FF7RはFF7の改変世界の話っぽい
NOVA「前回は、PS版FF7の思い出とマルチバースの話をいろいろしようと思ってたら、いろいろ寄り道をした挙句、現在展開中のFF7のリメイクおよびリバースの話に迷い込んで、ますます混迷して続いた記事だった」
晶華「何だか、元のFF7とストレートにつながってない……とリバースのオープニングムービーを見て、発見とともに困惑しちゃったのよね」
NOVA「う〜ん、知ってるゲームの世界だと思って見てみたら、何だかずいぶん妙なことになってやしないか? とサプライズを味わってる異世界転生主人公の気分だぜ」
翔花「ガンダム通を気取っていたら、自分の知らないガンダムがいっぱい出て来て、キャーッと驚きと喜びの悲鳴を上げている女開発者の気分ね」
NOVA「いや、それは違う。ガンダムなんて、知らない機体がいっぱい出ても驚くほどのことじゃない。その世界の新型メカなんて、自分が全部知っていると思っている方が慢心というものだ。同じガンダムに例えるなら、頼れる師匠のクーロンガンダムと思っていたら、中から敵のマスターガンダムが出て来たような気分? あるいは、緑の仮面ライダーと思って逆サイドを見ると黒い仮面ライダーだったという気分? とにかく、『◯◯と思ったら、実は△△でした』というサプライズなわけだよ」
晶華「上が現実で、下が幻だと思っていたら、実は逆でした……ってこと?」
NOVA「それだ。自分のこうだって予想や思い込みが覆されたとき、人間は困惑、もしくは混乱して、その状況を解明、打開、あるいは逃避しようとすることで、心の安泰を図ろうとする。心理学用語で『認知的不協和の解消』って奴だな。これで、自分の予想や思い込みの間違いを認めて、客観的な証拠を元に真実を見定められる人間は、優れた学者になれるかもしれんが、感情が先立つとそれも難しい」
翔花「つまり、NOVAちゃんの思い込みは間違えていたってこと?」
NOVA「俺、FF7リバースの最後って、エアリスは死なずに生き残った……って思い込んでいたんだよ。その根拠は、今年の2月のリバース発売直後に、とあるアメリカ人がネットでエンディングシーンをアップしていたのを見たんだな。そのシーンは、『セフィロスに殺されたと思われたエアリスがクラウドの目の前で起き上がって、普通に行動していた』んだよ。ああ、何らかの奇跡が起こって、エアリスの傷が癒やされて、生き返ったんだなと納得したんだ。そして、リバースはFF7原作を改変する物語だと認識したわけで」
晶華「リバースはrebirth、すなわち再生、復活って意味だから、タイトルにもかなっているわね」
NOVA「だけど、その認識は半分正解で、半分は間違いだとさっき分かった」
翔花「いつもの、『半分は真実で、半分は妄言』ってことね」
NOVA「そうだな。今回は『リメイク、リバースともう1作が予定されているFF7RはFF7原作を改変する物語』というのが真実で、『エアリスはリバースの最後で殺されずに生き返った』が嘘というか、早とちりの思い違いということになる」
晶華「どうして、そんな思い違いをしたのよ?」
NOVA「映像に騙されたということになる。いや、その映像がフェイクなのではなくて、映像の解釈の問題だ。主人公のクラウド視点では、確かに死んだはずのエアリスが起き上がるのを見た。しかし、そのエアリスの姿はクラウドにしか見えず、他のキャラはエアリスが死んだと認識しているんだな」
翔花「それって、エアリスさんの死を受け入れないクラウドさんの現実逃避の妄想ってこと?」
NOVA「まあ、原作FF7でも、クラウドはそういう妄想で、自分が『正規のソルジャーだって思い込んでいる痛い人』って秘密を抱えていたけど、リメイクおよびリバースでも、自分が知らない記憶を幻視したりして、いわゆる精神障害を患っている面があった。しかし、リバースの最後でクラウドが見たエアリスは妄想ではなく、幽霊だったというのが真実らしいんだ」
虚構と真実のFF7
翔花「妄想ではなく、幽霊だなんて、まともな人が聞いたら、どちらもクラウドさんの頭がおかしくなったと思うわね」
NOVA「精霊少女のお前が言うな」
翔花「幽霊と精霊をいっしょにしないで。花粉症ガールは花粉症の精霊だから、生きている。死んだ幽霊さんよりもポジティブなんだから」
NOVA「まあ、精霊使いと死霊術師は違う術系統だもんな。ともあれ、FF7原作では死んだエアリスは地球の生命エネルギーであるライフストリームと一体化して、言わば地球そのものと通じた女神みたいな存在になったんだな」
翔花「だったら幽霊というよりも、神霊といった方がいいんじゃない?」
NOVA「そうかもな。そしてFF7原作の最後は、地球に巨大隕石メテオを落として滅ぼそうとする黒き天使セフィロスと、地球を守るために戦うクラウドたちの決戦になり、セフィロスが召喚したメテオは地球と一体化したエアリスが白マテリアの力で発動した究極の白魔法ホーリーの力で打ち消されて、地球は救われたって話なんだな」
晶華「エンディングムービーに、ユフィさんとヴィンセントさんが登場していないのは、2人が隠しキャラみたいな扱いで、必ず仲間にできているとは限らないからだそうね」
NOVA「原作7のエンディングは、地球が救われた500年後を描いているけど、主人公クラウドやティファたちのその後の物語は描かれていない。ただ、映像作品『アドベント・チルドレン』(2005)などで続編的な物語が発表されている」
翔花「もしかして、ゲームの続きをCG映画で発表したってこと?」
NOVA「ああ。FF7はその世界観やキャラだけで、いろいろと外伝ストーリーが発表され続けているんだな。たぶん、FFシリーズの中で一番、作品数が多いと思う」
晶華「FF7は一つの世界観だけでマルチバースみたいになっていて、その最新作がリメイクとリバースということね」
NOVA「このFF7Rの3部作は、完結編がまだ発表されていないから、全ての謎が解けたわけではないが、フルリメイク作品にして、原作7の続編でもあるらしいんだ」
翔花「ええと、7の物語の続きにして、語り直しってことは未来の話なの? それとも過去の話なの?」
NOVA「7のラストで、セフィロスが星を滅ぼす邪神的存在になり、一方のエアリスが星を守る女神的な存在になったと思ってくれ」
翔花「セフィロスは倒されたけど、しつこく復活しようとしているわけね」
NOVA「ああ。そして、セフィロスの思念が時空の壁を突破して、パラレルワールドである7Rの世界に影響を与えて、歴史改変しようとしているんだ。それを察知したエアリス思念も、7Rの世界の自分自身に星の危機を伝えて、セフィロスの野望を阻止してもらおうとしている。端的に言えば、神さまレベルの能力を持った未来人がパラレルワールドの過去に干渉して新たなゲームを展開中みたいな感じか」
翔花「仮面ライダーギーツさんね」
NOVA「あるいは、ウルトラ時空のアブソリュート・タルタロスみたいな一面もあるな」
晶華「セフィロスが世界改変を企む時空犯罪者で、エアリスさんがタイムパトロールみたいな立ち位置とも考えられるわね」
NOVA「ただ、7R世界のセフィロスは世界改変に自覚的であるのに対し、7R世界のエアリスは元世界の女神エアリスとの交信が不十分なせいか、そこまで自分の運命や為すべきことに自覚的ではないようだ。一方、クラウドは記憶障害ゆえの幻視能力を習得したのか、改変前の世界(原作7の物語)と改変後の世界(並行世界の7Rの物語)の違いを認識できるようなんだな」
翔花「それって、7の物語を知ってるプレイヤーと似たような視点ってことね。主人公らしいと言えば、らしいけど」
NOVA「そして、7リバースのオープニングは、ゲーム本編に続くわけではなくて、あくまでIF展開的なイメージらしい。7リメイクのエンディングはこうなってる」
晶華「前回の記事でNOVAちゃんを困惑させた7リバースのオープニングムービーは、7リメイクのエンディングとはつながらず、7リバースのゲームの本筋にもつながりそうにない『パーティー全滅みたいな悲劇』だったもんね」
NOVA「死んだはずのザックスが生きていて、クラウドを含むパーティーが全員、意識を失って、死んだようにも見える光景で正直焦った。それまでに聞いた話では、7リメイクのラストは大都市ミッドガルを脱出して終わり。続編は都市の外のフィールドの旅から始まるという噂だったから(チラ見に過ぎず、ゲーム攻略サイトを調べてもいなかった)、あのOPを見たときは、この後どうなるんだ、これって思って、いろいろ調べて回った。結果的に、クラウドやエアリスの幻視みたいなイメージシーンと分かって、納得。その幻視の物語的な意味を読み取ろうとするゲームプレイヤーの感想論議が一部で盛んで、おおよその解釈を確認しての当記事ってことで」
晶華「自分でプレイしていないゲームの筋書きを、他の人のストーリー感想から補完するのって、何だかズルくない?」
NOVA「人の噂から妥当な真実を探り当てるのも、記事書きの能力だと思うがな。まあ、一番ベストなのはしっかり一次資料に当たって、自己のプレイ体験として書くことだけど、人のゲーム感想という断片的な二次資料から推測して、おおよそのイメージを固めてみるのも楽しい知的作業である」
晶華「その場合、伝聞に基づく情報だから、誤解や思い込みによる嘘偽りが発生する可能性があるわね」
NOVA「そのリスクを負ったうえで、本当に致命的なミスがあった場合は、後日に気がついて、反省して訂正する準備はするさ。あくまで現段階の断片的な情報で推測した記事であって、俺は自分が完璧で無謬な人間だとは思っていない。むしろ過ちを正せる人間だと思っているが、世の中には自分の過ちを認めようとしない愚かで頑迷な人間もいることは知っている。まあ、バイアスは誰だってあるし、盲信や妄信が行き過ぎて狂信レベルに達している人間だっている。それが人に迷惑をかけなければ、強い信念として尊敬されることもあるけど、自分可愛いが過ぎて、自己の過ちに向き合えないレベルだと、間違った思い込みのまま突き進んで破滅するのも起こり得る(人の信用を失うことを破滅と言うなら)」
晶華「ややこしい話になって来たわね」
NOVA「FF7は、そうした自分の思い込みや虚構の世界に気づいて、真実の自分を発見する哲学的な物語だ」
翔花「え? FF7の話につながった?」
NOVA「つなげるように考えながら書いているんだよ。5までのFFが世界の秘密を解き明かすゲームだとするなら、6あたりからドラマ性を高めるに当たって、登場人物の抱えた秘密を解き明かすストーリーになって行った。つまり、外の世界ではなく、キャラの内面世界にスポットを当てる作風に切り替わったわけだ。だから、FF7のキャラクターには『表の顔と裏の顔があって、下手に感情移入すると、意外な事実に驚かされる』ことが多々ある」
晶華「物語が始まった時点と、終わった時点では全然、別人みたいなイメージのキャラってことね」
NOVA「主人公のクラウドからしてそうだからな。『クールで格好いいエリートソルジャー』だと思って物語を追っていたら、実は『ソルジャーにはなれなかったモブキャラ一般兵士で、心に障害を抱いて、他人の記憶を自分のものだと思い込んで分裂障害を発症しているメンヘラさん』だったなんて、プレイしていてビックリだ」
翔花「仲間の誰も、その事実に気づいていなかったの?」
NOVA「幼馴染みのティファだけが気づいていたらしいんだけど、彼女も内面にトラウマを抱えていて、クラウドの抱えた心の傷をよく理解していたから、クラウドを気遣って、真実を指摘することをしなかったんだな。とにかく、ティファは外面的には非常に社交的で活動的な女性に見えて、実は結構繊細でシャイなところがある『人に見せている姿と内面にギャップのあるヒロイン』になっている。こういう登場人物の見た目(表、外面)と、心理(内面、裏の顔)のギャップをドラマで示し、最終的に上手く統合、昇華する筋書きなわけだ」
晶華「奥が深いわけね」
NOVA「これがある意味、ドラクエ6に対するFF側の答えとも考えられる」
翔花「ああ、あっちも幻想(夢)と現実の違いをテーマにしてた」
NOVA「ドラクエ6の場合は、世界の謎を追っていたら自分探しの旅になったという流れで、暗いエピソードもあるけど、全体的なトーンは明るい。だけど、FF7は世界の謎よりも、キャラのギスギスした人間関係や、意識的もしくは無意識的な真実隠蔽と暴露、そしてトラウマレベルの恐怖演出や、心が壊れた主人公の描写、ひどい場合はクラウドが本当に使えなくなって、ヒロインのティファや、イケオジのシドを操作して進めないといけないシーンもあって、ティファやシドに感情移入する要因にもなってる」
晶華「NOVAちゃんの一推しキャラが、FF7のシドさんなのよね」
NOVA「ああ。かつては宇宙パイロットだったんだけど、神羅の宇宙開発プロジェクトが中断されたせいで、夢破れて田舎に引きこもっている。そういうところが当時の俺自身にもかぶって、しかも年齢的にも近い(32歳)」
翔花「ええと、FF7の発売は1997年で、NOVAちゃんは71年生まれだから」
NOVA「26歳だな。D&DのTSR倒産が1997年で、俺がSNEを辞めて夢の挫折感を抱いたのが翌年の春だから、シドの挫折に自分を重ねたのはプレイして少し経っての話になるが、とにかく、このFF7の物語で唯一、自分の内面ではなくて、外の世界への冒険に夢を持ち、時には若者たちを主導してリーダーシップをとることもあり、飛空艇ハイウィンドを操作したり、竜騎士みたいに槍を使ったジャンプが特技だったり、男性キャラでいちばんのお気に入りがシドだった」
晶華「大人キャラだとバレットさんもいるけど、彼はどうなの?」
NOVA「見た目は豪快なおっさんなんだけど、内面が鬱屈しているのと、短絡的な環境テロリストで、決して豪放磊落な性格とは言い難いからな。序盤のクラウドに対する陰湿な態度(リーダーとして自分が雇った傭兵なのに、吐き捨てるように神羅の元ソルジャーは信用できないな、と言い放つ矛盾した言い草など)とか、前半の印象がやたらと悪い。まあ、クールな剣士と、パワフルな巨漢の『性格は合わないけど、バトルでの連携は噛み合う良きタッグ』を期待していたら、ドラマ的にそういう類型にはならなくて、あれ? と悪い意味で裏切られた感。よって感情移入対象にはなれなかった。
「むしろ、二面性という意味では、遠隔操作のぬいぐるみに身をやつしたケットシーのおっちゃん(正体は敵側の神羅カンパニーの都市開発部門総括のリーブ・トゥエスティ)の方がいいキャラしていたなあ。結果的に二重スパイになったけど、関西弁で話す、信念持った好漢という認識。彼がバレットのテロ活動に怒りの苦言を呈して、バレットが反省の意を示したので、バレットのドラマ的にも多少の禊にはなったかなって」
FF7と時代背景
晶華「世紀末辺りには、テロリスト主人公の作品が流行したって聞くけど?」
NOVA「95年のガンダムWが代表だな。体制派の強大な敵に対して反旗を翻す自由主義陣営の主人公だと、戦時だとレジスタンス、平時だとテロリストと称されるわけだが、その時期だとテロリストに対する解像度があまり高くなかった割に、某宗教団体による地下鉄サリン事件の印象が強かったな、と考える。
「そして、ドラクエもそうだけど、『人々を騙す宗教教団』という物語類型が多用されていた(ドラクエ5、6、7およびFF6)。これまでのFFは基本的に宗教色を廃した世界観(強いて言えば、クリスタルと自然崇拝に近いアニミズム)だったけど、6あたりからラスボスが『世界を支配する神になりたいという願望が歪んで、世界を破滅に導く存在と化する』わけだな」
晶華「世界支配と世界滅亡は別の目的なので、当初の世界支配を目論む敵対者が物語後半で主人公たちと共闘する展開にも持ち込めるわけね」
NOVA「世界を解放したい自由主義な主人公陣営と、世界を支配したい強権組織は分かりやすい対立軸だけど、そこに世界滅亡の危機をもたらす存在が出現すれば、一時的に手を組むことが可能だからな。敵組織の中にも、リアルに考えると合理的で尊敬できる人物(主人公たちのやっていることは気持ちとしては分かるが、それじゃ世界が立ち行かん。子どもの感情論ではなく、大局的に物を見なければな)がいたりして、ただの勧善懲悪以上の深みを感じさせる。仮に主人公たちの優秀さを強調するために、敵対者が全部バカで身勝手な連中ぞろいにすると、21世紀の今では、そんな安易な話を作る作者の知能すら疑われるわけだ*1」
翔花「でも、やっぱり倒すべき敵とか、許せない悪っているわよね」
NOVA「だから、主人公が相手を倒す動機をどう設定するのか、それとも途中で反省して、無血で戦う手法をとるのか、完全平和主義に走るのか、いろいろなドラマ展開を模索したのが90年代からゼロ年代だと思う」
翔花「その前は?」
NOVA「平和な地球を狙う悪の軍団(地底人か宇宙人か古代文明人か異次元人か、作品ごとに敵の属性は多彩)をやっつけろってスーパーなノリが70年代。敵だって同じ人間だったら、いろいろな事情があって、それを描く方がリアルじゃねえ? とか言って、価値観の相対化を高めて行ったのが80年代。まあ、ラスボスは極端なエゴイストか、高みに立って他人を見下す世界の支配者気取りな超合理主義者(その究極は狂ったコンピューター)になるかな」
晶華「で、90年代は、主人公自身が世界の敵に回るケースも出て来た、と」
NOVA「まあ、勇者ロボとかは70年代のスーパーなノリを、もっとリアルに、等身大の子ども(と周囲の大人)の日常視点で描く作風に推移したかな。戦争ではなくて、日常生活の中の宝を守る主人公側と、破壊ではなくて日常のお宝を奪おうとする敵側(結果的に破壊活動に至るけど)の陣営で、分かりやすく言えばタイムボカンシリーズの悪玉感覚の敵が増えて、陰惨になり過ぎないレベルでドンパチしているのが90年代。または正体不明の怪物のような敵からみんなを守る災害救助パターンとか、対象年齢層に合わせて、スーパー風味とリアル風味のさじ加減を考えながら多彩な作品づくりを試みたのも90年代と言えるだろう」
翔花「抽象的な世界平和ってお題目じゃなくて、もっと具体的な日常生活を見せて、守るものをはっきりさせたってことでいいのかな」
NOVA「そういう過渡期があるから、ゼロ年代にバトルのない日常系が流行る形になったんだろうな。以上は、アニメやヒーロー物などのバトル作品の文脈だけど、そういうものをゲームも取り入れて、急速に物語が進化していく。例えば、勧善懲悪はドラクエ1〜3やFF1〜3だし、敵側にも事情があってという話はドラクエ4とFF4で示したけれど(宿屋の夢で敵のドラマを描いたドラクエと、「いっぽうそのころ」のシーン転換手法で敵サイドの事情を見せたFF)、その後はバトルよりも、主人公側の内面ドラマを重視して描くように方向性が切り替わっていく」
晶華「ドラクエ5は仲間モンスターというシステムで、モンスターの全てが敵ではないという物語ね」
NOVA「主人公が魔物つかいで、エルヘブンの民は『魔に通じる能力』を持っているんだ。まあ、作中では闇属性ではなくて、魔界の門を開けたり封じたりする能力、もしくは魔物の心の扉を開く能力と言ってもいいかな。宗教という形で人間の心を掘り下げて、祈りが闇に転化する可能性も示唆してみせた」
晶華「FF5は、どういうドラマ性?」
NOVA「こっちはエコへの走りが見られるな。地水火風の自然の象徴であるクリスタルの力を利用した人間の文明の発達が、クリスタルに過負荷を生んで、クリスタルを砕いてしまう。すると、クリスタルの魔力で封印された古えの悪が復活して、世界を無に変えようとする。そのボスであるエクスデスが、植物の化身であるというのも自然界からの復讐ってメタファーが読みとれるな。一方で、主人公側はチョコボとか飛竜とかモーグリとか自然の生き物と心を通わせる能力を持っていて、エコ活動の戦士だ」
翔花「どちらの物語も、勧善懲悪ではないわけね」
NOVA「それぞれの思想性は根底テーマとしてあるけど、つまりはゲームの物語で思想やキャラの内面の心情を描けるように表現力が進化したわけだな。そして以降は、どちらの作品シリーズもキャラクターの内面描写に注視する流れが出てくる」
晶華「その結果、心が壊れた主人公の再生ドラマに突入するわけね」
NOVA「つまり、セカイ系の流れだな。世界を探索することが自分探しに通じて、世界を再生するための戦いが自分の信念を守り、取り戻すドラマに結実する。一方で、21世紀に入って、9.11の事件もあったことで、日本人のテロへの解像度が急速に高まったわけだな。すると、FF7で描かれた魔晄炉爆破テロの描写が手ぬるいという話になる。描写技術の問題もあるが、作り手が自分たちの作る話にどこまでのイメージを脳裏に描けているかの話になって、そういうのもFF7Rでは試されたわけだ」
晶華「でも、あまり生々しいものだと、凄惨すぎて、ゲームにそこまでのリアルさは求めていない人をドン引きさせるわね」
NOVA「そう。生々しすぎるものを直接描写せずに、臭わせる程度に留めるのも演出テクニックの一つだ。見せずに感じさせるのは高度な手法だよな。そしてFF7リバースでは、テロの悲惨さを別の形で示し得た」
翔花「どういうこと?」
NOVA「現実でないIF世界のオープニングで、報道という形でテロの悲惨な結果を切りとって見せたんだ。映像の中ではバレットとティファとエアリスの遺体らしき姿が担架で運ばれて、えっと感じさせられた。原作を知る俺はビックリしたし、前作リメイクをプレイ済みの経験者もビックリしたろう。自分たちの知っているキャラがテロ事件の中で自滅的に死んだように見せられたんだからな。テロや事故、災害報道に対しては、どれだけ感情移入できるかを問う者もいるが(共感できない者は、薄情な想像力に欠けた人間であるかのように非難)、普通はそこまで悲痛なものに感情移入したくない。どこかで目を背けたくなる」
晶華「怖いもの見たさの好奇心もあるけどね」
NOVA「心の安定を保つには、見た後にホッと一安心できるリフレッシュタイムが必要だな。それでも見せる者はインパクトを与えつつ、それでいて観客を逃がしたくはない。だから、幻視という形で悲惨さを見せて、実はこれは物語の本筋ではなくて、ただのIF幻想です……という形を取ったのだろう、と推測する。少なくとも、俺には効果的な映像だった」
翔花「いろいろ気になって、調べたいと思わせたもんね」
NOVA「この凄惨な光景を見せてインパクトを与えた後で、実は幻でしたというドッキリ演出を、ここでは『鳳凰幻魔拳』手法と呼ぶようにしよう。幻だという解明がなければ、心が壊れかねない荒技だが、効果的に使うと印象的なテクニックであることはまちがいない。公式に宣伝効果も兼ねたOP演出であるのだから、使いどころとして悪くないし、これを見てFF7リバースに興味を持ったプレイヤーも少なからずいるのではないか」
晶華「NOVAちゃんは?」
NOVA「興味は持ったけど、プレステ5を持ってないから、ハードごと買うのはハードルが高すぎるので購入意欲には至らない。でも、面白そうだと宣伝ぐらいはしていいかな、と」
FF7とマルチバース
NOVA「ここまで語ると、もう必要のない章題だと思うが、原作7と7Rシリーズはパラレルのマルチバース的世界観を形成中である。ストーリー内容もさることながら、その演出手法のあり方に興味が出てきた。ところで、FF7というゲーム単独では、世界は一つなので、多重世界のマルチバースにはならない。その点が、プレイ当時は不満材料だった」
翔花「どうして?」
NOVA「俺が至高とするFFは5だという話はしたが、7は奇数ナンバーであるにも関わらず、5の長所はほとんど受け継いでいないんだな」
晶華「5の良さと言えば、ジョブチェンジ?」
NOVA「それと、複数世界を股にかけた壮大なストーリー展開だ。しかし、7は個人の内面世界に引きこもり、陰鬱なドラマを展開し、そこには夢がない。何で、ゲームを楽しみたいのに、暗いドラマを見させられないといけないんだ?」
翔花「それを感動的だと思う作り手と、感じ入る若者がいるからでしょう?」
NOVA「とりあえず、映像表現はいい。そこには当時、本当にすごいと感じ入った。進化したゲームって思えたが、リアル風味のキャラがエコ説教な話をしているのを聞くと、何だかウザッて思うわけだ。こういうのは、ドット絵のチビキャラがオーバーアクションで表現すると微笑ましく受け入れやすいんだけどな」
晶華「エコ説教だと、宮崎駿さんよね」
NOVA「アニメだといいんだよ。登場人物の会話を客の立場で聞いて、その場で感じ入ればいい。でも、ゲームだと自分に直接向けられた気分になるからな。しかも、バレットみたいなおっさんによ。まだ、エアリスとかに『お花を守りたいよね』とか言われると、クラウドっぽく『興味ないね』か『それも悪くないか』と応じる気にもなるが、バレットに『星の命を守るために、神羅をぶっ潰さないと!』と叫ばれると、肩をすくめるしかない」
翔花「つまり、女の子だから素直に聞けることが、おじさん相手だとダメってこと?」
NOVA「自分のことを嫌っている相手に、正論を押しつけられてもな。ましてや、相手は周りの見えていないテロリストだ。俺がクラウドの立場だったら、『どうして、こんなおっさんに雇われてるんだ?』って自分の状況に不満を感じるので、ゲームを楽しむどころじゃない。自分が主人公になるRPGって、こういうのじゃないだろう? と」
晶華「ここでドラクエだと、『バレットに同意しますか? はい/いいえ』で選択肢が出て、はいなら『そうだな。神羅は許せない』『よし、少しは信用できそうだな』と会話するか、いいえなら『だから、元ソルジャーは信用できないんだ。だが、金は払ったんだからな。今さらイヤと言っても、払った分の仕事はしてもらう』『ああ、仕事は仕事だ。私情ははさまない』という感じになるかしら」
NOVA「堀井さんのシナリオでは、主人公はそこまで喋らないだろう。青字のクラウドのセリフはカットしろ。とにかく、重要な場面では必ずはい/いいえの選択肢をくれるんだ。まあ、重要じゃなくてもくれるんだが、一方のFFでは重要な場面ほど選択肢をくれず、主人公が勝手に決めて、プレイヤーはイベントシーンまで主人公を操作して、連れて行くだけのお守りしかできない。結局、1本道のストーリーの筋に乗っかるにしても、一応、プレイヤーの意志を主張ぐらいはさせて欲しいわけで」
晶華「バレットさんはバカなのに、責任感だけはやたらと強くて、何かと仕切りたがるのよね。せめて冷静に物を考えられる参謀役がいればいいんだけど」
NOVA「クラウドもそういう気の回し方ができないし、一番、参謀できそうなのがケットシーだという。いや、主人公が熱血バカなら、劇中で失敗をやらかしても仕方ないかと受け止められるんだが、言動はクールで斜に構えているのに、やってることがバカで考えなしってのは、見ていて非常にイラッと来るパターンだ。クールを気取るなら、もう少し考えろ、と」
翔花「クールに見せてるだけで、ただのコミュ障キャラかもしれない」
NOVA「コミュ障でバカなのに猪突猛進だと、トラブルメーカーにしかならんな。まあ、見ているだけならドタバタコメディで楽しめるが、ゲームとして自分で操作するとなると、お守りが大変だ。せめて可愛げがあればいいんだが」
晶華「ドット絵時代のキャラ演出に慣れたシナリオが、3DCGキャラとして演技する新時代の物語に対応しきれていないのよ。その辺は、だんだんこなれて来るんじゃない?」
NOVA「ともあれ、ジョブチェンジのなくなったFF6では、アビリティは魔石と装備アイテムに振り分けられてキャラをカスタマイズできるようになった。FF7では、アビリティをマテリアで習得するシステムに変わって、武器に付いたマテリア穴の数や連結具合でのカスタマイズが面白かった。ただ、防具系の装備品がキャラの外見に影響する着せ替え感覚はなくなったな」
晶華「そこまでCG絵で再現するのは、とっても手間がかかるんでしょ」
NOVA「コスプレジョブチェンジの楽しさは、X2までお預けってことで、手持ちの武器のみが装備に合わせて変化する仕様、と。そして、世界は一つだけど、最初の舞台のミッドガルが3の浮遊大陸に匹敵するぐらいの広大なゲーム舞台という印象がある」
翔花「だから、リメイクではミッドガルを脱出するだけで話が終わっていたのね」
NOVA「世界が広大になり過ぎて、従来の世界を股にかけるって感覚が失われたのが、今のFFだな。ただ、ミッドガルが大きすぎて、世界全体が今までよりも小ぢんまりとしていると思えたのも、リアルタイム時の感想」
翔花「世界の大きさって何で測るの?」
NOVA「街や国の数だな。FF7はミッドガルとか、壮大な遊園地ゴールドソーサーとか、一つの街の大きさが凄すぎて、その分、数を増やすことができなかった。量より質の世界観だったので、今までの感覚だと街が少ないから小さな世界という印象になった、と」
晶華「潜水艦に乗っての海底探索とか、チョコボ育成によって生まれる最高の海チョコボでしか行けない場所があったりとか、一つの世界の中でいろいろな場所が隠されているみたいね」
NOVA「俺もストーリーを攻略したら、もう十分と思って、完全攻略には至らなかったと思う。召喚獣にしても、竜巻の迷宮でバハムート・改を取り損ねて、バハムート零式にもできなかったし、海チョコボがないからナイツ・オブ・ラウンドもゲットしなかった。さすがにその時期だとプレイし直す時間も気力もなくて、いつか再プレイする機会があれば、と思いながら、そんな機会も作らなくて今だな。FF7は俺にとっては、ストーリーは一通り見たけど、隠しイベントが攻略本なんかで読んだことのある程度の不完全攻略ゲームとなっている次第。クリアして賞品ゲットできるミニゲームも断念せざるを得ないものがいろいろあったし、この段階で一本のゲームの完全攻略を諦めることを覚えたわけだな」
翔花「究極ゲーマーへの道を登り損ねたわけね」
NOVA「究極じゃなくても、ゲームは楽しめるし、思い出語りもできる。SFC時代は完全攻略にこだわっていたけど、PS時代の大容量には付いて行けなくて、ストーリーを一周できれば満足のゲームライフだったってことで」
(当記事 完)