Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

MM9・5話感想

 前回の感想で、「怪獣が出て、自衛隊でドンパチって話を期待すると、当番組はそういう話じゃない」なんて書いてしまいましたが、
 この5話は、そういう期待に応えてもらった回でした。


 もちろん、自衛隊は主役ではなく、このドラマは自衛隊が前線に出ている影で、いろいろ情報集めしながら、調査&会話劇を繰り広げる気特対の話なんですが、少なくとも「怪獣のいる世界」で、活動する自衛隊の姿を確認するだけで、何だか安心できる自分がいます。

怪獣シッポン

 何かの本で、当作品では「怪獣という言葉をなるべく使わない」「怪獣はMと呼称する」と読みましたが、今回の劇中ニュースでは、普通に怪獣と呼んでいました。
 まあ、気特対内部や政府広報では「M」という呼称が用いられるものの、一般のマスコミでは、普通に怪獣と呼んでいるのだ、と解釈します。変に「巨大生物」と言うよりも、怪獣は怪獣と呼んでくれた方が、分かりやすいですしね。


 そして、劇中、怪獣の命名権は「気特対にある」との描写ですが、地底から尻尾(?)だけ見せる怪獣に対して、彼らは発見と初動が遅れ、自衛隊に現場での行動を抑えられてしまいます。
 よって、気特対はじっくりと調査も行えないまま、マスコミ情報やネット情報なども頼りに、自分たちにできる推測&各界への根回しなどに奔走することになるわけで。
 怪獣の名前をつけるにしても、怪しい液体を噴射する尻尾しか見えないようでは、その生物種や姿もろくに判断できず、「シッポン」と名付けるしかないわけで、このネーミングセンスに対して、ミカヅキさんや現場の自衛隊隊員から「ゆるキャラかよ」とツッコミが入るのが楽しい。


 う〜ん、今のタイミングだと、自分なら「悪魔のしっぽイーヴィルテイル」と名付けてしまいそうですが、そうするとガイアインパクトが起こってしまいそうなので自粛かな。

自衛隊のメンツ

 シッポンに対して、銃砲で攻撃する自衛隊ですけど、いまいち効果が薄いです。まあ、日本の怪獣映画のお約束なんですけどね。
 その映像を見ながら、気特対は怪獣の行動パターンを「犬のようにマーキングしている」とか、怪獣の放つ液体の性質から「下手に体内のガスに引火すると、大爆発を起こす危険があるので、市街地での過剰な攻撃は禁物」とか、どんどん怪獣の生態を解明していくわけですね。
 こういう段階を追った科学者的なアプローチが、平成ガメラちっくで面白い。


 途中、笑ったのが、尻尾と思われたのが、マーキング用の生殖器の可能性が高い、ということで、テレビ映像も途中で、「尻尾(?)に黒いマスキングがかけられる」とか、また、「どんな非常事態でも特別番組を放送せずに、変わらずにアニメを放送しているテレビチャンネルがある」とか、この辺の会話劇のネタが吹き出します。
 さすがに、「シッポン」改め「チン〇ン」に名称変更はしませんですけど。


 ともあれ、シッポンがマーキング以上の行動をしないと判明したため、巣に戻るのを待とうと言うのが気特対判断ですが、それに対して収まらないのが自衛隊
 結局、市街地から距離をとったシッポンに対して、柔らかい腹部を直撃できるように地雷を仕掛けて、想定進路で待ち伏せる作戦を敢行します。
 腹が柔らかいという推測は、「大怪獣バラン」でも試されるのですが、ますます荒れ狂う結果に終わります。バランの最期は、光を好む習性から、発行信号付きの特殊火薬を口から飲み込ませて、体内で爆発させるという終わり方でしたが、
 シッポンの場合は、腹からの爆発攻撃が功を奏します。ただ、その爆発の規模が自衛隊の想定よりも大きく、彼らの被害も大きかったようですが。気特対の調査を部分的にしか受け取らず、「大爆発の危険」を過小評価したゆえのミス、と劇中語られるのですが、まあ、自衛隊的にはメンツを守った形になるわけで。
 確かに、被害を出しただけで、怪獣を倒せませんでした……では、自衛隊の存在意義も問われそうなわけで、被害を拡大させても怪獣撃退という功績をとるのが彼らの選択だったと。それに対して、複雑な気分の気特対。


 ラストの一言。
 「結局、今回の事件では、我々(気特対)は何もできなかったな」
 この言葉は、先週のカノンの言葉ともかぶるのですが、重みが全然違いますね。素人が甘い考えで出しゃばったゆえの後悔と、プロフェッショナルができることを精一杯やり尽くしての「今回は納得できる結末にならなかった。次は、初動の遅れや、情報収集&組織間のやりとりなどもっと上手く対処することで、自分たちのチームがイニシアティブをとることを考えないと」的な反省の一言では、後味が違ったということで。


 ともあれ、視聴者の自分としては、「見たい物を見ることができた満足感」を得ることができました。やはり、「視聴者が見たい物を分かっているなら、それをきちんと作ってみせることこそ、職人芸だ」と思いますね。まあ、作品の見せ方で変化球とか、独自のアプローチを試みることはあるにしても。