Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

ゲキレンジャー(45話)ピキーン感想

 ゴウ兄さんの戦いを見て、分かったこと。
 この世界って、「友情や努力の上に勝利するジャンプ的世界観」とは無縁なのね(笑)。

 代わりに、「血縁に由来する天性の才能」やら「宿命」が勝敗を決する世界観だったりするのですな。
 しかも、理央はジャンを異常に意識しているけど、ジャンは理央をそれほどには思っていないわけで。メレ様が、ジャンに嫉妬して、「何で、お前みたいな奴に理央さまが……」という気持ちが、よく分かります。
 要するに、ジャンと理央の間に、響き合うドラマの蓄積がこれまで築かれて来なかったような気が*1


 まあ、ジャンの場合、衝動的な思いつきで行動しますから、理央みたいにネチネチ抱え続けることはできないでしょうからね。
 とってつけたような設定・物語になるのも、ジャンの性格ゆえなのか? と納得することもできる。
 ……それに、いいように考えるなら、ジャンが「理央との対決」に、理央と同じくらいの執着を持ってしまえば、共闘はありえないよな。
 ジャンと理央の最終的共闘を望むなら、ジャンはさっぱりした性格である方が、納得しやすい、と。

共闘のための流れ(予想)

 ジャンは、たぶん、理央をあっさり許すと思う。
 もちろん、それは「父親ダンを殺したのが、理央ではなく、実はロン」と判明した上で。


 問題は、理央の方。
 彼が、ゲキレンジャーとの確執を越えて、ロンと対立するためには、やはりロンに対する決定的怒りが必要かと。
 そのために、「理央を守って、メレ死亡」という流れかなあ、と思いますな。
 そうなると、メレの最期のセリフは「理央さまのために生き、理央さまのために死ぬラブウォリアー……(ガクッ)」と言い遺してくれれば、涙もの。
 何となく、次週はそうなる気がしますね。


 そして、理央が「メレの愛を自分が無下にしてきたこと」に気付き、「何かを守るために強くなる激獣拳の真髄」を悟れば、ドラマ的盛り上げとしては十分。
 こうして、ついに獅子と虎との最強タッグ(その他大勢)の力で、ラスボス・ロンを倒せば、理想的大団円ですか。
 逆に、理央がロンの陰謀どおり、ラスボスになってしまえば……何だか「ドラクエ4のデスピサロ様」っぽいですなあ。ロンが陰謀家のエビルプリーストの役どころで。


 さて、最後に理央さまの去就ですが、やはり激獣拳と仲良く、ってのはプライドが許さないので、メレの菩提を守るなり、改めてメレを復活させる力を求めて旅に出るなりしてくれて……1年後、「復活したメレと共に、VSゴーオンジャーに出演」してくれれば、NOVAとしては大満足ですな。

ヘタレ兄弟(涙)を盛り上げるには……

 その回で修得した究極奥義を、その回でいきなり破られるなんて、ゴウ兄さん、悲しすぎ。理央への友情も、努力も、空回りする運命だったのね。
 しかし、もっと哀しいセリフは弟の方。


 理央を前に、「本来は弟のぼくが、兄さんの仇を討つべきところだが、ジャン、お前に任せたぞ」……何だか言い訳がましいセリフだなあ(苦笑)。
 実際にレツが戦っても、あっさり理央に倒されるのがオチだろうけど、せめて意地ぐらいは張ってほしいものでした。
 NOVAの理想の流れとしては、「ゴウ兄さん倒される→駆けつけたレツ、ラン、ケンが理央に挑む→奮戦むなしく敗れる→そして本命のジャン登場」という段取りをしっかり踏んでほしかったな、と。
 そして、ジャンとしては、「父さんを倒し、仲間まで倒した理央! 貴様を許さない!」と燃えセリフをしっかり語ってから、宿命の対決に挑んで欲しかったです。


 あとは、伯仲するジャンと理央の対決の中で、理央の体にズキリと痛みが! 実は、ゴウ兄さんの技が、かすかながらダメージを与えていたのだ。
 その時に、ジャンが「仲間との絆」「他者を守るための力」云々を語り、その背後に複数の激獣(タイガー、ジャガーチーター、ウルフ、サイ)のシルエットが浮かび上がる。
 そこで、理央が「一人一人は小さいけれど、一つになれば、ごらん、無敵だ♪」的な戦隊の王道セリフを悟り……云々となれば、まあ、ゴウ兄さんやレツも単なるヘタレにはならなかったろうなあ、と妄想。
 ついでに、理央も「ジャン一人に敗れたのではない」ということになって、その強さに傷が付かなかったろうし。


 ともあれ、今さらゲキレンジャーがNOVA好みの超燃えストーリーになることは、(おそらく脚本家のセンス的に)期待していませんが、せめて理央さまとメレたんのラブストーリーだけは、納得できる形で終わって欲しい、と思います。

*1:ただし、45話単独で視聴した限りは、2人の決着の映像描写的迫力は十分なものがあり、非難する点はない。あくまで、大きな流れで見た場合に「2人の宿命的関わり合い」をもっと濃密に描くべきだった、という意見ね。