Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

コメント対応の話・結論

ブログ管理人として

 

 最近は、キャラ同士の掛け合い会話にハマっていたために、いろいろと試行錯誤気味。

 で、コメント対応についても、別件で忙しいという理由で、ケイPマーク1という仮想キャラに任せていたら、まあ、何というか収拾がつかなくなりそうだったので、管理人として、改めてお仕事をしないとな、という気になった。

 

 え?

 ケイPの中の人はNOVAじゃないかって?

 もちろん、そうだ。

 よって、ケイPの仕出かした不始末はNOVAの責任である。

 まあ、これが本当の管理不行届ということで、秘書が悪いとか、アシモンのせいにして、しらばっくれるのは全くもってフェアじゃない。

 そんなわけで、管理人としての仕事「トラブル処理」を行うこととなった。

 

 ここで、ケンカ両成敗の原則に則り、「ケイPマーク1のコメントと、その起因となったコメントの双方を平等に削除」し、それに関するブログ記事1月17日の「コメント対応の話」も削除することにした。

 一応、過去ログは保存し、求められたら復刻できるようにしたが、まあ、管理人の目から見て、是非とも残しておきたい文面でもないと判断した形。

 

 削除された者にとっては、不満もあるかもしれないが、削除した文章量が多いのは管理人代行のケイP名義の方だし、文章を残しておいて、いっそうの恥をかくのも、まあ、自分ではないと思う。

 たぶん、一番不満に思うのは、ブログの炎上をワクワクして見守るウォッチャー諸氏だと考えるので、そういう娯楽を提供するのも何だかなあ、と感じたわけで。

 また何人か、自分の管理人としての対応を、ご心配いただいた声もあったので、これ以上、醜態をさらすわけにもいかないし、この辺りでクールダウンしないとね。

 

 で、今後とも、こういう失態が続かないよう、ブログのコメントは「管理人の承認」制に切り替えた。実質的に、現在コメントをいただいているのが、トラブルの起因になった人物であるし、こちらもコメントの内容に、いちいちツッコミ対応せずに済む。

 今後の書き込み禁止処置をとろうか、

 それとも、いっそのこと、コメントそのものを書けないようにしようか(実質、管理人の理想的な形では機能していないようなものだったし)、

 いや、もう、こうなったら、うんざりモードでブログ書きそのものをやめようかとさえ、ほんのちょっぴり、チラッとだけ考えてみて、「いやいや、そこまで思いつめる必要はないでしょう」と多くの励ます声が聞こえてきたので(妄想劇場)、

 いろいろな選択肢を慎重に吟味した結果、一番、妥当と考える結論に至った次第。

 

 以上が結論で、結果だけ知れば十分と考える合理的な人は、ここまで読めば十分かと。

 ただ、そこに至る思考過程に興味のある奇特な御仁(NOVAの好きなタイプの人)は、ここからの長文を覚悟して、読み続けてもいいんだからね。

 

トラブルメーカーっぽい人について

 

 ええと、「よし何ちゃら」ってハンドルネームの人なんだけど、実のところ、管理人はそのハンドルで彼を読んだことが一度もない。

 というのも、長年、彼のことは「流」で始まる名義で呼んできたし、「何ちゃら信者って、カルトだかオカルトだか疑わしい名前で呼ぶのも、はばかられた」から。

 よしりんというのは(時々よりりんという誤字も見たが)某有名マンガ家にして政治評論家かつアイドルグループファンの御仁のことで、彼はその人に心酔している。自分はそうでもないが、他人の好きなものを批判するつもりはないので、そこはご自由に、と考えている。

 ただ、「そういう名前の信者を名乗る人」が、うちのブログにコメントを付けることで、うちが政治評論家とか怪しい宗教ブログと勘違いされるのは迷惑だとは思っていた。

 まあ、かく言う自分も、仏教徒を明言していたり、現実もフィクションもいろいろな宗教を学問および趣味として研究、あるいは創作ネタとして考えていた経緯もあるので、宗教にはそれなりに免疫があるつもりでいる。だが、「信者と名乗る人」を相手に、腫れものに触るような気分になっていたことも事実である。

 

 で、せっかくなので、ハンドルにちなんだ呼称で呼ぶなら、よっしーとかだと彼本人ではないので、信者から「シンジ」が妥当かな、と。実際、そういうハンドルで自分が管理する掲示板に彼が書き込んだ過去もあるし、

 何と言ってもエヴァっぽいし。

 そう呼ぶと、少しは可愛げも出るし、こうも言える。

「逃げちゃダメだ」

 以降、彼のことは、当記事ではシンジと仮名で呼ぶことにする。

 

シンジとの腐れ縁

 

 シンジとはかれこれ10年以上の付き合いになる。

 最初は、彼の発案した共同創作企画のサポートをする形で付き合いが始まったわけだが、その時期は普通に楽しんでいたと思う。

 技術的に上手い下手とか、掲示板での振る舞い方の問題点など、不満を言えばキリがないけど、それ以上に「一緒に何かを考え、アイデアを出し合い、拙いなりにネット上で作品を作る」という熱気や過程そのものを当時は楽しんだわけだ。

 

 自分は90年代にゲーム創作の夢の世界に飛び込んで、挫折した経緯があったので、そういうプロ未満アマチュアより上の経験から、シンジのフォローができて、自分の若い日の夢をシンジに託せたら、などとぼんやり考えた時もあったり。

 趣味以外の職業として塾講師でもあったし、それが当時はたまたま左足骨折の事故で入院生活を機に退職して、自宅でくすぶっていた時期とか、いろいろな偶然で、シンジをフォローすることも可能な時期だったからだ。

 

 だけど、その後、様々な事情で共同創作企画も中断し、シンジと疎遠になっても問題ない、という状況になったんだが、結果的に、シンジの方がこっちに懐いたというか、交友関係を維持しようと、執拗に付きまとってきたわけで。

 こちらとしては、「あくまで創作話や作品鑑賞に限定しての話」なら、という前提で、受け止めてみたわけだが、シンジにとっては「数少ない、何でも聞いてくれる大人の友人」に映ったらしく、「こちらが再三、創作とは関係ない個人の身の上話とか、思想政治信条や、現実で困っていることの相談などの話を、際限なく振ってくるなと拒絶した」にも関わらず、すぐに忘れて同じことを繰り返す。

 もう、何度「そんな質問を俺にするな」(by仮面ライダーアクセル)と返したことか。

 

躁と鬱の相違点

 

 でも、こちらとシンジにはそれなりに共通点もあった。

 創作家志望が挫折してくすぶっていたとか、

 TRPG車田正美作品や仮面ライダーBLACKが好きだとか、

 鬱状態というのを経験して理解しているとか、 

   同じ阪神間の住人で震災を経験して大変な目にあったとか、

 まあ、そんなところだ。

 

 ただし、違うところも多い。

 最大の違いは、NOVAは躁状態のモードもあって、楽観思考の要素が強いということだ。

 人間、精一杯努力すれば大抵のことはできる。だから頑張れ。

 それでも、できなければ?

 人事を尽くして、天命を待つ。自分が頑張る姿を見せれば、天の神さまか、仏さまのような人が自分を励まし、時には力添えさえしてくれる。

 だけど、そういう力添えを当てにせず、まずは自分の力でやれるだけのことはしろ。

 まあ、どうしてもできなくても、その際の努力で成長した経験を活かして、次の戦いでまた頑張ればいい。

 こんなところか。

 

 ちなみに鬱モードだと、こうはならない。

 無理でしょう。やっても無駄無駄無駄。

 そんな無駄なことには手を出さないのが賢い人間の生き方さ。面倒なことは人に任せた。俺、寝るし。

 ……少し違うかな。これじゃ、ただの怠け者だ(苦笑)。

 

 何にせよ、躁うつの人間にとっての鬱とは、一過性のものである。

 夜が来ても、時間が過ぎれば、朝になるように、やがて来る躁状態に向けて、コツコツとスケジュールを立てて、エネルギーが溜まった時に一気に片付ける。

 スケジュール管理さえできていれば、何事もきちんと計算立てて、乗り越えていける。

 少なくとも、自分の場合は、そう考えている。

 まあ、テンションの上下幅が大きいので、コントロールできなくなれば、感情制御が非常に困難になるわけだが。

 突発時が重なって、コントロール不能になれば、何もかも一気にぶち壊してしまう不安定なことも、人生において何度か経験した。

 

 そして、NOVAは基本的に弱者に親和的だと自己認識している。

 その辺は、まあヒーロー精神を体現していると言ってもいいだろう。

 躁状態の時は、率先的にリーダーシップを取ろうともするし、勢いで物事を押し進めることも多い。そういうNOVAを信頼してくれる人もいるし、自分でコントロールできているうちは、その信頼や期待に応えることもできている。

 問題は、その状態が定期的に崩れてしまうことである。そういう時期のNOVAを頼ろうとしても、NOVAはこう言う。

 「何で、俺がそんなことをしないといけないんだよ? ここまで手助けしてやったんだ。後は自分でやれよ。何もかも俺に押し付けるな」

 割と、そういう手の平返しをすぐしてしまうところがあって、とりわけ自分の限界を計算できなくて、安請け合いしてしまった時には、責任感と不甲斐ない自分の現状のギャップに押しつぶされて、泣き出してしまうこともしばしばだった(あくまで子ども時代の話だよ)。

 

 自分の振れ幅の大きさを自分で理解して、自分のペースでコントロールできているうちは、人付き合いもうまくできると自認しているが、

 躁状態鬱状態の切り替わりを(たぶん)知らないシンジは、こちらが「今は無理」と文字どおり悲鳴を上げているにも関わらず、いろいろ要求してくる。

 NOVAはシンジの質問癖を今では激しく憎んでいるが、普通の人間は一つ質問して、それに答えてもらったら、礼の言葉を言って、しばらく次の質問は控えるものである。もしくは、質問の後に答えと関連づけた質問を重ねて、話題を進化させるとか。

 シンジの場合は、一つ質問して、それに答えた後に即座に次の全く脈絡のない質問を投げかける悪癖がある。まるで、質問が途切れて、話が打ち切られるのを恐れるかのように。質問を繰り返して、自分への関心をつなぎ止めようとするかのように。

 そして、こちらは本職が教育者で、生徒からの質問に答えることには慣れていて、職業癖みたいにもなっているし、筆マメでもあるので、そういうローテーションに陥っていたこともあった。

 

 それで、質問内容が面白くて、こちらにとっても関心があったり、有意義なリアクションがあれば、調べることも楽しい作業になるんだけど、

 大抵は、一過性の無駄な質問なので、徒労感が半端ない。

 ……だったら、答えなければいいって?

 うん、今ではつくづくそう考えている。

 

阪神淡路大震災の奇縁

 

 繰り返しになるが、NOVAとシンジは、阪神淡路大震災の被災者に分類される。

 当時、社会人だったNOVAよりも年下だったシンジの方が受けた衝撃は大きかったろうし、その時の心理的障害が尾を引いているという彼の主張を揶揄する気もない。

 もしかすると、この時期に不安定になるのは、彼も、そして自分も同じなんだろうし、だからと言って、不安定な自分のところに、不安定なシンジが相談を持ちかけて来ても、何の解決にもならないのは分かって欲しいものである。

 

 そして、彼のタイミングと物覚えの悪さで閉口するのは、夏休みと冬場というのがこちらの仕事のピークだということを忘れて(あるいは大して気に掛けずに)、たびたび不毛な鬱メールを出してくることである。まあ、シンジの場合、鬱メールじゃないメールの方が少ないんだが。

 震災に対するシンジの不安症状は理解できるし、同情もできる。昔は、それで共感もできた。

 ただ、今は共感できない。

 と言うのも、自分が感情移入過多な人間なので、シンジの鬱モードに流されてコントロールを失うと、甚だ危険ということを、これまでの経験で理解するようになったからだ。

 

 シンジの方に、こちらの心理状態を察して、気遣いするような優しさ、敏感さが備わっているのなら、一歩、引くべきところを、

 シンジは配慮なく踏み込んで来る。そういう状況がこれまで何度もあったために、まあ、自分の心は自分で守らねばなるまい、と割り切って、こちらは拒絶するように努めている。

 

 傷ついた者同士、互いの傷を舐め合う関係だったら、まあ相互依存の関係も成り立つだろう。

 だけど、こちらはそういう関係を望んでいないし、むしろ無理やりでも躁パワーを引き出して、「よし、辛い状況でもあるけど、ここを乗り越えたら、また頑張れる。気合いを入れるぞ、オー」と自家発電している最中だったりする。

 そんな時に、気合いを吸い取るような形で関わって来られるのは、迷惑を通り越して、害悪そのものである。

 

 だから、ある年、NOVAはシンジとの関わりを絶つことを心に決めた。

 それが花粉症ガール誕生の2018年である。

 

グランクレストとか、花粉症ガールとか

 

   2018年は自分にとって、非常に重要な年である。

 平成が終わる。と聞いて、そろそろ総決算をしないとって考えた年だし、自分の来し方をあれこれ振り返って、心機一転とか、それまでの人生でしたくても出来なかったことに新たな展望を考えていきたい年、と正月から燃えていたりした。

 

 で、そういう気分とは裏腹に、正月からどんより絡んできたのがシンジ君である。

 そこでNOVAが気合いを入れて話したのが、水野良氏の小説『グランクレスト戦記』の展開である。折しも、小説が3月で完結予定で、アニメの方が1月から放送開始。

 シンジとは、共に水野さんの出世作ロードス島戦記』のファンということで、そこでは響き合うものがある、と信じていた。しかし、どうも、それはNOVAの思い違いだったらしい。

 こちらとしては、『グランクレスト戦記』がポスト『ロードス』の集大成的な作品だと当時、考えていたし、それが完結後に、大きな花火が上がりそうだと直感的に信じていた。そういう、こちらの期待度の高さを感じとって、「分かりました。よく分からないけどチェックしてみます」とでも応じてくるなら、まだ見込みのある男だろう、と考えたりもしたんだが、シンジの反応は鈍かった、というか、そこにはノーリアクションで、自分の思う「時代の流れ」みたいなものに本当に鈍感なんだと、いい加減、見切ることにもした。

 

 結局、シンジという男は、NOVAにしきりに絡んで来ようとする割に、NOVAと同じ物を見て共感しようとは思わない奴だ、ということが、その時点で分かった。

 「同じ作品を一緒に見て楽しめる人間」あるいは「NOVAのツボにハマりそうな作品をNOVAに示してくれる、センスを共有できる人間」というのは趣味仲間だと言えるし(もちろん、100%の一致は不可能にしても)、「ラーリオスの原案者にして、共同製作者」という肩書き、関わり合いがなければ、本当にセンスを共有できない(当時で相当数のメールのやり取りをしていたにも関わらず)人間なんだな、と改めてガッカリした。

 

 で、ちょうどラーリオスも10年を経過して、未完のままだったのを自分なりに何とかしたかったし、TRPGの話とかも含めて、新しいことをいっぱいやりたかったので、シンジとの「不毛なメールのやりとり」(シンジにとってはどうかは知らないが、もしも彼が不毛だとこちらに同調したなら……お前が言うな、と罵らざるを得ないだろう)がその時点で相当に無駄だと考えるようになったわけである。

 結局、シンジの質問にメールで答えても、読むのはシンジだけだし、その分のエネルギーをもっと公開された場で、自分のペースで自分自身をあれこれ総括する形で書けたら、どれだけ自分にとって有意義だろう、と感じられた。

 

 だけど、いきなり絶縁というのも無情だと感じられたので、「自分は今はグランクレストについて語りたい。ロードスのファンであるなら、グランクレストは見届けても損はないし、それが完結した後に、大きな動きがあるような気がするから、時流が読めるなら、今からチェックしておいた方がいいと思う」的なことを書いたと思う(やや誇張しているかも)。

 そして、「グランクレストの話なら付き合うが、そうでないなら、もうメールして来るな」的なことも主張したり。

 NOVAがそこまでシンジに強く何かを勧めることはなかったと思うので、まあ、何かを変えるためにエネルギッシュだったのだと思う。

 

 で、結局、シンジがグランクレストに乗ってくることはなく、こちらは仕事で忙しいことを理由に、次のやりたいこと(ブログ書き)に邁進することにした。

 そして、ラーリオス企画への未練も断ち切るための「シンジの手垢の一切付いていないオリジナル企画」として、花粉症ガール粉杉翔花が生まれたわけである。

 

 と言っても、別に最初から完璧に青写真を描いていたわけでなくて、「シンジへの積もり積もったウンザリ」と、「新しい状況の構築」と、「自分の過去の総括」と、いろいろなことを混ぜこぜしているうちに、花粉症の季節が到来して、気づけばPONと生まれていたわけだから、世の中不思議である。いや、不思議なのは、当時の自分の脳内妄想回路の方か。

 

 そして、グランクレストが終結を迎える頃合いに、「ロードス30周年で復活」という発表があり、「ああ、そう来たか」と自分の確信めいた想いが形になった瞬間を味わいもしたわけで。

 

 ともあれ、この2年の間は、「シンジの執着から逃げる理由づくり」のために、ひたすらブログも書き続けたのかも、と思いつつ、

 いや、そうでもないな、と思い返す。

 

 シンジにも、過去への鬱屈ではなくて、明るい展望を見せたいと考えてもきたし、

 White NOVAという男が、これまでシンジに注ぎ込んできたエネルギーを、自分のために使えば、どれだけいっぱいの仕事ができるかとか、それをいかにシンジが浪費させてきたかとか、同じラーリオスの共同創作者として、そういう努力と執念からお前は何かを学べるのか、とか、

 まあ、少しぐらいは熱い情念を語ってみたりするわけだ。

 

 良く言うなら、シンジがこれまで押さえつけてきたNOVAのエネルギーを、大きく吹き出させた結果が、この2年近くのブログの勢いかもしれない(強引なプラス思考)。

 そう考えると、シンジとの腐れ縁をいい加減に清算すれば、さらなる飛躍が望めるのかなあ、と欲深く考えてもみる。

 来月は、自分の誕生日だ。

 ハッピーバースデイ!🎂

 

少し落ち着いてみると

 

 少々、テンションが上がり過ぎたようだ。

 

 ここまで読んできて、「まるでシンジが悪い」と受け取った読者がいれば、それは半分正解で、半分間違いだ。

 シンジは別に悪人ではないし、NOVAのテンションの上下幅がシンジの方を掻き回した面もあるので、彼を被害者として、小説を書くことも可能だ(自分は書きたいとは思わないが)。むしろ、シンジの方が昔とった杵柄で、NOVAを悪人に仕立て上げた小説を書いたりしたら、少なくとも俺は読んでみたい。

 

 戯言はさておき。

 

 ここに来て、管理人としてのNOVAがしたいこと、求めていることを3つ挙げてみる。

 

  1. 自分らしい建設的なことをしたい。そのための花粉症ガールたちである。まあ、ブログ記事は放っておいても書くんだけど、コメント欄でのトラブル対応は、建設的とは言えないなあ。
  2. コメント欄では、NOVA自身の心に響く建設的な刺激が欲しい。具体的には、NOVA個人への応援とか、創作関連のアイデアとか、今後の展望への予想妄想要望など。
  3. 創作とは関係ない個人的コミュニケーションの要望や、自分の過去話なんかは望まない。そんなものは他人のブログのコメント欄で書くことではない。
  4. 創作キャラへの応援メッセージや、扱いの是非などのご意見は大歓迎。ただし、「翔花ちゃんやアッキー様はオレの嫁」なんて言うのは、父親として許さん。

 

 3つじゃなくて、4つになってしまったが、こいつが勢いって奴である。

 

 さておき、現段階で、NOVAはコミュニケーションに飢えているのではなく、創作の方向性の指針に飢えている感じだ。

 もちろん、創作ではなく、スパロボ関連のプレイ記事や、読書報告、特撮ネタや必殺ネタなど、日々の感想も書きたいときに書くけど、まあ、それも娘や客人との会話形式で続けることになるので、日常創作みたいなもの、と認識している。

 

 シンジへの対応については、こちらは常々「創作や鑑賞に限った付き合い」を求めてきたし、それを逸脱して、リアルをいたずらに持ち込んで状況をややこしくしてきたのは彼本人なので、こちらとしては10年前のラーリオスを始めた頃の新鮮さに戻せるなら、改めての関係性をゼロから仕切り直しても構わない、と考えている。

  現段階で、それ以上の人間関係の深化をNOVAは望まない。シンジ以外で、創作話から自然発生的に仲良くなる可能性は否定しないけど。

(当記事 完)