「人は学び、変わる」がテーマだった獣拳戦隊。
最終回を見た感想は、「なるほど、『やっぱりゆとり教育はダメだよ!』というメッセージか。見事な教育番組だ!」(笑)
最後の決め技となったのは、ゆとり教育の激獣拳ではなく、スパルタ教育の臨獣拳の技。
その前の回では、ジャンたちゲキレンジャーを完全に圧倒していたロンが、
3拳魔の修行を受けた後のゲキレンジャーの攻撃には、「何ですか、この迫力は」と完全に逆転される展開も、
ああ、「師匠が変われば、カクシターズも一挙に成長し、学び、変わるんだなあ」と感慨深し。
やっぱり、すごいよ、臨獣拳。ビバ、臨獣拳アクガタ。
それに、理央さま&メレちゃんの最期も良かったしね(笑)。
最終回のストーリー(ちょっと歪んでます)
前回、理央さまより臨技を受け継いだカクシターズの3人は、臨獣拳士の魂に導かれ、一から修行をやり直す。
彼らに修行を授けた故・三拳魔は、厳しくも温かい師匠たちだった。三拳魔の下で、カクシターズはついに獣拳の奥義を習得するのだった。
一方、暴れまわるロンを止めるべく、ゴウ兄さんとケン、そして7人の拳聖たちが次々と立ち向かっていくが、厳しさに裏打ちされていない彼らの激獣拳では、時間稼ぎが精一杯だった。
そこにカクシターズの汚名を返上した3人のゲキリンレンジャーが駆けつける。彼らの力はロンを圧倒し、さらに奥義の封印技で、不死身のロンを球体に封印する。
戦いが終わって。
何の緊張感もなく、ロンの封印球で遊び出す、ゆとり教育師匠たちを見限ったジャンは、「自分がロンを管理する」と主張する。
この師匠たちの元ではダメだと悟ったジャンは、そのまま旅に出ることを決意。
レツやランも、本心では一緒に旅立ちたい、と思っていたが、師匠につかまり、やむなくスクラッチのマスターを務めることに。子供たちには、「遊び半分のゆとり修行」ではなく、「厳しさと温かさを備えた真の獣拳修行」を伝えたい、と考えるレツとランであった。
ゴウ兄さんは、「我が意を尽くして」旅に出ることに成功。パートナーのバエとともに「オレ流」での再修行を決意する。
ケンは、旅には飽きていたので、新たに職人修行を開始。磨き抜かれた天才の技があれば、何とかなるだろう、と気楽に考えている。もちろん、エロ象が妹にちょっかいをかけないよう、見張っておきたい兄心も混じっている。
そして、ジャンの胸で、封印されたロンはぼんやり考えている。
「次は、どんなゲームをしましょうかね」
(「ゲキレンジャーVSゴーオンジャー」につづく)
激獣拳と臨獣拳
う〜ん、何だか臨獣拳をヨイショして、激獣拳をこけ下ろして終わってもいいんですが(笑)、あえて激獣拳をほめてみよう、と思います。
激獣拳の特徴は、最後のマスター・シャーフーの言葉に集約されます。
「うむ、あいつら(レツとラン)、わしが何も言わなくても、自ら悟りおった」
いや、「もしかすると、三拳魔に教わったのかもしれませんよ」とツッコンで、やっぱ臨獣拳すごい、と言いたい気持ちはやまやまですが、
ここでは、激獣拳は「生徒の自主性を重んじる、待ちの修行スタイル」と定義しておきましょう。それを如実に表した言葉が「コトコト……ひたすらコトコト」。
諺にも「石の上にも三年」「果報は寝て待て」「桃栗三年柿八年」「待てば海路の日和あり」など、辛抱強く待つことを説いたものはいろいろあります。
武将で言うなら、「鳴かぬなら鳴くまで待とう ほととぎす」の徳川家康スタイルですな。
家康は、二百六十年に及ぶ平和な時代の礎を築きました。
平和な世の中を維持するには、やはり「激獣拳の教え」こそが必要なのです。一人が突出した強さを持つのではなく、「三人が力を合わせるトライアングル」を強調するのも「和を尊ぶ激獣拳らしさ」ですな。
一方、臨獣拳はもちろん、「鳴かぬなら殺してしまえ ほととぎす」の織田信長スタイルですな。
乱世を平定するなら、やはり「臨獣拳の力」がものを言います。
臨獣拳の修行スタイルの一つに、瞑想を重んじる、というのがあります。人間社会に混じっての生活を重んじる激獣拳と違い、「人里離れた場所に閉じこもって、自然界の声を感じ取ろうとする瞑想」は臨獣拳の特徴なのでしょう。
身動き取らぬ静の状態から、電光石火の動の状態に転じる瞬発性。死から生へ、生から死へと一気に勝負を決めてしまおうとするのが、臨終、改め臨獣拳の極意かもしれません。
マイペースに生の状態を維持し、調和と暮らしを重んじ、持久戦に長けた激獣拳と、
生死を司り、変化を志し、自己のひたむきな精進を重んじ、短期決戦に長けた臨獣拳。
この両者は、どちらが善で、どちらが悪かは関係なく、ただ時期や状況によって、修行法を使い分けるのが、獣拳の理想と言えるのでしょう。
ともあれ、平和が戻った以上、乱世の拳法である臨獣拳は姿を消し、調和の拳法である激獣拳を主体に継承されていく。これも必然のことかもしれません。
しかし、また乱世となったときに、臨獣拳が復活することも期待したい、と思います。
最後に妄想ネタを3点
う〜ん、何だかゲキレンジャーって、電王とは違った意味で、終わってない感が強いんですよ。
本編に粗が目立つ分、「こうであったら」という希望展開がいろいろ考えられましたし、
実は番組終了後の、各キャラのその後の方が、何だか気になって仕方ない。
その中で、NOVAの妄想をちょっとばかし、披露して終わりたいと思います。
最終兵器「ロボタフキャノン」
これは、前回、予想したロンの結末で、あえて書かなかったこと。
一応、前回の予想ネタ、
「芋長の芋ヨウカンを食べさせて、腹痛を起こさせる」とか、「実はロンは泥人形で、50年後に子孫が戦う」とか、「師匠が突然、出てきて、異常な強さを発揮して、日本刀で真っ二つ」とかは、ダメですからね。納得できるラストを見せてください。
まあ、「倒せない敵を封印」というのは納得できるラストでした。
「何かを食べさせるのではなく、ロン自身が食べられそうになる」とか、
「師匠が突然、出てきて、異常な弱さを発揮」とか、微妙に関係しているようで、外れた予想もあるわけですが(笑)。
で、隠していた予想が、最後の最後で「ロボタフキャノン」っての。
最終回1話前で、メレ様が壊しちゃったのを、美希さんが修理して、しかも「激気と臨気の両方の力を融合させて、必殺『激臨(逆鱗)砲』を撃てる仕様に改造」なら、自分では燃えるし、納得できるなあ。それを実現してくれたら、それだけで「神的最終回に加えてもいい」なあ、なんて思っておりました。
書いてしまうと実現しないかも、と思ってましたが、書かなくても実現しませんでしたね。残念。
こうなったら、ロボタフには、パワレンでバトライズしてもらいたい、とも思っているのですが、「ジャングル・フューリー」には出てくるのかな? 暇なときに、チェックしてみましょう。
ジャンとロンの二人旅
これって、いつロンが復活するか、非常に不安な道中ですよね。
しかも、あのロンのこと、ある程度、力を取り戻せば、いずれジャンの心にも、ボソボソささやいてくると思うんですよ。
「分かりますか、ジャン。あなたにもっと力を差し上げよう、と言っているのですよ」
「イヤだ〜。オレ、自分で、強くなる。ズンズン修行する」
「よろしい。確実に強くなれる修行のやり方をお教えしましょう」
「強くなれるのか? でも、お前、悪い奴。信用できない」
「あなた方に封印されて、私も反省したのですよ。これまでのことは謝ります。今は、平和を守るため、あなた方の力になりたい。ただ、それだけの気持ちなのです」
「本当に反省したのか? う〜、分かった。言ってみろ。強くなる、修行の仕方」
「ええ……(ニヤリ)。(心の中で)これで少しずつ、信用させて、やがて私の封印を解くまでに仕向ければ……」
こんな感じでしょうか。
他に、ジャンの体を一時的に乗っ取って、「髪と目が金色に染まって、ドラゴン拳使いフォーム」になるって妄想もありますが、それって、ただの「電王」ですね(笑)。
アイテムに裏人格が封印されているという意味では『遊戯王』のイメージもありますが。
ランの臨獣拳修行
エロパロネタです。
ランは、臨気を習得して、夢の中で臨獣拳の技を学ぶわけですが、
教えるのがラブ・ウォリアーのメレと、ラゲク様ですからね〜。拳法の修行と称して、あんなことやこんなことをいろいろランに施して、清純な少女拳士から大人の女性拳士に目覚めちゃう……ってな、妄想も生まれているわけですが(苦笑)。
まあ、ランの場合、そういう色気話や、軽い恋愛話もないまま、「赤ん坊のお守り」させられたり、「スケ番」させられたり、「お見合い」させられたり、ヒロインとしての扱いが悲しかったのですな。時代劇好きのスポ根娘という、やや古風な清純属性も、あまり活かされることはなかったし。
そういう手付かず感が、逆に妄想を刺激することも……(^^;)。
ともあれ、1年後の「VS」で、臨気修得の副作用で大人っぽくなったランに会えることを期待しつつ、明日のゴーオンジャーを注視するとしましょう。