Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

最後のPS時代のFF話(FF9)

まだもう少し続くんじゃ

 

NOVA「FF8には愛着がさほどないので、さらっと語って終わるつもりだったのに、失われた記憶をほじくり返すと、いろいろ出て来たなあ」

晶華「で、今度こそ最後でしょうね」

NOVA「FFはな。2000年に出たFF9がPS最後になる。その翌月にようやくPSでドラクエ7が登場ってんで、RPGファンの注目はそっちに集まったために、いまいち地味な作品って印象を禁じ得なかったが、俺は大好きだったぜ。

「何しろ、主人公のジタンが久々に陽性主人公だし、懐かしのFFのファンタジーテイストが濃厚だし*1、お姫さまのガーネットが俺好みのヒロインで、駕籠の中のお姫さまを助ける盗賊少年の物語はかなり感情移入できた。

「それを追いかける銭形のとっつぁんみたいな立ち位置のスタイナーも、ドジな騎士ってテイストの描かれ方だったけど、女騎士ベアトリクスとの絡みは、『未来少年コナン』のダイス船長とモンスリーを彷彿とさせたし、往年の宮崎駿テイストの冒険物語を童話おとぎ話的なファンタジー世界観に包み込んでフワッと懐かしい気分にさせてくれた。サイバーな硬質感のFF7や、宇宙に飛び出したりもする時空を超えた壮大な学生ラブロマンスのFF8に比べて、対象年齢層がやや下がった感じだけど、大人の懐旧ファンタジーとしてはこっちを推すね。2000年は少年の冒険譚が彩った20世紀最後の年だったってことで」

翔花「今回はドラクエが記事タイトルから消えたけど?」

NOVA「思い入れのないはずのFF8でも、あれだけ語れたんだ。すると、思い入れたっぷりのFF9だとどうなるか、自分でも予想がつかん。ドラクエ7については次回に回して、FF9に専念するって決意の表れだ。とにかく、俺はFF9が大好きなんだよ。いろいろ語りたくて仕方ない」

晶華「分かった、分かった。飽きずに聞いてあげるから、寄り道脱線せずにまっすぐFF9に専念するのよ」

NOVA「ええっ!? FF9は『原点回帰』がテーマなんだぜ。旧作からの系譜をいろいろ語らなくてどうするんだ? ここのお客さんだって、まっすぐ筋書きどおりに進む記事なんて、求めてない。今度はNOVAが『どんな寄り道脱線サプライズで、奇々怪界ながら、最後は何とか王道ハッピーエンドに上手く着地する蘊蓄話』を求めているはず。なあ、読者?」

晶華「読者さんに同意を押しつけないで。まあ、NOVAちゃんのこういう長文に付き合ってくれる読者さんは貴重なので、呆れさせない程度に昔話をすることね。せいぜいアシスタントガールとしてサポートしてあげるわ」

翔花「わたしはよく分かってないことも多いけど、これも神霊修行の一環だと思って、NOVAちゃんの夢を見続ける空想ファンタジーから学ばせてもらいます」

NOVA「ありがとう。聞き役がいないと、語り手はむなしいからな。『壁にでも話してろ』はスコールが教官のキスティス先生に向かって言い放ったセリフだが、まあ年若い教官が生徒に愚痴をこぼしたというシチュエーションだから、彼の気持ちも分からなくない。『生徒に教師のカウンセラー役を求めて、どうするんだ、キスティス先生』と言いたくもなったが、年齢的には塾講師1年めの俺みたいな立場だったのか、と思うと……それでも、やっぱり生徒には愚痴るべきではないな。まあ、同じ孤児院で育った弟に愚痴る姉さんという構図と知れば、キスティス先生の気持ちも分かるが……」

晶華「NOVAちゃん、いきなり脱線してるよ。今回はFF8ではなくて、FF9なんだから、キスティス先生の記憶は封印してよ」

NOVA「う〜ん、メガネ美女教師という枠は貴重なんだがな」

 

改めてFF9の歴史的意義

 

NOVA「さて、懐かしBGMで頭をFF9脳に切り替えたところで、FF9の歴史的意義を語ってみよう」

晶華「原点回帰でしょ?」

NOVA「いや、まあ、そうなんだが、その原点ってのは何だ? というのが、ゴジラでも仮面ライダーでもしばしば問題にされる。原点のとらえ方が製作スタッフとファンの間でズレていると、これじゃない感になってしまう。例えば、FFの原点といえば、当然FF1だが、FF9とFF1を比べても、全然違う作品だ。フィールド音楽のイメージ一つとっても全然違う。FF1に郷愁の匂いはほぼない*2

NOVA「むしろ、FF9のフィールド音楽に感じたのは、こっちのフィールド音楽だな」

NOVA「後は、やはり戦闘BGMのイントロは確かに原点回帰だな。FF7と8が大きく変えたのを戻した感が明白だ」

翔花「ゲームの世界観を表現する音楽の世界かあ。ドラクエすぎやまこういちさんが有名だけど、FFの植松伸夫さんもレジェンド作曲家の一人よね」

NOVA「すぎやまさんは歌謡曲からゲーム業界に入って、しかも特撮やアニメなど幅広く活躍されたが、植松さんはFFを代表とするゲーム音楽の道一本で巨匠に上り詰めた御仁だ。世界的には『ビデオゲーム業界のベートーベン』とも評されているらしい」

晶華「FF9までは、完全に植松さん一人で全曲を製作。その後は、FF12まで参加みたいね」

NOVA「FF13からは明らかに曲が違うもんな。俺はFF13はプレイしていないが、FFRKでBGMを聞いたときに、あっ、これは俺の持つFFイメージとは違う世界だ、と実感した」

翔花「NOVAちゃんは植松音楽を追っかけていたのね」

NOVA「いや、FF以外での活躍は知らなかったからな。とりわけ、3DSソフトの『ファンタジーライフ』(2012)が植松さんだと知って驚いた。昔、甥っ子がこのゲームにハマっていた時期があって、俺も横で見ていたんだ。甥っ子が俺に楽しそうに説明しているのを聞きながら、ふ〜ん、懐かしい感じだなあと思い、楽しそうな甥っ子の邪魔はするべきでないとハマり込むには至らなかったんだが、実は植松さんとニアミスしてたんだな。もう少し興味を深めてあれこれ調べるべきだった」

晶華「つまり、NOVAちゃんが甥っ子さんに感化されて、『ファンタジーライフ』にハマっていた時間軸があったのかもしれないわけね」

NOVA「ええと、2012年に俺が何をしていたかなあ、と当時のスパロボを見てみると、『第2次Z 再生篇』と『魔装機神2』と『第2次OG』か。そりゃまあ、仕方ないな。スパロボ以外のアンテナ感度は決して高くない時期だったし、全てのゲームを追いかけることも無理だから、何かを選び、何かを見逃すことだってあるだろう。まあ、自分が見逃しかけたハマるものを教えてくれる同好の士との縁があれば、いいんだがな」

翔花「情報感度は、人脈によっても築かれるみたいね。人の縁だけ世界が広がるとも言えるし」

NOVA「でも、たまたま懐かしFF話をしていて、植松さんのことを久々に探ったら、見逃した縁を発掘できて、今の興味につながるんだから、興味を抱いたときが吉日なんだよ。少なくとも、今の俺は12年前よりも『ファンタジーライフ』というゲームへの興味の解像度が上がった」

晶華「って言うか、思いきり寄り道脱線してるし(苦笑)。FF9の歴史的意義はどうなったの?」

NOVA「ああ。ええと、BGMの話もあるが、戦闘シーンだな。FFの戦闘シーンは基本的に4人パーティーで敵に対峙する。それが5人になったFF4という例外もあるが、地水火風の4つのクリスタルに対応した4人パーティーが基本だ。しかし、FF7と8は戦闘参加者が3人に減った。これはキャラのグラフィック表示が精密になったので、表示限界があったのだろうと推察するが、FF9では4人に戻った。7→8ではリアルさを増した描写だったが、9でキャラの頭身を下げて多少のデフォルメ処理を施した結果、昔ながらの4人戦闘も描けるようになったわけだ。この意味が分かるか?」

翔花「限界ギリギリまでリアルな描写を突きつめると、何かを犠牲にしないといけないってこと?」

NOVA「そう。FF8ではとにかく当時の最先端を突き進んだゲームで、9ではそのままさらに上り詰めるという選択肢もあったが、その役目はプレステ2FF10(2001)に託した。7→8の路線はさらにハード性能を向上させた10に引き継がせたんだ」

NOVA「FF8より凄いものを作るなら、開発期間が1年では足りない。だから1999年の8のその先は、2001年の10で、さらなる凄いハードのPS2(2000年3月発売)をプラットフォームに行うことになった。では、2000年発売のFF9はどういう位置づけか? これはこれでPS最終作のFFとして印象的な最後を飾らせて一区切りとしたい」

晶華「20世紀最後のFFだもんね」

NOVA「そのための原点回帰であり、いろいろ懐古できるFFだ。これまでのFFはひたすら未来に向けて立ち止まらずに進化してきたゲームだった*3。しかし、2000年の時点で、技術の最先端の進化を突きつめるのではなく、今の技術で尖っていない方向性の従来型FF、あるいは進化の方向性を別の物語、近未来と異なる『剣と魔法と古代文明』の表現に向けてレトロ風味の物語にすることに切り替えた作品がFF9と言えるだろう」

翔花「7→8の進化の方向性の延長ではなくて、9はどういう系譜になるの?」

NOVA「戻るべき原点は3→5→9だ。6は微妙だが、オペラ劇団という劇中劇要素、および召喚獣にスポットを当てた部分が9に受け継がれているとも言える。しかし、特徴的な黒魔道士や白魔道士のルックスは、6が切り捨てた部分だし、魔列車などに見られる機械文明要素は6→7→8というラインなので、9は8のグラフィックを少し抑えめにして、その代わり鉄でできた世界観を木と石の中世風の街並みに切り替えるなど、違う挑戦を試みている。ある意味、CGで鉄の船を描く技術よりも、木の質感を持たせる技術の方が上かもしれない。固さよりも柔らかさを感じさせるFF9のCG経験があればこそ、和風世界の10も描き得たとも言えるし」

晶華「見た目は退化しているように見えて、技術的には進化していることも分かる人には分かるのね」

NOVA「9の世界観は、TRPG的なヒロイックファンタジーとも異なる童話ファンタジーなんだ。そして尻尾の生えた獣人風主人公は、ドラゴンボール孫悟空にも思えるキャラ像だし、パーティーの中で普通の人間キャラは王女ガーネットと騎士スタイナーだけだ。まあ、エーコは角の生えた外見以外は人間の少女だけど、それでもリアル頭身から離れたデフォルメ・コミカライズされたキャラ造形は、写実的な8のデザインとは異なる方向性で、CGによる表現の幅を広げる実験作とも言える。ドット絵デフォルメと、写実CGとの融合した世界というか、ファンタジーならではの不思議な感覚でリアルな物語を描けるかという試みだな」

翔花「その後、FFのナンバリング作品は、写実的なキャラ描写を突き詰めるわね」

NOVA「FF9のCG実験は、オンラインの11や別の任天堂の携帯機版FFなんかに受け継がれていくな」

晶華「なるほど。原点回帰をしながら、その後のナンバリングFFが切り捨てることになるFFの非写実絵要素や中世ヨーロッパ風ファンタジー要素を、オンラインゲームや携帯機の別ラインに引き継がせる叩き台みたいになったのが、PS最後のFF9の役割だったわけね」

NOVA「それが多様性ってことだし、豊穣なマルチバースにつながる過渡期作品としてFF9を俺は再評価したいわけだ」

 

盗賊主人公の系譜

 

NOVA「さて、コアなRPGマニアが最も尊ぶ職業の一つが『盗賊』なわけだが……」

晶華「意義あり。そこは魔法使いと言うべきでしょう」

翔花「戦士や聖職者も大切なんだから」

NOVA「もちろん、そうなんだが、それらは基本すぎて、わざわざ『コアなRPGマニア』と言う必要がない。ここでコアでマニアと言ったのは、ストーリーをクリアした後も、ゲームの完全攻略を目指して、攻略本や攻略サイトの情報なんかもあれこれチェックしたりしながら、飽きるまで延々とプレイしている人種のことだ。俺もSFC時代まではそういうレベルで頑張ってRPGをプレイして来たが、プレステ以降はさすがに仕事もあるし、付いて行けなくなったので、今は元冒険者の情報屋、あるいは懐古研究の隠者みたいなことをしているわけで。まあ、若いころは熱意あるゲーマーとして、お宝探しに汲々としていたものじゃったよ」

晶華「お宝探し……ああ、そういうことか」

翔花「お宝? モンスターを倒せば、ゲットできるでしょ。やっぱり、戦士で殴り倒してお宝ゲットとか、魔法使いで焼き払ってお宝ゲットってのが王道でしょう?」

NOVA「脳筋かよ……って脳筋に育ったのか。まあ、その昔、ウィザードリィというゲームでは、モンスターを退治した後に宝箱が出て来る。その宝箱に付き物の罠を調べて、解除できるのは盗賊もしくは忍者の仕事だった。それらの職業がいなければ、罠の解除はできずにお宝が入手できないのがダンジョンのルールだったのじゃよ」

晶華「つまり、アイテムコンプリートに情熱を注ぐ『コアなRPGマニア』さんにとっては、盗賊もしくは忍者が必須の職業だったのね」

NOVA「ドラクエは盗賊をあまり重視しておらんかった。と言うのも、ドラクエは基本的に勇者の物語であって、勇者の仲間に盗賊がいるのは外聞が悪いという事情もあったろうし、そもそも対象プレイヤーである子どもの教育にも悪い」

晶華「その割には、人の家のタンスやツボを平気であさって、中のアイテムやお金を平気で盗んで行くけどね」

NOVA「それは、あの世界の勇者には魔王退治のために『民家のお宝回収権』というものが与えられておってな。勇者が訪れた街では、勇者の知らないところでお触れが出されて、『本当に大事なものは勇者に取られない隠し金庫にしっかりしまって、タンスには安物の薬草や、小銭や、ステテコパンツなどの衣類その他をしまって、勇者の目を惹きつけるべし』という手筈になっておるのじゃ。

「つまらないアイテムを見つけた勇者は舌打ちしながらも、お宝ゲットの満足感で民家の探索はあきらめる。それで危険な魔物退治を頑張ってくれるんだから、タンスの中のアイテムは勇者への寄付みたいなものと割り切るべし。それに勇者が高い武器や防具を買って、街の経済効果に貢献してくれてもいる。それを思うと、ステテコパンツなど安いものじゃよ。

「まあ、稀にしまい忘れて、もの凄い価値あるお宝が勇者に持って行かれるドジな(運の悪い)町人もいるじゃろうが、その場合は勇者にこういう品を持って行かれましたと書類を書いて、王さまや街の長に持って行けば、一定期間の税金免除や見舞金などの補償がもらえる。まあ、王さまたちが異常にケチでなければな。そして勇者にタンスを漁られたことは名誉でもあるが、たまにそんな勇者に恨みを持つ者が『馬のフン』なんかを入れて鬱憤を晴らすケースもあるのが、ドラクエの世界観なのじゃ」

翔花「そんなことになってるんだ〜」

NOVA「まあ、想像力に任せた作り話だけどな。勇者の到来は、ハロウィンにおけるトリックORトリートみたいなイベントかもしれんし、勇者に扮した子どもたちがタンスを漁る年中行事もありそうだ」

晶華「つまり、そういう社会システムだから、勇者の行為は泥棒でない、と言い張るのね」

NOVA「まあ、95年のドラクエ6、およびドラクエ10周年を記念した1996年のSFC版リメイクのドラクエ3辺りで、盗賊が初めて勇者の仲間職業として実装されたが、ドラクエ世界の盗賊はそれまでカンダタとかバゴタとか敵役もしくはNPCばかりで、アイテム『とうぞくのかぎ』以外では勇者と縁のない存在だったという寄り道脱線はさておき、問題はFFだな」

翔花「ウィザードリィでは盗賊が重要なのに、ドラクエではしばらく採用されなかった。でもFFだと?」

NOVA「第一作から、シーフ(盗賊)は定番のジョブだったので、FFは盗賊ありきのゲームとしてスタートしたわけだ。その後、忍者コスプレをした盗賊ポールがFF2に登場し、FF3のジョブにもシーフが採用された。その重要性は分かるな、翔花」

翔花「鍵のかかった扉を普通に開けることができるので、扉の多いゴールドルの館や海底洞窟では大活躍ね」

NOVA「そして、FF3以降に登場した『ぬすむ』コマンドが本当に重要だ。このコマンドを使わないと入手不可能なアイテムもあったりするので、こだわり派のアイテムコレクターは初見のモンスター相手だと、必ず『ぬすむ』を試みて、何がゲットできるか確かめる者もいると聞く。『モンスター図鑑完成』と、『アイテム図鑑完成』は完全攻略のための基本なので*4、それらが実装されたPS以降のゲームでは、それを達成することに情熱を注ぐプレイヤーも多いだろう。まあ、ウィザードリィ以来のRPGゲーマーのハシカみたいなものだな」

晶華「早解き派のストーリー追っかけ優先プレイヤーには考えにくい悠長なプレイスタイルね」

NOVA「FF7の時に付き合いのあった友人M君のプレイを見る機会があったんだが、攻略雑誌を片手に見ながら、『このモンスターはこういうお宝アイテムを持っているのか。だったら盗んでから先に進めよう』とアイテムを盗むことに延々と挑戦していた。俺はもう少し先まで進んでいたので、軽いアドバイスのつもりで『もう少し先の街まで進んだら、そのアイテムは店で売ってるんちゃうん?』って言ったら、『いや、今入手することに意義があるんだ』と彼は自分のプレイスタイルを誇らしげに語っていた」

翔花「攻略雑誌を見ながらのプレイなのね」

NOVA「当時の俺はまず自力で1回、最後まで解く。その辺りで、雑誌ではなく、完全版の攻略本が発売されるのでお気に入りゲームの攻略本は必ず買って、2周めの完全攻略に挑戦するスタイルだったが、FF7では俺に解けないミニゲームがいろいろあって、それをクリアしないと入手できないアイテムもいろいろあって、完全攻略を諦めた。今にして思うと、自分に攻略できないミニゲームはそれが得意な友人に頼んでアイテムを代わりにゲットしてもらうという手があったが、当時はそんなこと思いつきもしなかったなあ」

晶華「自分で解くことに意義を求めるタイプもいれば、人の手を借りてでも効率よくコンプリートを目指すタイプもいるってことね」

NOVA「まるでトレーディングカードの集め方みたいだな。当然、後者は助けてくれる知人友人がいないと不可能なんだが、ポケモンにも見られるように、ゲームを通じたコミュニケーションスキルや人との付き合い方も90年代からはデジタル世代として必要な社交になっていく。ゲームに夢中になると引きこもるというのは古い昭和世代の価値観で、ゲームも社交の道具というのが平成生まれの価値観の差と言えるかもな」

翔花「流行りのゲームの話ができないと友だちが作れない子どもを、親が嘆くってケースがあるみたいね」

NOVA「ゲームに限らず、共通話題が持てないと友だちなんて作れないだろう? まあ、勉強や仕事を共通話題にすることも可能だが、それだと実務でしか人と付き合えず、休みの日に遊びに行く関係には到底なれない。営業人に求められる社交スキルって、仕事だけでなく相手の趣味に合わせて上手く人間的な交流を数多くこなせる才覚らしいから、自分の売る商品がいかに相手の生活や趣味にマッチするかを面白楽しく話せるかがポイントの一つと言える」

晶華「つまり、流行りのものに対する情報感度と、広くてそこそこ深い(マニアックというレベルには達しなくていい)話し相手になれる程度の知識と理解が、社交には必要と」

NOVA「まあ、そもそも相手の話に興味のない態度をとって、自分語りしかできなければ、友だちなんてできないんだがな。むしろ世の中は『自分の話を聞いてくれるリスナー』と『自分の興味を惹きつけてくれるトーカー、またはインフルエンサー』を求めているんだから、聞き役スキルと、話し役スキルの両方をバランスよく磨かないといけない」

晶華「NOVAちゃんは話し役スキルばかり磨いているわけね」

NOVA「自分のブログでは、そういう役割だな。リアルでは……聞き役スキルを磨いて学生さんや保護者さまからの情報収集がしやすくなるよう意識しているんだが、相手の話に関心を見せないうえに、大した情報を持ってない人間は、誰の目からもつまらなく映るだろう」

翔花「今のは一般的な社交の話ね。一家言持つマニアさん同士だと?」

NOVA「基本は同じだ。相手の話への受け応えと、そこからつなげるように自己の話題を広げて、相手の話と上手く絡めることを目指す。自分が知らないことを知ってる相手は素直に敬意を示せばいいし(皮肉に聞こえない程度に)、相手のツボと自分のツボが重なるときには素直に『そうそう、それがいいんですね』と共感同意を示す。まあ、自分が物を知らない劣等感に苛まれて、相手の話に張り合おうとしがちなのはマニア予備軍のマイナス面とも言えるが、自分より詳しい人間と話ができて、学べる機会を大事にできなくて、一流のマニアにはなれまい」

 

晶華「ところで今って、ジタンさんみたいな盗賊主人公の話のはずよね。また寄り道脱線してない?」

NOVA「してるから軌道修正を図ろう。ジタンは7や8のようなコミュ障キャラと異なる陽性主人公だから、外交力を発揮するムードメーカーだな。明るい笑顔がよく似合う主人公をプレイするのはいいものだ。たぶん、世界滅亡云々を言ってた世紀末から、明るい21世紀という幻想が見えて、作り手もそういう時代の主人公を目指したのかもしれない」

翔花「クラウドさんやスコールさんは世紀末主人公で、ジタンさんはミレニアム主人公ってこと?」

NOVA「やはり、1999年と2000年は時代の空気感が全然違ったんだよ。まあ、2001年の9.11で明るい希望の未来の幻想はあっさり崩れて、新時代のハードさに空気が置き換わるんだが、それはさておき、ジタンは明るい盗賊キャラ。盗賊は裏稼業で明暗両面がある。闇に隠れて生きるのは暗いが、ジタンの表職業は華やかな劇団員だ。つまり、演技達者でもあるし、盗賊団の隠れ蓑の劇団タンタラスは孤児の彼を拾い養ってくれた家族だ。孤児だけど、孤独ではないのがジタンで、実はFF9って寂しさを抱える孤児キャラが多くて、それがジタンの明るさに救われる物語と言える」

晶華「ガーネットさんは王女さまだけど、孤児なのね」

NOVA「ああ。本当は召喚士の末裔のセーラ(この名もFF1オマージュ)だが、いろいろあって優しい時代の女王ブラネに拾われた過去がある。例によって、幼少期の記憶は喪失していたって設定で、まあ出生の秘密とか、本当の自分というドラマを描くためのギミックなんだけど、ここまで多用されると飽きて来るよなあ」

翔花「ジタンさんは記憶喪失じゃないの?」

NOVA「彼は『死をもたらす人造生物』として作られたんだが、そういう記憶をそもそも持たずに、孤児として捨てられた後の明るさをアイデンティティとしているからな。FF9のテーマの一つは、『出自に縛られない自由意志への解放』でもあるから、ジタン自身は記憶障害に悩まされることなく、むしろ今の自分を根本的に肯定することで、周囲に希望を与えるキャラとして描かれている。絶望の渦中でも、心壊れることなく明るく振る舞える主人公ってのは、FF5以来の陽性キャラだと思えたな。同じ盗賊キャラでも、過去の悲劇に引きこもったFF6のロックと大違いだ」

晶華「成長する魂を持った明るい(メンタル強い)最強人造人間……って、ジタンさんはチート主人公なのね」

NOVA「クラウドやスコールのような、イケメンだけど寡黙系の陰キャ主人公に比べると、外見は幼い少年に見えて、実は一番タフで楽しいヒーローキャラだと思う。まあ、モデルの一つがドラゴンボールの悟空と思われるのだが、あそこまで戦闘マシンじゃないし、劇団仕込みのイケメン演技もバッチリで、FF9をプレイした人間が憧れる完璧主人公の一人だと思うぞ」

NOVA「ドラマ面でも優秀な主人公属性ばっちりのジタンだけど、ゲーム面でも『ぬすむ』コマンドのおかげで、こだわり派プレイヤーにも愛されている。戦闘は他のキャラでもできるが、『ぬすむ』コマンド持ちは、アイテムコレクターには外せない能力と言えるわけで。なお、『ぬすむ』の変遷でもリストが作れるぞ」

 

  • FF3:シーフのジョブコマンドとして初登場。シーフがレアな攻撃アイテムを敵から盗みまくって、攻撃アイテム効果が2倍の学者に使用させるコンボが、リメイク版では有用らしいが、趣味の域を出ない。
  • FF4:忍者のエッジが使用する。彼の両親との長い悲劇のイベントの間、エッジがひたすらポーションを親からくすねたのも良き思い出。怪物化した身をはかなんで去り行く両親に待ってくれよ〜(もっとポーションを遺してくれよ〜)と涙を流すエッジのロールプレイで同時プレイヤー*5にウケた記憶が懐かしい。それはたぶん特殊な思い出だと思うけど、一般的には「最強防具アダマンアーマーを入手するために、ピンクのしっぽを得る前段階として、アラームを大量にゲットする仕込み」のためにエッジを使うことが、やり込み派プレイヤーの流儀だったと言える。
  • FF5ジョブチェンジによって誰でもシーフになれて、「ぬすむ」および「ぶんどる」を習得できて、光の盗賊団を結成することも可能。シーフのアビリティは探索に有用なものが多いので、パーティ中誰かがシーフになって、アビリティを取得したらローテーションで交代するのは、FF5攻略の基本だと思う。学者以上にアイテム活用の達人である薬師との組み合わせも有用。
  • FF6盗賊自称・トレジャーハンターの冒険家ロックの固有アビリティ。彼のぬすむアビリティを必要とするイベントもあって、開発者も「ぬすむ」推しだったのがよく分かる。モンスターのドロップ品と、「ぬすむ」で手に入るアイテムリストが別設定である辺り、やり込み派はどんどん盗め、と言わんばかり。現実で盗むと犯罪なので、ゲームで代替行為ができるのを教育に良いと思うか、悪いと思うかは人それぞれ。
  • FF7:ぬすむマテリアのおかげで、誰もが盗人になれる世界。まあ、テロリストよりは、盗むの方が罪が軽いと思う。そして……自分がマテリアを盗まれる立場になって、盗まれた者の気持ちまで学習できるという教育に良いゲーム。テロリストがいかに一般市民に迷惑をかけるか、ぬいぐるみに苦言を呈されるシーンがあるのも良いしね。キャラの言葉として、まともに説教されるのも良いゲーム体験と思うのです。
  • FF8:敵から魔法を盗む(ドローする)のがシステムとして常態のゲーム。アビリティの「ぬすむ」はないけど、上位の「ぶんどる」はGFのディアボロスかバハムートが教えてくれるので、アイテムコレクターはそちらを活用しよう。ただ、このゲームのポイントは、アイテムを盗んで集めるだけでなく、それを素材として上位のアイテムに生産することで、そのうち街で買い物をしなくても、自給自足できるようになること*6。素材を活用して生産したり、武器改造したりする錬金術系、ハンター系ゲームの走りなんだけど、当時はあまり理解されていなかったよなあ。
  • FF9:自他ともに認める最強盗賊主人公の神ゲー。アイテムによるアビリティ取得はできるけど、7や8みたいなキャラ・カスタマイズの自由度は減った。だけど、そのためにシステムとして分かりやすくなって、初心者でも問題なくプレイできる門戸の広い作品。盗賊の暗い職業イメージも、この作品で払拭された気がする。劇団員にして盗賊、という陽性インパクトは、その後、21世紀のフィクションにもいろいろ引き継がれる(ルパン3世ドロンボー一味とはまた違ったゲームらしい盗賊冒険物語の類型とも言えるかな)。
  • FF10:スフィア盤から習得できるアビリティなので、誰でもできるが、ヒロインの一人、リュックが最初から習得している。本作の「盗む」には新機能があって、機械系の敵からパーツを盗んで、即死(起動不可状態)に追い込むことができる。つまり、機械系の敵が出たら、リュックか「盗む」習得者に交代すると効率よく戦闘できるわけである。技術者としての盗賊の一面性を反映したシステムなので、結構、楽しいと思った。バラバラマンとかイエローレーサーを思い出したりして。
  • FF12ガンビットで「盗む」アビリティを習得、使用できる。これ以降は、語るほどの経験を持たないし、思い入れもないので、ここまで。

 

晶華「ということで、『ぬすむ』を活用して、アイテムコレクターの道を邁進するのが、マニアの道ってことね」

NOVA「まあ、道の一つってことだな。今はゲームも多様化しているので、『ぬすむ』以外にトレードで入手とか、課金で入手とか、自分で生産とか、アイテムコンプリートのために越えなければいけない作業は数多い。『ぬすむ』の価値が相対的に下がっているわけだし、『ぬすむ』も含めた情報トレーディングとか、オンラインだとギルドに参加してのメンバー交流とか、人生と同じでいろいろな手法を求められるようになっているんだ。ただ、盗賊キャラの価値が違う視点でも見られるようになった」

翔花「どういうこと?」

 

盗賊キャラの価値

 

NOVA「これはFFが世界的にウケて、新たなファンタジーのスタンダードを築き上げた21世紀初頭にもつながるんだが、盗賊が軽戦士としてTRPGのD&Dでも強化されることとなった」

晶華「ああ、D&D3版(2000年)の話ね」

NOVA「FF1はD&Dの模倣から始まったんだけど、そこまでの歴史の中で、逆にD&DがFFの要素を模倣、取り入れるようにもなって行ったわけだな。重戦士のファイターでなく、軽戦士のシーフやローグが主人公として輝ける世界をFFが発信し、それをD&Dがシステム的に再現できるようにもなった。この文化の相互交流、影響の与え合いが俺の好きな研究ジャンルなんだ。一口に多元世界と言っても、衝突だけでなく交流あってこそでしょ、と考えたりする」

翔花「TRPGだって、会話によるコミュニケーションゲームだもんね」

NOVA「FF9は『原点回帰』のゲームだと言ったな。実は、この2000年という時代に『原点回帰』を謳った作品はFF9だけではない。これもそうだ」

翔花「そうかあ。FF9は、NOVAちゃんの記憶の中では、クウガさんにもつながって来るのね」

NOVA「こっちにもな」

晶華「FFの歴史だけを追っていると分からなかったけど、FF9と同時期のクウガさんやタイムレンジャーさんと並べると、原点回帰と言いながら、何か新しいものを作ろうとしていた熱気も伝わってくるような気もする」

NOVA「うちのホビー館の歴史も、その年からだからな。そして、FF9の売り文句も原点回帰のはずなのに、ストーリーテーマは『出自(過去)に縛られない自由意志への解放』なんだから、矛盾していると言えば矛盾なんだが、要は『解放を描くためには、過去からの縛りを描いたうえで、それを新世代が引っくり返すドラマ』にしないといけないってことなんだ。原点を描きつつ、そこからの進化を示さないといけない。同時期の『ゴジラ2000』が失敗した理由(俺主観)はそこにある」

翔花「懐古と進化かあ。過去を振り返りつつ、未来はこうありたいって方向性の模索よね」

NOVA「そこで、自由人であり、王国という権威に対峙する明るい盗賊というキャラが求められる。ここでもドラクエとFFの比較ができて、ドラクエは基本的に王権を肯定するゲームなんだな。これはファンタジーゲームの伝統の一つで、王国の危機とそれを救う勇者というのがドラクエの基盤だと言える」

翔花「FFは違ったっけ?」

NOVA「初期は王権を肯定する。FF1、3、5は明確に王女を助けて、裏切り者の騎士や悪の魔道士を退治するようなエピソードがあるし、主人公は体制側に所属する光の戦士だ。しかし、初期の偶数番号では、主人公が反体制側という一面を示すようにもなる」

晶華「FF2では、主人公の故郷の町や王国を滅ぼした帝国が敵だもんね」

NOVA「味方の王国と、それを滅ぼそうとする(あるいは滅ぼした)帝国という構図は、80年代ではスターウォーズ以来の伝統と言えるな。FF2では、亡国の王女に助けられた主人公たちが反帝国のレジスタンスに参加することで、FFシリーズに『反体制側の自由と解放を旨とする主人公とそのドラマ』という色付けも加わる。そして、FF4では『裏切りの王国騎士が、一国だけでなく、より広い世界の平和のために、闇から光へ転化する物語』になる」

晶華「聖騎士パラディンからバロン国王になっちゃうものね。続編では、闇堕ちしちゃうけど」

NOVA「闇堕ちした前作主人公を、息子と、かつて闇堕ちしたりもした仲間たちが再集結して光の道に呼び戻す話だもんな。光と闇の不可分性を表した世界観とも言える。そしてFF6は帝国に対する抵抗軍リターナーの物語だが、最終的には帝国も裏切り者の魔道士ケフカの手で皇帝が殺され、王国も帝国もない世界の破滅の危機を救うための物語に展開する」

晶華「FF6のパーティーは反帝国の立場で、非常に多彩な仲間が集まって来るのよね」

NOVA「帝国の女将軍が裏切って仲間になるとか、FF4の裏切り者設定をさらに発展させて、その延長線上にプリキュアの追加戦士もいると考えられる。戦隊の場合は、88年のライブマンが裏切った友というテーマを初めて扱ったと思うが、同じ年にファイナルファンタジー2で、裏切った友にしてヒロインの兄レオンハルトダークナイト)を見せている」

翔花「光と闇、正義と悪が不明瞭なドラマが、初期のFF偶数ナンバーになるわけね」

NOVA「最後は、結局、世界を滅ぼそうとするラスボスを退治すれば、物語はきれいにハッピーエンドに落ち着くんだけどな。世界滅亡の危機に際しては、それまでの体制側とか反抗側とか関係なく、呉越同舟的に協力する物語がFF7以降は定番になると言っていいかな。また、単に洗脳というギミックで悪堕ちしていたのが、信念の違いとかで対立するドラマが増えて行くのもPS時代だ。メガテンのロウルートやカオスルートみたいなマルチエンディングではないけど、対立と和解のドラマや、一時的な共闘などの物語ギミックが美麗なムービーとともにどんどん描かれ積み重なっていく」

晶華「ストーリーの紆余曲折ってことね。結論は、『ラスボス倒して世界を救った』でまとまるんだけど、そこまでの過程がいろいろあって、キャラクタードラマを楽しみながら推しを応援するのは、ゲームも他の映像作品や小説と変わりない。そういうレベルのドラマに育って行ったのが90年代だった、と」

NOVA「そして、他のジャンルと違うゲームならではの魅力は、自分の推しを自由に育てられるインタラクティブ性と言えるな。ともあれ、FF7以降は主人公が明確に反体制側として扱われ、帝国ならぬ世界を支配する大企業や、一国の大統領や、強権の王国などを敵に回す解放者主役の物語が中心になる」

晶華「ドラクエでは9で初めて帝国が登場して、11では王国が勇者の敵に回るなど、FFっぽい話作りになって来たけど?」

NOVA「スクウェアエニックスに合併した後だから、影響を受けたりもするのだろう。まあ、アウトローな物語を描くには、主人公の相棒を盗賊のカミュに設定するなど、盗賊キャラの価値が高まったりする流れが、21世紀かもな」

翔花「結論すると、21世紀に進化する明るい盗賊像の類型が、FF9のジタンさんってことね」

NOVA「まあ、そういうことだ。で、ジタン以外のキャラ(特にヒロインのガーネットと、騎士団長スタイナー)についても語りたいので、次回に続く、だ」

晶華「FF9は1回で終わらなかった? どれだけ好きなのよ」

(当記事 完)

*1:クリスタル復活が宣伝キーワードだったけど、劇中ではそれほど主人公に絡む役割ではなかったかな。世界の根幹には絡む設定だけど。

*2:終盤に登場するガーランドという名前のキャラ、およびグルグ火山というダンジョンとBGMが、FF1要素であるぐらい。

*3:97年から99年にかけてFF4〜6をPS対応の移植版で発売して、以降のリメイクの先鞭をつけたが。

*4:他には青魔法も含む全魔法習得とか、基本中の基本である全ジョブ取得とか、集めるものはいろいろ。近年のゲームでは「キャラクター」や「物語の記憶」などもコレクションの対象として扱われている。

*5:SFC版のFF4はコントローラー2つで2プレイヤー協力プレイができたので。

*6:最終局面では街が全て時間圧縮で封印されているので、自由な買い物が困難になる。