Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

特撮とアニメの対比概論2

寄り道は続く

 

NOVA「結局、寄り道から抜け出せないことに気づいた」

晶華「どうして?」

NOVA「妖精郷はクライマックスの翔花救出だろう? プロットはあって完成品のイメージもでき上がっているんだけど、気を逸らす異物が頭に入り込んで、今のまま書いても、良い物にならないと思うんだな。翔花救出に専念するには、まず雑多な想いを吐き出してから、ということになる」

晶華「つまり、5月4日の前にお姉ちゃんを助けられなかったら、件のコメント主のせいなのね」

NOVA「いやいや、そこで他人のせいにするのは美しくない。俺の心が集中できないのは、俺のせいだし、『創作家のデリケートな心は、人を楽しませる創作家の本義を見失った者には、想像できない』から、相手にそういう善意を期待してもダメなんだ」

晶華「どういうこと?」

NOVA「創作家にももちろん光と闇の両面があって、『自分の創った作品が受け入れられて、人を幸せにできて、称賛されたら自分もフィードバックを受けて幸せになれる』 これが理想だな」

晶華「『作った料理が美味しくて、喜んでもらえたら、また作ろう』って気になるものね」

NOVA「まあ、それほど美味しくなくても普通に食べられるとか、腹が減ってるから何でもいいとか、こんな不味いものを食えるかとか、そもそも『君の味の好みはぼくの舌に合わないから誰か他の人にあげた方がいいよ。ぼくは自分が好きなものを作って食べるから。君がぼくの料理を楽しんで、そういう味に合わせてくれるなら食べてもいいけど、君の料理の腕では、そこまで器用に作れないだろう? 君の言動を聞いていれば分かる。料理の舌が肥えていないだろうってね。ぼくが美味しいと言ってるものを、ろくに味わえていないんだから』とか、いろいろなリアクションはあるだろうけど」

晶華「『練習して、美味しい料理を作れるようになったの。だから食べて』と相手が言ってきたら?」

NOVA「スイーツが食べたいと言っている人間に、『激辛カレー』は味の好みを無視しているし、『毒入りチョコ、食べたら死ぬで』って表示されているようなものを食べたくはないだろう?」

晶華「毒入りチョコって分かるの?」

NOVA「作り手と会話していれば、どういう価値観を持っているか読めるから、そこで作風が合うか合わないかは分かるだろう。もちろん、性格は合わなくても、作ったものは美味しいというケースもあって、イヤミだけど料理の腕は本物と舌鼓を打つようなマンガを最近読んだ」

晶華「だったら、もしかすると面白いかも?」

NOVA「それなら、俺が読まなくても、誰かが評価してくるだろう? そもそも、創作家ってのは『自分の創ったものが一番面白い』とナルシストになる気持ちと、『創ってみたけど、自分の理想の作品とは違う』とがっかりする気持ちと、『だけど、誰かに褒めてもらった。もしかすると、本当は面白い? だったら、もっと面白さを追求しよう』って他者評価が自尊心につながる気持ちと、『自分の中では傑作なのに、どうして世間では受け入れられないんだ? 世の中は自分のことを分かってくれない』と妬み嫉む気持ちと……まあ、個人差は多かれ少なかれあるにしても、いろいろ気持ちが揺れ動くよな」

晶華「NOVAちゃんも?」

NOVA「自分が想像できない気持ちは、言葉にできません。ただ、他者からの評価は、そりゃあれば嬉しいけど、それは俺の中の絶対的な基準にはならないの」

晶華「どうして?」

NOVA「お前がいるからさ」

晶華「え? ええ? それって、どういうこと? 愛の告白?(赤面)」

NOVA「具体的には、自分の中に自分を愛するブレない柱となるメタな核を構築できているかだな。世界の全てが敵に回っても、俺は自分を信じる……って強い想い? まあ、創作では誇張表現でたまに見かけるし、信じるものが自分以外の愛する人や、仲間、師匠、あるいは神さまへの信仰とか、大事なものが何かという点で、そのキャラの性格もろもろが決まってくる」

晶華「私は、NOVAちゃんの大事なものなんだ」

NOVA「そうなるように、ブログで育てた。最初は、よく分からない幻みたいなイメージだけど、言葉を紡いでいるうちにキャラクターが見えてきて、エピソードが見えてきて、イマジナリー・フレンド(IF)ならぬイマジナリー・ドーター(ID)ってところだな」

晶華「現実じゃない仮想の存在ってことよね」

NOVA「そういうキャラを頭で創って、何らかの形を与えることが創作ってものだろう? そして、エピソードが重なって、日常でお喋りしたり、一緒に事件を解決するストーリーを紡いだりしているうちに、自分の中でかけがえのない存在になっていく。あとは、そういうキャラが自分だけのものではなく、他の人も受け入れるようになれば、自分一人じゃない仮想現実を紡ぎ上げたってことじゃないかな」

晶華「つまり、私はNOVAちゃんにとって現実?」

NOVA「まあ、俺はフィリップ・K・ディックが好きだし、尊崇するとまでは言わないが、『現実と幻想の境界線』というテーマでSFファンタジー観に結構、影響を受けていると思う。もちろん、ディック以外も好きなSF作家、ファンタジー作家、その他、いろいろな作品は数々いるけれど、それなりに血肉にしているのは間違いないけど、果たして自分は本当に自分自身なのか、とか、現実と虚構のどちらが真の姿なのか、というテーマは哲学的で、『想いを現実に変える力』というのは、近年のフィクションの王道とも言える」

 

想いを現実に、現実を幻想に

 

晶華「このブログも、『想いを現実に変える力』というのが広範な抽象的テーマだったりもするのね」

NOVA「『現実と幻想の境界線』は言い換えれば、『自己と他者の境界線』にも通じる」

晶華「自分が現実で、他人は幻想ってこと?」

NOVA「誤解を恐れずに言えば、自分以外のものは全て『自分の脳の認識作用が受け止めた非実体の姿』という哲学もあって(土台はデカルトの『我思う、ゆえに我あり』からつながるが)、自分以外のものが全て消えても、自分の考える力、想い創る力が残っていれば、自分が世界を想い描くことで世界はまた蘇る……ってな話は、どこかで聞いたことがあるだろう?」

晶華「特撮ヒーローも、ゲームのキャラも、最近はみんな言っているような気がする」

NOVA「世界の外から世界を創り替えるとか言ってるラスボスが増えたからなあ。多元宇宙のメタ構造視点で、ゼロ年代に流行したセカイ系が進化したような作品だ。いわゆる異世界転移ものも『世界の外から、世界をゲームとして熟知している主人公』が、知識的、あるいは技術的優位を活かして、箱庭世界で成り上がっていくのがジャンルの概要。言わば、観察者としての知識と経験と、その他、特殊なチート能力があるから、それらを駆使して一応は論理的に、他者を説得し、問題に対処し、ゲームのようにミッションをクリアして、自分の居場所を構築し、仲間と共に理想郷を目指す。その中で大切なのは、主人公の想いとかこだわりだ。そもそも、その世界に愛着がなければ、ゲームなんて続けられないからな」

晶華「異世界転移ものってゲームなの?」

NOVA「大体は、ゲームの文脈に沿って物語が展開するし、そのゲームのジャンルがTRPGだったり、オンラインゲームだったり、戦争系のシミュレーションゲームだったり、美少女育成ゲームだったり、主役美少女かライバルの悪役令嬢が主人公の乙女ゲームだったり、まあ、後はゲーム世界の勇者的主人公ではなく、ラスボス魔王や、チート能力を得て覚醒したモンスターや、街の一般市民だったり、落ちこぼれ冒険者だったり、どんどん主人公のヴァリエーションが広がっていくな。ゲームの主役以外の脇キャラが主役を凌駕する下剋上的な作品が増えている」

晶華「妖精郷リプレイも、そういう系譜と考えていいのかしら」

NOVA「むしろ、先にそういうシナリオの『フェアリーガーデン』があって、この10年の間に成熟したジャンルだと認識している。まあ、プレイヤーキャラの設定なんかは、今風のなろう小説の影響も受けてるけど」

晶華「話を戻すと、自分が現実で、他人が幻想と言うのは、そういう世界観に帰結するのね」

NOVA「そういう流れだな。異世界転生ものの主人公は、世界の外にいた自分だから幻想世界の住人ではなく、現実世界を知るメタ的存在。ある意味、ほとんどの読者が感情移入できる分身か、少なくとも異世界のガイド役と言える。一方、その世界に登場するゲーム内キャラ(NPC)は幻想だろう。だけど、主人公はその幻想をまやかしと受け取らず、現実と同じぐらいの熱意で感情移入して耽溺するわけだ」

晶華「現実の人間が幻想に耽溺する姿を、読者自身と良い意味でオーバーラップさせる物語構造だと」

NOVA「現実よりも幻想世界の方が楽しくて、充実した人生を描ける。まあ、それなりに試練もあるけど、自分を理解してくれる仲間さえいれば、頑張って乗り越えられるさって感じだな」

晶華「虚しい夢ね」

NOVA「まあ、そう言うな。そういう気楽なハッピー物語で心を癒して、現実の試練に向き合うエネルギーに変える読者も多くて、別に現実逃避が全てってわけじゃないんだから。現実の社会を描いた小説で現実の一部を知った気になることもあれば、時代小説やミステリーで歴史のお勉強とか推理という頭の体操を楽しむこともあるし、自分以外の誰かのゲームを文章で追体験したり、IF展開を楽しんだり、楽しみ方は人それぞれだろう。世界の中に入っていない人間が、外から分かったような顔して、現実逃避がどうこうと論じるのは、物事を一面的にしか見ていないと俺は考えるな。個人の感想ならともかく、実際に楽しんでいる者の立場で寄り添うことなく、安易に分かった気になるのは、全体の半分しか見えていないので、批評としてはお粗末だろうな。経験せずに語っているならば」

晶華「NOVAちゃんは、経験していない人間が安易に批判するな、のスタンスだもんね」

NOVA「少なくとも、食べたことのないものを、見た目が不味そうと言うだけでは、正当に評価、分析したりはできないだろう?」

晶華「じゃあ、コメント主さんの小説を読んであげたりは?」

NOVA「今さら評価したくもないからな。何で、コメント文の8割近くで迷惑をかけるだけの男の小説を読んで、好意的に感想をよこさないといけないんだ? 俺がコメント文にレス付けているのを『自分への興味』と言って、ドヤ顔で勝ち誇っているような奴に掛ける言葉は、『お前が迷惑を掛けてくるから尻拭いして、転禍為福できないかと考えている管理人』はただただ、呆れて、うんざりしている、とな。まあ、『迷惑をかけることで、相手に叱られて、それでも相手をしてもらえた。興味を惹いた。自分の存在価値は他人を困らせることで証明される、というようなお子さま心理状態』と、こちらは見ているわけで」

晶華「つまり、NOVAちゃんの脳内イメージは?」

 

敵「やいやい。オレサマの相手をしてもらうぞ」

NOVA「また、お前かよ。もう、いい加減にしろよ。お前の相手をするのはつまらないって言ってるじゃねえか。俺には俺のしたいことがあるんだ」

敵「オレの相手をしないと、オレが死ぬぞ」

NOVA「はい? 勝手に死ね……とは言わんが、だったら、俺の土俵で勝負してもらう。『ウルトラマン』と『ドラクエ』の話はできるか?」

敵「(無視して)オレサマの尊崇する人曰く……」

NOVA「そんな話は聞いてねえ。俺の流派はコロナ脳ではなくて、特撮ヒーローだ」

敵「フッ。特撮ヒーロー敗れたり。時代はアニメだ」

NOVA「だったら、アニメ好きな奴らのところに行って、そっちで話をしてろ。俺はアニメを見下すつもりはないが、特撮をバカにする奴と話す舌は持たん」

敵「特撮はこれこれこういう理由で、アニメに劣る。どうだ、勝った」

NOVA「(プツン。何かが切れた音)ほう、それで勝ったと言い張るか。この愚か者め。貴様ごときの技や力量で、何かを論じたつもりになったとは片腹痛いわ。やむを得ん。我の長年の研鑽で鍛えた技を今こそ見せてくれるわ。いかに貴様の技が浅はかか、思い知るがいい」

 

晶華「……そう話をまとめると、何その茶番って気になるのよね。私としては、早く妖精郷の冒険に戻りたいんだけど」

 

改めて特撮とアニメの実体

 

NOVA「以上が前置きだ」

晶華「5000字も書いて?」

NOVA「特撮とアニメの本質を語るのに、俺が好きなのは『現実と幻想の境界線の物語』だという前提をどうしても伝えたかったんだ」

晶華「うん、伝わった。それで結論は?」

NOVA「端的に言えば、アニメは『絵』で、特撮含む実写は『写真』、ついでにCGは『実物を持たないデジタルデータ』の集合体ということになる」

晶華「ええと、前回のラストで、『アニメはどこまで行っても絵空事であり、特撮は現実から空想への橋渡しをする魔法である』と述べたのは?」

NOVA「アニメと実写の違いは『絵』と『写真』の違いでしかないだろう? 絵は作者のイメージを描き、写真は現実世界を映し出す。どれだけリアルに描いても、アニメは絵空事であり、実写映像の映し出す現実とは違う世界だ」

晶華「じゃあ、コメント主さんの主張する『アニメと特撮の違い。それは前者はマンガと同じくキャラのデフォルメ、背景、交換音と擬音を用いた描写や演出ができますが、後者はそれが難しく写実的な描写や演出が主流だということだと私は思います』については、どういう意見?」

NOVA「本質を外してるな。少なくとも、音の描写については、アニメと実写はどちらも大差ないだろう。どちらもアフレコで声を収録することはあるし、絵に合わせて(時には絵が完成する前から先に)声を収録するアニメと、役者やスーツアクターの演技に合わせて声を収録する特撮ものの細かい違いはあっても、声や音は枝葉として切り分けよう。デフォルメ云々だが、例えば劇画調の絵柄を元にしたアニメは、極力、実写のイメージに寄せたキャラ作りをしている。視野の狭い彼が思う以上に、アニメの世界は広範だ。絵と写真の違いという観点からは、絵の歴史の方が明らかに写真の歴史よりも長いわけで」

晶華「まあ、絵は原始時代から描かれていたけど、写真が発明されたのはいつだっけ?」

NOVA「1825年、フランスの発明家ジョセフ・ニセフォール・ニエプスが撮ったものが『現版が存在する世界最古の写真』らしい。それ以前の16世紀から、投影された風景を絵の形でトレースして描き出すことのできる『カメラ・オブスクラ』という機構があったらしいが、それは映し出した映像を人間の手で描く絵であって、いずれにせよ、歴史の流れ的に『絵→写真』という前提がまずある」

晶華「だったら、実写映像よりもアニメの方が早いわけ?」

NOVA「写真技術は19世紀前半に確立され、そこからの進化として、19世紀末に発明王エジソンやフランスのリュミエール兄弟が、複数の写真をつなげて動かすシステムとしての映画(活動写真、モーション・ピクチャー)を公開した。エジソンは小さい箱を覗き込んで動く写真を鑑賞する装置だったのに対し、リュミエール兄弟の方はスクリーンに投射する現代の映画スタイルを生み出したことになる。時は1895年の話だ」

晶華「アニメの元祖は?」

NOVA「世界初の映画内でのアニメ表現とされるのは、1902年の『月世界旅行』中におけるロケットの移動シーンで、実はアニメは非現実を映し出すための特殊撮影技術の一つだったんだ」

晶華「要するに、アニメは特撮の一ジャンルだったってこと?」

NOVA「最初は実写映像の中に、絵による特殊撮影を一部投入する形でアニメという手法は用いられた。もちろん、映像になる前は、パラパラマンガみたいに複数の絵を高速で動かすことで人間の視覚を錯覚させる形で、絵そのものが動作しているように見せる機械は作られていたわけだが、実写映画の中の技術として使われるようになったのは20世紀になってから。その後、実写を含まない純粋アニメも作られる過程を経てから、映像に音声を付与したトーキーが発展する流れに合わせるかのように、1920年代からディズニーの古典的アニメ群が生み出されていく」

晶華「特撮は?」

NOVA「広い意味の特撮は、1895年の映画誕生年にすでに生まれている。歴史ロマンで、女王の首を切り落とすシーンを撮影する際、斧を振り上げるシーンまでを撮影してから、次のカットで女優の代わりにダミー人形を置くことで、処刑したかのように見せるシーンにつなげる。まあ、最初の仮面ライダーの変身も『変身ポーズを撮る→光るベルトのカットがアニメ絵的に挿入→変身後のスーツアクターに切り替わる』という、実写と絵の組み合わせの産物なんだ。別に実写とアニメは対立していたわけではない」

晶華「何で対立したの?」

NOVA「アニメは絵だから、現実じゃない。現実じゃない=現実に生きる大人にとっては子供だまし→卒業しないといけないという風潮が、70年代において主流になったからな。日本のTVアニメの歴史は60年代に始まるけど、それから10年そこらが経過すると、幼少期にアニメを見ていたけど、何だか幼稚という形になる。

「だけど、70年代の終わりからSFブームと共にアニメブームが起こり、80年代になってリアルSFやミリタリー、模型と連動して子供の趣味ではない若者文化を象徴する流れになり、人気マンガのアニメ化なども盛んになって、アニメというジャンルがどんどん広がっていく。やがて、一部のアニメファンは自分たちが見下されたのと同じルサンチマンを晴らすための生贄を求めて、特撮ヒーロー物を幼稚な卒業しないといけないジャンルとして、見下す傾向が発生する。大体、80年代後半辺りからだな」

晶華「何それ? 自分たちが見下されたから、お返しに他を見下すと言うの?」

NOVA「全員がそうだというわけじゃないだろうが。一部の過激な論者が、アニメの80年代における発展を背景に、アニメは凄い、それに比べて特撮ヒーローはいつまでも幼稚なことをやって情けない。もっとスターウォーズみたいな凄いものを作れないのか? って雰囲気に流されて論陣を張っていたのが80年代だな。ただし、そういう論陣を張っていた者の一部は、アニメしか見ていなくて、『宇宙刑事ギャバン』以降、急発展していく特撮作品を観察していない。だから、特撮ファンの方がより根強くルサンチマンを蓄えていく流れになるわけだ」

晶華「バカにされたから、バカに仕返すなんて、そういうのは何て言うのかしら?」

NOVA「負のスパイラルかな。一方で、特撮は本来、アニメと対比する言葉じゃないんだな。アニメと対比する用語は実写であって、特撮は実写の一ジャンルでしかない。だから、アニメの対立軸として、特撮を挙げる人間は、実写ドラマという大きな対立相手を敵にすることは避け、与しやすい子供番組と見なして、特撮者を幼稚とバカにするんだな」

晶華「要するに、弱い者イジメ?」

NOVA「特撮ファンが弱いかどうかは異論があるが、市場規模の観点で言えば、実写>アニメ>特撮となるからな。今はアニメ>特撮>非特撮の実写となりそうだけど」

晶華「え? 実写が衰退した?」

NOVA「と言うか、特撮ファンはずっと特撮が好きで、年季の入ったマニアになって、いつまでも特撮愛を抱き続けて、戦隊やライダー、ウルトラ、ゴジラを初めとするシリーズを追いかけ続けていくんだよ。特撮教というような宗教的忠誠心を持ち続けてな。そして、アニメ監督の中にも、『自分は本当は特撮が好きなんだけど、それだけじゃ飯が食えないから、アニメで稼いで、特撮に投資します』というようなことを堂々と述べる庵野監督みたいなこだわり屋がいて、隙あれば、アニメ映画にも特撮のエッセンスを汲み込んで、アニメと特撮の境界線を踏み越えようとする。特撮ファンは別にアニメを見下さないけど、見下された時の過剰反応は凄いことになる。それじゃないと、自分の好きなものは守れないという信念があるからな」

晶華「やられたらやり返す?」

NOVA「3倍返しが俺の流儀でな」

晶華「文章量的には、もはや3倍じゃ済まないと思うけど」

NOVA「だったら、30倍返しだ」

晶華「エスカレートした!?」

NOVA「今の俺は、フリーザクリリンを殺された時の孫悟空のような激怒状態になっているぜ」

晶華「それは特撮ファンじゃなくて、アニメファンのノリでは?」

NOVA「じゃあ、特撮ファンらしく、『俺の怒りは爆発寸前』とアークインパルスを放つか、『怒る』と瞬転するか、『絶望がお前のゴールだ』と振り切るか、どれがいい?」

晶華「……現実に戻ってきたらいい、と思う」

NOVA「チッ、娘に諭されたなら仕方ない。あの野郎、命拾いしたな」

 

現実の境界線の話

 

NOVA「そもそも、特撮は80年代にアニメの後塵を拝したのも事実だが、90年代にいろいろと復権するんだな」

晶華「どのように?」

NOVA「まず、特撮と実写ドラマの関係について触れておこう。本当はもっと先に触れる予定だったが、ルサンチマンがどうこう書いているうちに、封印していた昔の恨みに火が付いちまった」

晶華「業が深いわね」

NOVA「特撮という用語は、広義と狭義があるんだが、アニメファンが見下す対象として話題に挙げるときは、子供向きと扱われた変身ヒーローや怪獣・怪人を指すことが多かった。だけど、当の特撮ファンは、それらの番組を追いかけつつ、JACのアクション活劇や、『太陽にほえろ』『西部警察』などの刑事ドラマ、美少女アクション系譜の『スケバン刑事』、伊藤かずえや松村雄基などの出てくる大映ドラマ、そして『必殺シリーズ』や『影の軍団』などの時代劇にも食指を伸ばして、子供心と大人心を使い分けていたんだ。アニメファンが総じて、キッズ向きアニメから卒業し、流行に合わせてうろちょろしている間に、特撮ファンは特撮ヒーローだけだと見る物が少ないという事情もあって、自分たちの受け皿を、若者向きとされる実写ドラマに向けて、それぞれの需要を満たしていたんだ。それが80年代」

晶華「広義の意味では、刑事ドラマも特撮に含まれるの?」

NOVA「カーチェイスの末に車が爆発したり、銃撃戦とか格闘で犯人を逮捕するようなアクション物が、特殊撮影技術抜きで作れると思うかね?」


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NOVA「刑事ものは特撮ファンの受け皿になりやすいジャンルだったな」


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NOVA「一応、これも特撮の一種だし」


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NOVA「ハングマンもそうなるな」


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NOVA「ともあれ、70年代から80年代にかけては、子ども向きとされた特撮ヒーロー作品を卒業しても、同じ遺伝子を持つ非特撮ヒーローアクション実写ドラマは普通にあったんだが、80年代の終わり辺りからバラエティ番組や青春恋愛トレンディードラマが主流になって、この手のアクションドラマのエッセンスは特撮ヒーローの方に流れ込むようになったんだな」


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NOVA「90年代の特撮ものは、大人向きのアクションドラマが激減するにつれて、そういうものを見たいファンの需要を取り込み、従来の変身ヒーロー路線から、もっと大人向きの方向性にブラッシュアップされるようになり、後の平成ライダーへの礎を築く流れになる。もちろん、途中で紆余曲折あって、子ども向きへの揺り戻しがあったり、試行錯誤の連続だが、総じて90年代はアニメより10年ほど遅れる形だったにせよ、『大人の鑑賞に耐えるリアル系特撮ヒーロードラマへの模索』が行われ、特撮ジャンルは子ども向きという偏見を過去のものにしていった。それが平成ライダーの開始以降は花開く形になって、いわゆるニチアサ枠として定着し、一方でウルトラもゼロ年代半ばから10年代に入る頃に、割とコンスタントに劇場作品なども作られるようになって、世代を越えたヒーローとして受け継がれるようになった」

晶華「そして、今の特撮ヒーローは単にマニア向き作品ではなく、ファミリー向き作品として前向きなメッセージを送るようになっているのね」

NOVA「特にウルトラは子ども向きだけでなく、子どもを育てる大人としての視点も取り込んで、『行方不明の親を探す主人公』とか『子どもを心配し、居場所を維持しようと頑張る親』とか『理想的な上司たる隊長と、未熟な新人隊員の職場のドラマ』とかを示しながら、広い層を取り込んだ物語になっているな」

晶華「すると、NOVAちゃんは特撮ヒーロー物を現実の延長線上にあるものとして見ているのね」

NOVA「その通り。アニメでは夢を描くといっても、基本が絵空事のために、非現実の世界で夢や希望を描き、そこに感動することはあっても、どこまで行っても夢なんだ。アニメでは実写特撮で描けない夢の世界が描けます。うん、それぐらいは、わざわざドヤ顔で主張されなくても分かるさ。そんなこと、常識だろうってレベル。もちろん、夢を描くと言っても、決して簡単ではない。非現実に命を吹き込むことがアニメーションの意味。元が非現実なんだから、虚構なんだから、アニメが目指すのは夢の追求ではない。いかにリアルに近づけるかっていうのが今のアニメの課題だし、目指していることなんだ」

晶華「アニメだから夢の世界が描けます。だからアニメが凄いって話は、そもそも今のアニメを理解していないってこと?」

NOVA「うん。普通にアニメを追っかけている人間は、そんな当然のことをわざわざ主張したりしない。いや、まあ、70年代の終わりから80年代にウルトラマンがアニメ化された辺りでは、それが売りだったんだけどな。実写では難しい絵が示せるという円谷の実験だ」


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晶華「実は、このジョーニアスと同じ79年に始まったのがスカイライダーだったんだが、俺は最初スカイライダーもアニメだと勘違いしていた。理由は、当時愛読していたテレビマガジンで石ノ森さんのイラストで空飛ぶライダーのイメージが紹介されて、ああ、マンガね、と受け止めていたら、次の号で実は実写のライダーだったということが分かって、そこで初めて、ハングライダーというものを知ったと思う。

「空飛ぶライダー、格好いいと思ったんだけど、この飛行がただ飛んでいるだけで、アクションには絡んで来ない。飛行シーンだけバンク絵で撮影され、ライダーの一番の特徴なんだけど、雑誌で紹介されるほど飛行が盛り上がらないのが残念に見えた。先輩のV3が空飛ぶ怪人のツバサ軍団に苦戦したので、飛べるスカイライダーがそれを披露して、V3が感動して『おお、これなら飛べる怪人が出現しても、大丈夫だな』と後輩を激励する雑誌独自のスチールエピソードがあったんだけど、結局、スカイライダーがセーリングジャンプで怪人と空中戦を披露したTV本編での記憶はなく、主に空から地上の怪人を追跡したり、アジトを探したり、戦闘以外の活用方法だった」


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晶華「何、スカイライダーさんをディスってるの?」

NOVA「いや、当時、流行していたスーパーマンさんのマネをして飛ばしてみたけど、スーパーマンはバイクに乗らないから基本の移動スタイルが飛行なんだな。一方で、ライダーは基本的にバイクに乗るヒーローだから、バイクアクションの方がスタッフも撮り慣れているし、ライダーブレイクの方が見た目が派手で力強く、単純に格好いい。やがて、栄光の7人ライダー先輩に特訓を受けて(それは燃えた)、色が変わって、バンク映像が使えなくなって劇中では飛ばなくなった。まあ、リアルタイムの視聴時は、ゲストライダーとの共闘アクションに夢中になっていたので、もう飛行シーンがなくなったことを気にしてもいなかったけど」

晶華「もし、スカイライダーがアニメで作られていたら?」

NOVA「飛べるのが当たり前になると、最初はワクワクしていても、つまらなく感じていたかも。スカイライダーの飛行はがっかりしても、リアルにハングライダーのシーンが出ると、そっちにワクワクしたし、当時は合成も見抜けていたから、作り物よりも現実に驚きと凄さを感じる時期だった。今、見ると、空撮映像が手間を掛けたんだなあ、とか、ライダーブレイクの映像の作り方に感心したりするけど、スカイライダーの飛行の残念さは、その数年後、こちらを見て、やっぱり特撮は凄いって気になったし」


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NOVA「特撮技術が、スカイライダー→スーパー1から、1年開いて、宇宙刑事シリーズに至って見違えるぐらいに発展したので、この80年代の技術の進化はスターウォーズの影響もあって、非常に高まっていたんだけど、当時は特撮雑誌なんてのもなかったからか、評価が追いついて来なかった気がする。いや、評価していた人はいっぱいいたのかもしれないけど、ネットもない時代だし、俺の周りには伝わって来なくて、特撮ファンとしては肩身の狭い思いもしていたな。一番盛り上がっていたのはこれだったし」


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晶華「NOVAちゃんは、マクロスよりも宇宙刑事が上だって考えてるの?」

NOVA「いや。どっちも凄いと当時は感じ入ってたし、どっちが上かなんて別に考えることもなかったな。当時のSF映像ファンは、ガンダムマクロス宇宙刑事もそれぞれ凄いと感じて、つまらない粗探しよりも先に、自分たちの味わった感動を話し合っていたと思う。だって、せっかく同じ作品を見て、同じような感動を味わえて、ジャンル業界の発展と進化をファンとしても肌で感じて盛り上がる場面で、いきなり粗探しなんて始める奴は敵だぜ。そういうのは90年代に露骨に発生したな、と記憶するけど、ファンが二人いれば、『なあ、昨日の話見た?』『おお、あのアクションは体を張っていて凄かったな』『グランドバースの、あのデザインは人型を微妙に崩していたのがSFっぽくてリアルやな』『マクロスの変形も無茶やけどリアル』って感じで、感動を交換してるだけで、こいつは同志だと感じられたもんだ」

晶華「今は?」

NOVA「特撮掲示板に行けば分かるはず」

 

NOVA「特撮掲示板を見てきた」

晶華「何を勝手に中座してるのよ?」

NOVA「グリージョダークネスというサプライズ情報を知って、早速見に行った。そうか、時代はやはりヒロインの悪堕ちか。俺の方向は間違ってなかった」

晶華「いやいや、そういう方向は修正しないと。やっぱり、物事はハッピーじゃないと」

NOVA「ハッピーが悪堕ちすると何て言うのかな? 敵を不幸にさせて、自分だけ喜んでハッピー?」

晶華「それって、ただのイヤな奴だから」

NOVA「変身者はアサヒちゃんなんだろうか。それとも一人二役のユウヒちゃん? ツルちゃんが復活するって路線も考えられるけど、声はアサヒちゃんだからな〜」

晶華「で、話の流れをいきなり断ち切って、違う方向に全力全開で走り出したんだけど」

NOVA「ここで、グリージョダークネスにワクワクできるのは、俺の同志だ」

晶華「だったら私も晶華ダークネスになる」

NOVA「これ以上、ダークネスは増やすな。まずは翔花の件を解決してからだ」

 

話を閉じる

 

NOVA「さて、今回の記事もそろそろまとめないとな」

晶華「結局、結論は何よ。寄り道だらけで、NOVAちゃんの思い出とか、好きなこととか、夢想妄想オンパレードに語っただけじゃない?」

NOVA「そう。その夢想妄想が、アニメと実写特撮の共通点なんだ。作り手の送る夢の世界に、我々はお邪魔させてもらう。そして感動を得たり、知見を得たり、自分の夢を広げたり、心が癒されたり。作り手は決して、俺たちに作品を見てケンカしたりして欲しくないはずだ」

晶華「まあ、悪の組織だったら、『この作品を見せて、人々の間に不和や憎悪の念を掻き立てるのだ。何かを馬鹿にする心を育み、互いに言い争い、そして闇の尖兵に仕立て上げる。これが今回の作戦でございます、教祖さま』とか言ってそうだけどね」

NOVA「そんな作品だったら、正に悪のバイブルというか、メディア洗脳という奴だな。で、俺は不和や憎悪の念も掻き立てられたが、自分の中の光を思い出して、きれいに浄化されたぞ」

晶華「本当に?」

NOVA「ああ。結論は、アニメと特撮のどちらが上か論じても虚しいだけ。両者は共存し、互いに補いながら、切磋琢磨して発展して行くべきだ、とな。ただ、共に夢想妄想を描く映像作品であるものの、ベクトルが逆方向だということに気づいた」

晶華「それって対立しない?」

NOVA「まあ、聞け。アニメは絵空事から出発して、そこに命を吹き込む表現技法。幻想からスタートして、現実に近づくことを目的とするわけだ」

晶華「幻想をさらに広げるというのは?」

NOVA「それができるのがアニメの長所、と件のコメント主は言っていたが、そんなことは、俺はスカイライダーの時から分かっていたぞ。つまり、小学生レベルの発言だ。さすがに小学生の時点で、そこまで明確な言葉にはなっていないが」

晶華「絵空事だから、何でも描けるというのは当たり前よね」

NOVA「問題は、その絵空事を現実世界の鑑賞者に伝えるには、リアリティを付与しないとダメなんだ。実は、アニメーターが一番悩むのがリアリティをどう醸し出すか。嘘を嘘と悟らせず、世界に没入してもらうか。そのための手法として、宮崎駿監督は『美味しそうなパン』とか『重力的な表現』とかいろいろな話をしてるし、庵野監督の『ドロドロ溶けるグロい巨人兵の描写』とか、名監督と呼ばれる人は映像表現に関するエピソードがいっぱいだ。何にせよ、アニメでは空想も現実もどっちも絵にしないといけない。『クレヨンしんちゃん』は現実か?」

晶華「アニメでしょ。あの絵やキャラは相当、ディフォルメされているじゃない?」

NOVA「あれは、幼稚園児のお絵かきめいた世界の現実なんだ。主役のしんのすけの見る世界のイメージで構築されている」

晶華「ああ、アニメの絵のイメージって、主人公のキャラ付けに合わされているんだ」

NOVA「そう、主人公に合わせた世界観だ。たとえば、クレヨンしんちゃんの絵柄で、同じしんちゃんでもエヴァの世界は描けない」

晶華「そう聞くと、庵野監督に『シン・クレヨンしんちゃん』を作って欲しくなるけど」

NOVA「名前以外に接点が見えん。とにかく、キャラの絵柄で世界観を示すし、リアルな世界ならリアルタッチな絵柄、ギャグアニメならギャグの絵柄、と、その世界のイメージはまず絵で決まる。逆に、アニメだと、絵柄が合わないから、作品を見ないという意見も一理あるわけだ」

晶華「絵柄=世界観に直結しているものね」

NOVA「もちろん、その先入観を逆手にとる演出もあるがな。絵柄からギャグだと思ってみたら、途中からシリアスな感動話になって、思わず泣けたとか(クレしん映画とか)、可愛い女の子のほのぼのアニメだと思ったらグロいホラー風味になったとか(まどマギとか)、とにかく、アニメは何もかも絵空事だけど、その絵のスタイルで世界観を構築し、その世界のリアリティに観客を引き込み、そこにドラマを仕込む。何でも描けるけど無軌道な自由さではなく、ストーリーに合わせて何をどのように描くかは、監督の絵コンテなどのイメージで構築される。自由気ままではなく、計算された自由ということになる」

晶華「思ったより堅苦しいのね」

NOVA「監督のイメージから始まる部分が大きい。なお、アニメの可能性と言えば、これを思い出した」


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NOVA「TV時代劇が衰退している現在、今後の時代劇の可能性がアニメという手法で継続されるなら、『アニメ版の必殺シリーズ』という未来はあるのかな、と思ったり。アニメの赤影や、アニメの水戸黄門もあったんだし」


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晶華「まあ、原作マンガがあるなら、もしかするともしかするかもしれないわね」

必殺仕置長屋 1

必殺仕置長屋 1

 

NOVA「一方、実写特撮は現実を映すことから出発して、そこに特殊効果で幻想を紡ぎ出す手法。よって、幻想→リアリティに近づけるアニメと逆に、リアル→幻想に向かうベクトル。現実世界のリアリティが土台になっていて、そこから踏み出した幻想世界をどう構築するか」

晶華「先に現実ありき、が特撮なのね。彼方の幻想を現実に引き寄せるのがアニメなら、幻想に向かって歩んでいくのが特撮?」

NOVA「フワフワして軽々しいのがアニメで、制約があって飛び上がりにくいのが特撮。だからこそ、アニメは質感・重量感があってリアルに近づくことが評価され、特撮は制約の中でアクティブに動いたり、精巧なミニチュア技術や、職人としての創意工夫、カメラワークなどの撮影技術など、ただの絵では表せないリアルをどう幻想の高みに引き上げるかが評価基準となる」

晶華「なるほど、アニメなのに本物っぽく見せられる人や、実写なのにあり得ない映像を作れる人が、職人として評価されるわけね」

NOVA「そういうこと。だから、ライダーのアニメ化となったときに、コミック原作なら、コミックのイメージの再現が期待される。そして、そのコミックは実写特撮のWの再現度が高いという点で話題になって、そこに壮大な幻想で世界観を崩してしまわなかったから評価されたんだ」

晶華「Wの世界観と言えば、風都ね」

NOVA「実写のWは、風都タワーを中心にした架空の街一つを舞台として構築し、そこに住む住人や風景をセットやロケ、そして上手くカットをつなげて、現実にある都市のように映し出したのがまず凄い。街を守る探偵をテーマにした時に、街の設定を丁寧に考え、ここから見ると、風都タワーがどう見えるかなども計算して、ふうと君というゆるキャラまで出したり、いかにも街の生活感まで演出し、そこに事件が発生し、日常から非日常に切り替わる。幻想といえば、フィリップの検索する星の本棚という脳内世界とか、探偵事務所地下のマシン格納庫とかぐらいで、基本的には地に足ついたリアル描写が魅力」

晶華「前作のディケイドや次回作のオーズは、リアルよりは幻想寄りの世界観よね」

NOVA「アニメ映えするのは、そちらかもしれないんだけど、Wを選んだのは原作ありなのと、やはりアニメの世界でも風都というリアルを描く挑戦。そこに裏風都という別世界と、そこから来たトキメという不思議系ヒロインを絡めて、Wのリアルと新たな非現実の錯綜する物語かな。この場合、アニメに期待するのは、リアルの向こうの非現実、つまり特撮らしさをどうアニメで表現できるかってことだな」

晶華「アニメが良くて、特撮の枠を越えて云々と言っている人にとって、『アニメで表現する特撮風世界』という発想は出て来ないわね」

NOVA「アニメの可能性は無限大。そこには同意する。ただ、無限大だからこそ、特撮のリアルをアニメで表現するという挑戦だってできるわけで。いたずらに特撮を軽視して、アニメは違うなんて考えで、自分の想像力にくびきをはめて飛躍できずにいる人間には、特撮の良さをアニメで再現するという意味は分かるまい。そこは自分の心がいかに偏狭な思い込みで縛られているかを自覚して、目から鱗を剥がした方がいいと思うよ」

 

おまけの話

 

晶華「じゃあ、これで話は終わり?」

NOVA「俺の主張はな。ただ、コメントの文面で、牙狼の予算について、勘違いしたことを書いていたから、そこを指摘して話をまとめよう。まあ、お金について云々は、貧乏性の彼らしい言い分だけど、10億円という金額の意味を彼は分かっていないと見える。牙狼が目指したものとその成果を考えるなら、10億円というのはTV特撮では破格でも、日本の特撮の未来を描くという意味では、たったのそれだけの金額でよくあれほどの物を作れたな、というもの。普通は、高い金を出して凄い物を作ることができるとは、日本の特撮界も頑張ったな、と称賛するべきところを、彼に言わせれば、高い金を使ったこと自体が批判対象になるらしい。自分の金じゃないのに、他人の金の使い方にケチを付けるなんて恥ずかしくないか」

晶華「10億円って額が多すぎて、私にもよくイメージできないんだけど」

NOVA「ハリウッド映画が平均100億円ぐらい。牙狼は日本の最高峰の特撮アクション作品であり、ハリウッドに負けないものをTV特撮で作ることが『日本特撮界の悲願であり目標』と言えたんだ。80年代以来、日本特撮界はハリウッドに比べて大したことない、幼稚だとか言われて、苦渋を呑んでいた時期があって、業界そのものが自虐に陥っていたのを、『たった10億円』で映画レベルの凄い特撮映像をTVの枠で作り上げたというのは、誇らしく語るべき話だし、彼が調べたと思しき元ネタ記事もそういう論調だったはずだ」

晶華「ああ、ハリウッドの10分の1の額で、ハリウッド並みの作品を作れたなら、そりゃ拍手喝采よね」

NOVA「で、アニメ映画だと、たとえば『もののけ姫』みたいなジブリ作品は20億円以上かけていて、『鬼滅の刃』劇場版は推定5億円、『シン・エヴァ』は推定15億〜20億とされている。トップレベルだと10億は普通だけど、牙狼TVシリーズでそれだけ掛けたということが凄い。ただし、劇場版は2時間弱で、TVシリーズは30分の2クールだから、単純計算だと13時間弱なわけで劇場版の6倍近い時間内容。TV番組の製作費と劇場映画の製作費を単純に比べていいのかは分からないが、10億円で劇場映画6本を撮ったと考えれば、よくもそれだけの額で、こんなクオリティーの高い作品を、と言える」

晶華「つまり、NOVAちゃんは、10億円を安いと考えるわけ?」

NOVA「彼の主張の穴は、牙狼TVシリーズが破格のお金を使ったということしか調べず、ではアニメのTVシリーズは大体いくらが相場なのか? 劇場版アニメは? と比較対照するデータを一際示すことなく、牙狼は時間と金をたっぷり掛けた。アニメだったら、もっと安く凄い映像を作れるはずだ、と主張して、アニメ優位の論にしたこと。正直に言えば、彼が牙狼の作品を実際に見たのかも怪しい。ネットで適当に目についた古い情報を引っ張ってきて、製作費のニュースに驚き、続いて、こんな高額を使ったなら、凄い物を作れて当たり前と短絡に考えて(もちろん、現実はそんな簡単ではない。それだけのお金を動かす企画を通した雨宮監督の実績への信頼性、そして完成品が非常に高評価で次回作以降にもつなげられたのは、監督のビジョンと能力、人脈など決して当たり前ではない奇貨とも言えるのだが)、『ハリウッドレベルの物をTVシリーズで可能な限りの金額でドーンと作り上げたニュースヴァリューの大きさ』を妙にネガティブな意見の根拠にして、どこまで歪んだ受け止め方をするんだ、と呆れるばかり」

晶華「日本の特撮業界が頑張れば、これだけ凄いことができるんだよって話を、否定の根拠に使うのは、強い違和感を覚えるわね」

NOVA「この場合は、吐き気がするという意味だな。俺はまあ、特撮も凄い、アニメも凄い、自分は特撮が好きだけど、アニメも夢を紡ぐジャンルとして発展して欲しいね、という気持ちだが、彼は『アニメが上、特撮が下という自分の思い込みに固執する余り、無理やり批判して、褒めるべきところまで欠点に見えてしまう精神状態に陥っている』らしい。まともに、物を見れない人間の相手をしても時間の無駄だったかな。まあ、俺は楽しんだからいいけど」

晶華「私は、長い話に付き合って、とても疲れたわ」

NOVA「じゃあ、疲れる話はこれでおしまい。読者の人も、お付き合いありがとうございました(ペコリ)」

(当記事 完)