Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

スパイダーマンの話(その1)

今年は60周年

 

NOVA「今回はクモ男くんの話だ」

晶華「我が命をかけて、世界を守る!」

翔花「ヒーローであり続けるために戦う。それが俺の夢だ!」

NOVA「うん、デモンズ・ヒロミさんの苛酷な人生にはエールを送りたいなあ! ……って、そうじゃなくて、アメコミヒーローのスパイダーマンの話だよ。まあ、ヒロミさんの話もしたいけど、たぶん、来週に哀悼記事を書きたくて仕方ないんじゃないかな」

晶華「ヒロミさん、死んじゃうの?」

NOVA「ヒュンケルみたいな死ぬ死ぬ詐欺であることを強く願ってるぜ」

翔花「じゃあ、ヒロミさんの話は未来に先送りにして、ピーター・パーカーさんの話に行きましょう」

NOVA「スパイダーマンの歴史は、原作コミックで1962年にデビューしたから、今年が生誕60周年なんだな。年季としては、1963年に誕生したアイアンマンよりも先輩となる。スパイダーマンがもたらした革新はいろいろあるが、その中の一つは『アメコミ初のティーンエイジャー主役ヒーロー』という点。

「それまでのティーンエイジャーは、大人の主役ヒーローの助手(サイドキック)的な立ち位置で、バットマンにおけるロビン、キャプテン・アメリカにおけるバッキーが代表とされる。日本のヒーロー作品の多くもそれを踏襲していて、明智小五郎探偵に従う小林少年と少年探偵団、仮面ライダーにおける少年仮面ライダー隊など、少年チームが時折見られたりもするが、スパイダーマン以前はアメコミ主役ヒーローに未成年はいなかったらしい」

晶華「日本では、鉄腕アトム鉄人28号ゲゲゲの鬼太郎など少年ヒーローが普通にいたけどね」

NOVA「コミックだと、アトムは51年生まれで、鉄人の金田正太郎くんは56年、鬼太郎は紙芝居時代から考えると54年誕生だからな(出版コミック誌に載ったのは65年以降)。少年ヒーローの主役物語は、日本の方が早いという比較はできるけど、アメコミ界では『社会の敵と戦うヒーローは大人であることが常識』という時代が長く続いていたのを、スパイダーマンが『等身大の若者がヒーローであることと、自分の青春や人生の悩みを共に描く作風』をアメコミにもたらして、後のヒーロー像に大きな転機を与えたわけだ」

翔花「単に悪者を倒して万歳ってヒーロー像に深みを与えたのが、スパイダーマンってこと?」

NOVA「ヒーローは誕生時に家族を失ったり、特殊な薬品を浴びて力を制御できなかったり、重い十字架を背負うことはあっても、ヒーローになってからは自己の使命に邁進して、後からヒーローであることのジレンマに悩むことはあまりなかったんだな。言わば、不幸な目にあったけど、運良くヒーローパワーを得たから、頑張ってヒーロー活動に励むことが自分の人生と同意義。ヒーローやめたいなんて、考えたこともないねって感じだったのが、スパイダーマンになると、『ぼくのヒーロー活動で、誰かを傷つけてしまった。最初はヒーローになって万歳って思ってたけど、そんな単純なものじゃないことが分かった。ヒーローなんてやめて、自分の人生を満喫したい』ってドラマが出てくるようになる」

晶華「脳天気な勧善懲悪ヒーローから、悩めるヒーローへの転機がスパイダーマンってこと?」

NOVA「悪者を倒して気分爽快な単純明快ストーリーから、ヒーローの等身大の悩みと、葛藤を乗り越えて自分の使命を見つめ直す展開、そして正体を隠していることで生じる日常のトラブル、正体を明かしたことで身内の日常が壊される危機、世界の平和のために友や恋人との関係が破局することなども含めて、今回のスパイダーマン映画でもしっかり描かれている。MCUのトムホ・スパイダーマンは過去の映画に比べて、陽性で明るい軽薄ヒーローのイメージがあったんだが、この3部作の最後で従来のスパイダーマンのハードな物語に到達したと言われている」

翔花「自分が傷つきながらも、誰かのために命懸けで頑張れるヒーローかあ。わたしにはあまりマネできないなあ」

NOVA「俺だってイヤだし、誰かにそれでもヒーローやってくれ、と押しつけるマネもあまりしたくない。ヒーロー活動に代価を求めるのは正しいのか、という意見もあるが、ボランティア精神と自分の人生の両立なんてのをきちんと描くのが現代のリアルヒーロー像としては大切。まあ、ヒーロー活動をバックアップするスポンサーとか、チームに所属しているとか(給料や生活の面倒は見てくれる)、ヒーロー活動とは別の生活基盤があるとか、そういうのを無視したヒーローってのは今どき考えられないよなあ。親に養ってもらっている学生ヒーローならともかく」

翔花「NOVAちゃんは、わたしにヒーロー、いえ、ヒロインをやって欲しいんじゃないの?」

NOVA「やっては欲しいが、他人に苦労を背負わせるんだったら、自分もその苦労に負けない苦労を引き受けてこそ、共に頑張ろうって言えると思うんだな。『自分が傷つきながらも、誰かのために頑張る』ってのは、その誰かが自分にとって助けるに値する大切な存在であること、あるいは自分にその相手を助ける余裕がある場合に限られる。俺は娘や身内を助けるためなら多少の苦労は厭わないし、助けられたら恩義を返したいとも思うし、人に助けを求めるなら可能な限りのバックアップもしたいし、そうできる自分でありたいと思う。一方的に助けを求めて、ろくな代価も支払わないままに迷惑をかけ通す人間は軽蔑するし、力のない助けられるだけの存在は、傲慢ぶらずに謙虚に生きるのが処世術だろうと思ったりもする」

 

なぜか飛んできたウィルスの話

 

翔花「わたしは神霊見習いの勇者候補って言われているけど、NOVAちゃんがわたしに求める勇者像ってどうなのかな?」

NOVA「少なくとも、コロナと戦うために勝手に家を飛び出して、そのまま行方不明になってしまうような考えなしじゃ困るな」

翔花「でも、コロナの惨禍は見て見ぬフリなんてできなかったもん」

NOVA「自分に何ができるかって話だな。お前の花粉パワーがコロナに対して有効だったら、お前の出番なのかもしれないが、コロナに花粉症バスターは通じたか?」

翔花「というか、目に見えないコロナは厄介よね。コロナウイルスが一つに集まって、巨大怪物キングコロナンみたいな目に見える巨悪になって、『手強い敵だけど、あいつを倒せばこの戦いは終わりだ。みんなで一斉攻撃だ!』って退治できるなら良かったんだけど、そういう相手じゃないし」

NOVA「ウィルスって、それを蔓延させている怪物を倒せば、きれいに収まるってものでもないからな。実体を見せずに忍び寄る影みたいなもので、感染症対策をしっかりとって用心しましょうなんて言ってるときに、『そんな必要ありませんよ。コロナで右往左往してる社会がおかしいんです。コロナ脳www』なんて揶揄して無責任な言動を繰り返してる輩を見ると、まともに社会に生きていない人間の戯言にしか聞こえないわけで」

晶華「精霊少女も、まともに社会に生きているとは到底言えないけど、私たちはNOVAちゃんを通じて、社会を見ているわけで。今のNOVAちゃんの周りの社会はどうなってるの?」

NOVA「今週、月曜から中学校がコロナのせいで一週間の休校になった」

晶華「あら、冬休みが明けて2週間ほどで休校だなんて、NOVAちゃんにとっては大変じゃない?」

NOVA「一応、うちの教室は休むことなく続ける形だが、お子さんを休ませたい家庭もあるので、その子は後で補習ということにした。もちろん、学校が休みだからこそ、塾は平常運転でと要望されているケースもあるし、原則、個別対処という形をとっている。言わば、間接的な被害者だな、するべき仕事が増えるので」

晶華「この場合、コロナウィルスが悪いのか、コロナ対策で右往左往している社会システムが悪いのかによって、意見が分かれると思うんだけど」

NOVA「俺はウィルスが悪い、と単純に考えているけどな。だから、ウィルス対策をきちんと考えている人間が正しくて、そうでない人間は害悪だとする立場。その中で、対策手法の観点で何が有効なのか、というテーマなら議論の余地があるが、一部の過激な反ワクチン信者の中には『ノーワクチン、ノーマスクでコロナに対してはノーガードにすれば、いずれ収まる』的な超社会的楽観論を唱える者もいる」

翔花「ええと、コロナに抵抗せず、無条件降伏しろ、と?」

NOVA「思想の背景はそれぞれだが、『コロナは自然界の怒りとか、神の思し召しだから、人が抗っても仕方ない』という宿命論に始まり、『コロナは弱毒性だから、風邪と同じ』という疑似科学にも似た一面的な見解を強調したもの、『コロナは政府やマスコミが一部の業界に利益を誘導するための煽動』という陰謀論じみたものなどなど、それぞれの見解があって、現状のコロナ対策は効果的ではないから、するだけ無駄無駄無駄という極端な結論に走る形だ」

晶華「そういう人は、自分がコロナに感染してもいいって考えているのかしら」

NOVA「神の思し召しと考える人間は、そうかもしれないな。まあ、コロナウィルスに感染して回復した経験から、信仰に目覚めたという人間も出て来るだろうし、人にとっては人生の転機だと考える者もいよう。ただ、多くの人間にとっては、好き好んでコロナになってハッピー♪ とは言えないと思う。自分だけはコロナにかからないと楽観的に構えて、好きな主張を述べながら、感染症対策をしている社会をどこかで見下している面があると思うんだな。他人事感覚で」

翔花「NOVAちゃんはどうなの?」

NOVA「感染症対策めんどくさい。だけど、その面倒なことをしっかり取り組んでいるアピールをすることが、今の社会で生きる処世術なら、個人的にどんな意見を持ったとしても、やはり為すべきことはしっかり為さないとな、と受容する立場だ。まあ、粋がってワクチン反対とか、ノーマスクとか主張しても、それでお付き合いしている世間的に得するわけでもなく、むしろ常識知らずとして損をする。そして、マスクをしないまま、反ワクチンデモをしている人間をニュースとかで見ると、そっちの方が集団ヒステリーに思えて、何だかなあって他人事感覚で見下さざるを得ないわけだ」

晶華「反ワクチンを主張しても、その分、別の感染症対策をすればいいのにね。むしろ、ワクチンを打たなくても、マスクと手洗いうがいは欠かさぬようにしよう、とか言って、ワクチンだけは打ちたくないって意見なら、まだ話ができるかもしれないけど」

NOVA「こういう反社会的な人間って、短絡的な思い込みで極端に走りがちなんだよな。ワクチンがダメだ、と言い始めると、勢いで付随する何もかもがダメだと言い始めて、世間でありふれたものをあれもこれもケチを付け始めて、世間に迎合しない自分が凄い、と逆張り思考になる。世の中、是々非々で評価すべきというのが俺の評価姿勢だが(その上で好き嫌いの主観は交えていいけど)、物の見方が極端に狭くて、自分の受け入れやすい好みの意見以外は、全部おかしいと言っちゃう人間とは、つまらなくて話にならないや、と思う」

翔花「NOVAちゃんは、多様性重視の考え方じゃなかったっけ?」

NOVA「一定の文化規範の範囲ではな。それと、多様性に対する代償も付きまとうという考え方で、例えば場のルールを無視した過激な暴言をも多様な意見として甘受するのは、管理役として責任放棄につながると考えるに至っている。『個人的には面白い意見だとも思うが、この場では相応しくない話題だから、他所でやれ』と言えてこそ、掲示板なんかの管理人が務まるのだとも」

晶華「多様性も時による、と」

NOVA「と言うか、今の世の中、多様な意見が知りたければ、自分の管理している場以外でも、外を回れば、いろいろな意見が見られるんだよ。つまり、個人の管理する場で意見の多様性を重視する必要がどこまであるか、というと、『場の空気を重んじる立場は維持した上での、ネタの多様性』こそが俺が求める指針ということになる。多様性って言葉に対する解釈は、人それぞれで、『今の社会で生きていく上で、ワクチンを含む感染症対策は職業人としてのマナーと化している状況で、そこに敢えて反対する行為は甚だリスクが高い』と俺は考えているし、相手もそうだとアピールしてくれると、この人は常識人だと安心できる」

翔花「常識に囚われると面白くないって考えもあるよね」

NOVA「フィクションだと、物語を掻き回す思いがけないサプライズ展開はありだろうな。しかし、日常がそればかりだと、非常に疲れるんだ。『平和な日常と、それを脅かすサプライズ、頑張ってトラブルを解決して日常に戻る』 これこそがヒーロー物の王道なのに、日常が失われてノー・ウェイ・ホームになってしまったのが、今回のスパイダーマン映画の結末だな」

晶華「って、強引にスパイダーマン映画の話に引き戻した?」

NOVA「そりゃあ、ホーム・カミングは大事でしょ。本題に何とか戻さないとって、ここまで書きながら必死に頭を巡らせていたんだよ。寄り道脱線で何の話をしていたか見失うとファー・フロム・ホームで、そのまま元の話に帰れなくなると、ノー・ウェイ・ホームだ。全く、良くできたサブタイトル群だぜ」

翔花「ええと、わたしにはホーム・カミングとか、ファー・フロム・ホームとか、ノー・ウェイ・ホームってどういう意味か、よく分かっていないんだけど?」

NOVA「順に、『お帰りスパイダーマン』『スパイダーマン、彼方への旅』『帰る家なきスパイダーマン』と訳すことも可能。とにかく、ここから本題のMCUスパイダーマンの思い出話に移るぞ」

 

ヒーロー内乱(2016)

 

NOVA「まず、『アベンジャーズ』の映画を中心とするMCUマーベル・シネマティック・ユニバース)の世界に、トム・ホランドスパイダーマンがデビューしたのが、キャプテン・アメリカの3作め『シビルウォー』だ」

晶華「アイアンマンさんVSキャプテン・アメリカさんの映画ね。スパイダーマンさんは、アイアンマンさんにスカウトされた助っ人ヒーローとして華々しくデビューした、と」

NOVA「2014年の『アメイジングスパイダーマン2』が興行不振で、続編が打ち切られたためにMCUと合流する形でリブートしたわけだな。実質的に、今回の『ノー・ウェイ・ホーム』が『アメイジングの後日譚的3作め』と評価する者もいる。ファンとしては、恋人グウェンの死という過酷なドラマで終結したアメイジング版の悲哀に比べて、陽性な新スパイダーマンMCU世界に合流したことを歓迎する向きは多かった」

翔花「だけど、この映画自体はヒーローチームの決裂と離別を描いた重い内容だった、と」

NOVA「その中で、陽性なキャラだったスパイダーマンアントマンの虫コンビが明るいトーンをこの時期のシリーズに醸し出していたんだよな」

 

お帰りスパイダーマン(2017)

 

NOVA「そしてデビューの翌年、スパイダーマンはアイアンマンの後継弟子キャラみたいな位置付けで、自分のタイトル映画『ホームカミング』を持つようになる」

翔花「アイアンマンさんとダブル主人公的な映画なのね」

NOVA「アイアンマンは2008年の映画から、ほぼ10年を経て、アベンジャーズの中心ヒーローとして君臨していた。双璧を為すキャプテン・アメリカが犯罪者として行方をくらませた中で、アベンジャーズの屋台骨を支える役割だったわけだが、そこに新人ルーキーのスパイダーマンが憧れの先輩、あるいは男親みたいな立ち位置のアイアンマンに叱咤激励されながら、ヒーローとして成長する話と言っていい」

翔花「ベテランヒーローのアイアンマン師匠と、高校生ヒーローの弟子スパイダーマンの関係性かあ」

NOVA「それまでのスパイダーマン映画は、アベンジャーズみたいなチームに参加していなくて単独ヒーローだったから、師匠なんて存在はいなかったんだ。日常生活での師匠として学校での教授がいたりしても、大抵ヴィランになって、師弟対決的な展開になってしまっていて、それ以外に心の師として『大いなる力には云々』のセリフを遺したベンおじさんがいたんだけど、MCU版では非常に若々しい見た目でセクシーなメイおばさんがいるものの、夫のベンおじさんは登場しなくて(メイおばさんが独身でピーターを育てたっぽい)、その役割をアイアンマンのトニーが担ったとも言える」

翔花「つまり、アイアンマンさんの子育て話ってこと?」

NOVA「アイアンマンの映画は3作めが2013年に公開され、ハーレー・キーナー少年との関わりで、子どもに憧れられる大人ヒーローとしての風格を持つようになっていた。それまでのトニーがどちらかと言えば、機械いじりの好きな研究マニアで自己中なプレイボーイ、成熟しきれていない大人にして、善意ながらもトラブルメーカー的な気質もあったのが、アベンジャーズのチームの中核として成熟していく流れがあって、その中で自意識過剰なティーンエイジャーの若者にどう向き合うかで試行錯誤するシーンも描かれたりして、この映画は大人の師匠目線と、高校生の若者目線の両方で楽しめる作品だ」

晶華「スパイダーマンさんの視点で言うなら、尊敬する先輩ヒーローのアイアンマンさんに認めてもらおうと、懸命に頑張る少年ヒーローになるのよね」

NOVA「この映画が新鮮なのは、スパイダーマンのスーツがアイアンマンの機能を引き継いだトニー製のスーツなので、メカギミックが満載だという点だな。過去の映画には見られないハイテクスーツで、スーツに搭載されたサポートAIのカレンとのやり取りなど、スパイダーマンの映画と言うよりも、アイアンマンのサイドキックの物語と考えた方がいいのかもしれないわけだ」

晶華「単独ヒーローだったスパイダーマンが、アイアンマンさんの後継ヒーローとしてMCUの中核に成長していく話ね」

NOVA「ただ、それも中盤までだ。高校生のピーター・パーカーは一生懸命にできることを頑張るんだけど、いろいろとドジを踏んで危なっかし過ぎるので、トニーがピーターの無鉄砲さを諌めるためにスーツを剥奪してしまう。そんな中で、ドラマのクライマックスではピーターがお手製のスーツをまとって、自分の力だけでメイン敵のヴァルチャーと対決、苦戦の末に勝利を収める。だけど、ヴァルチャーの正体は恋人リズの父親で、自分のヒーロー活動の結果、ガールフレンドの家族を破壊してしまい、恋愛が破局してしまうというビターな結果に」

翔花「でも、ピーターさんの恋人はMJじゃなかった?」

NOVA「作品による。最初の恋人がグウェン・ステイシーで、アメイジング版でのメインヒロインだったんだけど、グリーンゴブリンとの戦いの最中に(原作コミックに準じて)ピーターの助けが及ばずに殺されてしまった。ただ、その後、別世界ではピーターの代わりに、グウェンがスパイダーマンの力を手に入れるスパイダーグウェンの物語(デビューは2014年)が描かれたりして(代わりにピーターが死ぬ)、いろいろと複雑なIF世界スピンオフとなっている」

NOVA「MJは本名メリー・ジェーン・ワトソンで、トビー・マグワイア版のスパイダーマンのメインヒロイン。その一方で、MCUにもMJは登場して、リズの代わりにメインヒロインになるんだけど、名前は異なるミシェル・ジョーンズ。このMJがノー・ウェイ・ホームの終盤で高所からの転落で死にかけるんだけど、グウェンを助けられなかったトラウマを持つアメイジング版のピーターが同じ過ちを繰り返さないように無事に助け出せたのが、過去の映画を知る者には拍手となるわけで」

晶華「それでも、恋人や友人とハッピーで終われなかったのがノー・ウェイ・ホームね」

NOVA「世界を救うために、ピーター・パーカーの記憶を魔術で世界から消すことになったので、MJや親友のネッドもピーターのことを覚えていないという終わり方。彼女たちが再びピーターと関係性を紡ぐのか、それとも彼らの人生のためにピーターが関わらない選択をするかは、今はまだ定かではない」

翔花「とにかく、スパイダーマンの話は、60年もかけて紡がれた蜘蛛の糸のように、いろいろなエピソードが錯綜しているので、どのスパイダーマンの話なのか理解が大変そうね」

NOVA「ああ、俺にとっての人生初スパイダーマンは、山城拓也が変身する東映スパイダーマンだからな」

(当記事 完)