先週末に、MOVIE大戦の鑑賞後にゲットできた3冊(オーズ、カブト、W編)。
本日読了したので、まとめて感想をば。
なお、自分的に面白かった順は、W、オーズ、カブトとなります。
オーズを読んで十分面白いと感じ、その後でカブトを読んで物足りなく思い、そしてWは非常に堪能できたなあ、という読後感。
感想記事内容も、そういう順番で書いていきます。
オーズ
この作品は、「アンクの章」「バースの章」「映司の章」の3つの短編から成る短編集です。
それぞれ、作品カラーが全然違いますので、個別に感想書き。
アンクの章
これは過去編に当たり、アンクの誕生から初代オーズとの関係、他のグリードとの付き合いやら裏切りやら、TVでは断片的にしか描かれていなかった物語がアンクの一人称で語られます。
アンクはコアメダルに宿るグリードとして生を受ける前に、「鳥の王」としての意識体を有しており、その時点では「美しい世界」を堪能していた。しかし、グリードとなった時点で、主に「視覚」「嗅覚」「味覚」に制限が生じ、美しい世界を味わえなくなったことが、アンク主観で描かれることで、感情移入が増す、と。
こういうグリードの人間と異なる感覚、それゆえ生じる欲望がうまく描かれているのが、読んでいてオーズの世界を深く知れる。しかも、TVの映像では、せいぜいセリフでしか表現できない世界が、活字ならではの描写でうまく示されている。これだけでも、小説として読む価値はあったな、と思います。
そして、アンクの基本的に陰謀気質、自己中な性格を和ませるのが、名もなき盲目の少女との関わり。
アンクは力を取り戻すために、強い欲望を持つ者からヤミーを生み出そうと考えるわけですが、そこで出会った少女の欲望が「目が見えるようになって、美しい世界を見たい」というもの。
アンクの視覚は、「色が分からない」「かつての自分は、赤い美しい羽根を持っていたのに、今は……」という認識ですが、特殊能力として「人間の欲望を視覚的にイメージできる」というのがあって、少女の欲望も感知するのですが、最初は「闇」しか見えない。
こんな美しい少女が、「強い闇の欲望」を持っているなんて……。
どういうことだ? と知的好奇心も掻き立てられて接触してみると、相手が盲目であり、だから「視覚でも、欲望の映像がうまく映し出されない」という事情を知って納得する、と。
元々、アンクは人間を下等な存在と見下しており、あまり関心を持っていなかったのですが、少女に対してだけは、その欲望の大きさから、そして、欲望の内容が自分の望みと通じることから、感情移入してしまいます。
セルメダルを入手するという打算的な理由と、この少女に美しい景色を見るという欲望をかなえさせたいという情緒的な理由から、アンクは彼女にセルメダルを投入し、ヤミーを誕生させます。
当然、ヤミーは少女の欲望を満たすために残虐行為を働き、結果的に少女を心身ともに不幸に追いやってしまうのですが……。
少女の最期を見とったアンクは、自分の女々しい感情を振り切って、かねてから考えていた初代オーズへの反攻を企てます。
この初代オーズ、鴻上会長の先祖という設定ですが、小説での言動も鴻上そのもので楽しませてくれます。「ハッピーバースデイ!」「実に素晴らしい!」とハイテンションなノリで、アンクを振り回してくれる。陰謀家のアンクに対して、さらにその上を行く洞察力や交渉力をもってして、うまくあしらう振る舞い方が、読んでて心地いい。
アンクの気持ちになるなら、「どうすれば、この初代オーズを出し抜けるか」という気になって、同じグリードのウヴァや、メズール、ガメル、カザリと手を組まなければいけないが、こいつらも完全に信用できるわけじゃないから、どうやって利用してやるか、という思考を巡らせて、ピカレスクロマンとしての面白さが堪能できます。
で、最終的に、アンクの裏切りでグリードたちは封印され、初代オーズもアンクを倒した後で力の暴走に巻き込まれ、結局、過去のコアメダルの物語は歴史の流れに封印される、というTVの背景設定に至るのですが、
最後にアンクが少女の夢を見て、まどろんでいたところで、映司に起こされる、という現代編への引き。
で、少女は「青い鳥が夢をかなえてくれる」という物語を信じており、
アンクの気配も鳥のものだと察して、「ねえ、トリさんは何色?」と尋ねるのですが、
「俺は……赤い」と応えるアンク。でも、アンクには自分の羽が色褪せて、赤く見えないという苦々しい想いが、「……」に表れていて、
それでも、少女は「やっぱりトリさんは幸せを運んでくれるんだね」と応じ、アンクと心通わせる。
この辺の描写が、「人間を見下し、偽悪的に振る舞いながら、美しいものを好み、残虐なものには嫌悪感を示す」というアンクの性質を表していて、
クールかつ耽美でありながら、皮肉さと温かさを合わせ持つ複雑なアンクを上手く書き上げたなあ、と感心させられた、と。
バースの章
で、叙情的な過去編のストーリーに対して、現代編とも言うべきバースの章は、ライトでコミカルで、それでいて熱血かつ皮肉なストーリー。
まず、視点キャラが凄い。
アンクも人間じゃないけど、それ以上に、アイテムが主人公です。
で、バースドライバーの視点から、伊達さん、および、その後継者の後藤ちゃんのTVでの活躍を追跡し、
自分たち装備品を作ってくれたドクター真木を、お父さんと仰ぎ、彼の裏切りに動揺しながらも相棒との絆を信じ、共に戦うバースドライバーの物語です。
最初、伊達さんと初めて出会ったときは最悪だった第一印象だったのが、
強力なグリードの姿にビビッてしまって、「所詮、セルメダルしか使えない自分じゃ、コアメダルの強大な力には太刀打ちできない」と落ち込んでいたのを、
物怖じせずに戦おうとする伊達さんの勇姿に心を打たれ、奮起するバースドライバーの気持ちが痛快。
で、そんな伊達さんに付きまとう後藤ちゃんを、最初はストーカーみたいだとか見下していて、「伊達さんはどうして、こんな奴に構うの?」と感じていたのが、だんだん後藤ちゃんの良さが分かってきて……という流れが燃えます。
あと、「自分の名前を付けたのは、お父さん(真木博士)じゃなくて、鴻上会長のはずだ。もし、お父さんなら『仮面ライダーエンド(終わり)』とか『仮面ライダーデモリッション(破壊)』みたいな名前を付けたと思う。」という独白があって、
「それはそれでカッコいいな……い、いや、だめだ。それじゃ世界の終末を実現するライダーになってしまう。俺は正義の味方なんです」と、一人ボケ、一人ツッコミするような展開が笑えます。
さらに、バースドライバーの周りのアイテムたち。
カンドロイドのゴリさんや、先輩であるプロトバースドライバー(プロトさん)がいろいろと人生訓を与えてくれたり、
他のカンドロイドたちを「バッタ君、ウナギさん、トラ先輩、トリケラちゃん、クジャクっち、プテラ君、タコ」と笑える愛称で呼んだり、
随所に、感動と笑いの嵐が仕込まれております。
書き手の毛利さんのセンスが、脚本以上に突き抜けております。この人の脚本って、オーズでは「正義の是非」とかストレートに切り込んでいて、真面目でテーマ性が深い印象でしたけど、この小説で「ああ、こういう浦沢チックなコミカルセンスもあったんだ」と知った次第。
最後は、真木博士がバースドライバーにセルメダルを挿入して作り出した『仮面ライダーデス』の登場に、変身不能になった後藤ちゃんを、どうバースドライバーが助けるために行動するか、という熱い流れ。
当初は、伊達さんを相棒だと思っていたドライバーが、伊達さんは相棒ではなく師匠みたいな人で、自分の真の相棒は後藤ちゃんだ、と認識するまでの話です。
……でも、この物語が、実は「伊達さんが、手術前の暇つぶしに書いた空想小説ではないのか? いやいや……」ってオチもあって、結構深く味わえました。
映司の章
コミカルながら熱い現代編に対して、未来編とも言うべき映司の章は、TVの物語の後で内戦の国を訪れて力を貸す映司と、彼と関わる現地の悲運な女性の話です。
割と幻想的だった前の2編に比べ、この章は生々しくて重い作風。
『仮面ライダー魂』初期の2号ライダー編を思わせる、「人間の戦争に対して、仮面ライダーは何ができるか?」という命題です。
正直、テーマが重過ぎて、痛快ヒーロー活劇やらエンタメやらの枠を越えちゃっているなあ、とまで感じました。
章ごとの振幅の差がありすぎて、読んでいくうちに鬱になりそうだったり。
それでも、明るさと前向きさを失わない映司の心の戦いが描かれ、「ヒーローの力だけでは、人は救われないけれど、力といっしょに未来を志向する精神性を両立させるには?」という点まで踏み込んだ話。
で、このテーマは、この書き手がオーズのTV作品で提示したテーマだったりもしますね。ま、TVでは子供向きということで描けないレベルにまで、踏み込んでおりますが。
具体的に言うなら、「戦争を終わらせるために、戦争を遂行する人間を暗殺という手段で排除して、本当に平和は達成できるのか? 怨みの連鎖がどこまでも付きまとうのではないか?」というもの。
だからと言って、「話し合いで解決しようとする平和主義」を単純に肯定しているわけではありません。そういう人間が、武力と裏切りで抹殺されてしまう局面も描かれており、「力を行使せざるを得ない」状況があるわけで。
物語の落としどころとして、「映司の言葉を信じて、平和を模索する部族」「それを武力で排除しようとする主戦派の近代兵器に対して、オーズの力で人々を守る選択をする映司」という形で、
クライマックスの戦闘シーンに入ります。
そう、いつもの怪人との戦いではなく、人間の使う兵器に対して、仮面ライダーの戦闘力がどんな戦いを見せるか、という描写が、格好いい。
タトバコンボで、兵士の銃をスクラップにし、
サゴーゾコンボで、ロケットランチャーに耐え、
ラトラーターの高速移動で、戦車に飛び乗り、
ガタキリバの分身で、大勢の兵士を一気に戦闘不能に追いやり、
空から地上の兵士ごと攻撃しようとするヘリに対して、
シャウタで撹乱しながら戦場を移し、タジャドルで空中戦。
戦闘シーンは短いものの、相手を傷つけることなく、兵器だけ破壊することで戦意喪失を狙う流れが、鮮やかに描かれます。
まあ、全体の重さに比べると、呆気ないという感覚もありますが、TVと異なるシチュエーションアイデアだけで、いい戦闘描写だったと思います。
ともあれ、重い現実に対して、エンタメ作品としてどこまで踏み込めるか、という実験作でもあったなあ、と。
そして、この路線をハリウッド的に描いたら、『アイアンマン』にもなるわけで。
映司の性格として「力に頼ることを是としない人間」が、それでも「やむを得ない局面に直面して、いかに自制しながら力を扱うか」という心理描写まで、きちんと描けていたので、納得した、と。
似たようなテーマとしては、今回、発売が延期された『クウガ』で、五代がどういう描かれ方をするのかなあ、と期待もしつつ。