Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

中村主水=藤田まことさんを偲びながら2

 ちょっと、今夜は、中村主水というキャラの魅力を自分なりに論じたい。

 そもそも、自分にとって、好きなフィクションは数ある中で、どうして、こんなに中村主水に愛着があるんだろう、ってことも考えてみた。
 そして気付いたこと。
 80年代の自分にとって、中村主水は仕事人として現役ヒーローであると同時に、再放送で仕置人以来の過去の主水の物語を追体験することになった、言わば「現在のリアルタイムと過去の歴史」の両方を味わえた形だからだ。


 今でこそ、ビデオやらDVDやらで、現役ヒーローを楽しみながら、その源流である旧作ヒーローを同時並行的に堪能することは可能だ。でも、ぼくが必殺とランデブーした80年代頭は、多くの特撮シリーズは休眠状態にあった。
 まず、ウルトラマンは「80(エイティ)」で一時中断し、その後、96年の「ティガ」までテレビの上では、長い眠りに就いていた。
 仮面ライダーも、同じ80年の「スーパー1」で一時中断。特番のZXはあっても、その後、復活するのは87年の「BLACK」まで待たされることになる。
 ゴジラが復活するのも84年で、しかし、真の意味での平成VSシリーズとして動き出すのは、89年の「VSビオランテ」を待たないといけない。
 もちろん、戦隊やメタルヒーローシリーズはリアルタイムに続いていたが、それらはまだ歴史も浅く、自分にとって「歴史を研究する素材」にはまだ成り得ていなかった。


 つまり、「過去の作品としての歴史研究」と「現在の作品としてのリアルタイム追跡」を同時に行えたのは、80年代半ばまでは、必殺のみ、という状況だったわけだ。こういう興味は、刑事ドラマ『太陽にほえろ』でも満たし得たし、事実、自分は同作も喜んで追跡していたが、特撮番組の延長線上として、より素直に受け入れやすかったのは、自分にとっては『太陽』よりも『必殺』だったということで。
 もちろん、『太陽』と『必殺』を比較論的に語ることも可能だろう。沖雅也や、三田村邦彦小野寺昭と役者のつながりを見出すこともできる*1し、メンバーの殉職という切り口でも考察できると思う。
 でも、今はそのときじゃない。


 とにかく、必殺シリーズが、実は、当時、自分の「今を追跡しつつ、過去を研究したいという性癖」をうまく育んでくれた作品群ということができる。その中でも、とりわけ中村主水というキャラクターが、ただの研究素材というレベルを越えて、その生き様に感化させうる深さを持っていたことは、言うまでもない。
 一人のキャラを考える場合、「熱血漢」「クール」「コミカル」の三要素は、合わせ持っていることは稀である。二つまでは考えられる。「クールだが、内面は熱い」とか「熱血漢なお笑い担当」とかは可能だろう。でも、「クールかつコミカル」は相性が悪いと思う。まあ、それも最近では、レスキューファイアーのF4みたいに「妄想癖」という特徴を持つことで、うまくキャラ付けしていたりするケースがあるけど。
 しかし、「熱血」「クール」「コミカル」の三要素を、しっかり演じ分け、かつ説得力を備えた役者がどれだけいるだろうか? クールキャラのコミカル描写といっても、アニメのようなディフォルメとか、クールな態度が周囲から浮いているゆえ面白いとか、役者本人の演じ分けよりも、むしろ周囲がそういうシチュエーションのお膳立てを整えているから成立すると考えられる。
 つまり、役者自身の素の演技で、三要素を違和感なく備えているケースは稀である。その稀なケースを、藤田まこと氏は実演し、それぞれの異なる表情に、ぼくたちは中村主水の奥深さを感じ取った。


 必殺シリーズの殺し屋は、総じて「表の顔」と「裏の顔」を持つが、表と裏で、そうそう変化が付けられるものではない。裏で格好いい役者は、表でも格好良く、崩れることはあまりない。裏で熱いキャラは表でも熱い性格で、クールな場合もしかり。
 主水のように、表ではとことんバカにされている人間が、裏では隠した鋭さと熱さをのぞかせる、というケースは稀。しかも、仮にそれを実現できたとしても、たいていは衣装の変化などの見た目の差をともなっている。たとえば、「2009」の経師屋・涼次には、確かに熱さ、クールさ、コミカルさはともなっていたが、それには衣装の変化が必要だった。衣装の変化をともなわない役人・渡辺小五郎は、日常のコミカルさがいまいち似合わない。
 80年代に必殺と対照的に思えた『影の軍団』シリーズでは、千葉真一演じる半蔵(あるいは新八)が中村主水ばりのドジな表の顔をうまく披露していた。しかし、彼の裏の顔も、やはりコスチュームの変化を伴う。
 つまり、表も裏も同心ルックで、演技の差だけで全ての顔を違和感なく見せていたのは、藤田さんの力量あってこそ、と言えるのだ。
 よって、水戸黄門を演じられる役者は複数いても、中村主水を演じられる役者は他にいないのではないか? と自分は考える。中村主水の後継者はいても、2代目中村主水は成立しない、というのが現状のNOVA説ってこと。仮面ライダーは2号、V3その他いろいろ増えて行ったし、ゴジラも2代目とかミニラとかベビーとかいろいろいたりする。でも、中村主水には……子孫はいても、ベビーは死産。2号や、V3、X、はたまたAやタロウ、レオ、あるいはZやZZ、クロスボーンとかユニコーンとか、有り得ないよなあ。


 ちょっと、最後は冗談めかしたけれど、要するに、中村主水はそれだけ稀有なキャラと言いたいわけで。
 でもね、やはり中村主水を越える、とまでは行かなくても、別の角度から追随するキャラは、自分も考えたいし、スタッフにも作ってほしいんだね。オマージュよりは、むしろ違う路線で……。
 中村主水は凄かった。で話を終わらせてもいいんだけど、さらに、その先も見据えていければ、と思っている。

*1:よりマニアックには、「ジーパン(松田優作)のお母さん」とか、つなげることもできますが。