パート7クリア
NOVA「ガンダムSEEDの話にスポットを当てた一章パート7をクリアしたぞ」
晶華「へえ。一気に終わらせるなんて、さすがはNOVAちゃん。自他ともに認めるSEEDファンなだけはある」
NOVA「認めてねえよ。別にアンチとまでは言わんが、SEEDのファンを名乗った覚えは一度もねえ。俺が好きなガンダムは、初代とZZとGガンダムだ。後はガンダムXと、ビルドファイターズを推す。クロスボーンガンダムもいいな。あと、SEEDじゃなくてアストレイは好きだった。とにかく、SEEDは追っかけたり、GジェネSEEDを買ったり、CDの音楽集は買ったけど、別にファンってわけじゃねえ」
翔花「そこまでしてファンじゃないって言いきるわけ?」
NOVA「SEEDの放送時期は、俺がインターネットでサイト運営を始めていた時期だから、SEEDはいいコンテンツになるなあ、と思っていたんだよ。だから、放送当時は積極的に追いかけた。それなりに語れもする。ただ、俺の好きな作風かと言えば、結果として違うと言わざるを得ない。何が問題かと言えば、このキャラが好きと言えるようなキャラが一人もいないんだよな。まだ、OOの方はロックオンの兄貴の方とか、感情移入できたりもしたんだが、スパロボでも積極的にキラを使いたいとは思わない」
翔花「まあ、NOVAちゃんは自他ともに認めるスーパー系の人だからねえ」
NOVA「そもそも俺がロボット物を見る目的って、熱く燃えるか、明るく笑えるか、あるいはSF的にクールに痺れるかのどれかだろうし、SEEDって、割と悲観的で、笑えなくて、クールよりも情念的な作品なんだよな。破滅志向の宗教的なところがあって、SF的クールマインドとか戦術・戦略を考えて唸る作風でもないし、だからと言って、おバカな熱血方面に振り切れて、スカッと快感な話でもない。陰湿な方向に情念が爆走している敵キャラとか、ペシミスティックな雰囲気があって、それはまあ、Zガンダムの方向性なんだよな」
晶華「NOVAちゃんはZガンダムも好きじゃないの?」
NOVA「嫌いとは言わんが、ガンダム好きの一般教養だとは思うし、リアルタイムで全話見たほどだけど、好きな作品とは言わないぞ。まあ、Zガンダム自体は格好良い機体と思うし、ハマーン様とか、ヤザン大尉とか、好きなキャラはいるが、燃えるアニメじゃないと思う。あ、SEEDもそうだけど、BGMは大好きだ」
NOVA「作品を評価する際の基準は人それぞれだけど、印象的な音楽とか、それぞれのシーンを切り取った観点で好きとか、細かく語れることはあっても、全体的に好きかどうかは個人の感情論になる。当然、自分が作品に接した時の年齢とかもあるわけで、Zガンダムに対しては、最初のガンダムの面白さと同じものを期待したら違っていたという点と、最後の希望なき終わり方がやるせなくて、感情移入をしちゃダメな作品と認識した次第。まあ、背伸びしたい中学の時期に見たから、クールな作品として受け止めたが、作品テーマとしても大人と子どものディスコミュニケーションを1stガンダムより突きつめたところがあって、言わば反抗期アニメなんだよな」
晶華「そんな大人、修正してやる! な暴力主人公らしいよね、カミーユさんって」
NOVA「キレる17歳って後にネタにもされたけど、歴代ガンダム主人公の比較論ってのがあって、大人が理不尽なことを言ったときにどうするか? アムロなら『そんなの、理不尽じゃないですか』と抗議して殴られる。カミーユなら『そんな理不尽、修正してやる』と殴りかかる。ジュドーなら『そんな大人の理不尽、子どもは聞いてられますか』って軽口っぽく流して、上手くかわしながら自分のルールで場を乗りきる感じだな」
翔花「ええと、アムロさんは大人に抗議して、カミーユさんは暴力で反抗して、ジュドーさんは大人をスルーして、すでに自立しているってこと?」
NOVA「アムロは望まぬながら現地徴用兵として社会を学んでいき、カミーユは社会不適合でドロップアウトし、どっちも精神を病んでいくんだけど、ジュドーだけはフロンティア精神で木星に行き、その後、起業したりもするんだな。ジュドーと言い、ガロードと言い、こういうバイタリティある若者は好みだ」
晶華「念のため、キラさんが大人の理不尽に出会ったら、どんな反応になると思う?」
NOVA「理不尽の内容によると思うけど、キツい仕事なら文句を言わず、淡々とこなすと思う。責任感はあって、その分、抱え込むタイプだからな。『理不尽かもしれないけど、ボクがやらないといけないことなら、みんなを守るためにもやってみせる』と言ったりしながら、ブラック企業で使い潰されるタイプ。あまり主体性がなくて、新興宗教にあっさり引っ掛かったりもしそうだ」
翔花「別に反抗期ってわけでもないのね」
NOVA「真面目で、友だち思いの良い子が戦争という理不尽な状況に流されて、どうしてこんなことになったんだろう、と涙を流す結末だからな。これを見たときの俺は大人だったから、最後まで希望を見失って主体性のなくなった主人公にがっかりしたな。まあ、後半ブルーコスモスの台頭で、宗教家が扇動する戦争という構図に当時の時代背景もあったのかな、と思いつつ(湾岸戦争とか9.11とか)」
晶華「SEEDの戦争って、宗教戦争だったの?」
NOVA「アニメはそういう側面が強調されたな。アストレイや関連書籍では、もっとSF設定がいろいろ盛り込まれた世界観だったんだけど、TV作品ではSF設定よりも情念主導で物語が描かれたために、ドラマが矮小化したと個人的には考えている。まあ、主人公が情念を見せるのはいいんだが、戦争を主導する指導者層が連合側もザフト側も描写がアレすぎて威厳が欠けているのを見ると、こんな世界なら滅びてしまえ、と当時は感じたなあ」
晶華「それって敵役の考えじゃない?」
NOVA「そう、ラスボスのクルーゼがそういうことを言って、主人公のキラがその理屈に反論できなかったんだな。ガンダムって、ラストは哲学戦闘というか、互いの主張のぶつかり合いで主人公側が相手を若者なりの希望で論破してみせるカタルシスがあって、でもSEEDではそういうすっきりした勝ち方ができずに、問題提起だけで終わった感がある。個人的には、結末をうやむやにして虚しく終わったような形で、続編のデスティニーに宿題として引き継がれたなあ、と」
翔花「じゃあ、デスティニーの話もしないと」
NOVA「また、いずれな。今回はDDのストーリーに絞るってことで」
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