Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

特撮とアニメの対比概論1

大きな寄り道

 

NOVA「妖精郷の物語がクライマックスに突入したわけだが、それとは別にコメント欄での話の流れから派生した形で、俺の『特撮とアニメの関係性についての見解』をあれこれまとめておきたいと思う」

晶華「何というか面倒くさい話になっちゃったよね」

NOVA「とは言え、いつまでもコメント欄で展開してまとまる話でもなさそうだからな。コメント欄で相手してると、『特撮VSアニメ』という流れにテーマが矮小化する懸念があって、不毛な水掛け論に発展する可能性が高いので、話の通じる娘との対話形式の方がまとめやすいと考える」

晶華「コメント相手を信頼していないんだ」

NOVA「話の持って行きようが恣意的過ぎるから、いろいろと矛盾を突つきたくなるからな」

晶華「どんな矛盾?」

NOVA「彼は何故か『白人と黒人』という人種問題に話を持って行って、アニメの優位性の根拠に置きたがるんだが、では、彼は自分の創作小説で『白人と黒人を登場させて、彼らの文化背景に対する見識を示し得たのか』ってことだな。卑しくも、彼はストーリーテラーなのだから、安易に人種問題に踏み込む危険性を自覚しておいた方がいいと思うし、以前に知識がろくにないのに『イスラム=テロリストという偏見に基づいて、偏狭な差別意識に基づいた作品』を書いたことがあって、こういうポリコレ的な問題にはうかつに踏み込まない方がいいんだが、そこを理解しておらずに繰り返す」

晶華「ポリコレって?」

NOVA「ポリティカル・コレクトネス。直訳すると『政治的正当性』という意味だが、最近は社会の文化・風習に加えて創作物の表現にまで、差別なのでなくそうという声をあげて、表現の自由を脅かし、多様性ある文化破壊にまでエスカレートする一部の言論風潮を指す感じだ」

晶華「例えば?」

NOVA「仮に、『花粉症ガール』という表現は『花粉症に苦しんでいる女の子に対する差別』だから、『花粉症ヒューマン』に改めるべきだ、という抗議が来たら?」

晶華「私はヒューマンじゃないし。それこそ『花粉症の精霊少女』に対する逆差別よ。この世界に生きているのは人間だけじゃないし、精霊の世界まで人間的な差別がどうこう言うのは、やめて欲しいわ」

NOVA「『花粉症ガール』がいるんだったら、『花粉症ボーイ』も登場させるべきだ、と抗議が来たら?」

晶華「NOVAちゃんは登場させたいの?」

NOVA「俺は精霊少女と契約したかったのであって、精霊少年と契約したいわけじゃない。あくまで仮定の話に過ぎないが、個人の創作趣味嗜好まで検閲されるのは勘弁願いたい」

 

人種問題についての見解

 

晶華「話を戻して、白人と黒人がどうこうと言うのは?」

NOVA「アニメには白人や黒人を自由に登場させられるが、特撮には登場させにくいので、アニメが優位だとする論だが、これは実際にはややこしい問題に踏み込む危険がある」

晶華「どんな危険?」

NOVA「アメリカの実写ドラマには、民族的差異をなくして白人以外の役者も仕事を得られるよう、公平に登場させないといけない、という制約がある。だから主要キャラに各人種を採用しなければならないらしい。まあ、それはアメリカ社会の映し絵なんだが、それが別にワールドスタンダードというわけでもない。日本の実写ドラマが配慮する必要は一切なく、むしろ登場させたために『扱いが悪い場合の槍玉に挙げられるリスク』が高まるわけで」

晶華「ええと、役者の雇用のためのルールってこと?」

NOVA「そういうこと。で、日本の国内では、外国人がどういう立ち位置かというと、『特殊な技能を持った専門家』として招聘されたか、帰国子女か、どこにでもいる人たちではなくて、スペシャルな立ち位置にあることが多いのではないか。人口比率としては、1億2000万人中300万人程度。そのうち半数以上がアジア系で、非黄色人種の比率は少ない。一方の人種の坩堝と言われるアメリカでは、半数が白人で、ヒスパニック20%弱、黒人系10%強、アジア系5%というのが俺の見たデータだが、外国人比率が3%ぐらいという日本とは、実情が全く違う。

「日本国内向けに製作される実写作品やアニメ作品において、日本と異なる人種事情を持つ国のルールに合わせる必要がどこまであるのか。例えば、日本の実写ドラマが外国に輸出される場合は、パワーレンジャーで見られるように、『現地の役者を採用したローカライズ』が普通に行われるわけだし、一方で『日本のオリジナル戦隊(パワーレンジャーじゃない)』は原作として海外の一部マニアはそちらも楽しんでいたりするようだし、アジア系の国ではパワーレンジャーではない日本人役者のバージョンを吹き替えて受け入れたりもしている。つまり、それぞれの国ごとの民族事情のお国柄があるわけで、『日本の実写ドラマは、日本の国内事情に合わせて作るのが本流』というわけだ」

晶華「でも、別に外国人役者が出ないわけじゃないよね」

NOVA「日本国内の外国人は、例えばウルトラの防衛チームにも一人いるかどうかだな。ウルトラマンガイアのXIGオペレーターのジョジー・リーランドとか、ウルトラマンマックスショーン・ホワイトとか、日本支部にも時々いるし、仮面ライダークウガには研究者のジャンがいたし、キョウリュウジャーにはキョウリュウシアンのラミレスがいた。日本の中では、アジア系以外が珍しいわけだから、ドラマの中でも一人登場するだけで国際色を演出できるわけで、逆にドラマ上の立ち位置も考えずに、安易に登場させればいいという考えの方が、民族問題とか人種問題とかそちらに抵触する危険が大きいわけで、それはアニメの方でも扱いは変わらない」

晶華「アニメには、自由に白人や黒人を登場させられるというのは?」

NOVA「登場させる必然性があるかどうかだな。こればかりは作品が何を描きたいのかにもよるし、日本国内の外国人というのはアメリカと違って、普通にどこにでもいるというわけではなく、それを登場させられるからアニメが優位というのは、為にするための批判にしかなっていないわけで。極端な話、『民族差別問題』をテーマにしたい場合、それをストレートに外国人役者に演じさせると、そちらの方が怒られる元だ。普通は『迫害される異星人とか異種族』を差別のメタファーとして描くのが、空想作品のあるあるだろうしな」

 

ワールドワイドな作品

 

晶華「ええと、ショッカーや財団Xはワールドワイドな組織なのに、登場する外国人が日本人役者ばかりなのは違和感があるというのは?」

NOVA「財団Xには、外国人の演じる外国人キャラだっているぞ。論じるなら、少しは設定を調べろよ、と言いたいね。日本で活動するのに、外国人だらけという方が暗躍するのに目立つだろうし、そもそも財団Xがどれだけの規模で活動しているのかも不明だ。おまけに、平成ライダー2期は日本の地方都市が舞台になっている作品が多く、敵対組織も国内に拠点を持ち、さほどワールドワイドな作戦展開はしていない。まあ、外国に手を伸ばすよりも宇宙に手を伸ばすことを優先するゾディアーツとか、世界征服よりも多元宇宙への進出を考える輩とか(ビルド冬映画)、物語規模が『日本→世界』ではなくて『日本→宇宙や異世界』となって、外国人云々を論じる意味がない。まあ、宇宙人も、異世界人も演じる役者は基本、日本人なんだが、そういうキャラを実際に宇宙人や異世界人に演じてもらうわけにもいかないし、そもそも敵対キャラの配役を外国人に押し付けるのも差別云々とうるさいからなあ」

晶華「ショッカーについては?」

NOVA「そもそも、50年前の作品だろう? 当時はアニメの方だって、『宇宙戦艦ヤマト』の乗員は地球規模の危機のはずなのに日本人だらけだし、逆にヒロインの森雪は日本人設定のはずなのに金髪という外国人風貌だし、時代の名作も細かいツッコミを言い始めるとキリがない。そして、そういうツッコミができるからって、その作品の価値が下がるかと言えば、そんなことはないよな。『科学忍者隊ガッチャマン』も国際色豊かな設定なのに主要メンバーは日本人だらけだし(無能なアンダーソン長官とか、イタリア系ハーフのコンドルのジョーとか少数の例外はいるが)、『ルパン3世』も国際的な大泥棒のはずなのに、フランス系のルパン以外の主要キャラは日本人だらけ。その時期の番組はあくまで日本メインで、外国はそもそも宇宙と同じぐらい遠い世界だった。だから、デスラー総統とか、ドクターヘルとか、ベルク・カッツェとか、悪役=外国人風味のキャラというのが当然の時代なわけで」

晶華「日本人主人公が、悪の外国人キャラを倒すのが王道ってことね。ルパン3世は自分が悪党だから外国人設定だと」

NOVA「祖父がアルセーヌ・ルパンで、その後の系譜が不明だから日本人の血がどれだけ混じっているかは分からないけどな。一応、日仏混血なのは間違いなさそうだ。ともあれ、真にワールドワイド(主要キャラにきちんと国籍が設定された)な最初の国産アニメは『サイボーグ009』というのが俺の見解だが、それを除けば、概ね日本人の子供が感情移入しやすいよう『日本人が外国人風味の敵を倒す愛国心っぽいアニメ』が主流だな。少なくとも、少年向きのアニメ(主にバトルアクション物メイン)で金髪の外国人っぽいキャラが主役になるケースは少ない」

晶華「少女向きだと?」

NOVA「魔法使いサリーは外国名だけど、金髪じゃないな。魔法の国の王女という設定は、外国だけどリアルな設定じゃないし。元祖金髪ヒロイン主人公は……資料を調べると73年の『キューティーハニー』ではないか、と思う」

晶華「資料?」

NOVA「昔、自分で作った、このページが古いアニメとかの調べ物をする際に便利だ」

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晶華「最初の金髪少年主人公は?」

NOVA「栗色かオレンジかもしれんが、74年の『小さなバイキング ビッケ』かもな」


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NOVA「ビッケは金髪じゃないということなら、75年の『フランダースの犬』のネロかな」


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晶華「『怪物くん』はそれより早そうだけど?」


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NOVA「色が付いたのは80年版だ。最初の68年版は白黒アニメ」


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晶華「じゃあ、日本のアニメの金髪少年主人公の元祖はビッケかネロという仮説に乗ってあげて、その辺りになると『善良な日本人が悪い外国人をやっつけるという話』が下火になるの?」

NOVA「75年の『宇宙の騎士テッカマン』で、宇宙人の協力者アンドロ梅田が主人公の相棒になる過程を経て、その後の『UFOロボ グレンダイザー』で、日本に帰化した宇宙人王子の宇門大介ことデュークフリードが主役になる。翌年の『大空魔竜ガイキング』がまたワールドワイドなチームで、主人公のクールな相棒がピート・リチャードソン。また中国系の空手使いファン・リーが登場して、70年代も後半になると『外国人や宇宙人は敵だ』という時代から、『星間戦争で亡命した宇宙人を助けよう』とか『敵の母星の革命劇に力を貸す』という作劇パターンが目立って来るな。当初は敵対していたライバルの哀しい事情が語られて、美形悪役の悲劇に涙したり、ライバルとの和解からの共闘の可能性を見せ始めたのもこの辺りかな」

晶華「一方、特撮番組は?」

NOVA「黒十字軍の戦闘員がホーイホーイと叫びながら、ゴレンジャーたちに襲いかかっては返り討ちにされ、仮面怪人がゴレンジャーストームやハリケーンで爆殺されていた」

晶華「敵キャラとの和解のドラマは?」

NOVA「73年のV3(ライダーマン)や、キカイダー01ビジンダー)、75年のアクマイザー3なんかで描かれたかな。では、話をショッカーに戻すぞ」

 

ワールドワイドなショッカー

 

晶華「ワールドワイドな組織のはずのショッカーで、世界中から来た悪の幹部の皆さんが、演じる役者が日本人だらけ、というのに違和感を感じるという意見ね」

NOVA「しかし、敵役を全て外国人に演じさせるのも、外国人差別を助長しそうでな。現に、悪役の名前がドルゲというので、イジメられた実名のドルゲ君がいたという話も聞くし」

晶華「名前だけで、そうなっていたのなら、もしも『外国人=悪い奴』というイメージを掻き立てたら、とんでもないことになっていたかもね」

NOVA「それと、これは宝塚の劇やお芝居を想像したら分かるように、『外国人役を日本人が演じることなんて普通にある』わけで、そこに違和感を持つと主張するのは、自身に教養がないことや、想像力や見立てる力が欠如していることを証明しているわけで。

「例えば、これは俺自身の黒歴史に関わる話。『宇宙刑事シャイダー』で敵の女神官ポーを男の人が演じていて、中学生の頃はオカマで気持ち悪いという違和感を覚えていたんだが、同じ頃に時代劇の必殺なんかでも『少年を追いかけるオカマ』とか出て来たりして(こちらはコミカルなギャグ演出で笑えた)、そこから世の中には『男色』というジャンルもあると知識で理解して、あとはLGBT問題があれこれ世間で話題になる前に『自分が受け入れるかどうかとは別問題で、そういう少数性差問題への理解は必要』という認識は持っていた。まあ、俺自身、そっち方面の人に言い寄られた経験はあるわけで、距離感をむやみに侵害して来るような輩には、強い嫌悪感を覚えるんだよな。男であろうと、女であろうと、自分が望まないのに、やたらとベタベタしてくるようなのは生理的にダメって気持ちはよく分かる。それこそ『寄らば斬るぞ』ぐらいの自己防衛警告はしておきたくなるわけで」

晶華「つまり、NOVAちゃんにとって『違和感=生理的嫌悪感、文化的相容れなさ』を意味する強い響きを持った言葉なのね」

NOVA「腐ったものを食べて、ムカツキを覚えて吐き出すぐらいの意味を持つ言葉だな。件のコメント主が、そこまでの意味で使っているとも思えんが、仮に『日本人が外国人を演じることに生理的嫌悪感を覚えるぐらい、受け入れ難い気持ち』を抱いているのであれば、これ以上の話に意味はないと考える。

「そこまでの誇張表現ではなく、単にちょっとしっくり来ない程度の認識であるなら、『衣装やかつら、コンタクトなどで日本人が外国人の役を演じることは、劇や芝居の世界では当たり前』であって、文化教養のなさと見なされ得るわけだ。男が女を演じるスーツアクターの演技も、無知な者には気持ち悪がられ、詳しい者同士だと『女性よりも女性の色気ある所作を演じられる名人芸』を評価したり、その起源が能や歌舞伎に通じる日本の伝統芸能に基づくとか、ジャンル教養的に色々語れることがある。なお、俺は『自分に言い寄ってくるわけではない、純粋に演技としての女形』には見ていても嫌悪感を抱かない。あくまで自分のパーソナルスペースを越えて、過剰に近づこうとする相手に対する警戒心を覚えるぐらいで」

晶華「でも、みんながみんな、『違和感』をそんな意味で使っているわけじゃないでしょう?」

NOVA「ああ。言葉のニュアンスは文脈によって変わって来るからな。例えば、俺が違和感という言葉を使うのは、『あの男は地球人にしては怪しい動きをする。本当は宇宙人ではないかと違和感を覚えた』とか警戒を伴う場面、そして『この訳は文脈的に違和感を覚えたので、原書を確認すると、やはり誤訳だった』というミスに気づく直感みたいなイメージがあって、無視すると痛い目に合うような局面だ。その意味で、あまり軽々しく使う言葉ではないな、と考える」

晶華「何だか表現がしっくり来ないので、あれこれ考えるときも『違和感』を覚えたりする?」

NOVA「文章の推敲には役立つな。読み返すと、ここは直した方がいいと気付くとか。何にせよ、違和感という言葉をどれぐらいの強度で使っているかは、文脈で判断できるのが普通だが、件のコメント主は『違和感を覚えます』で全て説明した気になって、その話を締めくくりがちなんだよ。『どんな違和感を覚えるのか』を説明しないと話が伝わらないのに、そこを省略するものだから、おそらくは、彼の使う『違和感』という言葉は、『おかしいと思います』『変だよね〜』ぐらいの軽い表現だと思う」

晶華「NOVAちゃんにとっての『違和感』は、早めに対処しないといけない何かの警告みたいなもので、とてもスルーはできない、と」

NOVA「違和感を覚えたら、気になってあれこれ調べたくなる。そうしない人間は、鈍感な奴とさえ考える」

晶華「NOVAちゃんが過敏なだけじゃない?」

NOVA「そうかもな。ともあれ、言葉の使い方に鈍感よりは、いろいろ調べる気になる方が、俺みたいな仕事をしている人間にとっては重宝するのも確かだ。余計な取り越し苦労も多いが、それはともかくショッカーだ」

晶華「ゾル大佐、死神博士地獄大使ブラック将軍の4人の話かしら」

NOVA「あの異様なコスチュームを見るだけで、役者が日本人かどうかなんて関係なく、真っ当な日本人離れしているのは確かだよな。しかも、正体は怪人だし。狼やイカやガラガラヘビやヒルやカメレオンなんかが日本産か外国産かは気にする方がおかしいというか、本当にそんな目で仮面ライダーを見ていたのかな」

晶華「うわ、ゾル大佐はドイツ人のはずなのに、日本人が演じてがっかりしたよ。子供だましだなあって?」

NOVA「コスプレ見て、春麗を中国人以外が演じていたら、文句を言っちゃう可能性もあるな。俺は、似合っていればいいと思うけど。とりあえず、あのナチス風の軍服を着こなしているだけで、ドイツ出身と言われて納得できるけどな。ブロッケンJrがドイツ超人と言われて納得できるファッションのように」

晶華「でも、ブロッケンJrさんは帽子を外すと、違和感あるのよね」

NOVA「うわ、違和感きた。それだけ帽子が板に付いているってことかな」

NOVA「何にせよ、衣装のイメージは大きいな。それと役者の宮口二郎さんの演技力。規律に厳しい軍人キャラという点では違和感は全くないし、設定的には変装の名人でもあるから、日本で活動するために、日本人に化けている可能性もあるぜ。滝和也に化けれるんだから、日本人に化けることは簡単だろう」

晶華「ああ。そうやって、設定を違和感なく補完するのが通の作法なのね」

NOVA「日本人が外国人を演じるのはおかしい、という発言は、まあ、お芝居への見る目のなさを示しているが、個人の感性とかは知識や経験で磨かないと伸びないもんな。こればかりは、あるジャンルへの鑑賞経験とか、違和感を覚えた際に深く探究する姿勢がなければ、一朝一夕じゃどうしようもないからなあ。まあ、俺が違和感を覚えたのは、ディケイドの鳴滝を演じた奥田達士さんがゾル大佐になったことだが。お前は『おのれ、ディケイド〜』と言っていればいいのであって、ゾル大佐が似合ってねえ」

晶華「鳴滝さんは軍人キャラじゃないものね」

NOVA「まあ、その後、さらにドクトルGにまでなってしまうんだが、それこそただのコスプレにしか見えん。しかも似合っていない」

晶華「つまり、NOVAちゃんは鳴滝さんにこそ違和感を覚えると?」

NOVA「最近、またディケイドVSジオウに出たそうだが、俺は未チェックだ」


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晶華「ゾル大佐の次は、死神博士ね」

NOVA「天本英世さんだな。彼は日本生まれだけど、その心はスペインに捧げられた御仁だからな。つまり、その容姿も内面も、日本という枠から離れ、異人という目で見るべき役者なんだよ。ワールドワイドな心を持つ人に対して、日本生まれの役者というだけで、実を知らずに軽んじたのは、国際感覚を語る資格はないんじゃないかな」

晶華「というか、件のコメント主さんは国際感覚というものを理解しているのかしら?」

NOVA「役者の風貌とか演技とかで日本人っぽさを消して、独特の不気味さ、恐ろしさを見せているのに、そこを評価しないのでは、特撮どころか、実写作品を見る目がないだろう」

晶華「死神博士のコスチュームは吸血鬼っぽいわね」

NOVA「日本人の吸血鬼役者と言えば、岸田森岡田真澄というのが二大俳優だと考えるが、彼らも日本人なのに(厳密には岡田はフランス人とのハーフ)、その演技や撮影演出を駆使して、いかにもな吸血鬼らしさを演じた。もしも、日本人が外国人を演じるのが違和感ということであれば、日本人が外国風の吸血鬼を演じるのも違和感ということになるし、例えば演技の上手い下手だとかそういう批判ならともかく、演じることそのものに違和感を覚えるのなら、本当に実写映画を見るのに向いていないということになるわけで。

「これはコメント主に限らず、『ストレートな役者がゲイを演じるのはおかしい』というツイッター意見が出回って、それは個人の感想としても『それじゃ演技とは何なのか? 自分とは違う他人を演じるのが役者の仕事であって、それを否定するような理屈はおかしいんじゃないの?』という反論が出て、役者の演技というものを改めて考えるきっかけになったんだが、例えば、アニメの実写作品に対する優位性を語る際に、役者の演技力を無視した暴論を言って恥じないようでは、少なくとも特撮番組を語る資質はないように見受けられる。演じる役者の存在は、実写のアニメに対する優位性の一つなので、それが見えていないなら、あるいは考慮できないのなら、ダメだこりゃ、と言わざるを得ない」

晶華「ダメだこりゃ」

 

NOVA「次の地獄大使潮健児さんだな。地獄大使はそもそも設定的に東南アジア支部の出身なので、アジア系の風貌で問題ないんだ。裏設定では、元々アメリカ出身とのことだが、白人であるとは書かれていない。ガモンとかダモンってのは、少なくとも英語風の名前ではないよな。

「何にせよ、潮さんも名バイプレイヤーと称される演技派俳優なので、日本人がどうこうと言うより、あのエジプトファラオに似た奇怪なコスチュームのインパクトに負けない演技ができる役者ということで選ばれたらしい。地獄大使の場合は役者の人種なんて隠れてしまうキャラ衣装なので(顔も隈取られているし)、どこが外国人なのか、というツッコミが意味を為さない。地獄大使の姿を見て、人種がどうこう言い出す人がいれば、それこそ違和感でしょ。ミッキーマウスの着ぐるみの中の人が日本人なのを知って、外国の遊園地のディズニーランドに相応しくないと言い出すレベルで」

晶華「つまり、日本人が演じようと、外国人が演じようと、地獄大使の風貌は大きく変わらないと?」

NOVA「それぐらい顔以外の全身が覆われちゃっているんだよ」

晶華「ええと、ゾル大佐は軍服着込んだ風貌がらしさを醸し出していて、死神博士はいかにも悪魔めいた博士的なキャラクターで、地獄大使はこの動きにくい衣装で、大袈裟な身振りと 表情だけで威厳を映し出しているのね」

NOVA「悪の演技に何が必要か考えた際に、悪事を計画して、いかにも楽しそうとか、大仰なセリフの言い回しとか、不気味さ怖さと、それでいて首領に対してはペコペコ頭を下げる卑屈さも地獄大使は示していて、威厳のゾル、クールの死神、感情の上下幅が大きい地獄大使となるわけだ。こういうキャラ性をつかまずに、『役者が日本人だから、外国人設定のショッカー幹部は違和感がある』なんて言っちゃうのは、作品のどこを見ているのか、あるいは中身を見ずに設定だけで愛なき批判をして、悦に入っているだけなのか。

「役者の演技の良し悪しを考えることなく、人種だけを問題にするとは、下手すると人種差別に通じる暴言と受け取られかねないわけで。論じるにしても、危険な展開になり兼ねないので釘を刺しておく必要を感じたりもした」

 

晶華「最後は、ゲルショッカーブラック将軍ね」

NOVA「帝政ロシアの将軍という設定なので、人種は白人なんだろうが、役者の丹羽又三郎さんについては、俺もあまり語ることができない。ニヒルな剣士や殺し屋の役を務めた時代劇俳優の顔を持つらしいが、俺が関連作品を見ていないので、ただの知ったか情報でしかない。ネットで調べた風聞からは、ある程度、推測して何となくのイメージを浮かべることまではできるんだけど、実際にどう感じるかの断定はできないからな。百聞は一見に如かず。

ブラック将軍というのは、衣装が黒いからなんだろうが、あるいはアフリカのゲルダム団に招かれた時期もあって、そこで付いた呼称かもしれないし、生まれ故郷が黒海の近くという設定もあるそうで、ブラックという単語からいろいろ関連づけられそうだな。個人的には、衣装が黒いから肌の色まで黒いのは絵的に映えないし、だからと言って、白人だったら名前がブラックなのに? と思わなくもない。

「実はブラックはアジア系が無難というパワーレンジャーの法則があるので、ブラック将軍については、俺の感覚ではアジア系にするのが一番無難ということになる。パワレンの初期は文字どおり黒人ブラックだったけど、そこまでストレートなのは差別だとの声が出たらしくて、以降はイエローだったり、レッドだったり、ブルーだったり、黒人の担当はブラック以外にしようという流れになったみたい。近年はよく知らないけど、それぐらい向こうの人種に関するクレームはいろいろややこしいようで、日本の創作でそういう地雷を踏むような危険をわざわざ冒す必要があるか? というのが俺の意見」

 

晶華「結局、黒人とか白人なんて問題は、そういう事情を肌で感じにくい日本人の制作スタッフが安易に関わるのは危険ってことかしら?」

NOVA「特撮にしても、アニメにしても、人種問題に関する件を迂闊に作品に取り込むのはリスクが大きいということだな。いや、件のコメント主がそういう事情に詳しくて配慮できる人間なら、俺も神経質にはならないんだけど、自分がコメント欄で迂闊に『爆弾を投下している』という事実に気付いて欲しくて、最初に記事にしたわけだ」

晶華「アニメだと、特撮で表現しにくい人種について描けるのが、アニメの優位性という意見だけど、実際に描いたら結構リスキーなので、それは必ずしも優位とは言えない、というのがNOVAちゃんの意見ね」

NOVA「で、ポリコレについては一応、念頭に置くのが現在の創作者の嗜みとも思うのだが、例えば『アンドロメダの瞬が女性に置き換えられた件』で、コメント主は原作を改変したことに憤りを表明していたんだ。これがポリコレの影響というのは想像に難くないのだが、迂闊に人種の表現に踏み込んだ場合に、同じような問題を引き起こす可能性にどうして思い至れないのだろう? 男女の性差よりも、よほど深刻になり兼ねないわけで」

晶華「結局、コメント主さんは無頓着だから、わざわざ地雷を踏んでいくスタイルなのね」

NOVA「そういうスタイルはもっと自覚して、他人を巻き込まないように自己責任でやれ、と言いたい。自分で解決できない類のトラブルの元を、他人のコメント欄に持ち込むことを当然のように行いやがるから、『お前はもう来るな』と睨まれているわけで」

晶華「それでも、NOVAちゃんは受け入れているのね」

NOVA「受け入れてねえよ。議論や話のネタとして、試し斬りするAIキャラ程度に思っている。言わば、議論ゲームで問題を起こす『人格を持たないゾンビ』的な、撃っても文句は言われない敵キャラ程度の認識。ただ、難易度はあまり高くなくて、時間だけ掛かる作業の中で、どう面白く有意義な練習ができるかの公開プレイ中って感じか。

「ゾンビ相手だと、噛まれて自分がゾンビ化するリスクもあるわけだけど、相手の暴論に下手に同意同調すると、自滅する危険もあるので、自分のペースは保たないといけない。まあ、ゾンビではなくて、自意識を持った仲間モンスターで『仲間になりたそうにしている』なら、馬車に入れてもいいけど、冒険の役に立たないと判断したら、モンスターじいさんのところに送れたらいいんだけどな」

晶華「仲間意識はないの?」

NOVA「仲間だったら、俺の好きなものに対して、雑な批判はしないって。おまけに、人が忙しい時を見計らうかのように、タイミング悪く、つまらない質問で攻撃を仕掛けてくる。最近プレイしていたドラクエビルダーズに例えるなら、自分の家を好きにコーディネートしている時に、襲撃を仕掛けてくるモンスターみたいなものだな。倒して、経験値と素材に変えるしか価値はないだろう」

晶華「そういうゲーム感覚なのね」

NOVA「育成ゲームなら、もっと愛着をもって楽しめるんだけどな。味方にするだろう? すると常時、毒を分泌して、周囲の空気を陰鬱に変えてしまうようなキャラなんだな。モンゾーラ島でのババンゴの実に例えられるかな。昔は、創造的な世界樹の樹だったのが闇堕ちして、緑を腐らせる元凶と化してしまい、それでも光の意識はわずかながら残っていて、自分を破壊して、新たな世界樹を生み出す素材に蘇らせてくれ、とビルダーに頼んで来るんだ。やっぱ、毒は浄化しないといけないし、何が毒か自覚していないなら、それをはっきり示して反省を促すか、せめて毒に対する防御はしないとな」

晶華「とことんゲーム感覚なのね」

NOVA「そういう視点だと、楽しめるからな。ともあれ、俺の今回の記事の眼目は、『時代に合わせた作劇手法の変化』を踏まえた上で、いろいろ分析する必要性。ショッカーと財団Xをごっちゃにしている点とか(悪の秘密結社でも、方向性は結構違う)、人種問題への無頓着さとか、分かっているようで分かっていない点を問題の大きい部分だけ、まずチェックしてみた。

「あとは、次回に書くテーマを予告しておくと、『アニメはどこまで行っても絵空事であり、特撮は現実から空想への橋渡しをする魔法である』という観点で論じていきたい」

晶華「え? それって、アニメを見下していない?」

NOVA「一見、そう見えるだろうなあ(ニヤリ)。まあ、俺が別にアニメをバカにしていないことは、ダイ大やダイナゼノン、シンカリオンZに普通にハマっていることから簡単に証明できるだろう。ただ、それでもアニメは宿命的に絵空事であることを認めた上でないと、特撮との立ち位置の差異の本質はつかめないと思うわけだ。まずは、ざっくり斬るところから話を始めるつもり」

 

晶華「その前に、妖精郷ね。お姉ちゃんを闇から助けないと」

(当記事 完)