Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

仕事人2009・第9話感想

 今回の話、教育業に携わる者としては、少々生々しかったッス。
 ちょうど、学期末の保護者懇談会を行っている時期でして、「怪物親」とリアルに関わってしまう可能性だってありますからね。まあ、幸いにして、今のところはセーフですが。
 「親に心配かけまくりの厳しい状況の生徒」はいても、「教師を責めるような無体な親」はいないってことで。


 さて、そういう個人的状況はさておいて、今回の話は、自分的にはツッコミどころの多い回。
 基本的には「仕事人」しているのですが、時代考証とか、ストーリー的な解決とか何も考えていない、ただ、その場のノリだけで物語が展開する「後期風味の駄作」です。
 脚本家が、どうも時代劇のことを全く分かっていないようにも見えますし、教育風刺としても空回りしている感じ。一応、「教育に携わる時代劇ファン」として、こういう話は斬っていきたいと思います。

怪物親って

 現実の「モンスターペアレント」をどう定義するのかな。
 一応、行動パターンとして、以下の5つがあるみたいですね。

1.学校依存型(子供を朝起こせ、学校で汚れたので洗濯してくれなど「何でも学校に押しつける」)
2.自己中心型(劇の主役や習字の評価を高くしろなど「学校行事の日程変更なども要求」)
3.ノーモラル型(夜中、授業時間でも電話してくる)
4.権利主張型(風邪で休んだので給食費返還、住民税支払っているので給食費未納
5.ネグレクト(育児放棄、虐待)型(食事なし、服や髪の汚れ)

 そして、これらの行動を行うのは、基本的に「個人」だったりします。今回の物語のように、「集団で押し寄せて、一人の教師を吊るし上げる」のは、現実のモンスターペアレントではなく、その点、かなりディフォルメされておりますな。
 今回の物語になぞらえるなら、「叱られた子供に過保護になった親たちが、叱った教師に苦情を言う」のは、親としては当然と考えます。決して理不尽な追求ではない。教師の側には、その状況について親に説明責任があるわけですが、どうも本編中の描写では、集団に詰め寄られた教師が説明責任を十分に果たしていない。
 「私は子供達のことをいつも考えています!」と叫びながら、親を追い返す教師の姿は、結局、話し合いを拒否しているだけで、自分から被害を広げているに過ぎない、と。


 もちろん、「集団で吊るし上げられる」のは教師としてもハードな状況だから、本当に状況解決を図るなら、学問所の筆頭講師も交えて、きちんと落ち着いた話し合いの場を持つのが正道なんでしょうが、今回の物語では「筆頭講師や管理役人が、一人の講師をやめさせるため、陰で怪物親を操っていた」わけだから、まあ、そういう解決にはならないわな。
 でも、わざわざ「怪物親を操る」なんて手の込んだことをしなくても、筆頭講師や役人が手を組んでいるのだから、普通に適当な理由をこじつけてやめさせることはできなかったのかね。あんなに大騒ぎをしてしまえば、学問所の威信の方が崩れて、デメリットが大きいとも思うんだけど。
 どうも、強引に「怪物親」を設定したことで、こじつけ感の大きいストーリーになったようです。

町人の子と、侍の子

 さて、子供が叱られた理由ですが。
 「勉強をまじめにしない」ということなら、叱って当然。ただ、教師がいきなり「手を出して、悪びれない」態度を示すのでは、親も怒って当然。
 そこは、せめて「講義をおろそかにし、注意も省みず、受講態度が良くないゆえ、他の生徒への示しも考え、手を出してしまったでござる。その件については深くお詫びいたす所存なり。ただ、そもそもは御子息の受講態度にも問題があるゆえ、ご家庭の方でも厳しくしつけていただければ、当学問所としても助かり申す。父兄講師一丸となって、御子息の学問を応援していきたいと考えますが、いかがでしょうか?」ぐらい説明できれば、状況は変わっていたかもしれません。
 でも、被害者の講師・椿伊織は、そこまで誠意をもって語ることのできない「真面目さだけが取り得の、頭の悪い熱血教師」でしかなかったと。


 次に、町人の子としてイジメられる作太郎。彼をかばって、イジメっ子の侍子息をビンタする伊織。
 ただ、この時の彼の主張が時代錯誤もいいところ。「学問をするのに、侍も町人もない。みんな平等だ」と語るのですが、いや、それって福沢諭吉先生の主張で、幕末から明治にかけてなら通じますが、身分差別が当然の江戸時代の真っ最中に、そういう教育論を語られても困ります。
 「町人が武士に逆らうな!」 世間の価値観はこちらなんです。
 まだ「武士の子ともあろう者が、集団でたかだか町人の子をいじめるなど恥ずかしくないのか!」とか、「たとえ身分の低い者であっても、もっと仁の心で接しなさい」とか、そういう叱り方をしないといけません。
 どうも、伊織先生、口では「学問」と言っているけれど、この時代の「学問の中身」が良く分かっていない模様。いや、分かっていないのは脚本家の人? 昌平坂学問所を舞台にして、そこの講師を描くのなら、せめて「儒教っぽい説教」を語らせないとダメでしょう。
 いや、まあ、蘭学者という設定なら「反幕府的な開明主義」でも構わないんだけど、伝統的な儒学講師が「学問をすれば四民平等だ」なんてことを言ってしまうと、それだけで「危険思想の持ち主なので、当学問所にはふさわしくありません」とクビにされるのが正しい時代劇だろうと思います。


 まあ、百歩譲って、「学問をすれば偉い。学問をしなければダメ」という福沢先生的な思想にのっとるとしましょう。すると作太郎くんは模範的な生徒で……はありませんね。こいつも授業中に居眠りしてやがる(笑)。
 すなわち、作太郎がかばわれる道理はない(爆)。
 ん〜、確かに物語的には、「作太郎をかばう伊織先生はいい人で、源太(および多くの視聴者)が感情移入する」「作太郎をいじめる侍の子は悪ガキで、その親の役人はバカ親」という構図なんですが、伊織と源太の間に直接の交流があったわけでもなく、また伊織の価値観が物語の中で思いっきり空回りしているため、自分はあまり感情移入できなかったなあ。

未解決な物語

 結局、「怪物親」云々の話は物語の主題ではなくフレーバー。
 主題は、「息子に贔屓してもらうため、役人の親が学問所の講師に便宜を図ってもらおうと企てたんだけど、堅物の伊織くんが反発したので、殺しちゃいました」ということ。だから「仕事人が仇討ち」という流れだね。
 もしも、怪物親が主題なら、伊織先生にいやがらせをしまくった彼女達も、殺しの的になるのだろうけど、一応、怪物親は「役人によって巧妙にそそのかされた」だけだから、仕事の対象外。


 う〜ん、納得できませんな。
 一応、頼み人の依頼は「夫の仇討ち」なんだけど、それには自分達に直接イヤガラセをしてきた怪物親も含まれると思います。だから、役人と、結託した講師3人だけ始末して終わり、というのでは、物語として完全には解決していない、と感じるんですね。
 ただ、さすがに、あれだけ大勢のクレーマーと化した怪物親どもをまとめて始末することは難しい。それでも、何らかの罰は与えないと、椿伊織先生とその奥さんの被った精神的被害は解消されないでしょう。


 一応、役人が殺されたことで、その奥さんと悪ガキ息子は、経済的な苦境に立たされるかもしれません。でも、まあ、それだけ。
 ここに解決の道筋を示すなら、やはり「瓦版売りが、『昌平坂学問所の一部講師が不正行為を行ったり、謎の怪死を遂げたり、怪物親という悪女どもが暴れたりして大変だ〜。詳しくは、これに書いてあるよ』と社会的制裁を加えさせる」のが妥当かな。
 そういうことのできる仲間が身内にいた「仕置人」なら、納得できる結末も見られたろうにな。

理想の教育者

 他人の子でも、侍の子でも、自分および世間に迷惑をかけた子はしっかりドツける涼次さん(笑)。
 今回の話で、一番いいなあ、と思ったのが彼です。


 迷惑をかけると、しっかり周りの社会がしつけてくれる世の中ってのが、何だか理想のように見えてきました。
 何だかんだ言って、如月のスリを諌めたり、源太の裏稼業のお世話をしたり、実は教育熱の高い涼次さん。まあ、必ずしも「理想的な大人」とは言いがたいキャラですが、「世間慣れした粋な趣味人」という意味では、小五郎よりもこなれているなあ、と思いつつ。


 次回、源太イジメが定番になりつつあるメインライター(?)「寺田敏雄」脚本。
 「2007」や「2009新春スペシャル」の人でもあるけど、どうも「第1話」が空回りした感じなので、今度で失点を取り戻せるかな? 次回予告を見ると、ハードなストーリーっぽいけど果たして。