「サソード=スコーピオンワーム」という衝撃のオチは、2週間の間に、記憶の底に沈められ、
今回のメインは、加賀美くん。
まあ、サソードはドレイク同様、井上敏樹キャラだから、井上脚本のときに、展開→解決することでしょう。おそらく緻密なリアリズムよりも、ケレン味重視の作風で。
さて、ストーリー部分ですが、今回は前編なので、感想は後編に回します。それよりも……
平成ライダーと怪人の関係性
前回、時間の都合で割愛した考察をしておきます。
こういうシリーズを俯瞰した考察は結構、好きです。読むのも、書くのも。
ライダーでは、以前(4月1日)に「ライダーの資格」という形でやって以来ですが、
今回、昭和ライダーはパス。だって、昭和ライダーは「仮面ライダー本郷猛は改造人間である」というオープニングナレーションに代表されるように、基本的に「悪の組織技術で改造された、怪人と同出自」ということが、ほぼ固定されていますので*1。
クウガ
ということで、現在の時間枠の元祖ライダーであるクウガから。
これはもう、究極に進化した「クウガ・アルティメットフォーム」が、敵グロンギの最強怪人ン・ダグバ・ゼバと本質的に同じ性質を持つ、と描写されていることから、
クウガの力の根源である霊石アマダムが、グロンギ怪人の力の源と同種の存在と推察することができます。
ぶっちゃけて言えば、「クウガもしょせん怪人の一種」と*2。
もちろん、クウガを他のグロンギ怪人と隔てるのは、五代雄介の意志の力となるわけですが、精神性はともかく、物理的には「クウガ=怪人」ってことで。
アギト
アギトは「人類の進化形」と推察されていますが、進化していない通常の人類にとっては、怪人と変わりありません*3。
ただし、この世界における、やられ役の怪人アンノウン(ロード種)とは、異なる出自の存在。
この世界の背景では、「白と黒の2種の神」が存在しており、「白の神」は人類の進化を促し、「黒の神」は人類の安定(秩序)を志す。アギトの力は「白の神」に基づくものですが、その発現を阻止すべく、「黒の神」が配下のロード種を送り込み、「白の力」を宿した者を殺害していく……簡単にまとめると、こういう構図になります。
終盤、アギトの力、そしてアギトの力を宿していない人類の力*4までもが、ロード種および自分自身さえ傷つけるまでに成長したことに動揺、逆ギレした「黒の神」が、人類そのものさえ滅ぼそうと暴走したために、「アギト&人類連合VS神」の最終決戦に至る、と*5。
結局のところ、「白の神」と「黒の神」の力を同種ととらえるか、異質ととらえるかで、アギトとロード種が同種なのか、異種なのかという判断が変わるわけですが*6、
通常人にとっては、「暴走したアギト」も怪人と同程度に危険、と判断せざるを得ない……おそらく平成ライダーの中でも、最も複雑な構造を持つ作品、と言えます。
なお、ギルスはアギトと同種ながら、より不安定な存在。
G3(強化型のG3X、およびG4)は、人類の科学技術で生まれた存在ながら、やはり強化しすぎて暴走するなど、「過ぎた力の制御」などもテーマとして描かれておりました。
龍騎
ミラーワールドに生息するモンスター。その力を借りて戦う戦士、それがこの世界のライダーです。
「ライダー=怪人と同種の存在」という構造ではなく、「人間+怪物の力=ライダー」という変化形。怪物そのものになるのか、怪物の力を借りて使うだけなのか、という差がある、と。
ただ、この「人間」というのが曲者で、「欲望のために戦う人間」は、ある意味、「本能だけで人を襲うモンスター」よりも性質が悪いのでは? と考えさせる辺りが、『龍騎』を社会派ドラマの域に踏み込ませる、とも言えます*7。
もっとも、「モンスターとの戦い」「ライダー同士の戦い」は、通常人には感知し得ないミラーワールド内に限定していたため、前作ほど社会全体を巻き込んだ展開にはならず、
あくまで「ミラーワールドに関与してしまった個人同士のドラマ」として小さくまとまってしまったのが、自分としては残念に思えます。
ラストで、「世界そのものが、一個人の心の産物でしかなかった(あるいは一個人の心に歪められた)」と受け取れる辺り、世界として閉じてしまったなあ、と*8。
555(ファイズ)
主人公=怪人オルフェノクです。
ライダーシステムは、そのオルフェノクの力を強化するアイテムと言えます。
構図にすると、「人間(怪物)+強化アイテム=ライダー」となりますね。
人類の進化という意味では、『アギト』を発展継承した作品ですが、警察という治安組織を積極的に描いた『アギト』と異なり、実体の見えにくいスマートブレインという企業が背景であった点から、社会派ドラマの方向には進まなかったのが残念と。
シリーズ的にも前作辺りから、確固とした組織の目から社会全体を描くことよりも、個人の内面に描写がシフトしていった、と考えられますね。
剣(ブレイド)
龍騎からカードシステムを継承しており、「人間+怪物の力=ライダー」という同じ構造。ただし、カリスのみ「=怪人」という別パターン。
終盤、「怪物の力」を使いすぎると、「侵食されて怪物化する」という流れで、「主人公の怪物化」というドラマが示されますが、何となく「ゲームシステムの裏技を駆使して問題解決*9」って感覚が、素直に感動できない要素かなあ、と。
社会ドラマとしては、やはり序盤にボードという組織が壊滅して、その後、組織のバックアップがあるのかないのかすら不明瞭なまま*10、主人公たちと社会のつながりにリアリティがなかった点も、作品全体としてはマイナス要素。
響鬼
「鍛えれば鬼(ライダー)になれる」。
その能力は敵の妖怪(魔化魍)とは無縁だけど、戦国時代には「異物」として排除されがち……大きくまとめると、このような構図ですね。
一歩、間違えれば暴走しかねない力を、「猛士」という組織がしっかり管理している印象があり、「システマチックに妖怪退治」を続けている世界観。
あくまで「師弟のドラマ」ってことで、社会との接点がどうこう言う作品ではないのですが、明日夢の日常生活が比較的リアルに描かれていたため、全体としては「地に足ついた作品」という印象。
いや、番組中盤の製作陣の急変など、背景として「地に足などついていなかった」のですが、序盤に生まれた日常的リアリズムが世界観を終始、安定させていたかな、と。
前半は「日常的リアリズムあふれる世界観」*11、後半は「日常の裏に隠れた情念」「暗躍する妖怪の謎」に焦点が当たったりもする*12わけですが、その中で「明日夢はあくまで日常の中に、自分の居場所を見つけた」という点が、全体を上手くまとめた、とNOVAは評価します。
まとめ
う〜ん、「ライダーと怪人の考察」のはずが、世界観構造まで踏み込んで考えすぎることになった気が……。
まあ、怪人について考える際に、「その怪人を生み出した組織や社会」について考えざるを得ないわけで、必然的に世界観に目が向かった、としておこう(笑)。
なお、「カブト」については、ZECTが当初、「G3をサポートする警察」の発展形的な磐石な組織と思っていたのが、どうも「スマートブレイン」「ボード」のような暗躍する怪組織になってきて、不満だったり。
ハードボイルドな雰囲気のある田所チームは好きですが。
劇場版では「ゼクトVSネオゼクト」の対立関係に、「中立的立場にあるカブト」が関わり、騒動を広げる(あるいは解決する)って展開らしいですが、TV版とはパラレルワールドってことで確定。
*1:悪の組織の技術と直接関係なさそうなのは、「X」「アマゾン」「スーパー1」「J」ぐらいですが、裏読みすれば、それらの技術も悪との接点があった、と推察することが可能。
*2:その意味で、警察による呼称「未確認生命体4号(白クウガは2号)」も的を射ていたわけです。
*3:イナズマンにおけるミュータント「新人類」に比べられる。
*4:変身能力を奪われたアギト翔一や、通常人代表の氷川
*6:NOVAは異種と判断。
*7:その雰囲気をたたえたセリフがスペシャル版のベルデの「人間はみんなライダーなんだよ」。「ライダー=人の姿をした怪物」ととらえるなら、実に意味深。
*8:文字どおり、「戦いを終わらせるため、ミラーワールドを閉ざす」がテーマだったわけですが。
*9:「ダブルジョーカーの両立によりバトルの決着をわざとつけない」ことで、破滅を回避。
*10:「組織はフォローをしないけど、給料だけは支払われる?」とか、終盤「実はトップが独自の欲望で暗躍していた?」と分かるものの、それまで主人公たちが自分の所属する組織のことに無関心だった点とか
*11:ただし「ミュージカル部分は異質」「日常生活がドラマの中心のため盛り上がりに欠ける」などという批判もあり。
*12:当然、「前半ののどかな雰囲気を崩した」「謎を未解決のままにして終わった」などの批判もある。