今回は王道エンド編
009「前回はバッドエンドだったが、今回はヒーロー色たっぷりの王道エンドで突き進む」
シロ「前回の主役描写に、プレイヤーとして不満があります」
009「まあ、いろいろあるだろうな。ボクのマシロンはこういうキャラじゃない、と主張する権利は、プレイヤーにあるだろうし」
シロ「儀式の際に、悪堕ちする展開が唐突すぎます。もう少し抵抗して、然るべきでしょう」
009「いや、悪堕ちルートに突き進んだマシロンは、強い意志を持たずに、ヘタレの優柔不断さを強調したんだ。状況に流されやすく、肝心なところで他人に責任を負わせたがる、ヒーローになれなかった男。それが守るべき女性に仕える忠犬になることで、新たな自分の生き様を見出して、暗黒ナンバーワンになるというダークなビルドゥングスロマンなんだよ」
晶華「そんな高尚なもの? ただの堕落エロ小説のなり損ないでしょ」
009「手厳しいなあ。小説にしては、シーン描写が足りなくて、一人称ならではの主人公の内面描写と、会話のやり取りが中心。18禁になりそうな直接的描写はなるべく避け、匂わせる程度に留めたが、そこを濃密に描いてしまうと生々しくなり過ぎるから、抽象的だったり、セリフ回しだけの雰囲気エロで留めることにしました」
翔花「アム様にずいぶんとご執心のようね。メインヒロインのルビーKを差し置いて」
009「いやあ、アムはアナザーエンドの主人公であり、ファム・ファタール的でもあり、聖性と魔性を合わせ持つ多面的なイメージだな。原作ゲームブックでは、ラスボスに拉致られた被害者ヒロインでありつつ、ラスボスの依代として悪女ムーブもしてくれる。ただ、アナザーエンドでは、主人公がアムになってしまったために、悪魔犬に封じ込められた彼女がその後、どうなったかが描かれていない。
「というのも、その前の選択肢で、悪魔犬を殺すか殺さないかの選択があって、プレイヤー次第でアムの生死が変わってくる。トゥルーエンド(サークレット入手済み)に進むルートでは、悪魔犬(アム)を殺すと、ヴァンデミアは大広間から地下道に逃げ込み、そこに現れたザックに憑依してしまうので、最後までたどり着けないバッドエンド確定。しかし、アナザーエンドで最も気になったのは、悪魔犬を殺さなかった場合のアムの運命だ。主人公はアムの肉体になるが、悪魔犬の肉体のアムがどうなるかは語られない。その2つに分かれたアムの運命を、いろいろな形で補完しようと思った次第だ」
シロ「魂と肉体が一つになると、悪堕ちして魔女になる。それに巻き込まれた形のマシロン君ですね」
009「1人称小説だと、主人公は事件の観察者だから、悪堕ちルートだと、敵側の背景事情を知る機会に恵まれる。ただ、1人称小説におけるタブーを冒しているよなあ」
晶華「と言うと?」
009「マシロン人格のボクと、アム人格の私が混在した地の文が、人によっては読みにくいと感じるだろう。それに獣人のアムさんも、お嬢さま口調と、はすっぱな姐さん口調が入り混じって、人格分裂を起こしている。まあ、それで『他人の肉体に入って、本来の自分と異なる人格に苛まれる』という異常事態を表現しようとしたわけだが、書き手の意図はともかく、読者にとっての読みやすさが気になるところだ」
翔花「とにかく、わたしとしてはルビーKがもっと活躍して欲しい、とリクエストします」
009「ああ。今回の王道ルートは、ルビーKが勝利の鍵の一つだ。暗黒のエネルギーに対して、強い耐性を持つ彼女が助けてくれることで、マシロンは悪堕ちせずに済むというプロットだが、まあ書いているうちにいろいろ膨らんで来るだろう。とりあえず、王道ルートは前回の悪堕ちルートと対になる方向で考えている」
シロ「こっちが格好いいヒーローのマシロンを読める話ってことですね」
009「そう書けたらいいなあ」
決戦の準備
運命の選択は下された。
救世主として、最後の暗黒である妖魔ヴァンデミアを倒す使命を全うするために、ボクは覚悟を決めた。
奪われた自分の肉体を取り戻すために、まずはアムさんに肉体を返さないと。
しかし《魂変換》の禁呪と、悪魔犬が化身した獣人武闘家の肉体が、どれほど危険なものか、神ならぬ身には予想だにしていなかった。
破滅と絶望の運命に抗い、光をつかみ取るためには、愛の力が必要だ。
独りじゃないから、みなの想いで奇跡だって起こせる。
これは、人と神と精霊と……三つの絆がもたらす希望のストーリー。きっとそうなることを強く信じている。
ヴァンデミアを倒すための準備はいろいろあった。
ボクとザックはアシュカイオスの街に戻り、アムさんの両親に「呪いは解放に向かっているから心配しないで」と告げた。
街での日常生活が再開され、夜な夜な見る悪夢も希望の光で耐え凌ぎ、朝は日課のリーブラ神殿の礼拝堂へ向かう。
リーブラ様への祈りを欠かさず続ける毎日で、ついにある朝、ようやく想いが通じたのか、神秘的な声が聞こえた。
『禁呪を使うのは控えなさい。先にあるのは暗黒と破滅の未来です』
女神さまの声は、ボクの決意を否定した。
(禁呪が危険なのは分かっています)
女神リーブラの心に届くように、ボクは強い意志で応じる。
(しかし、肉体を移し替えられたボクとアムさんの運命の歪みを解消するには、これしかないのです。リーブラ様、暗黒と破滅を回避する方策をお示しください)
『何が偽りで、何が真実か、正しく見極めなさい。真実の先に光が見出されるでしょう』
下された神託はあいまいなものだった。
それでも分かったことはある。
ボクたちの周りに、真実を隠蔽し、偽りの力で暗黒と破滅をもたらす者がいる。
ルビーKのことか?
確認してみる必要がありそうだ。
「ルビーK、ボクに隠し事をしてないかい?」
「何の話?」
「女神リーブラ様の神託を聞いたんだ。真実が光をもたらし、偽りが暗黒と破滅に通じるって、確かそんな感じだった」
「つまらない神託ね」
おい、不遜なことを言うな。
「だって、〈真実の女神〉が真実を持ち上げ、偽りはいけないって言うのは至極、当たり前でしょ? 神のお告げにしては、何の追加情報にもなってないわ。本当に神託はそれだけ?」
「いや、禁呪を使うのは控えろって言われた……と思う」
「だったら、使わない方がいいんじゃない?」
「いや、それじゃあ、どうやってボクはアムさんに体を返したらいいんだよ」
「返さずに、アムさんとして生きていくとか? 本当のアムさんには、犬のまま一生を送ってもらうの」
「……どうして、そこまでアムさんのことを嫌うんだよ」
「そう言えば、聞いたことがあるわ」
「何だ?」
「遠い世界には、真実の姿を映し出す鏡があるって。確か、〈リーの鏡〉だったかしら? それとも〈ルーの鏡〉? 〈レーの鏡〉? まあ、そんな感じね。それを使えば、犬の姿に変えられた王女さまが元の姿になって仲間に加わる。もしくは、偽の王族に化けた魔物の正体を看破したり、いろいろな奇跡を起こしたそうよ」
「なるほど。その鏡さえあれば、いいんだね。じゃあ、早速、取りに行こう。どこの世界? アランシア? 旧世界?」
「……本気にされるとは思わなかったわ。今のはただの架空の物語よ。竜を探求する光の勇者の物語なんだけど、知らない?」
フラットランド育ちの田舎者には知る由もなかった。ザックなら知っているだろうか?
「とにかく、鏡の話は、こことは違う別の世界のお話なの。似たような秘宝がどこかに隠されているかもしれないけど」
「ハマカイさんなら知っているかもしれないな。聞いてみよう。ありがとう、ルビーK。いい情報をくれて」
「……こんな話で感謝されるとは思わなかったわ」
「その話は知っておる」
ハマカイさんがそう言った。
「ただの創作物語じゃ。まあ、どこかにアレフ何ちゃらとか、ローレ何ちゃらとか、アリア何ちゃら大陸といった異世界に入る転移門でも開いておれば、架空の物語が真実に、嘘から出た誠にもなるやもしれぬが。ちょっと待っておれ」
ハマカイさんが書庫から取ってきたのは、3冊の古い物語。
光の勇者と、その子孫たち、また初代勇者の始祖編まで遡る壮大な英雄譚で、勇者は竜と戦って囚われのお姫さまを助けたり、悪霊の神を降臨させようとする邪神官と戦ったり、魔王とその背後にいる大魔王と戦ったりしていた。
ハマカイさんから面白い本をお借りして、毎晩寝る前に読みふけるのがアムの日課に加わった。
問題は、それがあくまで異世界の物語で、ボクたちの陥っている事態を解決する直接的な手段にはならなかったこと。
だけど、光の勇者の物語に、勇気と希望をもらった。
すばらしい創作物語は、たとえ作り物であっても、人々の心に働きかけて、現実を変える力となる。
そうして、勇者の物語を堪能しているうちに、リーブラ様の聖印が届けられて、アムは正式に「シンドラ様とリーブラ様の助祭」の肩書きを与えられた。
必要な条件を満たしたので、己の信仰を試すために、ザックやアムさんとともにケイベシュの街に向かうことになる。
アムとしては最初の本格的な冒険に思えた。
久しぶりに大ワシを召喚し、空の旅で難なく街に到達する。そう言えば、物語の勇者たちも、伝説の不死鳥、もしくは神の鳥とも言われる巨鳥の背に乗って、魔王の城に向かった一幕があるし。
自分の物語と、創作で語られた英雄伝承がどこかでつながっているのを感じて、マシロンとしてのボクも、アムとしての私も、ワクワクしていた。
神殿の前で聖印を掲げて、リーブラ女神への祈りを口ずさむと、ゴーレムは厳かな声で「リーブラの使徒よ。正義と真実の門を通るがよい」と言って、機能を停止したのだった。
確か、物語では〈妖精の笛〉で、城塞都市の門を守るゴーレムを眠らせていたよね。
細部は違っているけど、どこか似たような筋書きに、自分が勇者たちと同じ立場にいるような確信を覚えて満足する。
ルビーKと獣人アムさんが何やら口論し、リーダー格のザックが苦労しながらまとめようとするのを、まるで勇者の仲間の戦士、女武闘家、女神官たちみたい、と思いながら、微笑ましく見つめる。
ただし、このチームに勇者は不在。
今の私は勇者でも、救世主でもない。
勇者になるべき肉体は魔王に奪われて、地下の暗黒の玉座近くで石化して封じられている。
勇者の代わりに与えられた私の役割は、魔王にさらわれたプリンセスのようなもので、主役と呼ぶには到底、心許ないけれど、それでも支えてくれる仲間がいるのなら、きっと奇跡だって起こせるはず。
リーブラ様の聖印に口づけしてから、サークレットを取りに、神殿に入った。
アムの最初の冒険は、まるで子どものお使いのように、疲れはしたけど大きな危険に遭遇することもなく、平穏無事に終わった。
《魂交換》の儀式
〈銀のサークレット〉の魔力を解明したハマカイさんは、それを元に〈魂保護薬〉という名のポーションを作成してくれた。
「祭具を作るには、やはり高位の神官の助けが必要になるが、一時しのぎのポーションであれば、わしの専門じゃからのう」
制限時間はあるけれど、1時間もあればヴァンデミアを倒すには十分だろう。
「あとはマシロンの体をどう取り戻すかだな」
ボクは自分の考えた作戦計画を、ザックたちに披露する。
疑問点を投げかけるザックに応じながら、細部を煮詰めるうちに、アムさんが提案した。
「やはり、あたしがお供した方がいいのでは?」
当初の予定では、アムさんに体を返して獣人になったボクと、ザックの2人、いや、ルビーKを入れて3人でヴァンデミアと対決するはずだった。
問題は、敵に奪われたボクの体を取り戻そうとする際に、どうしても隙ができること。
ヴァンデミアの行動次第では、ボクは肉体を取り戻せないか、殺されてしまう。
それを解決するには、もう1人、治癒呪文などで支援できる仲間がいてくれた方が心強い。
物語の勇者は、最初は一人旅だったけど、仲間を見つけて、3人から4人のチームに仕上がって行った。
元の肉体に戻ったアムさんは、肉体的にはか弱くなるけど、その辺はボクとザックが守ればいい。彼女の呪文の才を考え合わせるなら、決して足手まといにはならないだろう。
どちらにせよ、まずは《魂交換》の儀式を済ませてからだ。
問題は一つ一つ、解決していかないとね。
そして《魂交換》の儀式を行う過程で、いろいろと思いがけない真実が明かされ、ボクたちは最大の試練に直面するのだった。
儀式の前準備は、おおむねアムさんがこなしてくれた。
たとえば、複雑な魔法陣(ボク用とアムさん用の2つ)を器用に描くことは、ボクには難しい。
「不器用でごめんなさい」とは、アムさんの弁。
確かに、マシロンに比べて、運動能力だけでなく、手先の細かい技も何だか失敗することが多く、料理の手伝いをしようとして刃物で指を怪我する始末。ナイフの扱いに長けたマシロンの感覚とは大きくズレる。
獣人の肉体に入ったアムさんも、「こっちの体の方が機敏に動けるし、疲れにくい」とのこと。
それでも、いろいろ過敏に反応しすぎて、抑制することが難しく、気分が昂りやすいので、感情のコントロールが大変なのだそうだ。
元々はおとなしい箱入り娘だったアムさんが、獰猛な獣の体に入ったせいで、人格にも相当、影響を受けているようだけど、以前よりも積極的かつ大胆に振る舞うことができるようになったのを、本人は前向きに受け止めているらしい。
服装も、今のボク(つまり本来のアム)とは対照的な露出度の高い、アクティブなスタイルで、あけすけで気風のいいお姉さんといった感じ。
妖魔にさらわれて、かわいそうな目にあった少女とは思えないくらい、さばさばしている。
ルビーKが言うような闇の匂いなんて、ボクにはちっとも感じない。
元が獰猛な悪魔犬とは思えないぐらい、見事に化けたものだと思う。
アム姉さんがいろいろ取り仕切ろうとして、「禁呪を使うのも、あたしが引き受けた方がいいのでは?」と親切に持ちかけて来るのを、
「そうですね。お願いします」と応じかけてから、考え直す。
いやいや、それだけは自分でやらないと、何もかも頼りきるわけにはいかない。
アム姉さんが暗黒に抵抗する聖女なら、ボクだって救世主としての誇りがある。禁呪がもたらすと予想される魂の負担もしくは穢れまで、彼女に背負わせるわけにはいかない。
「分かりました。それでは巻き物はマシロンさんにお渡ししておきます。ともに、ヴァンデミア様……いいえ、あの妖魔の野望を打ち砕きましょう。全ては主の御心のままに」
「主って?」
「もちろん、シンドラ様ですよ。あたしを支えてくれる光の女神さま」
そうだね。
暗黒に立ち向かうには、神々の加護も祈らないと。
敬虔な聖女であるアム姉さんを見習うべき点は数多い。
彼女をしっかり支えることが、ボクの道。
禁呪の巻き物は、ボクには読めない魔法の文字で書かれていた。
「大魔法使いケマンダーの弟子なら、普通に読める程度の簡単な文字で書いたからのう。お前さんなら、問題ないじゃろう」
ハマカイさんがそう言っていたので、ボクもその点は気にかけていなかったのだ。
師匠はボクにアランシアの共通語の文字の読み書きを教えてくれたし、自然界の諸力と心を通わせる方法とか、荒野で暮らすサバイバル技術など、多くを伝授してくれた。
魔法を使う際に大切なことは、何よりも強い意思力。そして魔力を敏感に感じとる感性。あとは、自分の意思をどう対象に伝えて、その反応を感じとり、微調整を施すか。
呪文という言葉に重きを置く系統もあれば、神への敬虔な祈りを重視したり、自然界の諸力を己に引き入れて言葉に頼らない霊感で通じ合ったり、各種の流派がある。
「マシロンよ。お前は知識よりも感覚派のようだから、細かい理論は後から追い追い教えるとして、まずは実践の中で伝えられる術を教えよう。このフラットランドの地で、役立つ術技の習得をもって、すべての術法に必要な意思と感性を磨き、その後は……」
師匠は全てをボクに教えることなく、この世を去った。だから、ボクは魔法使いとして中途半端に育った。獣使いや精霊使いとしては神秘的な技を行使できるけど、他は基礎からの学習が必要なレベルだ。
『炎の書』は普通に扱えたのに、禁呪の巻き物が読めないなんて、思いもよらない事態だった。
それに気づいたのが、アシュカイオスに帰還している最中だったので、すぐにはハマカイさんやアムさんに打ち明けることはできない。
すると、魔法について相談できる相手は、ルビーKしかいなかった。
恥をしのんで、使い魔に打ち明ける。
「呆れた」第一声がそれ。
「こんな簡単な文字も読めなくて、よく大魔法使いの弟子を名乗っていたわね」
「君は読めるのか?」
「当然よ。読めなきゃ、魔女を名乗っていられないわ」
「ボクに教えてください」指輪を天に掲げて、頭を下げる。「ルビーK先生」
「先生かあ」妖精タヌキの姿の使い魔は、ボクの頭上を飛び回り、調子づく。「女教師ルビーK。授業料の代わりに、何をいただこうかしら?」
「金貨3枚でどう?」
「安すぎる。金貨だったら、50枚は積んでもらわないとね」
「昔、君のために井戸に潜って、仕事したろう? その時に、君は金貨50枚を石ころの幻でよこしたよね。その貸しを、今こそ返してもらうってことで」
「くっ、そんな昔のことを今ごろ言い出すなんて、ちゃっかりするようになったものね。その成長ぶりに免じて、特別講習してあげるわ。服を脱ぎなさい」
「何でだよ!?」
「わたしがあなたに教えたいのは、魔女の道。その肉体の使い方を教えてあげる」
「ボクが知りたいのは、魔法の文字の読み方であって、魔女の道に入門するつもりはないんだけど?」
ルビーKは爛々と目を輝かせながら、説明した。「いい? 《魂交換》の術を使うということは、マシロン様があの淫乱な悪魔犬(ビッチ)の肉体に入るってことなの。肉体の敏感な反応に耐性を付けなければ、たちまち野生の本能に飲み込まれて、自分を保てなくなることは目に見えている。だから、その前に、このわたしが導いてあげようってわけ」
「だが断る。この肉体は、アムさんに返さないといけないんだから。なるべく、きれいなままにしておかないと」
「向こうは、そんなの気にしないわよ。すでに暗黒に染まりつつあるんだから。夜な夜な何をしているか、わたしの鼻は誤魔化せない」
「アムさんのことを、そんな風に言うな。この嘘つき魔女め」
「……まあ、そういう反応が返って来るとは予想していたわ。わたしが警告したってことを忘れないようにね。取り返しがつかなくなる前に、対策は講じておきましょう。禁呪の巻き物を貸してちょうだい」
憎まれ口は叩いていたけど、ルビーKは意外にも親切に、ボクが読めない文字に共通語での翻訳や呪文の読み方を付けてくれた。
巻き物に、永続性を付与した幻術の文字を器用に描く。
そんなことをして、巻き物の魔力に影響しないのかと尋ねたら、「問題ない。素人は黙ってなさい」と軽くあしらわれた。
翻訳作業は昼から始まって、夜まで掛かった。
「儀式の手順や注意書きは、それでいいとして、呪文は十分ではないわね」
まだ作業が残っているのか。
「いいえ、翻訳の問題じゃない。呪文を唱える際の細かい抑揚や節回しは共通語では表現しきれないし、じっさいに音で聞いて、耳で覚えたり、発音練習する必要があるわけよ」
違う言語は耳と口で習得しないと、読めても話せないようなものか。
「だけど、呪文を唱えたら、巻き物の効力がなくなってしまうだろう?」
「一語ずつ細かく区切りながらだったら、大丈夫よ。儀式用だから割と長い呪文だし」
こんな複雑な呪文と同じ効果を、何の準備もなく瞬時に発動できて、相手の肉体を奪いとることのできるヴァンデミアの凄さを改めて感じる。
「ヴァンデミアの恐ろしさは、それだけじゃないわ」と、解説するルビーK先生。
「あの妖魔は一度乗っ取った肉体に、自らの闇の痕跡(マーキング)を残して、そこに宿った別人の魂にも己への崇敬をじわじわ植えつけるみたい。マシロン様の宿っているアムさんの肉体にも、少なからず闇の影響を受けているのは分かるでしょ?」
「確かに、自覚はあるよ。夜になると特にね。師匠の盾が守ってくれなければ、眠ることすらも危険だったろう」
「同じことが、悪魔犬のアムさんに起こっているとは考えられないわけ?」ルビーKは厳しい言葉で、ボクの盲点をついた。
「そんなの、ありえないでしょ」ボクは即答する。
アムさんは正気だ。
アムさんはすごい人だ。
アムさんは無垢無謬で、その言葉に従うことは正しい。
アムさんがまちがっている……なんて、頭のおかしい戯言だ。
「どうやら、こちらの予想以上に、侵蝕を受けているみたいね。続きは、明日の朝にしましょう。リーブラ様の礼拝所で祈ってから、頭をすっきりさせた方が良さそう」
「つまり、ルビーKがアムさんを嫌っていたのは、その向こうにヴァンデミアの影を感じていたからってこと?」
翌朝、日課の礼拝の後、助祭の肩書きを持つ者として、神殿でのお勤めのあれこれも終わって、帰宅して話の続きができたのは夕刻前だった。
「リーブラ様の神託で、禁呪を使うな、とか、真実と偽りの話があったでしょ?」
確かに、そういうことを言っていたな。
「一つ一つは、神託にするまでもない当たり前の言葉だけど、つなげて考えると、真相が浮かび上がることに気がついたの」
「どんな真相?」
「内なる敵は禁呪に関わる者で、ハマカイさんかアムさん、それにマシロン様自身の誰か、もしくは全員が偽りの当事者であるという可能性ね」
「どうして、ボク自身が?」
「真実から目を背け、偽りに加担しているという意味では、あなた自身の認識も疑ってかかる必要がある。わたしはマシロン様の使い魔だから、マシロン様が意識して嘘をついていないことは分かるけど、無意識の嘘、目をそらした盲点、人を信じたい気持ちが真実から遠ざける可能性はあると思った。偏見があれば、『見えているのに見えてない』こともあるんだって」
「言ってることがよく分からないんだけど?」
「アムさんが怪しい……って、わたしが言っても、あなたは信じた?」
「……信じるはずがない。彼女はシンドラ様の聖女だ。ヴァンデミアの暗黒から、強い信仰心で自分を維持している。すごいじゃないか」
「わたしは彼女がシンドラ様の奇跡や加護を発現させたところを見ていない。誰が彼女を聖女だなんて言ったの?」
誰だろう?
「……ヴァンデミアよ」
「まさか……」
「正確には、マシロン様から聞いた悪夢の話の中か、それとも、その肉体の記憶とかで、『ヴァンデミアがアムさんに聖女の資質があると言った』とか、『聖女の資質ゆえに、ヴァンデミアは彼女を誘拐した』とか、『聖女の資質があったおかげで、ヴァンデミアの支配に抵抗した』とか、そんな話ね」
「ヴァンデミアが認定したから、彼女は聖女だっていうのか?」
「そう。だから、今朝の祈りの最中に、わたし自身もリーブラ様に神託を求めたの。『アムさんは本当にシンドラ様の聖女なのか?』って」
「返答はあったのか?」
「ええ」ルビーKは可愛らしい獣の顔で、ニンマリと笑みを浮かべた。「『そうとも言えるし、そうでないとも言える。それを決めるのはあなた自身です、ルビーK』とのこと」
「何だか、よく分からない。その話を信じていいのか?」
「神託で嘘をつくほど、罰当たりなことはしたくないわ。とにかく、アムさんが聖女かどうかを決める権限が、リーブラ様から与えられたってことよね。さすがはわたし」
そうは思えないんだけど。
神託が本当だとして、アムさんが聖女かどうかを判断するのは、人それぞれの意見や解釈次第って意味じゃないのか。
ボクがアムさんを聖女だと思えば、それがボクにとっての真実だし、ルビーKだって旧世界では聖女認定されたりするわけだし。
聖女かどうかってのは、その人格、信仰心や敬虔な振る舞いだけでなく、〈闇の精〉を倒すという実績を評価されるケースだって、あるいは多額の寄付で名誉聖女に認定されることだってあり得る。
アムさんが聖女ってのは、妖魔ヴァンデミアの侵蝕に抗っている強い信仰心から明らか……って、本当に明らかなのか?
抗っているというのが実は嘘で、聖女だから安心……と見せかけるための罠……って、そこまで疑ってかかると、頭が痛くなる。
「以上から、一つ大切なことが分かったわ」
ルビーKが複雑な思考に、当面の結論を示した。
「現時点で、アムさんが聖女ではない、とは断定できない。もしも、はっきり聖女でない、ということなら、リーブラ様は『そうとも言える』なんて、曖昧な言い方はしないでしょう。少なくとも、聖女である可能性は今でも持っているけど、それが崩れる可能性がある。このわたしが助けることで、彼女は聖女であり続けられるって受け止めたんだけど?」
ルビーKの理屈、いや屁理屈みたいなものには付いて行けない。
どうして、物事をそんなにひねくれて考えられるんだ? と尋ねると、幻術使いってそういうものよ、と返された。
ただ、アムさんが聖女でない、と否定しなかったことだけは、ルビーKを信じてもいいかと思えた。
その後、ルビーKに助けてもらいながら、ボクは何とか数日かけて禁呪の発音を習得した。
あとは途切れ途切れで覚えた文句の断片を、一定のリズムで紡ぎ合わせるだけ。
そして、ハマカイさんの塔の門前、スフィンクスの見守る前で、ボクたちはようやく儀式に臨むこととなった。
アムさんの描いた2つの魔法陣の中に、ボクと彼女が向き合って立つ。
巻き物を広げて、ボク……と指輪の中に身を潜めたルビーKが呪文の言葉を唱和する。こうすることで禁呪の呪いを、使い魔の彼女が半分、受け止められるというのだ。
「あなた1人では、呪いの闇に耐えられない。だけど、わたしが半分、引き受ければ何とかなる」と、ルビーKは主張した。
「いいのか?」元は魔女だった使い魔の献身に驚く。
「あなたに万が一のことがあって、巻き添えを食らうリスクの方が大きいからよ。決して、愛ゆえにしているわけじゃないから、勘違いしないでよね」
そんな勘違いなんて、するはずもない。
愛を知らないのが、ルビーKだったのだろうし。
だけど、時間を経て、何か変わったのだろうか?
ボクとルビーK、獣使いと契約精霊獣の共同作業と言うべき呪文の詠唱は、やがて完成に至った。
禁呪に込められた闇の呪力が発動する。
おぞましい、それでいて、どこか蠱惑的な暗黒の手のイメージが、ボクの魂に突き刺さり、少女アムの肉体からズルズル引きずり出そうとする。
魂がきしむような衝撃を感じるけれど、ルビーKが半分引き受けてくれるおかげか、苦痛は少なかった。
冷静に儀式が進行する様子を、魔法的な感覚で味わうことができる。
正面からはアムさんの魂が、暗黒の瘴気を身にまといながらこちらに近づいて来ていた。
ヴァンデミアの支配がここまで浸透していたことを、衝撃とともにはっきり認識できた。
ルビーKの言葉が正しかったことを初めて実感する。
そして、こんなこともあろうかと、ボクの魂の傍らにはルビーKの霊体が控えて、しっかり準備を整えていた。
アムさんの身を包む暗黒の瘴気を、額の赤い宝石で吸収する。
そのおかげでボクとアムさんは、ともに闇の影響から解放されて、そのまま一瞬の交錯の末に、それぞれの肉体に移り変わった。
アムさんは、本来の肉体を取り戻す。
ボクは、悪魔犬の中に入る。
その瞬間、ボクは理解させられた。
魔獣の体に込められた暗黒の濃密さに。
こんなの普通の人間に耐えられるわけがない。
いかなる救世主であろうと、肉体の闇に蝕まれれば、甘美な暗黒の沼に引きずり込まれるのもやむを得ない。
こうして、ボクはボクでなくなった。
悪魔犬の自我がボクの魂を包み込み、従う主は……ヴァンデミア様。
妖魔への崇拝と忠誠の念がボクを満たす。
ルビーKのおかげで《魂交換》の禁呪の呪いには耐えられたが、もう一つの暗黒の罠には抗えなかった。
魔女と聖女と妖魔獣
ボクの意識は、主の元に飛ばされていた。
石化した肉体に宿りし妖魔が、忠実なる魔犬の身に入った魂を、思念の力で招来させたのだ。
「救世主よ。いろいろ画策したようだが、結局は無意味だったようだな」
自分がどこにいるか分からずに、ボクは戸惑った。
ただ、目の前にいる大いなる存在が、絶対無比のご主人さまであることは分かったので、頭を垂れて臣従する。
「呆気ないものよ。聖女はあれほど抵抗したというのに、救世主はこうも容易く魔犬の意識に飲み込まれるとは」
「元々、救世主と呼ばれるほどの器ではなかったのです」ボクは懺悔するように、告白する。「その呼称は、あなた様にこそ相応しい。どうか石の中に封じ込めた罪を、お許し下さい」
「許せだと? 聖女を余から奪っておいてか。もう少しで、あれの魂を闇に染め上げ、余の妃として完成させるところだったのだ。それを貴様と使い魔が台無しにした。その罪をいかにしてあがなうつもりか?」
「機会を頂ければ、もう一度、アム様を闇に染め上げる手伝いをさせていただきます」
「ならば、すぐに己が肉体に戻るがいい、我が忠犬よ。だが、忘れるなよ。貴様の本来の肉体は余が掌握していることを。貴様の魂がどこにいようと、肉体を通じて余には分かるし、こうして思念も伝えられる。だが、今は記憶を封じてやろう。貴様は無意識のままに、余のために働くのだ。いいな」
こうして、ボクは儀式を終えた肉体に戻されたのだ。
目覚めたとき、寝台の上に仰向けに寝転がっていた。
何だか不自然な態勢なので、気分が悪い。
ゴロンと、うつ伏せになる。
うん、四つ足の獣の身では、こちらの方が寝心地がいい。
もう少し、快適な睡眠を楽しんで……と、まどろみかけたところで、慌てて意識を覚醒させる。
ん? ボク? 私? あたし? オレサマ、ガルゥ?
自分が誰か頑張って思い出そうとする。
「ボクはマシロン。ヴァンデミア様の忠実な……じゃなくて、大魔法使いケマンダーの弟子。自分をしっかり持て、ボク」
何だか夢の中で、大事なご主人さまに出会って尻尾を振っていた気がしたけど、たぶん気のせい。
それより……尻尾かよ。
うん、尻尾。
それに耳が頭の上から生えていて、舌で舐めると牙が生えているのが分かって、自分が少女の華奢な肉体から、獣人のたくましくもしなやかな肉体に移り変わったことが理解できた。
「覚悟はしていたつもりだったけど、じっさいになってみると、違和感が大きいよな」
声質は低くて、ざらついているような感じ。
ハスキーって言ったらいいのか?
また慣れるまでが大変だな。
とにかく起きよっと。
その後、柔軟体操をしたりしながら、自分の新しい体の具合を確かめたりして、最初の混乱を乗り越えた頃合いに、自分が空腹なことに気づく。
どこかに良い肉でも転がっていないかな、とクンクン匂いを嗅ぎ始めると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
獲物キター。
早くドアを開けて入って来い、と思いながら、息を潜めようと獣の本能に身を任せかけて、それではいけないことに気づく。
返事をしないと、相手はふつう入室をためらうものだ。それが人間の常識……だったのではないか?
「マシロンさん、起きてますか? 入りますねえ」
ノックの主はこっちが返事する前に、扉を開けた。
常識には例外も付きものらしい……。
だけど、声を聞いた瞬間に、彼女は獲物じゃなくなり、常識云々はどうでもよくなった。
性急に襲いかからなくてよかった、と思いながら、大切な女性が姿を現すのを、ボクは陶然と見つめた。
アム様。
食べちゃいたいくらい美味しそうな匂いを発散してるけど、傷つけるわけにはいかない大切なお方。
ボクと魂を入れ替えた聖女さま。
そして、ご主人さまの寵愛を受けるはずの……って、ん? ご主人さまって誰?
何だか大切なことを忘れているような気がするけど、そんなことよりもっと大切なのは、アム様だ、ワン。
犬の思考に心苛まれながら、尻尾を振って、歓迎の意思を示す。
華奢な少女の肉体は、小ちゃくて可愛い。
何としても、お守りしなければ。
アム様は、お腹を減らせたボクのために、朝食を用意してくれていた。
鳥の丸焼き。
実に美味しそうで、自分が宿っていた肉体の嗜好を実によく分かってらっしゃる。
ガツガツ貪り食っているボクに一言。
「もう少し、お行儀よく食べていただく方が嬉しいのですが」
お行儀よく、ですか。
努力します。
その後、この体の使い方の先達として、いろいろ導いていただき、ボクは何とか人間性というものを維持できた。
うん、アム様の言葉なら、従わないわけにはいかないもんね。
ご主人さまの伴侶となられるお方なのだから……って、ん? ご主人さまって誰?
ザックのことか?
何だか違う気がするけど、獣の脳には霞がかかって、それ以上は深く考えられない気分。
まあ、いいや。
大事なことだったら、そのうち思い出せるはず。
それより、アム様が何か話してらっしゃる。しっかり耳を傾けないと。
「マシロンさんと、ルビーKさんのおかげで、私は無事に元の体に戻ることができました」
そう宣言するアム様。
確かに、その体にも、魂にも、闇は感じない。
驚くべきことに、ルビーKが浄化の奇跡を発動させて、アム様を救ったのだ。
さすがはルビーK。リーブラ様の聖女だってのは本当だったんだね。
(おのれ、ルビーK。暗黒の魔女なのに裏切るとは。タヌキ死ね、ガルゥ)
何だか、心の奥で暗い思考が混じっている気がするけど、肉体を移った際のよくある雑音だから、深く考えないようにする。そのうち大きな意思に統合されて、違和感なく消えるだろう。自分さえ見失わなければ、それでいい。
肉体転移でよくある……と語れるのも稀有な体験だと思うけど。
ボクの本来の体は妖魔に奪われて、アム様の体は元の持ち主に返すことができて、今は悪魔犬の化身の体に入って……確かに、この体は衝動を抑えるのに苦労する。前に浴場で、アム様のおっしゃっていた通りだ。
獣の思考はシンプルだけど、過激。人間社会で生きていくためには、躾けてくれる主人が必要。
アム様だったら申し分ない。
この体の前の持ち主だったのだから、頼れることこの上ない。
アム様は、ボクにルビーKの指輪を返してくれた。
タヌキ死ね、と心の奥底がざわつき騒ぐのだけど、アム様からの賜り物を無下にはできない。
自分の中の嫌悪感を抑えながら、契約精霊の指輪をはめる。
PONと、妖精タヌキが飛び出した。
「うわあ、暗黒くさ〜」
開口一番、それかよ?
「そんな体で大丈夫? しっかり正気は保ててる、マシロン様?」
「ボクは正気だよ」たぶん。
アム様を食べたいって衝動は消えたし、人間としての振る舞い方は、アム様からご教示されたばかりだ。
「少し、混乱している面は見られますが、肉体を移ったばかりでは当然のこと。少なくとも、マシロンさんは冷静に事態を受け止めている方だと思いますわ。さすがは、救世主さま、と言ったところかしら」
「ふうん。そう言うあんたの正気も、わたしは信じがたいんだけどね。本当に、ヴァンデミアの影響は払拭されたの?」
「自分では、そう確信を持てませんので、後でリーブラ様の神託を受けてくださいな」
「ここじゃあ無理なのよね。アシュカイオスの神殿でなければ、女神の声が届かない。そっちのシンドラ様はどうなの? あなたが聖女って証明できる?」
「どのように証明すればいいのかは分かりませんが、聖印なら示せます」そう言って、アム様は2つのサイコロを取り出した。🎲🎲
運命の女神は、サイコロを聖印としているそうだ。
「試しに運だめしをしてみましょう」
コロコロ。
11が出た。
「これでは、失敗ですね。しかし……祈りを捧げると?」
11の出目が、もう一度、転がって7になる。
「これで成功です。失敗した行為をもう一度、覆せる可能性。これこそ、運命と幸運を司るシンドラ様の奇跡ですわ」
「つまり、ギャンブル賭博に有効な加護ってことね」
「サイコロはあくまで象徴です。この世の運命の多くは、神々のサイコロ遊びの結果によるもの。そういう言い伝えに基づいて、シンドラ様の聖印は定められたのです。現に、私は過ちを犯しましたが、やり直しの機会を与えられました。もう、闇の力には惑わされません」
「う〜ん、その言葉には嘘は感じないのよね。だったら、今度、賭博場に行って、わたしをたっぷり儲けさせて。そうしたら、あなたと良いお友だちになれると思うのよ」
「お断りします。神の力は、そのようなギャンブルに浪費するべきものではありません。あなたの本質は、やはり不遜な魔女から変わっていないので、助けていただいたことに感謝はしても、個人的なお友だちにはなれないと考えます」
「そうやって、聖女ぶっていられるのも、今のうちね。あなたが獣人の体で、この部屋で何をしていたかの真実を、マシロン様に打ち明けたらどうなるかしら?」
「そんなこと! 個人のふしだらな秘め事をネタに、マウントを取るなんて、どうしてリーブラ様は、こんな女を聖女にしたのかしら? ゴシップ好きの女神さまってこと?」
魔女と聖女は紙一重とは、ルビーKの言い分だったけど、2人の喧々囂々(けんけんごうごう)の口論を聞いていると、その言葉が真実のようにも思えてくる。
ルビーKは過去の魔女で、アム様は……未来の魔女になる……のか?
う、頭が痛い。
ルビーKは指輪の中に引っ込み、アム様はご自分の部屋に戻られた。
ボクは……いろいろ頭の中がかき混ざって、気分が悪くなって、しばらく寝台の上から起き上がることができなかった。
そのまま悶々としているうちに、やがて夜が訪れる。
暗闇が肉体を活性化し、脳に封印された記憶を呼び覚ます。
そう、ボクはヴァンデミア様の下僕の妖魔獣。
(ご主人さま)思念で彼方の妖魔王に呼びかける。
この後のご指示を仰ぐと、『浴場で欲情大作戦』なるものを伝授された。
さすがはヴァンデミア様。
獣の脳にも分かりやすい、見事なセンスあるネーミング。
ボクはニンマリと地下1階の浴場に駆け出した。
妖魔獣の渇望
「キャー、マシロン様。お願い、正気に戻って〜」
妖精タヌキの小さな体を捕まえ、浴槽にガボゴボ沈める。
『フフフ、憎きタヌキ死ね。水に弱い貴様にこの責め苦はさぞ辛かろう』
ヴァンデミア様の思念を直接受けとったボクは、主の言葉を忠実に代弁する。
普段なら、こういうピンチでもPONと消えることで難なく脱出するルビーKだろうけど、契約主のボクに逃げることを禁じられているので、抵抗できずに拷問を受けるしかない。
『貴様には、妃を解放された恨みがあるからな。たっぷり苦しんで死ぬがいい』
「マシロン様は……ガボッ……そんなことを言わない。あなた、ヴァン……ゴボッ……デミアね」
『違う。余はヴァンゴボデミアなどではない。ヴァンデミアだ。間違えるな』
「間違えたわけじゃ……ガボッ……ないんだから。名前を間違われたくないなら、せめて……ゴボッ……水責めはやめて。話し合いで解決しましょう。暴力反対!」
『話し合うことなど何もない! 死ね、タヌキ』
「……わたしが死ねば、このルビーが大爆発して、辺り一面吹っ飛ぶわよ。あなたの欲しがっている聖女も巻き添えをくらって死ぬわ。それでもいいわけ?」
『ムッ、このタヌキ。本気で言っているのか?』
主はボクに問いかける。「彼女は嘘つきですからね。しかし、ルビーが大爆発するのは本当です。どうしますか?」
『爆発を禁じよ。そのうえで、拷問を続ける。まあ、おとなしく余の軍門に下るなら、話は別だが。余は下僕には寛大だからな』
「なるなる。下僕になるから。どっちみち、マシロン様がそっちに付いたなら、使い魔のわたしにはどうしようもないんだから。ヴァンデミア様、そうお呼びしたらいいのでしょうか?」
『飼い主が飼い主なら、使い魔もしょせんは使い魔だな。たやすく堕ちるものよ。では、余はこれより、本命の聖女のところへ赴くとしよう。お前たちは、ここで妃を迎える準備をしておくがいい。今宵は暗黒のサバト(魔宴)としゃれこむとしよう』
「はっ、主の御心のままに」悪魔犬の忠義に支配されて、尻尾を振り振り、ボクは『浴場で欲情大作戦』の結末を楽しみにした。
「ええと、主の御心のままに」ルビーKはいささか棒読みで追従する。
「ふう、助かったわ」ヴァンデミア様の気配が消えたのを確認した後、ルビーKは大きく息を注ぐ。
「で、マシロン様は本気でヴァンデミアの軍門に降ったわけ? 救世主の心意気はなくしたの? それとも何かの作戦でも目論んでいるの?」
「ああ」ボクは、にんまりと笑みをこぼした。
「『浴場で欲情大作戦』をヴァンデミア様は渇望してらっしゃる。中身はよく分からないけど、名前を聞くだけで何だか体が火照ってくるよ。アム様も交えて、さぞ素晴らしい時間が体験できるんだろうなあ」
「こんなことになるんだったら、先にマシロン様と愛を育んでおくべきだったわ。愛の力があれば、ヴァンデミアに寝取られずに済んだかもしれないのに」
「何を言ってるんだ、ルビーK。愛なんて、これからいくらでも育めばいいじゃないか。獣同士、激しくサカるのも一興」
「マシロン様はそんなことを言わない。おのれ、ヴァンデミア。わたしのマシロン様をよくも、こんな品位の欠片もない下劣なケダモノに貶めて」
「ルビーK。他ならない君だから、大目に見ようかと我慢しているんだけど、それ以上、ヴァンデミア様に反抗的な言葉を言うなら、半殺しの目に合わせるよ。さっきから、ボクの中の悪魔犬が、タヌキシネ、タヌキシネってざわついているんだ」
「歪められた魂は、もう元に戻せないわけ?」悲痛に訴えるルビーKに、ボクは少し考えてから、こう言った。
「奇跡でも起きない限りは無理だね。救世主は負けた。あとはアム様が……聖女が暗黒の魔女に堕ちて、魔妃になったとき、暗黒の世界が幕を開く」
しばらく経ってから、アム様が一糸もまとわぬ姿で浴場に現れた。
「結局、あなた方では、ヴァンデミア様に勝てなかったのですね」
どうやら、夢の中でアム様もヴァンデミア様の訪問を受けて、再び闇の洗礼を受けたらしい。
「ここに堕ちた魔女、3人ってところ」ルビーKが諦めたようにため息をつく。「同じ穴の魔女……とでも言えばいいのかしら」
ボクも魔女なのか?
確かに、悪魔犬の化身した獣人はアム様がイメージした女性態だ。
だけど、ボクの心は歪められたとは言え、男……いや、転生したら女と言っていいのか。
魔女の道に入門するつもりなんて、なかったんだけどな。
「いいえ。私は魔女ではなく、今なお聖女です。ケマンダー様が助けてくれましたから」そうにっこり微笑んだアム様は、小脇に抱えた銀色の盾をかざして見せる。
「マシロンさんが枕元に、これを残してくれて助かりました。さもなければ、私も再び暗黒を受け入れていたことでしょう」
「では、ヴァンデミア様は今どこに?」戸惑いながらも、尋ねてみる。
「ヴァンデミア様、いえ、妖魔ヴァンデミアは私の夢から撤退しました。しかし、すぐに戻って来るかもしれません」
アム様のおっしゃる通り、ヴァンデミア様は再びボクの中に入られた。
『やはり、一番手強いのは聖女だったか』
ボクの口から、ヴァンデミア様の声が発せられる。
『だがしかし、救世主とその使い魔は我が下僕に堕ちた。貴様1人が抵抗したところで、そのか弱き肉体で2人を相手に勝つことはできまい。おとなしく我が寵愛を受け入れよ』
しかし、アム様の視線はボクではなく、ルビーKに向けられた。「今、運命神の啓示を受けました。『1人の聖女では勝てなくても、2人の聖女が心を重ねるとき、奇跡が生まれる』と」
『2人の聖女だと? バカな。ここにもう1人の聖女が現れるなど、そんな都合のいい話があるはずがない』
「いや、それが、ご主人さま。いるんですよ。ここに聖女がもう1人」ボクは何とか意志の力を振り絞り、ルビーKの指輪を外して、アム様に放り投げた。
アム様はそれを受け取ろうとして、生来の不器用さが祟って、ポロッと落とし……かけたところを、妖精タヌキのルビーKがパタパタと飛んで行き、空中でつかみ取ってこう言う。
「あなたが聖女かどうか決めるのは、わたしよ。さあ、ここであなたにも選択肢。今だけ、わたしと契約しますか?」
「魔女と契約するつもりはないけれど、あなたが今も聖女の魂を持っているなら、お願い。力を貸して、ルビーK」
アム様がルビーKに頭を下げた。
「2つの主の御心のままに」今度は棒読みではなくはっきりと、契約精霊にして、女神の従属精霊たるルビーKは宣言した。
この主とは、ヴァンデミア様ではなく、新たな契約主のアム様と、女神リーブラ様だろう。残念ながら、ボクとの契約は効力を失った。
ルビーKを止める力をなくしたボクは呆けたまま、事の成り行きを見ているだけだった。
ルビーKの指輪を、アム様がその指にハメたその時、シンドラとリーブラ、母娘の女神に仕える聖女2人が1つになって、そこに奇跡が誕生する。
「真実の天秤が正義を照らし」ルビーKの声と、
「運命のダイスが勝利を告げる」アム様の声が、
互いに唱和し合い、照らし出されたその姿は……
『魔法聖女ファンネリア、ここに光臨!』

二柱の女神の加護を宿した浄化の光が、ボクの中に渦巻いていたヴァンデミア様と悪魔犬の暗黒瘴気をすべて消し去り、
ボクの魂は満ち足りた想いで昇天す。
気がつけばケイベシュの地下の玉座付近、本来の肉体に飛ばされていた。
救世主は石の中にいる。
エピローグ
その後の物語は、何から話していいのやら。
ルビーKが後から教えてくれたことを順序立てるとしよう。
まず、悪魔犬の肉体は完全に消滅し、誰もがマシロンは死んだと考えたそうだ。
ザックも、アムさんも、ルビーKも、ハマカイさんも、みなでボクの死を悼み、墓まで作ってくれたらしい。
そして、マシロンの仇討ちと、その遺志を達成するために、ヴァンデミアの宿るボクの石像を破壊しようと、ケイベシュ地下を目指した。
だけど、その途上で、ルビーKに大地の精霊グァンドゥムがお声を掛けてくださり、ボクの魂はボクの石化した肉体に戻っていることを告げられた。
間違って、石像が壊されなくてよかったよ。
グァンドゥムには感謝の限りだ。
ヴァンデミアは魔法聖女の光の一撃で完全に消滅していた。
〈銀のサークレット〉とか、いろいろ計画を立てていたのに、すべて無駄になってしまったのは想定外だけど、結果よければ全て良し、ということにしておこう。
ヴァンデミアに洗脳されて、忠犬モードになっていたボクの恥ずかしい真実は伏された。
それを知るのは、ルビーKとアムさんの2人だけということになる。
救世主が負けて、妖魔の犬に成り下がって、『浴場で欲情大作戦』などという恥ずかしい計画の最中に死んだなどという物語は、世間ウケするとも思えない。
たぶん、事実はどうあれ、もう少し格好いい英雄譚として、世間では語られることになるだろう。
何しろ、ヴァンデミア討伐に活躍したのは、ボクでもザックでもなく、謎の魔法聖女だったのだからね。
彼女の物語は、後からどう編集されることやら。
石化から解放されたボクは、思わずザックに飛びついて、泣きじゃくったりもした。
自分がマシロンよりも、アムさん寄りの思考になっていたし、《魂交換》の儀式の後のボクは本当に気が狂いそうになった事態が続いていたから。
よくも、後から自分の記憶を振り返って、それなりに整理しながら、何とかいろいろ語り記すことができたと思う。
その後、ザックは予定どおりアムさんと結婚した。
2人の新出発を見届け、ボクも自分の人生をやり直す旅に出ようと決めた。
アムさんからルビーKの指輪を返してもらい、新たに契約し直した使い魔とともに故郷に戻ることにする。
アムさんとルビーKが別れ別れになったため、魔法聖女が再び出現することはないだろう。
ルビーKはボクの冒険パートナーであり、魔法の師匠にもなってくれて、さらに人生の伴侶にもなった。
一時期とは言え、悪魔犬になっていた際に、変な性癖を植えつけられたようで、それを満たしてくれる相手がルビーKしかいなかったこともあるけれど、ボクも年を重ねるにつれて、ルビーKの好意が真の愛情であることに遅まきながら気がついたからだ。
世の中には、自分の描いた絵や、自分の造った彫像やゴーレムなんかに恋する芸術家や職人なんかもいるそうだ。ゴーレムなんかにどうして恋ができるのか、と思っていたら、無骨な石像ではなく、人間の体を緻密に模して、少女のような姿にデザインするのだという。
そういう猛者たちに比べたら、可愛い女性型の使い魔ペットとイチャイチャするなんて、フラットランドではごくごく普通のことだと思う。
この広いフラットランドで、大地の精霊グァンドゥムや、リーブラ様の聖女ルビーK、そして多くの獣たちとともに、大地の平和を守りながら、ボクは今も幸せに暮らしている。
そのうち、また大陸を越えて、ザックやアムさんに会いに行く機会を待ち望みながら、故郷で修行と冒険の日々を過ごすのは、めでたしめでたし、でまとめていいだろう。
モフモフのルビーKの毛皮を撫でるのも、人間態の麗しい魔女=聖女と抱き合うのも、ともに愛でたし愛でたし。
人と神と精霊の三つの絆が暗黒を打ち払った、愛と希望のストーリーは、これにて一件落着。
(エンディング2 これにて完)