Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

(今回だけの?)大魔神サキ感想「差奇」

 前回の予告どおり、大魔神サキです。
 ええと、一応「詐欺」にならないように、何かネタをと思って、コミック版でも購入。
大魔神カノン (1) (角川コミックス・エース 180-3)
 で、「先」の話はどうなるかな? とか、いろいろ期待したんですが、残念だったのは、コミックの方にはサキちゃんが出てないんですよ。
 もしかして、物語本編でもサキちゃん、あまりストーリーに関わってこない? 役割的には、カノンに対立する「イパダダ側の歌姫」になったりして、ブジンサマに敵対する「悪の巨神像」を召喚するという流れにならないかなあ、とか期待したんですが、そんな話ではないですか、残念。

祈り歌」と「To The Top」

 さて、本編では、カノンが歌う「祈り歌」を、ロック調にアレンジしたのが「To The Top」なんですが、曲のメロディーは同じでも、アレンジが全く異なるので、ノリは別物ですね。
 カノンは、「自分の歌を盗まれた」とか言ってますが、自分で作ったわけでもないのに、被害妄想もいいところ。原曲の「祈り歌」を編曲したのは、元カレの幸太郎の才能と言ってもいいわけで*1
 「祈り歌」の素朴な節回しだったら、今どき、売れないと思いますよ。やっぱ、アレンジャーのセンスも大事でしょ。アレンジ次第で、同じメロディーでも大きく変わるのは、「必殺シリーズの演歌風の主題歌が、殺しのテーマのアクション曲になること」とか、「ヤッターマンの名主題歌が、アコースティックになっただけで(以下略)」とか、いろいろ音楽を聞くと普通に分かるもの。
 そういうアレンジ面のことを考慮せずに、「これは私の歌をパクッた」とか言っているのを聞くと、「こいつには音楽のことが分かってねえ」と言いたくなります*2
 もっとも、カノンの場合、前回(8話)で、「歌を盗まれた云々は大きな問題じゃない。そのことをきっかけに他人を信じられなくなった私の心の問題の方が大きい。だから、人を信じる心が蘇らないと本当の『祈り歌』は歌えない」と、自分の心情を語っています。つまり、「他人のせいにすることで、自分の心の問題と向き合わなかった」とタイヘイに言っているわけだから、まあ、そういう作劇と思って、カノンの未熟さを槍玉に上げても仕方ないかな、と。


 で、前回のカノンは、タイヘイたちとの関わりで、おそらくフッ切れるだろうとは思いますが、その代わりに、その悩みがサキの方にシフトするのでは? と気に掛けてもいるんですね。
 「悩むことで、本当の気持ちで歌えなくなるのでは?」
 ま、表現者としては、そういう悩みを乗り越えて、自己の内面が成長することで、深みのある歌が歌えるのでは、と思ったりするのですが、ね。単に「歌が好きだから」という以上の想いを抱けるか、という話になるかどうか。

コミック版考察

 展開の遅い本編よりも分かりやすく、サクサクと読めます。
 本編の展開が遅い理由は、主役のカノンのキャラクターが、あまり喋らないキャラだから。カノンの気持ちは、周囲の人たちが慮って、代弁してあげるような作りになっていて、これが非常にまどろっこしい。
 まだ、カノン自身の「心の声」や「回想シーン」で心情吐露をいっぱいしてくれたらいいのに、いろいろと焦らす焦らす。推理ドラマを見ているんじゃないんだから、どうして主人公の女の子の心の中を、視聴者が斟酌しないといけないんだ? 普通なら、主人公にはさっさと感情移入させて、主人公といっしょに状況を解決する(あるいは事件に巻き込まれてハラハラする)のが王道でしょうに。


 で、コミック版はどうかと言うと、やっぱりカノンは内気で暗いです。目が伏目がちで、落ち込んだり、動揺して虚ろ目になったり、涙を流したりが目立つ。
 でも、回想シーン(幼少期やバンドのボーカル時代)では明るい表情も見せていて、暗いだけじゃないことも分かります。本編でも、幼少期の回想はあるんですが、コミックの絵に比べると、子役と今のカノンが似てないんですね(苦笑)。本編の子役は本当に無邪気で、かわいい。でも、その明るさが今のカノンにつながって来ず、ほとんど別人*3。せめて、幼少期にも「泣いているカノン」を出して、今のカノンと通じる部分を見せてくれないと。まあ、それをつなぐための「祈り歌」なんでしょうが。
 なお、コミック版では、幼いときから、カノンはすぐ泣きます。おばあちゃんとはぐれて泣いてるところを、タイヘイに助けられたり。この辺は、本編とは違う描写ですが、「泣き顔と笑顔の両方」をタイヘイ(および読者)に見せている点で、カノンの心情が分かりやすい。ある意味、コミック版のカノンは、本編よりも表情の変化がはっきりしているんですね。


 次に、心情ですが、コミック版カノンって、心の中のダークさが分かりやすい。イヤなことがあると、「……もうやだ!! なんで私ばかりこんな目に……」なんて心の中でつぶやきます。暗い方、暗い方に考えて、前向きに考えようとしても、そういう自分を嘲るような笑みを漏らすキャラ。
 ドラマの方じゃ、そこまではっきり演出することもなく、運の悪い状況だけを見せている。そこに、カノンのリアクションが入らず、表情だけで気持ちを伝えようとするんだけど、視聴者にはカノンの背景も十分伝えられていないんだから、情報なしでカノンの心情が伝わるはずもない。いや、仮にそれで伝わるような感受性の強い視聴者がいたとしても、そういう人って、ドラマの主人公のネガティブな気持ちには引き込まれないよう警戒して見るから(少なくとも自分は)、どこか醒めた気持ちでカノンを見てしまう。
 そういう意味で、セリフ抜きで雰囲気だけで心情を伝えようとするドラマよりも、きちんとセリフで心情を示してくれるコミックのカノンの方に、自分はよほど感情移入できました。
 ちなみに、コミック版カノンは、怒り顔も見せてくれます。口では調子のいいことを言って、本心は自分を裏切るような仕打ちを見せるキャラに対して、一瞬だけど、怒りの表情を示すシーンもあって、これがちと怖くてゾクッとしたりも。こういうのもドラマにはない部分*4


 さて、ここまでがカノンの描かれ方の違いですが、コミック版1巻の物語は4話分。そのうち、2話分までが、現状、ドラマで進んでいるところまで。
 3話で、カノンはオンバケのことを知り、パニックを起こしつつも、イケチヨ姐さんとの裸の付き合い(入浴シーン)もあって、何とか状況を受け入れます。ドラマでもそういうシーンは楽しみにしたいですね。深夜放送ですし(^^;)
 また、幸太郎がカノンを振った理由についても、はっきり明言。「カノンがマジメすぎて、やらせねえから」 一部の噂話で、カノンの処女性を疑う人もいましたが、どうやら疑惑は晴れたと考えていいでしょう。
 そして、3話ではイパダダに取り付かれた幸太郎が、今、付き合っている彼女を襲って、魂を奪ったりします。この辺は、ドラマよりも描写がホラーしていて、NOVA好み。


 4話目でもイパダダ大暴れ。
 ここで注目は、カノンにイヤな思いをさせたサラリーマンが、イパダダの犠牲者になっていること。ある意味、イパダダはカノンの恨みを晴らすべく行動しているようにも見受けられたりして。ドラマの方もこれからカノンに関わった相手がどんどん犠牲になったりするのかなあ、と思うと、ストーリーの刺激度が高まるなあ、と考えます。
 で、「イパダダが強大化している理由が、人間の負の感情が高まっているから」と聞いたカノンが、「それなら私にも責任がある。私も……人を恨んだり悪く思ったりすることがあるから、イパダダの一部が私の一部だとしたら……他人事じゃないです」*5というセリフを語ったりして、ようやく物語の大きな流れに関わってくる、と。
 ここまで来るのに、ドラマではあと何話かかるかなあ。


 また、4話で登場する新オンバケがキリノハ(雑誌情報では知っていたけど)。
 彼女の性格が、一匹狼で、信用できるのは自分の力だけ、と。
 「人を信用する心」をテーマの一つとするなら、オンバケなのに「人を信用しない」というキャラは、刺激的かな、とも。


PS:ともあれ、今後のカノンのドラマがテンポアップして、盛り上がることを期待します。

*1:もちろん、それは劇中の話で、本当はどちらも佐橋さんの作曲なんですけどね。

*2:いや、だったら「お前には分かっているのか?」と尋ねられたら……元ネタをうまくアレンジして新しい物を作り上げることを、短絡的にパクリと見なすような考えには、同意できないというのが自分の主張と応じておきます。

*3:いや、当然、役者は別人なんですが。

*4:厳密には、前回、元彼の幸太郎との接触で怒っているシーンもあったんだけど、ドラマの流れからか、役者の演技からか、怒りの描写が軽かったと思う。やっぱ、ドラマ版は喜怒哀楽の見せ方が弱いんだよね。

*5:このセリフを曲解すれば、「イパダダを生み出したのはカノン自身である」と考えることもできるけど、本編の設定では何かスパルタ教育を受けて性格捻じ曲がった死刑囚の怨念みたい。まあ、いわゆる「心の闇」の具現化なんだけど、特定の人物を原因にして、簡単に処理するとつまらなくなるかな、と思ったり。