Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

続・私的ヒーロー百科(2000)その1

2000年からの特撮ヒーロー見直し

 

009『令和NOVAから出された宿題なんだが……』

ケイPマーク2『2000年と言えば、仮面ライダー復活(クウガによる平成ライダーの幕開け)がトピックだけど、戦隊はタイムレンジャースーパー戦隊シリーズ25周年)、ウルトラはネオス以外にティガの劇場版、そして私的ヒーロー百科の年表には載ってないけど、ゴジラも前年末からのミレニアムおよびメガギラスが注目作だッピね』

009『ゴジラはなぜ載せていないのか、と言えば、別ページにまとめて載せてあったんだな』

009『私的ヒーロー百科はあくまでヒーローをまとめるもので、ゴジラは怪獣であって、ヒーローではないという理由だったかな』

ケイP『その割には、1960年の「怪獣マリンコング」とか1967年の「怪獣アゴン」なんて物も入れているッピね』

009『たぶん資料で使った本に載ってたからだろうな。それと途中まではTV作品に対象を限っていて、87年の「地球防衛少女イコちゃん」からビデオ作品をフォローするようになり、1990年の「ウルトラQ ザ・ムービー」から劇場版も取り上げるようになった』

ケイP『今だと、ネットで配信している作品も網羅しないといけなくなって、どこまで手を広げるべきか大変だッピね』

009『まあ、ここではライダー、戦隊、ウルトラ、ゴジラの基本4シリーズを中心に、その年のトピックとか、後から影響を与えると判明した歴史上、意義ある作品を補足することにしよう』

 

平成ライダーのスタート

 

009『で、2000年の特撮を語る上で、1番のトピックはやはりクウガだろうな。当時は「燃えろロボコン」の後番組として、とうとうライダーかあ、と感じ入ったものだ』

ケイP『その前のTVライダーは、1988年に始まり、平成元年の89年に終了した「BLACK RX」だったッピね。11年めに復活したライダーのTV放送だッピ』

009『ライダーの歴史は、戦隊と違ってブランク期間が長いんだよな。最初の71年から75年のストロンガーまでが昭和の第1期で、栄光の7人ライダーと呼称されている。79年のスカイライダー、80年のスーパー1、そして雑誌展開とTV特番のみのZX(82〜84年)の3つが第2期で、87年のBLACKからが昭和の第3期ということになる。

『ここまでが全部、関西の毎日放送系(4チャンネル)で、東京ではテレ朝系のNETから75年の腸捻転解消によってTBSに放送枠が移った。その影響でアマゾンライダーが短命に終わり、ストロンガーに切り替わって、一方、NETのライダー枠に入って来たのが戦隊第1作の「秘密戦隊ゴレンジャー」ということになる』

ケイP『って、ナイン君。平成ライダーを振り返るはずが、昭和まで振り返っているッピよ』

009『まあまあ。関西人にとっては、ライダーはずっと毎日放送なんだけど、東京では違っていたって話をしたいんだ。東京では朝日系のNET→TBS→クウガからテレ朝ってことで、結局、テレ朝から始まって戻って来たって感覚だけど、関西人にとってはずっと4チャンネルだったライダーが6チャンネルに移ったってだけで、大きな革命だったんだよ』

ケイP『とある映画で、戦隊とライダーがVSしていたけど、元々、ライダーと戦隊は局の違うライバルヒーローだったッピね』

009『シリーズとしては、アマゾンの次に来るのはストロンガーなんだけど、75年当時の関東人にとってはアマゾンの後番組がゴレンジャーになっていたんだな』

ケイP『じゃあ、ストロンガーの前番組は何だッピ?』

009『関東では「はじめ人間ギャートルズ」だったらしい。あと、こっちの4チャンネルでも、アマゾンが土曜日の7時半だったのが、ストロンガーから土曜の7時になっていたんだな。まあ、昭和1期の話はこれぐらいにして、平成ライダーに話を進めよう。平成ライダーの起源は番組枠的には昭和ライダーではなくて、ギャバンに始まるメタルヒーロー枠の延長にあることは特撮マニアの常識だな』

ケイP『等身大の単独ヒーローとして、仮面ライダーの要素を引き継いだのがギャバンだッピな』

009『番組枠は違うけど、81年に終わったスーパー1の一部要素を引き継いだのが82年のギャバンだと、ぼくは解釈している。最終回で宇宙に旅立ったスーパー1のイメージが、同じ宇宙の銀色ヒーローのギャバンに受け継がれ、バイクのブルーバージョンがサイバリアンに、大型バイクのVジェットがギャビオンに、エレキハンドがレーザーZビームに、そして最終決戦で使った稲妻電光剣がレーザーブレードに進化した、と自分的に感じたりもした』

ケイP『無理やりな解釈だッピな』

009『要は、スーパー1の持ってたメカニック要素が宇宙刑事に発展進化した、とリアルタイム視聴時に感じとったって話さ。で、その宇宙刑事の要素がBLACKを経てRXに引き継がれ、この辺の作品エッセンスの影響の与え方が、今でもいろいろと面白く感じるわけで』

ケイP『とにかく、ナイン君は宇宙刑事に始まるメタルヒーローの要素が、平成ライダーに受け継がれていく流れを語りたいッピな』

009『もちろん、ライダーの要素はメカだけじゃなくて、バイオテクノロジー、およびオカルト的な神秘パワーと、平成以降はゲームの影響も大きいんだけどね。その影響の受け入れ方、そして与え方を細かく論じれば、記事一つじゃとても足りない』

ケイP『だったら、細かいことは飛ばすッピ。要は、ギャバンから受け継いだメタルヒーロー枠の延長に、新世紀の嚆矢となるべくニューヒーロー、ニューレジェンドの売り文句を掲げて、クウガは始まった、と』

009『その過程で、真、ZO、Jがあったことも語りたいんだが、それらはクウガよりも次のアギトに受け継がれるので、後のネタってことで、今回はクウガに専念する』

 

昭和ライダー平成ライダーの違い

 

009『クウガが先達のライダーから受け継いだ要素(大きな複眼や角、プロテクター、変身ベルトを基軸としたデザインやバイクアクション、主にキック技を中心に敵怪人を倒すところ)は数々あって、ああ、これは普通に仮面ライダーだな、と感じることはできる』

ケイP『そりゃあ、デザインを見て、これはライダーなのか? と感じるのは、龍騎とか響鬼以降の話だッピ』

009『BLACKのバッタ男から受け継いだ真みたいな実験的デザインは、当時、石ノ森御大以外の人がやっていたら、異形すぎて受け付けられないだろうな。アマゾンライダーの延長上にある怪奇属性ということで、こういうのもありって空気はSFバイオテクノロジーの生々しさ、グロさこそリアルって90年代の時代性もあったんだろうけど』

ケイP『それはネオライダー3部作の方向性で、クウガは違うよね』

009『クウガが目指したリアルは社会性であって、これは平成ガメラの延長にある「もしも今の時代に怪獣(怪人)が出現して暴れたら、世の中はどういうリアクションをするか」というシミュレーションだな。クウガ自身は古代の呪術文明が肉体を変容させた存在で、リアルでも何でもないんだけど、クウガグロンギのような異物が現代に出現した際に、社会はどのような反応を示すかを徹底的に突き詰めて描いている』

ケイP『昭和ライダーにはなかった描写だッピな』

009『正義のヒーローと悪の怪人の戦いは、基本的に人知れず行われるもので、怪人が「俺さまの正体を見たな。死ねえ」と一般人を殺害すれば、それだけで証拠隠滅できてしまう。でも、21世紀の情報社会で人が次々と死んだり、行方不明になれば、警察も当然動くし、社会不安だって湧き上がる。そういうリアルを、ヒーロー物のお約束だから、と逃げずに描いて見せたのが、既存の特撮ヒーロー番組と一線を画するところだ。子供だましのウソっぽさを廃して、もしかしたら現実にあるかもしれないと視聴者に感じさせた』

ケイP『基本的にヒーロー番組は、暗躍する悪の組織の尖兵をヒーローが倒して事件を解決し、平和な日常を守ったり取り戻したりして、毎回の事件が後に尾を引かない作劇だから、怪人の殺人行為で社会不安になると話が重く暗くなる弊害があるッピね』

009『守ろうとして守れなかったとか、ヒーローが自分の戦いは何のためだったんだと悩み始めると、深い話になりそうなんだけど、ずっとそういう話ばかりなのも見ていて辛い。だから基本はハッピーエンド、たまにビターエンドな回があって印象的に映る(ウルトラマンジャミラ回とか)程度が、昭和の見せ方だったんだけど(大人の観賞に耐えるというのは、そういう深刻な悲劇的要素を切りとって説明することが多い)、平成になると、世紀末のいろいろな事件(宗教組織によるテロ行為とか、猟奇事件とか)がセンセーショナルに報道されて、架空のヒーロー物の悪の組織よりも現実の方がやってることが酷いということもあり、悪をどのように描くかで、これまでのステロタイプ以外を模索するようにもなった』

ケイP『ライダーの敵組織だと、「日本征服、もしくは世界征服を狙う悪の秘密結社が、怪人を使って破壊、諜報、何らかの非人道実験、洗脳工作などを行うイメージ」だッピね』

009『作戦内容が毎回変わって、一貫性がないなどと揶揄されることもあったが(主に90年代に流行した謎本なんかで)、逆に番組制作側としては毎回、同じ作戦内容だと飽きられるから、いろいろなアイデアを出して物語にヴァリエーションを出しているのに……と言いたいところだが、最初に作戦ありきではなくて、最初に怪人の能力があって、その怪人が考案した作戦を「面白い。やって見せろ」と幹部や首領が認可して、怪人の自発性に基づいた作戦行動なんだよな』

ケイP『意外と怪人の自由裁量を認めてるッピか?』

009『初期のショッカーがそれで、だんだん作戦を仕切る幹部が登場して、時には幹部と怪人の間の連携が上手く行かなくて、コントとか内紛劇に発展することもあるが、そちらはライダーよりもむしろ戦隊の方が多いな』

ケイP『ライダーだと、Xライダーのアポロガイストがしばしば現場の怪人から嫌われていたり、ストロンガーのタイタンとシャドウの仲が悪かったり、デルザー怪人同士の足の引っ張り合いとかが印象的だッピ』

009『主人公に対峙するライバルとしてキャラ立てしようと思ったら、だんだんアクが強くなって、敵側のドラマで話を盛り上げようという流れになったケースだな。ヒーロー側がどうしてもドラマ作りがステロタイプになりがちなのに対し(アマゾンという例外はいるにせよ)、敵側組織の作戦内容やドラマで物語を引っ張って来たのが昭和だ』

ケイP『平成は?』

009『ヒーロー側の日常ドラマパートの比重が大きくなって、しばしば怪人との戦闘がなくても話が成り立つような展開も多いな。一応のバトルシーンは挿入されるが、平成ライダーや令和ライダーはしばしば怪人の個性や作戦内容がドラマやアクション内容とは切り離されて描かれることが多い。その点で、まだクウガグロンギは事件の元凶としての怪人の個性やアクション演出に力を入れていたとは思うがな』

ケイP『グロンギ怪人は、別に組織として作戦行動を取っていたわけではないッピね』

009『そうだな。昭和のお約束として、組織のアジトで怪人や幹部が今回の作戦行動の概要を示すシーンがあるんだ。しかし、グロンギは特定のアジトを持っていない。廃屋らしき場所に潜伏していて、そこを警官隊に急襲される回もあったが、まとまった組織行動をとったことがほとんどないんだ。おまけにグロンギは、グロンギ語で会話して、何を話しているか視聴者には分からない。さらに序盤のグロンギは頭の悪いズ集団で、野生の獣のような粗暴さで暴れ回るだけだった。彼らの行動動機を警察が探ることもドラマの一環だったので、「今回の作戦はこうだ」と従来の敵アジトシーンの定番作劇を廃した作りだ』

ケイP『昭和の敵は、作戦行動をベラベラ喋って分かりやすい。平成以降の敵は、そこを謎にしたまま物語を進めるってことでいいッピか』

009『平成は、饒舌な昭和怪人と比べて、コミュ障な連中が多かったり、ドラマ的に双方の思惑がズレていて誤解したまま戦ったりする物語が多いからな。情報伝達が上手く行かずに敵味方の関係すら錯綜したドラマ展開を好む脚本家も多くなったし』

ケイP『昭和は善と悪とが明確で、たまに第3勢力が出て来たりもするけれど、平成は敵怪人が何を目的としているか分からなかったり、味方同士の思惑がもつれてライダー同士のバトルが意味もなく続いてみたり、主人公すら自分の正義に迷いを覚えて、酷い場合は敵陣営に転がり込むなど迷走したり、人類に敵対したり、世界の破壊者になったり、邪悪の王を名乗ったり、いろいろだッピね』

009『邪悪の王を名乗っているのはライダーではないぞ。ライダーは「最高最善の魔王」を目指していた』

ケイP『つまり、平成は昭和ほど、何が善で何が悪かを定義するのが難しいってことだッピな』

 

クウガの正義論

 

009『クウガはまだ分かりやすいんだな。他のライダーがいなくて、主人公の性格も優しい正義漢だ。キーワードが「誰かの涙を見たくない。みんなの笑顔のために戦う」と言っていて、劇中ドラマでも、昭和ライダーの先輩方に負けないくらい、しっかり自立した信念を持っている』

ケイP『でも、最終決戦で涙と笑顔の意味が大きく変わるんだッピね』

009『最後のダグバとの決戦シーンで、両者の変身ベルトが共に破壊されて、生身の姿で殴り合いを演じるんだな。そして、敵のダグバが笑顔で殺し合いを楽しんでいるのに対し、クウガの五代は涙を流しながら相手を殴っている。ここで今まで仮面に隠されていた五代の戦いの裏を視聴者は察するわけだ。彼は誰かの涙を見たくないという想いから、自ら涙を流しながら望まぬ暴力を振るい続けていたことに』

ケイP『悪を倒すために暴力を振るう正義に対して、クウガは劇中ドラマでも問題提起をして、行き過ぎた正義が暴走して「戦うだけの戦闘マシン」に堕する危険を描いてた。誰かを守る警察の正義でさえ、その暴力行為が守られた少女さえ脅えさせるジレンマを描いて見せたッピ』

009『ヒーローの掲げる正義さえ危険なもの、という自己矛盾に満ちたテーマを示し、それでも自分の正義の信念に殉じる覚悟を描いたのだと思う。その覚悟の苦渋さが伝われば、安易に正義ぶって他人を攻撃する幼稚さを戒めることになる、という制作意図でね』

ケイP『「みんなの笑顔」という五代の定義に、「他人を傷つけるダグバの笑顔」は含まれないってことだッピね』

009『五代はみんなの笑顔のために戦っていたけど、自分は笑顔じゃなかったんだよな。日常シーンでは子どもたちや周囲の人に笑顔とサムズアップで激励していた人間が、ダグバの笑顔を見ると、呪われたかのように笑えなくなるんじゃないかとは思う。だからこそ、笑顔を取り戻すための青空の旅が最終回になって、五代雄介の物語は終わる。以降は、違う世界の物語としてクウガは扱われる、と』

 

ケイP『クウガが正義という概念に疑問符を突きつけ、勧善懲悪というヒーロー性を廃した作品ということは納得だッピ。でも、ヒーローとしては何らかの戦う理由や大義が欲しいッピね』

009『それがグロンギという暴力に怯える社会の人々と、それを守るために活動する善意の警察組織たちだな。クウガという作品への批判に、あまり悪人が描かれないというリアリティの欠如が言われる。まあ、後の平成ライダーでは、しばしば人間の中に潜む悪が提示され、むしろ異形の怪人の中の人間性とか、異形との和解の模索とか、怪人の中の善性を描くために人間の中の悪性を強調するドラマ作りも散見される。いわゆる善悪相対化の方向性だね』

ケイP『クウガはそこまでは踏み込めなかったッピ』

009『あくまでヒーローの暴力行為へのアンチテーゼを示しただけで、グロンギという怪人に理があるという考えではないからな。グロンギは、従来の悪の組織のように世界征服を目論んだり、人類支配を企んだり、人類を滅ぼしてどうこう、という野望は持っていない。ダグバを除けば、独自の文化を持った古代の戦闘民族の末裔で、彼らが現代日本の文化文明を学習し、尊重して共存を図るような段階に達すれば、和解もできたかもしれないが、現代日本の平和主義な社会では平気で人を殺す連中と分かり合うことは難しいな』

ケイP『古代や中世の武人集団が、現代社会にタイムスリップして来たような連中だッピか』

009『劇中では、古代の遺跡から復活した野生的な部族と描写されて、北方ゲルマン民族のバイキング的な印象も持っているが。獣に変身するトーテム狂戦士的な呪術とか文化論で語ることも可能だけど、その辺はあくまでフレーバーであって、作品テーマの本義ではない』

ケイP『グロンギの本義とは?』

009『「現代の社会生活に順応できず、コミュニケーション困難で、ゲーム感覚で人を殺してしまう(と思われがちだった)90年代当時の若者」だ。じっさい、マスコミによって作られた犯罪者予備軍のオタクのイメージがそんな感じで、グロンギは「同じ人の姿をしているけど、世間の常識とは違う異文化の好戦的な者たち」で、「ちょっとした刺激でキレて暴走して、後に自分たちの勝手なゲームのルールで人を殺して、身内同士で盛り上がり、人としての情の欠落した新人類」として扱われている』

ケイP『旧人類ではなくて、新人類だッピか』

009『昭和と平成以降の文化の違いを語る上で大切なのは、コンピューターやゲームという素材が社会に与えた影響と考える。例えば、昭和だとモンスター退治なんて言葉にリアリティーは全く感じられないが、平成だと電脳世界や遺伝子工学の影響で生まれたモンスターが現実世界に逃げ出して……って話を企画しても、荒唐無稽とは言われない。

東映スーパーヒーロー物で、デジタルゲームという題材を初めて使ったのは97年のメガレンジャー。広くファンタジーRPGの物語を素材に使ったのは92年のジュウレンジャーだが、ゲームという要素をネガティブに扱い始めたのがクウガからで、これは90年代の後半辺りからデジタルゲーム害悪論がマスコミで活性化した影響も大きいな、と考える』

ケイP『別にグロンギがTVゲームをしているわけではないッピよ』

009『そりゃそうだけど、猟奇的な殺人行為とゲームというキーワードを結びつけることで、「ゲーム感覚で人を殺す悪」と「人々とコミュニケーションを交わすことで思いやりを示す、心優しいヒーローの善性」を対峙的に描くことに成功しているわけだ』

ケイP『コミュニケーション不全で、ギスギスした階級制競争社会のグロンギに対し、自由な精神をもった冒険家が癒しを示す物語、と受け止めることもできるッピ』

009『ああ、ヒーローの物語に癒しというドラマを見せたのも大きいかもね。五代雄介がヒーローとして際立つのは、戦士として戦うだけでなく、日常生活でマインドセラピーみたいなドラマを描いていることも挙げられるかも。まあ、そのテーマだと、やはりこの歌を思い出すけど』

009『そう言えば、シャリバンも今年で40周年なんだな。そろそろYouTubeでも配信されないかなあ』

ケイP『ナイン君、クウガの話から逸れそうだッピよ』

009『おっと』

 

刑事との連携

 

009『クウガを語っていて、忘れちゃいけないのは、やはり五代の相棒の一条刑事だよな』

ケイP『本郷や一文字の協力者である滝和也に相当するポジションだッピね』

009『当初は警察から未確認生命体(グロンギ)の一体と見なされたクウガが、一条刑事のサポートを受け、やがて警察組織からも信頼を得ていき、共同戦線を張るようになる流れが、前半のドラマの醍醐味と言えるもんな。クウガという作品の魅力に、ヒーローや怪人の戦いに際して、リアルの警察組織がどう動くかなど社会を描写して見せたことがあるし』

ケイP『マスコミが事件を報道し、その記事を見てポレポレのおやっさんが4号(クウガ)の活躍を称賛するんだけど、五代が自分がそのクウガだと打ち明けても、クウガ=4号のことだと伝わらないおやっさんのボケっぷりが何とも歯がゆいッピ』

009『別に五代くんは意識して隠しているつもりはないんだけど、通じないなら通じなくてもいいか、と無理に伝えようともしていない距離感が絶妙だ。視聴者としては、もっとはっきり伝えればいいのにと思いつつ、伝えることでキャラのドラマ上の人間関係が変わってしまうと、ほんわかした空気がピリピリ緊張したものになりそうで、ほのめかす程度がいいのかな、とリアルに考えたりも。例えは変だが、今のままの距離感を崩したくないので、はっきりとは告白しない恋心にも近いか』

ケイP『その意味では一条刑事との関係は、濃厚すぎる友愛劇だッピ。たぶん、平成ライダーの男カップルの中でベスト3に入るッピ』

009『別にホモを推奨するわけではないが、他の2つは?』

ケイP『龍騎の城戸真司とナイトの秋山蓮、フォーゼの如月弦太朗とメテオの朔田流星でどうだッピ?』

009『他にも、Wの左翔太郎とフィリップ、ビルドの桐生戦兎とクローズの万丈龍我の関係性も捨て難いが、それはさておき、警察の描写がここまでリアルで濃厚な特撮ヒーロー作品は稀で、ある意味、宇宙刑事の延長にあるレスキューポリス3部作を経たからだとも言えるな』

ケイP『メタルヒーローは刑事とか警察関連に関係する作品が、ギャバンシャリバンシャイダー、ジバン、ウィンスペクター、ソルブレイン、エクシードラフト、ジャンパーソンの8作もあって、そのエッセンスがクウガの翌年のG3に受け継がれているッピな』

009『クウガの場合は、他に1999年から放送開始した「科捜研の女」シリーズからの影響もありそうだな』

ケイP『でも、東映は昔から刑事ドラマも多く手掛けていたッピよ。特捜最前線とか、はぐれ刑事純情派とか、ナイン君が知らないはずがないッピ』

009『まあ、特捜最前線は別名、特撮最前線と呼ばれたぐらい特撮ヒーロー役者がいろいろ刑事役をやっていて凄い伝説の作品だし、はぐれ刑事には中村主水こと藤田さんやケイン・コスギも出ていて、後にアギトの賀集利樹も出たりしたからなあ。東映に刑事ドラマ作りのノウハウが蓄積されていたのは確かだ』

 

NOVA「と言うか、2000年のヒーロー番組を振り返るのに、刑事ドラマまで振り返って、お前は何をしてるんだ?」

009『おお、令和NOVA。帰っていたのか?』

NOVA「連休中にドンブラ映画を見るためにな。それより、クウガ1作で語りすぎだろう?」

009『仕方ないじゃないか。クウガはそれだけ歴史的意義のある作品ってことだ』

NOVA「クウガは昔、一番、力を注いでページ作りしたからな。正直、サイトを設立した2000年末のリアルタイム感想なら、こちらを見よ、と言いたい」

ケイP『アギト以降は、ここまで力を注いでいなかったッピね』

NOVA「まとめるのに、手が回らなかったんだ」

009『一応、連載記事として日記は書いていたんだけど、サイト容量が圧迫したんで、カットしたんだな。痕跡だけ残っている』

NOVA「とにかく、クウガだけでここまで語っていては、話が終わらんだろう。俺に『私的ヒーロー百科の続きを書いて』とリクエストした人間は、おそらくここまでの長文を望んでいなかったろうし、そこまでの道楽に付き合ってくれる根性は持ち合わせていないと思われるしな」

009『って言うか、このブログを読んでいるのかすら不明だろう』

NOVA「まあ、リクエストだけして、いざ、そのリクエストが叶えられた場合に、『応じていただき、ありがとうございます』の返礼すら示さない無責任な人間は、ネットに多いからな。労力をかけるに値する相手の反応があるかどうか、あるいは自己満足が得られるかどうかで、続きを書くかどうかを考えてもいい」

009『しかし、クウガについては、まだ語っておきたいこともある』

NOVA「何だ?」

 

クウガのフォームチェンジ演出について

 

009『クウガの最大の特徴は、フォームチェンジの数の多さにある』

NOVA「いや、数だけだと、後年のライダー、とりわけオーズのメダルコンボとか、ジオウのアーマーとかの方が上だろう」

009『数だけ増えても、ドラマで演出がしっかりできていないのはダメだ。それとフォームチェンジの種類が増えすぎると、そのフォームを劇中で使う必然性とか、印象的な見せ場の記憶が残らなくなる』

NOVA「まあ、オーズは歌で印象を深めてると思うがな」

009『後の作品の演出はともかく、クウガのフォームチェンジはやっぱり長所だけでなく、短所もしっかり描けているのがいいよな。仮面ライダーと言えば、バッタの能力でジャンプ力が長所だけど、クウガはバッタじゃないからバッタ怪人にジャンプ力で勝てない。そこで超変身した青のクウガ(ドラゴンフォーム)は俊敏性特化型だから、ジャンプ力でバッタに匹敵するんだけど、パワー不足で敵に有効打が与えられない。そこで、古文書の解読文を手掛かりに、ドラゴンロッドという専用武器を生み出す流れで、各フォームの特性を理解し、弱点と克服の過程、使い分けの必然性まで丁寧に段取りを重ねているんだな』

NOVA「こう言っちゃ何だが、クウガという作品を最初に見た印象は、昭和のライダーに比べて演出が地味だなあ、と。もちろん、最初に見たのが白クウガということもあるんだが、発展途上のグローイングフォームから2話めの赤クウガ(マイティーフォーム)に炎の中で変身し、1話と2話のセットで話を作ることを理解する。1話完結ではなく、連続もののドラマ構成ということもな。

「そして3話めで高速走行のヒョウ怪人を追いかけるために、バイクが必要だってことで、一条さんとの友情が成立してバイクのトライチェイサーを調達してくれる。この辺の流れが、RPGなんかの序盤展開みたいに、少しずつ装備が整い、新しい能力が解禁されていく過程みたいで、最初は弱かった主人公が段階を踏んで強くなるのは、ワクワクできる」

009『成長が丁寧に描かれたヒーローはいいよな』

NOVA「それは同意だ。パワーアップの過程と、癖のある扱いにくい能力の特性を主人公が理解して、有効に使いこなしながら、一通りのフォームが出揃うと、敵怪人との戦いでも、このフォームでは不利だったから、別のフォームを試してみるとか、試行錯誤の物語だ。これは番組そのものが試行錯誤で新しいヒーロー像を模索構築していく過程と相まって、非常に丁寧に描いているなあ、と感じた。最初は物足りないぐらいの地味さからスタートして、そこから一皮剥けて進化するという点で、追いかければ、どんどんハマって行ったという記憶がある。序盤の地味さも、リアルな作品、地に足ついた作品と見なせば長所だし」

009『後はCGによるモーフィングが、フォームチェンジの色替えや武器の生成などで当時としては新鮮な映像を見せてくれたと思う』

NOVA「棒をつかんでドラゴンロッドとか、一条さんたちから銃を借りてペガサスボウガンとか、バイクのグリップを使ったタイタンソードとか、ベルトから普通に取り出す最初から用意された武器と違って、自分で生み出すってのがいいな。しまいには敵の武器を奪って、自分の武器にしたり、逆に敵の方が武器をモーフィング変形させて、クウガと同じ能力を持つ強敵演出をしたり、うん、確かに話し出すと止まらないな」

009『クウガのフォームチェンジは、RXのロボライダー、バイオライダーから、ティガやダイナのタイプチェンジを経て、主人公が3タイプに切り替わる流れから、火水風地の4タイプ(この辺の属性分けはファンタジーRPG的でもある)に1つ増えて、さらに電気の力で各タイプがライジング形態にパワーアップ。そして、ライジングマイティーキックの爆発力の凄さが、序盤の地味さからここまで来たか、と思わせる演出だ』

NOVA「等身大ヒーローで、あそこまで爆発力を示した演出は過去になかったもんな。CGを使った爆発なので、臨場感はなかったが、爆発範囲が広がっていく様に、リアルタイムで見たときは、おいおいおいおい、とシュゴッダムのゴローゲさんみたいな気持ちになった」

009『ゴローゲさん?』

 

NOVA「『おいおいおいおい、何て爆発をさせてんだよ!? 4号って奴は、未確認の中でも最も恐ろしい奴じゃないのか? こんなのを野放しにしてるなんて、警察は何をやってるんだよ?』と主人公を批判して、周囲を扇動する一般市民の一応、代表面をしてる声の大きな男だな。まあ、主人公がマスコミや一般市民からバッシングされている様が描かれると、何となく社会派ドラマに見えるという面がある」

009『クウガの感想で、キングオージャーを持ち出してくるとは思わなかったな』

NOVA「何を言ってるんだ? 赤いクワガタ主人公って意味では、クウガとクワガタオージャーって思いきり共通点じゃないか。萌え描写の多い虫キャラって意味では、ゴウラムという大先輩もいるし」

009『そうか。キングオージャーとクウガをつなげるネタもあったんだな』

NOVA「ところで、3月にこういう本を買っていたんだが……」

009『おお、すごかがの最新版か』

NOVA「いや、過去に出た3冊を合本した総集編だ。無茶苦茶分厚くて700ページ弱もある。できれば、これを機に、平成ライダーデカレンジャー以降を網羅した続巻も出してくれないかなあ、と思うばかりだが、とりあえず最後にメタルヒーロー枠のビーファイターおよびBFカブトまで私的考察があって、そこに面白い記述が。

「端的にまとめると、『ビーファイターの世界には大甲神カブテリオスを始め、別の次元から現れた存在があり、昆虫族の故郷というべき世界がどこかにあるようです。そして、それは……アバレンジャーの地球が我々の住むアナザーアースと、爆竜たちが住むダイノアースに分裂した際に、実はもう一つの世界、昆虫族が支配するムシアース(仮称)も誕生していたのでは?』という仮説だ」

009『ムシアースだって? それがキングオージャーの世界だというのか?』

NOVA「あくまで非公式なすごかが仮説だけどな。いずれにせよ、このタイミングですごかがが復刊して、たまたま偶然、キングオージャーの設定につながりそうなネタが2005年に書かれていたのが面白いな、と」

009『まるで、未来を予言したみたいだな』

 

NOVA「そういうわけで、クウガの話はこれぐらいにして(上手くまとまったとは思わんが)、次はタイムレンジャーとか他の話をまとめて、2000年の特撮懐古を終わらせよう。まだまだ先は長いしな」

(当記事 完)