Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

必殺仕事人(2022)感想その3

感想完結編

 

NOVA「さて、前回は『小五郎と亥之吉の不幸なすれ違い』および『涼次と才三の絵師師弟愛』について語りながら、後者は語りきれずに今回に至ったわけだが」

晶華「そろそろ、この話も飽きちゃったわね」

翔花「わたしたちは妖精郷の話に行きましょうよ」

晶華「そうね。さようなら、NOVAちゃん」

NOVA「ちょっと待て。お前たちはアシスタントガールじゃないのか? この俺を1人にすると言うのか?」

晶華「NOVAちゃんが追っかけてるのは、ただの幻なのよ」

翔花「ずいぶんと寄り道したものね」

NOVA「なあ、お前たち。俺は娘2人をこのブログの共同創作者と見込んで、ここまで一緒に記事書きして来たんだぜ。もうすぐ今回の必殺記事が完成すると言うのに、ここで無責任に尻尾まくるようなマネをされたんじゃ、お前たちへの信用が崩壊してしまう。共同創作者としての仁義はねえのかい。俺はお前たちの腕を見込んでるんだ。お前たちとだったら良い仕事ができる。俺のわがままを聞いてやってくれねえかい(土下座🙇‍♂️)」

晶華「えっ、NOVAちゃんが土下座した!?」

翔花「そこまでして、わたしたちと記事を完成させたいと言うの!?」

NOVA「当たり前だ。俺の心には、八丁堀同心・中村主水が住んでいるんだ。主水さんは必要とあらば、土下座だってドブさらいだってするぜ。小五郎と違ってな。小五郎はおそらく事務所の意向で、土下座やドブさらいのような下賎な仕事はさせてもらえねえ。そういう格好悪いシーンは周りが忖度して作ってもらえねえ、と見た。『殺られた小五郎は夢ん中』とか『罠にはまって泣く小五郎』とか『スギの花粉症に苦しんだのは小五郎』とか『ギックリ腰で欠勤したのは小五郎』とか『小五郎 犬にナメられる』とか『小五郎、羊かんをノドにつめる』とか、『小五郎 バースになる』とか、そういうサブタイトルの話を作られることはまずないだろう」

翔花「何なのよ、その変なサブタイトル群は?」

NOVA「全て、主水さんを小五郎に置き換えたんだ。こんな芸は、渡辺小五郎にはできるまい。中村主水の後継者を名乗るなら、以上のノルマを全部果たしてからにして欲しいな。念のため、俺はギックリ腰で欠勤と、犬にナメられる以外は経験者だ。『スギの花粉症に苦しんだのはNOVA』ってタイトルなら、日常茶飯事だし」

翔花「バースになるのは?」

NOVA「1週間ぐらいヒゲを剃らずに試してみたら、そこそこバースになった経験はある。なお、バースと言っても、伊達さんや後藤ちゃんじゃなくて、ランディ・バースってことだからな」

晶華「そんなこと、どうでもいいわよ」

NOVA「いや、よくない。当たるトラ年で、必殺と言えば、伝説のホームラン王のバースとつなげるのが関西の必殺ファンの慣わしと言うもの。とにかく、仕事人ブームと85年の阪神タイガース日本一はクロスオーバーするものだ」

晶華「何だかよく分からないけど、これが昭和時代末期、1980年代のノリなのね。仕方ない、トラ年と、花粉症で苦しめた中村主水さんに免じて、NOVAちゃんの必殺2022感想記事・完結編に付き合ってあげるわ。だから、さっさと本筋に入りなさいよね」

 

西田脚本の傾向性

 

NOVA「では、令和仕事人のメインライターである西田氏の特徴を、前作2020と今作を照らし合わせながら見てみよう」

翔花「涼次さんの話は?」

NOVA「後に回す。まず、前作はニートの社会復帰の悲劇がテーマで、今作はSNSの悲劇がテーマ。いずれも、一念発起した若者が自分の生きる道はこれだと充実した人生を歩み出そうとしたら、運命の悪戯に翻弄されて転落し、身内の無理解もあって破滅する話だな。若者の生き辛さや、世間知らずゆえの思い込んだら突き進む傾向性なんかを描写して、今の若者社会を風刺した作品となっている」

晶華「脚本家の人が若返って、若者に寄り添う話になった感じね」

NOVA「ずっと2000シリーズを引っ張って来た寺田敏雄さんが現在62歳で、今回が2作めの西田征史さんが46歳。16年若返ったことで、現在の若者に近い距離で世相を切り取ることもできるんだろうな。なお、寺田さんが初必殺の2007の脚本を書いた時期も15年前になるから46歳前後なので、10何年も小五郎たちを書き続けると、いい加減、ネタも尽きた可能性もあるし、西田さんの作品で見るなら、前作がリュウニートな若者にスポットを当て、今作が涼次と絵師の若者にスポットを当て、小五郎メインは次回かな、と推察される」

翔花「あれ? 小五郎さんと岡っ引きの関係は?」

NOVA「前作のニート君の属性が兄弟2人に配分された面もあるが、心の交流というドラマだと、涼次と才三の方がメインで、小五郎の方は距離を置いた傍観者ムーブで、心の交流には至っていない。上から目線で道を踏み外したバカな若者を断罪する役どころだ」

晶華「つまり、NOVAちゃんにとっては、涼次さんの方がメインドラマで、小五郎さんは今回のメインじゃないという位置付けね」

NOVA「キャラ同士の情の交流をドラマの主要素に挙げるなら、涼次と才三は情の流れがあったものの、亥之吉は小五郎と断絶して孤立を深める流れだからな。小五郎の方があまり積極的に動かない傍観者のポジションを崩さない流れで、亥之吉の止まらない暴走が生む悲劇こそが今回の大筋。最終的に、被害者転じて加害者になった兄と、被害者の弟の仇討ちに帰結する」

翔花「前作はどうだったの?」

NOVA「ニート君は過去の嫌な経験から引きこもりになったけど、リュウとの出会いをきっかけに外の世界への再チャレンジを始める。そして新生塾という居場所を見つけて、夢に燃えて頑張るんだけど、塾頭が悪人でニート君の書写能力を悪事に利用する。自分の才能が社会の役に立つと思い込んだニート君は、自分の字が悪用されていることを知り、罪を被せられる。息子が犯罪行為に加担していると思い込んだニート君の父親は武士の名誉のために、息子の弁明を聞かずに自ら殺害してしまう。父が子を殺す悲劇を見た悪党が呵呵大笑して、種明かしをして、息子殺しに絶望した父親も抹殺して、遺された母親が頼み人になって仕事人のクライマックスになるわけだ」

晶華「前作は父親による息子殺し、今作は兄による弟殺しがキツいわね」

NOVA「あと、今回は兄の誤解による暴走で、養い親の夫婦を死に追い込んでしまい、後から誤解だったと気付いた兄の絶望が描かれる。誤解によって愛する者に向けられる断罪とか、それを仕向ける悪人って構図も共通点と言える。違うのは、誤解を仕向けた者が前作のラスボスだったのに対し、今作では誤解を仕向けた者が殺害され、絶望した人間がさらに暴走して罪を重ねた挙句、ラスボスになる流れだな」

晶華「新生塾と世直し組は似たような位置付けね」

NOVA「どちらも、間違った世の中を正すという名目を持っているけど、新生塾は最初から悪党の隠れ蓑で、世直し組は最初が正義感に満ちていたけど途中で変質したという違いがある。あと、引きこもりキャラだったニート君はリュウと新生塾の塾頭が引っ張り出したけど、同じく引っ込み思案な絵師君は涼次と亥之吉の2人が引っ張り出す流れになる」

晶華「リュウ君は友だちで、涼次さんは敬愛する先輩の立ち位置ね」

NOVA「ニート君は尊敬する師匠に騙されていて、とことん不幸なキャラだったけど、絵師の才三の方は敬愛する先輩と間違いなく心を通わせて死ねたんだから、まだ救いはあると思うな。一方で不幸に追いつめられたのは亥之吉だ。達筆という点でニート君と共通点があるんだけど、活動的な性格が自らを破滅に飛び込ませることになったわけで」

翔花「心酔する師匠に騙されていたニート君、心酔する師匠と心を通わせることができた弟絵師くん、心酔する師匠を持てずに自ら袋小路に突き進んでいった兄と並べると、絵師さんがまだ幸せだったように見えるわね」

NOVA「革命的な手段や思想をもって、世の中を変えてみせようとか、世の中の役に立ちつつ脚光を浴びようとか、賞賛されたいという若者心理が大人の作為や無作為の運命に翻弄されて、歪みを帯びるに至って生じる悲劇を、最後に仕事人が尻拭いするというストーリーパターンかな、と。若者の心理に寄り添う仕事人というのが西田流で、きちんと情を描きつつも、誤解や気持ちのすれ違いによる身内殺しという皮肉な運命が和風よりはギリシャ悲劇風味を感じさせる」

晶華「ギリシャ悲劇って?」

NOVA「人間の悪意ではなく、善意が運命の悪戯で捻じ曲げられて結果的に悲劇に転がり込んでしまうという筋書きだな。今回は前作に比べても、多分に運命のいたずらで転がり落ちる面が強調されて、亥之吉の抗いぶりがどこか悲劇に翻弄された英雄っぽく見えて、ラスボスなのに憎めないというか、憐れみを覚えるわけだなあ。仕事人の存在が、いつにも増してデウス・エクス・マキナみたいに見えたりした次第」

翔花「デウス・エクス・マキナって?」

NOVA「機械仕掛けの神と訳され、錯綜した悲劇の糸を神の如き力で強引に断ち切る物語上の仕掛けのことを言う。『恨みを断ち切る仕事人』って感じの言い回しもあって、世直し組の蒔いた地獄のような疑心暗鬼の世相をすっきりと晴らして、暴走した正義の悪夢を幻のように解消したエンディングかな、と」

晶華「つまり、小五郎さんがデウス・エクス・マキナってことね」

翔花「一種の神さまで、機械仕掛けだから、人情を解さない振る舞いでもOKってことで」

NOVA「いや、仕事人が神さまみたいな気分になったらダメだろう。中村主水が順之助に諭したことの意味が変わっちまう」

晶華「それは昭和の価値観であって、令和の仕事人にはまた新たな価値観が求められているのよ」

NOVA「ほう。それは興味深い。一体どういう価値観なんだ?」

晶華「そんなの私が知るか」

NOVA「無責任なことを言ってるなよ」

晶華「私は問題提起をしただけ。それを考える栄誉はNOVAちゃんに託すわ」

NOVA「責任丸投げかよ!?」

 

涼次・再考

 

NOVA「とにかく、涼次に話を戻そう。こいつを語らないでは、記事が終われない」

翔花「涼次さんと言えば、昨日(1月11日)が役者さんのお誕生日よ」

NOVA「えっ、そうなの? だったら祝わないと。ハッピーバースデイ♪ 昨日の記事で気づいていたら良かったのにな。松岡さんも45歳かあ。年齢的には脚本家氏と同世代だなあ。東山さんが10年上で、知念くんがまだ20代。エンケンさんがちょうど還暦。あと、今回の兄弟がやはり20代半ばかあ。東山さんは現在、ジャニーズの最高齢俳優で、一枚看板。俺が東山さんと松岡さんの間の年になる、と」

晶華「で、涼次さんの話を聞きましょうか?」

NOVA「ああ。俺は現行の仕事人で、涼次が一押しで、次が陣八郎で、その次がリュウ。最後に小五郎なんだが、どうしてか分かるか?」

翔花「小五郎さんが一番下なんだ」

NOVA「なお、これは役者の東山さんをディスっているわけではないことを付け加えておく。あくまで渡辺小五郎というキャラが好きじゃないというだけで、ウルトラマントレギアというキャラが嫌いでも、声優の内田雄馬さんや、変身前の霧崎を演じた七瀬公さんが嫌いなわけじゃないことは念を押しておく。役が嫌いでも、それを演じた役者に罪はないことぐらいは切り分けできている。まあ、好きなキャラだと役者も相乗効果で好きになるのも事実だが、嫌いなキャラで役者まで嫌いにならないし、逆に役者が不祥事を犯したからって、キャラまで嫌いになることもないぐらいは、切り分けできているつもりだ」

晶華「坊主が憎けりゃ袈裟まで憎いってことにはならないのね」

NOVA「ああ。だから、東山さんが凄い役者だってことは認めた上で、主水の後継者に必要なコメディアン演技はできない、あるいは周りが忖度してさせてもらえないわけで、それはもう役者の芸風という奴だ。まあ、仕事人チームの危機に、小五郎が本気で封印していた怒りを解き放つシーン(2009の最終話みたいな展開)も見たいが、小五郎が過去のトラウマに苛まれて機能不全に陥った2018のような話を見たいかと言えば、そうでもない。それはともかく涼次だ。俺は小五郎を語りたいわけじゃないからな」

翔花「NOVAちゃんはどうして涼次さんが好きなの?」

NOVA「頼り甲斐があって、優しくて……なんて言ってたら、20代の若者の惚れ方だよな。少なくとも、創作家ぶりたいなら、もっとキャラの個性をしっかり分析して、語れるようにならないとって主張するぜ。俺が涼次を好きなのは大きく3点ある」

晶華「1つは?」

NOVA「このキャラが過去の必殺人気キャラの属性てんこ盛りで、オマージュたっぷりだからだ。それを、役者の松岡さんがしっかりとした必殺愛で役柄を研究し、インタビューなんかでもマニアックにアピールし、自分の演技プランまで語っている。単に表面をなぞっただけじゃない、演じ手が本当に好きなんだなあって分かるし、ただの仕事じゃない趣味人の域にまで達している部分が、涼次というキャラと役者の演技でシンクロしているわけだ。そこに痺れる憧れる次第」

翔花「1つめで、それだけ語るんだ。2つめは?」

NOVA「小五郎みたいに情を切り捨てない。それでいて、若者みたいに情に流されすぎない、ベテランとしての中間ポジションをきれいに保っている。必殺シリーズが、感情と理性、人情と掟の間で揺れ動くドラマとするなら、完全に情を切り捨てた『我関せず』を旨とするニヒルなキャラだと、ドラマが転がりにくいんだな。情理のバランスをどう乗りこなすかがポイントで、現行のチームでは涼次がその辺を一番バランスとってる中核と言える。今回は涼次メインで、情感あふれる演技をたっぷり見せたしな」

晶華「小五郎さんは理に寄りすぎ。陣八郎さんは?」

NOVA「あの人は情に寄り過ぎというか、掟とは関係なく、やりたいように生きている感じだな。チームの中核になるにはフラフラし過ぎだけど、コメディーリリーフ枠として、大人の飄々とした自由人っぽさが見ていて楽しい」

翔花「リュウ君は、理屈先行型の若者だけど、すぐに情に流されるよね」

NOVA「彼は自分のポジションが固まっていないからな。今なお試行錯誤中だけど、後輩気分でいられるうちは、今どきのモラトリアムな若者でいいんじゃないだろうか。今回は、ちゃらんぽらんな陣八郎さんへのツッコミ役という絶妙なポジションを獲得したので、60歳のおじさんと20代の若者のボケツッコミ芸ってなかなか珍しいコントを見れたし。この年齢差で、ノリノリに演じられるのはエンケンさんの役者としての懐の広さを感じさせるし、そこから知念君の演技が膨らむといいなあ、とか」

晶華「まじめなリュウ君が遊び心を覚えて、紅音也さんに感化された名護さんみたいなキャラになると面白いわね」

NOVA「その命、仏に返しなさいってか。とにかく、役者の演技もそうだけど、交流によって感化されて、成長する過程は見ていて楽しめる。で、涼次に話を戻すと、彼はベテランとして若者の成長を助ける師匠キャラとしての風格が出て来て、いいなあこれって共感できた次第だ。小五郎はそういうややこしい関係を避けているからなあ」

翔花「なるほど。NOVAちゃんは、師匠キャラに感情移入しやすい、と」

NOVA「学生に物を教える立場だと、やはり師匠としての振る舞いって気になるでしょう。それに涼次は経師屋、つまり教師屋に通じる面もある。そして、絵師、すなわちイラストレーターだ。創作家の方向性でもあるんだな。絵と文章という方向違いはあっても、ものづくりという観点での共感性もある」

晶華「創作とか、ものづくりかあ」

NOVA「それが、俺が涼次に感情移入しやすい理由の3つめだな。それに必殺シリーズの中で俺が好きな要素の一つに、表稼業の職人としての仕事描写があって、最初は飾り職人の秀がかんざしをコツコツ作っているシーンに魅力を感じて以降、竜の組紐作りとか、政の鍛治仕事とか、その前後の仕置人の再放送で錠の棺桶作りとか(以下割愛)、普段は何やら作っている技術者の姿がツボだったり。まあ、勇次は三味線の張り替えシーンよりも、宴席での三味線引きとか遊郭での華やかなシーンとかのイメージが強いんだけど、とにかく江戸時代の職人ものづくりにスポットを当てた時代劇は必殺シリーズの特徴とも言えて、裏稼業と対比を為す表稼業のシーンがしっかり描かれているのもツボなんだ。今の仕事人で、まともに手に職つけた仕事っぷりって涼次しか描かれていないんだよなあ」

翔花「瓦屋さんは?」

NOVA「働いてるシーンは、ほとんど見ないなあ。あの人は瓦屋という名前の遊び人になってる。一応、画面に映らないところで屋根に登って、瓦の張り替えをやってるんだろうけど、今回はそば屋に転職して、これが一時的なのか、今後も続く設定なのか気にしつつ、陣八そばの屋台は気に入った。ストーリー的にも、瓦屋よりもそば屋の屋台の方が動かしやすそうだし」

晶華「リュウ君は、フリーターだから働いているシーンはあっても、手に職を付けた職人って感じはあまりしないものね」

NOVA「あと、小五郎も主水さん以上に働かないからなあ。と言うか、主水さんはサボっていると言いながら、マメに江戸の町を見回って、袖の下をもらいつつ、町人に『何かあったら番屋に知らせるんだぞ』とか声掛けしているのが日常だからな。それで情報収集したり、日常業務はしっかりしている姿がいつも描かれている。現実のサラリーマンで言うなら、マメに営業活動して顔つなぎはしているんだけど、これと言った成果は挙げられないだけで、動くのは動いている。十手を振りかざして、大店にもしっかり顔を出して、『最近どうでえ。この辺で悪質な押し込みの噂を聞いたから、夜はしっかり戸締まりをしとくんだぞ』とか言っているだけでも日常業務をマメにしているんだよな。捕り物で目立った働きをしなくても、サボっているわけじゃない」

翔花「小五郎さんは?」

NOVA「そういう日常シーンが本当になくなったなあ。死体の検分でも、主水さんが死体の異常に気づいていたところを、その役は同僚の住之江さんに回されて、小五郎は住之江さんの上司への報告を横で聞いているだけ。小五郎を見ていると、いかに主水さんがマメに働いていたか分かるってもんだ。ある意味、自分にとばっちりが来ないよう、スッと身を引いて空気になれる職場内隠密潜伏能力には卓越したものがあるよ、小五郎。

「主水さんは無能を装い、ひたすら表では上司にペコペコ頭を下げる処世術なのに対し、小五郎はいるのに存在感を消すようで、上司が部下の失態で頭を下げているのに、一緒に頭を下げる苦労人ムーブも見せず、柱の影で様子を伺い見てるだけの傍観者ムーブ。余計なことをしたり言ったりせずに、その場にいないフリの正に影同心と言えようか。

「結論、小五郎は表の仕事を上司と同僚に丸投げして、自らは高みの見物。何かして怒られるよりは、何もしない方がいいという哲学だ。おかげで、当然しつけるべき部下の岡っ引きの管理もせずに、他人事のように小言をいうのもSNS(ステルス・ノーアシスト・ショウゴロウ)と言うべきか」

晶華「本当に、NOVAちゃんは小五郎さんが好きなのね」

NOVA「いや、嫌いだぞ。無関心ではないけどな。何も観察しなければ、悪口も言えないからなあ。小五郎を下げて、主水さんは良かったと言うのが年季の入った必殺ファンの習性だな。昭和ライダー平成ライダーに説教して、将来、平成の先輩が令和の若者に苦言を呈すようなものだ。時代は繰り返す」

 

晶華「で、涼次さんの結論は?」

NOVA「クソ役人にはできない芸当をいっぱい見せてくれるからなあ。今回、最初の小五郎の仕事にやり残しがあった裏事情も、涼次が探り当てるし、噂の後始末も涼次が絵を描いて、陣八郎が説教文を読み上げて、風評でゴタゴタした世情をきれいにした。あの最後の絵の仕掛けを後から知って、感動を深めたんだな」

翔花「どんな仕掛け?」

NOVA「兄に刺された後、才三は暴走した兄を止めるべく、晩来の不始末を終えるべく、仕事人に依頼する。その後、とある家屋敷の壁に血に濡れた手形を遺して息絶える。そこに涼次が駆けつけて、『これがお前の最後の作品か』と愛弟子とも言うべき後輩の心情を汲む場面があった。そして、涼次は裏の仕事を果たした後、晩来の共同創作者としてケジメを付ける絵を描くんだ」

晶華「晩来の最後の作品って……」

NOVA「壁の手形を下絵に、涼次が才三の絵のトーンに似せて、同種の落書きを描く。ずっと才三と一緒にふすま絵を描いてきた涼次ならではの技術でな。つまり、才三の想いというのが、自分の絵で世の中を少しでも良くするってことなので、その想いを涼次がきちんとした形で完成させたんだ。これで才三の過ちを償うことと供養を両立させて、師弟のドラマもきれいに完結したことになる。最後の絵が、才三の手形の上に書かれたことを放送中は気づかず、後から教えてもらって、本作の完成度が高まったと感じたわけだな。単に仇を討って終わりじゃなくて、絵という作業を通じて、心の交流が昇華された終わり方だ」

 

兄弟の顛末

 

NOVA「最後は敬愛する涼次と心を通わせて、自分の絵の想いも引きとってもらえた弟・才三。一方で、小五郎に引導を突きつけられた兄・亥之吉の対比のドラマが本作の要点で、ゲスト役者の若者の演じ手としての魅力を引き出した良い脚本だと思う。時代劇知識の面で細かい粗はあっても、それはドラマの魅力を損なうものではないし、兄の心情も非常に分かるんだよな」

晶華「弟殺しの悪人に堕したのに?」

NOVA「あの場面は凄い悲劇だよな。世直し組の中で裏切りが発生して、勘太が亥之吉を脅して、自己の正当性を訴える。元は勘太が亥之吉を持ち上げてチームを結成したのに、勘太が亥之吉の恩人を悪人に仕立て上げて、亥之吉の正義感を踏みにじった。これが仕置人のような裏稼業なら、世直し組の仁義に反する悪党ということで勘太は粛清されて当然となる。そして、この時点で世直し組は解散を宣言して、幕引きという選択もあった」

翔花「でも、世直し組のアジトに、才三さんが飛び込んできて、兄に自首を勧めたことで歯車がさらに狂った、と」

NOVA「この時点で、兄は弟を助けるつもりだったのに(だから勘太を殺した。勘太殺しは亥之吉にとって団子屋夫妻の仇討ちの意味もある)、弟がそれを台無しにするわけだ。なお、亥之吉は奉行所の正義を信じられなくなっている。弟の言うように、お上の裁きに任せれば安心という説得は意味を為さない。これが『江戸を出て、一緒に上方にでも逃げよう』とかだったら、兄も納得できたろうが、兄から見たら、『せっかく、お前を助けようとしているのに、お前は俺を裏切るのか?』という反応になる。自分の善意を裏切られたと思って、カッとなって衝動的に弟を刺すという流れ。自分を心配してくれる者、自分に関わりある者が全て信じられなくなる精神状態だ」

晶華「最悪ね」

NOVA「過剰な正義漢の持ち主が自分の過ちを認めたくない場合に、しばしば陥る罠だ。自分の過ちを突きつけられると、自己弁護の衝動から攻撃性が発露する。本人としては、自己正当化の弁はいくらでもまくし立てられるさ。弱った心なら、自分の中の悪を見つめられずに、誰かに責任転嫁しがちになる。そして次の矛先で思いついたのが小五郎の奥方。自分の正義感を理解しようとしなかったクソ役人の小五郎に思い知らせてやる、という心の動き。ここまでが流れるような心理描写として、展開されるわけだ」

翔花「犯罪者の心理描写としては納得できるのかな?」

NOVA「自分を受け入れない社会への復讐、という行動動機なら妥当だろう。もちろん、ドラマ的には小五郎と亥之吉の対立軸を盛り上げるために、小五郎の日常の象徴である妻が狙われているという形で、緊張感を高める流れだろうし、分かりやすい敵を外に作ることで、自分の内面に目を向けないようにする心理的防衛機制が働いていると見える」

晶華「つまり、亥之吉さんの視点では、あくまで防衛ってわけね」

NOVA「だから、小五郎が自分の前に現れて、実は経験豊富な裏の顔を持つことを垣間見せた時、地獄に仏を見た気分になったと思うよ。そこで、自分のやって来たことは仕事人と同じ正義の世直しだと主張するんだ。ここまで来て、まだ自分が正義だと信じ込んでいるんだな。正義のためにやったことだから、世間での悪事も帳消しにされるという理屈。そこで小五郎の説教が『仕事人は正義のために動いているんじゃない。お前の正義は、ただの幻に乗せられただけだ』ってな」

翔花「正義が幻だなんて、やるせないわね」

NOVA「何が正義かを考えるのも哲学の領域だからな。亥之吉の正義感は、単純で、衝動的で、純粋だけど、正義という題目に世のため人のためという客観的な視点が見失われたら、ただの独善だ。誰かの声に耳を傾けるという姿勢で臨めば良かったんだが、少なくとも小五郎はそうすべき立場なのに、放置してしまったからな。世の理を表の役人の立場で筋を通して語った挙句、亥之吉の方からそんな理屈は受け入れられないと拒絶したら、それは小五郎の責任ではないけど、手遅れになってから訳知り顔に説教するのでは、お前にそれを言う資格はない、と思う」

晶華「まあ、過剰な正義漢が道を踏み外して闇堕ちするというのは、今の仕事人の定番だし、そういうやるせなさをどういうセリフで締めくくるかも、ドラマの見せどころよね」

NOVA「俺は、創作や映像作品など幻だと思われている事物と、現実の関連性を突き詰めるのが好きだけど、幻は上手くコントロールしないといけないのに、自分の幻にがんじがらめにされたのが亥之吉だからな。いわゆる陽性キャラでアクティブに行動する兄が突き進んで孤立してしまい、陰性キャラだった弟が絵の世界で師匠と交感できて、陽と陰が入れ替わった話だな」

翔花「前作は陰キャに厳しい物語だったけど、今回は陽キャが救われず、陰キャに救いが与えられた話って結論かな」

NOVA「いや、一夜で仕上げた晩来の絵は幻でしかなく、何日もかけてコツコツ地道に仕上げたふすま絵は師弟の心を固くつなげた、ということかな、と個人的に考えている。それと、自分に字を教えてくれたり世話になった恩人を、短絡的に疑ってしまった自分の考えなしな愚かさが転落の一因だから、世間の噂に流されるよりも自分の目で見極める取材の裏をとる能力が物書きには必要。短絡的にデマを流すような風潮は戒めないとって教訓でしょ」

晶華「うかつな悪口は慎もう。みんなをハッピーにさせる害のない記事を、お届けしたいわね」

(当記事 完)