Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

今さらながらのインディ・ジョーンズ話

夏の宿題を遅ればせながら

 

NOVA「さて、夏が終わって、早くも一月が終了しようとしている彼岸どきだが」

翔花「彼岸って、あの世ってこと?」

NOVA「語源はそうだな。人間の住むこの世を此岸(しがん)と言い、成仏した先、俗に言う死後の世界を彼岸という。その間にあるのが三途の川で……この辺は仏教と日本の民間信仰がいろいろ混ざってややこしいんだが、昼と夜の時間が同じになる春分の日秋分の日を中心とした前後3日の1週間は、生死の世界のゲートが開きやすいそうだ。だから、先祖供養の祈りも届きやすいということで、お彼岸の時期に墓参りという風習にもなっている」

晶華「お盆とは違うの?」

NOVA「お盆は元々、仏教ではなくて、道教の中元節が先祖供養の行事であったのを中国で仏教行事の盂蘭盆会(うらぼんえ)と融合して、日本に伝わって来たらしい。まあ、寺としては先祖供養の墓参りの機会は多い方がいいという立場から、お盆と彼岸のどちらも行事として定着させたという流れがあるな。ともあれ、彼岸の時期は、霊界とのゲートが開きやすいというネタは時空魔術としても重要なので、覚えておくといいだろう」

翔花「植物の精霊少女としては、彼岸花ってのも大切よね」

NOVA「彼岸花は別名、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれ、学名はリコリスラジアータ。また、英語ではレッド・スパイダー・リリー(赤蜘蛛百合)とも言うそうで、伝承によって高貴な天上の花とも、死を呼ぶ毒花とも扱われる。創作上の題材としても、非常に美味しい素材と言えよう」

晶華「最近は、この作品が話題になったわね」

NOVA「俺はアニメ方面には、あまりアンテナを張っていないので、リコリス彼岸花を意味することも今、初めて知ったわけだが(番組ファンなら常識なんだと思う)、知ったからには、関連事項もそれなりにチェックはしたいと思った。ともあれ、彼岸花は物騒な別名がいろいろあって、並べるだけで想像力を刺激されるのも事実だな」

晶華「葬式花、墓花、死人花、地獄花、幽霊花、火事花、狐花、蛇花……などかあ。確かに少女暗殺者の通称にふさわしい花ねえ」

NOVA「花言葉は、情熱、独立、再会、あきらめ、悲しい思い出、旅情らしい。なお、俺は花のことには詳しくないので、全てWikipedia知識だと補足しておく」

晶華「では、詳しくないアニメや花言葉なんかの前置き話は置いておいて、ここからどう本題に持っていくのかしら?」

NOVA「今回のメインテーマは、夏に語ろうと思っていた映画インディ・ジョーンズの話なんだが、遅れに遅れて彼岸時期になってしまったので、インディと彼岸を何とかつなげようと思った。でも、ちっともつながらないので、困ってる」

晶華「もう少し考えてから、記事書きしようよ(苦笑)」

NOVA「いつもなら、書き始めたら割と勢いでスポッとハマるんだが、たまには外すこともある。ハマらないときは書き直すなり、タイトルを変えてメインテーマを改めたり、いろいろと手は打つんだが、今回はあえて整合性を気にせず、ぶっちゃけ本音の迷走モードで書き続けることにする。たまには、そういうのも一興だろう」

晶華「そんなテキトーな記事に付き合わされる私たちや読者さんには、いい迷惑だけどね」

翔花「ええと、そういうのをセレンディピティ(思いがけない掘り出し物)って言うんじゃなかった?」

NOVA「うまくハマればな。でも、ハマらずに失敗すると、不整合、しゅう曲、断層などのように、話がズレたり、ねじ曲がったりして、スッキリ美しくない。そうなっている話を読みやすく整えるのも、書き手のセンスであり、技術ってことだな」

翔花「でも、整っていても単調でつまらない話よりも、歪んでいても一興と言えるような文章がいいよね」

NOVA「読み手がそう思ってくれるのなら結構だが、書き手がそう開き直って雑文しか書かないようでは、ただの開き直りだ。まあ、ブログの文章だけでなく、映画もシリーズが続くと、不整合が生じてガッカリすることも多いのが世の常だが、と思いつつ、開き直ってインディ・ジョーンズの話を追ってみよう。

「最新作にして、おそらくシリーズ最終作になったと思われる『運命のダイヤル』で、個人的に一番ショックだったのは、前作『クリスタル・スカルの王国』に登場したインディの息子のマット・ウィリアムズが、あっさり死んだことになっていた点だな。前作での重要人物が、続編で出演しないだけでなく、殺されてしまうのは『エイリアン2』でリプリーが助けた少女ニュートが続編の『エイリアン3』であっさり死んだ扱いにされて、前作のハッピーエンドを台無しにされたガッカリ感が付きまとうわけで」

 

1作目:『レイダース 失われた聖櫃(アーク)』

 

NOVA「まあ、5作めの感想の前に、シリーズの思い出話からだ」

晶華「1作めはインディ・ジョーンズってタイトルが付いていないのね」

NOVA「レイダースは、正しくはレイダーズと言うべきだろうが、『略奪者』『盗掘者』といった意味だな。元々は『失われた聖櫃(ロストアーク)を掘り起こす者』という意味で、お宝探しのならず者という感じ。そのならず者の中には、敵役のナチスだけでなく、主役のインディも含まれるんだが、後にシリーズとなって原題にも『インディ・ジョーンズと、失われたアークの略奪者たち』という意味で改訂されたりもする」

晶華「1981年の作品で、序盤の大岩トラップの映像などが、82年の宇宙刑事ギャバンにも影響を与えたりした、と」

NOVA「『スターウォーズ』もそうだが、70年代末〜80年代半ばまでのルーカス&スピルバーグの映像作品は、日本のSF映像に多大な影響をもたらしたんだよな。ただ、俺自身がレイダースを見たのは87年の2回めのTV放送の時だ。先に2作品めの『魔宮の伝説』をTVで見て(87年10月)、それから初めて『レイダース』がインディ・ジョーンズ第1作と知って、同年年末に放送されたのを見た形になる」

翔花「ずいぶんと遅い出会いだったのね」

NOVA「『レイダース』の初放送は85年だったんだが、当時は別に自分が遺跡探索の冒険ものが好きだという趣味は持っていなかったんだな。宇宙SFのスター・ウォーズは好きだったけど、ハン・ソロ役のハリソン・フォードが考古学者のインディを演じているって知識もなくて、洋画には無知だったんだ」

晶華「つまり、NOVAちゃんのインディ体験って大したことないのね」

NOVA「ああ。積極的に追いかけたのは87年からで、ちょうどTRPGにハマるようになってからだ。順番としては、TRPGで遺跡探索の冒険ものの楽しさをイメージできるようになったタイミングで、考古学者のジョーンズ教授に出会い、劇場映画として見に行ったのは3作めの『最後の聖戦』(89年)が初ということになる」

翔花「でも、今では大好きな作品シリーズの一つだと」

NOVA「映像作品については、80年代はTV放送された分を見ているだけで、映画館に見に行った作品は『ゴジラ』と『必殺シリーズ』のみ。まあ、70年代だと『東映まんが祭り』と『スーパーマン』の記憶があるが。で、俺が一番映画を見ていた時期は、89年に大学に入った後、レンタルビデオでいろいろ見始めた後の90年代ということになる。インディに一番ハマっていたのも90年代で、その頃はノベライズ版の小説や、ヤング・インディ・ジョーンズのTVドラマも楽しんでいたな。俺の卒業論文が十字軍テーマだったのも、『最後の聖戦』の影響が大きいとも思う」

 

晶華「『最後の聖戦』の話は後で聞くとして、今は1作めの話に専念しましょう」

NOVA「この作品は、『スターウォーズ』と並んで、冒険活劇映画の金字塔と称される作品だ。西部劇のようなテンガロンハットと、鞭をトレードマークとした冒険家スタイルとして、後年のステロタイプにもなったし、本作以降はインディの影響を受けていないトレジャー・ハンター作品を探すことが難しいのではないだろうか」

翔花「テンガロンハットと言えば、宮内洋さんも愛用していたわよね」

NOVA「まあ、鞭とテンガロンハットというアイテムなら、ゴレンジャーを経てズバットというのが70年代だから、俺的にはインディが決して元祖ではないんだが、インディの場合は、そこに考古学者を本職とする冒険家、という属性を付与したんだな。つまり、ただの肉体派なアクションスターだけでなく、知性派ヒーローでもある。ソード・ワールドで言えば、スカウト技能に合わせて、セージ技能も合わせ持ち、一人で何でもこなせる冒険家。ただし、蛇が苦手という弱点もあるのが、キャラクターとして好感度が高い」

晶華「で、冒険中に高い確率で蛇に遭遇する、と」

NOVA「使わずして、何のための弱点設定なんだと思うわけだが、インディの場合は技能的に完璧に近い冒険家なのに、弱点もしっかり持ち合わせて、TRPGのプレイヤーキャラとしても完成度が高い。もう、第1作めからキャラ設定や描写としては完璧に近いわけだが、俺は先に第2作を見たために、そっちがインディの標準だと長らく勘違いしてしまったんだな」

翔花「2作めは標準じゃないの?」

NOVA「シリーズの中では、異色作として評価されているらしい。と言うのも、インディ個人のドラマがほぼなくて、第一作で世界的に有名になったヒーローのインディの、さらなる冒険を描いたジェットコースター・ムービーと称される派手なアクション映画だったわけだな。娯楽性には満ちているが、ドラマ性は薄くて、シリーズの他の作品との接点はほぼない。ともあれ、先に派手な作品を見たら、その前の1作めにどういう感想を持つか分かるか?」

晶華「なるほど、これが原点か〜と感服する?」

NOVA「いや、思ったより地味な作品だな。2作めの方が楽しい……と思って、俺の中では1作めの評価がしばらく低かったんだよ」

晶華「物を見る目がなかったのね」

NOVA「まあ、1作めよりも2作めの方が派手に作っているのは、『エイリアン』『ターミネーター』などいろいろあって、先に2作めを見て、そちらを基準に考えたら、1作めの方が地味という評価になるわな。ただ、2作めが切り捨てた1作めの要素を3作めが拾い上げたりして、改めてシリーズとしての流れを再評価することもあって、俺にとっては『最後の聖戦』を見たから改めて『レイダース』の評価ができるようになった、という感覚がある」

晶華「どういう順番で見るか、で評価が変わるわけね」

NOVA「今の情報社会だと、いろいろな情報に接して先に作品の歴史的評価とかシリーズの流れを予習できたりもするが、高校時代に初めて非SFの冒険活劇映画に接した学習途上の若者にとっては、出会った順に摂取して行って、シリーズの歴史も無頓着だったりするわけで。

「なお、先に『帰ってきたウルトラマン』を見てから、初代の『ウルトラマン』を見た際も、意外と地味な作風だと思ったわけで、初代マンを普通に評価できるようになったのは後年に入ってからだ。何せ、悩み成長するヒーローである郷秀樹に比べて、ハヤタは無機質なエリート風味でドラマがほぼないし、ウルトラマンの戦闘スタイルも『変身→優勢→ピンチ→逆転』の段取りが確立したり、トランポリンで跳ねたり、アクション演出が確立していた新マンに比べて、初代マンは腰がひけて戦い慣れていない感だと子ども心に映ったからな」

翔花「最初に見た作品を基準に考えると、それ以前の未発達な要素に不満を覚えるってことか」

NOVA「そこで、シリーズの発展史とか、発展する中で切り捨てた要素を再評価するのが面白いと考えるようになったのは90年代になってからだな。そして、自分が作品を見た順番と、作品が実際に作られて発表された順番の齟齬をどう埋めるかとかね。今はまあ、『レイダース』の歴史的意義とか影響の大きさではなくて、俺自身が作品をどう受け止めたかって思い出をメインに語りたい」

晶華「それで、地味な映画って評価なのね」

NOVA「2作めは、邪教に囚われた子どもたちを強制労働から救うという正義のヒーローのお話なんだよな。考古学者がお宝を探索する話がメインじゃなくて、悪者を倒す勧善懲悪映画。で、TRPGの観点からも2作めの方がダンジョンメインの構成だから、そこが面白いって考えるわけで」

翔花「1作めはそうじゃなかった?」

NOVA「インディの遺跡探索は最初だけだな。その後は、聖櫃(アーク)を巡るナチスとの争奪戦がメインで、乗り物を使ったチェイスの面白さや、お宝の奪い奪われる競争の面白さはあるにせよ、最後は聖櫃(アーク)がナチスに奪取されて、インディとヒロインのマリオンは敵に捕まってしまう主人公の負け戦で人間ドラマが終結してしまうんだ」

晶華「ああ、インディさんはお宝争奪戦に負けちゃうんだ」

NOVA「でも、ラストで聖櫃(アーク)に封じられた魔力が解放されて、それは呪いみたいなもので、ナチスの兵隊や指揮官、ライバル学者たちの生命力をすべて奪いとってしまう。インディとマリオンだけは、目を閉じることで悪霊の生命力奪取を免れて九死に一生を得る形で、初見では、こんなご都合主義のオチがあるか!? って感想だった。主人公の活躍ではなくて、神の奇跡とか敵の自滅でお話の片が付くことを否定的に感じたりも」

翔花「最後に奇跡が起こって、絶体絶命のピンチを解決って話はよくあると思うけど?」

NOVA「まあな。『サイボーグ009』でも、最後の最後で超能力赤ちゃんのイワン(001)がそれまで寝ていたのに、急に目覚めて、集団テレポートで絶体絶命のピンチから脱出って展開に萎えたこともあったけど、まあ、後から考えると『常時使える奇跡ではなくて、ここぞという場面で使える奇跡』だから納得性は高いんだ。もちろん、イワンが超能力赤ちゃんという設定を知らなかったら、何それ? ってなるんだけど、それは設定を知らない方が悪いってことで、設定を知らないのに文句を言う方が批評家としてはお粗末という部類だ。そういうのを公表するのは恥ずかしいので、設定を知ったら(教えてもらったら)反省してゴメンなさいできる人に誠意を感じるな」

晶華「つまり、『聖櫃(アーク)もそういう奇跡を起こせるアイテム』って設定だと分かっていれば、問題ないってこと?」

NOVA「これには、作品世界のリアリティレベルの問題があって、超能力や神の奇跡が普通に存在する世界観だったら問題ないわけだ。だけど、インディの世界って基本はリアル現実に基づいていて、レイダースの映画も終盤まではあまり荒唐無稽じゃなくて、地に足付いた作品世界だったんだな。リアルなお宝争奪戦でずっと違和感なく見ていたら、最後の最後で何だか超スペクタクルな幻想世界に踏み込んで???って思ったのが、俺のレイダース初見感想だ」

翔花「でも、聖櫃(アーク)って古代キリスト教の凄い価値あるお宝だから、奇跡を起こせても納得でしょ?」

NOVA「まあ、インディの世界はオカルトありの世界観だし、スピルバーグも最後の最後でスペクタクル映像の奇跡を見せるのが好き、と分かっていれば、OKなんだけど、映画の中のインディは「聖櫃(アーク)は歴史遺産として価値があるけど、ナチスが信じているような神秘的な効果については迷信に過ぎん」と考えるリアリストな性格なんだな。だから、主人公の信念に合わせて映画を見ると、最後の最後でインディの信念を覆すオカルト現象が起こり、見ているこっちも主人公といっしょに驚き、呆気にとられるわけだ」

晶華「敵が信じている方が正しかった、と?」

NOVA「まあ、キリスト教の知識のある者なら『失われた聖櫃(アーク)というものが凄い価値ある宝だって知っているから、それが何の奇跡も起こせないただの歴史的遺産で終わっていいはずがない』という先入観で、映画を見て、それが最後に悪人を一掃する奇跡を見せたら、大いに納得するんだろうなあ、と後から思った。俺も、この世界がSFやファンタジーなら、『凄い秘密兵器やマジックアイテムの力が発動して、奇跡が生じて物語を解決する』って話を否定したりはしなかったろう。それこそ伝説巨神の力が銀河を切り裂いたり、バルスの光で天空の城が崩壊したりなど、アニメだと奇跡は普通に起こる」

翔花「だったら、どうしてレイダースの最後の奇跡については、受け入れにくかったの?」

NOVA「やはり、レイダースという作品にリアリティを感じていたからだな。迷宮に仕掛けられたトラップの数々、そして聖櫃(アーク)の手がかりを示したキーアイテムの争奪戦、そして発掘した聖櫃(アーク)を巡ってのナチスとのチェイスなど、あくまでオカルトとは無縁の話で展開してきた。これが普通に魔法や超能力が実在する異世界ということなら、どんな奇跡が起こっても受け入れる構えができていたろうに、インディもオカルトに懐疑的なキャラだし、別に信仰心が強いわけではない。つまり、主人公に感情移入して見れば、オカルトに傾倒してるナチスがおかしい(狂ってる)って話になるわけだが、最後の最後でそういうインディの信念が覆されるって話になる」

晶華「で、信念が覆されたインディさんは改宗したりしないの?」

NOVA「いや、元々、オカルトを追っかける人じゃなくて、考古学者として学術研究に専念する人の物語だったので、最後は『聖櫃(アーク)は危険な遺物だから、倉庫に回収封印してめでたし』という終わり方。この終わり方も、初見では訳が分からなかったな。せっかく凄い呪力を秘めた遺産を入手したんだから、俺だったらもっとしっかり研究して……って考えたくなるが、インディにとっては『自分にはとても扱えない人類の宝だから、国に管理を任せてお仕事終了』で良し、としちゃうんだな。大人になったら、そういう思考も普通に分かるんだが、高校時代の俺にはインディのそういう割り切り方が理解しづらくて、最後がしっくり来なかったように思える」

翔花「今だったら分かるの?」

NOVA「インディの研究テーマは、別に聖櫃(アーク)じゃなかったんだ。それはあくまでインディの師匠(マリオンの父)の研究テーマであって、それを奪って悪用しようとしてたナチスから守った以上のことには、インディは興味がない。それよりも、自分の関心ある分野の研究に戻りたいってことだろう」

晶華「宗教的呪物には関心がない、と?」

NOVA「3作めで分かるんだが、父親の方が聖杯探索に情熱を持ったキリスト教の強信者なんだな。インディは父親に反抗心を持っていたから、信仰関係は割と否定的で、知識としては知っていても神学やオカルトにのめり込んだりはしない。そして考古学としては何が専門かがいまいち見えない設定だったが、第5作でようやく古代ギリシャアルキメデスに心酔していたようなセリフが聞ける。つまり、神の奇跡には興味が薄いけど、古代の発明技術には興味があって、科学技術志向なのが分かる。魔法には興味がないけど、迷宮の仕掛けとか、物理的な機構、形而下の学問が専門分野と言えるな。だったら、聖櫃(アーク)なんて手に入れても、調べようがないって話になる。機械的な仕掛けもないし、精霊とか呪いとかは専門外だろう」

翔花「魔術や宗教にはあまり関心がないけど、古代文明やらオーパーツやらには興味があるのが、インディさんってことね」

NOVA「あとは、迷宮や古代の書物などに秘められた謎解きには夢中になる。で、謎が解けた後に入手したお宝には、あまり固執しなくて、人類の遺産として博物館に納めるのが当然って感覚だな。そして、オカルトマニアのナチスに対しては、アメリカ人らしい敵意を持っているので、敵が宝を求めて身内に危害を加えるから、やむなく対抗している形になってしまい、自分自身が積極的に宝を手に入れたがっているわけではない、と」

晶華「つまり、ドロンボー一味がドクロストーンを狙っているから、邪魔をするヤッターマンみたいな立場なのね」

NOVA「まあ、そうなるか。タイムボカンシリーズの中で、唯一ヤッターマンだけがお宝を求めているわけじゃないからな。タイムボカンも、マージョ一味がダイナモンドを探しているけど、主人公たちの目的は時間旅行実験で失踪したキエタ博士(ヒロインの祖父)の捜索がメインで、博士の居場所とダイナモンドの在処が関係しているから、鉢合わせて対立関係になってしまうわけで。まあ、この辺のお宝探しと対立する理由を整理分析するのも一興だが、寄り道脱線はこの辺にしておこう」

 

2作め『魔宮の伝説』

 

NOVA「で、俺にとっての初インディが2作めのこれだな。初公開は84年で、TV初放送は87年だ。インディ・ジョーンズが面白いと思ったのは、この作品からということになる」

NOVA「俺は第1作よりも先に2作めを見たんだが、時系列的にはこちらの方が前日譚に当たるんだな。レイダースは1936年の冒険で、ヤング・インディも含むエピソード順では、24番めの話になる。そして魔宮の伝説は1935年の話で、エピソード23になるんだな」

晶華「何で2作めが前日譚になったの?」

NOVA「1作めの後の話だと、敵がナチスドイツ以外に考えられないので、本作のようなアジア系の話だと、前日譚にするしかなかったそうだ。事実、1937年だと日中戦争が勃発しているので、最初の中国マフィアとの対決が描きにくそうだからな」

翔花「最初が上海で、そこから飛行機で逃げたら、墜落しそうになって、そしてインドの山の中で邪教集団と戦うことになるのね」

NOVA「1作めと比べると、インディもヒロインも完全に巻き込まれただけで、彼らが事件に関わる理由づけが弱いんだよな。1作めは、インディの恩師がヒロインの父親で、彼の研究がナチスに狙われた経緯があるから、身内に降りかかる火の粉を払うためにも、事件を解決しなければいけない。しかし、2作めはたまたま世話になった村の長老に、空から飛来した救世主と崇められ、村から盗まれた宝(サンカラ・ストーン)と連れさらわれた子どもたちを取り戻してくれと頼まれて、親切心で助けてやる話だ。先に迷宮探索の話があって、そこに潜り込む理由はテキトーと言ってもいいぐらい、インディ個人のドラマには帰結しないし、本作の登場人物は後の作品には再登場しない」

晶華「でも、NOVAちゃんは、これがインディの基本だと思っていた、と」

NOVA「ドラマ性をほとんど気にかけず、連続アクション活劇のスピード感だけで突っ走る映画で、感動を見せるのではなく、勢いだけでどんどん引っ張る痛快娯楽アドベンチャーの傑作だからな。次から次へとピンチに見舞われて、それを乗り越えたと思ったら、またピンチで、ハラハラドキドキの連続で、こいつは凄いなあ、と思わせた。あと、インディの相棒の少年ショーティーも大活躍で、子どもが見ても楽しめる反面、心臓抜き出しなどのグロシーンも増えて、対象年齢がよく分からないという意見も」

翔花「映像的インパクトは抜群ってことね」

NOVA「この作品のスピード感に比べると、1作めはおとなしい感覚だな。まあ、2作めが1作めよりも派手な作りになるのは映画界では普通によくあることだと思うし、俺的にツボだったのは、ダンジョンがメインイベントに昇格した部分だな。あのトロッコシーンのインパクトは抜群で、後にドラクエでの仕掛けにも採用されている」

晶華「うん。大岩ゴロゴロはドラクエ4に、トロッコドラクエ5にあったわね」

NOVA「1作めはラストで突然出てきたオカルト要素だったが、2作めは邪教集団が敵ということで、インディの背景である現代文明VS未開文明の野蛮な風習の対比も明確なんだな。オカルト系の秘術を使うのは敵役で、インディがそれに対抗する西洋文明の担い手という構図。敵がナチスだと、敵もオカルトに傾倒した文明人という構図で、勢力的には相手の方が優勢ということになるんだが」

翔花「インディさんにとっては、オカルト方面はうさん臭い邪悪なものって印象なの?」

NOVA「80年代前半は世間一般からして、そんな風潮だったんじゃないかなあ。ただ、『最後の聖戦』では神の奇跡(聖杯による癒しの力)を目撃して、父親の信仰心を理解するし、そこから発展して、ヤング・インディの世界観ではオカルト現象といっぱい遭遇した過去のエピソードが後付け的にいっぱい量産された結果、エピソード24に当たるレイダースでどうしてあそこまで懐疑主義的な態度になったかが矛盾しているとも思えるんだが」

晶華「作品が作られたときの世相なんかも合わせて考えないといけない問題ね」

NOVA「1作めは、ジェームズ・ボンドみたいなスパイアクションを目指していた、とスピルバーグは言っていたそうだ。だから秘境探検の要素は、007シリーズとの差異を示すフレーバーで、メインは敵組織との秘宝(007物における秘密兵器)の争奪戦と、ヒロインとのラブロマンスがメインプロット。そして、最初はフレーバーだった探検ものの要素を膨らませたのが2作めで、こちらは世界観が文明を離れた秘境探検、ファンタジー風味となる。邪教の秘密儀式などは、ホラーやヒロイック・ファンタジーの題材であって、87年当時の俺にとっては、そちらの方がツボった形だな」

翔花「NOVAちゃんは、スパイアクションよりも秘境探検の方が好き、と」

NOVA「当時は、インディ・ジョーンズと混同していたけど、これも好きだったしな」

NOVA「インディ・ジョーンズの原典とも言われるアラン・クォーターメンの秘境探検もの映画は、原作小説が19世紀なので、暗黒大陸アフリカを主な舞台として、現代の視点では人種差別的な古い作品とされるが、時代的にはシャーロック・ホームズや吸血鬼ドラキュラなどのビクトリアン・イギリスの代表的小説ということになるか。この映画でも、プッシュされていたな」

晶華「って言うか、もうインディ・ジョーンズさんの話じゃなくて、冒険映画の話になってない?」

NOVA「本当だ。とにかく、80年代からいろいろ冒険フィクションを楽しんだって話だな。その中でも、お宝求めて遺跡探検って感覚を養った一作がインディ・ジョーンズって話だ。続きはまた次回」

(当記事 完)