粗探しにて候
NOVA「さて、佳作と称した仕事人(2022)だが、細かく吟味すると、粗が見つかるんだよな」
晶華「どんなに善人ぶっていても、影では悪いことをしているかもしれないし……」
翔花「どんなに良い作品でも、影では粗が隠れているかもしれないってことね」
NOVA「でまあ、いろいろ厳しく吟味すると、世の中を良くしているつもりが、地獄にしてどうするんだよって話になるんだよな。粗探しに夢中になり過ぎると、作品を楽しむことに支障が出たりもするんだよ」
晶華「でも、どんな粗か聞きたい気持ちもあるわ」
NOVA「とりあえず、この脚本家(西田征史さん)は時代劇の専門家ではないので、たまに時代劇に関する常識が欠如していたりするんだな。ただ、必殺シリーズ自体が、そういう時代劇の常識を吹っ飛ばして、現代風刺を優先することがあるから、ドラマの面白さを重視するなら、多少の粗は気にするな、という意見もあるわけで」
晶華「でも、NOVAちゃんはその粗を気にしたくて仕方ない、と」
NOVA「まあ、俺が言いたいのは、町奉行所の管轄問題という奴で、町方に武士を裁く権利も、捕縛する権利もないんだな。あくまで町人を管轄する組織なので、一番最初に岡っ引きが勘定奉行の息子を捕まえた時点で越権行為なんだ。仮に、あれが権力者の息子でなかったとしても、武士というだけで町方には手を出す権利はない」
翔花「だったら、武士が悪いことをしたら、どうするのよ?」
NOVA「武士の犯罪を裁くのは、町奉行・勘定奉行・寺社奉行の三奉行および老中1名から成る評定所の管轄になる。つまり、勘定奉行の息子が裁かれるにしても、裁く者の中に父親が混ざっているため、公正な裁判はまず行われないだろうな。それが分かっているなら、奉行所与力の増村さんの対応は自身の権限に即して正しいとなる。無罪放免の上、一応、『息子さんがこういう事情でトラブったので、以降は注意して下さい』と町奉行を通じて、親に連絡するぐらいでお仕事終了となるわけだ」
晶華「でも、そこで無罪放免にしなかったら?」
NOVA「この時点で、奉行息子は痴漢レベルの軽犯罪しか犯していない。せいぜい自宅謹慎ぐらいにしかならないだろうな。その程度の軽い刑でなら、事件の再発は防げないだろうから、いずれにせよ町奉行所が無力というドラマの大筋は変わらないわけだ」
翔花「増村さんがあの場で放免しても、しなくても、後の悲劇は防げなかった、と」
NOVA「ただ、捕まえた岡っ引き、亥之吉の心情としては、目の前で無罪放免で解き放たれ、何の説明もされなかった理不尽さは、『公的な正義への不信感を募らせる一因』となったのは間違いない。もちろん、視聴者視点では、世間知らずの真っ直ぐさを強調するシーンということで、ドラマ上の意味はあるわけだ。
「なお、今の仕事人が扱っている本町奉行所というのは、2012以降に設置されたオリジナル創作役所で、北町や南町の補佐をする格下役所という設定。言わば、組織全体が下っ端役人の集まりなんだ。当然、お奉行さまもいない窓際役所で、それほど大きな事件には関われない。よって、亥之吉が勇み足で武士をお縄にした時点で、増村さんの手には負えない案件だったわけで、そういう奉行所の立ち位置を本来なら小五郎が教えてあげないといけないのに、小五郎は『好きにしな』と放任する始末。亥之吉の暴走の原因は、世の中のシステムについて何も教えずに放置した小五郎の責任も大きいなと考えるわけだ」
晶華「NOVAちゃんは、渡辺小五郎さんが嫌いだもんね」
NOVA「ああ。経師屋の涼次と同じくらい、彼をクソ役人だと思っているぞ。人情派の主水さんと比べても、小五郎の冷淡ぶりをツッコミ入れたい気持ちは山ほどあるというか、今回の物語は小五郎の放任主義、無責任ぶりが悪い方に吹き出たと思うが、それは別に脚本の粗じゃないので、後回しにしよう。粗は、勘定奉行所への晩来の落書きだ」
晶華「何か問題があるの?」
NOVA「勘定方って幕府の財政を司る役所で、江戸城内と、江戸城の大手門横に勤務先が設置されているんだな。その辺は庶民がこっそり侵入できる場所じゃない。基本的には町人に関係する役所じゃないから、接点を持つ必要がないんだ。たぶん、脚本家は勘定奉行所を町奉行所のイメージと混同しているんじゃないだろうか。仮に晩来の兄弟が抜群の隠密能力を持っていて、門への落書きを成功させたとしても、落書きを見に江戸の庶民が集まって来ることはまず不可能な場所にある。最初に見たときは『町奉行所の門に誤って勘定奉行のスキャンダルを落書きした』と思ったんだが、劇中では勘定奉行所の門だと語られていて、俺の時代劇知識的に???状態に陥ったし」
翔花「つまり、今作の脚本の粗は、町方役人が武士に手出しできないことと、勘定奉行所を町奉行所と混同していることにあるわけね」
NOVA「ただ、俺自身、勘定奉行所の門というのを時代劇で見たことはないし、晩来が落書きした門はお馴染みの町奉行所の門の景観だったからな。どっちも同じとスルーすれば良かったんだが、勘定奉行所の門というのがどんな感じか調べてみると、門の形はともかく役所の位置的に劇中描写はあり得ないのでは?と。
「なお、町奉行所だったら、日本橋付近(北町奉行所)と有楽町付近(南町奉行所)にあったらしいから、庶民でも十分、見に来れるかもしれん。ただ、やはり近くに大名屋敷が位置している関係上、町人の家の壁と違い、非常にリスクの高い落書き場だったのは間違いない。描く方が命懸けなのはドラマの流れ上、納得できるんだが、奉行所の門の前にあそこまで野次馬が群がることも、リアリティ重視なら厳しいかな、とも思う」
晶華「必殺西田時空では、晩来のせいで時空が歪んでいるのよ」
NOVA「時空の歪みのせいにしていたら、時代考証を考えることに意味がないじゃないか。まあ、テーマがSNSで、ネットの風評が独り歩きして扇動される人たちの無責任な噂への警鐘だからな。必殺シリーズが時空を歪ませたことも一度や二度じゃないし、その辺は割り切って楽しむべきだろう」
クソ役人と暴走した岡っ引きのドラマ
NOVA「さて、渡辺小五郎というキャラが、あまり人情を見せない冷淡な描かれ方をされているのは、今に始まったことじゃないんだが、基本的に他人にあまり深入りしないように、情にかき乱されることのないように、意識的に距離を置いて振る舞っている感じだな」
翔花「NOVAちゃんは、小五郎さんの振る舞い方次第で亥之吉さんが救われたと思う?」
NOVA「まあ、救われたら必殺のドラマにはならないんだが、弟の才三に対する涼次の振る舞い方に対して、小五郎の態度はあまりにも冷たいなあ、と感じた次第だ。ちょっと傍観者すぎて、感情移入が全くできない描かれ方だなあ、と」
晶華「才三さんは涼次さんを絵師として尊敬し、人として惚れ込んでいた面があるのよね」
NOVA「一方、亥之吉も小五郎を親方と呼んで尊敬していたんだけど、奉行所の無力さに幻滅し、懸念した小五郎の細やかな諌めも聞く耳を持たなかった。まあ、小五郎が諌めて聞くほどの人間関係を確立できなかったわけだが」
翔花「涼次さんは才三さんの絵の才能を認め、感情移入もして見せたから、才三さんも涼次さんの言葉に従い、晩来から足を洗おうとしたんだけど……」
NOVA「結果的に、兄の暴走悪堕ちは止まらず、弟までも手に掛けてしまい、弟の頼みで兄の暴走を仕事人が止める終わり方。この2人の運命の差は、兄の直情傾向と弟の引っ込み思案な慎重さという性格以外にも、兄には尊敬できる兄貴分がいなくて、弟にはそれがいたという人との関わり方にも起因するのかな、と思った」
晶華「その意味では、今回はいろいろな形で兄弟のドラマって感じが強いわね」
NOVA「前回の記事で語った陣八郎とリュウも義理の兄弟みたいな描かれ方をしていて、ちゃらんぽらんな兄と生真面目な弟のバディ物と見なすことも可能。これは『TIGER &BUNNY』なんかでも見られる西田さんの得意な人間関係の作風なんだと思うよ。バディ物を書き慣れているなあ、と」
翔花「クールな上司の小五郎さんと、直情熱血漢の亥之吉さんのコンビだったら、上手く描けば良いドラマになったと思うけど?」
NOVA「小五郎が上司とかリーダーとしての責任感を持つ立派なキャラとして振る舞っていたらな。だけど、基本的には責任回避で、ややこしいことからはスッと身を引き、深入りしないように立ち回っているキャラなんだよな。一応、サボりがちな小五郎にヤル気を出させるために、増村さんが小五郎に押しつけた岡っ引きが亥之吉という設定だったが、本町奉行所の権限を越えて突っ走る亥之吉は小五郎以上のトラブルメーカーになったという話。まあ、ブレーキ役が幼なじみの芸者の娘だったんだろうが、彼女が殺されたことで歯止めが掛からなくなったのは分かる。これで亥之吉が主人公なら、新たな仕事人、いや仕置人になっていても不思議じゃない」
晶華「世直し組って、仕置人みたいなものよね」
NOVA「『のさばる悪を何とする。天の裁きは待ってはおれぬ。この世の正義も当てにはならぬ。闇に裁いて仕置きする』が仕置人だからな。ただ違うのは、仕置人は自身を悪党の上を行く極悪と定義して、世の中を良くする正義とは認じていない点だな。地獄の閻魔の使いで、それを人間がやる以上は、いずれ私も地獄道という覚悟はあったんだ。
「その後の仕事人になると、『金をもらって晴らせぬ恨みを晴らす』という職業倫理がポイントになる。『金をもらう』という義理的な形式(頼み人が必要)と、『晴らせぬ恨み』という人情的な要素(汚れ仕事は厭う)で、時代劇ヒーローとしてのバランスを保ち得たわけで、世直し組はその辺の縛りを欠いて、個人的な正義の暴走に歯止めが掛からなくなったのが破滅の原因と言えるわけだ」
翔花「覚悟の足りなさと、ブレーキ役がいなくて、走り出したら止まらない直情熱血漢がチームリーダーという点に問題がある、と」
NOVA「チームに直情熱血漢のエンジン役と、クールな参謀格が必要で、世直し組を仕置人チームと比べるなら、亥之吉は棺桶の錠だな。一方で弟の才三は当然、念仏の鉄ではなく、役どころは瓦版売りの半次に近く、繊細な性格は未熟な糸井貢とも言える。この辺は、才三のテーマ曲として『旅愁』が何度か使われていたことからも、後半、絵師として職業を確立していた貢を意識していたのは推察される」
晶華「でも、貢さんは蘭学者としてインテリキャラの側面が強いわよね」
NOVA「蘭学者にして、前半は三味線弾き、後半は絵師として芸術関係で生計を立てていた形だ。後半の武器が仕込み矢立(筆入れと墨壺を一体化させた携行道具。旅先で書写や水墨画をするのに用いる)に変わって、絵を教える先生として振る舞ったこともあるわけで」
翔花「才三さんは絵師だけど、インテリキャラではない?」
NOVA「実は、インテリキャラとしての立ち位置も兼任していたのが亥之吉だったんだよな。ドラマでは直情径行ぶりが目立っていたけど、晩来の風刺文を考えたり、達筆ぶりが評価されていて、決して知的レベルは低くない。熱血感だけど、義憤にも駆られて突き進むけど、頭の悪いバカでもない。言わば、才能の塊みたいな面はあって、それだけに自信過剰で、時流をつかむのも上手い。非常に有能な人物なのが亥之吉だったんだ」
晶華「それなのに破滅した?」
NOVA「落ち着いて物を考える内省的なキャラじゃないからな。むしろ、判断力が速すぎるから、間違った方向にも構わず、がむしゃらに突き進む。小五郎の『立ち止まったらどうだ?』というアドバイスは、若さゆえの拙速への戒めだし、団子屋夫婦とか、弟とか、みんなが心配してブレーキを掛けようとしているのに、転がるように突き進む姿は、ドラマとしては、いっそ清々しいぐらいだ」
翔花「放送前にNOVAちゃんは、世直し組の勘太さん(須賀健太さん)が裏切ることを予想していたけど?」
NOVA「裏切ったのは予想どおりだったけど、その後、亥之吉が裏切りに激怒して、粛清に走ったのは予想外だった。亥之吉視点から見れば、全てが自分を裏切るように物語が展開するもんな。奉行所を正義と信じてみれば、悪を裁けない腑抜け集団だし、だったら自分の正義をどう示すと考えて、弟と協力して晩来結成。その活動で正義漢が集まって、世直し組が結成するところまでは良かったが、想い人を殺され、事なかれ主義の大人は自分を止めようとし、自分の正義を否定する。果たして正義はどこにある? と突き進むドラマだな」
晶華「その正義は、幻だったという小五郎さんのセリフが突き刺さるわね」
NOVA「法を守るのが正義という観点から見れば、町方が武士を裁けないというのも、身分差別の時代の法だから正義なんだ。それを踏み越えようとしたのが亥之吉で、一つ不思議なのは、『最初に亥之吉はどうやって奉行息子をお縄にできたのか?』という点。戦闘力の面から見れば、奉行息子が抵抗して、無礼討ちに処されても当然なシチュエーションなんだが?」
翔花「まさか、町人ごときが武士の自分に攻撃して来るとは思わずに、つい油断してしまったとか、わざわざ事を荒立てなくても、奉行所に行けば、問題なく解放されるはずという判断をしたとか、理由付けはいろいろできると思うけど?」
NOVA「そこはまあ、ドラマの前提条件(奉行所の無力さが悪事を増長させるから、自分が悪党に制裁しないとって亥之吉の行動原理に直結)になる部分だし、粗とも思わないけど、大切なのは個人の正義の暴走が法を飛び越える危険だな。最初から亥之吉は自分の正義を絶対視し、社会的な慣習や法を歯牙にも掛けない面があったってことだ。そういう『正義と法のバランスをどう取るか』という社会人としての生き方を、増村さんや小五郎が教えることができれば良かったんだが、必殺仕事人は教育ドラマじゃないからなあ」
晶華「NOVAちゃんは教育者視点で、大人がどう振る舞えば悲劇を未然に防げたかって考えがちだけど、そもそもドラマの作り手は悲劇を防ぐ方向で話作りをしていないわけだし」
NOVA「まあな。むしろ、破滅する方向にドラマを動かしている。ただ、キャラ造形がしっかりしていて魅力的だと思えば、破滅したキャラもただのバカで片付けずに、その良さを語りたくなるじゃないか。どうでもいいキャラなら、『ああ、自業自得だねえ、バカなんだからもう。消えてくれて、せいせいした。語ることは何もない。ふ〜』で片付くんだけど、亥之吉は善人が転落するドラマ展開が面白くて、いろいろ考えたくなるんだ」
晶華「へえ。NOVAちゃんは亥之吉さんが気に入ったんだ」
NOVA「ああ。スパロボマジックで説得して仲間にできるなら、是非、仲間にしたいぜ。亥之吉か小五郎の二択だったら、俺は亥之吉を取る。どのタイミングなら、説得できたかなあ」
翔花「大体、仕事人はスパロボに参戦できないでしょう?」
NOVA「そうか? 参戦した記憶はあるんだが」
晶華「はいはい、横道にそれるのは禁止ね」
NOVA「いや、真っ直ぐ進んでいるつもりなんだけどなあ」
晶華「取り返しがつかなくなる前に、立ち止まって考えることを勧めるわ。どこに向かおうとしているのよ?」
NOVA「そりゃあ、亥之吉ってキャラの可能性とか、小五郎との理想の関係とか……。とにかく、大人に裏切られ、仲間に裏切られ、弟に裏切られ、亥之吉視点だと、どうしてこうなった? と激怒するドラマなんだな。それが最後に、小五郎の意外な顔、仕事人としての姿を知る。そこで叫ぶんだ。『仕事人と、世直し組は似たようなもんじゃないか』って。さあ、何が違うってファンとしての問題提起になるわけで」
翔花「答えはもう書いたわね。『晴らせぬ恨み』と、それを伝達する『頼み料』のシステムって」
NOVA「かつて主水さんが仕事人を正義の味方と憧れる順之助に諭して曰く、『金をもらわずに仕事したんじゃ、自分が神さまになったかのように、のぼせ上がっちまう』という趣旨の発言があって、仕事人の活動には頼み人の存在と、金銭授受という裏稼業ながらの社会システムがある。世直し組は個人の義憤からスタートした時点では、仕置人になれる可能性もあったものの、善人を悪人に仕立てるという過ちと、歯止めの利かない暴走で、社会の害悪に成り果てたんだな」
晶華「と言うか、裏稼業で世間からの賞賛とは無縁の仕事人と、世間にチヤホヤされるのが目的と化して堕落した世直し組の差じゃないかなあ。チヤホヤされるために、捏造した話で、世間を扇動していたんじゃ本末転倒だし」
NOVA「それに世直し組は、自分達の活動で人が死ぬとまでは思っておらず、悪事を晒し上げにするだけで、ペンは剣よりも強しみたいな立ち位置なんだが、仕事人の的にならなくても、『世情を騒がせた罪で、お縄に掛かる可能性』は常にあったんだな。まあ、亥之吉の活動は『浮世の夢にして、泡沫のようなもの』と結論づければいいんだし、このジェットコースターみたいな急降下転落ぶりは感じ入ったのも事実。ドラマとしてのキャラクター造形と、演じた役者の変貌ぶりに面白いドラマを見たなって感覚が味わえたわけで、表と裏の必殺シリーズの原点にも即した内容と評価する次第」
絵師の師弟のドラマ
NOVA「さて、小五郎との対比で人情キャラとしての路線を追求している涼次なんだが、今の仕事人チームで唯一、表と裏のキャラ演技を使い分けているんだな。小五郎も、リュウも、陣八郎も、表裏の使い分けはほぼ皆無。衣装も、演じ方も含めてな。涼次だけが、日常と殺しの場面で見せ方が全然違うので、一番、必殺らしいと思う次第」
晶華「普段は豪快なところのある兄貴肌で、裏の仕事のときはクールな佇まいって感じね」
NOVA「もちろん、過去の必殺シリーズでも、表と裏が大差ないキャラはいろいろいたわけだが、殺しのシーンでのコスチューム変化は、変身ヒーロー的な感覚があって結構、好みだったり」
晶華「表と裏じゃないけど、役によってキャラが全然違うという意味では、沖雅也さんが白眉ね。荒々しい直情熱血漢の錠さんと、クール耽美な市松さんの演じ分けは凄いと思う」
NOVA「後は、からくり人の唐十郎さんも沖さんだ」
翔花「って、何で涼次さんの話なのに、違う人の話をしているのよ」
NOVA「いやあ、だって必殺で殺しの美学というイメージを生み出した人は、この人の市松だと思うし。路線としては、市松→三味線屋の勇次→組紐屋の竜→経師屋の涼次って感じじゃないかな」
晶華「涼次さんは、秀さんのBGM後継者であり、伊賀忍者という設定で組紐屋さんの後継者であり、グルメ設定で梅安さんの後継者であり、レントゲン心臓刺しという芸で念仏の鉄さんや村雨の大吉さんの後継者と、属性てんこ盛りなのよね」
翔花「アキちゃん……あなた、どうしてそんなに詳しいのよ」
晶華「NOVAちゃんの必殺教育の賜物よ。今年は必殺シリーズ50周年なんだから、これぐらい勉強しないと、アシスタントガールは務まらないし」
翔花「必殺教育って、何だか凄い言霊ね。殺し屋養成塾って感じで」
NOVA「いやいや、人聞きの悪いことを言うなよ。とにかく、今回の涼次編は弟子の才三との衆道耽美編の雰囲気も濃厚で、腐女子の必殺ファンのツボを突いたのではないだろうか」
翔花「衆道って、いわゆるBLよね」
NOVA「必殺シリーズだと、昔からよくあるネタだけどな。一番有名なのは順ちゃんに言い寄る玉助で、毎週のようにオカマのおじさんに追いかけ回されるシーンがルーティンギャグになっていた。オカマの同心と言えば、筆頭同心の田中さまが有名で、最初はただのマジメでイヤミなエリート上司だったのが、シリーズが続くにつれて、どんどんギャグ度が増していく。まあ、近年は露骨にジェンダーネタを扱うことはなかったが、昨年のハイスクール・ヒーローズとか、今回の必殺とか、ジャニーズ番組に出て来るようになったな。もしかして、ドンブラザーズのキジブラザーもその手のキャラかな?」
晶華「そんなの私が知るか。とにかく、才三さんは涼次さんへの憧れとか、性別関係なく好きになっちゃったわけね」
NOVA「本作のヒロイン枠その2に当たるな。殺された芸者の娘がヒロイン枠1で、才三がヒロイン枠2」
翔花「あれ? 団子屋のおかみさんは?」
NOVA「往年のヒロインと言えるが、そろそろ還暦を迎えそうな女優さんをヒロインと言うべきかは……」
晶華「和久井映見さんも大差ないと思うんだけど……」
NOVA「そちらは俺と同学年になるから、俺は抵抗なくヒロイン認定できる。杉田さんは俺より年上だから、姐さんって感じだな。当ブログ時空だと、ヒノキ姐さんに当たると言えようか。脳内イメージだと、子役の印象が強いわけで」
翔花「ウルトラマンレオのヒロインだっけ?」
NOVA「レオのヒロインではなくて、レオの弟分のトオル少年のガールフレンド枠だな。当時小学生。レオのヒロインは亡くなった山口百子さん(演・丘野かおり)で、後を継いだのは円盤生物編でお世話になった美山家の長女(演・奈良富士子)。杉田さんは美山家の次女になる。まあ、当時のヒーローには弟分の少年と、その友だちが付いて来ることは定番だからな。ヒロインと言うよりは、マスコットガールと言えようか。その後は、金八先生でスキャンダラスなドラマの中心になったが、『三匹が斬る』の最初のヒロイン役でもある」
翔花「とにかく、ヒロイン枠その2は団子屋のおかみさんってことで」
NOVA「いや、ヒロインってドラマの中心だろう? 団子屋さん夫妻はただの被害者枠で、ヒロインと言うほど主人公たちに絡んでいないし。あくまで脇を固めるキャラをヒロインとは言わない」
晶華「だったら、中越典子さんは?」
NOVA「小五郎の嫁か。リアルではタイムレッドの嫁で、しかも3年前にリュウソウ族という事実が判明したからなあ。今回、亥之吉に命を狙われる役どころとなって、唐突にヒロイン指数が跳ね上がったが、きっと亥之吉に襲われていたら、リュウソウ族の血が覚醒して、返り討ちにしていたと思われる。すると、このシリーズが『必殺仕事人 風雲リュウソウ編』に切り替わって、南京玉すだれが飛び交う新しいエピソードが始まっていたろうが、その時間軸は門の影で待ち構えていた小五郎さんの手で消滅した。おのれ、渡辺小五郎」
晶華「はい、風雲妄想編はそこまでにして、才三さんの話に戻すわよ。男に寒空の下で抱き合うことを求められて閉口した経験のあるNOVAちゃんとしては、弟子に言い寄られる涼次さんの姿を見て、どう思った?」
NOVA「無理やり話をつなげるな。とりあえず、涼次が弟子の告白をどうかわすかは見物だったが、『お前の絵は好きだぜ。俺もお前のことは好きだ。弟みたいに思っている』というセリフで、上手くかわしたなあ、と感じ入った」
翔花「だったら、NOVAちゃんも涼次さんを見習って、そういうかわし方をしたらいいよね」
NOVA「いや、よくないだろう。あまりにも状況が違いすぎる」
翔花「どう違うの?」
NOVA「才三は口下手で引っ込み思案だけど、絵の才能はあって、そこは涼次も認めるものがあるわけだ。涼次と才三で共同でふすま絵を描いて、『満足できる形で完成させた』という点が大きい。つまり、一つの作品を涼次のレベルに合わせて完成させるだけの能力と根気を示したわけだ。作風を上手くつなげられなければ、共同創作なんて上手く行かない。そこはもちろん、互いの作風を見極めて、どうすれば上手くつなげられるか技術の交換とか連携とかクリエイター同士の交感があって、才三は涼次の技量に付いて行くべく精進し、涼次は自分の腕に追いついて来る才三の伸びに感心した。だから、二人で良い仕事ができたんだ。良い仕事を一緒に完成させた。だったら次の機会もあるかもしれないが、もしかすると、こいつはまだまだ伸びるかもしれない。そんな風に思わせる師弟ドラマだなあ、と感じたね」
晶華「才三さんから見れば、涼次さんからいっぱい学べるものがあって、いろいろと吸収して行ったわけね」
NOVA「教える人間から見れば、自分の技を真似しながら会得していく姿ってのは、競争相手として複雑な気分になることもあるだろうが、良いセンスしてるなあ、と感じ入ったりもする。あのふすま絵を協力して完成させる場面は、互いに良い仕事をしたなあ、とお互いの健闘を讃え合う良いシーンだと思うぞ。一仕事終えた後の、ああいう『おめでとう』な雰囲気は大好きだ。中途半端に投げ出したら、見られない場面だからなあ」
翔花「なるほど。『共に頑張って、完成させた喜び』があるから通じ合えるわけね」
NOVA「『途中で続けられなくなって、無責任に放置する』ということをやらかすと、共同創作みたいなことは二度とできなくなるわけだからな。今回の涼次も、最初に一人での仕事じゃないと聞いて、不満そうな顔をしていたけど、相棒が知人だったから、一応は試してみたら、才能も性格も自分に合わせてくれる良い若者だった、と」
晶華「芸術家って自分のセンスを大事にするから、共同作業って難しいものね」
NOVA「芸風の相性があるからな。まあ、その中で自分の芸風と周りの芸風でコラボさせると面白いし、良い刺激にもなるんだけど、技量差が極端に離れていると、片方が足を引っ張るので、例えば『技量はまだまだだけど、性格的に可愛げがあるとか、伸び代があって教え甲斐があるとか、目に見えて努力するとか、センスが噛み合うとか』何かの魅力があれば、付き合えるんだが……」
翔花「つまり、性格的に可愛げがないとか、伸び代が感じられなくて教え甲斐がないとか、目に見える努力をしていないとか、センスが噛み合わないとかだと?」
NOVA「どうフォローしていいのか分からないなあ。まあ、努力については主観的なものだから、本人は努力をしているつもりでも、全然努力になっていないケースもあるわけで。例えば、腕立て伏せを毎日20回というのは、俺にとっては立派な努力だが、スポーツ選手から見れば、そんなものは努力と言わないとか」
晶華「素人とプロの選手の基準の差ね」
NOVA「1日1万字のブログ書きってのは、俺にとっては少し調子が良ければ十分可能だが、ウォーミングアップで原稿用紙5枚ぐらい(2000字)は努力のうちに入らず、ちょっとした寄り道散歩のレベルだが、物書き素人なら、それを毎日というのは大変な努力だと思う」
翔花「それって、さりげなく自分を持ち上げていない?」
NOVA「まあ、量があっても、質が伴わなければ、ただただ長いだけの駄文でしかないが、絶対量は分かりやすい努力のバロメーターだからな。もちろん、うちのブログの読者は、長文読むのが好きという限られた層に限られるわけだが、果たして、そんな奇特な読者を満足させられるような記事を、俺は書けているのだろうか?」
晶華「これで、お金を取ろうということになれば、寄り道脱線をいっぱい削って、もっとスッキリした文章にしないといけないわね」
NOVA「それこそ、俺にとって努力だな。この記事を今から半分の5000字程度に削れと編集さんに言われたら、う〜んと悩むだろう。まあ、字数制限される方が、余計な無駄話をカットして、充実した密度の内容になるんだろうけどな」
翔花「削るとしたら、何を削る?」
NOVA「風雲妄想編とか、団子屋のおかみさんとか、沖雅也さんとかは全部カットだな。才三と涼次の関係に集中しろよ、俺……とツッコミ入れたくなるわけで。俺個人の体験もいらないな」
晶華「まあ、このブログは寄り道脱線とか、妄想とか、NOVAちゃん個人の懐古とか、そんなのが売りだし、それを削ったら、タイトルに偽りありだと思うの」
NOVA「だが、物には限度があるだろう。真っ直ぐ突き進んで、全ては幻でした、というオチは勘弁して欲しいぜ。まあ、話の流れが迷走気味なのは分かったから、今回はここまでだ。自分でもまさかの想定外だが、涼次&才三編の感想続きを、次記事で仕上げる予定。2022感想3部作だ」
(当記事 完)