今回はバッドエンド編
009「いよいよ、長かった物語もエンディングの時を迎える」
シロ「とは言え、バッドエンドじゃないですか」
009「バッドエンドと言っても、良いバッドエンドと、悪いバッドエンドがあると思うんだ」
翔花「グッドなバッドエンドと、バッドなバッドエンド? 言葉だけじゃ、意味不明なんですけど?」
009「面白いバッドエンドと、つまらないバッドエンドと言い換えた方がいいか。面白いバッドエンドは余韻を残して、想像力を掻き立てる。つまらないバッドエンドは、余韻なく、いきなり感情を断ち切られる」
晶華「ゲームブックだと、後者がしょっちゅうよね。扉を開けると、そこにメデューサが立っていて、石化して終わりとか」
シロ「石化エンドは、本作でもありましたね。勧められて、指輪を装着したら、コマンドワードを唱えられてバッドエンドとか」
009「その罠の指輪が、アナザーエンドの勝利の鍵というのが素晴らしい仕込みだと思うんだな。山本さんは、凍結とか固め系の嗜好もご自分のサイトで表明していたが、ここではザックか主人公かヴァンデミアしか石化の犠牲になっていない」
シロ「石化や氷結以外にも、時間停止やコールドスリープ、蝋人形化などフィクションにおける凍結シチュエーションはいろいろあるようですね」
009「リアルではまず考えられない性癖だけど、フィクションだと動けずに無力化された相手に、ドキドキする層もあるそうだ。ファンタジー系のゲームだと、麻痺や金縛りといったホールド系呪文で割と簡単に実現するんだが」
翔花「なるほど。面白いバッドエンドは、凍結系だと?」
009「いや、それはぼくの嗜好ではない。まあ、単純な死よりは、そっちの方がいいんだが、世の中にはネクロフィリア(死体愛好)とか欠損趣味とか、フィクション以外の文脈で語るとドン引きされるジャンルもあって、上手くオブラートに包むか、相手を見て話さないと異常者、変質者呼ばわりされる危険性がある」
晶華「で、何を長々と語っているのよ」
009「いや、今回のバッドエンド編は、割とNOVA自身の性癖を表現した形になるから、読者にドン引きされないよう、先に警告しておきたいなあ、と」
翔花「大丈夫。時空魔術師とか言霊魔術師とか、精霊少女や人外萌えとか、吸血鬼や連鎖堕ち、TSとか言っている時点で、読者は選んでいるから。作者の暴走は、一部読者の養分となる。99人の読者さんをドン引きさせても、1人の読者さんのツボを突けば、その1人にとっては神認定よ。1%のニッチ層を狙って、球を投げるのがNOVAちゃんの流儀、そうでしょう?」
009「そんなことを言った覚えは、NOVAにはないと思うが。せめて10%ぐらいは欲しいと思うぞ。1%の人気じゃ、たぶんプロの商売として成立しないと思うし」
晶華「商売として書いているんじゃなくて、趣味なんだから、そんなことを気にしてちゃ、始まらないわ。世界に1人はいる誰かのために書くってのが、創作者ってもの」
009「世界に1人って、1%をはるかに下回っているけど、そう言われると何だか格好いい気がするから不思議だ。まあ、今、この文章を読んでる誰かを楽しませればいいなあ、と思いながら、良いバッドエンドを目指すとしよう」
決戦の準備
運命の選択は下された。
優柔不断に迷っているボクではなく、もっと強い意志をもったアムさんの手で。
彼女の決意と覚悟に敬意と称賛の目を向けながら、ボクはようやく覚悟を決めた。
それが破滅と裏切りの運命をもたらすことになるとは、気づかないまま。
ヴァンデミアを倒すための準備はいろいろあった。
ボクとザックはアシュカイオスの街に戻り、両親に「呪いは解放に向かっているから心配しないで」と告げた。
街での日常生活が再開され、夜な夜な見る悪夢も希望の光で耐え凌ぎ、朝は日課のリーブラ神殿の礼拝堂へ向かう。
祈りを捧げたが、リーブラ様の声は一向に聞こえない。神殿の司祭や街の人たちは、アムを「リーブラ様の聖女」と呼ぶようになったし、相応の敬意と信頼を寄せてくれるようにもなったけど、女神の声の聞こえない聖女であることに、不安と焦燥が募ったりもする。
そんなある朝、ついに祈りが通じたのか、心の暗雲の隙間から差し込む光のように、神秘的な声が聞こえたような気がした。
『禁呪を使うのは控えなさい。先にあるのは暗黒と破滅の未来です』
女神さまの声は、ボクとアムさんの決意を否定した。
今のは空耳なのか? それともボクの中の不安の現れ?
ルビーKのいたずら……でないことはすぐに分かった。
もう一度、祈りを捧げて、先ほどの言葉の意味を問いかける。
だけど、返事は得られなかった。
疑念だけが湧き上がった。
女神の声を装ったヴァンデミアの罠……という可能性が考えられる。
禁呪という危険な手段を使ってでも、ヴァンデミアに立ち向かおうとするボクとアムさんの決意に、妖魔が妨害工作を企てている。
そう考えたボクは、負けるものかと勇気を奮い起こして、予定どおりに計画を進めて行った。
リーブラ様の聖印が届けられて、アムは正式に「シンドラ様とリーブラ様の助祭」の肩書きを与えられた。
司祭でないのは、婚姻が認められていないから。助祭の立場だと、神殿への奉仕活動で一定の権限を与えられながらも、世俗の生活で家庭を持つことが許される。
ザックさんがアムの婚約者として認められるためには、司祭の役職はかえって邪魔になる。
アムは敬虔な神の使徒ではあっても、神に全てを捧げるまでには至っていない。そこまで信仰に情熱を捧げられる者は、神殿の中でも一部でしかない。
ともあれ、助祭としての階位と聖印を手にしたボクは、己の信仰を試すために、ザックやアムさんとともにケイベシュの街に向かった。
大ワシを召喚し、空の旅で難なく街に到達する。
消耗した体力はポーションで回復することにした。ポーションをまとめ買いできる財力さえあれば、冒険もずいぶんと楽になるものだ。
もちろん、大ワシを召喚できるだけの体力がなければ、どうしようもないのだけど、ヴァンデミアと決着をつけるという目的のためには、少女の体でも鍛えるしかない。
武芸は無理でも、術を使うのに必要な体力ぐらいはないと、ろくな後方支援すらできないからね。
足手まといになりたくないボクとしては、自分の役割だけでも全うするために、懸命に強くなろうとした。
そういう正しい努力が実を結んだようで、障害はあっけなく解除された。
聖印を掲げて、リーブラ女神への祈りを口ずさむと、ゴーレムは厳かな声で「リーブラの使徒よ。正義と真実の門を通るがよい」と言って、機能を停止したのだった。
「こんなにあっさり通り抜けられる裏技があったなんてね」ルビーKがPONと出てきて、以前の苦労を思い返すように言う。「答えを知っていれば、リーブラ様の使徒たるわたしが、祈っても良かったはず」
「あの時は、聖印を持っていなかったじゃないか」ボクが指摘すると、
「それぐらい幻術で作れば、いいのよ」と返す使い魔。
「真実の女神の使徒とは思えぬ言葉だな」とツッコミ入れるアムさん。
「あんたはあの時にいなかったんだから、口を挟まないでよ」と不機嫌になるルビーK。
「やれやれ」と、ザックが何度めになるか分からない2人の口論にうんざりした声で、「とにかく門が開いたんだ。目的のサークレットを手に入れて、さっさと帰ろうぜ。敵に見つからないうちによ」
「見つかったら、叩きのめして差し上げます」と、強気なアムさん。左手の手甲と、右手の爪が頼もしい。「だけど、つまらない相手の血で、爪を汚すのもイヤですしね。ザックさんの言葉に従いましょう」
前は、ボクとザックの間柄が対等だったけど、今はザックが名実ともにリーダーになっている。ボクとアムさんは、それぞれの視点で良かれと思って提案し、ルビーKがしばしば混ぜ返す。
この集団(パーティー)の冒険も悪くないと思われた。
《魂交換》の儀式
〈銀のサークレット〉の複製品を作ることはできなかった。
しかし、代わりにハマカイさんが作ったのは、〈魂保護薬〉という名のポーションだった。
「祭具を作るには、やはり高位の神官の助けが必要になるが、一時しのぎのポーションであれば、わしの専門じゃからのう」
「ポーションってことは時間制限があるんだろう?」ザックが不安そうに言う。
以前、〈飛行薬〉を飲んで、空中戦をした直後に効果時間が切れて、真下の川に落下した経験があるのだ。
「制限時間は10分……では、相手が逃げを選択した場合に、対応できなくなる恐れがあるからのう。奮発して、1時間ほどは保つようにした。これなら、何とかなるはず」
確かに1時間もあれば、ヴァンデミアとの戦闘中に効果が切れることはないだろう。
「あとはマシロンの体をどう取り戻すかだな」
「ザックはサークレットを装着して、ボクの体を石化から解放する。同時に、ボクは悪魔犬として、ヴァンデミアに襲いかかる。すると、とっさにヴァンデミアは身を守るために、悪魔犬と魂を入れ替える。体を取り戻したボクに、ザックはポーションを渡してから悪魔犬と戦う。その後、ボクはポーションを飲んで、ザックを支援する。これで完璧じゃないかな」
ボクは事前に考えていた作戦計画を、初めて披露した。
「ちょっと待て。もう少し、ゆっくり手順を追って説明してくれないか? 早口すぎて、よく理解できなかった」
う〜ん、性急すぎたか。
もう一度、同じ説明を時間をかけて、話し直す。
「だいたいの流れは分かった……と思う」
ザックは頭をひねりながらも、そう言ってくれた。
「とにかく、ヴァンデミアを倒すために、悪魔犬の体を捧げるんだな」
それは間違っていない。
「だけどよ。それって、アムさんを犠牲にするってことにならないか?」
そんな質問をするなんて、もしかして、話の前提が分かってなかったの?
「いや、だから、その前に、ボクがアムさんに肉体を返して、悪魔犬はボクになってるはずだろう?」
「ああ。先に儀式をやってからになるのか。話がややこしいから勘違いしたぜ」
確かに、体の入れ替わりなんて、誰がどの肉体に入っているか整理するだけでも大変だ。
自分の中にも、ボクのマシロンと、私のアムがいて、口調も内面もこんがらがってくるし、
アムさんも、お嬢さまの人格と、ワイルドな獣人お姉さんの人格が入り混じって、話をしていても思わぬ不意討ちを受けて、ドキッとさせられる。
「せっかく仲間になったのに、獣人姐さんを犠牲にするのは可哀想な気がする」と、アムさんに意味深な目を向けるザック。
「ザックさんは私よりも、お姉さまの方に御執心なんですか?」ジト目で睨んでみせると、
「いや、お前はマシロンで、アムさんは今、獣人姐さんで、武闘家として様になってきたところじゃないか。この後、どうなるって言うんだよ?」
計画どおりに進めば、アムさんは元の肉体(今の私)を取り戻し、ボクが悪魔犬の化身の獣人姐さんになる。
ザックは、浮気せずにアムさんと結ばれるといい。
後は、ボクが自分の体を取り戻せるかどうか。自分の肉体がいいか、獣人姐さんの体がいいかは……少し悩んでみたものの、やっぱり自分の体が大事でしょう。
ただ、これはヴァンデミア次第だ。
ヴァンデミアがもしもボクの体に固執して、変わってくれなければ……作戦が狂ってくる。ボクが自分の肉体を取り戻せるかどうかは、ヴァンデミアの行動にかかって来るので、その辺も作戦に組み込まなければいけないのか。
悪魔犬として、ボクは自分の肉体をギリギリまで追いつめる。死の間際に、ヴァンデミアが体を悪魔犬のものに交換する。その瞬間に、自分の肉体を取り戻したボクは、トドメを刺されるのを免れるために戦場を一時離脱する。ザックから〈魂保護薬〉の他に、傷を治せる〈力の薬〉を受けとる。それを飲んで戦う準備を整えてから、もう一度、戦いに復帰する。
だけど、乱戦の中で、とっさにそんな余裕があるだろうか?
特に悪魔犬と戦うザックが、ボクにポーションを渡す余裕があるとは、考えにくい。
そこを補うためには……
「やはり、あたしがお供した方がいいのでは?」ボクの不完全な作戦立案を聞きながら、アムさんが提案する。
元の体に戻ったら、彼女が前に出ることはできなくなるけど、治癒呪文などで支援してもらえるかもしれない。
そうすれば、ボクが体を取り戻して、生還できる可能性は飛躍的に向上するだろう。
ボクとザックの2人で解決するつもりだったが、呪文の使えるアムさんが3人めとして付いて来てくれるなら……その方がいいのか。
戦士のザック。
獣使いで、武器戦闘もそれなりにこなせるボク、マシロン。
呪文使いのアムさん。
この3人なら、バランスよく戦える。
さもなければ、マシロンの体を放棄して、獣人拳士のボクという選択の方が確実なんだけど、どれが最適解なのかは判断しにくい。
「優柔不断に悩むのは、儀式を済ませてからにしたらどう?」
アムさんが助け船を出してくれた。
どうも、入浴の際にマウントをとられたせいで、アム姉さんに頭が上がらないようになっている。肉体が入れ替わったら、この上下関係も変わったりするのだろうか。
儀式の手順は、全部アムさんがこなしてくれた。
複雑な魔法陣(ボク用とアムさん用の2つ)を器用に描いたり、ややこしい呪文の言葉や抑揚をリズムよく暗唱したり、すべての過程を彼女がこなしている。
才能があるというのは、こういうことなんだ、と感心してしまった。
魔術に関して素人だったアムさんが、こうも短期間のうちに、いろいろと身に付けていくのを資質や才能という言葉で片付けずに、疑問に感じるべきだった。
しかし、ボクよりも魔術に詳しいはずのハマカイさんが何も言わないし、術の習得や儀式のやり方などは、ケマンダー師匠がボクに教えてくれた魔法とは違う体系に属しているもので、その意味では、ボクも到底、魔法の専門家とは言えない未熟者でしかなかった。
だから、アムさんがこの禁断の魔術を行使するに当たって、その背景に何があったかを察することができなかった。
唯一、察することができたのはルビーKだったのだろうが、彼女の言葉をボクはまともに取り合おうとしなかった。
リーブラ様の警告すら、ボクは受け止め損ねていたのだった。
2つの魔法陣の中に、ボクとアムさんは向き合って、立っていた。
儀式の巻き物を広げて、アムさんはゆっくりと呪文を読み上げる。
その声を聞きながら、ボクは彼女の瞳が緑色の輝きを放つのを見た……と思った。
獣人の向こうに、闇を感じた時には手遅れだった。
ヴァンデミアの黒い手が背後から、しなやかな獣人の体を抱きしめ、アムさんが恍惚とした吐息を漏らすイメージは、ボクだけに見えたのか。
儀式を見守るザックも、ハマカイさんすらも反応しない。
ルビーKを呼ぼうとしたけれど、いつの間にかボク自身も闇の呪縛を受けていて、魂をおぞましい、それでいて蠱惑的な暗黒の手に掌握されていた。
抵抗は無意味だった。
闇の手が、ボクとアムさんの魂を肉体から引きずり出し、ボクは官能的な喘ぎ声を漏らすことしかできなかった。
2つの魂が交錯し、その刹那の瞬間、ボクはアムさんの魂がすでに暗黒に侵食されきっているのを悟った。
ヴァンデミアは、アムの体だけでなく魂にも執着し、夜な夜な彼女の元へも悪夢の干渉を続けていたのだ。
彼女も抵抗したのだろう。
それでも、いつしか抗しきれずに、ヴァンデミアの心の虜になって……何気ない顔でボクたちを騙す演技を続けていたのか?
裏切りを責める前に、魂はすれ違い、彼女は本来の体を取り戻し、ボクは悪魔犬となる。
そして、ボクはさらに理解させられた。
魔獣の体に込められた暗黒の濃密さに。
こんなの普通の人間に耐えられるわけがない。
いかなる聖女であろうと、肉体の闇に蝕まれれば、甘美な暗黒の沼に引きずり込まれるのもやむを得ない。
こうして、ボクは救世主でなくなった。
真の救世主は……ヴァンデミア様。
妖魔への崇拝と忠誠の念がボクを満たす。
《魂交換》の儀式は、ヴァンデミア様への入信儀式として完成した。
暗黒の三人の魔女
その夜、ボクはアム様に誘われて、地下の浴室に赴いた。
ここなら男どもに密談を邪魔されることもないだろう。
暗黒の妃、ヴァンデミア様の第一の使徒として覚醒したアム様の前に、忠犬の本能を刻まれたボクは膝まづき、隷従のキスを捧げる。
「救世主さまの割には、あっけなかったですわね」妖艶な笑みを浮かべた少女の姿のアム様が、ボクを責める。
「元々、その器ではなかったのです」未熟者なのに、過剰な責任を負わされて、懸命に頑張ってきたけれど、師匠を裏切る代わりに、新たな主を得て、ボクの心は暗い悦びに満たされていた。
「あなたのこと、期待していたのですよ。恐ろしい暗黒の力から私を救ってくださると」
無垢な少女だった魂から、完全に失われた聖性を惜しむように翳りを見せる表情。だけど、すぐに魔性の笑みをこぼす。
「それなのに、禁呪が最後の抵抗を砕いてしまいました。暗黒に飲み込まれまいと、か細いながらも希望の光を信じて、ギリギリまで抗い続けていたものを」
ボクが彼女に負担を押しつけてしまったのか。
ボクが代わりに禁呪の呪いを受けていれば、あるいは……と考えながらも、結果は同じだったろう、と諦念する。魔獣の肉体に移った瞬間に、ボクの魂は闇に染められた。
アム様はもう少し光を保てたかもしれないが、それも時間の問題だったろう。
女神が警告したように、禁呪に頼った時点で、暗黒と破滅の未来は変えられなかったろうし、それが失敗だったと嘆く心はボクにはなかった。
それこそがヴァンデミア様の望む未来で、暗黒の主の御心のままに、忠義を尽くすように魂が変えられてしまったから。
「あなたの弱さのせいで、私たちは2人とも負けてしまいました」
アム様はそう言って、軽くボクをなじってから、こう付け加える。「それでも、あなたには感謝するべきかもしれませんね。その弱さのおかげで、今の私に至れたのですから。抵抗は無意味。あなたがそれを私に教えてくれたのですよ」
褒められているのか?
素直に喜んでいいのか?
皮肉を受け取りながらも、獣の頭ではそれ以上、深く考えられずに、ボクは喜んで尻尾を振った。
「ふうん。抗弁の一つでも口にするかと思ってみたら、完全に犬に成り果ててしまったのですか。これじゃ、使い魔の方がよほど強い心を持っているようですね。先程から、ギャーギャー噛みついてきて、うるさいったらありゃしない」
そう言って、アム様はルビーKの指輪を外して、ボクの前に落とした。
「そんなもの、私には必要ない。あなたにあげるわ」
女主人からの贈りものに悦んで、指にはめる。
「あなたに最初の仕事を与えます。その生意気な使い魔をしっかりしつけて、逆らえないようにすること。暗黒に染め上げなさい」
暗黒に染め上げる?
どうすればいいんだろう、と方法を考えようとすると、
指輪からPONと飛び出した。
「その必要はないわ」
獣ではなくて、人に化身したスタイルのルビーKが。

「どういうこと?」
アム様が不意を打たれて、初めて余裕を崩した。
ボクに抵抗する気があるのなら、今こそ逆転の契機と飛びかかっていたかもしれない。
だけど、ボクにそういうつもりは一切なかった。
戸惑うアム様に、簡潔に説明する。
「ルビーKは、元々、暗黒の魔女だったのです。ボクに負けて、使い魔の身に封じられていただけで」
「暗黒の魔女? 面白い。だったら、私たちの同類じゃない?」
私たち?
アム様と、ルビーKと……そして、もしかしてボク?
同類と認められた?
嬉しくて、尻尾を振る。
「あんたと同じにしないでよ」
一方、ルビーKはギャーギャー激しく抗弁した。
「マシロン様も何を喜んで尻尾を振ってるの? 救世主の心意気はどこに行ったわけ? 暗黒ナンバーワンを制して、神となって、全てを支配するって言った、あの日の誓いは忘れたというの?」
この期に及んで、そんな嘘を?
それはルビーKが勝手に言っていただけで、ボクがそんな誓いを立てた覚えは、これっぽっちもないんだけど?
「暗黒ナンバーワン? それはヴァンデミア様を置いて他にない」
アム様が割り込んで宣言した。
ルビーKの話にしっかりノる辺り、やはり似たもの同士なのか?
「神となって、全てを支配する闇の救世主もヴァンデミア様。そうですよね、マシロンさん」
こっちに振られたので、即座に応答する。
「はい、アム様のおっしゃる通りです」
そうとも、ヴァンデミア様こそ神にも匹敵する妖魔の頂点に立つべきお方。
ルビーKの願望も、ヴァンデミア様に捧げるべき。
そう告げると、ルビーKはボクを失望した目で見下ろした。
「あなたなら、と期待して付いて来たのに……」思いがけず、はらはらと涙をこぼす。こんなしおらしい感情があったなんて、意外だ。
「ただの嘘泣きね」アム様はにべもない。
「バレたか」と悪びれずに、舌を出すルビーK。
この人たち、揃いも揃って魔女だ。元は男だったボクは、一方的に翻弄される。
少しムカついたので、ボクの嗜虐心に火がついた。
「ルビーK、おすわり」
黒衣の魔女は、広い浴室の床にしゃがみ込んだ。
「って、いきなり何をさせるのよ!?」抗議する彼女に、上から見下ろすように言い放つ。
「君はボクの契約精霊だ。ボクの命令には逆らえない」
「そりゃあ、そうだけど。今まで、こんな屈辱的な命令をしたことはなかったはず」
「ルビーK、お手」犬に芸を仕込むように命ずる。獣使いの力も働かせて。
ルビーKは、ボクの手をとった。それを通じて、体内に充満した闇の気を注ぎ込んでやる。
使い魔と契約主は一心一体。主が闇堕ちしたなら、当然、使い魔にも影響は出るわけで……だけど、それにも個体差はある。
ルビーKぐらい強く自我が発達していると、こちらが意識して影響力を行使しなければ、抵抗を示すのだろう。
「わたしは誇り高いタヌキよ。それが犬のように扱われるなんて……」
「あら、そうでしたわね。あれからタヌキって生き物のことを調べてみたのですけど、実は犬のお仲間に分類されるらしいのよ」
アム様の言葉に衝撃を受けたのか、ルビーKの黒い仮面が割れて、愕然とした素顔がさらけ出される。
「マシロンさんが犬なら、使い魔も犬の眷属ということで、おとなしく飼われなさい」
反抗的な使い魔の魔女は、それ以上、抵抗するのをやめて、再び暗黒の道に転向した。
「ルビーKに命令します」アム様が宣告する。「その野暮ったい服を脱ぎ捨てなさい。ここは浴室なんだから」
そう言えば、そうだ。
ボクも、アム様も、素肌をさらけ出しているのに、ルビーKだけ黒い仮面と黒衣の魔女スタイルなんて、場の空気を読むべきだろう。
「くっ……」と苦渋の表情を浮かべながらも、ルビーKはおとなしく命令にしたがった。
こうして、魔女3人のサバト(魔宴)とも言うべき、愉悦の交歓会が始まった。
めくるめく体験は、ボクにとって初めての甘美を伴いはしたものの、その刺激は大きすぎた。
獣人の体力を持つボクは、精力も旺盛なはずだったのだけど、技術も知識も持たない分野では、一方的に翻弄されるだけだった。
アム様も、元は箱入りお嬢さまだったので、それなりの知識はあっても、技術は伴わない。
だから最初は、その手の技術の手練手管に長けて、魔女としての年季も長いルビーKが優位に立った。
それでも、アム様はこの分野でも学習能力の高さを発揮して、すぐに2人して、ボクの体を攻め苛む連携を示すようになる。
受け役として、獣の吠え声をあげたボクは敢えなく陥落。
その後しばらくは疎外感を覚えたまま、2人の魔女の睦み合いをぼんやり眺めることとなった。
「苦労知らずの甘やかされた小娘が、ブラックサンドの闇の中でしたたかに生きてきた、このミューマ・バジオ様に張り合えるなんて思わないことね」
ルビーKがそう言って、果敢に攻め立てる。
「ひゃんっ」きわどいところを攻められて、甘い声をあげるアム様。しかし、負けじと強い意思の力を示そうとする。
「つ、使い魔に落ちた女なんかに、屈するわけには……。ヴァンデミア様に見初められた暗黒の魔女ナンバーワンは私なんだから」
「そんなの、他人の力を当てにしてるだけの女狐じゃない。おおかた、習得した魔法も、ヴァンデミアから伝授されたものかもね」
「そ、それは……」
「どうやら図星みたいね。あなたは妖魔に魅せられて、傀儡にされているだけのか弱い少女。それが、うちのおぼこいマシロン様を罠にはめただけで、調子に乗ってるんじゃないわよ。ほら、弱点はここかしら?」
「そ、そんなところ舐めないで……ひゃあっ」
アム様が負ける?
「さあ、マシロン様。この女は籠絡寸前です。今こそ立ち上がり、トドメを刺せれば、ヴァンデミアに対しても逆転勝利が果たせるはず。あなたがすべてを支配する『暗黒の王ルート』のフラグを立てましょう」
何、その『暗黒の王ルート』って?
ボクが全てを支配する?
それもいいかもしれない……と考えそうになって、アム様の表情をうかがう。
何かを訴えそうな目で、ボクを睨みつける。
涙目がかわいい。
この美少女がボクのものになる?
ヴァンデミア様から奪いとる?
そんな想いが獣の脳内をひととおり巡りに巡って、いろいろ心がざわついて、頭の中でマシロンと、アムと、悪魔犬がそれぞれの主張を示す。
マシロン(全てを支配する? バカも休み休み言え。それはボクの望みじゃない。それよりもボクは、目の前でいじめられている女の子を見捨てるつもりはない)
アム(いや〜、私が悪い魔女にいじめられている。誰か、助けてあげて。お願い)
悪魔犬(ガルルルゥ。ヴァンデミア様、絶対。裏切る真似はできない。タヌキ死ね)
『暗黒の王』ルートの選択肢は、ボクの中であっさり消滅した。
それに運命はすでに決せられている。
今さら新しい選択肢を増やして、話をこれ以上ややこしくしたいとは思わない。
たぶん、ボクが運命神ロガーンの使徒なら、突然、湧いて出た運命の可能性をたぐり寄せたかもしれない。
だけど、ボクの主人はヴァンデミア様だ。
それに、アム様の体はボクのものでもある。
それをいじめるルビーKの思惑には乗せられない。
だから、ボクはアム様を救い出し、ともにルビーKを攻め苛み、厳しく罰を与えた。
ヴァンデミア様の妃にして、第一の下僕魔女がアム様ならば、
ボクはその下に付き従う忠犬魔女ナンバーツーでかまわない。ああ、それこそが本望だとも。
そして、ルビーKはさらに格下の使い魔魔女。出過ぎた野心は決して許さない。
こうして、ボクたちのヒエラルキーは確定した。
魔女の渇望
ルビーKは指輪に封じられ、こちらが呼ぶまで2度と出られぬよう厳命した。
「助けてくれてありがとう、マシロン」忠義を尽くしたボクに、アム様が抱擁をして下さり、その芳しい香りをたっぷり吸い込むことができた。
お気に入りの香水の匂いに酔い痴れる。
激しい運動を伴う行為で流れた汗などを洗った後で、気持ちよく浴槽にたゆたいながら、ボクはアム様に問いかけた。
「ルビーKの始末はどうしたらいいでしょうか?」
「彼女の幻術は、ヴァンデミア様のお役に立つはず。私たちに逆らわないなら、まだまだ利用価値はあるでしょう」
さすがアム様は慈悲深い。
思考の中心には、ヴァンデミア様がいる。それが染められるということなのだろうが、だけど人間の本質が変わるわけではない。
暗黒の魔女筆頭は、同時に暗黒の聖女とも言えた。
ボクの思考も歪められはしたけど、自我は保っている。ただ、大切なものの優先順位が変わっただけだ。ヴァンデミア様よりは、アム様への敬慕がやや強い。何しろ、ボクはアム様を通じてしか、ヴァンデミア様のことを知らないのだから。
初めて会ったときのヴァンデミア様は、アム様の体を使っていたし、その正体を見極めた直後に、体を交換された。直接の接触時間はあまりに短い。
一方、アム様はボクよりもよほど長くヴァンデミア様と交わってらした。
今、ヴァンデミア様はボクの肉体に封じられているが、できるだけ早く解放してあげなければ。
それには、ルビーK以外にも邪魔をしそうな者たちがいる。
早急に排除した方がいいのでは?
「排除なんて、とんでもない」アム様はそうおっしゃった。「獣の思考だと、どうしても発想が過激で、短絡的になるのかしら」
自分では、冷静に考えているつもりなんだけど。
それでも、考え方の中心にアム様、そしてヴァンデミア様が来て、他のことは正直どうでもよくなっている。全ての判断基準が、アム様の役に立つかどうかで決まっているようだ。
それで何か問題があるのかな。
「その気持ちは嬉しいのだけど……」ボクが思慕の想いを打ち明けると、アム様は困ったような薄笑いを浮かべた。「あなたはこれまで通りのマシロンさんを演じてもらわないと。ザックさんの相棒で、ヴァンデミア様を倒そうと考えている。普段は、様付けもなし。私もそう振る舞うようにするつもりだから」
「ボクにうまく演じられるかな?」
「多少の違和感は『獣の本能で過激になっている』と、私が言い訳してみるわ。とにかく、あなたと付き合いの長いザックさんを、どう誤魔化せるかが大切ね」
「ザックがそんなに大切ですか?」ボクはアム様の言葉に、ザックへの嫉妬を強烈に感じた。
アム様の肉体にいたときは、ザックのことが好きで、獣人アムさんに嫉妬していたのに、いざ自分が獣人になってみると、今度はアム様が大事になって、ザックが憎らしくて仕方ない。
これは獣人特有の思考なのか?
だけど、獣人アムさんはザックに一目惚れしたと言っていたし。
やはり、ボクとアム様の関係性によるものだろう、と結論づける。
「ザックさんは、私の夫になる人よ。あなたがそうお膳立てを整えてくれたようにね」
確かに、そうだ。
でも、ちょっと待って。
「あなたはヴァンデミア様の妃になるはず」
「そうよ。だから、ザックさんの体は、ヴァンデミア様のものにしたいわけよ。それには、あなたの協力が必要なの」
そういうことか。
だったら、ザックの体を傷つけるわけにはいかないよね。その時が来るまでは、大事に守らないと。
「ハマカイさんは?」先刻から気になっていた点も尋ねた。
「あの方も、ヴァンデミア様にとって有用な御仁。だから、簡単な暗示を仕込んで、私への疑念を払拭しておいたわ。そういう私も、儀式の時までは暗示状態だったのだけど。夜な夜な夢の中でご訪問を受けて、徐々に魂を染められて行ったんだけど、昼間はそういう記憶が薄らいで、自覚が持てずにいたわ。全てはヴァンデミア様の計画どおり」
つまり、ボクたちはヴァンデミア様の手のひらの上で転がらされていたわけだ。
「暗示の怖いところは、自分でも気づかないうちに、陰謀の片棒を担がされているところよね。ハマカイさんが禁呪の巻き物を作ったのも暗示の結果だし、私が儀式を司ったのもそう。私たちがそろって魔女に堕ちたのも、ヴァンデミア様の筋書きの一つだったのよ」
「そんなの抗えるはずがない」ボクは崇拝する主の、深謀ぶりに感服した。
アランシアの鋼鉄ゴーレムは、単純な破壊兵器だった。
旧世界の〈闇の精〉は狡猾であったが、やってることは戦争という力押しだった。
しかし、ヴァンデミア様は、さらに上を行く思慮深さだ。石の中に封じ込められていても、思念の糸を伸ばして、ボクたちを見事に絡めとった。
世界は人智を越えて賢明なお方に支配されるほうが、きっとみなが幸せになれる。
暗黒の救世主さまの支配する世界を、ボクは陶然と渇望した。
暗黒の世界
「それでは、吉報を待っているぞ」
賢人なれども、大切なことは何も知らないハマカイさんが、ボクたちを見送ってくれた。
「全ては上手く行くはずさ。計画どおりにね」ボクは朗らかにそう言って、にっこりと微笑んで見せた。
いや、にんまりと、かな。
そう、全てはヴァンデミア様の計画のままに。
「だけど油断は禁物ですよ」アム様が楽観的なボクの言葉を軽くたしなめる。
「大丈夫。お嬢さまは俺が守ってやるさ」ザックが馴れ馴れしく、アム様の肩を抱く。
「ボクたちが、だろう?」そう言いながら、さっと動いてアム様を剣士から引き離す。アム様はお前のものじゃない。
今はまだ。
ボクに代わって、ヴァンデミア様に肉体を捧げる栄誉に預かれるのだから、光栄に思え。
そうでなければ、ボクに爪で引き裂かれて、食われるはずだったんだからね。
大ワシを召喚する。
アム様の肉体と違って、体力は十分あるから、ほとんど疲れることはない。
到着したケイベシュは相変わらず静かだった。
初めて来たときと同じで、意外と拍子抜けしたことを覚えている。
あの時はザックが川に落下し、1人で混沌の軍勢の待ち構える中を侵入しないといけないのかと不安を抱えていたけど、アリオンで噂に聞いていた暗黒の軍団は用意されていなかった。
これもヴァンデミア様の策略だ。
ゴブリンやオークから成る小規模な部隊を何度か派遣し、アシュカイオス周辺の農村を荒らしまわる。
そして、悪魔犬の姿をとったヴァンデミア様が、かねてから目をつけていたアム様を誘拐する。
アリオン市では、そういう噂が聞こえてきて、ケイベシュに大軍勢が集結しているから警戒すべし、と対策が考えられる。
すぐに軍は動かせないから、その前に怖いもの知らずの冒険者が派遣されて来るだろう。
冒険者は囚われのアム様を救出し、アシュカイオスに帰還する。
そこまではヴァンデミア様の筋書きどおりだった。
多少の筋違いはあった。
アム様が予想以上の抵抗を示したことと、準備が整う前に救世主が現れて、その体を乗っ取ったものの、石の中に封じられたことだった。
元々の計画では、小部隊の混沌軍で散発的な襲撃をくり返して街の不安を煽り、人々の間に英雄願望を高めて、そこに囚われの少女を救出した冒険者が帰還する。
しかし、少女は暗黒の魔女に染め上げられ、英雄はヴァンデミア様の器として、ともに協力して街を支配するべく暗躍する。
遠からず、堕ちた英雄の統治する魔都と化したアシュカイオスは、表面上は平和な人々の暮らしを維持したまま、次第に堕落していき、ヴァンデミア様の理想郷と言うべき混沌の拠点に変貌していくのだ。
それこそがヴァンデミア様の壮大な計画。
救世主マシロンが阻止できなかった深謀遠慮の行き着く先の未来だった。
最大の敵は、かつて混沌軍を打ち破ったアリオン軍と英雄王の末裔。
だが、軍は大規模な戦を想定していて、それが明らかになるまでは動けない。どうしても対応が遅くなるだろうし、暴力と破壊をもたらす傾向の多い混沌軍がまさかそのような回りくどい計略を立てて来るなど、思いもしていないだろう。
だけど、アリオン市の目を引きつける計略は別にあった。
それはボクたちとは異なる、魔女とゴーレムの物語。
宮廷に潜んだ、ヴァンデミア様の同盟者による裏切りの物語。
それを語る機会は、いずれ来るかもしれないが、今は先の話だ。
とにかく、ヴァンデミア様の計略は、想定外の誤算はあれども、おおむね上手く運んでいた。
堕ちた英雄と魔妃による新たなアシュカイオスの歴史が始まる日はまもなく訪れるだろう。
そうとも知らずに、ザックはボクたち魔女を引き連れて、ヴァンデミア様の居城に潜入した。
かつて知ったる道で、邪魔する敵もいないので、ボクたちは玉座の間に難なく到達することができた。
そこでは、ボクの肉体が、ヴァンデミア様を宿したまま、変わらずに固まっていた。
「いよいよだな」ザックが合図の言葉を発し、ボクとアム様は、「ああ」「ええ」とそれぞれの同意の返事をもって答える。
いよいよ、ヴァンデミア様復活のときが来た。
あらかじめ示し合わせたとおり、ザックが〈銀のサークレット〉を額に装着し、アム様は〈魂保護薬〉を飲み干して、一歩後退する。
ボクはまだ自分の分の〈魂保護薬〉を口にはしない。
前に立つのはボクで、自分自身の、そしてヴァンデミア様の石の体に歩み寄る。
その手にはめられた指輪を抜きとると、硬化した体はゆっくりと生身を取り戻し、その緑色の瞳が輝きを発したとき、ボクは臣従の笑みを捧げた。
魂で結びついた絶対の主従の間柄に、言葉は必要ない。
後ろを振り返ると、アム様がザックの背後から忍び寄り、額のサークレットをはがすのが見てとれた。
「何を!?」不意打ちに驚くザックの声を聞いたボクは、その瞬間に彼の瞳が緑色に輝くのを確認した。
そして、マシロンの肉体に移ったザックが抵抗する前に、外したばかりの指輪をもう一度、はめ直して、一言つぶやく。
「フォー・セブン」
もう一度、ボクの肉体は石の中に封じ込められて、勝利は確定した。
「おやすみ、ザック」ボクはかつての親友に名残惜しむように話しかける。
「だけど心配することはない。その体はボクが守ってやるよ」
アム様と、ザックの肉体に宿ったヴァンデミア様からねぎらいの言葉をいただき、しばし寝台の上で契りの交流を重ねた後で、ボクたちは地上に戻った。
途中でハマカイさんの塔に立ち寄ったあと、アシュカイオスの街に帰還を目指す。
暗示をかけられたハマカイさんは、ザックの瞳が緑色に変わっているのを見ても気にかけることなく、ボクたちの勝利を祝福してくれた。
大丈夫だよ、ハマカイさん。
あなたが何よりも大切に思う貴重な知識の数々を、戦争や略奪で破壊するようなマネを、ヴァンデミア様は望んでいないから。
だから、これからもいろいろ研究を続けて、ボクたちを助けてくださいね。
アム様と、ザックさんをアシュカイオスに送り届けた後で、ボクは街に入らずに、大ワシの背に乗って、そのままケイベシュに引き返した。
だって、あの街には人が多すぎる。
獣人の本能にさいなまれたら、我慢できずに何人か食べたくなってしまうじゃないか。
アム様と、ヴァンデミア様が支配する予定の街を、いきなり凄惨な殺戮劇で汚すわけにはいかないからね。
飢えを満たしたければ、適当な獣を召喚して、食餌にすればいい。
肉食の獣人と、獣使いの力は実に相性がいいことに気がついた。
地下世界の宮殿に戻ると、そこで謹慎処分だったルビーKをようやく呼び出す。
「ヴァンデミアの下僕として尻尾を振るのは満足かしら?」
驚いた。
黒衣の魔女の姿を示して、開口一番、皮肉を言う使い魔。
あれだけ闇の気を指輪に送り込んで、支配力を強めたのに、まだ服従していないとは。
だけど、納得する。
ヴァンデミア様の闇に染められたボクやアム様と違って、彼女は自立していた魔女だった。
元から暗黒に染められた魂なのだから、これ以上、暗黒で本質が揺らぐことはないのだろう。
ボクの契約精霊ではあっても、ヴァンデミア様の支配は受けていないのだから、ボクにのみ従う性質を残している。
「結局、暗黒ナンバーワンにはなれなかったのね。自分より強い相手に、尻尾を振るだけの負け犬を信じたわたしがバカだったわ」
まだ未練を残して、愚痴をこぼす使い魔に、ニヤリと牙を剥き出した魔性の笑みを見せてやる。
「そうでもないさ」
ボクは現状を説明する。
「ヴァンデミア様とアム様は、これから婚姻を結び、表面上は救世主と聖女としてアシュカイオスの上に君臨するだろう。地上はお二人に任せればいい」
だけど……
暗黒の地下王国の管理は、ボクに一任された。
これから混沌の軍勢を集め直し、地上侵略の手段の一つとして再編成する仕事が待っている。
この地下世界では、ボクこそが暗黒ナンバーワンとして統治する権限を、ヴァンデミア様から与えられた。
その期待には、忠実にお応えしなければね。
「暗黒大陸の地下に、暗黒帝国を築き、そこのナンバーワンに収まるということか。それもありかもね」
ルビーKはそれで納得したようだ。
「だから、これからもボクに協力してくれるよね、ルビーK。君の力が必要だ」
「任せておいて。マシロン様が支配欲に目覚めて、暗黒の道に邁進するのなら、使い魔冥利に尽きるわ。それを支えることが、わたしの生きる道」
うんうん。
どうやら説得はうまく行ったみたいだ。
「ヴァンデミアの下に就くのは、ちと癪だけど、もしかすると地上でまた一人、英雄が現れて、狡猾なあいつを倒す可能性だってあるものね」
いや、そんなことを考えるなんて、不遜すぎないか?
だけど、そうなったら、アム様だけでもお救いしないと。
地下世界の暗黒ナンバーワンとしては、もっと強くなって、準備を整えて、いつアム様がお戻りになっても、喜んで迎えられるように働くこと。
そう、アム様のために生きることが、ボクの目指す暗黒ナンバーワンだよね、ワン。
エピローグ
ザック、聞いているかい?
君がボクの体に封じ込められて、どれだけ過ぎたかな。
君の肉体は、ヴァンデミア様が上手く利用して、アム様とアシュカイオスを支配するようになっている。
救世主英雄ザカレミィの名は、その妻である聖女アムの名とともに、アシュカイオスの歴史に刻まれるだろう。
神殿の地下には、ヴァンデミア様の宮殿が密かに築かれ、暗黒に帰依した者たちが定期的に密会を開いているそうだ。
表向きは平和な街で、闇に染められた選ばれし者たちが暗躍し、堕落を広げているなんて、実にゾクゾクするじゃないか。
さあ、ザック。
君はどうしたい?
その石化の指輪を外せば、君はボクを倒して、ヴァンデミア様の支配を打ち破ろうとするのかな?
それとも、ボクに正気を取り戻せ、とムダな説得を試みるかもしれないな。
あるいは、この暗黒大陸は救えないと諦めて、故郷のアランシアに逃げ帰るのも一つの選択肢だ。それを選んだなら、君はマシロンとして向こうで冒険生活を続けられるかもしれないな。その時には、ケマンダー師匠の墓参りをして、最後の使命に失敗したことを報告してくれたらいいよ。
だけどね、ボクが望む選択肢は、もう一つある。
君に、ボクと同じ暗黒の道を歩んで欲しいんだ。
これから、指輪を外すとしよう。
たぶん、君はボクを説得してくるだろう。
ボクはその間に心が揺れているフリをしながら、ヴァンデミア様から授かった《魂交換》の秘術をひそかに発動させる。
ボクは自分の体を取り戻し、君は獣人姐さんの体に入る。
抵抗しなければ、君はたちまち甘美のうちに暗黒に染められるだろうねえ。
だけど、意思の力が弱ければ、ただの野獣になって、理性を喪失してしまうかもしれないなあ。その場合でも、獣として可愛がってあげるよ。
ただ、君も英雄の資質を持ち合わせた人間だ。頑張って、天運にも恵まれたなら、自分を保てるかもしれないよ。
ボクと君が戦うことになるか、それとも……前よりも親密なパートナーとなるかは、君次第だ。
君がいい選択をすることを、心から願っているよ。
ボクの大好きなザック。
(エンディング1 これにて完)