2010もいよいよ来週、ということで、自分の中では盛り上がっています。
で、既刊DVDマガジンの「殺しのシーンだけ」見たりもしながら、熱を高めていたりもするわけですが、ここでは、「貢編」と「竜編」の感想記事でも書いてみようか、と。
いや、昔、見たときとの記憶違いなんかもあったりして、「記憶って、捏造されるもんだなあ」とか感じたりもして、まあ、そういう話も込みで。
試して候
昔は、無惨な半次の運命のインパクトが大きくて、「仕留人はハード」と思った回ですが、今回、一番、インパクトを感じたのは冒頭。
大筒用の火薬の実験のためか、「街中で爆弾テロ事件」が起こるんですね。で、厠(トイレ)に爆弾がセットされ、母親が自分の子供を知らずに、そこに押し込んでしまうんです。
直後にドカーン。
無惨に横たわる子供と、泣き叫ぶ母親。
このシーン、自分の記憶にはなくて、たぶん昔は、物語の途中から見ていたのだと思います。
で、その後、いろいろあって、半次たちが大筒の試し撃ちに合うシーン。
後年のリメイクだと、犠牲者が小屋に押し込められていたわけですが、仕留人では「張りつけにされた囚人を直接砲撃」。うわ、えげつない。
しかも、砲撃は一回ではなく、何度か連射。
……半次、よく生き残れたな。
生き残った半次、ずたぼろの体で仕留料の分配にも参加。
相方のおきんが、「あんたの分は私が預かっといてやるよ」と言ったのに対し、ろくに口も利けない状態なのに、身振りで抗議。
でも、このシーンって、今、見ると、ギャグとして作っている感も分かります。八丁堀も、石屋も、半次のがめつさを笑い茶化す。昔はこのシーンを見て、「仲間甲斐のない連中だな」と誤解したりもしましたが、年をとると、スタッフの製作意図とか時代背景への推察もできるようになる、と。
そして、貢の殺しシーン。
情報書籍の記述も読んで初めて知ったんだけど、「貢の三味線のバチ」って金属部分が鏡になっていたんですね。変形して金属の刃が出てくるのは普通に了解していたんだけど、「刃を鏡のように使って、敵を物陰から観察するようにしていた」とは、今の今まで気付いていなかったわけで。
昔は、バチが変形してブーメランになったり、手持ちのところに針が仕込まれていたり、そういう派手な部分だけ目に付いて「地味な鏡の映像描写」を見流していたんだなあ、と新たな気づきが喜ばしくて候、と。
乗せられて候
この話、大筋は商売人の19話「親にないしょの片道切符」と同じなんですね。
しかも、こちらも19話。商売人の方は、いろいろつなげようと思ったら、つながる話なんですが、あまりつなげ過ぎると、「藤田さんの逝去」とダイレクトにつながる回でもありますんで。そういう気持ちは、「2010」の感想記事のためにとっておきます。
で、商売人の方は、「外国に行きたいという夢を語る若旦那の悲劇」の話だったんですが、時代背景とか、若旦那のキャラの周囲を見下す痛さとか、しっくり来ない部分もあったので、やはり原点の仕留人の本話に軍配を挙げたくなります。
いや、まあ、商売人も中盤過ぎのあの話の時期は、「暴走する若者の想い」と「それに接する大人の商売人」を中心に構築されたドラマがメインだったと思います。序盤は割と「大人の男女の愛のもつれ合い」が中心だったのですが、中盤で「主水の子供への想い」などを背景にしたのか、「大人と若者の関係」にシフトしたのかもしれません。
そして、その路線が、後の秀とか順之助に受け継がれて行ったとするなら、まあ、シリーズ史的な文脈としては悪くないのですが。
それでも、自分にとっては、仕留人のこの話の方が、よほど深いと考えます。
なぜなら、「外国に行きたいという夢を語るキャラ」が糸井貢の旧友の蘭学者くずれであり、彼を影で支える奥さんもまた、この話の2話前に亡くなった貢の妻あやに相当するキャラ。つまり、事件の犠牲者が、主人公の鏡のようなキャラ設定なんですね。だから、親身になるのもよく分かる。
そして、若旦那の場合は、外国に行くという危険を冒す理由がよく分からない。別に、蘭学を勉強したければ、「長崎で商売修業という名目でもできる」わけで、いきなり外国という発想が、時代背景的にもそぐわない、と。物には順番というものがあるだろう、と。
一方で、貢の旧友の場合は、黒船到来という時期もあいまって、「今は開国されていないけど、やがて洋学が時代の主流になる」という未来が見えている。しかし、「国内でできる蘭学には限界があって、このままでは自分が時代に取り残される」という焦りもある。この「今できる勉強を一通り修得した人間が、その先を求めて、危険を冒す」という感覚は、「今できる勉強も見えていない若者が、外国という幻想の夢だけ追って、それを理解しない周囲に悪態をつく」のとは、別のドラマになるんだろうな、と。
「外国に行くという夢」は同じでも、蘭学という土台を持つ者と、親に強要された「店を継ぐ」という責任から逃げたい気持ち混じりの者と、では、差があるわけで。
もちろん、貢の旧友も「夢に身を焦がして、周囲が見えていない」という指摘はできます。そのために、自分を支える奥さんの「愛情」が分からず、いや分かっていても、それに甘えて夢だけを追求する。
旦那の方は、「自分のような貧乏浪人学者と一緒にいるよりは、妻も一人になったほうが幸せだろう」と割り切ったセリフを口にし、また、「自分が外国で本場の洋学を身に付け、日本が開国した暁には、妻の苦労に報いることもできる」と手前勝手な夢想論ながら、それでも学者としては正当な理屈を展開します。
一方で、妻の方も、夫の夢のための資金を用意するために、悪徳商人に自分の身を売ってしまうんですね。「夫の夢のために、夫を裏切る」というジレンマ。それもこれも、夫が「妻への愛情よりも蘭学をとる」といった発言を、耳にしてしまったからですが。
そして、結局のところ、夫は資金を持っていよいよ国外脱出というところで、悪徳商人と役人の罠にはまって惨殺されるわけですが、こっそり夫の旅立ちを見送ろうとして、夫の死を目撃した妻の悲嘆はいかばかりか。「自分の用意したお金のせいで、夫が死んでしまう」という皮肉な展開なんですからね。
「夢や愛のために行ったことが裏目に出てしまう」というドラマツルギーは、妻を失い、蘭学にさえも以前ほどの情熱を注げなくなってしまった貢にとって、仕留人として生きる覚悟を新たに突きつけます。
一方、主水さん。
この話で、「情に細かい貢は仕留人には向かない。外国に行きたいと言うなら、何も言わずに見送ってやろうや」と、資金の工面を考えます。
で、仕留の的の悪徳商人を強請ろうとしたわけですが、相手に先手をとられて捕らえられることに。空井戸に突き落とされ、餓死を待つばかり……だったわけですが、仕留に入った大吉にうまく発見されて、自分も仕留に参加、と。
ともあれ、この話。
仕留人として、新たな武器も備えて再出発を遂げた糸井貢の話であり、そして後の悲劇の伏線とも言えるドラマ回。また、「夢を諦められない男と、諦めたものの心のどこかで未練を残して続ける男の物語」としても秀逸だなあと思います。