以下、ヴァルシオンの思い出話)

 という思い出も懐かしみながら、DDにもサイバスターだけでなく、ヴァルシオンが出てくれたら、私は嬉しいです。もしも、ヴァルシオンが出るという情報が出たら、そういう記事を書いていただきたいです。

 私のヴァルシオン愛を満たしてくれるのは、NOVAさんのDD記事だけですから、影ながら応援しています。

 とにかく、まずはサイバスターゲットを応援しています。

 それではまた。失礼します。

NOVA「添削ポイントとしては、まず以前のコメントでトラブルが発生して、管理代行のケイPに厳しく諌められた状況下の書き込みを踏まえて、状況認識している事実を前置きに書いた。トラブルはスルーするのではなく、軽くいなして、次につなげるのが大人の作法というものよ。

「そして、『しつこい質問をやめろ』『課金の話は、プレイしない奴がどうこういうものではない』の2点で思いきり減点なので、そこを削った。メールを続けていた時代から、『無駄な質問を連発されて閉口している』と何度も言っているのに、一向に改善できずに絶縁宣言にまで及んだのに、相変わらず不毛な質問三昧。おまけに課金絡みの質問を続けて二連発とは、相手の金の使い方にいちいち干渉するのは、社会人のマナーに反することだと覚えておくがいい。

「次に、サイバスターの話題に乗っておきながら、『サイバスターよりもヴァルシオン』と相手の話題を押し下げて、自分本位の話題に突入したのが、まことにもって下策よ。近頃の若者にありがちな態度らしいが、『相手の話にあまり関心を示さず、それぞれが自分勝手な語りをまくし立てる傾向』は、気心の知れた友人同士の会話なら許されても、大人の書き言葉の世界ではいかに『私はあなたの話をスルーせずに受け止めて、話をつなげていますよ』と示せるかが大切。

「それは、創作における会話の応酬と想いの交流を描くにも必要で、お主に欠けた部分よ。昔は、言葉による気持ちの伝達を書けずに、唐突に感情の結果だけを書きがちだったが、純愛ものを描こうとしても、感情の細かい推移を書けないならば、それはドタバタコメディーにしかならず、読者のキャラへの感情移入を阻害する。この段取りのない唐突感の隙間をうまく埋める感性を磨かねばの。

「創作話はさておき、サイバスターを落としてヴァルシオンにつなげるよりも、サイバスターと推しのヴァルシオンを両雄並べ立てる形でつなげる方が、相手の話題をうまく引き込む形で自分の話を素直に聞いてもらえる。『○○よりも△△』という形で話題を対立させるよりも、『○○といえば△△も思い出す』と話題を発展させる方が、話の流れを断ち切らずに済む。この話をぶつ切りにせずに、つなげ合わせるテクニックを、お主は身につけるといい。そうすれば、深みのある話を展開することもできよう。

「そして、最後はサイバスターに話を戻して、記事の流れに沿うようにしてやると、自分のコメントが記事にとっての異物ではなくなるというテクニックよ。とにかく、お主は場の空気にとっての異物になりやすいので、どう流れに沿うか、一例を示した。

「もちろん、場の空気に対する反論的姿勢で、自己主張で切り込んで来るなら、それはそれでいいが、お主の今の立場でそれをするなら、あっさり斬り捨てるまでよ」

 

晶華「はい。NOVAちゃん、おつかれさまでした。じゃあ、この記事はこれでお終いね」

NOVA「……寄り道が過ぎて、書こうと思っていたことが書けなかった。12855字も費やしたのに」

晶華「じゃあ、書きたいことは次に続く、ね」

 (当記事 完)

コメント力――「できる人」はここがちがう (ちくま文庫)