Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

大魔神カノン鬱日記17話「枷音」感想

 せっかく、明るいテンションになって来たなあ、と思っていたら、この話で、流れを崩してしまいましたよ。
 正直、仕事で疲れる時期に、こういう話を見るのは辛いです。


 結論を言うと、「知り合った女の子に感情移入して、親身になってあれこれ問題を解決しようとするカノンですが、現実の壁は厳しく、結局、何の解決もできずに『自分は一体どうすれば良かったんだろう?』と無力感のままに終わってしまう」話ですね。
 ヒーロー物で言えば、「怪獣を倒したけれど、街は壊滅して、『何も守れていないじゃないか』と責められる話」*1ではなくて、「怪獣も倒せず、街も守れず、『一体どうすれば良かったんだ』と自己嫌悪で終わる話」。
 刑事物で言えば、「事件が迷宮入りで終わって、捜査の徒労感と屈辱だけが残る話」。
 時代劇で言えば、「悪人の屋敷に乗り込んだものの、返り討ちにあって、かろうじて命からがら逃げ延びて、再起を誓うも、悪人は栄転して、手の届かないところに逃げちゃった話」。


 はっきり言えば、何のカタルシスも得られない話です。
 こんな状態で、ブジンサマが復活したら、「暗黒の力にとりつかれたブジンサマが、イパダダといっしょに大暴れ→オンバケたちは、ブジンサマの怒りを鎮めるべく、奔走する」って展開になりやしないか、とドキドキです。
 あ、「正義のロボットと思われたライディーンが、悪のロボット的な目覚め方をする『超者ライディーン』」もそんな話だっけ?
スーパーロボット超合金 ゴッドライディーン

オンバケ地方編

 地方と言っても、関東の山の中なんだよね。
 村を滅ぼしたイパダダを追って、山林の中で一大決戦。
 コンロ妖怪のカエンジさんは、肩からの火炎噴射でザコ退治に大活躍。でも、肝心のイパダダ戦では、依り代から抜け出したイパダダに憑依されてしまい、苦しみ抜いたまま、崖下に落下。
 救出されたのは、イパダダが抜け出した後。
 そこで見たイパダダの悪夢のような精神世界を、サワモリさんたちに語ります。これについては、7話で、幸太郎の夢として語られているわけですが、要は、生前のイパダダは「歪んだスパルタ教育を受けている少年」の成れの果てということですね。親も含めて、誰も信用できなくなり、親殺しに端を発した連続殺人犯ということが、ようやくオンバケたちにも理解できたところまで。


 で、今回の話も、「歪んだスパルタ教育を受けている少女」と、「彼女を解放しようとするものの、結局、失敗に終わったカノン」の物語なので、ストーリー全体の流れだと、「イパダダは一体ではない。今後、何体も発生する可能性がある。それに対して、生半可な安っぽい正義漢や同情心じゃ、何にも解決できないよ」ってテーマになるんですかね。
 たった一体のイパダダについて、ほとんど解決できないまま、ここまで話が進んでいますので、一話だけでなく、カノンの物語全体を通じて、このテーマは考えていかないといけないのですが……何だか答えの見えない、つまりカタルシスの感じられない不毛なドラマになっているなあ(苦笑)。

横暴な親

 先ほどの7話感想で、自分、こんなことを書いています。

 あ、カノンの周りの女性といえば、5話で彼女に代返させた「かなめ」。実は、クウガの夏目実加ちゃんだったんですね。

 カノン視点だと、カノンをだまして利用した自分勝手な娘という描写ですが、カノン視点は目下、人間に対してネガティブ視点ですので、後の話で、実は「そんなに悪い娘じゃなかった」という側面が描かれるのを期待してみたくなり。基本的に、高寺Pって、性善説志向というか、巡り合わせの悪いキャラは描いても、「どうしようもないカリカチュアされた悪人」は描かない人だと考えますので、その辺はフォローされるはず。

 いや、まあ、「自分勝手さが災いして、イパダダに取り付かれて……」って話でも、自分の好み的にはいいんですけどね。

 この「かなめ」が次回、幸太郎絡みで出るとのことなので、フォローを期待するところですが、それはともかく。
 ここで書いた「どうしようもないカリカチュアされた悪人」ですが、今回の話に出てくる母親って、完全にそういうキャラになってしまってるんですね。「他人と会話を通じさせようとせず、自分の要求ばかり無理強いして押し通そうとするモンスター・ペアレント」として、完全にカリカチュアされています。
 必死に、娘の想いを分かってもらおうと訴えるカノンの気持ちを、完全に踏みにじる形で、見ていて腹の立つキャラ。これが通常のヒーロー物だと、こういうキャラが何かのきっかけで成敗されたり、改心したりして、どうにか視聴者のストレスをはらう方向で作られるものなんですけどね。
 まあ、本話がイパダダ誕生秘話の一面もあると考えると、「こういう親の横暴が、イパダダを誕生させた」と見て、大いに納得できるわけですけど。


 その流れなら、美山加恋演じる少女「くらら」が、後に再登場して、あわや「イパダダ化?」というところで、カノンたちがそれを救うという話になるなら、まあ、今回の話も「途中の過程」ということで、納得できるんですけどね。

反抗期の少女

 さて、カノンの立場に立つなら、「可哀想な少女と、自分勝手な親。それに対して関わったものの、何もできなかった無力な自分」という話になるのですが、
 実のところ、カノンの見方に合わせて本当にいいのか? という解釈もあります。


 つまり、カノンが感情移入している「くらら」と、その証言が、本当に正しいのか? という考察。
 まず、くららはピアノが好きで、「ToTheTop(祈り歌編曲バージョン)」などのロック音楽を、こっそりピアノで弾くのが楽しみ。でも、母親はクラシックしか認めない、と。
 それに対して、カノンは、自分の想いを親に訴えようよ、と激励するのですが、くららは「そんなことをしてもムダ」と考えながら、密かな反抗と自由を堪能するだけで満足していた、と。


 この辺は、カノンの方も世間知らずで、基本的に、父親のばろくとのやり取りから「話し合えば、理解してもらえるはず。少なくとも、自分の親には言いたいことを言ってきた」という考えで生きていることが分かります。
 ばろくとカノンは、互いに言いたいことを言い合っている仲で、逆に言えば、カノンにとっては、それ以外の家族関係はイメージできないのではないかな、と思います。カノンは、お婆ちゃんっ子って設定ですが、母親との関わりと言うのも、現状見えませんしね。


 一方で、くららの家庭は、カノン以上に、しっかりと設定が描写されています。父親はクラシックのピアニストで、母親とは離婚。くららに言わせれば、「母親は、別れた父親を見返すために、自分にピアノの練習を押し付けるのだ」とのこと。
 それは、くららの思い込みでは? と、自分的には思うんですけどね。
 母が娘に、父親の道を進ませる動機が、「父親への当て付け、あるいは復讐」なんて、少し歪んでません? むしろ、「父親を愛しているから、同じ世界で頑張って欲しい」と考えるのが普通なのでは? と。
 カノンは、無条件にくららの言葉を信じましたが、自分は、くららの思い込みも十分歪んでいると思ってます。母親の言葉に盲目的に従って、ピアノの技術を磨いていたけど、反抗期になって、母親の強制に従いきれなくなって、そこに自分本位の思い込みとかで自己正当化を図る心理? 
 ぼくがカノンの立場なら、相手の言葉は受け止めつつも、それ以上は踏み込んだ行動には出ず、「理解者・カウンセラー」のポジションは崩さない、と思います。そこに、「もっと母親に理解してもらおう」って行動を強要すれば(しかも母親の気持ち、立場をろくに考えずに)、それまでは綱渡り的にうまくバランスの取れていた思春期の母娘関係を崩壊させることは、目に見えて明らかです。
 カノンがラストで言う「どうすれば良かったんだろう?」については、はっきり言って、「性急すぎた」「行動を起こす前に、もっと状況を見極めて判断すべきだった」「他人の家庭の問題に、自分の立場を考えずに踏み込みすぎた」と思います。

母親の立場

 「カリカチュアされた悪人」として描かれていますが、そこのところを補ってみる。


 まず、この母親は、片意地張ったキャリアウーマンで、自分の才能で世の中を渡っているところがあります。父親が芸術家で、母親が実業家という組み合わせだと、離婚の原因は性格の不一致かな? とか。
 父親の人間像が分からないけど、娘のくららの性格や才能から推し量るに、「自由で、堅苦しいのが苦手」かな、と。父親の芸術活動を、母親が支援するまでは良かったけど、金銭的な援助の面で母親の方が立場が強くなり、父親は肩身がせまかった。だから、自分が芸術家として大成してからは、妻の束縛を逃れるため、浮気するか、逃げ出すか、結果的に恩知らずな行動をとった、と推測。
 すると、裏切られた母親としては、愛憎入り混じった人間不信状態に陥りますね。「他人の夢を応援したら、その人間は裏切って、自分を捨てた」となれば、「娘の夢がどうたらこうたら」と良く知らない大学生の女の子に賢しらに言われても、「娘の夢なんて、知ったことじゃない!」という反応にもなろうと言うもの。


 愛憎入り混じったということで、娘に接している母親ですが、くららに対して、「娘を育てるという責任感」は持っている。だから、カノンたちに対して、「娘に何かあったら、どう責任をとるつもり?」という言葉を投げかけてくる。
 これに対して、カノンたちが「以前からの友達」とか、あるいは「学校の先輩」とか、「家庭教師」とか、親の信頼を得ている立場なら、もっと会話が成立していたのだろうけど、カノンって、母親の目からは「娘に、万引き犯の疑いをかけた店で、たまたま出会った赤の他人」なんですよね。
 タイヘイの場合は、人間社会の常識を持たないオンバケなので、他人の家庭事情にずんずん踏み込んできても、視聴者的には納得できる。でも、カノンは、「くらら」に対して、「ただの音楽好き」以上の接点はないはずなんです。それなのに、何、お節介を焼いているんだ? って話になる。親から見れば、「不審なストーカー」以外の何者でもない、と。


 次に、母親から見て、「うちの娘はピアノを除けば、何の才能もない」発言。これについては、「実の親が言うことかい?」ってオタキさんのツッコミがありましたけど、親の求めるレベルにもよりますね。
 おそらく、母親は実業家として、相当な才能の持ち主でしょう。で、できれば、娘にも自分の才能を受け継いで欲しかった。だけど、ドラマ内では描かれていないけど、「学校の勉強」は大して出来が良くない。それに対して、父親譲りの音感だけは、目に見えて優れていた。だったら……って思うのでしょうな。
 たぶん、この母親は、人を見る目については、通常以上の物を持っているのでしょう。だから、オンバケや、田舎上がりの引き篭もりで世間知らずな娘のカノンに対しては、少し話しただけで、「不審な点」を感じとった。
 母親の態度は傲慢で横柄に見えるかもしれないけど、それを裏づけするだけの能力は持っている。それで、自分は一生懸命、才能を生かして働いて、娘の才能も伸ばすべく頑張っている。他人にとやかく言われる筋合いはない、と。
 この母親から見れば、万引きを見咎めた店の人は「たかがスーパーの店長」、オタキさんは「たかが下町のラーメン屋」と、こんな接し方なんですね。自分の仕事の時間の無駄にもなるし、娘が関わるべき相手とも思わない。さっさと問題は片付けて、それ以上は接触を持ちたくない。こんなところでしょう。

自己保身の娘

 で、劇中、「カゴの中の鳥」がインサートされて、娘くららの立場の象徴になるんですけど、自立できない年頃の娘が、親の意思で人生を決められる、というのは仕方のない部分でしょう。
 娘の立場としては、親の見ていないところで、こっそりやりたいこと(楽器店のピアノで好きな曲を弾く)をしたり、ちょっとした出来心で悪いこと(スーパーの万引き)をしたり、それぐらいの反抗心を発揮していた。それ以上の現実逃避、あるいは現実改編は望んでいなかったわけですね。
 でも、そこにカノンとタイヘイが絡んで、事を大きくしてしまった。カノンは、くららの音楽嗜好を扇動し、タイヘイは出来心の万引き(すぐに止めず、見守っていれば、やっぱり悪いと思って商品を返していたかもしれない)に過剰に反応した。だから、潜在的な家庭内の問題を、顕在化させたのが今回の話なのかもしれません。


 くららとしても、万引き未遂について、タイヘイに大袈裟に騒がれ、自己保身のために嘘をついて身を守るしかなかった。
 で、カノンに対しても、「私のこと、何も知らないくせに……」と不満を示した上、一応、心を通わせたものの、そうすれば出しゃばって、状況無視のアドバイスで掻き回そうとする。
 くららの立場では、「母親が悪い」と言うよりも、「それでも自分なりに何とかやってきた母娘関係」を覆そうとするカノンとタイヘイの方が、よほど忌避すべき存在ではないか? だから、カノンのメールに対して、返信せず、最後に携帯を車から投げ捨てることまでした。
 くららから見れば、自分のこれまでの人生を守るためには、カノンやタイヘイが悪いことにして、自己保身を図るしかない、と。


 最後は、母親が「これで踏ん切りがついた。こういう環境は娘には良くない。外国に行くことにしましたから」と述べて、カノンたちから離れていきます。
 カノンは、娘が「横暴な母親に捕まって、自由を奪われた」と思って、後を追おうとするのですけど、車から投げ捨てられた娘の携帯電話を見て、追跡を断念するという話。
 こういうのを見ると、「性急な善意の押し付け」とか「親切心の逆効果」とか、いろいろ考えさせられた、と。


PS:ちなみに、当記事書く前は、母親の横暴に対して自由を失った娘の悲劇以上の考察は見えてなかったけど、書きながら「最後の携帯電話が、娘からのカノンの出しゃばりに対する拒絶」ということが分かって、自分的には納得です。


PS2:くららの未来ですけど、自由を奪われてイパダダ化……という悲劇以外に、これまで同様、「クラシックの道を突き詰めつつ、時々、母親の目を逃れて、気晴らしにピアノを弾く。ある程度、年を経れば、母親のコネを活かしながら、自分で食い扶持稼いで、余暇では好きなことをやって人生を楽しむ」という平穏な道もありかな、と思います。母親の束縛と言っても、普段は忙しそうなので、くららに自分の時間がないわけでもなさそうだし、うまくやっていくと思います。