Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

ガンダムSeed Destiny論(準備編)

 間もなく閉鎖予定の空幻研、および某匿名掲示板で書いた、自分の記事を改めて、ここに挙げておきます。

前作Seedを振り返る(2005/10/12 01:48)

 前作の最終話で思ったのは、主人公のキラがクルーゼの主張に反論できず、成長しきれず終わったことへの苦々しさでした。
 最後のセリフ「どうしてぼくたちはこんなところに来てしまったんだろう?」については、無責任というか、自分の行く先も定めず、状況に流されただけの曖昧な結末に至った空しさを感じていました。
 この時点のキラの行動原理は、当初の「友達の乗る船を守る」から、「戦争を終わらせる」にシフトしています。ただ、実際のところ、戦争は「キラやアスランたち少年の手ではなく、大人たちの手で終結」している。


・キラの業績
 パトリック・ザラを影で操り、地球軍にはNJCのデータを送るなどして、戦争を扇動していたクルーゼを撃墜。しかし、クルーゼの「人の業ゆえ人は自ら滅びる」論に対して、感情的に反発してみせただけ。


アスランの業績
 ナチュラルの大量虐殺で戦争を終わらせようとしている父パトリックを自ら殺しに向かうが、パトリックは自ら撃った部下に射殺されるという結末。


 結局、キラはクルーゼを仕留め、アスランジャスティスの自爆によりジェネシスを破壊。一応、それぞれの決着はつけた形です。
 が、ドラマ的には、アスラン側は父の過ちを止めるために奔走した点で、まとまってはいるものの、キラの側に「クルーゼとの因縁」が何だか取って付けたような唐突さを覚え、まとまりの悪さを覚えたものです。
 その前作のラストを踏まえた上で、本作の最終話を振り返ってみたいです。

キラ論(2005/10/12 03:02)

 Destiny最終話を見てみれば、やはりキラが主人公ですね。最終ボスのデュランダル議長と対峙する場面では、前作のラストに比べて、相応の成長ぶりがうかがえました。
 今回の行動原理は、「戦争を終わらせる(平和を維持する)」→「カガリとオーブを守る(オーブの平和と、世界平和を混同している節も)」→「戦ってでも、自由な未来を守る」にシフトしています。
 途中、「ぼくは何と戦えばいい?」と今だ迷っている発言を行うものの、結局、彼の戦う相手は、「戦争を起こす者」ではなく、「人の自由を縛る者」に移行しました。
 この行動原理の変化がいまいち、分かりづらく、キラの位置づけを曖昧なものにしています。前作終盤のキラなら、「戦争を起こす者はロゴスである」と議長が焚き付けた場合、やはり、「打倒ジブリール」を考えるのが妥当でしょう。しかし、本作のキラは(ラクスがザフトの暗殺部隊に襲撃されたことで)議長に不審を抱き、その不審の念だけで(視聴者の共感そっちのけで)突き進んでしまったのです。最終的にデスティニープランをもって、「やはり議長は悪い」と強引にストーリーで巻きを入れるが、いまいち説得力を欠く展開になりました。

議長およびザフトとの関わり方

ラクス襲撃による不審(議長との対立フラグ1)」→
「オーブ軍のミネルバ攻撃に介入(キラたちは中立・被害抑止のつもりが、ミネルバ側の怒りを招く)」→
「デストロイ撃破に介入(シンの怒りを招く)」→
ザフト側のアークエンジェル破壊命令(キラたちは、どうしてザフトに襲撃されるか分からない鈍感さを露呈。議長との対立フラグ2)」→
「ヘブンズベース戦前に、アスラン救出(アスランの話から、議長の危険性を認識)」→
ジブリールが逃げ込んだことで、ザフト軍がオーブ襲撃(議長との対立フラグ3)」→
「宇宙でのジブリールVSザフト戦には不介入。ただし、この時点で、キラは暴虐ぶりを示すジブリールよりも、デュランダル潜在的恐怖を重要視(視聴者的には、どう見ても、ジブリールの方が悪い奴でしょう。それを気に掛けないキラに感情移入できるはずがない)」→
「デスティニープラン計画公開(これを、キラは「人の自由な未来を奪う」と認識。議長との対決にようやく大義名分を見出す)」

最終決戦

 一応、キラの思考の根幹には、「議長およびザフトへの不信感」があります。つまり、感情論から出発しているわけですね。
 そして、現時点での最終的な行動原理となった「自由な未来を守る」論は、あくまで議長の目指す「デスティニープランの提示する完全な秩序社会」に対するアンチテーゼでしかない、と。その意味では、議長の強烈な個性がキラの人生観に大きく影響した、とも言えます。


 キラのライバルは、当初、シンとも思われたわけですが(オープニングやプラモCMでも、「フリーダムVSデスティニー」の構図を訴えているし)、
 最終決戦においてはレイと対決。それは、前作終盤の対クルーゼ戦のオマージュだから、とは分かるのですが、あまり伏線がなかったので、唐突感がぬぐえません(シンがフリーダム打倒に燃えたときに、それを積極的にサポートしていたのが伏線? しかし、それならレイももう少しフリーダムに対する怒りを明示してもよかったのでは? と後から思う)。

 キラは結局、今回「レイとの哲学戦闘」に勝利します(前作でクルーゼに敗れた意趣返しのように)。
 ただ、これはいまいち議論の質が違うんですよね。
 クルーゼは「自分が破滅するなら、世界も滅ぶべし」という破滅論者だったのに対し、
 レイは「自分が破滅するなら、議長の目指す理想世界で、これ以上、破滅する不幸な者を作らないようにしたい」という姿勢で、
 それに対し、キラは「君はあの人(クルーゼ)とは違う」と論じても、論旨のねじ曲げ以外の何者でもない。
 一応、キラとしては「完全な秩序社会」は「停滞した未来」であって、「破滅した世界」と大差ない代物として、論理展開していますが、
 少なくとも、議長自身は、「デスティニープランの行く着く先が破滅である」とは考えていないし、レイもそれは知っていたはず。なのに、レイは説得されちゃって、動揺した挙句、議長を撃っちゃったわけですから、この辺は納得が難しい、と思います。

未来への模索

 ともあれ、こうして議長は倒れ、キラは後を託されることになります。議長の目指した「完全な秩序社会」とは別の形の「自由な未来(あした)」を。
 この「未来(あした)」の模索が、どういう形で行われるかに期待はしてみるわけですが、とりあえず予想を一つ。

 たぶん、次も戦争が起これば、どちらか一陣営に感情的に反発して、曖昧な態度を取りつつ、最終決戦で突然、取って付けた大義名分を振りかざして、美味しい役どころを引っさらって行くだろう、と。
 「自由」で「混沌」を旨とするキラに、一貫した大義は必要でないし、そもそも「当初から地球軍に味方するコーディネイターにして、後に地球軍を裏切り、ザフトにも付かず、曖昧な位置で戦場をかき乱すトリックスター的存在」ですから。
(だったら、一層のこと、「オレは自由の旗の下に生きる」と宇宙海賊を名乗ってくれれば、すがすがしいんですけどね^^;)

NOVAの考える今後の方向性の選択肢(2005/10/13 01:43)

1.結局、変わらぬ未来。
 地球軍とザフトは、共に戦力を消耗して、休戦状態。キラたちは、役目を果たしたと考えて隠遁生活に入る。
 そして2年後、再びザフトと地球側の武力衝突勃発。歴史は繰り返す……


2.オーブによる平和社会の模索
 プラントと地球側は、今回の戦いの悲劇を繰り返さないべく、オーブを中心に宇宙国際会議を結成。しかし、オーブの専横をよしとしない軍残党(ブルーコスモスザフト双方とも)が、テロ活動を展開し、不穏な状況は絶えなかった。
 結局、テロに対し、軍事力を行使しなければならない現状に、アスランは悩む。やはり、議長が正しかったのでは? と。
 やがて、カガリ(ORラクス)がテロの標的になり(亡くなったりすればリアルかも)、そのことが時代を大きく動かすきっかけになる……。


 もし、続編が2の方向性になれば、それは見てみたい、と思ってます(1なら1で、「また、このパターンかよ」とツッコミつつ見ると思うけど^^;)。

シン論1(2005/10/19 01:38)

 キラやアスランに比べると、シンって、総じて「パイロットとしての腕はほぼ匹敵する」けど、経験が少なく、「精神的に未熟かつ単純」という描写のされ方です。
 NOVAは、「未成熟なキャラが試練を経て、成長する物語」が好みなので、シンの成長ぶりは興味を持って見ていたわけですが、最終回では「成長しきらず終わった」と。
 ちなみに、この場合の成長とは、「議長の主張から離れた視点」に立てるか否か。その意味で、理想的な(本来の主人公らしい)終わり方は、(キラやアスランに同調するか否かは別として)ラスボスたる議長に対し、対抗姿勢を示して独立できることでした。
 一応、そういう終わり方に持って行くための手段として、「シンは議長によって強化人間にされている」説なども考えてはみたんですがね(苦笑)。結局、シンは議長に逆らうことなく、追従した立場で打ち負かされて終わり、というオチでした。
 ただ、まあ、「種」らしい終わり方、とは思います。前作のキラだって、「勝ちはしたものの納得いかず、ポツンと一言つぶやいて終わり」でして、成長は次に持ち越されたわけですから。シンだって、次があれば、その後の成長が描かれるだろうし、それには期待しています。何だかんだ言って、亡き妹と同じ声の娘(ルナマリア)といっしょに生き延びて終戦を迎えたわけですから、未来はあると思う(アスランの言葉に従って過去にこだわるのをやめるか、それとも姿勢は変わらずに議長の仇討ちとしてフリーダムに怒りを燃やし続けるかは不明だけど)。

 で、最終回回想はこれぐらいにして、総括編らしくさかのぼってみます。

1〜20話を振り返って

 まず、シンの行動動機として大きな位置を占めるのは、やはり第1話冒頭で描かれた「家族(とりわけ妹)の死」でしょう。それによって、「戦争への憎悪」「戦争を生み出す為政者への憎悪」そして「戦争の犠牲者たる弱者への憐憫」「弱者を守るための力への渇望」などが形成されました。
 前作のキラ(友達を守るため、したくもない戦争をやむなくする)に比べて、ストレートな主人公像と言えます。ただ、「怒り」が前面に出て、あまり陽性とは言えないのですが。

 しかし、その後の描かれ方としては、アスランに主眼が当たり、シンの主人公像が掘り下げられて描かれることは、しばらくありませんでした。
 シンが主人公らしく活躍したのは、12話。対ザムザザー戦で「種割れ」発動して、かつてのキラ同様のバーサーカーぶりを披露しました。キラ自身は、自分の制御できない「バーサーカーモード」に不安を抱いていましたが、シンはそのまま力に驕る方向で対照的な描かれ方をしました(キラも、サイからフレイを奪う形で、驕りの片鱗を見せたことはあるけれど)。

 その後、ザフトに復隊したアスランとの絡みが描かれる「15〜18話」ぐらいまでが、戦争ドラマとしての種Dで、一番見応えがあると思います。
 戦争に対し、未熟かつ無邪気な考えを持っているシンと、力の使い方について考えるアスランとの対比。
 ここで予想された「シンを導くアスラン」が徹底できれば、もう少しNOVA好みの「十分成長したシン」像が見られたかもしれません。

シン論2(2005/10/19 02:27)

21話から32話まで

 ステラとの絡みがポイント。
 また、対オーブ艦隊戦での「アークエンジェルとの因縁」も交え、物語的には複層化していきます。
 アスランは、キラとの関係に思い悩み、機体をも失って、シンに目を向ける余裕や力をなくし、一方のシンは暴走ぶりがエスカレート。その挙句、シンは、そうとは知らずに恩人のトダカ一佐を斬殺し、また、ステラを失うという悲劇に直面します。
 「ステラの悲劇→強化人間を扱う連合(ジブリール)への怒り」
 「ステラの悲劇→フリーダムへの怒り」
 これらの要素は、それぞれ単発の話として結実する回はあるのですが(よって無駄とは言わない)、最終回までをつなぐ縦糸にはならなかったのが事実。

33〜34話

 フリーダムへの怒りが結実したのは、34話。
 NOVA自身、シンの八つ当たり的な考えには閉口しつつも、キラ(およびアークエンジェル)の不鮮明な態度と、それに対する周囲の混乱への無自覚ぶりの方に一層の不快感を覚えていたので、フリーダム撃墜は快感でした。
 ただ、「インパルスVSフリーダム」の勝負はついても、プラモCMなどで散々煽っている「デスティニーVSストライクフリーダム」は徹底できなかったのがちと残念。同様に、「シンVSキラ」のライバル関係が描かれなかったのも最終回での不満要素です。少なくとも、シンとキラの出会いは、8話以外で描かれておらず、この2人の接触は次に持ち越しとなりました(こういうのを「続編への引き」として意図しているなら上手いと思います)。

35話以降

 対ロゴス戦が本格化。また、フリーダム撃墜により、アスランとの決定的な亀裂が生じ、物語は終盤に向かいます。
 デスティニーに乗ったシンが、アスラン(とメイリン)の乗ったグフを撃墜したことで、号泣するルナマリア
 ここで初めて、シンは「妹を失った自分」と同じ境遇の相手を見出だし、また「力を持った者の背負う業」(アスランが伝えようとして伝えられなかった物)を悟ることになります。
 ステラに対する気持ちは、あくまで「戦争の犠牲者たる弱者への憐憫」であったのに対し、
 ルナに対する気持ちは、「同じ痛みを抱える者としての共感」に通じるわけで。

 その後、オーブ戦を経て、フリーダムやアスランの存命がシンに明示された後、45話の「対ジブリール決戦」までで、主人公としてのシンの物語は終了。

 最終決戦は、シンではなく、レイに焦点が当たるので、一見、シンの方は消化不良にも思えるのですが、一応、それまでの伏線自体は消化しているわけですね。
 残っていたのは、アスランやフリーダムに対する「怒り」の行く末だけだったんですが、最終回に至ってようやくアスランが明示した「過去よりも未来に目を向けろ」の言葉(とステラの幻)が、シンを解放できたなら、一応、ハッピーエンドかな、と。

 ただまあ、個人的には、シンが議長の目指した物にこだわり続けて、再び「怒りの翼」を広げてくれることを願っています。その方がシンらしいと思うので。

PS:自分にとっての「シン」って、「主人公になったイザーク」的キャラクターなもんで、頭は悪くてもいいから、勢いで暴れて欲しかったりします(笑)。

レイ論(2006/02/01 12:57)

 レイは、当初、ミネルバのMSパイロット3人のリーダー格として、我々の前に現われる。だが、彼はMSパイロットとしては優秀ながら、いまいちリーダーシップを発揮できていなかった。この点をして、「リーダーはリーダーシップを発揮すべき」という認識を持つ者は、「レイがきちんと描かれていない」と文句を言うことになった。

 しかし、現実世界においては、リーダーシップを発揮していないリーダーは頻繁に見られる。どうも、人間関係の構築において未熟なレイは、誰かを模倣しなければ、自らのリーダーシップを確立できなかったのではないか。
 そして、レイが「尊敬すべきリーダー像」として模倣するに当たった対象が、アスランである。アスランは、シンの指導役としての表面的に見える要素以外に、レイの指導役でもあったわけだ。レイは、シンに接するアスランの姿に、自らの振る舞うべき姿を重ねていたのだ。
 しかし、アスランは再びザフトを裏切ることを選択した。このとき、レイは日頃の冷静さをかなぐり捨てて、アスランを執拗に追いつめる。レイにとって、「模範のリーダー像」であるアスランが裏切ることは、自分のアイデンティティを保つためにも、あってはならないことなのだ。
 アスランのグフをシンが撃墜した後、レイの憎悪の対象は、当然、アスランを裏切らせる要因となったフリーダム(キラ)に向けられる。レイは、アスランを失った自分を奮い立たせるべく、精力的にシンを訓練する。それまで発揮していなかったリーダーとしての存在感を急に輝かせ始めたのは、このころである。
 その後、レイは最終決戦において、自らキラと激突する。この際、初めてレイはキラと主張をぶつける。それまで、議長の価値観を無批判に信じていたレイは、もしかすると、生まれて初めて「異なる価値観」なるものを突きつけられたのかもしれない。その結果、レイの心に強烈な葛藤が襲い掛かってきた。

 レイにとって、議長は「強烈な崇拝対象」である。しかし、その絶対不可侵性を、キラが押しやった。いや、もしかすると、レイの中に模倣された「アスラン的価値観」が押しやったのかもしれない。
 こうして、レイは混乱状態のまま、議長を撃ってしまったのである。

 いやはや、今のNOVAには、レイの気持ちがよく分かる。
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 以上。

DFORMATIONS フォースインパルスガンダム