シリアス、かつ燃えるストーリー。その意味では、当たり回。
思いがけず、リュウジンオー白波に焦点が当たってくれて、NOVAとしては満足。
「ライトニングイーグル初登場」とか、「宇宙に飛び出すリュウケンドー」とか、そういったイベントもあるのだが、相変わらずドラマとは遊離した描写のようだ。
でも最近、思うようになったのは、リュウケンドーの主役である鳴神剣二は、自分自身がドラマの渦中にいるのではなく、
他のゲストに絡むことで、その人物のドラマを引き立て、掻き回し、そしてヒーローとして魔物を倒すだけの役割……それで十分なのかもしれない。
剣二自身がドラマの中心になってしまえば、どうも単独暴走と空回りが過ぎて、他のキャラが置いてきぼりになりがちだ*1。そして、そういう回は、NOVAにとって外れ、と言える。
一方で、白波の場合は、「孤独な復讐者」としてのドラマを抱えており、陰性のキャラ。陽性の剣二とは「水と油」の関係で、だからこそ二人の間には、素直になれない対立と葛藤が付きまとう。
ただ、剣二には「単純で説得されやすいお人好し」な性格があって、「イヤな奴」白波の別の一面を知るにつけ、実にあっさりと仲直りする。対立のドラマを後に引きずらないのである。
一話完結のヒーロー物としては、主人公がいつまでも悩みを引きずっていると、見ている視聴者の方も、気分が滅入ってくる。最近のカブトを見ていると、その気が強くなっているのだが、それを緩和するために、コメディーリリーフが出ていれば*2、バランスはしっかり取れてくる。
対して、リュウケンドーの場合、剣二が悩みを引きずることは、ほとんどないので、彼を中心に見た場合、ドラマ性は非常に薄い。そういう部分のドラマ性は、白波の方に集約されているのだ*3。
剣二は、自分自身が重いドラマ性を持たない分、他のキャラに容易に絡むことができる、実にフットワークの軽い人物である。そして、他のキャラに振り回されたり、勝手に勘違いしたりして、実にコロコロと言動が変わる。その場その場で感情の振幅が激しい。落ち込むことも、舞い上がることも日常茶飯事である。もちろん、これが良いことか悪いことかは一概に言えないが、彼のこういう性格がリュウケンドーのバラエティーの多さを支えているのだろう。
ま、そんなわけで、
「シリアス、かつ燃えるストーリー」を求めるNOVAには、シリアス回のオチが、「大気圏を突入して、地上に墜落したヒーローが、顔を真っ黒に染めただけで笑い合う軽い描写」であるのは、強い脱力感を否めないものの、
それこそが「リュウケンドーらしさ」ということは分かっているので、今さら番組の色をどうこう言って難色を示すことはしないつもりだ。
PS:金ぴかの「アルティメット・リュウケンドー」を雑誌で見るにつけ、何だか「アルティメット(究極)」という言葉が、安売りされているなあ、と思うこの頃。