Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

亜星さんの思い出語り(特定ジャンル外)

追悼記事の補足編

 

NOVA「今回は、亜星さんの思い出記事2だ」

晶華「妖精郷よりも、こちらが優先ってことね」

NOVA「う〜ん、まあ、亜星さんのことを改めて調べると、本当に偉大な作曲家であり、マルチタレントということが分かって、まだまだ語ることがいっぱいあるって話なんだけど、感情的な理由もあってだな」

009『コメント欄だな』

NOVA「某氏のラストの1文の破壊力に持って行かれた感だが、実はあのコメントの本質的な問題が『追悼記事に寄せるコメント』としてはふさわしくないと思ってな」

翔花「追悼記事って、故人の思い出を偲ぶ記事ってことよね」

NOVA「ああ。誰かが亡くなった際に、その人の記憶があれこれ甦ってきて、いろいろ込み上げてくる想いを故人への感謝と共に残しておきたいって気持ちで追悼記事は書くわけだが、それに対するコメントも、そういう先人の偉大さとか感銘を共有して欲しいかな、と思ったりするわけだ。言わば、亜星さんの追悼記事およびコメントは、亜星さんのことが分かる人が少しは厳粛な気持ちで共感できれば、って空気が欲しい」

ケイP『話題の中心は、当然、亜星さんであって、そこに軸足を置かないコメントは場に相応しくないッピね』

NOVA「要するに、ブログ記事の趣旨に合わないコメントはどうなのかって話だな。とりわけ、今回は追悼記事ってデリケートなテーマだ。亜星さんの思い出話が中心で、また故人に関する情報とか、それぞれの思い入れを語るなら歓迎すべきコメントで、そこから逸脱した話をしたいなら、せめて追悼記事以外を選んで欲しかった」

009『問題となるコメントの話を分析するなら、亜星さん追悼5行、すぎやまさん4行、自分の近況4行、スパロボ6行、映画と変な要望5行となるな』

NOVA「ラストの変な要望で、『ゴメン無理、もう来ないで』というリアクションを喚起したんだが、後から冷静に考えると、やはり肝心の追悼コメントが最初の5行で終わり、その後は逸脱した寄り道脱線で、しかもラストで本筋に戻ることもなく、俺の嫌う『不毛な質問・要望のしつこい繰り返し』で締めくくっているだろう? 何というか、故人への想いをダシに、自分の書きたいことを書いて、場を穢したぐらいに感じとれたわけだな」

晶華「形式上のお悔やみの言葉だけ述べた後は、想いを共有することなく、関係ない話題に流れて記事の趣旨の空気をつかんでない態度が露骨ってことね」

NOVA「まあ、俺も話を膨らませるとか、寄り道脱線は日常茶飯事だから、それを責めるつもりはないんだが、それでも最後にきちんと亜星さんの話に戻って、上手く着地してみせるのが社交上のマナーじゃないかと考えるんだな。

体操競技に例えるなら、演技を披露するスペースには制限があって、その範囲で技や演技を披露して、最後に上手く着地したら審査員や観客から評価される。ここでは当然、亜星さんというテーマがあるわけで、そこからの広げ方深め方で、読む者に『分かってるな』と感じ取ってもらうのが模範芸ということになる。だけど、テーマから極端に逸脱して、すごいジャンプを披露しても場外からすっ飛んで行った挙句、最後で着地をしっかり決めることができなかったら、それは演技として失格なんだよ」

翔花「追悼記事へのコメントで、追悼への想いを忘れてしまえば、礼を失するってことね」

NOVA「違う話題だが、前もあったんだよ。ジライヤの筒井巧さんがリアルで忍者の宗家を受け継いで、おめでとうな記事で、余計な蛇足で『慶事に水を差すな』と叱られた事例があって、今回はより酷い『弔辞に水を差された挙句、泥をかけられた気分』になったので、本質的に場の話題に合わせることのできない欠点で失敗している、と思うんだな」

晶華「私も亜星さんのことをよく知らなかった子どもで、世間知らずだったんだけど、NOVAちゃんの思い入れはしっかり感じとったので、どれだけ大切な思い出だったか理解したつもり。お祝い事とか、弔い事に関して、その場の人のデリケートな感情を無視して、違う話で気を惹こうとはしたいとは思わないわね」

NOVA「語りたい欲求は、俺もよく分かる。だけど、その場の話題を無視して、あるいは適当な態度で聞き流して、違う話題に展開することの愚は、TPOを選ばないとな。お葬式の場で、昨夜見たTVの話をするようなもので、そこは記事の趣旨を受け止めた上で『これは興醒めになるから別の機会に』とか、そういう判断はできないとな。思いついたことを整合性関係なしに投入する創作の悪癖が、リアルニュースのコメントでも垂れ流しになっているんだ。そこは改善しないと、人に共感してもらえる文章は書けないと考えるんだな。場の空気を読めない独り善がりじゃ、人からの好意は得られないと知れ」

009『で、ここから先は、口直しに、亜星さんの素晴らしい音楽を語り直すんだな』

NOVA「ああ、俺なりの思い出宝ボックスだ」

 

亜星さん自身の自分語り

  

NOVA「亜星さんは、俺的には特撮ソングやアニソンでいろいろ曲作りしてきた人として評価する面もあるんだが、それは、ほんの一部であって、CMソングで膨大な仕事をしていて、しかも、ご自身がCMに出演したりもして、TVではお馴染みの顔だったんだな。亜星さんのCM集というのが、ちょっと調べるだけでも凄い数になっていて、作曲した歌を知らなくても、よくTVで見かける御仁ということになる」

晶華「どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている曲を作ったおじさまなのね」

NOVA「そうだな。TV番組の主題歌だと、OP映像にテロップが入って、作曲者の名前も分かるんだけど、CMソングを誰が作ったかなんて、普通は誰も気にしない。だけど、TVを見ていれば、普通に耳に馴染む。時代の空気そのものと言ってもいい。そう、文字どおり音の世界で空気を作ってくれた人なんだ。空気になるのではなく、良い空気を作る。もう、聞いているだけで心が洗われる曲がいっぱいだ。例えば……」

晶華「私にもチェルシーちょうだい」

NOVA「曲を聴いているだけで、食べたくなるのは良いCMソングだな。歌詞もいいけど、映像の外国人の娘も可愛いけど、そこからアニメのファンタジー世界に切り替わるセンスもいいけど、歌手の声もいいけど、スコットランドの伝統のおいしさって言語フレーズもいいけど、それを下支えするのが亜星さんの曲だったんだなって話だ」

009『本当に懐かしいなあ。ちょっと気に入ったので、フルサイズで歌を聞いてみたい』

 NOVA「チェルシースコットランド気分になったので、一つ関連アニソンを」

009『ここにも筒井広志さんの名前が見られるな。この人も、亜星さんのアニソンパートナーぶりが素晴らしいんじゃないか?』

NOVA「その人は1999年に亡くなっていたんだな。その人の作曲で、当ブログ的にポイントが高いCMソングはこれだ」

ケイP『まさかのかっぱえびせんとは! ここにも亜星さんの影が見られるなんて』

NOVA「厳密には、亜星さんの相棒作曲家の人だけどな。この人で思い出深い歌だと、これになるのか」

翔花「おだてブタには、亜星さんは関係していないのね」

NOVA「まあな。だけど、今回の追悼記事の流れで、筒井広志さんという人の名前を意識できたのは大きい。ここでも、いいコンビぶりを発揮しているしな」

NOVA「筒井広志さんは小説家でもあるのか。この人はこの人で、多才な人だったんだな」

翔花「スピリッツ・ガールって精霊少女なの?」

NOVA「いや、幽霊少女みたいだ。亜星さんの縁から、いろいろな方向に関心が伸びていくなあ。ちょっと、話を仕切り直してみよう」

 

時代劇とか演歌とか

 

 

009『三匹が斬る!かあ。これも亜星さんだったとは、意識していなかったなあ』

NOVA「本当に。自分が好きで見ていた作品だけど、作曲家を意識していなかった時期も多いからなあ。後から知っても、知識としては分かっても、やはり曲調が多彩でつながって来ないのは凄いと思うよ。知れば知るほど、え、これも? と感じて驚くことしきり」

NOVA「で、時代劇から演歌つながりだと、都はるみさんの『北の宿から』がレコード大賞作曲ということで、亜星さんを語る上では、忘れちゃいけないということになる」

NOVA「前回の記事で、亜星さんは明るい曲が多いと言ったが、あくまで視野が子ども番組中心になっていたからであって、陰系のムード曲も書けることを知った。ただ、やはりクライマックスの盛り上げどころは気合いが入る方向性だな、と。湿っぽく終わることはないのかな、と感じている」

晶華「他に、大人ムードな曲はある?」

NOVA「これかな。ウィスキーのCMに流れたらしいんだが、ややハードボイルド調」

 

わくわく動物ランド

 

NOVA「亜星さんといえば、クイズ番組の『ヒントでピント』の男性軍リーダーとして俺世代には印象的だったが、他には『わくわく動物ランド』のレギュラーとしても印象強い」

NOVA「ミラージュのCMは亜星さんではないんだが、84年当時、ブームになったエリマキトカゲで、わくわく動物ランドでも特集していたからな。そして、同番組のEDも名曲ぞろいで、挙げておきたい」

翔花「あっ、これはマクロスリン・ミンメイの人ね」

晶華「でも、亜星さんじゃないのよね」

NOVA「まあ、単に出演番組の主題歌ってだけだからな。でも、亜星さん自身が作った曲が主題歌になったこともあるらしい。さすがに、その時期は俺はもう番組を見ていなかったから、懐かしいとは言えないんだが、琴線に触れる人もいるだろう」

 

最後はジャンル物を

 

NOVA「ここまで、いろいろと亜星さんの多才ぶり、多作ぶりの一部を俺の思い出メインで振り返ってみたんだが、最後はまだ挙げてない曲で俺のツボになる3曲を聴いて、前向きに終わりたい。やはり、亜星さんの曲のセンスを鑑みるに、湿っぽく終わるのではなく、未来に受け継ぐ想いを伝えたいわけだよ」

NOVA「ガッチャマンは、23話めでOPとEDの歌が逆になるんだが、これは初期OP、後にEDになる方。有名なのは、初期EDの方で亜星さんのアニソン代表曲のようにも言われているみたいなんだが、自分の今の心境としては、動物ランドの延長で、雄大な未来をイメージしているのは初期OPだと思うな。後に来るのは、純粋にバトルソングなわけで」

NOVA「ガッチャマンは、後の戦隊ヒーローのフォーマットに与えた影響も大きく、巨大戦闘機に搭乗する5人の戦士が悪の組織に対抗するスパイアクションという点では、完全にゴレンジャーの原点と言える。もちろん、ストレートに意匠を受け継いだジェットマンという後継者もいるわけだが、タツノコヒーローの代表格とも言えよう」

009『ガッチャマン2は出さないのか?』

NOVA「あれは、主題歌がすぎやまさんだから、今回は場違いだろう」

009『だったらガッチャマンFは?』

NOVA「そっちは亜星さんだから出しておくか。少し予定外だが」

NOVA「個人的には、ガッチャマンFのエンディングだけは、曲調が作風にあまり合ってないと思うんだよなあ。ガッチャマンって結構ハードな物語で、割と大人のムードが漂う流れで、ガッチャマン3作目のFもハードなのは変わりない。ただ、戦闘機のガッチャスパルタンの合体システムが玩具チックで子供に媚びたと言われたり(俺はデルタ型のキレイなスタイルが大好きだったんだが。むしろ2の鳥型丸出しな方がストレートに幼稚に思えたりもした)、最後の科学忍者隊全滅にも思えるオチが批判されたり、大人向きと子ども向きのどちらを愛するファンからも批判されている不遇な作品だ。でも、やはり大鷲のケンが剣を構えて機体ごと敵に突撃する必殺技ハイパーシュートは格好いいと思うんだよね」

009『ここで作品批評するのは場違いじゃないか』

NOVA「ああ、そうだな。まあ、タツノコヒーローはタイムボカンシリーズの影響からか、陽性コミカルな印象も大きいが、少なくともガッチャマンキャシャーンテッカマンの3作は重くて暗い。逆にポリマーは痛快アクションなんだが、亜星さんの主題歌は希望に溢れている。そして、俺が聞きたい亜星さんソング、ラストはこれだ」

NOVA「テッカマンのEDを聞きたかったんだが、どうもここでは動画を貼れないらしい」

009『いまいち締まらないなあ。だったら代役ということで、これを』

NOVA「締めがゴーダムかあ。何だかカラオケの最後の歌が何がいいかを決める心境だが、もう少し、こう締めにふさわしい歌を流したい」

009『だったら、これでどうだ?』

 

晶華「男どうしの友情かあ。いいわね」

NOVA「問題は、ゴライオンのパイロットって最初は男5人だったのに、サブリーダーが戦死したために、紅一点の姫が加わったことだな。まあ、死んだ仲間の想いも引き継いで、巨悪に立ち向かうというハードなストーリーなわけで」

翔花「ポイントは、助け合って一つの道を行くってことね。道から外れた独り善がりな人を助ける義理はないってことで」

NOVA「俺が好きな友情物語は、大義のためのチーム結束だからな。師匠がいて、同窓の仲間がいて、後から感じ入って仲間になったキャラがいて、言わばダイ大みたいな関係性。ゴライオンにおける友情は、『邪悪な宇宙帝国に奴隷にされていた地球人5人という共通の立場』から成立するもので、そういう設定の土台を無視して、『友情という結果のきれいごと』に憧れても、友情は紡げないということ。友情や愛情をいかに読者が納得できるように構築するかは、作家の訓練にもなるし、いろいろなフィクションや現実の経験から広げ、深めるのもいいだろう。

「ただ一つ言えるのは、無償の優しさや慈愛を持てるのは、神仏の教えに身を捧げた崇高な人間ぐらいだろう。そういう精神性を本質的にバカにしている人間には、助けは到底得られないにも関わらず、ただの創作宗教研究者にすがろうとするのはどうなんだろうな。自分が同じ立場なら、自分自身を救えるだろうか。それができるなら、そういう慈愛に満ちたキャラの心理状態を描いて、自分が救われる物語を書いてみるといい。仏教の書写行って、仏の気持ちになって人を救う誓いを書き写すところもあって、良い精神性を自分に取り込む一種の同調儀式だ。

「まあ、きれいな歌詞や曲調の歌を聞いたり歌ったりハミングしたりして感じ入るのも、燃える歌で自分の中の熱さを呼び起こすのも、バラードを聴いてしんみりするのも、音という霊感を自分の心に響かせ、同調させる働きがある。小説家の紡ぐ文章もしかり。キモい言葉もあるし、きれいな言葉もあって、それがそのまま作家の人間性のイメージになる。自分がどういうイメージの人間に見られたいかは、表現者が作るもの次第だ」

晶華「だから、亜星さんの歌の良さを感じ、語れる人は、NOVAちゃんの同調者になれるってことね」

NOVA「同じものを見聞きして、同じように感じられるからこそ、共感できる。それが伝わらない精神性なら、合わせることも難しいんだろうな。俺は自分が素晴らしいと感じるものの価値を、分かってくれる人間のために時間を費やしたい」

 (当記事 完)