Shiny NOVA&WショーカのNEOスーパー空想(妄想)タイム

主に特撮やSFロボット、TRPGの趣味と、「花粉症ガール(粉杉翔花&晶華)というオリジナルキャラ」の妄想創作を書いています。

エモいこと3(イモとか、太陽とか、流派超越を経ての倫理学)

ブログとコメントの関係について

 

NOVA「ここまで、清少納言世阿弥について触れて、和歌とか能とか日本古来の文化の話をしたつもりだ」

晶華「まさか趣味ブログで、こんな勉強話が出るとは思わなかったわ」

NOVA「まあ、主題は勉強だけど、キラメイジャーとかロードスとかに寄り道して、いつもの俺らしい文章に料理したんだけどな。とりあえず、文化は今も昔もエモいということで問題ないな」

晶華「でも、何にエモさを感じるかは、人それぞれだけどね」

NOVA「そりゃそうだ。世の中には、桜の花を見ても特にキレイと思わない人もいるし、芸術とか風流といったものに価値を感じない人もいる。別に全ての人が同じように感じる必要はないわけだが、だからと言って、『ある文化に対して、世の中の多くの人がどう感じているか。そして、その感じ方に自分がどういうスタンスを取るか』と考えることに意味はあると思うな。『世間ではこういうものが流行っている、と聞く。それに対して是か非か、という個人の意見表明』はブログのテーマの一つになるからな」

晶華「その意見表明に対してコメントを付けることで、ブログ主と意見交換するのがコメント欄の役割ってことね」

NOVA「そうだな。そして、ブログ主の意見が割と過激だとするなら、反論が続出して炎上ということもあるし、世の中、売り言葉に買い言葉ということもあるので、コメント対応次第では、さらにブログ主の意見が当初の主張を越えて先鋭化することだってある。やり取りしている間に、『ここまで書くつもりはなかった、という赤裸々な(未整理の)心情』が飛び出してしまうこともな」

晶華「それを秩序方向にコントロールしたり、そういうカオスを楽しんだり、ブログ主さんの方針も様々だし、コメント主さんとどういう意見を交わすかが、そのブログの品位にも関わってくるわけね」

NOVA「まあ、コメント内容が良いか悪いかという判断はさておき、『コメントが基本的に公開されるものだという前提を忘れて、ついつい個人情報をうかつにさらけ出す、うっかりさん』には閉口するんだけどな。ブログ主として、こちらは『ここまでの個人情報(年齢やおおよその住んでいる地域)は明かしても問題ない』と考えてやっているのに対して、コメントの方で『それを逸脱した質問とか、コメント主個人のプライベート情報さえうかつに喋ってしまう(自分で、このことは公開しないでくれと過去に書いていたにも関わらず)』のは勘弁して欲しい。

「相手側の情報リテラシーの能力が低いと、こちらも気を使わないといけないし、まともに応対していると、こちらも巻き込まれて、想定外のプライバシーまでさらすことにもなりかねない。もちろん、捨てハンドルを使う人間だったら、そういう自爆テロみたいな『攻撃』でうかつなブログ主を丸裸にするような陰険な書き込みをするケースもあるわけだが、件のコメント主は悪意じゃなく、天然でそれをやらかしてしまうから性質が悪いんだよな」

晶華「そういう迂闊さを本人さんも自覚しているから『公開された場所じゃなくメールでのやり取りを望んでいる』んでしょうけどね」

NOVA「メールして、楽しい相手じゃないからな。物心共に貧しくて、知見が浅はかで話が広がらない深まらない。それでいて、際限なく質問と世間へのルサンチマンを重ねてきて、相手するのも疲れる。『問題事への自己解決』を図れるぐらいの見識を持つ、あるいは相手の答えから見識を習得する相手ならいいんだけど、そうでない相手は合理的に冷静に考えるなら、付き合う時間が勿体ないという結論にしかならない」

晶華「じゃあ、どうして、これまで付き合って来たのよ」

NOVA「情緒的に、慈愛的に、同情的に感じていたからな。90年代に阪神・淡路大震災を経験したり、創作という夢を持って挫折したり、TRPGなどのサブカルチャーを好んだり、という共通点から分かり合える部分もあるんだよ。ただ、決定的な差は『彼は忘却という防衛規制で自分を守り、リセットするような生き方』なのに対し、『NOVAは記憶と記録を積み重ねて、良きも悪きも受け止めようとする生き方』で、その記憶容量あるいは深め方の問題で、物足りないということだ」

晶華「つまり、NOVAちゃんの相手をするには、この人がバカってこと?」

NOVA「明るく楽しいバカなら、付き合っていて勉強になるんだけどな。フットワークの軽い人間とか、細かいことにこだわらない大雑把な生き方とか、そういうのは結構好きだし。俺が割と後ろを振り返りがちな陰キャで、前向きに未来しか見ない若さやガムシャラさには、痺れる憧れる。そういうタイプの良いところとかも、自分の中に吸収したいと心掛けていたし。基本的に、明るくカラッとした熱血主人公タイプは、俺が憧れ、だけど素の自分にはない『後天的に学ぼうとした性質』だからな。『バカになれ、と役割演技を意識して、ようやく自然に振る舞えるようになったかな』と思ってる」

晶華「バカになろうと努力するってのも、変わってるわね」

NOVA「俺の目標が『熱血』『クール』『コミカル』の三拍子そろった男だからな。そこに『慈愛』『未熟な若さ』を加えたら、一人で戦隊を結成できるぜ」

晶華「6人めは?」

NOVA「『他にない独自の個性』『お約束に縛られない孤高さ』『既存のキャラにない欠けた部分をフォローできる性質』と言ったところか。まあ、割と定番になりやすい主人公陣営(ここ数年は変わり種が多いとも思うが)に対するアンチテーゼあるいは足りない部分の埋め合わせ、なので、現在は6人めとそのドラマを分析することで、その戦隊の特徴もはっきり見えるわけだが」

晶華「で、何で戦隊の話になっているのよ?」

NOVA「戦隊はチームワークがテーマだからな。性格の異なるメンバーの軋轢や仲直りの仕方、また自分が目指す立ち位置や、チームに求められている役割なんかを考える上で、格好の教材になるんだよ。もちろん、子供番組らしくディフォルメされてもいるわけだが、複数の人間と同時に付き合う際に、メンバーに足りない役割は何か、とか、自分にはどういう役割が果たせるかなどを考える資料にはなる。もちろん、色による類型はあっても、毎年、役者さんの個性とかストーリーの展開によって、千差万別なチーム構成があって、そこには多様性があるんだけどな」

晶華「戦隊以外のチームドラマでもいいんじゃない?」

NOVA「もちろん、いいんだけど、大人のドラマは役者さんの個性が強すぎてな。それに、サブキャラが主役を張るエピソードが多いのも戦隊の特徴で、主人公あるいはライバルだけに焦点が当たる多くの作品よりは、サブキャラの役割に合わせた光り方なんてものも考えることができる。そして、何よりも新人若手俳優の一年間かけての成長がじっくり見られる番組は数少ない。俺は成長する相手を見るのが大好きなんだ」

 

晶華「つまり、成長はエモいってことね」

NOVA「ああ。それだけに成長性を感じさせない人間に付き合うのは、ストレスが溜まるんだよ。自分に壁を作って、新しいことに挑戦しない人間ってのは、言葉の端々に出てくるからな。もちろん、若い時に比べて体力が落ちたり、気力が衰えたりする一面もあるのだろうけど、それはそれとして、自分が歩いてきた趣味なり仕事なりの生き様を大事にして、そこに新しいページを一歩ずつ書き足していくなり、違う章に入って新たな何かに挑戦したり、節目節目を大切に考えることで、ただの惰性じゃない生き方を考えることもできる」

晶華「自分の生き方を考えるかあ。じゃあ、私も花粉症ガールとしての生き方を考えてみようかなあ」

 

娘たちの生き方

 

NOVA「花粉症ガールとしての生き方か。とりあえず、俺の日常アシスタントガールとしての生き方と、悪霊退治のバトル要素ってことかな」

晶華「最近、悪霊退治はしてないけどね」

NOVA「姉の翔花が、コロナ悪霊を退治して来ると言って、飛び出したきりだけど、どうなってるのやら」

晶華「行方不明といえば、トレギアさん絡みでタロウさんも行方不明のままだし、今度はゼロさんまで行方不明になったりして、いろいろ大変ね」

NOVA「案外、翔花がゼロさんと出会ったりするのかもな」

 

シロ「生き方の話と聞いて、シュシュっと参上!」

リトル「リュリュっと参上ですぅ!」

NOVA「何だよ、リュリュって?」

リトル「シロ姉さんがシュシュっなら、リウはリュリュっですぅ」

NOVA「頭文字かよ。だったら俺はニュニュっと参上か?」

晶華「私はPONと参上ね」

NOVA「前までの俺はホワイトだったから、ホワッと参上しても良かったんだが、シャイニィらしい参上の仕方を考えたいところだな」

晶華「ノヴァーンと参上でいいんじゃない?」

NOVA「そう言えば、ウルトラマンZのZを横に倒すと、Nなんだよな。ZとNOVAのイニシャルには深い関係があるというネタで、何か書けないかなあ」

シロ「あのう、それよりも、一つ質問があるのですが」

NOVA「何だ?」

シロ「忍びとして、ボクはいかに生きるべきでしょうか?」

リトル「ゴジラの息子(の眷属)として、リウはいかに生きるべきでしょうかぁ?」

NOVA「君たちはどうして、その答えを俺が持っていると思うんだ? 俺は忍びでも、ゴジラの息子でもないんだから、そんなことを考えたことがあるはずがないだろうが」

晶華「だったら、花粉症ガールの生き方だって、考えられるはずがないわよね」

NOVA「いや、それは考えられるぞ」

晶華「どうしてよ? はっ、もしかしてNOVAちゃんの正体は、今まで隠していたけど、花粉症ガールだってこと? 実は男の娘だった?」

NOVA「そんなわけがあるか。今さら『White 改めShiny NOVAの正体は、花粉症ガールのプロトタイプ、人に非ず、父に非ずの精霊マダムだった』なんて設定を付け加えても、誰が喜ぶんだよ」

晶華「日本で3人ぐらいは喜ぶ人だっているんじゃないかしら?」

NOVA「そんな超絶レアな変わり者の3人のためだけに、今さら俺の人間としてのアイデンティティーを覆せるか。とにかく、俺が花粉症ガールの生き方を考えられるのは、『NOVAが花粉症ガールという存在の生みの親だから』という理由に他ならない。だけど、俺は忍びの生みの親でも、ゴジラの息子の生みの親でもないから、どう生きるべきかなんて、勝手に押しつけるわけにはいかないだろうが」

シロ「だけど、多くの忍びを見てきた新星さまなら、『忍びとはかくあるべし』という知見の一つや二つはお持ちではないでしょうか?」

リトル「同じく、多くのゴジラ映画を見てきた先生さまなら、(以下同文)でしょうかぁ?」

NOVA「だったら、言ってやる。忍びなら『ニンニンでござる』を付けて喋れ。ゴジラの息子なら『他の怪獣にイジメられて親父に助けられろ。それが役割だ』と言えばどうする?」

シロ「ござるを付けると、ゲンブやハイラスさんとキャラがかぶってしまいます。ニンニンの代わりに、ニャンニャンならありかもニャン」

リトル「リウはイジメられたくないですぅ」

NOVA「そうだろう。誰かの『かくあるべし論』ってのは、一面的な物の見方、ある類型の押し付けでしかないから、それが自分に合っているかどうかってのは、結局、自分で決めるしかないんだ。ただ、まあ、自分の生き方の指針になりそうなロールモデル(役割目標)をいろいろ見つけて、そこにエモさを感じて、自分の参考にするというのはありだろうな。先達から教えを乞うとか、師事するってのはそういうことだろうし」

シロ「ボクは、新星さまのトリッキーさにエモさを感じます」

リトル「リウは、先生さまのゴジラ愛、特撮愛にエモさを感じるですぅ」

NOVA「なるほどな。だったら、アドバイスだ。トリッキーさの根源は、古今東西の知識だ。雑多な知識の引き出しがあるからこそ、ある局面での王道がこれで、王道をちょっと外した詭道がこれで、と咄嗟に判断ができる。もちろん、天然でトリッキーな奴もいるだろうが、この場合、『こいつはトリッキーな奴だから』と思われてしまうと、あっさり対策を立てられてしまう。『トリッキーだから、とタカを括った相手に王道の攻撃を仕掛けることができるから、トリッキーさも武器になる』わけだ。

「つまり、相手の対処の仕方を見切って、それに合わせて自分のやり方を調整することができる。味方に対しては上手く合わせて連携し、敵に対しては攻撃を読ませずに隙を突く。そのために、いろいろな手法を研鑽し、一つところに収まらない。そもそも忍びとは、武芸も隠密も陰陽道真言密教も含め、各種のジャンルを統合した多芸な道。その中で、自分の資質や力量に合わせた独自の技を模索して、自己の理と為すもの。一つところに留まり執着し過ぎては、光と影の双方を極めることはできん。状況に合わせた多芸こそ忍びの道と心得よ」

シロ「多芸とは、執着しすぎない、状況に合わせて王道も詭道も使いこなす道ということですね。そのための雑多な知識の引き出しを研鑽する、と」

NOVA「あとは、自分が自分が、と前に出過ぎず、サポートに徹するということだな。前に出ると、どうしても忍びではなく武芸者になってしまい、注目を浴びすぎることになる。忍びに求められるのは、自分ではなく、自軍を勝利に導く縁の下の仕事だから、自己を忍び消すことも精進の一部ということだ。己の役割を弁えた名サポーターこそが、忍びの王道じゃないかな」

リトル「ゴジラはどうですかぁ」

NOVA「王道を行くために強くあれ。この一点だろう。息子の場合は、強さを目指しながら、人間とのコミュニケーションで、怪獣と人間との和を構築する役どころ。ミニラやリトルゴジラがいれば、親ゴジラも単なる破壊神ではいられなくなる。つまり、ゴジラの息子は、モスラにおける小美人、人と野生の仲介者、善良なる心の象徴と言ってもいいんじゃないか。善意の導き手、それこそゴジラの息子に求められる役割と思うんだが、どうだろうか」

リトル「善意の導き手ですかぁ。それは凄いですねぇ」

NOVA「大人が子どもに求めるのも、無垢ゆえの純粋さ、善性だからな。ゴジラの息子が悪堕ちするような展開は、誰も求めていないんだ。ゴジラは善悪を超越した存在だけど、人間寄りの息子を守ろうとするからこそ、人と分かり合える神となる。逆に、シン・ゴジラは不気味な幼体を先に描いたからこそ、人と通じ合えない異質さを提示できたとも言える。まあ、蒲田くんはキモカワイイ路線で、妙な人気を博したとも言えるが」

シン・ゴジラ 第2形態 つままれストラップ

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晶華「キモカワイイと、キモいの違いは何かしら?」

NOVA「キモカワイイは珍種を愛でるような感覚かもな。一応、大きな目とか、未熟で妙な動きとか、脱力する要素があって、実害はなさそうなゆるキャラ的雰囲気を醸し出しているとか。これが、実害を伴いそうなレベルに接近してきたり、生理的に受け付けない描写が露骨に出るとキモいになる。あと、キモいは『おっさんが女の子の領域に踏み込んでくる』みたいなテリトリーの侵犯に関係して来そうだから、こっそりスイーツを食べる分には、キモくないけど、『女の子の食べているスイーツを物欲しそうに見つめるおっさん』はキモい扱いされる。まあ、感覚的な表現だから、理屈じゃないのかもしれないけどな」

晶華「でも、エモいとキモいは似てるよね」

NOVA「字面はな。だけど、声に出すと全然違うだろう。エモいに音が似ているのは、イモいだろう」

晶華「何、イモいって?」

NOVA「田舎者っぽくて、洗練されていないってのを、80年代頭はイモって言ったんだよ。 まあ、ダサいとほぼ同じ意味と考えてくれていい。だから、イモ欽トリオなんて流行ってたんだ」 


イモ欽トリオ ハイスクールララバイ version 1981


ティアドロップ探偵団/イモ欽トリオ(特別再結成時)


欽ドン!良い子悪い子普通の子 OP(1981年)

 

晶華「エモいとか、キモいとか、イモいとか、いろいろあってややこしいわね」

NOVA「ややこしくしているのは、お前だ」

晶華「だって、聞かれたことにいちいち答えてるNOVAちゃんが悪いんじゃない。答えが面白かったら、もっといろいろ聞きたくなっちゃうし」

NOVA「しかし、欽ドンのヨシオ役の山口良一が、後にビーファイターカブトの博士役になったり、ワルオ役の西山浩二が、後に『太陽にほえろ!』のDJ刑事になったりするなど、81年当時は思いもしなかったなあ」


本家ビーファイターカブト op


太陽にほえろ!メインテーマ'86 ショートバージョン

 

思い出の『太陽にほえろ!

 

NOVA「まさか、エモい→イモ欽→太陽にほえろ!とつながるとは自分でも思わなかったが、俺的にエモい話なのは間違いないので、この勢いで続ける。うん、太陽はエモいしな。で、太陽と言えば、俺的にはこのバージョンのOPが好きなんだけど」


太陽にほえろ OPテーマ

 

NOVA「だけど、別バージョンもいくつかあるんだな。79年バージョンとか」


太陽にほえろ! メインテーマ'79( TVバージョン)

 

NOVA「登場刑事だと、まず、この人を挙げておきたいジプシー刑事」


ジプシー・アクション 大野克夫バンド

NOVA「まあ、必殺者としては、他にスコッチ(沖雅也)や、殿下(小野寺昭)や、ジーパンのお母さん(菅井きん)を挙げないといけないのかもしれないし、そもそもジーパン(松田優作)を挙げなくてどうする? という意見もあるかもしれない。いや、ジーパンは再放送で初めて見たので、少し世代が違うという言い訳なんだが」


ジーパン刑事のテーマ 井上堯之バンド

 

晶華「世代が違う……って、うわ、72年から86年って、そんなに続いていたの? ほぼ昭和の必殺シリーズ並みじゃない」

NOVA「ああ。第一作の仕掛人(72年)から29作めの剣劇人(87年)までと同じ期間を、太陽は駆け抜けたわけだよ。刑事をあだ名で呼ぶとか、トップがボスと呼称されるなど、デカレンジャーのノリは太陽を受け継いだものと言っていい。なお、刑事ものとしてのライバルは西部警察(79〜84年)な」


西部警察 PartⅢ OP

 

晶華「こっちの方が、NOVAちゃんの好きな特撮のノリに近そうね」

NOVA「確かにな。まあ、太陽と西部警察石原裕次郎さんが被っていてライバルと言うべきかどうかは分からないけど、当時の学習雑誌『中1コース』が双方の番組紹介比較記事で、煽っていたもんだから、俺もそういう印象で見ていた。歴代刑事リストとか、雑誌に書いてあったのをワクワクして読んでいたのが懐かしい」

シロ「その後、太陽に出演していた俳優さんが、特撮番組にも顔を見せるようになりますね」

NOVA「ああ、テキサス刑事(勝野洋)がゴーストのアドニス役だったり、ロッキー刑事(木之元亮)がウルトラマンダイナのヒビキ隊長役だったり、スニーカー刑事(山下真司)がキョウリュウジャーで主人公の父ダンテツ役を演ったと思ったら、変身してキョウリュウシルバーになったり、たまに太陽出身メンバーがレギュラーや準レギュラーとして登場するたびに、俺の世代はワーッと盛り上がるんだよ」

晶華「ああ、昔のヒーローが年季を重ねて、隊長さんや父親役なんてやると盛り上がるってことね」

NOVA「それだけ長く、現役俳優を続けてるってことだからな。継続は力なりってことを感じさせてくれる」

晶華「懐かしさはエモいってことね」

 

倫理学の話

 

NOVA「さて、ここまでが寄り道で、ここからが本題な」

晶華「え? 『太陽にほえろ!』が本題じゃなかったの?」

NOVA「実は、『人間いかに生きるべきか』って哲学方面の話をしようと思っていたんだ」

晶華「どこから、話がそれたのよ」

NOVA「お前が、キモいとかイモいって話をした辺りからな」

晶華「イモいって先に言ったのは、NOVAちゃんよ。ついでにキモカワイイもNOVAちゃん」

NOVA「だったら、俺が悪いと言うのかよ?」

晶華「ええ、さすがは妄想悪霊製造機のNOVAちゃんね」

NOVA「それなら、俺の中から生まれる悪霊を退治するのが、花粉症ガールの仕事ってもんだろう。話が寄り道したな、と思ったら、ブレーキをかけて軌道修正を図るのがアシスタントガールの仕事じゃないのか」

晶華「違うわ。私の仕事は、NOVAちゃんのやりたいことを応援すること。たとえ、話が寄り道して、その先に崖っぷちが待ってようと、NOVAちゃんがそっちに向かいたいなら、ガンバレ〜って応援して、NOVAちゃんが崖から墜落したら、キャーッて叫んで涙目になったら、『フッ、こんなことで俺が死ぬものか』と崖下から這い上がってくるNOVAちゃんを見て、ワーイって喜んで『さすがはNOVAちゃんね。そこに痺れる憧れる』と言って、調子に乗ったNOVAちゃんに『くらえ、花粉症バスター』って不意打ちを仕掛けるまでが仕事なの」

NOVA「あのう。せめて、崖から墜落する前に止めて欲しいんですけど」

晶華「それじゃ、面白くないじゃない。エモいキャラになろうと思ったら、崖から落ちて這い上がるぐらいの芸は見せてくれないと、今どきの体を張ったギャグには付いていけないわよ」

NOVA「最近のギャグは体を張っているか? ひな壇に並んで、体を張った80年代や90年代の番組、および今も頑張っている人間を上から目線で勝手な論評をして、中身のないツッコミ入れてるだけじゃないの?」

晶華「まあ、安全な場所で、すごい映像を見て、おおってどよめいて、適当な感想付けてるのが芸だと思っている人も多そうね」

NOVA「すごいのは芸人じゃなくて、映像だもんな。芸人は映像の紹介者だったり、野次馬感想を言うだけで、ニコニコ感じたままを言うだけで金がもらえる。事務所の力は大きいな」

シロ「歌手や演技が本業で、司会だったり、コメント付けるだけってのは仕事じゃないってことですか?」

NOVA「少なくとも、ジャンル知識のない人間が、作品の凄さを理解せずに思いつきで喋るだけの番組を、俺はエモいとは感じない。まあ、たまにマニアックなこだわりを表明する芸人がいても、『はい、次、行きましょ』って流すような司会は、盛り上げどころを知らないなあ、と感じるわけで。そういう映像を紹介する番組なら、司会もきちんと勉強しろよって思う。

「昔の映画評論家の淀川長治さんや水野晴郎さんみたいな専門的な解説者がメインの番組が好みなんだけど、凄いものを茶化すような芸は、俺には合わん。『この作品の凄さはこれなんですよ』と素人には見えないマニアックな視点を提供してくれる番組を俺は評価するわけだ。つまり、番組司会はヨイショ芸を持っていなければならない。いわゆる政宗一成さんのナレーションに匹敵するような『こいつは凄いぜ』的なことを言う司会が主流になって欲しいんだけど、そういうことを言う人が、オタク番組の深夜枠とかに追いやられて、世間一般を意識したゴールデンタイムの地上波枠から消えたのが現状のTVかな」

晶華「マニアックな物が見たい人は、自分たちをターゲットにした番組を見ればいいんじゃない? たとえ世間が何と言おうと、自分の道を追求するのがNOVAちゃんの生きる道でしょ?」

NOVA「まあ、マニアックを追求するのはありだが、それが即、世間に背を向けるということだと、多様性を失うんだよ。できれば、世間と並走するぐらいのポジション、時々交差するぐらいの距離感がベストなんだよ。世間の光に対する影ぐらいならいいが、逆走する闇とか、世間の破壊者にまでなりたいとは思わない。テーゼとアンチテーゼがアウフヘーベンして、ジンテーゼを目指すヘーゲル弁証法哲学で生きていたいんだよ」

晶華「ゴメン。何を言ってるのか分からない。日本語で言って」

NOVA「正と反が止揚して、合を目指すヘーゲルさんの語った弁証法の考え方で生きていたい」

晶華「言葉の意味はよく分からないままだけど、言いたいことは大体分かった。つまりは、これね」


Ninpuu Sentai Hurricanger Gattai Batalhas #20


Ninpuu Sentai Hurricanger - Wind and Thunder Song - Gourai Senpuujin theme

 

シロ「おお。これぞ、忍びの極意、流派超越・風雷合体ですか」

NOVA「どうだ、エモいだろう」

シロ「ええ、エモいです。最高です」

NOVA「いや、この上にさらなる進化への道がある」


Ninpuu Sentai Hurricanger Gattai Batalhas #41

 

NOVA「銀河超越・三神合体だな。ここで宇宙の力を宿し、さらにリボルバーマンモスの登場で古代の力と結合して、時空を超える形となるわけだ」


「忍風戦隊ハリケンジャー」シュリケンジャーゲスト集

NOVA「宇宙統一忍者流のシュリケンジャーと言えば、変装の名人という設定で、多彩な戦隊OBがゲスト出演して変身してくれた。順に並べると、メガレッド、ゴーレッド、メガブルー、ファイブレッド、ブルーレーサー、レッドレーサー、タイムイエロー、シシレンジャー、オーレッド、そしてバトルケニアにしてデンジブルーにして宇宙刑事ギャバンの烈堂和尚の登場で、空前の戦隊OB大会が披露されたのだ。まあ、後にゴーカイジャーが登場したので絶後ではないんだがな」

晶華「つまり、歴代OBの登場で、シリーズ好きなNOVAちゃんのツボを大いに突いたってことね」

NOVA「そういうことだ。歴史とか系譜を考えるのって、エモいだろう? だから、君たちにもこういうものをお勧めするんだ」

理解しやすい倫理 新課程版

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晶華「何よ、それ?」

NOVA「高校生が勉強する社会科の倫理って科目の分かりやすい参考書だよ。なお、教科書が好みなら、こちらだな」

もういちど読む山川倫理

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晶華「何で、そんな勉強をしないといけないのよ」

NOVA「君たちは、それぞれの生き方を俺に尋ねたじゃないか。俺は、その答えを君たちに与えることはできない。なぜなら、それは君たちが考えて、自分で答えを探すべき人生のテーマだからな。だけど、先人たちが宗教の形で、あるいは思想哲学の形で、『人はどう生きるべきか』『世界とはどう成り立っているものか』『社会を良くするにはどうすればいいのか』を考察してきた人類の知恵が成熟する過程が、倫理学という学問には込められている」

晶華「下手な宗教書や哲学書を読むよりも、概要をつかむにはちょうどいいわけね」

NOVA「ああ、思想や哲学については、読むものが偏ると独り善がりな意見に陥って、物事を客観視できなくなる危険があるからな。俺も宗教人ではあるが、そこだけの勉強にハマりこむと『うちの教えが最高です。他は間違っているので、そちらに手を付けても迷うだけで、真の悟りには遠くなるだけなので、お勧めしません』と一面的にしか見えなくなってた時期がある。やはり、物事は極端ではなく、中庸、バランスを重じて、入り口は広げておいた方がいい。

「何よりも、高校倫理の教科書知識すらなく、ネット上で宗教批判や哲学批判をやらかしても、世間の学ある多くの人間の失笑を招くだけだからな。倫理は義務教育ではないし、選択科目なので、高校時代に学ばなかった人間も多く、歴史や政治・経済に力を入れた人も多いだろうが、大人になってから改めて読んでも、いい勉強になると思う。まして、創作を考える人間なら、時代による人間の価値観の変遷や、今の世の中のテーマを考えるには格好の資料になると思う」

晶華「知識の土台もないのに、正義とか何とか考えても、ただの感情論、子供のお遊びにしかならないってことね」

NOVA「なお、俺のブログを読んで、ニーチェを思い浮かべる人間は一つ、正解だな。最近、読み始めたのはホイジンガの『ホモ・ルーデンス』だけど、言わば『遊びの中に人間の本質がある』という主張っぽい。

「別に俺は専門家ってわけじゃないが、定期的に倫理哲学については考えたくなるし、ゼロワンを見ていると『AI倫理やロボット倫理』について考えるのも一興だと思うんだ。その場合に、ただ思うだけじゃなくて、現在どういう研究が為されて、どういう意見が主流かを学ぶのは基本だろう。そのためにネットや書籍で資料を探したりするのを怠って、主観だけで思いを語っても、個人の感想文ならともかく、それで○○すべきって他人に意見を主張したりはできないわけだ(根拠を伴わない感情論でしかない)。まずは現状分析の土台から始めて、その上に自分の見解を構築しないと批評にはならないって話を訴えつつ、次回につづく」

 

 (当記事 完)