3連休の話
NOVA「昨日はいろいろ疲れたなあ(ニコニコ)」
晶華「疲れているのに、ニコニコとはこれもドンブラ脳?」
NOVA「いや、世間さまで言う3連休の初日(19日)は健康診断の結果を聞いたりして、日頃の運動不足を痛感したりした。内臓脂肪が順調に蓄積されているそうだ。いわゆる中年太りの初期症状らしい。俺は昔から、痩せ型でガリガリだと言われてきたし、割と少食なんだけど、それでも、この5年の間に中年太りの傾向が出てきた感じだ」
翔花「この5年ってことは、コロナ禍のせいだけではないってことね」
NOVA「冬場は怠ってきたが、春になって暖かくなって来たので、ちょっとしたジョギングをするか、室内で軽い運動でも習慣づけするか検討中だ。ちょっと試してみたら、昔は普通にできたブリッジもできなくなってるし。筋力が落ちたのもあるが、それ以上に関節が硬くなっているんだな。ちょっとした運動で、グキッとなりそうで、ちと怖い」
晶華「ゼンカイジュランさんみたいなものね」
NOVA「まあ、3連休と言っても、土曜は一応、仕事があったんだけどな。2時間ほどの授業だから、パートタイム労働みたいなものだが」
翔花「日曜はニチアサとニチヨルの鎌倉殿はデフォとして、昼は?」
NOVA「彼岸だからな。ちょっとした宗教行事に参加したりしていた」
晶華「宗教行事?」
NOVA「軽い講話を聞きに行ったようなもんだ。コロナ禍とかウクライナとか東日本の震災とかで大変な世の中だからこそ、私たちの祈りで幸せな世の中を目指して行きましょう的な話。まあ、宗教の世界では定番だな。本当にそれで世の中がよくなるか、という意見もあるが、下手につつくと、ボランティア活動を強要されたりもするし、その辺は郷に入らば郷に従え精神で、自分にできる範囲でのお付き合いは昔からやっている。さすがに強信者というほどではないが、講話を聞いて、自分にできる程度の関わり合い(これも一面では地域のコミュニティーの一環だし)は合わせながら、いざという時の助け合いの縁は保っておかないとなって感じだ。そこからの縁で、うちの塾に生徒が入って来ることもあるわけだし、自分の身近なコミュニティーは趣味活動ほどではないけど、大事にしないとな」
翔花「信仰よりも趣味の方が大事ってこと?」
NOVA「というか、俺にとっては信仰関係のネタ話も、趣味の一環という考えで生きている。ただ、自分ところだけで偏ると何だか狭い物の見方しかできなくなる気がして、若い時から他宗教とか神話とかそっち方面の勉強に興味を持ってな。ガチガチの信仰人なら、そういう異教の研究は推奨されないんだけど、こちらは歴史の研究に必要だし、多様性を重んじるという経典にもある大義名分を見出して、自分の活動の根拠にしたりもした。信仰的な道徳観、世界観は自分の土台であることは間違いないけど、それが全てではないし、学生時代のロールプレイ、演劇志向と相まって、『趣味人としての自分』『職業人としての自分』『信仰人としての自分』などなどのバランス感覚には相当、気を使って生きてきた面はある」
晶華「まあ、ガチガチの信仰人なら、『必殺仕事人みたいな殺し屋の物語を称賛』したりはできないもんね」
NOVA「あの世界には還俗した破戒僧な殺し屋も結構、出て来るけどな。そういう視点から見れば、鎌倉殿の僧侶もなかなか酷いものだ。後白河法皇も、清盛入道も、皇家とか武士の立場でありながら、かつ仏門に入っているわけだし、後に座禅が武士の基礎教養になったり、日本文化、いや世界の文化を語る上でも、宗教的視点は欠かせないと考える。そこを毛嫌いしたり無視してしまえば、文化や道徳観を論じるのに片手落ちというか、教養人たる資格はないとさえ断言する。もちろん、そこしか見えずに全てが宗教だとか信仰だとかで片付けてしまえば、それはそれで偏頗の誹りを免れないが」
翔花「つまり、NOVAちゃんにとっては、趣味も大事、仕事も大事、信仰も大事だと」
NOVA「この場での重要度の優先順は、そういうことだな。自分を定義するなら、趣味人という言葉が第一義で、次に職業人、その次に信仰人ということになる。趣味と信仰のどちらを取るかと言えば、悩みに悩んだ末、趣味をとる。昔、趣味よりも信仰を選んだ結果、人間関係がうまく紡げずに破綻したこともあって、それでは世界が狭くなると実感したから、世界を広げることを優先したわけだが、50を過ぎて、これ以上に無軌道に広げても仕方ないかな、と整理して、自分のアイデンティティーを固める頃合いに入ったと意識しているのが現在だ」
晶華「ゼンカイ世界の神さまみたいな言い草ね」
NOVA「トジテンドを肯定するつもりもないし、断捨離ですっきりという考えは、自分のごった煮かき混ぜ志向とは相容れない面もあるが、それでも自分なりの価値観で整理することはできる。信仰を土台にすれば、悪縁もこれまた一つの縁で、救われるべき衆生であることは間違いないが、俺がガチガチの信仰人でない上、彼の機根が整わなさ過ぎて、俺のような未熟者にはどうしようもないと考えるに至ったわけだよ。
「幸せにはなってもらいたいが、『彼の要望を叶える=俺の世界が閉じてしまうので、自分を犠牲にしてまで救う覚悟はない』ということで、せめて『機根が整うまで待て。あるいは自分で機根を整えるための修行の方策を示して、それを果たせば吉。果たせないなら、それが彼の宿業で云々』という論理になる」
晶華「講話を聞いて、そんなことを考えたわけ?」
NOVA「いや、講話がきっかけかは知らんが、信仰に真面目に取り組んでいる人の話を聞くと、多少の感化は受けたりもするわけだよ。そこを自分の身に置き換えてみると、自分の人生を少しでも充実するためには、自分に何ができるかなあ、と考えたりもして、その全てが実践できるでないにしても、しないといけない事、したい事、できる事を整理しないとって気になる」
晶華「その結果、同じ信仰仲間であり、趣味を同じくもする気心の知れた友人とウルトラマントリガーの映画を見に行ったのね」
NOVA「彼とは、下の名前も同じという奇縁があってな。お互いに、ウルトラマンは仏教だよ、という共通認識を持って、その映画を見ることも信仰活動の一環なんだ(笑)」
翔花「趣味を楽しむのに、そういう大義名分がないといけない辺り、信仰人の付き合いって面倒くさいのね」
NOVA「いや、信仰人に限らず、オタクってそういうものだろう? 自分の趣味活動に、何かと意義を求めるというか、自分の感情に理論武装を施しがちというか。自分の趣味を一段、高尚なものとして置きたがるというか、まあ、いろいろで」
翔花「で、トリガーの映画を見て、ニコニコなんだ」
NOVA「それが……トリガーの映画を見るには機根が整わなかった(今回は縁がなかった)ようで、代わりにオーズの映画を見ることになったという話なんだ。以下は、ネタバレ情報もあるので、ネタバレされたくない人は、読まない方がいい、と言っておく」
トリガー映画を見られなかった話
NOVA「何というか、今回の映画は上映劇場と上映時間が非常に限られているわけだな。いつも気軽に見に行く地元の映画館で上映していないので、連れの仮称N君と、新しい場所を開拓しようって話になった」
晶華「ちょっとした冒険だなってことね」
NOVA「YouTube配信も、マジレンジャーの後で順調にボウケンジャーになったが、ジャッカーの後がバトルフィーバーじゃなくてギャバンに切り替わったんだな」
晶華「役者は、大葉健二さんで共通しているんだけどね」
NOVA「ギャバンが日本特撮史に大きな影響を与えた大傑作であることには全く異論はなく、自分も大いに賛成するものであるが、ジャッカーの後にギャバンというのは、番狂わせというか、あれ? と感じたのも事実だ」
翔花「まあ、ジャッカーさんの後なら、番狂わせにしても、透明ドリちゃんが来るべきよね」
NOVA「とにかく、ギャバンはこれまで3周しているから、俺には新鮮味が薄いんだよな。もしかするとアオレンジャー→ビッグ1→宇宙刑事アランという宮内つながりを見せたいのかも知れないが。とにかく、バトルフィーバーはリアルタイムと、その後、飛び飛びでしか視聴していないので、今回は期待していたんだが、まあ、次の機会を待つとしよう」
晶華「それよりも、今はトリガーさんの映画の話でしょう」
NOVA「ああ。俺とN君は、トリガー映画のために昼12時に最寄りの駅で待ち合わせをしたんだ」
晶華「そのN君って、NOVAちゃんと同じイニシャルね。脳内親友か何か?」
NOVA「何でだよ。俺の本名のイニシャルはNじゃないぞ。あくまでハンドルがNってだけだ。下の名前にノブって付いているから、そこからもじってNobu→NOVAとアレンジしたわけで」
晶華「分かった。そのNさんは、NOVAちゃんのリアル友だちで、信仰仲間であり、同じ趣味人であり、しかも下の名前まで同じだけど、NOVAちゃんじゃない合わせ鏡のような人ってことね」
NOVA「う〜ん、合わせ鏡と言っていいかどうかはともかく、かなり気心の知れた関係だな。TRPGゲーマーではないけど、コロナ前はボードゲームに付き合ってくれてもいた。コロナ以後は、俺もボードゲームオフ会は自粛していて、もっぱら妄想リプレイの1人遊びが中心だからな。割と最近になって、N君との付き合いを再開し始めた頃合いだな。まあ、もっぱら映画仲間である。とりわけ、メビウスの時期から、大体、ウルトラ映画を共に見るような関係になったってところか。昨日、そういう昔の思い出話をしていた。『あの時はまだ30代だったけど、気づけばもう50過ぎかあ。時間の流れが早いものですなあ。でも、こうしてウルトラ映画を一緒に見続ける関係が続けられているのは何よりだ』的な話をしていたわけだ」
NOVA「同じ作品を見て、同じように感じ入ることができることで、共通の価値観やセンスを確認し合える関係。気心が知れるっていうのは、そういう土台を持つことだと思うな。お互いの土台になり得るものを公開して、まずはその土台の範囲でそつなく交流する。土台も構築できていないのに、あれもこれも話を聞いて自分の全てを分かって欲しい、と訴えても、上手く行かないし、ましてや『相手に求めすぎる面倒くさい人間』であっては、楽しさよりもリスクの方が大きくなって、付き合いたくなくなる」
翔花「ここまでは助けてあげるけど、これ以上は無理、という線引きもあるわけね」
NOVA「当然だ。俺は卑しくも信仰人の端くれだから、『他人には親切に』とか『信頼と協調を重んじる』という道徳観は普通に持っている一方で、そうでない攻撃的な言動の人間に対しては警戒するし、自分のそういう感情(修羅の生命ともいう)はセーブしようとも心掛けている。それこそ、心を育てることであり、例えば『ゴーマンに相手を攻撃する言論人を尊崇すると言って恥じない人間(尊崇するというのは、それが理想像のモデルケースだと考えるに等しい)』とは真逆の生き方ということにもなる」
晶華「自分の気に入らない相手を攻撃して当然、という気質の人間と、過剰な攻撃を戒むべしと自分に課している人間では、価値観の土台が異なるってものね」
NOVA「フィクションで、攻撃的なキャラを演じたり、描いたりする分にはいいんだよ。ただ、リアルでそれをやっちゃうと何だかなあ、と。リアルでは過激すぎて角が立つことをフィクションに仮託して、エンタメに昇華するならいい。ただ、フィクションでの行動をリアルに持ち込むとトラブルの元になることは多々あって、現実と理想の関係性というのは、現実と信仰の関係にも似て、その辺の折り合いをどう付けるかが人の生き様に通じることにもなるな、と」
晶華「それは悪縁鬱男君への戒めってこと?」
NOVA「いや、例えば仏教では『全ての人には仏性があって、仏の慈悲は広大で、全ての人を救う』という理想があって、それはウルトラマンコスモスにも通じて、最後はカオスヘッダーとも和解する形で、きれいに結実するわけだ。ウルトラマンはデザイン的にも仏像モチーフで、東洋思想とも親和性が高いことは、アジアで受け入れられていることからも証明されている。優しさから生まれる強さとか、人の心の光の象徴とか、仏教の一派であるウルトラ教とも言える文化・哲学に結実しているとも思う。ウルトラマン好きってのは、そういう東洋哲学を自然に受け入れているところがあって、ただの子供向けヒーロー以上の奥深さを感じとっていると言ってもいい」
翔花「そういうのも価値観の土台ってことね」
NOVA「ただ、ウルトラマンAは違う価値観をミックスしてきたな。あれは脚本家の市川森一さんが自分の持つキリスト教信仰の要素を投入したから、超人=神の使徒としてのウルトラマンと、誘惑者的な絶対悪であるヤプールの善悪二元論を露骨に示して、光と闇の心の戦いをウルトラの土台に据えた。そこから、悩める人間ウルトラマンの要素と組み合わさって、現在の闇トラマンとかのドラマに至っている」
晶華「仏とか神とか信仰対象に近かったウルトラマンが、人間みたいに悩みもするし、悪堕ちもする話ね」
NOVA「人が悪魔の誘惑に耐えて、神の世界に救われるのがキリスト教の大雑把な世界観である一方、仏教は仏道修行者である菩薩が悟りを開いて仏になるという世界観。それらを踏まえたウルトラマンの立ち位置も、覚醒した神仏の立場から、いまだ修行中の菩薩の立場に置き換わり、超越者が人を救う話から、超越者を目指す未熟な菩薩や使徒が悩み葛藤しながらも、自分らしく人間と絆を結んだりして、人の心の光を重視する話になっているのかな。もちろん、人の心には制御できない闇もあって、闇のウルトラマンであるイーヴィルティガから始まるダークヒーロー系譜の歴史もあるんだが」
翔花「信仰者視点から見たウルトラの世界観解析かあ。それで、Nさんと見に行ったウルトラマントリガーの映画だけど、満員御礼で見ることができなかった、と」
NOVA「いやあ、びっくりしたなあ。2時から上映だってんで、余裕を持って、1時前に映画館に到着したんだよ。そこでチケットがすでに完売というのを知って、ガーンとなったんだ。俺、ウルトラマンの映画で1時間前からチケット完売なんて経験、初めてしたよ。俺にとっての世界初のウルトラ映画チケット完売事件って奴だ」
晶華「それほどトリガーさんは大人気だったわけね」
NOVA「いや、人気なのはZ様なのかもしれないが、とにかくウルトラ映画はコロナで延期したタイガの映画以来、1年半ぶりだからな。そこで円谷さんは上映劇場を絞って、オンライン配信に力を注ぐ経営戦略をとったんだな。あるいは5月のシン・ウルトラの方を本命と考えているのかもしれないが、とにかく2時からの上映分が1時前にはチケット完売という俺的には前代未聞の事態になった。これは俺だけの特別な経験かな、と思ったら、ちょうど同じタイミングでウルトラ同志の絵師サブロー氏も同様の経験をしたことが帰宅後のツイッターで分かった。タイミングを合わせたわけでもないのに、遠い場所で似たようなタイミングでガーンと同じ衝撃を味わっているなんて、奇縁過ぎるだろう、と」
翔花「同じ不幸を味わった人だけが分かる想いってことね」
NOVA「もしかすると日本中で人知れず、そういう目にあったウルトラファンがいるのかも知れないな。『いつもと違う劇場に覚悟を決めて行ったのに、ウルトラ映画を見られなかった。コロナシネ』って内心涙目になってる同志たちが」
晶華「これもコロナのせいなの?」
NOVA「さすがに、これをプーチンのせいにはできないだろう。あるいは円谷さんや劇場のせいにするのも筋が通らない。ならば、シネと言っても問題がないのはコロナだけだ。少なくとも、仏典には『コロナウィルスにも仏性があるので、コロナの成仏を祈るのが仏の慈悲』などとは説かれていない。コロナウィルスを友だちだと主張するのは、コロナ脳の作者ぐらいなものだ。愚かしいにも程があるが、あくまでフィクションのネタとしてトンデモ的な笑いの種にする。とにかく、俺とN君は愕然として、映画鑑賞ミッション失敗を痛切な思いで受け入れたわけだ」
翔花「2時に見れなくても、後の時間の上映分を見たらいいんじゃないの?」
NOVA「普通はそうする。しかし、後の時間の上映分はないんだよ。うちの行った劇場は、朝8時代と昼12時と昼2時の3回だけ。夕方4時とか6時があれば、また違った物語が展開されていたのかも知れない。俺たちが3月21日の昼2時に、ウルトラマントリガーの映画を予定どおり見れてハッピーになった時間軸がどこかにあって、それで世界が救われたのかも知れないが、残念ながら世界は破滅の方に向かっている……的な妄想をN君と2人で語り合った」
晶華「そんな妄想に付いて来れるリアル友だちってよっぽどね」
NOVA「いや、まあ、人間、愕然としたら現実逃避の一つや二つぐらいしたくなるだろう? とにかく、世界を破滅から救うためには、俺たちは何としてもプランBを速やかに組み立て、せっかくの休日を楽しく充実した貴重な体験に切り替えないといけなくなったわけだ。そこで、俺たちは作戦を練り直すために、ラーメンを食べた」
晶華「どうして、そこでラーメン?」
NOVA「昼食どきで腹が減っていたんだよ。腹が減っては戦ができぬ。当初のプランAでは、トリガー映画のチケットを買った後、食事をとって腹ごしらえをしてから悠々と映画を見て、その後、初めての土地をぶらぶら散策して、のんびりしながら、映画の感想会をいろいろと楽しむはずだったんだ。残念ながら、トリガー映画は見ることができない。他の劇場に行こうにも距離が遠くて実質不可能だ。しかし、世界はまだ終わっていない。諦めたらそこで試合終了だ。とりあえず、チケットは買えなくても、食事はできる。できることをこなすことが勝利への鉄則。そういう覚悟をもって、俺たちはラーメンを食べたわけだ」
晶華「だけど、そこにブンドル団が現れて、ラーメンのレシピッピが奪われて、激マズラーメンを食べる羽目に……」
NOVA「幸いにして、現在、ブンドル団は休業中で、代わりにゼロさん声のてるてる坊主がプリキュアの記憶を奪って大暴れしているニチアサ時空だ。ラーメンのレシピッピを取り返す黄色の覚醒は4月になってからだ。キュアヤムヤムの飯マズ体験記は、今回の俺たちの物語ではない」
翔花「だったら、希望のラーメンを食べて、心に光が灯ったら、新たなミッションの始まりね」
NOVA『う〜ん、今回トリガーは諦めるとして、どうする? 他の映画で気になるのは、ドラえもんとバットマンだけど……どっちもトリガーの代わりって気分じゃないんだよな』
N君『バットマンもDCEUなら見たいんだけどね(一緒にワンダーウーマンも見た仲)』
NOVA『久々にカラオケってのはどう?』
N君『だが断る。今日は喉が痛い』
NOVA『家に帰って、ボードゲームオフに切り替える……ってのは、せっかく外に出ているのにないなあ』
(しばしの沈黙)
NOVA『よし、俺にいい考えがある。仮面ライダーオーズの映画というのはどうだ?』
N君『オーズか(目がキランと輝いて、スマホで検索)。おお、大阪梅田で昼2時30分と4時から、やっている』
NOVA『2時30分じゃ、今から移動時間を考えると厳しいな。夕方4時の分ならOKか。それで、トリガーの代わりになると思うか?』
N君『オーズは履修済みだ。今回の映画も気にはなっていたが、後から見るつもりだった。しかし、今日見るのも悪くない』
NOVA『よし、決まりだ。我々のミッションA「トリガー鑑賞作戦」は失敗に終わったが、これより作戦変更、ミッションB「オーズ鑑賞作戦」に切り替える。これで世界は救われる。ハッピーバースデイ♪』
こうして、我々のハッピー世界の平和はトリガーからオーズの手に委ねられたのである。
しかし……そこでも世界は涙と絶望に彩られているのであった。
復活と感涙のコアメダル
NOVA「さて、ここからオーズの感想に入るが、先に結論を言うと『アンクが復活したはいいが、主人公の火野映司が……(涙)』というオーズ最期の戦いを描いた作品だ」
晶華「ええ? 主人公が死んじゃうの?」
NOVA「こら、いきなりネタをバラすな」
翔花「大丈夫。また復活するから」
NOVA「そうなってくれたらいいんだけどな。とにかく、鑑賞後は劇場がお通夜ムードになってしまうぐらい救いのない映画だったが、平成ライダーではTV版龍騎の城戸真司の最期を連想する『女の子をかばった映司が自分を犠牲にしながらも、過去のトラウマが解消されて笑みを浮かべて死に、残されたアンクと比奈ちゃんが彼の死を悼むエンド』で、とてもハッピーとは言い難い、だけど火野映司のドラマとしてはきちんと完結している作品だ」
晶華「割れたアンクを復活させるために、映司さんはずっと旅をしていたのよね。アンクはどうやって復活したのかしら?」
NOVA「致命傷を負った映司の最期の願いで、アンクの復活を願ったんだ。物語は当初、復活したばかりのアンクの視点から始まる。世界は古代オーズの復活で、グリードが次々と目覚めて人間の多くが殺され、一部のレギュラー陣がレジスタンスで抗戦している世界観で、正直、こういう世界になってしまった時点で、オーズの物語世界はバッドエンドを迎えたことになる。あまりに後味が悪いので、リセットボタンを押したくなるほどだ」
翔花「パラレルIFワールドと解釈する方が、オーズファンは納得できそうね」
NOVA「脚本家はメインライターの小林靖子さんではなくて、毛利さんだからな。毛利さんはオーズTVシリーズ48話のうち6話を書いただけの人なので、これを正史と考えるには、受け入れないファンも多そうだ。一つの映画としては、あまりに事態が急展開するものの、オーズファンのためのお祭り映画としてキャスト陣や新フォームなどのギミック面は悪くないと思う。作品愛には溢れているんだけど、どうしてお祭り映画で主人公を殺して、後のフォローもしてくれないんだよ〜。オーズファンが見たいような作品では決してないはずだ。ファンとしては、映司とアンクと比奈ちゃんがきちんと再会して、みんなが笑顔でいられる平和な世界が見たかったはずなんだ。だけど、世界は崩壊して、主人公は死んだ。お祭り映画じゃなくて、お通夜映画になってしまったわけだ」
晶華「映司さんの復活を匂わせる話はないの?」
NOVA「とりあえず、アンクが映司の遺体に取り憑いて動かすことは可能。本編でも最期の戦いでそうしていた。だけど、映司の魂は、それで満足して消失して完全に死んだようなんだな。大きな流れを語ると、突然、古代オーズが復活して、アンク以外のグリード4体、ウヴァやカザリ、メズール、ガメルを従えて、大攻勢に出る。それに立ち向かった映司は、古代オーズの攻撃に巻き込まれた女の子を守って、致命傷を負ったまま爆発に消える。それから最期の願いでアンクが復活し、彼の視点から物語が始まるわけだ」
翔花「つまり、物語が始まった時点で、映司さんは死んでいたってこと?」
NOVA「厳密には、致命傷を負った映司の体を『映司の果てしない欲望』から生まれたグリード・ゴーダが乗っ取る形で、ゴーダが映司の代わりにオーズの真似をするんだ。比奈の兄の体をアンクが借りていたようにな。今回もアンクはレジスタンス活動中の比奈の兄の体を借りて、比奈たちと合流する。その時点で、映司は行方不明になっていたんだが、アンクが映司から聞いた声を頼りに再会を果たす。しかし、その映司はゴーダが憑依していたわけだ」
晶華「映司さんだけど、映司さんじゃないってことね」
NOVA「ゴーダは映司の中から生まれたので、映司の記憶を持つ闇の映司のようなもの。ただし、暴走した力の化身のようなもので、人を助けたいという映司の優しさは持っていない。しかし、古代オーズとの戦いでは助けになるということで、アンクもゴーダと渋々協力して、古代オーズを倒すところまで至るわけだ。プトティラの力は古代オーズを凌ぐんだな」
翔花「だけど、それだけで終わらない、と」
NOVA「古代オーズの力を吸収したゴーダが、本来のムカデ・ハチ・アリの力を持った闇オーズに変貌する。真の力を手に入れたから映司の肉体はもう必要ないと解放して、救命のためにアンクが映司の体に憑依する。そして、アンクと融合した映司が2人で1人のタジャドルフォームとして、ゴーダを撃退して、それで以降は二心同体で生きていこうって話に落ち着けば、それはそれであり、なんだけど、そういう結末じゃなくて、最期の力で自分の欲望の化身を始末した映司が満足して消失するエンドにしちゃった。これで、映司の肉体を借りて暮らすアンクが映司の魂を呼び戻すために旅に出るって展開なら、映司とアンクの立ち位置が入れ替わっただけで、オーズの物語はまだ続けられるのかもしれないけど、その辺は現時点でファンの妄想だけの話だな。少なくとも、公開された映画の範囲では映司が死に、アンクと比奈が哀しんで幕、という形だ」
晶華「続編のタイトルは『復活の火野映司』ってところかしら」
NOVA「とにかく、お祭り映画をお葬式にしてどうするんだよ!? ってツッコミはできるが、『仮面ライダー4号』におけるファイズの末路とか、東映さんは時々、キャラクターを酷く扱うからな。ウルトラマンは仏教だが、ライダーはそういう倫理観から離れたロンリー・ハードボイルドな厳しさがある」
翔花「でも、今のタイミングだと、ゴーダさんって映司さんの中から生まれた悪魔みたいなものね」
NOVA「そういう見方もできるし、今回の映画はオーズのレギュラー総出演と見せつつ、ドクター真木だけが登場しなかったので、彼の夢見たハッピーレクイエムと解釈することもできる。とにかく、オーズファンの夢を悪夢に変えて、しんみりさせた映画という評だ」
晶華「それにしても、トリガーさんの映画の代わりに観た映画がそういうお通夜作品だとやるせないわね」
NOVA「いや、それでも連れがN君で良かったよ。鑑賞後の感想タイムで、互いの感じたやるせ無さを払拭するために、好きなライダートークに華が咲いたからな。今、目の前にあるイヤな経験を浄化するために、『こうなってくれたらいいのに』とか『これだったら面白そう』とか『イズ1号が散ったときもお通夜だったな』とか『だからこそ、イズ2号が02に変身した時は感涙した』とか、改めて共通の土台を懐かしく、感慨深く思い出して話題にできる趣味人同士の一種の儀式のようなものを経験できたわけで、後から良い話のネタにできるだろう、と話して、次はシン・ウルトラを楽しもう、と約束したわけだ」
翔花「トリガーさんは、どうするの?」
NOVA「気持ちが落ち着いたら、配信で見ると思うけど、仕事が一段落するまでは分からないな。いっそのこと、後からDVD視聴でもいいかもしれないし」
(当記事 完)