これで一連の20世紀2大RPG話を終わる予定
NOVA「ふう、FF話が長かった」
晶華「そりゃあ、FF9で終わらずに、勢いで10や12、13、15、16まで触れちゃうからでしょ」
NOVA「FFの生みの親は坂口博信さんで、イメージ作りの立役者は植松伸夫さんと天野喜孝さんだと思っているが、今のFFはイメージイラストの天野さん以外が関わっていないからな。坂口さんが作った最後のFFがXとX2ということで、12は2001年からの制作には携わっていたものの2006年の発売前にスクウェアを退社して統括プロデューサーを交代しているので、その辺がFF変質の転機と言えるだろうな」
翔花「変質といっても、具体的にはどう変わったのかしら?」
NOVA「同じFFシリーズと言っても、13と15と16は作っている人間が全部違うから、違うカラーになるのも当然だ。統一された系譜を辿るのも難しいし、15以降はアクションRPGとして別ジャンルだからな。あらすじを読んだが、話も陰鬱で暗いし、俺がゲームに求める爽快感は得られそうにないや。ブランドだけを追っても満足感は得られないだろうな、と思う」
晶華「作る人が変われば、時代も変わるってところね」
NOVA「で、ドラクエだが、ドラクエ6(95年)と7(2000年)の間に5年の期間が空いて、その間にライバルのFFにいろいろ抜かれちゃった感があって、それでもいよいよ王道ドラクエの反撃が見られるか、とファンの期待が高かったんだが、何だかなあ、と失望を買ったのが当時のリアルタイムのプレイヤー感想だと思う」
翔花「つまらなかった?」
NOVA「つまらなくはないが、革新的なFFの発展に比べて、ドラクエの進化はあまりにも変わっていないというか、天空シリーズ3部作の後で、新たな3部作を期待するファンの前に提示されたのは、6のシステムの発展版。つまり、伝統的な転職システムで、FF5のコピーかよ、と言われたシステムをそのまま踏襲。また、CGも当時のFFとは比べ物にならない稚拙さで、技術力の差をマジマジと見せつけた。つまり、ドラクエは日本のRPG王者ではなくなったと思わせたんだな」
晶華「旧態依然の変わらないドラクエってところね」
NOVA「そして、7のストーリーはとにかく陰鬱に過ぎたんだな。歴代で最も幼く見える子ども主人公*1が、歴代で最も暗くて重い冒険に臨む、世紀末をまだ引きずったような過酷な試練の物語。それがドラクエ7だ。果たして、ダークファンタジーと宣伝されているドラクエ12は、この陰鬱さを越えられるか、と逆に暗さを期待したくなってる俺がいる」
翔花「でも、音楽担当の人と、絵師の人がどちらも鬼籍に入ったので、嫌でも暗い気分にならない?」
NOVA「ああ。遺作になってしまうのか。ドラクエで暗い雰囲気だと、最初のダンジョンのBGMとか、鉱山都市アッテムトとか、ドルマゲスの連続殺人事件とか、いろいろ思い出すんだが、例えば主人公が勇者に殺された魔王の子とかで、憎き勇者を倒すためにモンスターを仲間にしながら、モシャスの呪文で人間に変身して勇者の痕跡を追いかけるような話になれば、逆転構図のダークファンタジーと言えるだろうな」
晶華「すると、仲間は暗黒騎士と邪神官と妖術師か何か?」
NOVA「人に化けた魔王子をプレイして、復讐のために勇者を追いかけるドラクエって作品だったらいいなあ」
晶華「それで本当にいいの?」
NOVA「ダークファンタジーだと、俺にはそういうのしか考えられないが果たして?」
改めてドラクエ7の思い出
NOVA「さて、ドラクエ7の陰鬱さを表現しているのが、このフィールド音楽だ」
NOVA「ドラクエで寂しい系のフィールド音楽といえば、1のアレフガルドもそうだったが、4の勇者の故郷と言い、何だか心に染み渡る名曲がいろいろある」
晶華「これで終わると物足りないでしょう。次はこれを流さないと」
翔花「仲間を全部揃えると、フィールド音楽が勇ましく変わるのね」
NOVA「ドラクエ7でも、日常のフィールド音楽は陽性のこちらだな」
NOVA「ドラクエ7は、表の世界は島一つしかないものの平和でモンスターの出現しない、冒険とは無縁の世界。しかし、実は他の地域は魔王に封印されていて、その封印を解く鍵が石板の神殿にある。石板をパズルのピースのように集めて、神殿の台座にセットすると、過去の世界に入ることができて、そこは魔物が出現する闇の世界になっているんだな」
NOVA「最初のPS版では、石板の神殿が探索に時間のかかるパズル構造になっていて、そこではモンスターも出ないから、ようやく探索を終えて石板から過去に飛んで、最初にスライムと遭遇するまでに、プレイ開始から2時間〜人によっては3時間を経過した。初戦闘までに最も時間のかかるドラクエとして語り草になっているほどだ。スライムと戦うシーンで感激したという感想も出てくるわけで」
晶華「石板システムといい、平和な日常と、闇に閉ざされた冒険の世界の切り分けといい、過去編の事件が解決すると失われた世界が現実に復活する仕掛けといい、非常に凝った物語世界観なのよね」
NOVA「復活した世界で、自分たちの解決した(あるいは不満足な解決に終わった)事件のその後を確認できて、ホッと一安心したり、皮肉な現状にモヤモヤしたり(醜い人間模様の過去が美化された歴史として伝わっていたり)、子どもたちの楽しい冒険というよりもドロドロした人間の醜さを突きつけられるようなシナリオが多かったな。6も7も、この時期の堀井さんは暗黒面が全開で、人間の表と裏を痛烈にえぐってくる話が印象的で、アイロニカルなショートショート集って感じだった」
翔花「これも世紀末の時代の雰囲気が為せる業かしら」
NOVA「ドラクエ7は、最初と最後が無邪気な子どもたちのジュブナイル冒険譚なんだが、途中がFF7や8とは別の意味でトラウマを感じさせる物語なんだな。『本当は怖い童話』を読むような感じで、しかも長い。勇者が勇ましく魔物を倒す話ではなくて、子どもたちがお使い感覚で人に接していたら、人間社会の悲哀と闇を覗き見るような話で、魔物退治はおまけって感じのゲーム性だ。まるで人間社会の鬱憤を魔物で晴らすみたいに」
晶華「日常生活では平和そのものなので、石板世界というクソゲーでイライラモヤモヤしながら、バトルでストレス解消って感じね」
翔花「人間相手に攻撃できないから、代わりに魔物相手に戦うのかあ」
NOVA「人間が魔物化したり、善良な魔物を人間がイジメる新マンのムルチ回みたいな話とか、世界の危機を伝える善人を嘘つき呼ばわりして信じようとせず天罰を被った村の話とか(信じた子ども一人だけが生き残った)、主人公の子どもたちじゃ人間社会の問題は解決できず、運命の傍観者になるしかない展開が多すぎる。もしかすると、冒険を主導した兄貴分の王子も、こういう人間不信のストレスが昂じて、何もかも捨てて逃げ出したくなったのかな、と今にして思った。主人公やマリベルたちが闇堕ちしてもおかしくないほどの醜い人間劇を見せられるものな」
翔花「教育によろしくないゲームって感じね」
NOVA「まあ、それこそ石板世界は『子どもが読む昔話』のような感覚で、昔話に夢中になったり情緒を刺激された後で、現実世界で『昔話の舞台の今』を訪れ直すようなものかもしれない。歴史そのものの書き換えはできないけど、感情移入はできて感想も言える。そして、ほとんどは傍観者にしかなれないけど、10中1割ぐらいのわずかな歴史改変はできる。その歴史改変の影響で、封印された世界にわずかな希望が生じるとか、そんな感じか」
晶華「6では夢と現実のリンクが描かれ、7では歴史と現在のリンクが描かれるってこと?」
NOVA「ああ、その意味では、陰鬱やなあと思いながら、俺は結構ハマっていたんだよね。7の不評は、すぐにネットで知って、タネ泥棒というネタもネットで知ったけど、俺個人はキーファにタネを使ったりしていないから、最初はその意味がよく分からなかった。キーファは成長してもMPが伸びないから、育てても仕方ないのでは? とか思ったし、ふつうタネは主人公か、HPの伸びない仲間のフォローに使うものというプレイスタイルだしな」
翔花「7は悪評の多いゲームだけど、NOVAちゃんにとっては傑作ゲーム?」
NOVA「不満はいっぱいあるんだけどな。ヒロインが辛辣で可愛くないとか、アイラはキャラが薄いとか、主人公パーティに感情移入できる大人キャラがいないとか(主人公自身にも)、救いのないお話が多いとか、フォズ大神官が仲間にならないとか、シリーズ3部作の第一弾になれなかったとか、この作品の歴史的意義がつかめん」
晶華「エニックスがスクウェアに負けを認めて、引っ付く元になったゲームとか?」
NOVA「これは俺も誤解していたんだが、ドラクエはエニックスが作ったゲームじゃなくて、エニックスが販売したゲームだ。開発は5までが中村光一のチュンソフトで、6と7が山名学のハートビート。7と多くの携帯機リメイク作品にはアルテピアッツァが参入し、8と9はレベル5作品。10と11はオルカ。12はヘキサドライブが開発中とのこと」
晶華「ええと、エニックス社はスクウェア社と違って、社内に開発部門を持たないってこと?」
NOVA「そうなんだ。会社のスタンスがスクウェアと全然違っていて、エニックスの強みは出版業にも力を注いで、宣伝力の強さになるんだな。一方のスクウェアはゲーム開発力に加え、アメリカのエレクトロニック・アーツ社と1998年から2003年まで合併提携し、その際に海外展開のノウハウを相当に積み重ねて行った。今のFFナンバリングは海外展開を意識した作風になっているので、日本的なゲームではなくなっている。洋画チックな見せ方にも変質しているので、それこそ対比させるならマーベルとかDCとかのアメコミ・ヒーロー映画の方向性かもしれん」
翔花「エレクトロニック・アーツって会社は、ウルティマ・オンラインも運営しているのね」
NOVA「そのノウハウが、FF11や14、ドラクエ10などのオンラインゲームに引き継がれているんだろうな。まあ、FFはともかく、ドラクエ7はドラクエ6の続編であり、発展形でもあるが、それ以前のドラクエのアンチテーゼとしてストーリー分析もできる」
晶華「アンチテーゼってことは、反ドラクエってこと? 反FFじゃなくて、自分で自分を否定しちゃうわけ?」
NOVA「今回は、そういう視点でドラクエ7を振り返ってみよう。なお、ドラクエ7については、以前アストがこういう風に解説してるので、それも参考になるかもしれない」
キーファ王子とセブン主人公の掘り下げ
NOVA「さて、ドラクエ7で最も勇者っぽい設定でありながら、勇者にはなれずに泥棒呼ばわりされているキーファ王子なんだが」
晶華「ええと、ドラクエの主人公って、勇者の末裔か、王子さまか、その両方ってケースが多いのよね」
NOVA「王子は2、5、6、8、11だな。それ以外は1〜5が勇者の末裔か身内、9は元天使で勇者に転職可能……ではなかったか。勇者の称号が本人に与えられないのは5と9、それとオンラインの10ぐらいかな。いや、オンラインはプレイしていないから数多くのシナリオで勇者認定されている可能性は高いが、ここでは7の主人公と、キーファの関係性を改めて見て行こう」
翔花「確か、弟分の主人公を冒険に誘ったのはキーファ王子なのよね」
NOVA「そう、言い出しっぺはキーファだ。そして、陽キャラのキーファに対して、主人公は寡黙で引っ込み思案で冴えない顔つきの凡人であることがゲーム中で強調されている」
晶華「それまでのドラクエでは、主人公は勇者さまと持ち上げられているか、女性にモテているか、村の代表として期待されているかなんだけど、7で初めて人から期待されていない主人公として描かれている」
NOVA「父親が生きているからか、何かと子ども扱いされてたり、少なくとも16歳の若者に対する扱いには見えなかったな。おまけに、マリベルの言葉が辛辣だから、歴代で最も自尊感情が踏みにじられている主人公と言っていい。そういう過酷な精神的迫害に対して、愚痴の一つもこぼさずによくマイペースで地道な世界修復作業をコツコツこなし続けたな、セブン主人公。頑張ったのは自分ながら、たぶんメンタル面では最強じゃないだろうか」
翔花「同じセブン主人公でも、これがクラウドさんだったら、とっくにメンタルが壊れてそうね」
NOVA「少なくとも、クラウドはティファの献身的な介護があったけど、セブン主人公のメンタルがもしも壊れたら、マリベルは献身的な介護をしてくれたろうか」
晶華「マリベルの前に、ご両親が看護してくれたと思う」
NOVA「まあ、ドラクエ主人公はFF主人公よりもタフなメンタルをしているのは間違いないからな。どんなに酷いめに合わされても、愚痴ることは絶対にない。プレイヤーの内心はともかく、心の勇気は絶対に消えることはないわけだ。しかし、それでもセブン主人公たちの活躍は、他の作品シリーズと比べても現実世界で称賛される機会が少ない。世界の修復作業は誰も知らない石板世界の話だからな」
翔花「どんなにゲームの世界で世界を救っても、現実でそれを称賛してくれる理解ある人間は少ないようなものね」
NOVA「ある意味、ドラクエ世界で事件解決後に、街の人が称賛してくれるムーブはプレイのモチベーションを高めるのに必須だということを思い知るゲームだったな。たぶん、これ、現実世界では『16歳にもなって、城の王子と遺跡探検ごっこに夢中になって、なかなか遊び癖の抜けない幼稚な子』と見なされているんじゃないかなあ」
晶華「遊び人のホンダラおじさんという例がいるから、なおさらよね」
NOVA「大人の立場でセブン主人公を見ると、違う景色が見えてきた瞬間だ。とにかく、現実世界が平和なので、石板世界で魔物を退治してるという話も子どもの妄想夢物語としか思われていないわけだ」
翔花「で、その冒険遊びの主犯であるキーファ王子が、王位を捨てて過去の世界の惚れた女のために失踪してしまうんでしょ?」
NOVA「このキーファの行動が、実は6の主人公と合わせ鏡になっているんだな」
NOVA「6の主人公は、現実がレイドック王子で、夢世界では村の若者(ターニアの兄)。そして、夢と現実が融合したときの主人格は、プレイヤー主観では夢の人格だと思うんだ」
晶華「レイドック王子の方がNPCみたいに演出されていたもんね」
NOVA「物語の最初から、夢の世界を現実と思って冒険してきたからな。現実の王子の方が後付け記憶なんだ。後から自分が王族と分かるのは5と同じなんだけど、7のキーファ王子は違う。最初から王族という自覚があるのに、子どもの夢みたいな過去の世界で惚れた女のために現実を捨てちゃうんだ」
翔花「それじゃ、残された家族はどうなるの?」
NOVA「セブン主人公は王家の悲しみを目の当たりに見ているから、自分は現実を捨てない覚悟を定めつつ、キーファのやり残した世界修復作業は己の責任として黙々とこなし続けるんだ。つまり、誰から理解されずとも、自分の世界を保ち続けるとともに、現実を切り捨てることもしない。すごく強いメンタルの持ち主なんだ」
晶華「出生は確か、伝説の海賊の息子が精霊の加護で過去から現在に飛ばされて来たのよね」
NOVA「そう。キーファとは対極的に、セブン主人公は石板世界の過去こそが本来の自分の世界だったんだ。そこが滅ぼされようとしているから、未来に飛ばされて船乗りの息子として健やかに育ったことになる。そして、自分の出自の発見と世界修復を終えた後は、元の平和な日常に戻る。キーファとは世界を越えた心の交流を果たしているかのようなエンドだ」
翔花「ええと、キーファさんは現実から過去の物語世界に渡って歴史となり、主人公さんは過去の物語世界から現実に来て、それぞれの居場所を交換した形になるの?」
NOVA「2人の関係が、もう少し『王子と乞食』みたいな入れ替わりエピソードとか、世界は違っても心の交流的なイベントが時折り挟まれているとか*2、とにかく石板世界と現実世界のリンクを、キーファと主人公の世界を越えた想いの交流、連携として話をつなげることができれば、ドラクエ7は誰もが認める傑作と評価されていたと思う。
「やはり、キーファが物語の途中で完全に消え失せ、後継のアイラも大きな役割を果たすことがなかったのが、作品評価を下げているんだな、と。せめて、石板世界でキーファ自身の痕跡(手紙とか、キーファの自伝とか、キーファの墓とか)を辿るイベントがあって、ラスボスの正体もキーファの警告で知ることになるとか、生きる世界は別れても、想いはつながって間接的ながら冒険を支援してくれている感覚があれば、『キーファが果たせなかった世界の解放を、引き継いで完成させる』的な盛り上がりを示して、キーファへの恨み節も減ったろうなって」
NOVA「キーファ視点で描かれた『ドラクエ7アナザーサイド』とか、フルリメイクの『ドラクエ7リバース』とか実現しないかなあ。ザックスとクラウドで話が作れるなら、キーファと主人公の関係性を再構築した真のドラクエ7が作られたなら、キーファの再評価も夢じゃないと思うんだ」
NOVA「キーファの声がウルトラマンゼロということで、きれいなキーファが見たいという気持ちもある。そして、王子の責任を捨てて逃げたいダメ王子イベントとしては、キン肉マンにつながる(?)こともありだし、ドラクエでは6と8にもそういうダメ王子のお守りイベントもあって、どんどん王子のダメさ加減が上がって来るのが面白くもある」
- ドラクエ6:ホルストックのホルス王子。試練が怖くて逃げ出す王子を同行させて、試練に挑ませるお守りイベント。何度かの離脱を繰り返したあと、ようやく聞き分けよくなり、諦めない心の強さを得たように見える。ハッピーエンド。
- ドラクエ7:グランエスタードのキーファ王子。他の2人と違って臆病ではないが、王族の責任を果たすことから逃げ出して、周囲に迷惑をかけた点では同罪。パーティを離脱したあと、他人の想い人を寝取った行為を非難する者もいるが、エンディングでは主人公に友達面する手紙が届くなど、本人は友情に篤いつもりなのが何とも。もっと、心の交流をきちんと果たすイベントがあれば許せるかもしれないけど、今さら友情を押しつけられてもどう受け止めていいのか分からん。アンハッピーエンドになるかな。
- ドラクエ8:サザンピークのチャゴス王子。試練が怖くて逃げ出す王子を同行させて云々はホルスと同じだが、可愛げある子どもだったホルスと違って、魔人ブウのような顔に傲慢さを貼りつけた醜悪さには愛嬌が見られない。何よりも、馬の姿のミーティア王女を虐待したうえ、彼女の婚約者という立ち位置のために主人公の恋敵にもなる。臆病かつ傲慢で不正を恥じぬ人間の屑のうえ、他人の想い人を寝取ろうとする役割ゆえにエンディングでは結婚式の席上で花嫁を奪い去られるという恥辱を味わうことになった。こんな奴でも父王クラビウスの兄エルトリオが主人公の父親であるため、主人公の従兄弟というのがまた最悪な血縁である。チャゴスに関しては、本人視点でバッドエンド、主人公視点ではラスボスを倒したときよりも痛快カタルシスであった。
- ドラクエ8:サザンピークのエルトリオ元王子。主人公の父親だが、キーファとやっていることが同じである点で、ロマンチストながら困った御仁でもある。身分を捨てた王族(ロストロイヤル)という設定は、堀井さんのツボなんだろうか。そう言えば、ドラクエ5のパパスも国を捨てて、行方不明の妻探しをしていたな。まあ、自分に代わって後を託せる弟がいるから、まだマシなのか。キーファは……妹のリーサを捨てて行って、彼女を泣かせた罪が重い。ドラクエ6でターニアに萌えたNOVAとしては、妹を泣かせたキーファには自分の罪をしっかり数えてもらいたいものである。主人公がリーサちゃんを慰めるイベントがあれば、まだ救いがあるんだけどな。
NOVA「ということで、国を捨てて失踪する王子に比べるなら、ただのイタズラ王子だったヘンリーや息子のコリンズはまだ罪が軽い方だと言えるわけだ」
翔花「ホルス→キーファ→チャゴスと、どんどんプレイヤーのヘイト指数が上がるダメ王子の系譜ってのが紡げて行くのね」
NOVA「まあ、それを言うなら、不可抗力で長年の失踪を遂げた5主人公も、関係者に相当な迷惑をかけたと思うんだがなあ。グランバニアの民よ、すまん。でも、おかげで世界を救う勇者が生まれたのだから、罪を減免させてくれないか」
晶華「何にせよ、妹を泣かせるダメなお兄ちゃんであって欲しくないわね。サマルトリアの王子さまとか」
NOVA「まあ、彼は国を捨てて失踪はしないので。ただ、迷子になったり、呪われて一時離脱したり、棺桶で運ばれたりするだけだから。『後のことは君たちに任せた』と永久離脱することはないから、その点では信頼できる仲間というわけで」
翔花「とにかく、キーファさんは勇者になり損ねたダメ王族枠ってことね。だったら、子孫のアイラさんをきちんと育てて、勇者にしてあげることで贖罪になるかも」
NOVA「もう、アイラも先祖の霊を召喚する特技なんかを習得して、キーファの汚名返上に一役買ってくれてもいいのになあ」
アイラの可能性
NOVA「さて、キーファの子孫にして、ドラクエでは珍しい美人の女剣士という美味しい設定にも関わらず、実際のゲーム内でのキャラ立ちが薄いのが残念なアイラさんだ。どうして、こんなことになったと思う?」
晶華「さあ、どうしてかしら?」
NOVA「これは、やはりFFとドラクエの演出方法の違いだな。FFは仲間が割と積極的に主人公キャラに話しかけて来て、ドラマ演出するのが定番だった。あるいは仲間同士で掛け合いする当たり前のドラマ展開も普通に見られるようになっていたんだが、ドラクエは違う。
「実は、仲間に話しかけるシステムが7で初めて実装された。これによって、プレイヤーが積極的に仲間に話しかけると、ストーリーの状況に合わせて、ちょっとしたコメント感想が聞けたりもする。マリベルなんかはこれが辛辣で面白いんだが、アイラは真面目な大人キャラなのでコメント内容がありきたりでつまらない。つまり、話しかけることで少しは喋る反面、こちらから話を振らなければ、何も話さないという弊害も発生する。コメント内容がつまらないキャラに話しかける頻度もだんだん下がるので、比較的常識人のアイラが割をくったように思える」
翔花「つまり、アイラさんは真面目なお姉さんよりも、『天然ボケな電波発言を繰り返す変な巫女』みたいなキャラにした方が良かったのかしら?」
NOVA「それはお前の自己紹介じゃないか? ドンブラ巫女よ」
翔花「わ〜い、褒めてもらった♪」
NOVA「褒めた覚えはこれっぽっちもないんだが、まあいい。そうだなあ、アイラをもしも真面目な性格のまま、面白キャラにするなら、『ご先祖さま曰く』を口癖にして、キーファの言いそうなコメントを口にして、それから自分の言葉でフォローを少し入れるという感じかな。格言好きというのは良い個性になるし、キーファとのつながりをもっとアピールすべきだった」
晶華「あとは妹王女のリーサちゃんとの絡みをもっと膨らませるべきね。お兄ちゃん子だったリーサちゃんが、今度はお姉ちゃん子になって、百合二次創作のネタにでもなればNOVAちゃんが喜ぶし」
NOVA「喜ぶかよ。まあ、そういうネタは、ツンデレと同じで2000年代初頭ではまだ時期尚早だ。『マリみて』のアニメ化は2004年からだし、2000年時点で該当ケースは……」
翔花「FF9におけるガーネット王女と女騎士ベアトリクスの関係性で、リーサ王女とお付きの女剣士アイラさんの話を魅せれば良かったのでは?」
NOVA「そういう見せ方をするには、リーサ王女の扱いが地味だな。むしろ、『キーファお兄さまを探しに行きますわ。わたしを冒険に連れて行ってくださいませ』とか言って、ドラクエ7のヒロイン2号になるって手もあった」
晶華「NOVAちゃんはどうしても妹キャラを冒険に同行させたいようね」
NOVA「まあ、ドラクエでは占い師のミネアが代表的な妹キャラか。他には11のセーニャが妹だけど、外見ではどう見てもベロニカが妹だ」
晶華「8のゼシカさんも妹じゃなかったかしら。殺されたお兄さんの仇を討つために、パーティに加わるわけで」
NOVA「キャラ同士の関係はいろいろなドラマが想像できるけど、ドラクエ7の欠点は過去と現在の2つの世界を描いたはいいものの、6と違って時代が異なるために、過去の登場人物と現在の登場人物が別人である点。6の場合は、夢の人物と現実の人物は別人格とは言え、どこかつながりが察せられるのに対し、7は先祖と子孫の関係にせよ、6よりもつながりが薄いから、主人公たちは本当に事件の傍観者でなく、当事者性が薄くなったことだな」
晶華「ドラマでの絡みが薄いってことね」
NOVA「FFがドラマを大きく膨らませて行った時期に、ドラクエは天空シリーズと比べても、主人公を絡めたドラマ性が薄くなり、仲間との出会いと別れ(一時的離脱を含む)は見せ場になっても、通常イベントではパーティ内での絡みも弱く、NPCとの関わりも断片的で、天空シリーズほどの濃密なストーリーにはならなかった」
翔花「じゃあ、何が売りなの?」
NOVA「ゲーム的なパズルと発見要素を、6以上にいっぱい盛り込んだため、3Dグラフィックの建物の視点をぐるぐる回して、隠されている石板を探すのが楽しいとか、ダンジョン内の仕掛けが凝っていて楽しいとか、そういう遊べる要素だな。むしろ、ストーリーが邪魔しているようにも映るわけで、ドラマ性の薄さは後の9にも通じるものがある。ドラクエ7のキャラはドラマよりも、ゲームのためのコマ程度に割り切る方が不満なく楽しめるのかもしれない」
晶華「そういうダンジョンの仕掛けの楽しさは、ネットで感想語りをしていても、説明が難しいところね。ストーリーやキャラクターなら、あらすじや特徴を語りながら、その面白さを説明することもしやすいし、こういう話なら良かった、こういうキャラの見せ方なら良かったと願望を述べることもできる。でも、ダンジョンの仕掛けを振り返りながら、面白おかしく語るのって大変だと思う」
NOVA「同じ色のカラーボールをぶつけて割りながら、道を切り開く仕掛けとか、氷の床をツルツル滑るように動くダンジョンとか、街の中でも3Dマップをくるくる回すと、隠れた穴が見つかったとか、そういう細かいギミックはプレイすると思い出すけど、面白い語りのネタにはしにくいもんな。ドラクエ7はそういうゲーム的なギミックが非常に豊富で、ストーリー性の欠点を包み隠すゲームの楽しさとなっている」
晶華「ベストドレッサーコンテストとか、移民の町とか、転職で見つかる隠しモンスター職とか、やり込み要素が盛りだくさんで、遊びきれないぐらいだもん」
NOVA「ストーリーゲームにドラマ的な感動を求めるのか、元来のゲーム的な楽しさを求めるのか、というバランス感覚がなかなか難しいが、ドラクエ7は石板で世界を解放していくと、現実で遊べる場所がどんどん増えていくという楽しさがある。ストーリーが薄味な分、ドラマと関係ない遊びの要素をたっぷり堪能する楽しみ方もあるわけだ」
晶華「FFでミニゲームがどんどん増えて行くのも、それに通じるものがあるわね」
NOVA「世界が滅亡に瀕しているのに、例えばカジノで遊んでいる暇があるのかって意見もあるが、基本的にRPGって自分が物語を進めれば進めるほど、世界滅亡の危機が進展するジレンマがあるので、プレイヤーがカジノやミニゲームにハマっているうちは、世界滅亡の危機は進展しないというわけで、その辺は現実と違う(苦笑)」
翔花「現実は、自分が遊んでいようと、真面目に仕事や勉強をしていようと、時間は経過していくわけで、世界は滅亡しなくても、個人の生きる時間はどんどん失われていく」
NOVA「……って、そんなことを気にしてしまうと、夢中になって遊んだり、趣味語りできなくなってしまうだろうが。まあ、それでも語り残したいことがあるのが今なんだが、さておき。アイラについては、FF5との関連づけで考えてみよう」
FF5とドラクエ7
NOVA「FF5の終盤で、一番聞くことになる第3世界のフィールド音楽は、第1世界の軽快さ、第2世界のワクワク探究心に比べて、世界が無に飲み込まれる前夜の寂しさが溢れている曲調で、ゲームとしては一番あれこれキャラ強化を楽しみたいのに、ストーリーとしてはワクワクできない矛盾だ。せめてBGMを変更できれば嬉しかったんだけどな」
晶華「で、ここに来て、どうしてFF5なの?」
NOVA「実は、ドラクエ7が比較すべきゲームの王道は、ドラマ性重視の7〜9じゃなくて、冒険と発見の王道ゲームFF5だったんじゃないか、と思ったわけだよ。例えば、キーファ→アイラへのキャラ交代は、ガラフ→クルルに通じるものがあるとか、ガラフ要素はメルビンにも受け継がれているとか、そんな感じにさ」
晶華「異議あり。獣少年のガボは、FF6のガウ君じゃないの?」
翔花「主人公の船乗り君は? FF5のバッツ君とはつながらないよね」
NOVA「それは……バッツ要素とファリス要素をつなげてみたとか」
翔花「強引ね。マリベルさんとレナさんは性格的につながらないと思うけど?」
NOVA「そこが一番難しいんだよな。あえて口の悪い女の子を挙げるなら、FF6のリルムとかになるんだが、主人公に対してあそこまでツンデレぶりを発揮するヒロインってFFでは誰がいたかなあ」
晶華「……いないか。全部が全部、FFの引き写しじゃないと思うけど」
NOVA「まあ、いいや。とにかく、俺にとって、ドラクエ7が目指したのは、FF5的な探求のゲームで、ドラクエ6で果たせなかったことを、アンチテーゼ的に果たした作品だと考えるんだ。キーファについては、視点を変えると、かなりFF的な主人公の生き方をしているしさ」
晶華「FF的な主人公と言うと?」
NOVA「『ボーイ・ミーツ・ガールで、出自に縛られない自由意志の解放』ってところがさ。キーファの生き方は、ドラクエ世界で当時のファイナルファンタジー世界の主人公らしい行動を示したわけだよ」
翔花「伝統重視のドラクエ世界で、伝統破壊のFF的な反抗型ヒーローを演じたってこと?」
NOVA「そう。一方で、主人公は伝説の海賊の子って凄いよなあ。勇者じゃなくて海賊、つまりアウトローの血筋だぜ。俺、ドラクエ7の後は、海とアウトローの三部作が続くのかって思ったもん。まあ、実際は呪われた馬フェチと盗賊の物語と、地上に降りた見習い天使の物語だったわけだけど、もはや三部作単位で考えることに意味がなくなってしまったよな」
晶華「ドラクエ7が、前作6のシステム的発展版でありながら、6含む既存ドラクエのアンチテーゼ的ドラマということは分かった気がする。ドラマ性に力を入れた天空シリーズに比べて、ドラマ性よりもゲーム性を重視し、世紀末風陰鬱ストーリーとそれを改変して、過去の枠にとらわれない自分らしい日常を取り戻した、過去から未来を見据えたゲームってことね」
NOVA「きれいにまとめてくれたな。今はそういうことにしておこう。これで20世紀のドラクエ・FFマルチバース懐古の旅は終わり」
(当記事 完)