Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

今さらながらの『運命のダイヤル』感想

最後のインディ・ジョーンズ

 

NOVA「さて、ようやく6月末に見た映画の感想回だ」

晶華「映画としては、どうだったの?」

NOVA「前作のハッピーエンドを覆した点で減点対象だが、まあ、普通に面白かったとは思う。だけど、傑作とか、今の時代に合った作品とか、斬新とか、そういう評価にはならなくて、ノスタルジーの塊とか、人気シリーズの最終幕として、ひっそり終わって、ファンとしてはしみじみできたらいいかな、と思う作品だ」

翔花「つまり、NOVAちゃん個人としては、悪くないけど、うおーって盛り上がる作品ではないってことね」

NOVA「アクション映画としては、老ハリソン・フォードが頑張っているシーンとか、おつかれさまです、と言いたくなるぐらい、ハラハラドキドキすることもあって、十分及第点なんだよな。ただ、やはり最高傑作は3作めの『最後の聖戦』ということもあって、本作は最盛期を過ぎたお年寄りのロートル引退活劇でしかない。つまり、次を見たいと思わせる作品にはならない、と。最終回で盛り上がるわけでもなく、ここから新たなブームが巻き起こるとも思えない。青春時代にインディの物語を見て、興奮してワクワクが止まらない思いをした者が、自分も役者も年をとったなあ、としみじみ思う作品ってことで」

翔花「でも、今回のヒロインは、インディさんの娘になるんでしょう?」

NOVA「親友の娘という形で、前作のマットの代わりを務めたジャジャ馬不良娘って感じだな。前作もそうだが、今作のインディも年をとって冒険生活からは半ば引退している形。そんなインディが冒険に巻き込まれる際に、いろいろな物が奪われたり、壊されたりする様が、憐れみを呼ぶというか、ホロリと涙してしまうほどだ。

ハリソン・フォードと言えば、2015年のスター・ウォーズ、エピソード7(フォースの覚醒)のハン・ソロ役で、息子のカイロ・レンに殺されるという悲劇があって、いまいち後継者に後を託すということに失敗する役柄が多いなあ、と思ったり」

晶華「父親と息子じゃ、やっぱりぶつかりがちだもんね」

NOVA「本作は、ヘレナというキャラに感情移入できるかがドラマを味わうポイントだと思うが、俺には彼女の魅力がいまいち伝わらなかった。あと、ヘレナの相棒の少年テディも、かつてのショーティみたいな役どころを狙いつつ、インディへの反抗心が強調された面もあって、感情移入対象にはなりきらず、冒険活劇としてはキャラ同士の疎外感が浮き彫りにされて、爽快感を伴わなかったのが残念」

翔花「つまり、酷評?」

NOVA「亡き父親への反抗心を抱えたままの娘と、息子の死を後悔したまま居場所を失った老教授が冒険を通じて、互いの欠けた部分を埋め合わせるドラマ……になるのかなあ、と思ったら、その辺の感情の機微がいまいち見ている自分には伝わりきらず、無理やりハッピーエンドに漕ぎつけた形の終わり方。後味は悪くないんだけど、手放しで賞賛はできないかな、と。

「ただ、終盤の『運命のダイヤルに導かれて、古代ギリシャにタイムスリップして、オーパーツのダイヤルの設定に理屈をこじ付けた部分』は、SF的に楽しく鑑賞できたかな。ドラマ的な面白さよりも、SFギミック的な面白さが楽しめたので、感動はしなかったけど、感心はできた映画だったと思う」

 

晶華「では、大雑把な感想はそれぐらいにして、改めて最初からじっくり振り返ることにしましょう」

 

1944年

 

NOVA「まず、本作の時代背景はアポロ11号が月面着陸した1969年なんだが、その前に1944年から物語が始まる。『運命のダイヤル(アンティキティラのダイヤル)』に関するナチスとの因縁が描かれるんだが、元々、ナチスが狙っていたのは『ロンギヌスの槍』で、ダイヤル自体はナチスが集めていた古代の遺品にたまたま偶然、紛れ込んでいたんだな。オカルトかぶれのヒトラーにとっては重要ではないけれど、本作の敵役であったナチの科学者ユルゲン・フォラーにとっては、そちらの方が重要となる。

「ユルゲンと若き日のインディによるお宝争奪戦が描かれ、その結果、ダイヤルの一部がインディの親友の考古学者バジル(ヘレナの父親)の手に渡る。バジルはその後、ダイヤルの研究に取り憑かれ、家庭をあまり顧みなくなったのは、かつて聖杯研究に取り憑かれた父ヘンリーを見ているようで、インディはいろいろと忠告するわけだが、最終的にはダイヤルをインディの大学の保管庫に収蔵する形になった」

晶華「若き日のインディさんは誰が演じたの?」

NOVA「さあな。とあるスタントマンに、昔のインディ(ハリソン・フォード)の3D映像をデジタル合成して、90年代の彼を見事に再現したようだ(追記:後から聞いた話だと、スタントマンではなく、ハリソン・フォード自身がヤング・インディの場面も演じていたらしい。外見だけ若い時代の姿に、合成したうえで。老ハリソンの奮闘ぶりに、ますます頭が下がります)。技術の進歩のおかげで、若い日のシュワルツェネッガーハリソン・フォード、あとスーパーマンクリストファー・リーブの姿も再現できることは映画で見たわけで、もちろん手間暇かけているんだろうけど、こういう技術があれば、故人の演じたキャラでも再現できて映像作品を作ることも可能だろうなあ」

翔花「NOVAちゃんは誰を再現して欲しい?」

NOVA「中村主水

必殺仕置人大全

晶華「そう言えば、今年は中村主水さん誕生50周年記念だっけ」

NOVA「まあ、ハリウッドのデジタル合成技術を、必殺の松竹が持っているとは思っていないし、それだけの予算も下りないだろうがな。例のジャニーズ問題で、次の必殺がどうなるかも未定の現状で、ここらでメンバーの新規入れ替わりで、新たな必殺を作って欲しいところだが、ないならないで、昔の作品を堪能すればいいだけの話だからな」

翔花「必殺も、インディさんも、もう最盛期の盛り上がりは期待していないってこと?」

NOVA「どちらも最盛期は80年代(必殺については70年代の仕事人以前をベストとする意見あり)で、そこから90年代に引き継がれ、ゼロ年代は若者に引き継ぎをして、そこから……ノスタルジーを刺激する材料として、楽しんだり、不満を口にしたり、それでも新作の健闘を讃えたりしながら、でも昔の作品が好きなのは変わらず、そこを基準に近頃のはこれが足らんだの、この表現は新しくて気に入っただの言いながら、コンテンツを楽しんでいるのが今か。

「ともあれ、必殺は時代劇で、そのジャンルそれ自体がノスタルジーだし、インディも80年代に30年代の冒険活劇を復活させた点で、最初からノスタルジーを追求した作品シリーズなんだよな」

晶華「古代の遺跡を掘り起こすというテーマ自体が、懐古ロマンって感じだもんね」

NOVA「で、インディは30年代の物語だったのが、現実に沿うように時代も進み、ゼロ年代には50年代、2020年代には69年の『約50年前』を背景にした映画を公開してきた。また、本編を始める前に過去のインディの冒険を描く構成は、3作めを踏襲していて、現代版のヤング・インディを見せてくれたのも、ファン・サービスと言える」

翔花「やっぱり、ファンは老インディだけでなく、最盛期の壮年インディを見たいってことね」

NOVA「5作めは引退するお爺ちゃんが、自分の若い日のことを懐かしみながら、今の上手く行かない人生を儚みつつ、それでも亡き親友の忘れ形見の娘に対して、小言をぶちまけながら、老体に鞭打って、昔の因縁を何とか晴らすため、昔とった杵柄で頑張る話なんだな」

晶華「昔は良かったって映画?」

NOVA「今に希望を持てないから、可能なら時間を巻き戻して、過去に戻りたい、人生をやり直したい的なテーマもあって、それを実現してくれるかもしれない秘密道具が『運命のダイヤル』なんだ」

翔花「過去への郷愁、時間遡行がテーマなのね」

 

そして25年後(1969)

 

NOVA「この年、アポロの月着陸という歴史的事件があって、その立役者が元ドイツの科学者・工学者であったヴェルナー・フォン・ブラウン。それをモデルにした本作の悪役がユルゲン・フォラーだ。彼はロケット工学者として、アメリカで研究生活を続け、本性を隠したまま、アメリカ政府に一定の権力を行使できるようになっていた。前作もそうだが、アメリカ政府内に外国のスパイが潜り込んでいて、インディの日常生活を脅かす方向に物語が展開する。戦前〜戦時中のアメリカ政府はインディの味方だったけど、戦後の政府はインディの安寧を脅かす役割を担うようになっている」

晶華「インディさんは別に反政府主義者じゃないのにね」

NOVA「69年のインディは、本当に自分の居場所をどんどん奪われて、気の毒に思えてくる。彼の最大の社会的アイデンティティーである考古学者にして大学教授という立場も、とうとう定年退職するに至った。最後の講義の古代ギリシャ・ローマ史においても、学生たちはみんな時代の最先端となった宇宙ロケットのニュースやパレードに夢中で、ろくに老教授の話を聞いていないという描かれ方で、インディ曰く、『最近の若者はみんな宇宙ばかりに夢中で、地面の中に眠っている古代のロマンに注目することはなくなった。嘆かわしい』とボヤいている」

翔花「69年って、そういう時代なのね」

NOVA「もう5年ぐらい経ったら、D&Dが誕生して、古代の遺跡を探検することが一部学生の興味を惹きつけて、ジョーンズ教授の冒険講義が大人気になると思うんだけどな」

晶華「でも、教授はもう退職しているから、D&Dファンが教授の講義を聞く機会は絶対にないってことね」

NOVA「退職後に、本でも書いたりしないのか、と思わなくもないが、70年代や80年代のインディの暮らしぶりは、想像するしかないからな」

翔花「80年代なら映画になってるじゃない?」

NOVA「インディの世界の80年代に、インディ自身の映画が上映されているとは考えにくいよな。フィクションの世界で、フィクションのヒーロー作品がそのままの形で上映、あるいは放送されているケースは稀だろう。まあ、TVや映画のヒーローが現実に飛び出したら? というネタは時々あるが」

晶華「現実と虚構の境界をどこに置くかって問題ね」

NOVA「とにかく、インディ自体は90年代に『孫たちに自分の冒険物語を語っている老後』がTVドラマで描かれているから、その設定がなしでない限りは、ヘレナやテディを義理の娘や息子としながら、温かい家庭を……と妄想するわけだが、前作の最後のマリオンとの結婚式のハッピーに比べたら、『死にかけたインディが、ヘレナの奮闘で何とか生還し、おそらく心配したマリオン(息子の件で傷心のあまり別居中、離婚調停中)との寄りをどうにか取り戻して、もう一度、家庭を再建した』というエンディングが、本当にとって付けたような終わり方でな。すっと入って来なかったんだよ」

晶華「って、いきなり最後の場面を語っているんですけど?」

NOVA「もう、最初の段階で、69年の社会との接点を何もかも失ったインディが、親友の娘の仕出かした騒動と、仇敵ユルゲンの陰謀に巻き込まれて、『時間遡行の鍵となる秘宝(アーティファクト)』の争奪戦に関わり、過去の憧れた時代で骨を埋めようとしたら、現実も捨てたものじゃないと引き戻される物語だからな。まあ、90年代に思い出語りをするインディを肯定するなら、古代ローマで余生を送って、さよならインディって話で終わるわけにはいかないのだろうけど、インディの心情を考えるなら、その方がいいのかも、と思ったほど、打ちひしがれたインディの姿が憐れみを伴うんだよ」

翔花「現在では何もかも失ったインディさんが、冒険生活の中で憧れの古代に飛んで、そこで余生を暮らしたいってのは、なろう系の異世界転移に通じるものがあるよね」

NOVA「だけど、映画はそれを肯定せずに、インディの意思に関係なく、ヘレナの意思で現在に呼び戻したんだよな。ここで、ヘレナ(自立した強い女性の象徴)にもっと感情移入できていたら、感動できていたんだろう。彼女の言い分(古代のロマンに取り憑かれて、家庭を顧みなくなった父親への反発と、幸せな家庭生活を取り戻したいという動機。とことん現実主義な姿勢に基づく)を是とする作品だったわけで、冒険からの帰還、日常回帰には俺自身としても賛同しつつ、それに必要なドラマ構築がいまいちだったと思う。最後の最後で『帰ってきたマリオン』の姿を見せるだけで、何もかも説明したようなサプライズに感動できるかどうかだが、俺はダメだった」

晶華「NOVAちゃんとしては、インディさんが古代に骨を埋めて、帰って来れなかった方が良かった、と思うわけ?」

NOVA「いや、帰還の意思をインディに強く持たせて欲しかったんだが、死にかけたインディはそこで意識を失い、彼の帰還とマリオンと寄りを戻すまでの過程は全てヘレナが奮闘することになる。しかし、その奮闘自体は映像で示されておらず、意識を取り戻したインディが『お膳立てを整えられた結果』だけを享受した形だな。インディを再び現実、日常につなぎ止める段取りが描かれず、そこにインディの意思は介在しないまま、ヘレナが何もかも修復してくれました。やはり、現実をハッピーにするのは強い自立した女性ですよね、これが今の時代です……って、思いきりポリコレ準拠のまとめ方になってしまったのがなあ」

翔花「でも、娘が活躍して、年老いた父親が救われる作品って、今のNOVAちゃんの憧れじゃない? そのための花粉症ガールでしょ?」

NOVA「うっ、そう言われると、最後のインディ映画が女性主導の物語になってしまったのを否定する理由はないんだが。と言うか、今回の映画は当ブログの趣旨に適ってる作品ということで、むしろ肯定すべき要素が多いんだと、今、書いていて気づいたや。う〜ん(苦笑)。

「あと、60年代後半から70年代にかけては『女性解放を旨としたウーマンリブ運動が真っ盛り』な世相もあって、その象徴とも言えるヘレナの描かれ方と、そこに反発する古い世代の説教親父になった老インディとの対比は、時代背景を上手く切り取っているとも言えるわけだな。おかげで、この映画ではインディがあまりにも老害というか、頑迷で、時代の流れについて行けていない偏屈老人になってしまったように描写されているんだな」

晶華「で、NOVAちゃんはその偏屈老人のインディさんに強く感情移入してしまった、と」

NOVA「まあ、3作めとの対比で言うなら、4作めで父親になったインディを描き、父ヘンリーに反発心を持っていたインディが父親と和解するドラマを、今度はインディが父親の立場で描いてみせた。それはそれで悪くない結末と思ったんだが、そのハッピーエンドを息子マットの『ベトナム戦争での死』という形で覆し、5作めで今度は『親友の娘との義理の親娘関係』で焼き直し、やり直しの機会を与えた作品、というのが本作のドラマ的位置付けなんだな」

翔花「ヒーローの後継者は、息子よりも娘なのが、現在の主流なのよね。アイアンマンさん然り、ホークアイさん然り、アントマンさん然り、ソーさん然り」

NOVA「キャプテン・アメリカは違うぞ。まあ、来年、相棒の元ファルコンを後継主役にしたキャプテン・アメリカ4が公開予定で、ハリソン・フォードもサディアス・ロス将軍、改めてロス大統領の役で出演予定らしいが」

晶華「え? ハリソン・フォードさんがMCUに出演するの?」

NOVA「ロス将軍は、ハルク映画の敵役として出ていたんだが(ヴィランではない)、娘がハルクの元恋人で、反発する父親でありつつ、ハルクを怪物として撃退しようとする軍人だったんだ」

翔花「父親か、恋人の父親が警察官とか軍の関係者で、主役ヒーローを疎んじる話って多いよね」

NOVA「まあ、ヒーローは警察の協力者として描かれている場合もあれば、警察と距離を置いて独自判断で悪を懲らしめる法秩序を乱す者として描かれる場合もあるからな」

晶華「正義の味方ではあっても、警察の正義とは異なる立場ってことね」

NOVA「独自捜査の私立探偵を疎んじる刑事だっているってことさ。時には協力もするが、価値基準が異なれば対立することだってある。まあ、ハルクの場合は、自分でも力をなかなか制御できない暴走しがちな怪物だから、言わばゴジラガメラみたいな怪獣だ。より危険な敵対怪獣と戦ってくれるにしても、軍組織としては手放しに味方と判断できなかったりもする」

翔花「で、作品によっては敵になることも多い将軍さんが出世して大統領にまでなって、それをハリソン・フォードさんが演じるってこと?」

NOVA「とにかく、ヒーロー嫌いのキャラとして、何かとアベンジャーズの邪魔をしてきた役柄なんだが、役者の人が去年に逝去されて、ハリソン・フォードが後を継ぐことになったらしい。それによって、ロス将軍改め大統領の印象がただの悪役からヒーローの協力者に変わるのかどうかを気にしつつ」

晶華「なるほど。インディさんは引退しても、ハリソンさんはMCUに参入して、NOVAちゃんの追っかけ対象であり続ける、と」

 

NOVA「って、話が寄り道脱線してしまったな。軌道修正を図るぞ」

 

ユルゲン・フォラーの陰謀と、若者たちの反抗

 

NOVA「さて、インディは宇宙時代に適応できないロートルとして描かれているのに対し、ライバル学者のユルゲンは、時代の寵児として大出世している。アポロ計画に寄与したことで政府内での発言力を高めて、悲願である『運命のダイヤル』の奪取を試みるわけだ」

晶華「何のために?」

NOVA「『運命のダイヤル』を適切に操作すると、時空ゲートが開きそうな座標が判明し、そこからタイムスリップできるという設定なんだな。ナチス残党だったユルゲンの目的は、ナチスの敗戦をなかったことにすることだが、そのために過去に戻って『ヒトラー暗殺』を狙っている」

翔花「え? ヒトラーさんってナチスのトップよね? 味方のトップを殺して、それで戦争に勝てるの?」

NOVA「ユルゲン曰く、『ナチスの科学は世界一なのに、ヒトラーがオカルトかぶれで、戦力を無駄にオカルト遺物の収集に当てたから、勝てる戦いも敗れることになった。もっと合理的な開発に資金を投入していれば、ドイツ軍は勝てたはず。ヒトラーを始末すれば、ドイツは勝てる』という主張だ」

晶華「それってツッコミどころよね」

NOVA「劇中のインディもツッコミ入れていたと思う。『こいつ、何を言ってるんだ?』って感じで。要はユルゲンが科学バカなので、自分の研究をヒトラーが蔑ろにしたから戦争に勝てなかったという私怨混じりの主張なわけだ。ただ、ユルゲンが月ロケット打ち上げという成果を実現させたという話だから、その言い分を是とするナチス残党も一定数いた。そしてアメリカ政府とナチス残党の勢力を利用して、ユルゲンがインディの大学を襲撃して、そこに保管されていた『運命のダイヤル』を奪取する作戦を決行した。大学関係者の教員や事務員が殺害されて、逃走したインディが殺人容疑者として指名手配されるなど、大変な事態が展開される」

翔花「25年前の因縁で、日常を追われるインディさんという状況ね」

NOVA「さらに話をややこしくしたのが、ヘレナだ。彼女も『運命のダイヤル』を狙って、インディの講義に潜り込んだりして彼と接触。亡き父親の研究していたダイヤルを譲って欲しいとインディに要求する。ダイヤルの秘密を彼女は知ってはいなかったが、インディは『何らかの未知の力を呼び起こす危険がある』と説明しながら断ろうとしていたら、ユルゲン一派の襲撃があったので、ダイヤルを巡って、インディとヘレナ、ユルゲンの三つ巴の争奪戦が繰り広げられる流れとなる」

晶華「三つ巴ってことは、ヘレナさんはインディさんの味方じゃないってことね」

NOVA「当初のヘレナは、父親の後を継いでダイヤルの研究をしたいと言っていたけど、実は嘘で、ダイヤルを高い金で売り払うのが目的で、その際にマフィア相手に相当に危ない橋を渡っていたわけで。インディも、ヘレナが研究者の道を歩んでいたら賛成していたろうが、それが偽りで古物を盗掘して金銭にする生き方に苦言を呈するわけだ。まあ、マットの時もそうだが、インディはアカデミックな研究活動に熱心で、息子や親友の娘にもそういう道に進んで欲しいと押しつけがちな教育パパの一面を示すように描かれている。マットが自分の息子と知る前は『若者は自由に生きたらいい』と言いながら、自分の息子と知った途端、『大学に行け』と手のひら返し気味に押しつけて、反発されたりもする。その辺の前作ドラマを踏まえた父子ゲンカがエスカレートして、飛び出した息子が従軍して戦死、という顛末だ」

翔花「息子さんの死によって、夫婦仲もしっくり来なくて別居中。大学教授の職も辞めて、そこに親友の娘が飛び込んできて、ナチス残党とか、アメリカ政府の秘密組織が襲撃して来るって話ね。訳が分からないと思うんだけど」

NOVA「要するに、インディの味方が誰か分からない状況で、旧友のサラーの伝手を頼って、上手く国外脱出に成功。その過程で、ナチス残党に追われたり、ヘレナを狙うマフィアに追われたりなどのチェイスアクションが展開され、ドタバタの末に状況整理が行われる。ナチスの正体を表したユルゲンの手で、アメリカ政府の捜査官は殺害され、イタリアン・マフィアも追跡から脱落。ユルゲン一派と、インディ・チームの対立関係に絞られるんだが、インディ・チームの結束は必ずしも良くない」

翔花「何で?」

NOVA「ヘレナと、マフィア絡みで同行することになった相棒の少年テディが、持ち前の経験で口うるさくチームを仕切ることになったインディに反発するからな。若者2人としては、ダイヤルを売って金にしたら、それで目的達成という状況だったのに、なぜかナチスが絡んできて話がややこしくなる。インディとしては、状況を理解していないままに危険な遺物に手を出した2人が危なっかしくて見ていられない。テディに至っては、インディの揉め事に自分たちが巻き込まれたんだから、インディを見捨てて逃げようってことまでヘレナに言い出して、チームの結束がバラバラだ。まあ、ヘレナはインディから『息子の悲劇』と『父親としての心情』を打ち明けられて、同情的になっていたので、義理の娘として見捨てられないって流れにはなっているんだけど」

晶華「インディさんとヘレナさんの間にはドラマがあるけど、インディさんとテディ君の間にはドラマがない?」

NOVA「ないな。テディは、本当にヘレナのおまけで付いてきた程度の扱いで、インディに対しては反抗的。だけど、和解とか理解を描くこともしないまま、その後のダンジョン探索では主役級にナチスの追っ手相手に活躍したり、真っ当なサイドキックとして扱われている。まあ、不信だった関係が共に危機を乗り越えることで、信頼を紡ぐドラマは定番だけど、その辺のセリフのやり取りがカットされたのか、少なくともテディとインディが互いを認め合って、『やるな、お前』『あんたもね』的な和解を示し合う描写はなかったと思う」

翔花「脇役だから仕方ないでしょうに」

NOVA「本当にテディが取るに足りない端役なら気にするだけムダなんだけど、インディに対する反発心と、余計な単独活動の結果、チームをトラブルに巻き込むとか、いろいろやらかしているのに、そういうネガティブな感情を解消する場面が描かれないと、感情移入するまでの段取りが成立しないんだよな。それがないまま、後半では機転を利かして活躍する少年主人公みたいな描かれ方をするものだから、感情の持って行き場に困った。途中まで、いつ裏切ったりしないか、と気を揉んだキャラだし」

晶華「仲良しチームのドラマじゃなかった、と」

NOVA「最後まで見れば、アクションのしにくい老インディの代役として、迷宮内の水中に飛び込んだり、飛行機を操縦したり、大活躍なんだけどな。その割に、ドラマでの立ち位置が確立されないままに終わったわけで、ヘレナの弟分ではあるけど、インディの弟子にも助手にもなっていないという中途半端さが何とも言えず」

翔花「まあ、巻き込まれた冒険で一蓮托生的な扱いってことね」

NOVA「別にインディが巻き込んだわけじゃなくて、歴代シリーズで一番、なし崩しのままに目的のはっきりしない冒険行になってしまった感だ。まだ、2作めの方が『さらわれた子どもたちの救出』という大義名分があって、冒険の目的そのものは明確であったと思う」

 

冒険の目的

 

NOVA「さて、歴代シリーズのキーアイテム(聖櫃、サンカラ・ストーン、聖杯、クリスタル・スカル)と比べて、本作のダイヤルは決定的に異なる点がある」

翔花「神話や超科学の産物ではなくて、純粋に機械ってことね」

NOVA「そう。不思議なのは、それだけ高度な精密機械を古代ギリシャアルキメデスがどうやって作成できたのか、という点だな。それについては、映画で謎解きがされて、要は未来から持ち込まれたという、ある意味、つまらないオチだな。時間移動が可能な設定なら、オーパーツの謎解きが呆気なくできてしまう」

晶華「大体、未来人や宇宙人、異次元人などが介入したら、この世に不思議なことなんてなくなってしまうものね」

NOVA「神さまの存在は不思議なので、インディも3作めまではそういう世界観、宗教観で神秘を描いていた。4作めのクリスタル・スカルで宇宙人の遺物という設定を投入し、5作めではもっとSF科学や工学技術を扱うようになった。『運命のダイヤル』はそれ自体が特殊な力を秘めているわけではなく、時空の歪みを観測できる精密機械という程度の性能しかない。時空の歪みを発生させられるのなら凄いアイテムだが、観測できるだけなのだから、凄いのは機械でなく、時空の歪みという話になる」

翔花「でも、1969年に時空の歪みって話を持ち出されても、話が通じる?」

NOVA「1960年には、ポール・アンダーソンがSF小説『タイム・パトロール』を書いているわけだし、60年代だったら時間移動も割とメジャーなテーマになっていると思うな。それにウェルズの小説『タイムマシン』(1895)も1960年に初めて映画化されているし、69年だったら普通に時間移動SFが一般的に知られていると思うぞ。インディのSF知識がどの程度かは知らんが、時空の歪みとかの話を聞いても理解はできるはず」

晶華「むしろ考古学者だから、実現できるかどうかは別として、興味は持っていても不思議ではないわね」

NOVA「あと、本作で問題となっていたのは大陸移動説。紆余曲折の末に、敵のユルゲンはダイヤルの示した座標を解析するのに成功し、時空の歪みを見出して、飛行機でそのゲートを突破して目的の時代(1940年代の第2次大戦中)に向かおうとするんだが、その座標計算が間違っていることに、後を追うインディが気付くんだな。ユルゲンの計算は、アルキメデスの時代(2000年以上前)から大陸移動による誤差が発生していることを考慮していないから、目的の時代に到達できないって。結果的に、ゲートを通り抜けた先は、アルキメデスが生きていた古代ローマの時代だったりする」

晶華「どうしてユルゲンさんは大陸移動に気付かなかったの?」

NOVA「これは学者の専門分野の違いだな。インディは考古学者で、発掘とか穴に潜るのが関心分野だから、陸地の移動にも興味を持っていたのだろう。一方、ユルゲンは機械工学が専門分野で、考古学者じゃない。宇宙や天体観測、座標の計測には関心を持っていても、大陸が2000年かけて移動するとは、当時の科学知識の範囲では思ってもいなかったのだろう。現在は大陸移動説も中高生で習う常識レベルだが、60年代はまだプレートテクトニクス理論が確立されたばかりの最先端の科学知識だったらしい」

翔花「??? いまいち科学史はよく分からないんだけど、大陸って2000年で、そんなに大きく動くものなの?」

NOVA「今でも、1年に数cm程度は動いているらしいぞ。100年で数m、2000年だったら数十mから100m弱ぐらいは動く計算だから、コン・バトラーVの身長ぐらいは動くんじゃないか?」

翔花「巨体がうなるぞ、空飛ぶぞ♪  ってぐらいは動くってことね」

NOVA「さすがに、大陸が空を飛んだりはしないと思うが、俺の例え方が悪かったと謝っておこう」

晶華「とにかく、大陸が巨大ロボットのサイズぐらいは動いたから、時間移動の目的時代が25年ぐらい前から2000年以上前にズレてしまうのね。どういう仕組みで、空間のズレが時間のズレになったのかも分からないけど」

NOVA「俺だって知らん。たぶん、映画の作り手も細かい座標計算はしていなくて、勢いで話をでっち上げただけだと思う。ただ、大陸移動の誤差の結果、ユルゲンの精密な座標計算も想定外の狂い方をして、異なる時代に飛び出してしまった。理屈じゃなくて、映像的ダイナミックさを無邪気に驚き、楽しむところだと思うな。それで、彼の戦闘機が現地の古代人にドラゴンと思われて、攻撃されてしまったりして笑ったし。当然、ローマ人の武器で20世紀の戦闘機に対抗できるはずもないんだが、ローマの地上部隊に攻撃されながら、インディの戦闘機とも戦う羽目になって、結果的にユルゲン機は撃墜されてしまう。その辺は爽快な結末だが、戦闘中にインディも負傷して、不時着してヘレナに応急処置を施される流れになる。そこにアルキメデスがやって来て、現代人と短時間のコミュニケーションを交わすことになるんだ」

翔花「歴史人物のアルキメデスさんと、インディさんの感動の対面ね」

NOVA「本作は、ドラマ部分については残念に思える点も多いが、SF的なギミックや古代遺物に関する歴史知識の面でそれなりに感じ入れるものがあったな。アルキメデスさんは、インディの持ってる腕時計やダイヤルの構造に関心を持ち、その場で絵を描いたりし始めるんだ。それでインディも相手が尊敬するアルキメデスであることに気づき、『昔から憧れて、追いかけて来たんです』と少年のように目を輝かせる。そう、数々の神秘に接しながら、学者らしい冷静さは崩さなかったインディが、初めて推しに出会って、感無量になった瞬間だ」

晶華「インディさんは、アルキメデスさんのファンだったの?」

NOVA「神学とか宗教関連の遺物よりも、迷宮内の機構的な仕掛けに興味を持って来たインディだからな。考古学者ってだけで、彼の専門がいまいち分かっていなかったんだが、古代の機械装置などの発明品や歴史関連が専門なのではないだろうか? とにかく負傷して、自分は間もなく死ぬだろうと弱気になっているインディが、この時代に残って、推しの学者と生涯を共にしたいと言い出すと、ヘレナは必死に『元の時代に帰らないと』って説得する。『イヤだ。どうせ元の時代に帰っても、誰も自分を待ってはくれない』と涙ながらに訴えるインディを『そんなことはない。あんたが帰らないと悲しむ人がいるはず』と問答無用で気絶させて、無理やり飛行機に積んで、何とか離陸させて、閉じかけたゲートを抜けて帰還するわけで」

晶華「死にかけのインディお爺さんが駄々っ子のように帰りたくないって言ってるのを、無理やり連れ帰る義理の娘って構図ね」

NOVA「ここのハリソン・フォードの演技が本当に秀逸すぎて、こっちがもらい泣きしてしまったんだな。それまでが、晩年にどんどん自分の居場所が奪われる中、親友の娘の巻き込まれた冒険を解決しようと、昔取った杵柄で懸命に走り回りながら、ふと気付いて『この年になって自分は一体、何をやってるんだ?』と自己ツッコミすることに。前作では息子のマット相手に張り合いながら、まだまだ若い者には負けないと言っていたインディが、さすがにもう付いて行けない、とか自分の時代は終わった的な弱音を吐いている姿も見せたりしながら、それでも頑張る。古代の遺物への愛情とか情熱とか、いろいろ伝わって来て、最後に推しの時代に思いがけず到達して、そこで死ねたら幸せだなと覚悟を決めた……と思ったら、そういう感情を否定されてしまう。もう、涙たっぷりになったね、俺は」

翔花「でも、わたしだったら、ヘレナさんと同じで、無理やりでもインディさんを連れ帰ると思うな。とても見殺しにはできないもん」

NOVA「まあ、そりゃそうだけど。死にたいと言ってる老人を、はい、そうですかと見捨てて、自分だけ帰る娘だったら、どういう風に物語をきれいに締めくくれるか、俺だって想像はつかん。意識を取り戻したインディを出迎えてくれる妻のマリオンさん、そして息子は失ったけど、別の娘と弟分、という新しい擬似家族が誕生して、大冒険の末に得難い日常を取り戻したという形で、歴戦の老冒険家の幸せな物語は大団円で良かったと思う。死ねばいいってものではないだろう、とな」

 

晶華「では、本作は傑作ってことで」

NOVA「インディの引退劇としては、残念な面もあるし、ツッコミ点もあるので完璧とは言わないが、ハリソンさんの演技や頑張る姿がひしひしと伝わって来て、これが最後なら納得できる程度の佳作だ。でも、続きを作って欲しいとは思わないし、スピンオフもいらないな。インディの代わりの冒険物語なら、いっぱいあるし、シリーズとしての役割はもう果たし終えたと思う。スターウォーズと違って、有終の美を果たし終えたってことで、俺の評価は確定だ」

(当記事 完)