没入し過ぎてボツになった話
NOVA「さて、前回の記事は、一言で言うなら、この小見出しにある通り、『没入(イマーシブ)ゲームがどうやって人を没入させるか』を語ろうとしながら、それを創作につなげようとして、いろいろ語っているうちに、何だこれ???という文章になってしまい、的を外した記事になってしまったわけだ」
晶華「そんなつまらない雑談に付き合わされた私たちにとっては、たまったものじゃないわ……と読者さんの気持ちを代弁するわ」
NOVA「お前だって雑談の当事者じゃないか。俺一人に罪を押しつけるんじゃない」
翔花「でも、本当に読む価値のない文章だったら、ボツにして、人様の目に触れないようにするんでしょ?」
NOVA「ああ。何だこれ???と書き手の俺が思ったのは、意味不明ってことではなくて、最初に書きたいと思ったことと、書いた文章の内容が随分と乖離したな、という理由からだ。文章の中身はそれなりに面白くて、人によってはタメになる、というか、良い勉強になるのではないか、と自画自賛できる。ええと、卵焼きを作ろうとしたら、かき混ぜているうちに形が崩れて、炒り卵になってしまい、まあ、これはこれで美味しく食べられるからいいか、と納得しているような気分だ」
晶華「でも、プロの料理人だったら失格ね。料理屋で卵焼きを注文したのに、出て来たのがスクランブルドエッグだったら、金返せのレベルだし」
NOVA「カレーライスを注文したのに、出て来たのがカレーピラフだったという経験は実際にある。その店のカレーライスは、ライスが白飯じゃないのが仕様だったようで、初見の店で自分が想定していたのと違うものが出て来たわけだ。まあ、別に食べられないわけじゃないので普通に文句を言わずに食べたが、そのお店には2度と行ってない。その店の提供するカレーピラフは、俺の食べたいカレーライスと違うからな」
翔花「でも、文章を書いていて、最初に意図していた文章と違うものができるのってあるの?」
NOVA「それって、創作あるあるだぞ。工業製品みたいに完成された設計図やレシピがあるわけじゃないからな。まあ、その設計図がプロットと称されるものだが、人に見せるためのあらすじ的なプロットと、自分だけが分かればいいという下書きメモと、イメージだけがある脳内プロットは別物。で、俺も構成をしっかり考えたいときは、メモに概要を書き記してから記事書きするけど、いつもそうしているわけじゃない。
「とりわけ、お前たちとの雑談は心の翼を広げて、無意識から飛び出すものを楽しみながら書いているところがある。そもそも、お前たちの誕生からしてそうだ。意図的に作ったのではなくて、自然発生的に生まれた。だから、そういう作為よりも偶発性を楽しめる読者さんは、お前たちを楽しめるし、そうでない読者さんにとっては謎のオリキャラ(リカイフノウ)になるんじゃないかな」
晶華「リカイフノウってカタカナで書くと、壊れた人工知能みたいね」
NOVA「まあ、例のコメントは、俺にとっては人格を持った人間というよりも、壊れた人工知能みたいなところがあるからな。そもそも、『寸劇』って何だ? 誰がいつ寸劇なんて書いたんだ?」
翔花「寸劇を定義すると、『ショーなどの合間にはさまれる、短く軽い演劇。コント』とあるわね。前回のガッチャードさんの話であった『ラケシスさんを笑わせよう』のシーンがそれかしら」
NOVA「あれは、メインエピソードが『ガッチャードと冥黒の王の戦い』にあるから、あのシーンは日常の幕間、和ませシーンで本筋ではない(だけどキャラや演じ手への愛着を高めるシーンとしては効果的な)寄り道だった。ああいうのを寸劇と称するのは間違っていない」
晶華「でも、私たちのお喋りは寸劇じゃないわよね」
NOVA「まず、長さが全然違う。俺のこの長文を称して、寸劇という言葉を当てはめたなら、そいつの語彙力は中学生レベルだ。まあ、国語の苦手な高校生かもしれんが、教育的指導を誘発したくなるレベルだな」
晶華「出たわね、説教親父モード。壊れた人工知能相手に説教しても仕方ないでしょ?」
NOVA「いや、人工生命体を人間にするために、お笑いを教えようってのは、令和ライダーの原点からしてそうだぞ。たとえ、相手が国語の弱い人間だろうと、壊れた人工知能だろうと、令和ライダーファンなら笑わせたくなるのが流儀ってものではないか?」
翔花「相手が読んでるとは限らないんだけどね。で、わたしたちのお喋りは、『会話劇が主で、そのネタとして、映画感想という題材を使った記事』なんだから、コメント主さんは最初から盛大に勘違いしたってことね」
NOVA「映画感想が主で、合間の短いお喋りで和ませるとか、そういう記事だと思い込んでみたら中身は違っていた、ということみたいだな」
晶華「カレーライスを注文したはずが、出て来たのがカレー掛けスクランブルドエッグだったので、何じゃこれ? という反応だったわけね」
NOVA「カレーのトッピングに、スクランブルドエッグって美味しいじゃないか」
晶華「個人の好き好みの話じゃなくて、カレーライスを注文されたら、普通にカレーライスを出さないと、お客さんは満足しないわ」
NOVA「いや、注文された覚えはないんだが? 俺がスクランブルドエッグ(ごちゃごちゃお喋り)にカレールー(キョウリュウ王様の映画)を掛けて美味しいなあって言ってたら、『スクランブルドエッグに???』という反応をされたような感じか。創作卵料理がメインのお店に来て、カレーに卵など意味不明と言われた場合、お店としては卵が邪魔と判断すべきなのかと考えて一言、『うちは卵がメインでやってるんじゃ。卵にケチをつける客はお呼びじゃない。卵の味が分かるなら、また来なよ』って応じるべきだろうな」
翔花「そこで『卵の味が分からないなら2度と来るな』と感情的に言ってしまうと、作り手としては負けなのね」
NOVA「それは頑固な職人でありがちだけど、商売人としてはダメなんだな。客には客の作法や資質が求められるけど、客の意見は一応、熟考してみて、自分の改善につなげられないかと検討する姿勢を見せることが、今の時代に求められているビジネススタイルだとは何かの本で読んだ」
晶華「ただし、お客さんの要望が、お店の提供するものとは関係ない、プライベートな親密な付き合いだったら、話は別ね」
NOVA「???のコメント主は、曲がりなりにも未熟な客人だが、スキンシップ云々はただのキモい変質者的な言動だからな。転禍為福のネタにもならん」
ここからプロットに基づく話
NOVA「で、一行ほどのコメントに、いろいろと誘発される想いがあるって話なんだが、こういうのを没入感覚って言うんだろうな」
晶華「普通はどうでもいいことなのに、想像力を深めすぎて、没入しちゃうところがNOVAちゃんの良いところであり、悪いところよ」
NOVA「話の根幹を見失ってはいけないから、前回の記事から抽出された今回のポイントを2点、先に挙げてみよう」
- ゲームとストーリーの融合で、没入感覚をどう高めるか。
- 創作は願望実現装置。作者の願望と読者の願望をどうつなげるか。
NOVA「結局は、この2点に自分なりの当座の結論をまとめれば、記事としてはきれいに完成するわけだ」
晶華「問題提起→具体例を交えながらの考察→結論の大きく三段構成ね」
NOVA「最初の問題提起に関係ない余談や寄り道脱線を削れば、論文としては、すっきりする。説明的文章としては、これがベストの構成だ。まあ、物語を始めとする文学的文章は、途中のカオスが面白さにつながることも多いので、すっきりし過ぎるのもつまらないわけだが、カオスが多すぎるのも、読者のストレス源になるからな」
晶華「タイパを重視する読者さんには、分かりやすい結論をさっさと提示してくれる方が良い文章であり、物語にもそういう面を求めるらしいわね」
NOVA「最後がハッピーエンドと判明するまでは、作品に接したくないって人もいるみたいだからな。主人公の悲劇で感情を乱されたくはないって人もいれば、どう転ぶか分からないサプライズこそ物語をリアルタイムで味わう醍醐味って人もいて、読者の好みは人それぞれなんだ」
翔花「だったら、読者さんの願望を、作者さんが汲み取るのって大変よね」
NOVA「だから、作者はタイプ別の読者さんのために、複数のキャラを用意するんだよ。主人公は単純明快で陽性のキャラを用意して、最後はハッピーエンドになるように確約する。一方で、ハードシリアスを担当するサブキャラ、もしくは敵から転向して味方になるキャラを用意すると、どちらの需要にも応じれるわけだ。一人のキャラに読者の求める全てを兼ね備えさせることはできない。万能の能力は与えることはできても、万能の性格は与えることはできないからな」
晶華「能力はあれこれフォームチェンジで使い分けることはできるけど、性格は……フォームチェンジで使い分けるヒーローもいるわね」
NOVA「電王とか、そこまで行かなくても、複数人格のキャラは多面性を示せるな。最近は、主人公の裏人格が定番というか、『陽性だったキャラが実は……』というサプライズで、物語にうねりを与える手法が定着している。まあ、そういう業を負わせるのが、主人公なのか、それとも脇を固める主要キャラなのかで、作風も決まって来るが」
翔花「読者の様々な要望は、複数キャラの描き分けで対処するってことね。2番めの問題の結論は出た、と」
NOVA「主人公は物語の縦糸を決める中心人物で、大筋の事件解決の原動力だから、それは王道で魅力的になるように設定するとして、主人公に背負わせられない要素は、他のキャラに上手く配分して、絡みのドラマを盛り上げたりするわけだな。協力したり、対立したり、最後には和解して共闘したり、ラスボスを倒した後で、最後のライバル対決で雌雄を決するのもありだが、とにかく作風に応じて、個々のキャラの魅力をどう高めるかは、作家ごとの描写技術や、伏線も交えた構成力、そして主人公たちの人間性や人格の成長をどう魅せるかなどなど、様々だな。そして、主人公たちの成長に合わせて、書き手も成長を重ねているとなおいい」
晶華「作者の成長かあ。確かに、成長する作家さんは応援したくなるよねえ」
NOVA「ベテラン作家が手癖で書いた主人公よりも、『今度の主人公は今までにないタイプのキャラで、自分でもどう転ぶか分からないけど、新たな挑戦だと思って書き綴りたい』とアピールする作品の方が、受け手としてもワクワクするわけだよ。ただ、コミックの場合、絵柄の影響で、結局、また同じようなキャラになってしまうケースも多々あるけど」
翔花「細かいギミックや設定は変わっても、作風は変わってないから、結局、同じような演出描写になってしまうのね」
NOVA「それを王道と見なすか、マンネリと見なすかは受け手次第だけど、一定のファンが付いて、持続可能な定着の仕方をすれば、◯◯節とも称され、その作家独自の語り口調として称えられる」
晶華「お馴染みの芸風を求めるファンにとっては、マンネリ扱いされても、『だからいいんだよ』と返せるわけね」
NOVA「作家やクリエイターが作りたいものが分かって、そこに読者や視聴者が共感できれば、作家冥利に尽きるような世界観ができるよなあ。大御所レベルだと、固定した客層で商売できるし、寄らば大樹を求める新規のファンも確保できる」
翔花「でも、同じような物ばかり書いて、作家の方が飽きて来ない?」
NOVA「飽きるから、いろいろな敵ネタを考えたり、細かいサプライズを仕掛けて遊ぶんだろうな。その遊び心にも共感できたら、読者としては勝ちだろう。まあ、作品を味わい尽くすためには、作品ファンのコミュニティーであれこれ感想を語り合うなどの背景もあったりするんだけど、そこで禁じ手は、作品への愛なき批判だ。好きだからこそ小ネタを拾ってのジョーク交じりのツッコミと、よく分かってないけどウケそうだって理由だけで言わずもがなの暴言を吐くのとでは質が全然違う。
「場の空気を悪くしたな、と思えば、上手く切り替えるような振る舞い方(愛情が暴走しての失言でした、とか、言い回しはいろいろある)で、自分への悪感情をそらせるなり鎮めるなりができると、多少は角が立っても、場の邪魔にはならないんだけど、そういうコミュニティーでの立ち回り方は、ファンとしての節度や誠意の問題だからな」
晶華「そういうファン活動での失態は、作家さんのせいではなくて、ファン個人の問題だもんね。まあ、作品によっては、ファン活動のサイトを炎上させがちなものもあるけど」
NOVA「作家自身が暴言連発マシンなケースもあるし、作品テーマが荒れるネタを内包しているものもある。そして、そういう炎上しやすい場が大好きな放火魔、もしくは爆発鑑賞マニアもネットには少なからずいるので、他人事として見るのは楽しい」
晶華「こらこら。不穏当な発言は控えなさい」
NOVA「20年以上もネット活動を続けていれば、俺自身が当事者だったり、ヤジ馬傍観者だったり、火災現場に居合わせたこともそれなりにあるからな。『火事とケンカはネットの花』という意見もあって、不毛な議論に応じる作法なんかも、昔はいろいろあったなあ(今もあるかは未確認)」
翔花「NOVAちゃんは百戦錬磨ってこと?」
NOVA「いや、百戦も戦うほどバカじゃない。せいぜい両手両足の指で数えられる程度だと思うが、自分からケンカを吹っ掛けたケースは少ないかな。降りかかる火の粉を払うぐらいだが、議論を通じて仲良くなったケースは稀だな。議論で味方してくれた人と仲良くなるのが普通でしょ」
晶華「ああ、議論することで目立って、人の賛同を呼ぶことがあるわけね」
NOVA「だから、誰が味方で、誰が同意してくれる人間か分からない匿名板での議論は不毛だな、と思う。議論を通じた人間関係の構築に興味があったわけで、別に俺はケンカを求めまくるバトルジャンキーじゃないから。フィクション的には拳を通じて、相手の真意が分かって、『やるな、お前』『そう言うお前もな』『このまま続けるかい?』『お望みとあらば。しかし、不毛なバトルに興味はない』『だったら、この辺で手を打つとするか。あんたの強さは分かった』『本気ではないぞ』『こっちもな。だけど、お互い本気でぶつかれば、千日戦争だ』……って感じで、落としどころを見出すのが議論達者という世界だ」
翔花「勝った負けたじゃなくて、相互理解がゴールなのね」
NOVA「ケンカ慣れしていない子どもは、ケンカの収め方が分からなかったりするからな。まあ、自分の意見と相手の意見の落としどころを見出すことが社交術だし、落としどころが見えない場合は、議論そのものを終了させるのが正解、と」
晶華「作者の書きたいことと、読者の読みたいものが食い違う場合も同じような感じ?」
NOVA「書きたいものをつかむために、テキトーに球を投げるというのもあるがな。普通は、そういう習作レベルが商品として表に出ることはないわけだけど、メイキング本だと『こういう理由でボツになりました』とか『ボツになったこれが、設定を再構築して流用できました』とか、そういう裏事情のあれこれを知るのが楽しかったりする。当時はあまり売れなかったものが、後から再評価されるケースも長い目で見ればあるわけだし。まあ、そもそも技術的に下手くそなものはどうしようもないわけだが」
翔花「でも、技術の発展で、当時の最先端が今だと陳腐化してしまうことだってあるでしょ?」
NOVA「その場合は、歴史的遺産として愛でる楽しみがあるわけだな。何にせよ、レトロを求めるファンもいるわけだし、小難しい話の中に含蓄を見出してくれる人もいれば、興味ナッシングで軽いコミカルな読み物を求める者もいる。作者は自分が作れる(面白くて売れると思う)ものを作ればいいし、受け手は自分に合った作品を探して楽しめばいい。そして、自分に合わない作品や作者は、揶揄や悪口の対象ではなく、単に自分に合わなかったと見切りを付ければいいだけの話だ」
晶華「それでも、時間を無駄にされたと憤りを作り手にぶつけたい人もいるわけよね」
NOVA「ただの感情の捌け口って奴だな。だったら、書き手側もストレス解消のために、何十倍にして反論を列挙したくなることだって、ないわけじゃない」
晶華「それがアンチさんの餌になるわけで」
NOVA「アンチはファンの裏返しだからな。作家にとって一番辛いのは、アンチじゃなくて、スルーされて歯牙にもかけられないことだから。特に商業作家の場合は」
晶華「話題性づくりのための炎上戦略ってのもあるのよね」
NOVA「あと、作家に相手して欲しい者が、わざと気に障ることを言って、あれこれ反応させるって小学生男子みたいなムーブを見せるケースもあるが、俺自身は職業柄、小学生の相手は慣れているからな」
翔花「体は大人、頭は小学生だもんね」
NOVA「おい。『少年の魂を持った大人』というキャッチフレーズは好きだが、頭の中身が小学生ってのはちっとも憧れない。コナン君は逆だろ、逆」
晶華「まあ、子ども(未成年の若者)相手のお仕事をするなら、彼らが何を楽しむのかってリサーチは常に必要だもんね」
NOVA「それが分からなくなったら、作家も客層を変えるように居場所を変えないといけないんだよな。それでも、20年、30年と時代に合わせた子ども向け作品を作って行けるクリエイターさんは凄いなあ、と思うんだけど。まあ、以上が『作者の願望と読者の願望をどうつなげるか』の話だな」
翔花「結論は何?」
NOVA「作家の側は、若いときは自分の作風の模索と、幅広いリサーチによる実験開拓精神が必要で、ある程度、作風が固まったあとはそれを基軸に、脇役や敵キャラなどに多様性のアイデアを注ぎ込む。主人公がキャラ変すると、既存のファンががっかりするので、柱はしっかり維持したうえで、主人公の仲間キャラのドラマを膨らませて、読者の多様な要望の受け皿にする。主人公は最初と最後だけしっかり仕事してくれれば、途中はキャラの絡みの数だけ多様なドラマが展開できる。少なくとも、これが車田王道スタイルだな」
晶華「一応、最後は主人公がしっかり締めてくれるのが王道形式ね」
NOVA「まあ、主役のキン肉マンではなく、悪魔将軍(ゴールドマン)がラスボス(超人閻魔ことザ・マン)戦を締めたシリーズもあったがな。サプライズならサプライズで、読者が納得するだけの説得力が必要だし、それこそシリーズ構成も考えた構築力ってものだろう。最後の風呂敷たたみで、読者をがっかりさせてしまうサプライズは、傑作とは言えまい」
翔花「読者さんの多様な要望を、主役以外も含む複数キャラそれぞれの魅力を満遍なく描くことで、しっかり受け止める。それが読者の感情移入を高めることになる、と」
NOVA「推しキャラが1人でもいれば楽しめるし、これもいい、あれもいい、だけど一番好きなのは一輝兄さんだな、と好みを選べる店は常連になりたくなる。でも、最後は主人公(今は天馬)がしっかり締めてくれると、満足できるわけだ。そこがおざなりになってしまうアイデアを出して、軌道修正もしない頑迷な人物は、何というか車田王道の流儀を分かっていないし、クリエイターとしてはたった一つのアイデアに固執する硬直した思考回路って終わっているわけよ」
晶華「思考の柔軟性が必要と言うことね」
NOVA「このアイデアがダメなら、こっちでどうだ? それでもつまらないなら、こういうのでどう? とアイデアの球をいくつも投げられるのが、プロレベルって話を聞いた。珠玉のアイデアってのは、たった一つの最適解(ひらめき)ではなくて、最初に思いついたアイデアは陳腐なので捨てるというのが流儀という作家もいる。最低3つはアイデアを考えて、その中で自分が1番面白いと思ったものを選ぶ。1つの問題に3つも解法を考えて、その中でザ・ベストを選ぶから珠玉なんだな。
「そして、もしも自分が思うザ・ベストが編集さんに気に入られなければ、だったらこういうのでどうでしょう? と自分にとっての次点を選ぶ。すると、そっちが受け入れられたりするので、本番ではザ・ベストと次点を上手く混ぜ合わせて、お互いの納得度に折り合いを付けるというのが、とある作家のメイキング裏話だそうで、それを知った俺は、何かを予想する際にも3つは可能性を吟味するようにしている。まあ、深読みして考え過ぎてしまうこともあるんだが、ストーリーの正解がたった一つだけってことはないはずなんだ。
「ましてや、アイデア一つで勝負しようって考えは、そのアイデアにつながるサブアイデアの可能性や整合性などを組み立てる、その後の思考を停止させてしまう。ワンアイデアから、どんどん考えが広がるタイプなら、そこがスタート地点でいいんだが、ワンアイデアで満足して考えが閉じてしまう人間は……考えが膨らまないので、会話していてもつまらないな」
翔花「ダメな人間ほど、たった一つの思いつきに固執するってこと?」
NOVA「視野が狭いんだな。現実は、自分に見えているものが全てってことはないから、新しい情報が出て来たら、自分の思いつき予想にも軌道修正したり、時には『そう来るとは思っていなかった。だったら、この後の展開は……』と元のアイデアを棄却するなり、柔軟に考えていくのが予想を交えた作品鑑賞だろう? 最初に予想して、その予想を絶対視して勝った負けたを言い出すような人間には、多様な状況の変化という現実が見えていないんじゃないか? と思うよ」
晶華「最終的に、それが正解だとしても?」
NOVA「大事なのは、答えを当てることではなくて、思考過程の披露とか、いろいろな可能性の吟味なんだ。そして、この作家の流儀はこうだから、こういう筋書きが王道だと思うけど、変化球の可能性もあるから、こういう流れもあり得る……ぐらいの話ができると、俺は自分自身も含めて、それを言える相手を尊敬する」
翔花「つまり、クリエイターさんの思考過程の推測ね」
NOVA「で、予測を3つも考えているのに、それとは違う答えを出されたら、想定外だったと驚けばいい。それなりに考えた人間の発する想定外(0.1%)と、ほとんど考えていない人間の発する想定外(10%ぐらい)は、意味合いが違う」
晶華「プロってのは、そこまで考えて作品作りをしているのね」
NOVA「少なくとも、メイキング本を記しているタイプの作家はな。もちろん、そこまで考えなくても、売れ筋に非常に敏感な作家さん(商才タイプ)とか、時流と運に乗れて後はノリ任せの作家さん(幸運タイプ)とか、いろいろいるけど、そういうのは憧れても、マネできないし、読者以上にクリエイターさんの個性は多様で面白くて、癖が強いからな」
翔花「癖の強い人の願望が形となったのが作品で、そこに自分の好みが内包して楽しむことができれば、読者さんは満足ってことね」
NOVA「作家の勝利条件は、できるだけ多くの読者を楽しませること。一方、読者の勝利条件は、自分を楽しませてくれる作品に出会うことと、作品を通じて同好の士とのコミュニケーションを堪能することだと思うな。そして、良いコミュニケーションのためには、話題作をしっかり味わって、自分の視点での作品の面白さを相応に語れるようにすることだ。作品はコミュニケーションの材料にもなるが、コミュニケーションの手段として作品や作家の悪口を述べるようなのは悪手だ。コミュニケーションの場の空気を悪くするようなのは、場から淘汰されてしまうわけで、それを作家や作品のせいにするのは……現実にいるから困るな」
晶華「そういうルサンチマンさんには、作家さんも責任はとれないよね」
ゲームとストーリーの没入感覚
NOVA「さて、これがゴールなんだが、きっかけはEXIT本は俺的にゲームとストーリーの融合に失敗し、指輪EXITの方は成功したと思っている。その違いは何か? という疑問だ」
晶華「そんなの簡単よ」
NOVA「ほう、晶華、答えてみよ」
晶華「指輪の方は、プレイヤーがホビット忍び団(仮称)として、ガンダルフさんから指令を与えられる役割を与えられた。指輪のファンで、ホビットのことを知らない人はいないだろうから、プレイヤーの望む役割は十分果たされる。だから、没入感覚はバッチリよ」
NOVA「正解だ。つまり、原作ファンを想定して、原作ファンが受け入れやすい役割を提示することがポイントだな」
翔花「じゃあ、EXIT本ではそれが提示されなかったこと?」
NOVA「プレイヤーが付き合う主人公3人組は、ドイツの学生だな。対象読者も大人ではなくて、ドイツの学生の世界に親和的な若者だろうな。まあ、子供をもった親世代が読んで、若者文化を懐かしんだり、理解を深める材料の一つに活用したりもできるんだが、ここでの最大の問題は、ドイツの学生の問題意識が日本のそれとはずいぶんと違う感じなんだな」
晶華「そうなの?」
NOVA「例えば、長い夏休みに南国でバカンスに行くのが当然の家庭とか、寄宿舎暮らしとか、ずいぶんとエリート風味に描かれている。そういう異国の少年少女にスッと入れるほど、俺はドイツ通ではなかった。ドイツ出身の騎士とか、徴兵された兵士とか、作曲家とか、詩人とか、ボードゲームのデザイナーを副業にしてる大学の先生とかだったら想像力も働くんだが」
晶華「それはそれで、いろいろ偏っている気もするけど、要は主人公たちの学生さんにちっとも感情移入できなかったわけね」
NOVA「そこに教師が一人いて、あれこれ状況を解説したり推測してくれたなら、俺もあっさり感情移入できたと思う。もう、いいおじさんプレイヤーにとっては、フィクションの学生さんに感情移入するのってキツいんだよ」
翔花「NOVAちゃんが学生主人公の作品を見ているときは、教師役の視点で見てるってことね」
NOVA「まあ、映像作品なら、自分との距離感が違うってことで、さほど没入しなくても見れるんだ。ただ、文章だとキツいな。一番キツいのは厨二病チックな、自己に酔いしれるタイプの尊大型主人公の一人称小説。読むだけで痛々しくて、いたたまれない。現実の中2を教えている立場からして、殴り倒したくなるほどの自己陶酔ナルシストタイプはもうダメだ。せめて、物語の語り手は未成熟を自覚していて、いろいろ好奇心をもって学ぼうとしている普通の学生さんであって欲しい」
晶華「尊大な学生さんは感情移入対象にはならないってことね」
NOVA「尊大キャラの1人称って、作者の自己満足以外の何者でもないんだよな。これがなろう系だと、そういうのはダメだってことが周知されて、『チートだから尊大ムーブをするんだけど、前世はうだつの上がらないオタク系底辺だったから、どこか卑屈で慎重、自分のチート能力と世界について観察するのが基本。そして、自分が熟知しているワールドの、よく知ってるNPC相手だから、相手の行動パターンや物語での運命を知っているという認識で、尊大ムーブをかましている』んだ」
翔花「尊大なのは、現実という上位世界から、ゲームという下位世界に降りてきた神視点だから、ということね。読者は、自分がゲームをプレイしているような感覚で、主人公に感情移入できる、と」
NOVA「まあ、コンピューターゲームを一切プレイした経験がなければ、読者として意味不明な描写が多いんだろうけど、今どきネット小説を読む層が、コンピューターゲームに対して全く無知というのも考えにくいしな。作者自身も含めて想定読者の知識には沿うように書いてあるから、受け入れられるんだと思う。作者と読者の願望実現装置としては、非常にストレートな設定だしな」
晶華「ラノベで、作者の理想と思う学生ライフを描くってのも、創作の本義よね」
NOVA「今どきは、ラノベの読者層も高齢化が進んで、学生ものがウケなくなっているそうな。おじさんのところにJKが何故か転がり込んできて、生意気なJKに足蹴にされながら(あるいはヤンデレめいた溺愛をされながら)、不平をこぼしつつ、いざとなったらJKのお悩み相談とかで頼れる大人ぶりをアピールしたりしなかったり、というのが現代社会もので、物語のバリエーションはやはり架空の異世界ものの方が多そうだな。まあ、俺が異世界好きなので、本屋でチラ見しても、そういうジャンルばかり目に付くのかもしれんが」
翔花「ラノベを読む中高生は減っている?」
NOVA「というか、中高生が理想の学生ライフなんかを願望にすると思うか? ハリー・ポッターが流行して、学園ものが増産された時代と違うんだぞ。今どきの中高生はスマホでネット小説を読んだり、動画を見たりするのが趣味ライフで、ゲームや異世界が21世紀初頭よりも日常リアルになっている。学園ものにしても異世界学園が主流で、これだと異世界と学園の両方が一石二鳥でつぶしが利く。連載が長引いて、学園を卒業するようになっても、物語の材料は残るからな」
晶華「そっかあ。学園ものの欠点は、主人公たちが卒業すると、話が終わってしまうことね」
NOVA「1年〜3年間で話がまとまればいいんだけど、順調に長期化した場合、読者の年齢が主人公たちの学年を追い抜いてしまい、感情移入を阻害するケースも考えられる。学園という舞台は10代の若者が普通に集まる場として非常に便利だが、時間制限ゆえに学生読者のリアルと噛み合わなくなるという欠点が観測されるわけだ」
翔花「まあ、国民的アニメになれば、万年小学生とか、万年幼稚園児とか、許されるけどね」
NOVA「もう、あの辺の時空は、半ば異世界みたいに見えるからな。最近、クレしん時空がプリキュア世界とつながって、まさかのしんちゃんとシロがプリキュアに変身するという異変が観測されたが、たぶん、赤ちゃんが急成長したようなケースを除けば、史上最年少の幼稚園児(5歳)の男の子プリキュアの誕生だ」
晶華「それって、一体、誰得なの?」
NOVA「面白ネタを喜ぶ層の玩具だな。トリビア知識ぐらいにはなるかもしれんが、あの辺は幼稚園児の白昼夢ぐらいな番外編と解釈すればいいか。これがそのまま劇場版に進出したら、凄いことになりそうだ。東映とシンエイ動画と制作会社すら違うわけで、クレしんマルチバースはカオスだな、と」
翔花「で、どう考えてもカオス空間に引きずり込まれているけど、NOVAちゃんは学生さんに感情移入できないのに、幼稚園児には感情移入できるって話?」
NOVA「違う。たまたまコラボ回を興味があって、試し見しただけだ。俺が今のプリキュアで感情移入してるのは、悟くんだ。そう、好奇心旺盛で蘊蓄語りのできるキャラには感情移入できる。あと、作者が無知で、作中の情報がデマカセの嘘ばっかなのは、民明書房ネタ以外は受けつけん。独自に設定構築するのと、デタラメ蘊蓄なのは、全然違うからな」
晶華「つまり、その作品を読んで、いい勉強になったと思える作品は、安心して没入できるってこと?」
NOVA「ああ、読書好きは同時に知的好奇心があるからな。知的好奇心がないのに、活字を読みたがる層なんて稀だろう。そして、最近のフィクションを見ていて、一つ思うことがある」
翔花「一つだけじゃないと思うけど、何?」
NOVA「知識系キャラが割とイケメンかつ陽性に描かれるようになった。言わば、ドラえもんの出来杉くんのようなタイプが、そこそこの頻度で登場するようになったんだ。昔の博士タイプはおじさんとか老人だったけど、90年代になると、コンVの小助を起源とするような◎◎(ガリ勉メガネ)か小太りの冴えないのが典型的なオタク像になって、10年代になると、状況が一変する。熱血オタク、少年オタク、オタク女子など、オタク属性の多用化が見られるんだ。今どきのオタク像は、チームに必ず一人か二人はいて、作品ごとの専門知識の解説とか、作戦立案とか、情報収集のオペレーティングとか物語に欠かせない人材や和ませ役として貢献してくれている」
晶華「つまり、オタクという知識の専門家要素が、一般的に受容されたってこと?」
NOVA「実写の場合は、役者がイケメンが多くなって、オタク要素をイケメンが担うようになったケースも考えられるが、アニメの場合も、格好いいオタク、陽キャラのオタクなんかがそこそこの頻度で見られるようになって、時代が変わったな、と思うことがしばしばだ。そして、子供番組を見る大人というオタク要素の持ち主にとっては、自己投影しやすいキャラに仕上がっている。
「その代表が悟くんだ。動物に詳しく、敵の分析は持ち前の知識でお手のもの、体力はないのが弱点だが、まあ、その辺はリアリティだ。オタクで文武両道だったら、ヒーローだろうが、あくまで戦うヒロインをサポートする控えめな立ち位置は崩さない。そして何よりも、好きなものには目を輝かせる。これ大事。さらに、知識だけじゃなくて、論理的考察力に秀でている。これは脚本の賜物だけど、知識はあるのに思考力がないような描写を示されると、興醒めなんだな」
晶華「NOVAちゃんの言いたいことが分かった!」
NOVA「何だ?」
晶華「作品に没入するためには、読み手や視聴者が自己投影できるキャラが必要ってことね。そして社会(少なくともアニメや実写特撮を作る層の中心)がオタクへの偏見を減少させ、むしろメインの購買層もしくはファン層として認識している現状で、オタクへのネガティブイメージを喚起するような描写は控えるようになったってこと?」
NOVA「それはあるだろうな。多様性という意味では、オタクという属性にもジャンルごとに様々なキャラ像があるわけで、製作者側にそういうコンセンサスが浸透したのだと思う。ここで大事なのは、オタクなのにコミュニケーション強者というキャラ像はリアルでは珍しくないってことだな。コミュニケーション強者は、場に合わせた会話作法を心得ているわけで、趣味のオタク知識が必要な場面ではさらっと語るし、必要のない場面では無難に引っ込める。そういう使い分けができる人間は、従来なら隠れオタクと呼ばれたりもしたが、隠れているんじゃなくて、必要ないからわざわざ示さないだけってケースもあるわけだ」
翔花「つまり、マスコミが吹聴したオタク像って、デフォルメされた極端な事例、氷山の一角でしかなかったってこと?」
NOVA「オタクの定義が多様化しているが、『アニメやゲーム、コミック、実写特撮などのサブカルチャーへの愛着』と『専門知識への傾倒』の両面が考えられる。このうち悟くんは、前者ではなく後者だな。しかし、知識について博学で解説するキャラを見ると、俺みたいなファンは憧れを抱くんだよ。自分の専門ジャンルの事象には興味を向け、ていねいに解説するキャラには共感を覚える。他には、怪獣特撮の世界に怪獣オタク、ヒーロー番組にヒーローオタクが登場すると、番組ファンとしては、それだけで自己投影できる」
晶華「すると、プリキュアにプリキュアオタクが登場するってのは?」
NOVA「ストーカーみたいなのは何だかイヤだな。そこはやはり、『プリキュアに助けられて、憧れて、自分も変身したいと願う一般人の内気な女の子』だろう? 早く、彼女が変身しないかなあ」
翔花「さすがに、歴代全てのプリキュアを調べて知っているような研究家タイプのオタクキャラはプリキュア世界にはまだ登場していないよね」
NOVA「歴代全てのプリキュアに変身できるディケイドや海賊戦隊みたいなプリキュアとか、先輩たちの力をカードに宿してお借りできるオーブさんみたいなプリキュアとかは、まだ出てないだろうし、せいぜいが共演する程度だな」
晶華「ハピネスアーマーとか、デリシャスアーマーとか、そういうのもないわね」
NOVA「必殺技使用時に、歴代先輩のヴィジョンが浮かび上がる演出ってのはいいかもな……って何の話をしているんだ? こんなことを喋ってるキャラがプリキュアに登場するのは流石にイヤだな。毎週、歴代プリキュアがゲスト出演して、『ああ〜ッ、あれは伝説の初代プリキュア、ブラックさんとホワイトさん!』とキュアハッピーの声で騒いでくれる鳥もしくはバッタの登場するプリキュア作品だったら見てみたいが」
翔花「さすがに、あの鳥や錬金バッタをプリキュア時空に送り込むのはどうかと思うけど」
NOVA「クレしん時空よりはつなげやすいと思うんだけどな。まあ、プリキュア時空に妙な方向から没入してしまって、収拾がつかなくなってるけど、結論として、知ってる世界には没入しやすくて、あまり知らない世界には没入ハードルが高いということは考えられる」
晶華「それって当たり前なんですけど? そんなつまらないオチで終わるんじゃないでしょうね」
NOVA「指輪EXITに没入しやすかったのは、単に俺が指輪ファンだったから、というのが大きい。この辺の没入の是非については、EXITという作品シリーズの経験が足りていないんじゃないかとも思う。考える材料が十分足りていないのだから、慌てて性急に結論づける方が危険だ。もう少し吟味が必要かも、というのが当座の結論だ。それまでは、つまらないオチでお茶を濁しておこう。考える材料が増えたら、また研鑽しよう」
(結論がしっくり来ないまま、当記事 完)