White NOVAのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSF、TRPGの趣味と、「花粉症ガールというオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

大魔神カノン26話「歌恩」感想

 最終回は、最終回らしく、大きなドンデン返しもなく、無難に終わりました。
 意外だった点は、2つ。
 1つは、「祈り歌・改」に、コミック版で使われていた1番の他に、2番があったこと。カノンマニアなら、最終回記念として2番の歌詞を記事ネタにするところですが、自分はそうじゃないし、録画してもいないので、そこまでの手間はかけない(笑)。
 もう1つは、ブジンサマが復活した理由が、イパダダ退治とは関係なく、カノンの歌に感じ入ったため。まあ、プロデューサーの意向かもしれませんね、「敵と戦うために、歌で目覚めさせる」のではなく、「歌そのものを楽しませたくて、敵がいないときに目覚めさせる」ってのは。
 ブジンサマの性格を考えたり、歌は戦わせる手段じゃなく、もっと平和的な何か、というテーマになぞらえたりするなら、それはそれで理解はできるのですが、ドラマ的盛り上がりとは無縁のこだわりかな、と。


 結局、イパダダが復活したので、ブジンサマも戦わざるを得ないのですが(視聴者としては、それこそが目玉シーンなんだけど)、まあ、普通に段取りをこなしただけで、絵的な面白さは感じなかったなあ。
 ここで、ブジンサマの腕がロケットパンチみたいに飛んだり、マイクやら、ギターを召喚して、歌いながら器用に戦ったり、イパダダをつかんで大空の彼方にジャンプして、派手な空中戦の末に地上に戻ってきたり、その他、アイデアを仕込んだバトルが見られたら、手放しで喜んでいたのに。
 そういうのが、最後まで付き合ったファンへのサービスというものでしょ?


 いや、まあ、自分としては、キリノハが一応出て、最後にサキがカノンと一緒に歌ってくれたことで、普通に見たいものは見れたと思っているので、ギリギリ及第点にはしておくのですけど。
 マイナスが多い作品だったので、最後になって、ようやく可もなく不可もなく、という評価。

ブジンサマ復活・ゲーム的解釈

 前回のTRPGネタが、一部のマニアに好評だったみたいなので、今回はその続き。

GM(ゲームマスター)「前回は、ブジンサマを目覚めさせることができず、君たちはやむなく退散したわけだ。今回はどうする?」
イケチヨ「まったく見てられないわね。今回は、私が説得するよ」
タイヘイ「んだ。カノンちゃんに、ダイスを振らせたらダメだ。歌は演出だけで、判定は他の人に任せた方がええ」
カノン「そんな。私にも、何かさせてください」
タイヘイ「だったら、直接ダイスを振らず、ブチンコとタマッコを通じて、間接的に歌を届けたってことでどうだか? 説得ダイス振るのはイケチヨ姐さんに任せて、カノンちゃんの歌唱技能修正だけ加算するってことで。固定値は裏切らない」
カノン「うう、どうして、このゲーム、私に『ダイス振り直し』の能力がないの?」
イケチヨ「歌姫ってクラスには、他人を支援する特技はあっても、自分は支援の対象外だからねえ。元々、積極的にダイスを振るようなクラスじゃないのさ」
GM「でも、クリティカルだって出しただろ? リストラサラリーマンのシナリオとか……」
カノン「ええ、あれは大成功でした。『では、この歌をネットで流します』って言って、サイコロ振ったらうまく行っちゃって」
タイヘイ「あれで、オレたちが一躍、有名人になるところだったんだけどな。GMの陰謀で……」
GM「いや、オンバケが表の舞台に出てどうすんの? そもそも、タイヘイの目的は、カノンちゃんに歌を取り戻すことであって、自分が歌って目立つことじゃなかったろうが。あのシナリオは脱線して、元に戻すのが大変だったんだからな。せっかく、ゲストに赤い彗星を招いてサブマスターを頼んだのに、誰も直接会いに行って、交渉しようとしなかったし」
イケチヨ「結局、あのシナリオはうまくいかなかったねえ。私がせっかくカノンちゃんに『タイヘイの支援をお願い』して、歌姫クラスのプレイアドバイスをしたのに、その後もタイヘイの支援なんて、ちっともしやしないし」
カノン「だって、私が『タイヘイさん、お願い』って言う前に、タイヘイさんが勝手に突っ走るから……」
GM「あの時は、ロールプレイがちっとも噛み合ってなかったな。でも、結果として、あのシナリオは成功したんだよ。『リストラサラリーマンの苦境を救う』ってミッションは達成したわけだし」
タイヘイ「『人と信頼の絆で結ばれる』って、オンバケ用個人ミッションは失敗しただべ」
GM「それはシナリオ解釈の問題なんだよ。別に『信頼の絆』と、『売れっ子デュオになること』が同じである必然性はなかったんだ。カノンちゃんのダイス目が極端に良かったから、演出的に『二人の歌がネットで評判になった』と言ったら、そこからタイヘイが暴走を始めたわけで。それより、問題はくららの話だ」
イケチヨ「あれは大失敗だったね。まさか、母親の説得で、ファンブル出すとは思わなかったよ」
カノン「ごめんなさい……」
GM「あのシナリオも、別に母親を説得する必要はなかったんだ。母親の横暴に苦しむ女の子を励まして、いっしょに祈り歌を歌うだけでミッション達成のつもりだったのに、母親の説得まで踏み込んだのが失敗。こっちは、NPCの父親使って、『それ以上、ややこしいことに踏み込むな』って誘導したつもりなのに……」
タイヘイ「GMがそんな誘導したら、踏み込みたくなるよな」
GM「それは悪かった。だから、説得ダイスの目を見て、何とかフォローしようとは思ったんだ。でも……」
イケチヨ「ファンブルじゃ仕方ないさね」
GM「とにかく、カノンちゃんの極端なダイス目には、シナリオ相当、かき回されたよ」
タイヘイ「だから、最後はカノンちゃんは、ダイスを振らず、演出だけにするべ。オレはタマッコ連れて、カノンちゃんの歌をブジンサマに届けるから、イケチヨ姐さん、さあ、ダイスを振って」
イケチヨ「久しぶりに責任重大なお役が回ってきたよ。ここは、気合を入れて振りますか。忍風シノビチェンジ! 演ドルをナメルな!(コロコロ)出たよ、クリティカル!」
GM「ブジンサマは、イケチヨの説得と、父親の結婚式を祝うカノンの心からの歌に感銘して、目覚めた」
タイヘイ「来たぞ。天下御免の三日月頭!」
GM「いや、三日月頭ちゃうし」

 大魔神カノンのグダグダな話も、TRPGのシナリオで、プレイヤーの暴走や、ダイス目のハプニングをそのまま収録したリプレイと解釈すれば、納得できるかな? 
 それにしても、カノンちゃん、人と交渉する局面では失敗しがちだけど、ネットを駆使した情報収集その他では、やたらと成功する点、「バーチャルで活動するほうが成功する」のでは?
 「ネット歌手・巫崎カノン」の方が説得力あるかも。

イパダダ復活

 前回、一部を除いて、ゴンベエさんに封印されたイパダダです。
 これもTRPG的解釈をするなら、ゴンベエさんのダイス目が極端に走って、クリティカルの連発で、逃げようとするイパダダを封印することに成功したのかもしれない。


 でも、一部のイパダダが、見張りのサワモリたちをかいくぐって、ゴンベエさんの封印を解いて、あっさりイパダダ復活。まあ、この辺は、GMの演出でしょうな。
 そうでなく、純粋にダイス目の結果だとしたら、イパダダに逃げられてばかりいるサワモリたちも、ダイス運悪すぎだし。


 それはともかく、一体の敵キャラを倒すだけのキャンペーンシナリオって、TRPG的解釈にしても、プレイヤーとしては相当ストレスがたまります。
 これがせめて、イパダダ五人衆とか、あるいは「現代に出現した1体のイパダダ」が、各地に封印された古イパダダの力を目覚めさせて次第に力を増していくとか、そういう変化のある展開だったらなあ、と思います。
 そもそも、オンバケが複数出現しているのに、イパダダは単体しか出現しないのなら、数的に考えると「人間は性善説の存在」ってことになりますよね。まあ、オンバケを生み出す人間は数多いけど、イパダダに化身するほどの妄執を抱えた人間は少数派って解釈ですか。
 ただ、自分の特撮風解釈としては、「あきれちまうぜ 悪ってやつは 倒して倒して 倒しても消えないぜ♪」なんですけどね。一体がしぶとく逃げるのでなく、倒しても倒しても、また新たなイパダダが湧いて出て来る方が、いかにも「汚れて絶望的になった人間社会」を象徴するのになあ、と考えます。

ブジンサマとカノン

 イパダダ復活を知らず、めでたいモードの巫崎家結婚の宴。
 カノンちゃんの祝いの歌披露を一通り終えた頃に、突然の地響きを伴う足音。
 現われたのは、イパダダ……ではなくて、ブジンサマの方。太いバリトンで、「祈り歌・改」を口ずさみながら、宴の家に登場するのは、ちょっぴりシュールな光景。
 前回、書いた妄想をちょっぴり思い出します。ちょこっと編集してみると、

 ゴンベエさんが、イパダダを封印して、平和になった村。
 カノンは、父親の結婚式のために祈り歌を口ずさんだ。
 それをブチンコとタマッコが伝え、ブジンサマが覚醒する。

 カノンの家に出現したブジンサマ。「歌姫よ、お前の想いと歌は受け取った」

 そのころ、ついにイパダダも力を取り戻す。
 オンバケたちは慌ててカノンに連絡をとり、それを聞き取ったブジンサマ。「心配するな。我に任せろ」

 そして、巨大戦の末、ハッピーエンド。

 微妙に、順番が前後したものの、まあ妄想どおり。大きく違うのは、「ブジンサマがカノンのところに現われてから、イパダダ復活の知らせが届く」ことですね。これによって、「カノンは、イパダダと戦ってもらうためにブジンサマを覚醒させたわけではない」 さらに言えば、「ブジンサマを覚醒させるために歌ったわけでもない」という点。
 結婚式を祝うために歌った祈り歌こそ、本当に心のこもった歌だったということで、ブジンサマも祝うために駆けつけたのだと。


 ただし、NOVAの妄想混じりの頭は、視聴しながら、違うことを考えておりました。

 歌いながら、カノンの家に来たブジンサマ。
 そのとき、突然、足を滑らせて、ドンガラガッシャン。
 崩壊するカノンの家。
「どうして?」
 絶望のカノン。
「どうして、目覚めたの?」
 悲痛なカノンの叫び声がこだまする。
(ブジンサマなんていなければ……)
 カノンのネガティブな想いが、ブジンサマに力を与え姿を変える。その姿は、古代の土偶少女に酷似したものだった。

 『ドジッ子土偶娘 ドジちゃん』につづく

 あれ? 視聴しながら考えたことに、今、書いてみると、違うものが混じってしまいました。
 この記事書いている途中で、今さっき、新番組を見たりもしたもので。ええと、そちらの記事は、明日以降に回すってことで。「岩から復活したブジンサマ」より、「土の中から復活した土偶少女」の方が軽快なテンポで、楽しかったぞ、と。
 同じ(?)ドジッ子でも、カノンみたいに痛々しいよりも、コミカルに描いてくれるほうが楽しめるってことで。

ブジンサマVSイパダダ

 戦いに同行すると宣言したカノンを肩に乗せ、歌いながらイパダダの許に向かうブジンサマ。
 本来、一番盛り上がるはずのシーンですが、何というか、段取りを追っているようにしか感じられませんでした。ドラマ的にも、戦いそのものを蛇足気味に流しちゃった上、カノンとイパダダの接点がこれまで皆無だったため、「カノンがイパダダ封印に掛ける想い」といったものに欠ける、と。
 せめて、イパダダが幸太郎の思念などを吸収していて、「邪悪にアレンジした『ToTheTop』」を呪詛まがいに口ずさみながら、カノンに悪夢を思い起こさせるとか、それに対して、「そんなまがい物の歌には負けない」とカノンを奮起させて「祈り歌・改」をさらに歌うとか、そういったカノンの戦いも演出できたと思うんですね。


 特撮自体は確かに、力は入っていたと思う。だけど、ドラマと全くつながってないから、ブジンサマを応援するカノンも空々しいだけでしかない。一応、コミック版のように、カノンとブジンサマを応援するように、他のオンバケも歌っているけど、たとえば、キリノハやカエンジ、ユモンジはカノンとTV版で面識がないので、気持ちの一体感というものが皆無。
 心つなぐはずの歌が、それまでに絆というものを全く描かずに来たので、形だけの物になっている。
 これまで、「特撮アクションを軽視して、その分をドラマに注ぎ込んだ」と公言していたはずなのに、その肝心のドラマ部分が、出来のいい特撮映像を盛り上げることなく終わってしまったのが、非常に残念でならない。
 カノンが苦心して、最後に想いが通じて、ブジンサマが目覚めれば、それで視聴者が感動すると作り手は本気で思ったのだろうか。ドラマで感動を描きたいなら、「カノンとタイヘイ」だけでなく、もっと描かないといけない絆が幾重にもあったのじゃないだろうか。その描写の積み重ねの上に、「ブジンサマとオンバケと歌姫」の一体感が結実してこそ、最後の合唱が感動的になるのだと思う。
 それでこそ、絆の強さと、イパダダの孤独さが対比できるのだけど。


 戦いのラスト。
 イパダダはブジンサマの体内に封じ込まれる。
 石と化したブジンサマは、その心象風景でイパダダの意識と向き合い、「時間はいくらでもある。互いのことを話し合おう」と説得モードに入って、恨みの浄化を演出する。
 単純に力で退治して終わり、ってわけでないのはいいのだけど、TV版のイパダダに同情の余地はあるのか? って気にもなる。生前は連続殺人犯であり、死して後も多くの命を奪ってきたイパダダ。ブジンサマが、どんな話をするのか分からないけど、イパダダが「仏様の慈悲に触れた悪人」のように改心したりするのだろうか? この辺は、宗教観に関わる問題でもあるけど、イパダダには一度「罪の報いとして地獄のような責め苦」が必要? とも考えたりする。
 あ、「長年引き篭もってきたブジンサマの愚痴を絶え間なく延々と聞かされること」は責め苦と言えるのかな? ブジンサマもああいう優しそうな風貌をしているけど、仮にも「大魔神」だから、実はぼくたちには見せていない「怒り顔」があって、そういう面相でイパダダに延々と説教していたら、それはそれで地獄なのかなあ、とか思ったり。

最後に

 イパダダがどう浄化されるかはさておき、カノンちゃんはコミック版同様、タイヘイと別れて、東京に戻ることがセリフで明示します。
 その後、どうなったかは、コミック版よりもあいまいだけど、ラストのシーンで、サキといっしょに、岩となったブジンサマの前で、元の「祈り歌」を歌っている様子が描かれています。
 自分にとっては、ここでサキが登場している点が、まあ良かったかと思う次第。ある意味、サキとカノンのデュエットこそが、カノンが手に入れた物、自分と同じ歌を愛する友人との絆を象徴するものだと考える。
 どんなに「絆」を歌っていても、親友の一人も描かれないのでは、空虚な言葉に過ぎないから。